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あなたの神は、私を救ってくれない。 (※3月21日 追記)

2011年03月09日
うちの近所には、とある“日本最大の新興宗教”を熱心に信仰しているおうちがある。

その宗教に関してあまりいい思い出がないので、積極的にお近づきになろうとは思っていなかったけれど、同じ町内に住むご近所さん、として、最低限の敬意を払ってお付き合いはしてきたつもりだった。

そのおうちの庭には、大きな松の木があった。
我が家のちびっこは、その木から降って来るまつぼっくりを拾うのが大好きで、おととしくらいから塀の下に落ちているまつぼっくりを再々回収に行っていた。
そんな事が繰り返されているうち、そのおうちの奥さんはちびっこの姿を好意的に受け止めてくれたらしく、玄関先に置いてある鳥かごを見せてくれたり、予め拾っておいてくれたまつぼっくりをちびっこに分け与えてくれたりしてくれた。
私は、道ですれ違った時などに、そのお礼を言い、「今度の選挙では〇〇党をお願いね」という奥さんの言葉にも、素直に「はい、わかりました」と答えていた。
「わかった」だけで「投票する」とは言っていないけれど、それがご近所付き合い、大人の社交辞令というものだから。



昨日の昼過ぎ、玄関のチャイムが鳴った。
誰だろうか、とドアを開けると、そこに奥さんが立っていた。

「今度の選挙は〇〇さんをお願いね」
「あ、はい、そのお話は先日主人と伺いましたから」(数週間前、世帯主さまと散歩している途中出会って声を掛けられていた)
「ええ、それでね、これに名前と住所を書いて貰えないかしら、と思って」
「・・・なんでしょうか?」
「〇〇さんの事務所からね、色々とお手紙とかが届くと思うから」

ステップアップしてきたか。

今思えば、なんであの時あんなに頭に血が上ったのかよくわからない。
いつもと同じように、「はい、はい」と署名してあげていればよかったのかもしれない。
後援会に名前を連ねるのなんて、大して意味なんてないし、今までにだって、友人や勤め先から強引に署名させられた事くらいある。
なのに、なぜか、瞬間的に私は
「それは出来ません」
と言ってしまった。

奥さんは一瞬表情を固まらせて、「いや、そんなんじゃないのよ」と言葉を重ねた。
私は後を続かせないよう、「申し訳ないんですけど」と言葉を被せた。
「先日の選挙のお話は、充分わかりました。投票も行くつもりです。(入れるとは言わないけど)  ただ、そういうのは書けません。 申し訳ありません」

私の言葉が奥さんの何かに火をつけてしまった事は、その目を見れば明らかだった。
奥さんは一気にまくしたてた。
「いやね、おたくの〇〇ちゃん(※ちびっこ)が、よくうちにまつぼっくりを拾いに来てくれてね、鳥も可愛がってくれてね」「うちの仏壇にも手を合わせてくれてね、ああ、これは何かの仏縁があるなぁ~って話してたのよ」「で、話していたら、そういえばおたくのお母さん(※去年亡くなったお義母さん)も、昔ご本尊を持たれてたわねぇ、と思ってね」「やっぱり仏縁があると思ったのよ」


うちのちびっこが、仏壇に手を合わせていた・・・だと・・?


「仏縁なんて、ないですから!」


気付くと私は大声をあげていた。

確かに、お義母さんは数十年前、その宗教に入っていた。それは事実だ。
しかし、強引な接し方に閉口し、とうの昔に脱会してご本尊とやらも引き取ってもらった筈だ。
だいたい、そのお義母さんが持病で入退院を繰り返していた頃、いきなり我が家にピンポン攻撃をかまし、嫁に入ったばかりの私に向かって
「お母様は信心が足りなかったから病気が悪化したのよ」
と言い放ったのはどこの誰なのか。
「信心が足りない」と揶揄した事のある家に、「仏縁がある」だなんて、一体どの口が言っているのだろう。
ああ、この口だ。
ちっとも、自分の言葉が誰かを傷つけたり、イヤな気持ちにさせるだなんて思った事の無い、この無遠慮な口が言ったのだ。

「うちの娘が度々お邪魔させて頂き、ご迷惑をおかけしたようで、大変申し訳ありませんでした。 これからは一切お邪魔しないよう言っておきますので、どうかご容赦下さい」
「あら!ちがうのよ!迷惑だなんて! 〇〇ちゃんはホントにいい子でね~、まつぼっくりも喜んでくれて。 だからね、きっとこれは仏縁が」
「だから、ないですから! 私はそういうのは一切お断りしていますし、主人も同じだと思いますので!」
「あら・・・ そんな大した事じゃないのに・・ ホントにちょっと書くだけでいいのよ・・?」
「申し訳ありません。 今までありがとうございました。 もう子どもも伺いませんので。失礼します」

