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『悪女/AKUJO』

2018年07月08日
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あらすじ・・・
暗殺者に特訓された少女が、なんやかんやあって国家情報院に拾われ、特訓されます。


映画を観るとき、みなさんそれぞれグッとくるポイント・がっかりするポイント・熱狂するポイント・許せないポイントなどがあると思います。
わたしの場合、だいたいの映画をたのしく鑑賞するものの、ひとつだけ許せないポイントがあります。
それは「子ども」です。
物語に子どもが絡む、それはごく自然のことです。
すべての子どもが愛され、慈しまれ、救われるわけではない、それもまた哀しいかな、現実に起こっていることです。
物語として必要なことなら仕方ない。
目をそらしたくなるようなことからも逃げないのは、大切なことだと思います。
ただ、無駄に子どもがひどい目にあうのだけは許せない。
なんの必然性もない、そこまでやる必要もない、ショッキングな展開をのぞむためだけに、エモーショナルな感情を掻き立てさせるためだけに子どもがひどい目にあう映画が、わたしはどうしても許せないのです。

結論から言うと、『悪女/AKUJO』を観た今、後悔しかありません。
正直言って、ふざけんな、という気持ちです。

主人公スクヒは、10代の頃目の前で父親を叔父とその手下らしき者に惨殺されました。
殺されこそしなかったものの叔父の手におち、身体を売らされそうになっていたスクヒ。
そこに突然なぞの男性が現れ、スクヒを掃きだめから救ってくれます。
男の正体はマフィアでした。
スクヒの身の上を知った男は、彼女の復讐に協力してくれることを約束してくれ、彼の手によってスクヒは一流の暗殺者へと成長しました。
時が流れ、男と一緒に仇である叔父を追い詰めたスクヒは、目的が果たされた安堵と長年の月日が育んだ愛情から、男との結婚をのぞむようになります。
男もそれを受け入れ、めでたく永遠の誓いをたてる二人。
しかし幸せは一瞬で消え去ります。
スクヒの父親を殺した真犯人を独自に追っていた男が、彼女をのこし敵の手にかかってしまったのです。
全てを失ったスクヒは、男の仇を討つため、敵の本拠地に単身乗り込むのでした・・・

という「スクヒとおじさん恋愛慕情編」と、その後国家の暗殺者プログラムに減刑とひきかえにスカウトされたスクヒが特訓したり獄中出産したりシャバに出たり別の男性と恋に落ちて再婚したりする「スクヒとイケメン第二の人生謳歌編」が時間軸をあっちこっちさせられながら展開する本作。
ほぼ一人称視点のアクションシーン、かと思うとふいに三人称視点に切り替わり、またまた一人称に戻ったりとアクロバティックな動きを見せるカメラワーク。
かなりの長回し(風)なので、終盤はなにがなにやらな気分になったり若干カメラ酔いする部分もありましたが、これは本当におもしろかったです。
「こんな画が撮りたい」「こんなことをさせたい」という明確なビジョンがあってのアクションシーンは見ごたえがあるなぁと思いました。
それを実現させる技術やスタッフもすばらしい。
あっ・・・すごいニキータ・・・ と思っていたら急に日本刀を振り回す日本人ヤクザらしき集団が出てきたり、腰に日本刀さしたままバイクに乗ったり、手斧を振り回したりと、既視感あふれる謎ミッションも悪くない。
ストーリーが非現実的ではちゃめちゃなのは全く問題ないのですよ。
主人公に子どもさえいなければ。

実は男の子どもを身ごもっていたスクヒ。
それがわかったのは、国家情報院にスカウトされた時のことでした。
このまま犯罪者として死ぬか、おなかの子どものため国家の犬になり、10年の任期を務めあげたのち真人間になるか。
彼女は母親として生きることを選ぶ。
愛した男は死んだ、けれどその男の一部は自分の中に残っていた。
これからは子どものために生きよう、血塗れた仕事を引き換えにしてでも、子どもを守ろう、と。
そうだったらよかったんですけどね。
スクヒは男を選んじゃうんですよね。

スクヒが男に抱いた感情は、純粋な愛ではなくただのストックホルム症候群で、恐ろしい状況から救ってくれたヒーローみたいに思い込んでいるけれど、犯罪者から別の犯罪者に引き取られただけの、かわいそうな被害者のままだったんですよね。
それはわかる。 スクヒは被害者。 わかっているけれど、じゃあ娘のウネはどうなるんだよって思うわけですよ。

