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『スリー・ビルボード』

2018年03月04日
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■ 「母」 ミルドレッド・ヘイズ

朝起きて、朝食を食べ身支度を整え家を出て街に向かう。
そのたびに、娘はレイプの末殺され遺体に火をつけられた、という現実を突きつけられる。
なぜなら、娘が発見されたのは、家から1キロも離れていない目と鼻の先ともいえる場所だったから。
毎朝、毎朝、道路を走るたびに、娘の不在とそのむごい最期を思い出す。
そして、仕事を終え、家に帰るとき、再びそれは繰り返される。
娘があげたであろう悲鳴と、助けを求める声と、肉の焼ける臭いが耳と鼻から離れない。
実際に聞いてはいないのに。
実際に嗅いではいないのに。
実際に聞いていれば、助けることができたのに。
実際に嗅ぐ前に、クズどもを撃ち殺すこともできただろうに。
いや、それ以前に、娘をひとりで出かけさせたりはしなかった。
反抗的な娘との激しい言い争いの際、売り言葉に買い言葉でつい発してしまった「レイプでもなんでもされればいい」という一言。
絶対に取り消せない悪魔との契約のようにそれは実行され、犯した間違いから救ってくれるはずの神はひたすら沈黙する。

どう過ごせばいいのだろう。
そんな悪夢のような毎日を、どう生きてゆけばいいのだろう。

ミルドレッド・ヘイズが悪夢から抜け出るただひとつの道は、犯人が捕まることだった。
娘を殺したのは自分ではない、と自分自身を赦すことのできる唯一の道。
到底受け入れられない現実を受け入れ、前に進むことのできる唯一の道。
怒りや哀しみや後悔や喪失感や、ありとあらゆる不条理な感情をぶつけられる相手が明らかとならない限り、ミルドレッドの地獄は終わらなかった。
だからミルドレッドは待ち続けた。
玄関のドアがノックされ、出てみるとそこには信頼できる警察署長がおり、「犯人を逮捕しました」と告げてくれる日が訪れることを願っていた。
一か月、二か月、三か月。
捜査が進展しないまま月日は残酷なほどさりげなく過ぎ、黒く焦げた遺体のあった野原には青々とした草が生い茂る。
かろやかに季節が移りゆく中、人々の記憶の中から陰惨な事件の影は消える。
七か月後、残っていたのは「かわいそうなミルドレッド」だけだった。
「あの」、「例の事件の」、「気の毒なミルドレッド・ヘイズ」。

どう過ごせばいいのだろう。
そんな悪夢のような毎日を、どう生きてゆけばいいのだろう。

ミルドレッド・ヘイズは、もういちど街の連中を事件の渦中に引き戻すことを選んだ。
自分だけが取り残されているのなら、やつらもここに引きずり込めばいい。
嗅ぎたくない臭いを嗅がせ、忘れ去りたい暗闇を見せつける。
「あんたたちは思い出したくないだろうけど、娘はレイプされ、殺され、焼かれ、そしてどうしたことか犯人はまだ捕まっていないんだよ。 それ、どう思う? あんたたちが住む街で起きたことなんだけど、どう思う? もしかしたらあんたたちの隣人かもしれないけど、それでも平気なわけ?」

人は見たくないものは見たくないし、知りたくない事実は知りたくない。
「かわいそうな人」には同情するけれど、自分の「道義」に反する人には敵意を抱く。
いまやミルドレッド・ヘイズの周りは敵だらけだ。
けれど、それがどうしたというのだ。
敵だらけだったのは、今に始まったことではないじゃないか。
それに、彼女の一番の敵は、自分自身ではないか。