10数年取り繕ってきた上っ面は、“ご近所付き合い”という上っ面は、あっという間に剥がれて春の風に吹かれて飛んでいってしまった。
ドアを閉じる瞬間、隙間から見えた奥さんの目は、なんだかとてつもなく深い闇を宿しているように感じた。(偏見に裏打ちされた主観でしかないけど)


私は、全ての宗教を信じていない。

我が家には、お義母さんを祭る仏壇もあるし、実家に帰れば祖父母を祭る仏壇がある。
子どもの頃から、お彼岸やお盆にはスクーターに乗ってお坊さんがやって来るのが当たり前だったし、一緒にお経を唱え、手を合わせて育ってきた。
でも、仏教を信じているのか、と聞かれると、そんな事はないと答えるしかない。
お経を唱えれば極楽浄土に行ける、だなんて思ってないし、そもそも極楽浄土って何?と、冷めた反応しか抱けない。
神様なんていないと思っているし、悪魔もいないと思っている。
奇跡を起こせるとしたら、それは「神様」ではなく、「神様を信じる人自身」が起こすんだと思うし、悪魔の所業は「悪魔」ではなく「悪意に心を蝕まれた人」が起こすんだと思う。
唯一、というか、確実に信じているのは「祖先」の存在で、都合よく助けてくれはしないけれど、いつも見守ってくれているような気はする。 
今の自分があるのも、「祖先」のみなさんのお陰だ。 
感謝は尽きない。

だから、仏壇に手を合わせるのは当たり前だと思っているし、お墓参りも出来る限りする。
特定の「神」や「仏」に対して手を合わせているつもりはない。 あくまで、先祖のみなさんを敬っているだけだ。 先祖のみなさんが信じていた宗派で、そのやり方で弔いたい。 それだけなんだ。


私がそうだ、というだけで、世の中のありとあらゆる信者の方々を批判するつもりは毛頭ない。
「何かを信じる」気持ちほど尊いものはないし、自分に対して効果を発揮するモノもない。
だから、先程書いたように、「信じる」気持ちが奇跡を起こす事もあると思う。
ただ、それはあくまで「信じている」本人に限定されるものであって、無理強いされて起こる奇跡なんてある訳ない。

宗教は、何かを信じるという気持ちは、とても強大な力を生む。
心も体も助けてくれる。
だから、宗教はすごいと思う。 純粋に、すごい、と思う。
でも、お願いだから、その「すごい」を他人に押し付けないで欲しい。
自分がいいと思うものを勧める気持ちはわかる。 そこから新たな救いがもたらされる事も、もちろんあると思う。
でも、自分がいいと思うものを、他人はいいと思わないかもしれない、という可能性を心のどこかに留めて置いて貰えないだろうか。

私は、宗教を「すごい」と思うけれど、
「これを信じなかったから事態が悪化した」
とか
「これさえ信じれば事態は好転する」
という謳い文句を使う宗教に対して、「すごい」とは思えない。

宗教で万事が変わるんなら、世界中の人が救えるんなら、もうとっくに世界は平和になってるんじゃないだろうか。
あくまで、自分を救ってくれるよすがなんだ、くらいに思っておく方がいいと思うんだけどな。
お互いの為に。

あなたの神さまが、私を救ってくれるとは限らないのだから。


その神様が、やたらと名誉称号の多いどこかのおじいさんだ、なんて事があるとするならば、余計に救ってもらえるだなんて思えないし・・  おやこんな時間に誰か来たようだ。



追記
・ ちなみに、その後ちびっこに「あのおうちの仏壇拝んだの?」と聞くと「おがんでない!あめちゃんはもらったことがあるけど、おがんでない!」と言っていました。 ブラフかよ・・・ 思い切った手を使うもんだな・・ていうかもしかして、長期的にちびっこを洗脳する気まんまんだったのかも・・ちびっこ危機一髪!

・ それと、「全ての宗教を信じていない」と書いたけれど、「八百万の神」は信じています。 全ての物に感謝して生きて行きたいと思ってる。 自分は、勝手に生きてるんじゃなく、生かされてるんだと思ってる。 こういう考え方が、何より宗教臭いことも自覚しているけど、ホントにそう思う。 だから余計に、特定の人物を崇め奉るような宗教はうげげってなるんだよなぁ。 この人こそ生き神さまだ!みたいなさぁ。 海外の大学の名誉博士号がざくざく増えて行くどこかのおじいさんみたいな・・ うわなにをするやめr





追記 (※3月21日)

mollyさん、ykさん、しんさん、mayさん、落武者さん、シズカさん、ヘザ~さん、こまにゃさん、わたるさん、蝸牛さん、うめのきさん、カオリンさん、Muenchenerさん、とおりすがりさん、ばなやさん、りとらさん、ごりさん、st9さん、春林さん、Yoshinoさん、kootanさん、Crimsonさん、クワジ・プレストさん、かりさん、くろめんぼうさん、まるさん、サガさん、七誌さん、ルーマニア村っていうんですよ、慶応病院の最寄駅を。あの三色旗に揶揄を込めて。さん、神に誓って無神論さん、なめたけさん、nanashiさん、るーさん、ぬこ好きさん、awa-moriさん、灰色電脳さん、コメントありがとうございました。

