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『クワイエット・プレイス』

2018年10月01日
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あらすじ・・・
それはある日突然地球に現れて、音を立てるものたちを消していった。


(※ 以下ネタバレしています)



・ もういっそのこと滝の裏に住んじゃえばいいのに。

・ と言っちゃったら身も蓋もないというか、滝じゃなくても防音スタジオでもぜんぜんイケそうというか。  あ、すみません言い遅れました。 音を出したらどこからともなくすごい勢いでクリーチャーが走ってきて手についた鎌みたいなので一刀両断されちゃうという斬新な世紀末ホラー『クワイエット・プレイス』を観てきましたよ。 音を出したらアウトなので、郊外の農家で静かにほそぼそ暮らす一家のおはなしですよ。

・ 物語はそのクリーチャーが勝手に騒音対策を始めてから89日後のとある昼下がりを舞台に幕を開けます。 おそらくほとんどの人類が駆除されてしまったであろう中、荒廃した街の雑貨店には体調を崩したらしき男の子に薬を与える母、もうふたりの子ども、そして父親の姿がありました。

・ ふたりの子どものうちのひとりは聴覚障害をもっているらしく、幼い弟や父親とのコミュニケーションは手話です。 もしかしたらそれまで「ハンディキャップ」と呼ばれていた部分が、「ギフト」としてノーサイレンス・ノーライフな世紀末を生き残れた理由のひとつになっていたのかもしれません。 このくだりはもう百点満点。 

・ まだたったの4歳で、電子おもちゃの五感が忘れられない弟。 思わず商品棚にあったロケットに手を伸ばす。 このロケットでおねえちゃんを宇宙に助け出すんだ。 空想と現実の垣根が大人以上に低い幼児の危うさに、クリーチャーが出てきていないにもかかわらず手汗がとまりません。

・ おもちゃを取り上げ「音は出しちゃダメだよ、わかってるでしょ?」と子どもを諭し、雑貨店を後にする両親。 その後に続く子どもたちでしたが、あまりにしょんぼりする弟を見かねたおねえちゃんは、電池を抜いたうえでロケットのおもちゃを手渡します。 喜ぶおとうと。 ナイショだよ?とほほえむおねえちゃん。 しかしおねえちゃんは知らなかったのです。 しんがりを務めたおとうとが、このあとこっそり電池も手にしていたことを・・・

・ で、電池をインしておもちゃを鳴らしたおとうとは、クリーチャーの餌食になってしまうのでした。

・ いやぁ、ホントもうここまでは大傑作ですよ!! この時点で両親に対するつっこみは山盛りですけども、家族の関係性や彼らがおかれている状況が最低限の描写で最大限に説明されていて、めちゃくちゃ怖かったですし、緊張しすぎて心臓いたかったですし、椅子の上で岩みたいにかたまっていましたからね。 超よかった! ここまでは!!

・ 場面は変わり、物語はクリーチャーの襲来から472日後に再び幕を開けます。 末弟を襲った悲劇から一年あまり。 農家とその周辺を徹底的に改造した一家は、物音を立てないよう慎重に、しかし穏やかに日々を過ごしていました。 彼らが以前と違っているのは、家族を失ったことで各々が自分自身を責めていること。 家族間のコミュニケーションが不足気味なこと。 そして、母のお腹に新しい命が宿っていること。

・ この状況で! 子作りを! 残された二人の子どもも、いうてもまだまだ幼いというなかで!! 両親はガッツの塊か!!!

・ このあと一家はおねえちゃんとおとうさんが微妙な距離感になったり、おとうととおとうさんが男同士のひみつの打ち明け話をしたり、おねえちゃんがやさぐれたり、おかあさんが釘を踏んだり産気づいたりと、いろいろなことに見舞われるのですが、とにかくわたしはもうこの「臨月おかあさん」というキーワードが強烈すぎてしばらくストーリーが頭に入ってこなくてですね。 

・ いや、入ってくるんですけど、いちいち脳内のひな壇に並んだリトルアガサが「子作りするかあ?この状況で?!」とガヤを放り込んでくるもんで、緊迫感に浸れないんですよ。 予告でおかあさんが臨月なことは知っていたのですが、まさか侵攻後の子作りとはね・・・ 思いませんでしたよね・・・ 

・ なんでだろ? なんで仕込もうと思ったんだろ? 子どもを失った哀しみを癒しあううちにとか? っていうか音出しちゃダメなんですよね? 無音か? 無音で仕込んだのか? 声出しちゃダメなシチュエーションで子作り行為って、なかなかその場の勢いぐらいじゃあイカない行為だと思うんですけど。 あと、鼻息とかすごくなかったのかな? 声の代わりにすげえ鼻息してたんじゃないかな? クリーチャーさんの判定基準がマジでミステリー!!! わたしだったら「なにやってるの?!」って割って入りますけどね! 「ちょっとそこのおふたりさん! 聞こえないと思ってんでしょうけどね! 尋常じゃない鼻息してるからね!」って。

・ ここまで噛みつくトコロでもないのかもしれませんし、ただ単に「話を盛り上げるためだけ」なのかもしれませんが、子ども作る前に今いる子どもをもっと大事にしろよと思えて仕方なかったのですよ、わたしは。 おねえちゃんなんて、自分を責めて、おとうさんの愛情に疑いを持ってしまって、そんな自分をもっと嫌いになって、家庭内に居場所をなくしてしまってるわけじゃないですか。 順番違わないか? 誰のことが一番大事なんだよ。

・ 物音を立てずに妊娠期間を乗り越えて、陣痛と出産の苦しみに耐える、そこまでは母の役目。 作ったからには根性で乗り切る、そう決意したのでしょう。 しかし、生まれた瞬間赤ちゃんは自由に泣き、自由にぐずぐずいう権利を得るのです。得ないといけないのです。 親の都合で泣かせないとか、オレはぜったいゆるさない。

・ 作中、出産後に備えて酸素マスクを用意したり地下室を防音仕様に変えたりという工夫が紹介されていましたが、瞬間でクリーチャーに侵入されていましたし、新聞ペタペタ貼り付けるぐらいで防音できるもんですかね? だったら市街の映画館とか音楽ホールとか、そういうトコに住む方がよくないか? ドア締めちゃえば建物から外に音漏れないですよ?  やっぱりクリーチャーはんの判断基準むずかしおすわ~!!

