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「粘膜人間」 童貞ばんざい。

2009年03月24日
ねんまく


マイミクさまの所で絶賛されていた 「粘膜人間」 が、文庫で500円ポッキリだったので購入してみました。

あらすじ・・・
15歳の利一と14歳の祐二兄弟は、血の繋がらない11歳の弟・雷太の殺害を決意した。
小学5年生にして体重は100キロを超え、身長は195cmという雷太は、人間離れした怪力と、その力を躊躇無く揮える狂気を兼ね備えており、その為一家は弟の暴力に生命の危機を感じながら暮らしていたのだ。
到底力の及ばない弟の抹殺の為、兄弟は村のはずれに住む異形のモノたちに交渉を試みる。
そして、なんとか条件が整い、実行の日を迎えるのだが・・・。


パっと見普通のホラー小説かと思いますが、どっこいエログロファンタジーだったのがこの 「粘膜人間」 。

なんと言っても、兄弟から殺人を依頼されるのは河童。
河童です。
かっぱなのです。
 (大切なので3回言う)

しかし、かっぱと言っても
かっぱ 「フェイバリットフードはきゅうりなのれす
こういうエコノミーなかっぱではなく


kappa.jpg  あぁぁぁ。 グッチャネしてぇぇぇ。
これ系の河童。

まさに河童界のエアフォースワン。

し か も 童 貞 。



殺害を依頼された河童は、見るからに獰猛そうな面持ちをしており、人間ではないので当然人間性のかけらも無い。
無駄に争いたくないので村はずれに居を構えているだけで、その気になれば人間を殺す事など赤子の手をひねるようなもの。
だからこそ、行き詰った兄弟は河童に白羽の矢を立て、後腐れの無い殺しを依頼したのです。
が、さっきも言ったように、この河童が童貞だった事から運命の歯車は狂い始める。
まず、殺しの代償として「思う存分エッチな事が出来るおにゃのこ」を要求。
しかも「可愛い」子で「ナイスバディ」な子。
童貞のクセに生意気な河童ですね。

そして、兄弟が一人の訳アリ少女を用意し、殺害が滞りなく遂行出来た後に河童に宛がう事を約束し、交渉は成立。
しかし、いざ実行の日を迎えるものの、肝心の河童は約束の場所に現れません。
なぜなら童貞だった河童は、女性とのパフパフがどうしても我慢出来ず、約束をブッチして女性の家に突撃してしまったのです。
これだから童貞と河童は信用出来ません。 (いや、全部がそうだとは言いませんけど)

実はこの河童は3兄弟で、依頼を受けてバックレたのは長男のモモ太。
で、その弟のジッ太とズッ太が変わりに任務を遂行しようとするのですが、所詮弟ですし、役不足気味なのは否めません。
それに、言わずもがな、こいつらもまた童貞。
兄に代わって殺しを請け負おうと申し出るクセに、「その報酬としてオレたちにもおにゃのこ用意しろ」だとか、ずうずうしいにも程があります。
もうねぇ、童貞は大人しくエロゲでもやってればいいんですよ。(←暴言)

で、この童貞3兄弟から命を狙われる事となる、巨漢の11歳・雷太なのですが、あらすじにも書いたとおりかなりのツワモノでして、兄の腕力をはるかに上回っているのはもとより、既に父親すら支配下に治めて一家を顎でこき使う日々。
しかし、一家の元に後妻として嫁いできた実の母は数年前に蒸発しており、要するに雷太は完全なるアウトサイダーだったりします。
環境だけみれば可哀想な子なのです。
その凶暴性は不幸な生い立ちが育てたのか、生まれもってのものなのかは判りませんが、精神的にはまだまだ幼い子供。
もうちょっと、なんと言うか、「愛」っていうの? そういうサムシングを与えてあげれば、意外と上手くいっていたかもしれない家族関係なのが残念でなりません。