本記事が、特定の団体(名前は書いていないものの、明らかにそうだと判るような書き方でしたので)を揶揄するような内容だった為、多くの方に不快な思いをさせてしまった事、深くお詫び致します。

本文にも書きましたが、私は宗教を信じる方を否定するつもりはありません。
宗教団体が行っている活動も然りです。
信じる人がいて、救われる人がいる、それは素晴らしい事だと思います。
ただ、押し付けて欲しくない、と、その一点を伝えたかったに尽きるのです。
本文には書いていませんが、この宗教団体に関しては、過去他にも信じられない様な思いをした事がありますので、積もり積もった感情があった事は事実です。その為、つい皮肉るような口調になってしまいました。 本当にすみませんでした。

誰よりも早く、被災地に援助の手を差し伸べようという気持ちも尊いもので、宗教団体だからといって「別の目的があるんじゃなかろうか」と勘繰られるような事はあってはいけない事だと思います。
その半面、同じ団体の中には、非難されるような事をしてしまう方もいらっしゃるのも事実です。 
要は宗教の問題ではなく、そこに属する人間の問題なのではないでしょうか。 

私にも、この宗教団体に属している友人がいます。
高校時代からの友達で、つらい事も楽しい事も一緒に乗り越えてきた大切な人たちです。
彼女たちは、選挙云々の電話をしてくる事がありますが、信仰を勧めてきたことは一度もありません。
私は彼女達が信じている宗教は信じられないけれど、彼女達の事は信じています。
今までも、これからも。


(※大変申し訳ありませんが、この記事のコメント欄はこれにて閉鎖させて頂こうと思います。 真摯なコメント、本当にありがとうございました。)

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3月出張。

2011年03月04日
3月1日。 

【午前9時】 幼稚園で絵本ボランティア主催のお楽しみ会開催。

狼
『3匹のこぶた』で狼役を担当。 前日までの練習では一切出さなかった本気の力を全開にして、他のキャストのお母さんに「何あの子・・練習と全然ちがう・・・怖い子・・・!」と嫌がられる。

本番後、光の速さでセットの片付けをして宿の予約をし、新幹線へ。


【午後4時20分】 東京到着。

新宿駅ダンジョンにはまり込む。


【午後4時55分】 ダンジョンから抜け出し、音の速さで新宿武蔵野館への移動に成功。 

東京8
念願の木人に対面。

『アンチクライスト』を鑑賞。


【午後8時】 暗黒皇帝さまぱせよさまちゃとらネコさまと合流。

「暗黒皇帝である!苦しゅうない! 銀河辺境惑星地球で今日も我が栄えある銀河暗黒帝国の繁栄と栄光の」
「なにやってんすかアガサさん~」
「ちょっと~?段取り悪いんじゃないの~?」
「グフングフン えー、銀河暗黒定刻の繁栄と栄光の為、崇高なる」
「すみません~! 口は災いのもとでした~!」
「ホントにきみはもうちょっと気をつけて発言した方がいいよね!」
「で?イカセンターはどうなったのよ?」
「あの~、どうやら満席らしくてですね・・」
「ゴホンゴッホン!あー、だから崇高なる任務に成就せし臣民どもよ!我が」
「ま、とりあえずぼくお店何件があたりがあるんで、そこ移動しちゃいましょうか」
「あー、そうしよそうしよ」
「すごい!さすが新宿の帝王!」
「エヘンエヘン!! 苦しゅうない!苦しゅうないぞ!」
「あれ? あそこのハーレー誰のですかねぇ?おまわりさんにキップ切られてますけど・・」
「くるしゅ・・ え?! わ、わしの愛車がぁぁ!!」

というほんわかとしたやりとりを繰り広げつつ、ちゃとらネコさん行きつけの海鮮系居酒屋に移動。
途中から侍さまもお見えになり、カンフー映画の話やいぶりがっこのお話、ラース・フォン・トリアーのお話などで盛り上がりつつ、楽しい夜は更けて行く。

【午後11時】 そろそろいい時間であるということで、後ろ髪を引かれつつ散会し、宿暗黒皇帝さまとぱせよさまとお別れする。 
印刷してきた地図を頼りに宿に向かおうとすると、なんと侍さまとちゃとらネコさまが途中まで道案内して下さいました。 東京の人ちょうやさしい。 やばい。 恋せずにはいられない。 脳内でひっそりと繰り広げられる妄想。
そんなひとりプレイを知る由もないお二人のお気遣いに悪乗りし、近くのカフェでお茶に付き合って頂くことに。 やばい。 今更だけれど、お二人ともメガネ男子ではないか。 鬼やばい。 オレの妄想力は宇宙だ。


( 中 略 )