・ 子どもを亡くした親は子どもを作るべきではないとか、そういうことが言いたいのではないのですよ。 ただ、幼い子どもを守り切れなかった、しかも無残に殺されるところをきょうだいたちに見せてしまった。 今はそのフォローにこそ時間と愛情を費やすべきだったんじゃないか、という違和感は最後まで消えることはありませんでした。 優先順位に対する考え方が、この作品の両親だったり脚本家、監督たちとは違ったということでしょう。 出産、新生児の誕生は希望のメタファー。 そうですね。 でも、今目の前にいる子どもたちがなによりの希望なんじゃないかな。

・ で、ネタにマジレスみたいな勢いでさんざん書いてきたのですが、要はこれ、この作品ってすべてが「子を持つ親の恐怖」のメタファーなんですよね。

・ 親になったその時から、四六時中年中無休で脳裏を横切る厭な想像。 「もしもたまたま子どもから目を離した瞬間事故にあったら」 「もしも出産時にトラブルがあったら」 「もしも生まれた赤ちゃんになにかあったら」 「もしも外に出かけた子どもがいなくなったら」 「もしも子どもと自分だけが在宅中に不審者が入ってきたら」 「もしも幼い子どもをのこして逝かなければならなくなったら」 

・ 子どもを守れなかったらどうしよう、という恐怖。 こんな世の中で、この先子どもはどう生きてゆくのだろう、という不安。 疾風のようにかけてきては、都合よく居座ったり退散したりするクリーチャーは、毎日のように親の心をかき乱す漠然とした恐怖そのものなのかもしれません。

・ ということで、「そっかそっかメタファーですか!了解しました!」と気持ちを切り替えれば、趣きのある良作ホラーと思えなくもないですが、集中しようとするたび細かい部分が引っかかって、「なにがメタファーじゃ釘の始末ぐらいしとけやコラ!」みたいに気持ちがオラオラになってしまったので、いっそのことラストの「補聴器のハウリングとショットガンでクソども全員ぶっころす」母娘共闘のノリをもっと早い段階から初めてくれた方が、細かいことを忘れてたのしめたのになあ・・という気がします。 

・ ショットガンの弾があの家にどれぐらいあるのかとか、結局あの地域にクリーチャー何匹いるのかとか、そういうのはいいんですよ。 「マーズ・アタック!」みたいにトラックのスピーカーからハウリング響かせて母娘で市内を徘徊してほしいんです。 真面目にやるんなら細かいとこまでちゃんとやる、設定ガバガバならガバガバ上等で思い切ったことをする、それがわたしのホラーに対する願いです。

・ 物音を立てない生活ゆえに、お皿やフォークの代わりに葉っぱのお皿で手づかみで食べてるシーンなんか、すごく丁寧でよかったのになぁ。 せめて妊娠がクリーチャー侵攻以前からだったら全く違っていたと思うので、返す返すも残念です。

・ 音響の使い方は秀逸でしたし、役者は大人も子どももみんな優れていましたし、映像も美しくて、気に入る人はとても気に入るのではないでしょうか。 ともかく、映画館でホラーが観られることはしあわせなことです。それだけは確かです。

・ ちなみに、本作の脚本を担当したスコット・ベック/ブライアン・ウッズ両氏ですが、前作『ナイトライト 死霊灯』も「POVってずっとカメラを回しっぱなしなトコがよく批判されるじゃん?だったら視点をカメラじゃなくて懐中電灯にしちゃえばよくない?絶対進行方向照らすじゃん!」というひらめきだけでポイント・オブ・懐中電灯ズ・ビューを実現させたアイデアマン(※すべてわたしの推測)でして、今回のも「ホラーって絶対叫ぶじゃん?だったら音出すの禁止って設定にしちゃえばよくない?叫びたいのに叫べないってさいこうじゃん!」というアイデア一発勝負だったのではないかという推測がとめられません。 いつか細かいとこまで詰められるといいですね! 自由な発想でこれからもがんばってください!!





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『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』

2017年11月09日
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人間社会とは不思議なもので、どこのどんな集団にも、華やかなグループと地味なグループが出来るものです。

学生時代から人づきあいが下手で、心に壁を作りがちで、でも想像力だけは両手に余るほど持ち合わせていたわたしは、制服をおしゃれに着崩し、友達と「放課後どこのカフェに行き、どこの洋服屋さんを物色し、どの男子と遊ぶか」をきゃあきゃあと相談し合う、華々しいクラスメイトたちの輪に入ることは決してありませんでした。 もとい、入れることは決してありませんでした。
彼らのグループは成績のいい悪いにかかわらずとても目立つので、先生からの覚えもめでたく、卒業式では年長者とまるで長年の友人のようにくっつきあって写真を撮る彼らの姿がそこかしこにありました。
目立たなかったわたしは、先生に覚えてもらっている自信が確実にない。 
だから卒業後学校には行かなかった。 
「先生お久しぶりです~」って声を掛けて、相手の顔に巨大なはてなマークが浮かぶトコなんて見たくもない。もしもわたしが生きている間になにかしらやらかし、「元担任」などにインタビュアーが向かうようなことがあったとして、「彼女はとても大人しくて」なんていう教師がいたらそいつは偽物だ。気をつけろ。印象に残っているわけがないし、覚えられるようなヘタはうっていないはずなんですよ。だいたい、何十年も前に担当した生徒のこと逐一覚えている教師なんてホントにいるのか。なんだったら苗字も変わっているし。よっぽど抜きん出たなにかがあったならまだしも、当時から大人しかった生徒のことを「クラスでも大人しくて」とかマジ記憶王レベルだろ。知りもしないのに知った顔しないでいただきたい。すみません感情的な方向に話が逸れました。

