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隣の家の少女

2007年11月06日
20071104160214.jpg


隣の家に引き取られてきた少女に、わたしは心惹かれてしまった。
彼女は余りに純粋で、余りに真っ直ぐで、余りに強い心を持っていた為に、その家の女主人の怒りをかってしまった。
彼女は壊されていった。
わたしはそれを、ただ見ていた・・・。


本当はみんな大好き“人喰い一家モノ”の 『オフ・シーズン』 を買うつもりが、
スティーヴン・キング絶賛!
と言う帯マジックにまんまと引っ掛かってしまい 『隣の家の少女』 を購入。

キングさんよ・・・

あんた、なんちゅうモノ薦めるんじゃい!

○| ̄|_OTLorz.....


子供が大人の言動を否定する。 と言う事は、大人が考える以上に、子供にとっては不可能な作業です。
最近の子供たちを見ていると、それは実際簡単な事の様に思えるかもしれません。(むしろ大人が子供に支配されているような・・)
しかし少なくとも、生まれたての赤ちゃんに世の中の善し悪しを植え付ける(言い方は悪いですが)のは大人であり、一番身近の大きい人間から、一番大きい影響を受けるもの。それが子供というものなのではないでしょうか。
だから、最近の子供がもしも“大人びて”“生意気で”“力加減を知らない”のであれば、それは身近にいた大人のせいなのです。(必ずしも親ではないですよ)
そこんトコは、一切言い訳なんて出来ないのです。

で、この小説の主人公・デイヴィッドもまた、隣の家の中で行われる凄惨な虐待をそのまま受け流してしまいます。
なぜならその虐待を仕切っていたのが、信頼する大人・ルースおばさんだったから。

親友の母であり、隣の家の愉快で美人な世帯主であり、自分の親よりも“物分りがいい”大人・ルース
そんなルースおばさんがやっている事なのだから、それには正当性があるに違いない。
でなければ、ルースおばさんが続ける訳が無い。
ましてや、僕ら子供に(虐待現場を)隠そうともしていないじゃないか。

そこでデイヴィッドは、隣の家の少女・メグが理不尽な暴力に傷付けられ、死ぬよりも辛い屈辱に耐える様を、止めもせずただ傍観していたのです。
しかし、デイヴィッドは蚊帳の外のつもりでも、ルースとその子供たちはそんなつもりは毛頭ありません。

見ているだけ、止めようとしない、と言うのは立派な加担なのだと、時が過ぎて初めて気付くデイヴィッド。
その時には既に、メグも死に、デイヴィッドも死んでいるも同然な人生の上に立たされている・・・。

この余りに惨い小説を読んでいる間、辛くて気分が悪くて仕方ありませんでした。
登場人物が、前述のスティーヴン・キング風に言うところの
胸クソ悪い下衆野郎
ばかりだからです。
助けてくれる大人も、ヒーローとなる子供も誰もおらず、「よくもこんなヒドイ描写が書けたものだ」と軽蔑すら抱いてしまうような小説。

ページの中で、私の目の前で、筆舌しがたい暴力に耐え最後まで自分のプライドを捨てようとしなかったメグの姿・・・。
それを、途中で見て見ぬフリなど出来なかった私は最後までページをめくり、余りの理不尽さに吐き気を催し、壮絶なラストに涙を流し、もうめくるべきページが無い事に内心ホッとしていました。
そして、この小説と同じ様な暴力をどこかで目にした様な気持ちに襲われたのです。

女子高生コンクリート事件。

内容は違えど、その“凄惨さ”と“多くの人間が大した罪の意識も無く関わっていた”事実は、まさにこの小説の通りだと。
その現実の事件を思い出し、また新たな吐き気と悪寒が止まらなくなりました。

虐待。
暴行。
いじめ。
陵辱。
目の前のそれらを止められない自分。
「ヘタに手を出す事によって、自分に飛び火するのが怖い。」
そんな恐怖によって、私たちは現実から目を逸らす。

他人の体についた傷の本当の痛みを、私達はどれくらい実感出来ると言うのでしょうか。
いいえ、実感出来る筈も無い。
実際に我が身から血が噴出すまでは、本当の痛みなんて判る筈も無いのです。

この小説は、本当の痛みを伴う本です。
書かれた文字を読んでいるだけなのに、読者の心からは血が流れ出る事でしょう。
作者がこんな酷い小説を書いた意味は、きっとそこにあるのではないかと、私は思います。
この痛みを忘れない事が、新たな暴力への抑止力になるはずだ、と。

しかしまぁ、そもそも現実に監禁・陵辱なんかするようなキ○ガイ連中が、こういう本を読んで我が身を振り返るとも思えないのですが。

そんなこんなでそろそろ本題に・・。

ほ・ほ・ほんだいにぃ~?!(アガサ史上最長の前フリだった訳で)

そんな読む暴力の金字塔 『隣の家の少女』 がなんと、映画化された模様です。

予告編はコチラ → 予告編(公式HP)

20071105170741.jpg  ← (写真だけ見ると 『スタンド・バイ・ミー』 っぽいですが。)


予告編を観る限り、かなり原作に忠実に作られているようですが、どうもアガサの直感が「コイツつぁあ・・・どうなんだ?」と非常ベルを鳴らして仕方ありません。
あくまで直感ですが。
果たして原作のように、美しく、残酷で、罪悪感に満ちた作品になっているのでしょうか?