【午後12時】 これまた猛烈に後ろ髪をひかれつつも、お二人とお別れし、宿に到着。 就寝。



3月2日。

【午前10時】 国会図書館到着。

東京99
バケ食いオバケの話が載っている「オバQ」も保管されているのだろうか。

絶版になった本が全て取り揃えられていると聞き、居ても立ってもいられなかったオレ。
7歳の頃夢中で読んでいた本を、もう一度確認したい。 その一心で本館を訪れたのだった。
該当資料を請求。  周囲の方々がみな一様に古書らしきものや分厚い資料らしきものを受け取る中、用意された児童SF小説「謎のロボット星」を受け取り読み耽るオレ。 
30数年ぶりに再会した衛星フォボスに胸が熱くなる。


【午前11時】 ついでなので国会議事堂見学。

東京9
禍々しすぎてオエっとなる。

これでもか、という程たくさんのおまわりさんが警備している姿を見ていると、無性にはだかになってお堀に飛び込んだり石垣を登ってみたい衝動に駆られるものの、ガチンコで岡山に帰れなくなりそうなので必死に萎えることを妄想する。  雨の日の裸のサッチャー、雨の日の裸のサッチャー、雨の日の裸のサッチャー。


【午後11時5分】 行こうと思っていたラーメン屋さん(経堂のアイヴァン・ラーメン)が定休日であることを知り動揺。

東京7
えー・・・ そんな・・ 木曜定休だと思い込んでたよ・・



東京11
困ったなぁ・・ そんな急に代わりのお店って言っても・・



東京6
わかるわけないよ・・



東京5
他のお店だなんてさあ・・・



東京4
ホントに・・



東京
ホントにまた来ちゃいました。



【午後11時10分】 フーターズ到着。

東京3
まあね。 そりゃ来るよね。

前回は新橋方面から来た為気付きませんでしたが、フーターズがある赤坂見附駅って永田町駅の真隣なのな! ハハーン!いかにもいやらしいセンセイ連中が考えそうなことだぜ! フーターズの近くに議員会館を集中させるだなんてな! (←じょうだんですよ)


【午後11時15分】 今回はひとりでの来店なので、ちゃんねーの内腿を堂々とガン見する。 


【午後11時30分】 ちゃんねーの横腹を舐めるように見つめる。


【午後11時40分】 まだまだ見足りないものの、会議に遅れてはシャレにならないので、写真を撮らせてもらい慌てて店を後にする。

東京2
今回もすばらしい肢体をありがとうございました!!


【午後1時30分】 国立オリンピック記念青少年総合センター到着。

全国国公立幼稚園PTA連合役員会出席。
居眠りしているおじいさんの数を数える。
3人いた。
子育て新システムの課題や問題を話し合う。


【午後5時】 役員のみなさんと会食。


【午後11時】 帰宅。




と、いうわけで、今回もバタバタな日程だったのですが、とても充実した2日間となったのでした。
暗黒皇帝さま、ぱせよさま、とらネコさま、侍さま、忙しい平日の夜にも関わらず、わたくしのような残念主婦にお付き合い下さり、本当にありがとうございました!

もし中国地方にお越しの際は、是非お声掛けくださいませ!




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たとえば“すき”とか“きらい”とか。

2011年02月22日
毎年沢山の国で沢山の映画が作られて行く中で、なんだかとってもみんなの心に引っかかってしまう映画が生まれる事があります。

『告白』のように。

先月、すわアマデミー賞外国語部門ノミネート?!とマスコミがぬか喜びしたり、日本アカデミー賞で作品賞を獲ったことから、収まっていた“告白・論争”が再び盛り上がった・・・と言っていいのか自信はないのですが、というか、極めて局地的な現象だったのかもしれませんが、まぁともかく、最近アガサの周りでは『告白』に対する様々な思いが渦巻いておりました。

で、アガサは『告白』、すきです。
以前に書いた感想では、とにかくたか子を絶賛しまくっていたような覚えがありますが、それ以外にも、ミラー越しの歪んだ画や、無邪気に水溜りにダイブする女子高生や、唐突もなく挟み込まれるダンスシーンの狂った感じや、必要以上に薄っぺらい殺害シーンといった、悪意のある画が頭に焼き付いてうずまいて、観終ったアガサの胸にいや~な一撃を残して行ったのですよね。 「やばいものを観た!」と叫びたくなった。
ゆえに、すきです。
一方、『告白』のことがキライでキライでしょうがない、という方も数多くいらっしゃるようで、そういう方がよく口にされていたのが

「『告白』は映画じゃない」

というひとことで。

アガサには、これがどうにもよくわからなくてですね。
いや、映画じゃん、と。
起承転結があって、あくどい画があって、すさまじい演技があるのに・・・ え、これ映画なんじゃないの? と。
先日、そんなもやもやを感じながらtwitterを眺めていたトコロ、ismuubiiさんkatokitiさんsamurai_kung_fuさんがまさにその“ここがへんだよ『告白』は!”話をされておりまして。
samurai_kung_fuさんが、『告白』における演出のヘンテコな点を細かく解説して下さっていて、目から鱗がボトトトーッ!!と零れ落ちてしまったのでした。
コレ、本当に物凄くおもしろい内容ですので、興味がある方は是非samurai_kung_fuさんのツイートをご覧になってみて下さい。(こともあろうに丸投げ)