ともかく、目立つグループにも入れず、勉強ができるグループにも入れず、めちゃくちゃ部活が優秀なグループにも入れなかったわたしだったのですが、不思議なことに、気づくと数人の友達と行動を共にしていたのですよね。
まるで下敷きの下に置かれた磁石に砂鉄が引き寄せられるように、見えない力でひとりまたひとりと集まってくる「似た者同士」たち。
華々しさはなく、おしゃれではなく、異性と「進んだ」つきあいをするではなく、潤沢なお小遣いを持っているわけでもない、ひっそりとしたわたしたちは、しかしとても充実した毎日を過ごしていました。
先生に気に入られていなくても、デートに誘われたり告白されたりしなくても、「祭」の名がつくイベントで活躍出来なくても、キラキラと輝き、瑞々しい喜びに満ちた日々を送っていたのです。
お金も恋人も夜遊び経験もないわたしたちは負け犬だったのでしょうか。
「はみだしクラブ」だったのでしょうか。

本作で描かれる「はみだしクラブ(ルーザーズ・クラブ)」の夏休み。
もちろん、いじめっこによる暴力や毒親による支配などつらい部分も多々ありますが、彼らはそれはそれは満ち足りた、とても幸せなひとときもたくさん経験しました。
不思議な力によって結びついた仲間たちは、同じ痛み、同じ恐怖、同じ不安を知っているからこそ、何よりも仲間を信じ、守ろうとした。
おっかないピエロ(ペニーワイズ)が体をカクカクさせながら迫ってきたり、精神が破たんした上級生がナイフを突きつけて来ても、どこか「なんかええもん見させてもろたな」感が残るのは、かのクラブの面々が過ごした夏休みが、恐怖を上回るほど魅力的に見えたからだと思うのですよね。
互いに気づかい合える友だち。 支え合える友だち。 どんなにつらいことがあっても、その気持ちごと受け止めてくれる友だち。
彼らと過ごせたから、何気ない山歩きも、水遊びも、高級でないふつうのアイスクリームも最高の思い出になった。
彼らがいたから、自らのトラウマに向き合い、恐怖のピエロにも打ち勝つことができた。
はみだしているどころか、むしろあの夏、あのデリーで、一番メインストリームにいたのはルーザーズ・クラブであり、一番勝利したのもルーザーズ・クラブだったと言えるのではないでしょうか。

自転車を颯爽と走らせる彼らの姿は眩く、わたしは自分の「冴えない」学生生活もまた、きっとあんな風に生き生きとしていたに違いない、とどこか誇らしい気持ちでいっぱいになりました。
そしてもし可能であったなら、危険を伴っていてもいいから、仲間とあんな風に恐ろしい冒険に出かけてみたかった、と非現実的な夢を抱かずにはいられませんし、そんな夢を、何歳になっても小説という世界の中で叶えてくれるスティーヴン・キングを愛さずにはいられないのでした。
もちろん、鮮やかな情景と愛おしい子役たちと隅々にまで詰め込まれた古き良き1980年代プロップにより、理想的なデリーを作り上げてくれたアンディ・ムスキエティ監督にも感謝の気持ちでいっぱいです。

ルーザーズ・クラブは、わたしの中にいる。
日々湧き出てくる「ピエロ」を倒すべく、わたしは今日も拳をグイグイと柱に押し付け、幽霊が見えるとしつこく言い張るだろう。





※ 以下原作・旧テレビドラマ版・本映画版ネタバレしています


― 追 記 ―

・ つってもねー! 実のところ、物足りなさもいっぱいなんですよねー!正直ねー! 思春期のキラキラはよかった!子役もみんなかわいらしかったですしもう充分です!ありがとうございます! でもそれ以外がマジ物足りない!

・ 「現代」の大人パートと「過去」の子どもパートをうまいこと織り交ぜて徐々にITとの決戦へとなだれ込んでゆく原作と、文章ならではの回想シーンへのスムーズな切り替えを巧みなカットで再現してみせたテレビ版、そのどちらもが非常によくできていたので、今回の映画版はどのように映像化しているのかとても気になっていました。 そしてわりと早い段階で「今回は少年期だけで、続編の製作が決定済み」という情報を目にしまして、「あー、そういうこと?」ってなりましたよね。 なるほど、それはウケそうですやん。 っていうか、実質エエとこ取りですやん。

・ 『スタンド・バイ・ミー』とか『グーニーズ』とかにがっつりホラー成分足したものがおもしろくないわけがない。 実際、本編はとても素晴らしい出来でした。 映像はうっとりするほど美しいし、邪悪なげっ歯類みたいになったペニーワイズもいちいちおもしろいし、時代が原作&テレビ版の1950年代から80年代に変わったことも、わたしなんかはモロ同世代なのでハートキャッチモロキュアですよ。もう、おまえらどこ中?えっ?デリー中?みたいなノリですよ。

・ 子ども達の心の奥底にある「恐怖」の対象も、原作&テレビ版の「各種モンスター」から「保護者」へと設定を変えられており、ルーザーズ・クラブ全員が片親もしくは養父もしくは毒保護者からの精神的支配に苦しんでいるという状態はとても現実的で、ある意味小説よりつらみが深かったです。 自分を守ってくれるはずの保護者が一番身近で一番たちが悪いという。 それって、狼男やミイラ男が襲ってくるよりも恐ろしいことじゃないですか。