今世紀最大のトラウマムービーの誕生なるか?!
是非、あなたの目でお確かめください。(日本で公開されたらネ)

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「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」を公開前にネタバレしてみよう!のコーナー

2007年07月06日
※ 映画版のレビューはこちらに。

なんだかんだで、もうすぐ夏休みですね。
『蜘蛛男』 と 『ジョニデの海賊』 のほとぼりが冷めようかと言うこの時期、満を持して登場するらしい 『ハリー・ポッター・その5』 。
お子様の長期休暇に合わせて公開する、配給会社のイヤラしさが垣間見える今日この頃ですが、何を隠そうこのシリーズは原作も映画もコンプリートしているアガサだったりします。

なにせ、ファンタジー大好きっ子ですから!!

で、ずっと昔に読んだ原作の感想を、その当時に書いたモノが発掘されましたので、思い切ってブログに載せてみようと思います。
無論、まるっきりネタバレです。

公開前にオチまでバラす。
これからは、鬼のアガサと呼んで下さい。

数年前に書いた文章を、ほとんどそのまま載せると言う暴挙。
しかも、この第5巻に至るまでの流れもなければ、5巻自体の詳しいあらすじも無いと言う、非常に中途半端なレビューで申し訳ありませんが、大オチが判ってしまっても構わないと言う方は、宜しかったらお付き合い下さいませ。


あらすじ・・・
復活したヴォルデモートとの戦いはいつ始まるのか?ハリーにはなんの知らせも来ない。そして突然ハリーは吸魂鬼に襲われる。「不死鳥の騎士団」に助けだされたハリーは、「騎士団」が何か重大な秘密を守っていることを知る。新学期が始まり、恐ろしい新任教授アンブリッジと黒い扉の夢に悩まされ続けるハリーに、チョウ・チャンが微笑みかける…。(TSUTAYAonline/BOOKより)

文句なしに面白かったデス。
またもや睡眠時間を削る羽目になりましたが、読み終わった自分の顔が睡眠不足でやつれていようとも、何ら悔いる所はありません。

とはいえ、今回のハリーはかなりイラ付かせてくれます。
それもそのはず、早いものでもう15歳なのです。
思春期真っ只中で、尚且つ他の子には無いプレッシャーを抱えて暮らすのですから、少々性格が歪むのは仕方ない事でしょう・・・。

が、それでも結構な逆ギレ具合に、読んでいて頭に来てしまいました。
これはやはり年齢の問題なのでしょうか・・・。
あるいは、私が中学の頃に読んでいたのなら、こんなにハリーに対してカッカしていなかったのでしょうか?
むしろ、ナイフみたいに尖っては触るものみな傷つけて、「俺は腐ったミカンじゃねえ!」と窓ガラスを壊して回っていたのでしょうか?

今となっては皆目見当つきませんが、この作品に話を戻せば、とにかく自己中モードでみんなに八つ当たりし続けるハリーより、悲惨な過去を明らかにされるスネイプ先生の方が、よっぽどか可哀想に思えて仕方なかった30代の私がそこにいました。
そして、既刊の4巻をさらに上回る程のムカつく敵役もバッチリ登場。
物語はそいつに合わせて、かなり歯がゆい思いをさせられ続けたまま進んで行きます。

登場人物相手に、本気で腹を立てる30代。

ローリングさんの思う壺であります。

また、過去4巻では、そんなムカムカを吹き飛ばすようなクライマックスが用意されていた(4巻目はそうでもないか?)のですが、どっこい今回はラストまでかなりシビア。

なんとハリーの両親の親友であり、唯一の親代わりだったシリウスが亡くなってしまうのです。
前々からこの5巻では、『誰か重要な人が亡くなる』という噂が飛び交ってはいました。
しかしそれを、勝手に「は・はーん。ハグリッドだな・・・」と予想していた私は、シリウスが亡くなったくだりで、不覚にも泣いてしまったのでした。

幼い頃に亡くなってしまった両親の変わりに、不安定なハリーの心を支えていれる筈だったシリウスを殺すなんて・・・

・・・ローリング!あんたは鬼か?! 