お恥ずかしい事に、アガサは映画の文法、というか、演出法や読み解き方をろくすっぽ知りません。
“イマジナリーライン”の意味も、昨日初めて知りました。 恥ずかしついでに告白すると、“フラッシュバック”とか“マクガフィン”の意味もいまひとつよくわかりません。 フラッシュバックってアレだっけ?画面がちゃかちゃか切り替わるって意味だっけ? マクガフィンは、意表をついて焼き菓子の一種なんだと思うよ。端っこがカリっとしていておいしそうなやつ。たぶん茶色。

とまぁ、そのような状態なので、映画に出てくるサインを、自分のわかりやすいように解釈してしまって、本来こめられた意味と別のモノに勘違いしてしまうことって、今までにもすごく沢山あったんだろうと思います。
そういう時、細部を解説してくださる方々の存在はすごくありがくて、目から鱗が落ちた時の快感もこたえられないものがあるのですよね。
『告白』に関しても、samurai_kung_fuさんのお陰で引っかかっていた「映画じゃない」という部分がすとんと落ちたような気がします。
なるほど、たしかに観る人が観たら、この作品は悶絶してしまうような居心地の悪さがあるのかもしれませんね。 「なにやっとんじゃー」と。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。 あと、純粋に憧れます。 samurai_kung_fuさんのように映画を読み解けたら、2度、3度と映画を楽しむ事が出来ると思う。 ようし!オレももっと向上心を持つぞ! 目指せマクガフィン王! (←たぶん使い方ちがう)

で、ここからが本題なのですが。 (↑脅威の長文前フリ)

すきな映画のことはもっともっと知りたい、シーンのひとつひとつに込められた意味を知りたい、と思うものでしょうし、そういう鑑賞の仕方も楽しいと思うのですが、やはり、なんだかんだ言って、最初に映画を観た時の素直な印象が一番なんだとも思うのですよね。

目でとらえた映像の数々、耳に飛び込んできた言葉や音の数々、噛み砕けないまま見過ごしてしまったシーンの数々、それらから受けた感覚を信用したい。
何度も観返して発見した、新たな解釈や別の感想は、それはそれで大切だけど、「うわ!なんだこれさいてい!」と思ったり、「うひょー!さいこうじゃん!!」と思ったりしたその気持ちを、出来れば大事にしていきたい。

で、そんな風に思っている人同士がぶつかると、予想以上に話がややこしくなってしまう事が多々あるのですよね。

自分とは違う解釈や、違う感想って、先程書いた“新たな発見”に繋がる、とても貴重なヒントになると思うのですが、中にはそれを頑なに拒もうとする人もいる。
「わたしはこれがすき」 「わたしはこれはきらい」 「ここがこんなふうにおもしろいとおもったんだ」 「なるほどーそういうみかたもあるか」
とはならないんですよね。
「わたしはこれがすき」 「なんで?ぜんぜんおもしろくないじゃん」 「ここがこんなふうにおもしろいとおもったんだ」 「はあ?みるとこちがうでしょなんでそこがおもしろいとかいえるのばかじゃね」
となることのなんと多い事か。

いや、もちろん、そんな人ばかりじゃないんですよ。ごくごく一部の人なんだと思うのですよ。でも、確実に存在するのですよね、悲しい事に。

映画の感想を交わしあう事って、本当に有意義な事なのですよね。
ただ、いくら交し合っても、わたしの“すき”があなたの“きらい”にはならない様な気もします。だって、わたしは“すき”と感じてしまったから。 あなたの“きらい”に同調出来るし、そういう見方もあったか、と感嘆するけれど、そういうトコロも含めてこの映画のことが“すき”なんだよなぁ。と。

それでいいのだと思うのですよ。
無理に相手に合わせる必要もないし、無理に相手を説得する必要もない。
同じ「突如クラスで歌い踊るシーン」を観ても、“なんの必要性も連続性もない不快なシーン”と感じる人もいれば、“クラスの内情と上っ面が激しくバラバラになっているのが感じられる狂ったシーン”と感じる人もいる。
100人いれば100通りの受け取り方があって、100通りの“すき”や“きらい”がある。
それでいいじゃないですか。 
それが当たり前じゃないですか。

しかし、当たり前、で済ますのがどうしてもイヤな人がいる。
あなたは、“すき”な作品を守りたいのですか?
“すき”と思った自分を守りたいのですか?
“きらい”と思った作品を抹殺してしまいたいのですか?
もしくは“きらい”と思った自分の正しさを証明したいのですか?