・ 幼い弟・ジョージイをペニーワイズに食い殺されたビルは、事件以来自分の存在に無関心になってしまった両親の姿から、「おまえが一緒について行かなかったせいだ」という無言のプレッシャーを感じ取っています。 もちろん、直接言われてはいないのでしょうが、責めない代わりにかばってもくれないのですから、結果は同じことですよね。 ビルの罪悪感を読み取ったペニーワイズは、ジョージイの姿を借りてビルを追い詰めます。 「おまえは悪くない」と言ってくれる両親がいない中、ビルはどうやってジョージイの死を乗り越えればいいのでしょうか。

・ 過保護すぎる母親から行動の逐一を管理されているエディは、女手一つで自分を育ててくれている母になにひとつ逆らえません。 重ねて、代理ミュンヒハウゼン症候群のように、「我が子は病気」だと信じなければ生きてゆけない状態に陥ってしまっている母から、ひたすらに病弱なんだと言い聞かせられ、世の中にどれだけ害悪なものが存在するかをみっちりと吹き込まれ続けたエディ。 狡猾なペニーワイズは「あらゆる感染症を患っていて長いこと風呂にも入っていなさそう」なホームレスの姿で現れます。 「おまえは本当は健康体だ」と呪縛を解いてくれる母がいない中、エディはどうやって「偽物の病気」である自分と折り合いをつければいいのでしょうか。

・ ラビの父からユダヤ教の信者としてきちんと生きることを期待されているスタンリーは、厳格な父も難しいヘブライ語も苦手で、尚且つ強迫神経症でもあります。 秩序的でないものを受け入れられないスタンリーの背後から、歪んだ絵画の姿を借りて忍び寄るペニーワイズ。 スタンリーはみんなと同じように、自転車をスタンドを立てずにガシャーンと放り出すことができるのでしょうか。

・ ベンもまた母親一人の家庭で育ちました。 母に心配をかけたくないがために、転校先でいじめられていることも、友だちがひとりも出来ないことも打ち明けられず、孤独な心を癒すかの如くデリーの歴史に没頭しているベン。 調べれば調べるほど異様さが明らかとなって行くデリーにおいて、27年ごとに大規模な事件・事故が起き、大勢が亡くなっているという事実に突き当たったベンの前に現れたのは、爆発事故で100人以上の死傷者を出した復活祭の犠牲者でした。 黒く焦げた死体の首から先に、ただ暗い闇だけを漂わせた死体。 追われるベン。 万事休す。 それはさておき、首なしゾンビよりもナイフで切りつけてくる上級生の方が今そこにある危機すぎるので、ベンはとりあえず警察に駆け込んだ方がいいと思う。

・ ピエロ恐怖症のリッチー。 ピエロが怖いので、もうお手上げです。

・ ビデオ版では、父親から虐待を受けているけれど、性的なものがあることまでは匂わされていなかったベヴァリーですが、今回はっきりと「オレのベイビーガール」といやらしい目つきを向けられていました。 こっそり買ってきた生理用品をにやにやと眺め、ベヴの髪をねっとりと撫でまわす父親のおぞましさよ・・・。 そしてその直後、ベヴァリーは「これのせいで」と吐き捨て忌々しそうに長い髪を切り落とします。 しかし、「長い髪=女性性」を切り父親の性的な関心を背けようとしても、「初潮」の訪れから逃れることはできない。 「女性」になりたくないベヴァリーを嘲笑うかのように、髪の毛と血のシャワーをバスルームに撒き散らすペニーワイズの、徹底したリサーチ力と嫌がらせに対する情熱の濃さには頭が下がりますね。 マネしませんけどね。

・ ルーザーズ・クラブを執拗に付け狙うのはペニーワイズだけではありません。 警官である父親から虐待をされ育ったヘンリーもまた、何かに復讐するかのように自分よりも弱いものを暴力でねじ伏せようとします。 世の中の理不尽を一身に受けているようなヘンリーに、ペニーワイズは鞭ではなくアメを与えるのでした。 凶器というアメを。 ヘンリーもまた、被害者なのですよね。 虐待からの、デリーに巣くう悪意からの。

・ これら、原作よりももっと現実的な恐怖に置き換えられた子ども達の苦境は、短い上映時間で彼らの状況を悟らせるに相応しいものであり、かなり大人っぽくなっていたベヴァリーも含めていいアレンジだったと思いました。 苦境はよかった。 ただ、そこから団結へと向かう経緯がホントに物足りなかったのですよ!わたしは!

・ 彼らがそれぞれトラウマやDVに直面していたことと、命がけでペニーワイズと闘うこと。 そのふたつを結びつけるのは、「自分たちの状況を変えたい」という強い気持ちだったのではないかと思うのですよね。 クローゼットの隙間から覗くペニーワイズの影に震える日々を、曲がり角の向こうで待ち構えるヘンリーたちに怯える日々を、歪んだ愛情を押し付けてくる保護者に苦しむ日々を変えなければ、自分は一生暗闇から抜け出せない。 助けを求める声を無視されるのも、無視するのももうご免だ。 

・ ただ、そんな気持ちも彼らひとりひとりだったなら挫けていた。 彼らの前にいつでもビルがいたから、「弟の仇を討つ」という絶対的な正義に裏打ちされた、ビルのブレないリーダーシップに彼らは心酔し、命を預けたのですよ。 本作は、そこが圧倒的に足りなかった。

・ 時間が足りないというのはあると思うのですよ。 たった2時間で個々のトラウマも描き、出会いも描き、心開く様も描いて、団結も描くだなんて、なかなかどうして至難の業ですよ。 でも、過去数百年に渡ってデリーを餌場にしてきた邪悪なピエロに、実質丸腰状態の12歳が立ち向かうんですから、相当の覚悟が必要じゃないですか。 いつ殺されてもおかしくないし、出来ることなら見なかったことにしたい。 怖い、しぬほど怖い。 でも、行かなければならない。 今、自分たちがやらなければ、この悪夢は終わらないから。 彼らの決意とそれを引っ張るビルのカリスマ性。 ふたつが揃わなければ、ペニーワイズとの決戦に説得力がないではないですか。