あとがきを読んでみると、「書いていて辛くて、台所で泣いた」とかなんとか書いてありますが・・・
  ・・・なら殺すなよ!!

でもってハリーはそのあと、またもやダンブルドア校長に逆ギレをかまし、 「あんたのせいだ」 とばかりに噛み付いていたのですが、これは正直どう考えても原因はハリーだったりするのです。

周りの知り合い全員から、
「閉心術の練習しなよ!」
と言われても聞く耳持たず、本当は罠だと判っていながら、バカの一つ覚えの様に
「シリウスが危ないんだYO!」
とごり押しして、魔法省に乗り込んだのは他でもないハリーです。
結果、シリウスは亡くなり、友達は全員負傷。
死人がシリウスだけだったのは、神が与えたもう奇跡です。
それなのに、ハリーは相変わらず逆ギレ&現実逃避。 
おまえなぁ・・・、反省しろよ・・まずはよぉ・・・。ヽ(`Д´#)ノ

ともかく、終わり(7巻)が近づくにつれ、ますます物語はリアルな痛みを伴って来たように思いました。
こうなると、最初に感じていた 『児童向けファンタジー』 からは、随分遠くに来てしまったように思いますね。
なんだか宮崎アニメに通ずるものを感じます。

「すごいや!ラピタはほんとにあったんだ!」(byパズー)
「すごいや!魔法学校はほんとにあったんだ!」(byハリー10歳)
が、
“怨念と血飛沫に彩られたファンタジー”(by乙事主さま&ヴォルデモート卿)
ってな感じになってしまいましたよ。コレ。・・・どうしましょうか。

よいこのみなさんのトラウマにならなければいいのですが・・・。

まぁ、当初の設定から言えば当然の展開なのですが、やはり読んでいると辛いですねぇ。

辛いけど、面白い。

ひたすらローリングさんの思う壺であります。

次はハリー16歳ですか・・・。 
さらに輪を掛けた反抗期&逆ギレっぷりなのでしょうか?
それとも今回の辛い経験を昇華して、一つ大人の階段を登るのでしょうか?
そろそろいい加減、スネイプ先生も信頼してあげて欲しいところなのですが、それはあんまり期待出来ないのでしょうね・・・。 
日本版が出るのは、またもや当分先になるのでしょうから、そんな事を考えながらしばらく今回の5巻の余韻に浸りたいと思います。

これも、ローリングさんの思う壺なのかもしれませんね・・・。



以上です。
まぁ、アレですね・・・。
ローリングさんがいかに凄い策士であるか、と言う点だけは、ヒシヒシとお伝え出来たのではないでしょうか。
これを機会に、過去の4作のレビューも・・・
・・・うん、まぁ、・・・そのうちにでも・・・。
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「ハンニバル・ライジング」を読んでしまいました。

2007年04月11日
映画の公開がすぐそこまで迫って来ていると言うのに、原作を読んでしまいました。

と言っても、『レッド・ドラゴン』も『ハンニバル』も、鑑賞前に読んでしまっていたので、そんなに躊躇はしませんでしたが。

で、やはり公開直前ですので、内容については言及しないでおこうと思います。

ただどうしても一言だけ言いたかったのです。

一言だけ。

それは、

ハンニバル・レクターのお母さんの名前が
シ モ ネ ッ タ ーーーー!!


シモネッタて!
シモネタて!

日本の文化が大きな役割を占める『ライジング』なのに、どうしてトマス・ハリスはそこんとこを確認しなかったのか・・・。

ハリスさん、「シモネタ」と「楽屋オチ」は、日本のバラエティーではカットされますよー!!

バラエティじゃないから、まぁいいか。
ゴメンゴメン、堪忍な!!

映画館でどれくらい失笑が起きるか、とても楽しみです。


それと、一つだけ内容に触れる(というか関する)事を・・。

本編で日本人のレディ・ムラサキを演じるのがコン・リーだそうで、その点に関して、日本人的には不満とか不満を抱く方もいらっしゃるかもしれません。
どうせ変なカタコトの日本語を話されちゃうのでしょうし。
しかし、原作を読んで今、この恐ろしく威厳溢れる美しき女性を演じられる日本人が全く思い当たりません。
いわゆる大物女優(吉永小百合?岩下志麻?)から中堅女優(鈴木京香?常盤貴子?)まで、どんな日本の女優さんにも、このレディ・ムラサキの存在感を表現できるとは思えません。
私が唯一近いと思ったのは中谷美紀なのですが、彼女では若すぎますし・・。

・・と言う訳で、欧米人男性の誰もが思わず振り返り、あのハンニバルをも虜にした恐るべき日本人女性を、コン・リーがどのように料理したのか、その点も非常に楽しみです。
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