勝ちたいのか、負けたくないのか、そもそも映画ってなんなのか判らなくなる程の“じぶん”をぶつけてくる人を目にすると、ほとほと疲れ果ててしまいます。

映画に“こうあるべき”なんて無いと思いますよ。
映画の解釈に“正解”なんて無いと思いますよ。 (異論がある方は多いでしょうが、アガサはそう思います)

“すき”でも“きらい”でもいいじゃないですか。 
そして、気に入らなかったら、ちょっと話をしてみればいいじゃないですか。
最初から「ぜったい賛同なんてしない!」みたいに構えずに、気になったトコロを交換してみればいいじゃないですか。 べつに、それを支持する必要なんてないのですから。
もしもそれで目から鱗が落ちたら儲けモノ、くらいなノリで。
話さえも聞きたくないのなら、聞かなければいいだけで。
意見なんて知りたくない! 話なんて聞きたくない! 聞いてもちゃんちゃらおかしいだけ!
というのなら、「まぁ、色んな見方があるよね」でさようならすればいいじゃないですか。

なのに、中には「これをすきだなんて信じられない!」からさらにジャンプアップして「これをすきだなんて言うやつは全員バカだ!ゴミクズだ!」という遥か彼方の罵倒星雲まで飛んでいってしまう人もいるのですよね。 もうそれ、ただの悪口じゃん。 なにがきみをそこまでたぎらせたというのか。
たまたまこういう人に巡り合ってしまった事で、映画自体をきらいになってしまう人がいたとしたら、そんな悲しいことはないですよね。


世界中の映画館で日々生まれる、沢山の“すき”や“きらい”を素直に受け入れて、自分とは違う視点や感覚に触れることで、映画はもっともっとおもしろくなると思います。
そうなる可能性を持っているのが、映画の魅力だとも思います。
肩肘はらず、もっと気楽に。

そしてもっと、みんなで映画を楽しみましょうよ!
じゃなきゃもったいないですよ!

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【ライフハック】 しゃっくりをとめてみたよ。

2011年01月27日
時と場合をわきまえない生理現象に悩まされたこと、ありませんか?
「大きな会議の途中なのにトイレに行きたくなった」? 会議に大きいも小さいもない!現場が起きてるのは事件なんだ!
「片想いの彼女に勇気を出して告白しようとしたのに、一番肝心なトコロでおならをしてしまいフラれてしまった」? イケメンはおならをしても「もーやだー」で済むらしいですぞ! いや、だからどうだって言いたい訳じゃないけど! 
「特に好きな相手じゃないのに会う度に求めてしまう」? 会う度に見つめあったり求め合ったりするエグサイル先生の作品が読めるのはジャンプだけ!


そうじゃなくて。

「吃逆」ですよね、「しゃっくり」。

アガサは小学生の頃からしゃっくりが出やすい体質で(そんな体質があるのかどうかわかりませんが)、急に体勢を変えた時、急に走った時、急に温度差の激しい場所に移動した時、急に喋り始めた時、などなど、とにかく大したきっかけもないのに突如始まるしゃっくりに悩まされ続けていました。
一度始まると10~30分くらい止まらないオレのしゃっくり。
「しゃっくり」はご存知のとおり、横隔膜の痙攣が原因なのでありますが、長時間続くと地味に体力を消耗するのはもとより、周囲から好奇の目で弄ばれるという精神的苦痛にも耐えなければならないという、とても屈辱的な刑なのですよね。ビクンビクン。
で、色々なアドバイスをもとに、鼻をつまんで水を飲んでみたり、出来うる限り息を止めてみたり、びっくりさせてもらったり、胸に拳を押し付けてみたり、ご飯を丸のみしてみたりと様々な方法を試してみたのですが、劇的な効果はなかなか得られません。
まあ、一番古典的な「びっくりさせてもらう」という手法なんて、「ねえねえ、しゃっくり出たからビックリさせて?」と依頼した時点で、そこにサプライズが生まれる可能性はゼロなんですけどね。 言っちゃってるし。“わたし精一杯ビックリしますから”って言っちゃってるし。

しかし、万策尽き果て、しゃっくりが出ようが出まいが仕事が手につかなかった、つまりいつもと同じように仕事が手につかなかったある日。
ひとりの上司がアガサに歩み寄り、とっておきの方法を伝授してくれたのです!
その方法を取り入れてからというもの、確実に、スピーディに、痛みもなくしゃっくりの野郎を止められるという低コストパフォーマンスを実現したアガサ。出始めのしゃっくりも慢性化したしゃっくりも楽々シャットアウト。 3年間で身長も10cm伸び、ロト6も連続当選しました。 
話は変わりますけど、ロト6のCMの「ロトで人生変えたろっと!」っておかしいですよね。 「変えたろっと!」って。 お前の意思表明じゃねえか、と。 「変えてみませんか?」ならまだしも、それは人にものを頼む態度じゃないですよね。 どうなんだ、と。買って欲しいのか、と。 だったら素直にそう言えばいいんじゃないのか、と。 で、素直にお願いされれば買ってあげようかなぁという気持ちになりますよね。 こちらも血の通った人間ですからね。 
で、買った、と。 
で、ハズレる、と。 
お前の人生もTHE・LASTにしてやろうか!!