■ 「父」 ビル・ウィロビー

朝起きて、朝食を食べ身支度を整え家を出て街に向かう。
そのたびに、自分の余命はあとわずかなのだ、という現実を突きつけられる。
あと何回、愛する妻と愛し合えるだろう。
あと何回、かわいらしい娘たちの額におやすみのキスをできるだろう。
病院で採血をし、結果を待つすこしの時間がたまらなく無意味でこの上なく苦痛な数十時間にも感じられる。
どうせ結果は同じだということを、自分も医者も看護師も街の人たちもみんなわかっている。
もしかしたら神様がもたらす奇跡の兆しがどこかに現れやしないかと、目を凝らして前を見つめるけれど、24時間はビル・ウィロビーの命を少しばかり削り取り、いつもと変わらぬスピードで過ぎてゆく。
ベッドに入るのがこわい。
明日も同じように瞼を開け、朝の光を眩しく思えるかわからないから。
まだ死なないかもしれないけれど、もう生きられないかもしれない。
堂々として威厳に満ち、誇りをもった「父親」として生きられないかもしれない。
もはや「眠り」はビル・ウィロビーにとって安らぎではなく、ロシアンルーレットのようなものだ。
カチリ、今日は目覚めた。 
カチリ、明日はどうだろう。

どう過ごせばいいのだろう。
そんな悪夢のような毎日を、どう生きてゆけばいいのだろう。

ビル・ウィロビーが悪夢をやり過ごすただひとつの道は、平穏に暮らすことだった。
やさしい妻に癒され、子どもたちと出来る限り食卓を共にし、街の平和に貢献する。
みなに尊敬され、信頼される警察署長として、最後のひとときまで誇りをもって過ごす。
トラブルばかり起こす出来の悪い部下もいるし、やる気のない部下もいる。
けれど、街の人々はみなビル・ウィロビーに好意的で、事件や事故も田舎町に相応な程度のものばかり。
自分が身を置いているここは悪夢の中ではない、幸せな夢の途中なのだ、と思い込むことで、このまま何事もなく静かに暮らし、静かに人生を終えたい。
見たくない現実からは目を逸らしたっていいじゃないか。
だって自分はもうすぐ死ぬんだから。

しかし、本当はビル・ウィロビーもわかっていた。
逸らそうと気づかないふりをしようと、生きている限り現実からは逃げられないことを。
大切な娘を無残に殺された母が、自分たちからの実のある報告を待ち続けていることを。
生い立ちと成長過程に問題を抱えた部下が、このままではきっとこの先も成長することなく人々から憎まれ続けるであろうことを。
警察署のリーダーとして、父親代わりの上司として、ビル・ウィロビーは彼らに対し責任があった。
ああ、できることならゆるしてほしかった。
だって自分はもうすぐ死ぬんだから。

被害者の母親が、警察署長を個人攻撃するかのような看板を事件現場近くに立てたとき、ビル・ウィロビーが抱いたのは、怒りでも恐れでもなく罪悪感と悔しさだったのではないかと思う。
そして、卑怯なやりかただということは承知の上で、捜査の滞りの裏には自分の病気があった、という個人的事情を話した。
自分でもそれとこれとは別だとわかっているけれど、街のみんながそうであるように、彼女も同情的な眼差しを向けてくれるかもしれないと期待する部分があった。
すがるように見つめるビル・ウィロビーに被害者の母がかけたのは、「そんなの知ってる」というひとことだった。
彼女は、知っているからこそ、宣戦布告をしたのだ。
逃げ切らせない、という覚悟。
たしかにあなたは死ぬのかもしれない、ベッドの上で、家族に囲まれて。
でも、うちの娘はもうとうに亡くなっているんだよ、よっぽどのまぬけか道に迷った者しか入ってこないような田舎道で、助けもなく、たったひとりで、凌辱され、焼かれて、という怒り。
それらを突きつけられたビル・ウィロビーは、残された時間の中もういちど事件に向き合い、なんとか成果をあげようとするが、手がかりも解決の糸口もないということもまた、変えようのない現実。

捜査に行き詰った事件と、治療の施しようのない病。
逃げられようのない現実、直視しないようにしてきた現実と向き合ったビル・ウィロビーは、はじめて自分と被害者の母との間にある共通点に気づいたのではないかと思う。

「かわいそうな母」と「かわいそうな父」に街の人々が向ける憐れみの眼差し。
最初のうちは、そのやさしさをありがたいと思うこともあっただろう。
みんな自分の味方なんだ、と心強く思うこともあっただろう。
けれど、その言葉や視線は徐々に煩わしいものへと変化してゆく。
なぜなら、同情は犯人を見つけてくれないし、病巣を小さくしてもくれない。
「だいじょうぶよ」 「お気の毒にね」 「応援してるよ」 「がんばってね」
必死に闘う彼らの上に、文字通り、毒にも薬にもならない言葉の数々が虚しく降り積もる。
自分が感じている孤独と被害者の母のそれが同じものなのだと悟ったビル・ウィロビーは、彼女の共犯者になった。