・ 今回の映画で、ビルのリーダーシップはわたしにはあまり感じられませんでした。 たしかに恨みがある分、他のみんなよりはペニーワイズに対して好戦的でしたけども。 なんか、いっつもベヴと見つめ合ってるし。 明らかにベヴだけ特別扱いだし。 ベヴもビルだけには熱視線送ってるし。 なんやねんおまえら。 つきおうてるのか。

・ その辺の動機の薄さをカバーするためなのか、本作ではルーザーズ・クラブはいちど怖すぎて解散し、そののち、とあることをきっかけにペニーワイズの本拠地へとかちこみを果たします。 そのきっかけとは、クラブの紅一点ベヴァリー・マーシュの失踪。 あろうことか、ベヴァリーはペニーワイズにさらわれてしまうのです。 

・ もうこの辺から、わたしの頭の中は「なんでやねん!」でいっぱいだったわけですよ。 ベヴがペニーワイズの死の光を見てしまい、プカプカ浮かぶってどういうことやねん。 で、「ベヴがさらわれた!」ってビルが仲間を呼びに行くのはいいとして、呼ばれるシーンカットされて気づいたら合流してるスタンとマイクどういうことやねん! その二人、かなり積極的に解散してた組だから、呼び戻すトコというか考えを変えて戻ってくるトコ重要じゃん! むざむざ死にに行くようなものだというのに!

・ ベヴァリーは「射撃の名手」というくだりもなかったですし、かっこよく出てきたわりにはありがちな「かよわいプリンセス」みたいな扱いされちゃうし、みんなに対してもあからさまに「ベン>その他のおこちゃま」って態度だし、ホント勘弁してほしいですよ。 ベヴはそういうんじゃないと思うわたしです! みんな対等なのがいいんです!

・ 挙句、光を見てプカプカ状態だったベヴの意識を戻す方法が、ベンからのキスっていうね。 いや、そりゃあね、そこに至るまでに、ベンくんのかわいさとけなげさにノックアウト状態でしたし、ベヴに送った詩の一節が効果的に使われていましたし、甘酸っぱくていいシーンだと思いましたよ。 でも、おもむろに唇にキスして覚醒って、いいのかそれ! 言っちゃあアレだけど、それでいいんならもう後編でオードラをシルバー号に乗せる必要、無くなりませんか?

・ なんでベヴをプカプカさせたのか、わたしにはホントに理解できませんね! もしかして、再団結のきっかけとして原作にあった「ベヴの上を通り過ぎていった男たち」のアレンジだったのかな?! んなわけないか!だったら全員とキスしないといけないしな!(←じゃっかんヤケクソ気味)

・ ペニーワイズとの対決に備えて、銀の玉を用意するくだりが、相手が狼男でなくなった時点で使えなくなったのもわかりますし、原作にあった秘密基地で燻し出されるシーンができないのもわかります。 っていうか、原作は映像化できないシーンの宝庫ですもんね。 ただもうちょっと、「覚悟を決めた子どもたちができうる限りの準備をする」描写ができなかったのかなぁ、と。 すげえ行き当たりばったりな突撃に思えたんですよねー。 脳内で常に原作補完されていたからついていけましたけど、原作もテレビ版も無しで本作だけ観た方、あの辺の子どもたちのテンション、だいじょうぶだったのでしょうか。 だいじょうぶだったのならいいです。 すみませんでした。

・ あと、わたしがいちばん「どういうことやねん!」と思ったのは、エディの吸入器攻撃がなかった点ですね! マジでアレは許せない! 銀の玉は百歩譲っても、エディの「これは酸だ!くらえ!」は譲れない。 言っちゃあアレだけど、それなくしちゃったら後編でエディが体を張るシーン使えなくなりませんか? ああかなしい。 偽薬と告げられた上での吸入器アタックなトコロに意味があると思うのになぁ・・・

・ それとも今の時代の映像作品で吸入器をああいう風に使うのはタブーなのでしょうか。 ヘンリーがベンのお腹を切るシーンはあったのに、マイクに対して黒人差別用語を使うシーンがなかったのも、なにがしかの意図があってのことでしょうし。 エディの骨を折るのもヘンリーではなくペニーワイズになっていましたよね。 腹を切るのはよくて、骨を折るのはダメなのかな・・・

・ まあね、すべての事情はわかりませんよね。 わたしは、もうちょっと時間があれば深く描けたものがあっただろうな、と思いましたし、二度と戻らない奇跡のような子ども時代に重きを置いた作品なのだとすれば、それは大成功だったと思います。 

・ やりすぎなペニーワイズ七変化はとにかくたのしかったですし、銀の玉も吸入器もない中ステゴロで正体不明のピエロに挑む子どもたちはわんぱくが過ぎたし、結果ピエロをボッコボコの半殺しにしちゃうのもどうかしてるぐらいおもしろかったですし、各所に散りばめられたスティーヴン・キング作品オマージュや、テレビ版ペニーワイズへのオマージュ、原作通りに登場したポール・バニヤンなど、細々としたこだわりが感じられるいい作品でした。 

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(エルム街の悪夢オマージュかな? というシーンもありました。 映画館の看板に『エルム街5』がかかっていましたし、時代設定として子どもたちの恐怖の象徴にフレディ・クルーガーがいても不思議はないですよね。)


・ 大人になったルーザーズ・クラブが再結集する後編では、きっとあのポール・バニヤン像があんなことやこんなことになってくれるのでしょうし、亀が数か所に登場していたということは、テレビ版では不可能だったチュードの儀式に挑戦するのかもしれません。 まったく想像つきませんが、為せば成るさ!がんばれムスキエティ監督! 