そうじゃなくて。

まぁ、ロトはハズレますけど、この方法は100発100中の精度で以って生理現象を押さえ込んでくれるスグレ技な訳でございます。



① まずコップに水を用意します

(※ 表面のさざ波にジュラシックパークを感じてください)

② コップの向こう側に口をつけます

(※ 飲み難いことは承知の上です)

③ 前屈姿勢で一気に飲み干します

(※ 祈るような姿勢と気持ちで)


これだけです。

どうですか。安いものでしょう。

前屈姿勢ですので、当然のことながら苦しいです。
ほぼさかさまの状態で、若干コップの水が鼻に寄り道するのを感じつつ、されど耐え、コップの水が無くなるまで飲みつくしてください。
インターバルを入れることは、効果を半減させますのでおすすめできません。
コップの水が残り僅かになる頃には、息苦しさが冥府の一歩手前まで来ているかもしれませんが、その苦しさの向こうにこそ勝利があると心得てください。
あと、重要なのは、全て飲み干した後すぐに深呼吸をしないこと。
酸欠状態になっているはずですので、あわてて息を吸い込んでしまいがちですが、その息が新たな火種となる可能性は極めて大です。 ここは焦らず、落ち着いて、静かにゆっくりと、意中の彼女の部屋を探索する時のように慎重にコトをすすめるのが得策です。 あとで「あら?このぬいぐるみベッドの上に置いてたかしら・・」と勘付かれたら万事休すですよ。 あくまでたとえ話ですよ。


アガサはいつもこの方法でしゃっくりを止めております。
もしもお近くにコップがない時は、ペットボトルでも大丈夫だと思いますよ。(一層飲み難いかもしれませんが)
これでも止まらなかった場合は、もう一杯飲んでください。べろべろになるまで。全てが思い出に変わるまで。


みなさんも、しゃっくりが出て困った時は是非お試しくださいませ!


(※ もうそれやってるよ! という方には何のお役にも立てませんでまことに申し訳ありませんでした)


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求刑・しつけ20年。

2011年01月19日
(※これから書く日記は、感情に任せてかなりヒステリックかつ支離滅裂な内容になることが予想されますので、そういうのがキライな方はどうぞこのまま引き返されますようお願い申し上げます。

ちなみにアガサの持論のひとつに、

「虐待して子どもを死なせるような大人は全員去勢でいいと思ってます」

みたいなのがあります。 ま、そういう人間が書く文章ですので。 あらかじめ。)




“子育てに自信があります”と断言する人が居たとするならば、アガサは信用しません、その人のことは。
だって、子育てに明確な答えなんてないし、100人居れば100通りの、1万人居れば1万通りの性格があり、そこからまたさらに星の数ほどの家庭環境がある中で、誰にでも有効な答えなんてあるわけがないと思うからです。
自分がしてもらった事を、みんながそのまま出来る訳ではない。
自分がしてもらわなかった事を、みんながそのまま出来る訳などない。
出来ないから、どうすればいいのかわからないから、みんな悩んで、もがいて、焦って、試行錯誤しながら、ただひとつの未来に向かってなんとなく進んで行きたい、と願うのではないでしょうか。
「うちのかわいい子どもが一人前の大人になる」という未来に向かって。

答えがない道なので、もちろん暴走してしまう時もあります。
間違っているような気がしながらも、そのまま進むしかない時もあります。
“子どもにとって”、と思っていても、本人にとっては心底ありがた迷惑な事だって多いでしょう。
ニュースなどで“虐待”の文字を見る度に、怒りと共に漠然とした不安に襲われてしまう、というのが、親となった私たちの本音だろうと思います。

自分もこうならないと、言い切る事など出来るのだろうか? と。


で、先日目にしたこのニュースなのですが。

しつけの延長…と、3歳女児の腕をかむ - 社会ニュース : nikkansports.com しつけの延長…と、3歳女児の腕をかむ - 社会ニュース : nikkansports.com


asahi.com(朝日新聞社):2歳死亡、救いの手あと少しで… 母に傷害致死容疑 - 社会 asahi.com(朝日新聞社):2歳死亡、救いの手あと少しで… 母に傷害致死容疑 - 社会



いやいやいや、もうこれ完全に殺る気じゃん!!

ごめんごめん、さっきのなし。 
漠然とした不安は存在するけどコレはない。おばちゃん言い切っちゃう。奥さん!しつけリンチは別物ですよ!!