ビル・ウィロビーが家族に残したつもりで、実際置いて行ったものは、深い悲しみと自責の念と一生消えない心の傷だけだった。
いつ終わるとも知れない闘病生活で苦労をかけたくないなんていうのはただの言い訳で、苦しみたくないし無様なさまを見せたくないというのが本音だったのだろうから、いっそそう書き残してくれた方が家族は受け入れやすいように思うけれど、ビル・ウィロビーは最後まで「威厳のある父」でいたかったのだろうから仕方ない。
被害者遺族の「罪」を後押しすることで、彼女はより一層苦境に立たされるし、街の人々の感情を訂正しないまま逝ってしまったせいで、いがみ合いは続く。
ある部分ではどんでもなく迷惑なことをし、ある部分ではひとりの人間の人生を転換させる重大なことをし、街に大きすぎる影響を与えたまま、ビル・ウィロビーは自ら人生を終えた。
それがどうしたというのだ。
オレはすきにする。
君らもすきにしてくれ。


■ 「息子」 ジェイソン・ディクソン

朝起きて、朝食を食べ身支度を整え家を出て街に向かう。
そのたびに、母を頼もしく思い、母を疎ましく思い、母をいとおしく思う。
不幸な事故で父を亡くし、女手一つで育てられたジェイソン・ディクソンの価値観は、おもに母によって定められている。
母が否定するものは、自分も否定すればいい。
母が予想したことはたいがい当たっているし、母のアドバイスには得るところがたくさんある。
だからといって、母に支配されているわけではない。
母は自分がいないと生きてゆけないのだから、自分の方が立場は上なのだ。
言いなりになんかなっていない。
自分が母を守っているのだ。
男なんだから当然じゃないか。

ジェイソン・ディクソンと母の関係はかなりいびつで、街の人々もみなそれを知っている。
おまけに、ジェイソン・ディクソンがもっとも知られたくない個人的な情報も筒抜けだ。
「ほらみてごらん、バカのジェイソン・ディクソンだよ。 あの強烈なおかあさんに首根っこおさえられてるんだよ、気の毒にね。 それにほら、男なのに男がすきなんだってよ、かわいそうにね」
ジェイソン・ディクソンに向けられる眼差しにもまた、同情と憐れみが混じっている。
そしてそれらは彼を救ってはくれない。

ジェイソン・ディクソンは鈍くて、ある意味純粋で、彼なりの正義を持っていたのだろうと思う。
気に食わないやつは殴っていいという正義であり、尊敬する人を守るためなら他人を傷つけても構わないという正義。
母に教わった価値観で暴力を振るい、父のように慕っている署長がそんな彼の独善を戒めてくれるのが常だったので、その片方が欠けたとき、ジェイソン・ディクソンの正義が暴走するのは、至極当然なことだったのかもしれない。
周囲からの同情と憐れみに、恐怖までもが加わってしまった今、ジェイソン・ディクソンは職を失い酒浸りになって周りから敬遠され、木がうっそうと生い茂る高台の小さな家で、母親とふたり生きてゆくしかないのか。
自業自得と言い切るにはあまりに救いがないジェイソン・ディクソンの人生。
それを変えたのは、「父」からの手紙だった。

そんな一通の手紙で、人生は変わるものなのだろうか。
たった一通の手紙で、価値観が動かされることなどあるのだろうか。
ふつうは、そう簡単なことではないと思う。
けれど、きっとジェイソン・ディクソンの中には、「父」だけが気づいていた善き部分があったのではないか。
警察署に火がつけられ身体が炎に包まれる中、ジェイソン・ディクソンはいちど灰になった。
ジェイソンの表面を覆っていた「独善」や「虚勢」の殻が燃やされたことで、黒く焦げた土壌から再び芽が生えるように、彼の奥深くにあった善き部分が表に出てきたのではないか。
憑き物が落ちたかのように、ジェイソン・ディクソンは善き部分、「弱いところ」「素直なところ」「悪をゆるせないところ」「人を愛するところ」を隠さないようになる。
罪悪感から泣き、感謝から泣き、母を想い泣き、目の前の悪に怒り、自分の無力を嘆き、他人の痛みに苦しむ。
ジェイソン・ディクソンは再生した。
そして、「父」の期待と「母」の想いに応えるため、起死回生の勝負に出る。
これが実れば自分は救われる。
これが実れば自分は赦される、と信じて。