・ あと、原作の大人パートにはデリーの大破壊シーンも含まれていますので、もしもポール・バニヤン&チュードの儀式&デリー大洪水&トムのベヴに対するDV描写&トイレから飛んでゆくおばあちゃんなどを映像化したあかつきには、さぞかしスケールの大きい残酷アクションファンタジーとなってくれることでしょう。 ここはR15+だなんて手ぬるいことを言わず、R18も辞さない覚悟で突き進んで頂きたいものですね! ブラック・スポットの大火災や運河フェスティバルやマフィアの大虐殺とかも、なんだったら思い切って尺を割いてくれてええんやで! 



― 追 記 2 ―

・ ダムがないとか、どうかしてるぜ!!!

 

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『ムカデ人間3』

2015年09月12日
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『ムカデ人間3』 内訳



(※ 詳細は近日更新予定です) (※あくまで予定です) (※未定とも言います)




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『死霊館』

2014年08月25日
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あらすじ・・・
引っ越し先におばけが出ます。

【ライフハック/引っ越しの時気をつけるべき中古物件 まとめ】

・ 飼い犬が屋内に入ることをやたらと躊躇する物件
引っ越し初日早々かわいい愛犬が入室拒否。 
どれだけ「カマーン!ボーイ!ヘイ!カマンバディ!」などとはっぱをかけても、玄関先で心細げに鼻を鳴らすばかり。
動物はヒトには見えない何かを感知する、という話を聞くことは多々ありますので、このような反応がみられた時には、充分注意する方がよいでしょう。 あと、そのわんこが翌日不審死を遂げるようなことがある場合はさらに注意することをおすすめします。 

・ 時計が特定の時刻でやたらと止まる物件
一つ二つなら電池の具合や単なる故障で乗り切れるでしょうが、各部屋の時計がすべて、しかも毎度毎度同じ時刻で止まるようなことがあった時には、充分注意する方がよいでしょう。 あと、磁場の関係ということもあるかもしれませんので、念のためデジタル式の時計も設置してみることもおすすめします。

・ 住居の壁にやたらと鳥がぶつかってくる物件
ガラスを磨きすぎて鳥が飛び込んでくる、という例もありますが、中古物件で、しかもぶつかってくるのがガラスじゃなくって壁なんだよね、いう場合は、充分注意する方がよいでしょう。  
ただし、これまた磁場の関係という可能性も無きにしも非ずですので、試しに、押入れの奥で埃をかぶったままのビリーズブートキャンプのDVDを壁際に吊るしてみることをおすすめします。 あと、TRFのイージー・ドゥ・ダンササイズは、まだ踊る可能性がワンチャンスあるかもしれないので早まらないでください。 DJ KOOからのお願いです。

・ 知らない間にやたらと痣ができる物件
いわゆるひとつの 「アレ?ぶつけた覚えなんてないのにいつのまに」 事例という可能性もありますが、常識の範疇を越える数の痣が出来はじめるようなら、充分注意する方がよいでしょう。
ただし、「常識の範疇」というふんわりとした言葉の解釈は個人的見解により異なる場合がありますので、「これはしたり!痣の形がクッキリはっきり指の形でござる!」というような事態になるまで成り行きを見守るという方法も無くはないかもしれないこともあると思います。

・ 地下室に前入居者の荷物がやたらと残されている物件
日本ではほとんど見かけませんが、海外の一軒家の場合、地下室がこしらえてあることが多々あります。
そして、これまた日本ではあまり馴染みがありませんが、海外の映画を観ている時、以前住んでいた人の家財道具がごっそり放置してある場面にかなりの確率で出くわします。 
これが常識なのかはたまた映画のお約束なのかはさっぱりわかりませんが、とりあえずいわくつきなことが往々にしてありますので、充分注意する方がよいでしょう。 あと、ピアノが残されている場合は必ずと言って夜中にポーンとなりますので、見つけ次第、みんなま~るくタケモトピアノに電話することをおすすめします。

・ 夜中に子どもの足がやたらと引っ張られる物件
子どもはよく夢を見ます。 もちろん大人も見ますが、子どもが見る夢の自由さは、大人のそれを軽く上回ると思っていいでしょう。
そんな子どもは、夢を見ている最中の行動もまた自由です。 ベッドの上であろうと畳の上であろうと、夢の中で空を飛べば羽ばたき、悪の手先と格闘する時は手足を振り回します。
ということで、子どもが「おかあさん!だれかに足をひっぱられた!」と主張する時には「それ、寝ぼけてただけなんじゃねーの」という可能性もありますので、充分注意する方がよいでしょう。 あと、一緒に寝る時は容赦のない蹴りをみぞおちに入れられる覚悟を決めることをおすすめします。 その上で、「ちがうちがう、そういうじゃないんだよ」という場合は、たぶんおばけです。

・ やたらと寒い物件
冬でも寒冷地でもないのにめっぽう寒いという場合は、充分注意する方がよいでしょう。 ただし、暖かい地方から北の方へ引っ越した場合は、気温に慣れていないだけという可能性も捨てきれませんので、念のため暖房をフルパワーで焚いてみることもおすすめします。 それでも寒い場合は、たぶんおばけです。

・ やたらと臭い物件
家のあちらこちらから、肉の腐った匂い、略して腐肉のかおりがする。
屋根裏でネズミが死んでいるのか?いや、死んでいない。 床下でネズミが死んでいるのか?いや、死んでいない、という時は充分注意する方がよいでしょう。 たぶんおばけです。 いや、きっとおばけです。

・ やたらとおばけが出る物件
庭の木を見れば首つりおばけ、地下室には巨漢のおばけ、ランドリールームにはメイドのおばけ、壁の中には少年のおばけ、といった具合に家じゅうおばけだらけという場合は充分注意する方がよいでしょう。 あと、おばけではなく悪魔だった、と言う場合もありますので、念のためその筋の専門家に相談することをおすすめします。 ていうか引っ越す前にそのへんの土地の下調べぐらいしとけよ。