もうねぇ、ホントない。 2歳児ってけっこうミニサイズですよ? まだおしめの子だってざらですよ? 夜は泣くし、朝も泣くし、昼は寝ないし、ごはんはこぼすし、コップはひっくり返すし、ほんと何も出来ないひよっこですよ? そんな若造に対して、おまえは何を期待しようというのか。 
3歳児だって、まだまだアマチュアです。 新生児に比べれば、徐々に出来ることが増えている程度で、一人じゃ何も出来ない小僧っ子ですよ。おしめが外れてれば御の字で、ごはんはこぼすし、コップはひっくり返すし、返事は上手に出来ないし、「書くな」と言った場所に狙ったように落書きするし、なにより、こちらの気持ちを汲んでくれない。 空気は読むものじゃない!吸うものなんだ!をモットーに、今日も頑張って暮らしております!  ・・って、当たり前なんですけどね。 2~30年前は自分もそうだったでしょ! おらおら素直に吐いちゃえよ!

当たり前のことがわからない。
だから、死に至るような過激な暴力を平気でふるう。
人に問われたら判を押したようにこう答える。
「しつけのつもりでやりました」

でもね、アガサは思うのですよ。
本人はどこかでわかっていたんじゃないだろうか、と。
しつけと暴力の境目を越えてしまっていることは、とうに気付いていたんじゃないだろうか、と。

よく言われるのが、“虐待をする親は、自身も幼少期に虐待を受けていた”というコトで、実際そういう家庭も多いのだろうと思います。
だから“しつけ”のつもりで過剰な暴力をふるってしまう。
そうですか。 そうですね、それは本当に不幸なことだと思います。 
でも、「だから子を殺した親(大人)が大目にみて貰える」、なんて事があるとしたら、そんなバカな話はないわけで。
子どもの頃に善悪を教わっていなかったのなら、今から教えてあげればいいじゃないですか。
自分の一撃が、子どもにとってはどれくらいの威力になるのか、こってりと教えてあげればいいじゃないですか。
同じように、しつけてあげればいいじゃないですか。

本当にわからなかったのですか?
自分のそれは、しつけではなく暴力だと。
血を流して丸まっている子どもを、怯えた眼差しでこちらを伺い見ている子どもを、不安で余計に涙が止まらなくなっている子どもを見ていても、本当にわからなかったのですか?
えらい人たちに叱られるのがこわいから、「しつけのつもりだった」と言ってるだけなんじゃないですか?
そうですか。 そうですね、きっとあなたたちは、“しつけ”を受けていなかったから、今でも子どものままなんですね。 
“しつけ“を受けていなかったのに、自分が子どもをしつけようだなんて100万年はえぇんだよ!!ばーか!おまえばーか!!

“しつけ”の方法がわからないんならわからないなりに、慎重にやりゃあいいんだよ! 慎重にやる、って意味すらわからないようなヤツは子ども産むな!避妊しろ! “コンドーム”って単語、人生のうちで一回くらい聞いたことあんだろ? 薬局でもコンビニでもどこでも売ってるからダース単位で買ってこいコノヤロウ!! 気持ちよくないから生じゃないとしたくないってヤツは今すぐ去勢しろ!ばーか!!


アガサは、自分の子育てのやり方は間違いだらけなんじゃないかと思っています。
幼い頃母にして貰ったような事は、何も出来ていない。
イライラしていれば大きな声をしてしまうこともあるし、せっかく手伝いをしたがっているちびっこに「余計手間になるからまた今度」と冷たい言葉をかけてしまうこともある。
本だってほとんど読んであげていない。
そんなに公園にも連れて行ってあげられない。
「やってもいいこと」「やってはいけないこと」を教えているつもりだけど、自分の歪んだ価値観を刷り込んでいるだけなのかもしれない。

ただ、ひとつだけ気をつけていることがあります。
それは、怒らないこと。
叱るけど、怒らないこと。

怒るというのは、自分の都合を押し付けること。
叱るというのは、子どもの間違いを訂正すること。
似ているようで、全く違う行為だと思うのです。
“しつけ”と“暴力”がそうであるように。

もちろん、100%実行できているかどうかは、主観の問題なので、これまた自信は無いのですが(ダメじゃん)、常に心に留めておかなければならない事だと思っています。
何が正解で、何が間違いかなんて、10年、20年先じゃないとわからない。
いや、きっと一生わからない。
だから、目と耳と心を子どもに傾けて、精一杯感じ取って、これが間違いじゃないかどうかを考えていきたい。
たとえ周りのサポートがなくても、子どもと2人きりでも、出来ないことじゃないと思うんですけどね。

そして、もしも逃げたくなっても、子どもを殺して逃げるようなことだけはしないで欲しい。
世界で一番つらいのは、自分じゃなくて、そんな自分を見ている子どもなんだと知って欲しい。 
無力で、でもひたむきに自分だけを愛してくれている子どもの事を、忘れないで欲しい。




それすらもわからないような大人は、やっぱり去勢でいいと思いますよ。
もしくは、求刑・しつけ20年でお願いします。


(※ 自分が子どもにやったのと同じ内容の“しつけ”です)

(※ なんら建設的な意見も出せず、申し訳ありませんでした)


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