■ 三枚の看板

娘の弔い合戦とばかりに街を敵に回すミルドレッドは、他人の痛みをかえりみないモンスターかあちゃんのように振る舞っているけれど、そのかたく結んだ唇を見れば、本当は常にギリギリのところを歩んでいることがわかります。
夫に対しても娘に対しても「自分の信念」を貫いてきたゆえに、その両方を失ってしまい、それでもまだ、彼女が信じるやり方でけじめをつけるしかないミルドレッド。
看板は彼女にとって怒りの表明であるとともに、娘の墓標でもあったのではないでしょうか。
赤い花の寄せ植えを看板に手向け、そこに現れた鹿に話しかけるミルドレッドの穏やかな表情。
あの看板は娘が殺された証で、生きた証で、誰にも忘れさせないという決意の証だった。
燃えあがる看板はミルドレッドの目に、まるで娘がもういちど燃やされているように映ったのかもしれない。
いや、わたしの目には、そう映りました。
もうやめて! あの子の火を消して! どうしてこんなひどいことを!
(消火を)もうあきらめなよ」と声をかける息子・ロビーに懇願するように「ロビー!」と叫ぶミルドレッド。
なんど娘をうしなえばいいのか。
なんど娘を救えない無力さに打ちのめされなければならないのか。
悲痛すぎる声に、涙がとまりませんでした。

ずっと誠実に生きてきた正しい人・ビルは、「明日朝起きたらパパがいる」と信じていた娘の気持ちや、夫の苦しみを分かち合い寄り添い続けてくれた妻の想いを裏切り、ミルドレッドが責められることを承知の上で逃げ切った。

粗野で愚かで差別主義的なディクソンには、自分の母を想い、娘を失った母を想うやさしい部分があった。

息子に悪影響しか与えてなさそうな毒母は、暴行を受けボロボロになった息子を前におろおろと狼狽え、「手当をさせておくれ」とただ泣きじゃくる。

人は見たくないものは見たくないし、知りたくない事実は知りたくないものです。
同時に、「こう見られたい」自分と「こんな風にだと思われたくない」自分があるのが人でもある。
ある場面では寛容で、真逆の場面では不寛容。 他人に攻撃的だけど、自分が打たれると弱い。
かっこいところや勇ましいところは見られたいけど、情けないところや臆病なところは見られたくなかったり、いい人間だと思われたいけど、本当はエゴのかたまりであることは知られたくなかったり。

世の中には人の数だけ看板があるのでしょう。
どちらかの面だけで人を判断できないし、するべきではない。
裏も表もひっくるめてのわたしであり、あなたなのだから。


■ 車の中

放火事件の加害者であるミルドレッドと被害者であるディクソンが同乗する車の中。
罪を告白するミルドレッドにディクソンは赦しを与えますが、そんなディクソンもまた、別の事件では加害者で、ミルドレッドは被害者であったりもする。
誰かを傷つけ、誰かに傷つけられたふたりが、互いを赦し合い、同じ目的に向かって進んでゆく。
まだ気持ちは同じではないし、またどこかで反発し合うかもしれないけれど、その先の行動について「時間はたっぷりあるから、おいおい考えよう」と話し合う。
憎み合っていたとは思えないほど、おだやかな表情をみせるミルドレッドと、焦る様子はなく遠くを見つめるディクソン。

この社会で生きているわたしたちもまた、ひとつの車に乗り合わせたようなものなのかもしれませんね。
時に共感し合い、時に批判的になり、傷つけたり、傷つけられたりを繰り返すわたしたち。
でも、降りる訳にはいかないんですよね。
どんなに気に食わない人がいようと、どこかの惑星に移住でもしない限り、この時代、この世界で一緒に生きてゆくしかない。
だったら、見えていない、見せられていない看板の裏があることを意識し、思いやったり歩み寄ったりする方がいいじゃないですか。
ふたりの姿は、わたしたちが持つ可能性そのものなのではないかと思いました。
そして、そんなラストを用意してくれたこの作品を、心からすばらしいと思いました。