【感想】
いま、わたしが一番信頼している監督のうちのおひとり、ジェームズ・ワンさんが、傑作お化け屋敷映画『インシディアス1&2』の合間に撮り上げた『死霊館』を観ました。

新居に引っ越してきた家族が怪奇現象に襲われ、そこに霊能力を持ったご婦人が助太刀に入る、というおおまかなストーリーが、『インシディアス』と激しく被っている上、『インシディアス』では引っ越してきた家族を演じていたパトリック・ウィルソンさんがこちらではゴーストハンター役で登場するという、「もうちょっとどうにかならなかったのか」物件だった本作。
しかし、困惑していたのは鑑賞前のみで、いざ本編がスタートしてしまうと、次から次へとお目見えする超おっかないビジュアルのアナベラ人形(実話に基づく)や、超ねちっこい心霊現象(実話に基づく)や、超深刻そうな顔つきの超常現象研究家夫妻(実話に基づく)に心の臓を鷲掴まれ、あれよあれよという間に、かわいそうな一家と共に終わらない闘いへと引きずり込まれてしまったのでした。
笑えない程度に怖いびっくらかし表現の巧みさはもとより、邸内をくるくると縦横無尽に映し出すカメラワークが見事で、それはまるで、この世に対し、タブーもしがらみも何もないおばけ(悪魔)の視点を表しているかのようで、なんだかもう、無性に不安な気持ちになってしまいました。 いやぁ、ホントにすばらしい。

子を持つ親にとって、いちばん恐ろしいこと。
それって、「子を失うこと」なのではないかと思うのですよね。
そしてもしも、「子を失わせる」ものが自分自身だったとしたら・・・

事故・事件、直接・間接の違いはあれど、子を失ってしまう原因が自分にあるようなことが起きてしまったら、どうすればいいのか。 
そんな、考えただけでおぞましい、頭をかすませたくもない事柄がど真ん中に据えられたことで、本作は「ただのオカルト」ではなく「明日自分の身に起こるかもしれない」現実的な恐怖として、わたしの心を凍えあがらせました。
だって、もしも自分に悪魔が憑依するかも、なんてことはありえませんが、たまたま娘に買い物を頼んだ日に交通事故が・・・なんてことは絶対ないとは言い切れませんし、ホント、どんなことよりも恐ろしいことだと思うのですよね。 「守れない」だけではなく、「自分のせいで」って。

世の中の多くの親御さんのハートの中にはそんな「子への想い」があるのだ、という大前提のもと、魔女や一家のお母さんや霊能力かあちゃんたちに、それを踏みにじらせたり、それに脅かさせられたりし、大いに感情をかき乱すことに成功した脚本はとても秀逸だと思いましたし、それらを経た上で、最後は愛(子への想い)によって救われるという、みんなが安心出来すぎるクライマックスを持ってくる所なんてのは、いやらしい程だと思いました。 こいつはまさしくプロの仕事だぜ!
やっぱりね、劇場は温かい気持ちで後にしたいですもんね。 
まぁ、ぼかぁすさみきった映画もキライじゃないですけどね。

ということで、ワンさんの「お化け屋敷ラブっぷり」に今回も大満足だったわたしでした。
あと、アナベラちゃん人形の造形があまりにすばらしかったので、次の機会がありましたら是非、清水崇監督作品『輪廻』でお馴染みのブサ可愛ドール日本代表「ずっと一緒だよ人形」ちゃんとのドリームマッチ(夢のどつきあい)に挑んでいただきたいものですね。



ZOMBIE手帖ブログ様 : 『死霊館』の呪われた人形スピンオフ企画『アナベル』の予告編
(※ 遅かったー!!)(もう次が作られてた)



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『ABC・オブ・デス』

2014年04月18日
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5分に一度、人が死ぬ! 国際死にざま選手権、堂々開幕です!


あらすじ・・・
「A・アポカリプス」
地道な殺人計画を企てていた奥さんがやけくそになります。

「B・ビッグフット」
清掃員を隠れ蓑に連続殺人を続けていたおっさんがやけくそになります。

「C・サイクル」
庭先に開いた謎のホールに吸い込まれ増殖してしまった男の人が、もうひとりの自分相手にやけくそになります。

「D・ドッグファイト」
愛犬と意外な場所で再会した喧嘩師がやけくそになります。

「E・駆除(エクスターミネイト)」
部屋で見かけたクモをどうにかして退治したい男の人がやけくそになります。

「F・おなら(ファート)」
世界の終りを目の前にした女の子がやけくそにならずに素直になります。

「G・重力(グラヴィティ)」
やけくそになった男の人が人生最期のサーフィンをします。

「H・水電拡散(ハイドロ・エレクトリック・ディフュージョン)
ストリップ小屋でナチスの女暗殺者に狙われたブルドッグがやけくそになります。

「I・内向(イングロウン)」
必死に助けを求める女の人を前に、男の人がやけくそになります。

「J・時代劇」
切腹の介錯人として処刑場にやってきたお侍さんがやけくそ気味な幻覚を見ます。

「K・不器用(クラッツ)」
どうしても下水へ流されたくなかった排泄物が便器の中から飛び出し、文字通りやけくそな感じで宿主にすがりつきます。

「L・性欲(リビドー)」
アジアのどこかでひっそりと行われている、全アジアやけくそ自慰選手権の模様をお送りします。

「M・流産(ミスキャリッジ)」
スレンダー美人によるやけくそな排泄の顛末をお届けします。

「N・結婚(ナプシャルズ)」
赤裸々な言葉を聞かされ続けたオウムがやけくそになります。

「O・オーガズム」
きれいなおねいさんが窒息プレイによりオーガズムに達します。やけくそです。

「P・重圧(プレッシャー)」
クズなヒモに生活費をむしられながら、三人の子供を育てるおかあさんが、娘の誕生日プレゼントを購入するためやけくそになります。

「Q・アヒル(クワック)」
『ABC・オブ・デス』に参加できたものの、よりにもよって「Q」という無茶ぶりにも程があるアルファベットをあてがわれた監督がやけくそになります。