生まれた時から狭い部屋の中で生活して、同世代の子どもと全く触れあわず、いるのはスーツ姿のおじさんとおばさんばっかりで、自然の中で遊ぶこともなく、ある日やっと外の世界に出ることができたウネ。
だいすきなおかあさんと、隣に住むやさしいおにいさんと一緒で、毎日しあわせだったウネ。
時々おかあさんは泣いているけど、おにいさんがパパになってくれたから、これからはおかあさんもよしよししてもらえるね、よかったね、と母の身を案じるやさしいウネ。
どうしてそんなウネが殺されなければならないんですか。
スクヒが新しい人生を生きる目的のはずだったウネが、どうして母に真っ先に守られるのではなく、二の次三の次にされてあっけなく殺されなければならなかったんですか。
理由はひとつしかない。
ウネと新しいパパが死ななければ、ストーリーが盛り上がらないから。

だったら、ウネの誕生はいらないとわたしは思います。
ストーリーを盛り上げたいのなら、新しい恋人だけでいいじゃないですか。
愛する男を失って、新しい男に出会って、信頼関係を築いたと思ったら前の男が現れて、新しい男の不義を疑い始めて、疑心暗鬼になればいいじゃないですか。
子どものために暗殺者として国に仕える、というのなら、もっと子どもを優先して考えるんじゃないですか。
愛した男が生きていて、自分のもとに現れたということは、自分の身元がすでに相手にばれているということじゃないですか。
そしたらまず連絡すべきは組織でしょう。
なにを差し置いても子どもの保護。
真相を探るのはその次じゃないですか。
なにぼけーっとしてんだよ。 ふざけんなよ。 被害者だっていうのはわかっていますけど、ふざけんなよ。 守れよ子どもを。
そもそも、死んだはずの男が生きてピンピンしていた時点でおかしいと思えよ。
めっちゃパリっとしたスーツ着て、自分に「兄貴が殺されたんですよー!」って教えてくれた手下も一緒にいるって、それすなわち自分が嵌められたってことじゃんよ。 気づけよ。 脳みそのかわりにみかんゼリーでも詰まってんのかよ。

子どもを出しておきながらおざなりで、ただ主人公が奮起するためだけに殺される。
わたしは全くノレませんでした。
たとえば子どもが殺されるまでの生活で、子どもをものすごく大事にしていて、子どもだけが生きる意味みたいな描写があれば違ったと思います。
しかし、新しい彼との恋愛を描くために、そこが省かれた。
子どもだけでも助かっていれば、めちゃくちゃおもしろいアクション映画だったなぁ! で終わっていましたけれども、こんな風に「消費される小道具」みたいな扱い、ないですよ。 なにが復讐じゃいってもんですよ。
ウネちゃんが亡くなったあと始まるクライマックス、ものすごくしらけた気持ちで過ごしました。
っていうか、泣きすぎてね、怒りがすごすぎて涙が全くとまらなくてですね、主人公が車で敵陣に乗り込んだ時も「なんでそんな派手に乗り込むのコッソリとか考えなかったのばかじゃないの」って、主人公が昔愛した男と対峙した時も「この期に及んでなに躊躇してんのばかじゃないの」って、銃捨ててナイフ二刀流し始めた時も「なんでさっさと脳天にぶちこまないのばかじゃないの」って、ホントもう自分でもどうかというぐらいいちいち「ばかじゃないの」って思っていましたよね。
主人公が車のボンネットにのっかった時なんか、なんだったら「こいつ轢かれねえかなー」とか思っていましたからね。
ぜんぜん! 轢かれてくれて! いい! 遠心力でポイーンって!

同意は求めませんし、あくまでわたしが子どもという存在にナーバスなだけです。
そして、そんなわたしにとって本作は「観た記憶を消し去りたい」ぐらい不愉快な映画でした。

たのむから、もっとちゃんとストーリーを練っておくれ・・・ ノリたかったや・・ わしかて「ええぞー!」って両手をあげたかったんや・・・ ウネちゃんのあいらしい表情を思い出しただけで、今もなんぼでも涙が出てくるんや・・・ 無理です・・・ もうむり・・・



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