フランシス・マクドーマンドさんの前を見据える眼差し、サム・ロックウェルさんの瞳からこぼれる涙、ストローをたてられたオレンジジュースをわたしは忘れない。 
墓標にたむけられた赤い花を。
眠っている母の髪をやさしくなぜる指を。
怒りをあらわにする勇気を。
誰かを赦す勇気を。



― 追記 ―

・ 母と姉のやりとりを見ていた息子は、母の後悔や罪悪感を誰より理解していたから、どれだけ母が暴走しても(反発はすれど)見放さなかったのですよね。 きっと学校では相当ひどい扱いを受けていただろうに。

・ 父が家に乱入してテーブルをひっくり返した瞬間の、包丁を手にして背中を取る一連の動きもあまりにスムーズで、母と父が一緒に暮らしていた頃、こういったやりとりは幾度となく繰り返されていたんだろうし、そのたびに息子は母を守ってきたのかなぁと思いました。 息子、えらいね。 やさしいね。 家族を一度にうしなったのは、息子も同じなのにね。

・ やさしいといえば、看板屋さんのレッドですよね。 そんなに正義に燃えるタイプではないけれど、ミルドレッドの素性を知った瞬間きちんと仕事をして、おまわりさんの脅しにも屈さないし、バーで煽ってくるディクソンも上手にかわすし、あんな酷い暴行を受けたにも関わらず、相手が加害者と知っても親切をやめないし、包帯だらけのディクソンからよろよろと離れ、ぶるぶると震える姿からのオレンジジュースには打ちのめされました。 しんどかったよね・・・トラウマがよみがえって、ホントは呼吸するのもしんどかったんだよね・・・ レッドつよい・・・ レッドはエビングの良心やで・・・

・ レストランで看板放火の真犯人が明らかとなった時、シャンパンを手にとったミルドレッドは元夫をぶち殴りに行くのだろうと思ったんですよね。 そりゃそうだ、あいつはそうされて当然だ、って。 でも、自分が見下していた元夫の若い恋人の口から「怒りは怒りを来す」という言葉がでたことを知り、たとえそれがただの偶然だったとしても、ミルドレッドにとっては天啓みたいに感じられたのではないか、と。 期待していない場所からふいにあらわれた神様からのしるし。 自分は彼を赦さなければならないし、彼は彼女の人生に責任を持つべきなのだ、娘にできなかった分まで。 

・ もちろん、その直前、彼女が同じく心の中で見下していたジェームズからかけられた一言も、なくてはならない言葉だったと思いますけどね。

・ 自分が目星をつけていた男が犯人ではなかったとミルドレッドに報告するディクソン。 迷うようにすがるようにショットガンを抱きかかえていたのは、もしもミルドレッドが自分を赦してくれなければ命を断とうと思っていたからなのではないか。 署長の期待にも応えられず、遺族の願いも叶えられないクソ野郎の自分には、生きている価値はない、と思っていたのではないか。 もしかしたら、母親も道連れにしようとしていたのではないか。 このシーンは、ディクソンが電話を切るまで本当にどきどきしました。 

・ 燃やされた看板を消火させられなかったミルドレッドは、炎の中から事件のファイルを命がけで救い出したディクソンをとっくに赦していたのかもしれませんね。 自分の代わりに娘を助け出した。 灰にさせなかった。 だから、結局進展しなかった捜査について、ミルドレッドはディクソンを責めず、静かに耳を傾けたのかもしれないなぁと思いました。

・ 娘の事件とは無関係だったけれど、似たような犯罪をおかしている可能性は濃厚であった男に対し、私的制裁を匂わせるディクソン。 ミルドレッドはしばしの沈黙の後、同意を示しました。 受話器を頬にあて涙を流すディクソンと、もういちど鹿が現れてくれないかと願うように野原を見回すミルドレッドの姿が、いまだに頭から離れません。 どうか、彼らに救いを。 彼らが目的地まで突き進んでしまうのか、どこかで引き返すのかはまだわからないけれど、そこでかわされる会話から希望がうまれることを願っています。
  



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