「R・切除(リムーブド)」
世間が望むままの作品を提供するため身も心も削がれ続けてきた男の人が、やけくそというか、反旗を翻します。

「S・スピード」
死神のような謎の大男から逃れるため、謎の美女が砂漠をやけくそなスピードで疾走します。

「T・トイレ」
トイレでの排泄に異様な恐怖心を抱く男の子が、激しい腹痛に襲われ、こうなりゃやけくそじゃい!とばかりにトイレに駆け込んだ挙句ひどい目に遭います。

「U・発掘(アナースド)」
村人たちが吸血鬼相手にやけくそになります。

「V・産声(ヴァジャイタス)」
スーパー赤ちゃんがやけくそになります。

「W・カオス(WHAT THE FUCK)」
『ABC・オブ・デス』に参加できて「W」というアルファベットをあてがわれたものの、何もいい案が浮かばない監督がやけくそになります。

「X・ダブルエックスエル」
世の中に氾濫する「痩せてないブタはただのブタ」というメッセージに打ちのめされたふくよかな女の人がやけくそになります。

「Y・ティーンエイジャー(ヤング・バック)」
自分を蹂躙した変態に罰を与えるため、とある少年があの世からやけくそな格好で舞い戻ります。

「Z・絶滅」
やけくそです。



・ 一生分の「やけくそ」という文字を入力したような気がしますが、まぁ、だいたいこんな感じの映画です。

・ タイトルが示しているように、アルファベット26文字ぶんの、26通りの死にざまがめくるめく繰り広げられますが、1作品あたり約5分という制約が製作者によっては吉にも凶にもなってしまっているという、非情な仕上がりに。

・ 要するに、「5分なのにここまでおもしろい!」もあれば「5分もこんなことやるの?」もあるというね、そういうのがズバっと伝わっちゃうということですよ。

・ 歳のせいでしょうか、「テンポの良さ」よりも「手数の多さ」に疲労感が増してしまいました。 なんてたって、「D」の時点ですでに「まだDなの・・・?」と思ってましたからね。 

・ ただ、それは、「つまらなかった」という意味ではなく、繰り出されるパンチの一発一発がなかなかどうして重みのあるいいパンチで、ボディブローのようにジワジワと効いてきていたから、という意味もあったのだということを、是非に書き記しておかねばなるまいと思う。 たしかに短い作品だけれど、それぞれの中には極限まで凝縮された壮大なドラマが詰め込まれていたのだ。

・ って思ってたんだけど、「F」でおおいにずっこけました。 あまりにひどくて、タイトルが出た瞬間「わあひでえ!」と声が出てしまいましたよ。 滅多にないことだよ。 たいがいの映画は「理解」できなくても「嫌い」にはならないんだよ。 

・ 同じく、日本人監督による最終話「Z」も、頭を抱えたくなるほどひどい作品で、ブラックユーモアなのか社会風刺なのか何がやりたいのかさっぱりわからない下劣な映像が延々続くなか、「えっ?まだ1分しか経ってないの?!」と時計とにらめっこをせずにはいられなかった自分がそこに居ました。 

・ 【誤解を生みたくないゆえの配慮のコーナー】まぁね、すべての映画がそうですし、以前にも書いたことがあるのですが、結局すべては「相性が合うかどうか」なのですよね。 自分の琴線に触れるかどうか、自分の許容範囲におさまるかどうか、単純に好きな画かどうか。 ですので、「F」にせよ「Z」にせよ、わたしには合わなかったというだけで、この作品そのものを否定するつもりは全くありません。 好きな人はめちゃくちゃ好きでしょうし、嫌いなひとはとことん嫌いになるでしょう。 言うまでもないことですが。 【配慮終了】

・ で、私がとことん好きだったのはどの作品だったかというと、それはもう「R」でしたねぇ。 世界中の映像作家さんは落涙必至なのではないでしょうか。 魂を縛られ、血の吹き出るような想いで生み出した作品を切り刻まれ、作られた名声に弄ばれた人間の苦しみ。 必死の反乱の末つかみ取った自由の、そのあまりの苦さに、絶句してしまいました。 ホントすばらしかったです。 

・ 『ホステル』みたいな悪趣味クラブが登場する「L」、炎の美しさが印象的だった「S」、猟奇的な描写は一切ないものの他のどの作品よりも絶望を感じさせる「P」などもよかったですねぇ。 もっとも短いストーリーだった「M」は、その簡潔さが魅力的だったものの、オチが物足りなかったような気が。 あそこまで日常的な光景にするならば、「流産」では残酷さも凶悪さも足りないのではないでしょうか。 (って書いていて我ながらひどいこと言うなぁと思う)

・ それにしても、みんなトイレ好きだなぁ。

・ まとめると、「F」と「H」と「W」と「Z」以外は全部すきです。 

・ それにしても、日本からの参加作品がどれもSUSHI TYPHOON関係ってのは、どういうつながりなんだろな。 製作者がなかよしだったとか? もうちょっと違った色合いの作品もあってよかったんじゃかなろうか。

・ 聞くところによると、すでに第2弾の制作も決まっており、『気狂いピエロの決闘』のアレックス・デ・ラ・イグレシア監督や、『CUBE』のヴィンチェンゾ・ナタリ監督、『屋敷女』のジュリアン・モーリー&アレクサンドル・バスティロ監督や『フィースト』のマーカス・ダンスタン監督、さらに日本からは園子温監督の参加も決定しているようで、本作以上にやけくそな映画になるのではないかという期待に平らな胸も膨らむ次第でございます。  マーカス監督は絶対なんかやらかしてくれるはず・・・!




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