それぞれがお互いを理解しようとしなかったせいで生まれた亀裂。
そして、言葉の足りなさを暴力で解決しようとした事で生まれた悲劇。

強すぎた雷太が、その知能の幼さゆえに自分の力に溺れてしまい、殺意をむき出しで襲い掛かってくる河童どもを容赦なく屠り、血肉の塊に変えてゆく描写は、久しく味わっていなかった本格的な切株精神に溢れ、もうお腹いっぱい夢いっぱい。
とにかく強い。
雷太、強すぎるよ雷太。
しかも己の強さに酔ってるよ雷太。
もう、映像化する時は範馬勇次郎でいいよ雷太。

小説は、この雷太VS河童2匹が思わぬ結末を迎えたトコロまでが第壱章で、続く第弐章では第壱章の中でモモ太に宛がわれていた訳アリ少女が主役になります。

この少女は濡れ衣を着せられ、軍隊から壮絶な拷問を受ける事になるのですが(※言い忘れていましたが本作の舞台は戦時中の日本っぽい世界なのです)、その拷問描写がまたクドいのなんのって、「イーライ・ロスなんか泣いて謝るんじゃねぇの?」くらいの熱意を持って描かれます。
水責めに始まり、カブトムシ責め、つまんねぇ映画延々リピート責め、そして“食人族でお馴染みのアレ”式公開処刑へとノンストップで展開する少女への鬼畜行為。
この作者は病気なのですか?
それとも、読んでいる私達が病気なのですか?


読んでいて吐き気を催す様な残酷描写。
そしてまた、その哀れな被害者である少女が実は、狂った殺人者でもあったと言う救いの無いオチ。
この第弐章では、第壱章で被害者の様に見えた14歳の祐二もまた、一転狂った本能を剥き出しにして童貞消失に命を懸けるというとびっきりラブリーなエピソードも含まれており、作者の性根の悪さが容赦ない人間観察力が垣間見えます。
ていうか、お前も童貞なのかよ。


と、こんな風に鬼畜な人々がグチャーとかドバーとかやって来た本編は、第参章で再び雷太とモモ太に主役の座を明け渡し、それまでとは少し趣向の異なった友情物語へと変貌を遂げる事に。

第壱章の最後で死んだかに思われた雷太は、脳みそが半分流れ出て、片目は潰れてはみ出した状態だったにも関わらず奇跡的に一命をとり止め、バックれていたお陰で惨劇を回避していたモモ太と知り合います。
脳みそが50%になっていたせいで、全ての記憶を失っていた雷太と、パフパフ未遂から帰ってきたら弟たちが消えていて困惑していたモモ太は、ひょんな事から意気投合。
ちなみに未遂だったので、モモ太未だ童貞。

どうしても弟たちの身に何が起こったのか知りたいモモ太は、現場に居た雷太こそが謎を解く鍵だと予想し、森の奥に済むシシ神さまに雷太の記憶を取り戻す方法を聞きだすのですが、とにかくモモ太は、まさか雷太が自分の弟たちを粉砕したとは1ミクロンも思わない。 だって童貞だから。 あ、素直って意味ね。

記憶を無くしたせいで、角を無くしたラムちゃんのような人畜無害な存在となった雷太。
突然一人ぼっちになり、寂しいし、心細いので、そんな雷太を必死に囲い込むモモ太。
実は敵同士の2人が、お互いの正体を知らないままに打ち解けあい、助け合う姿は、どこか滑稽で、皮肉で、その先に確実に待っているであろう悲劇とは裏腹に、ほのかな笑いを誘います。

しかし、そんな笑いを吹き飛ばすように、この章でも軽快に響く狂気の調べ。
河童は人を裏切らない。
最初から信頼関係と思っていないから、裏切りではないのです。
あちらでもこちらでも、河童と雷太の行く先に死体の山が築かれて、この物語に関わってきた全ての人が赤黒い肉塊に成り果てて、ついに雷太の記憶は呼び戻される事になる。
そして、その時を待ち望んでいたモモ太もまた、同時に自分の大事な弟河童を惨殺した犯人の正体を推し知る事に。

避けられない対決を目の前に、殺意をみなぎらせるモモ太。
眠っていた野蛮な欲望を全身で味わい、既にモモ太の殺害方法を考え始めている雷太。
物語はここで終わっており、具体的な2人の闘いも、その行方も描かれていませんが、どちらが勝つにせよ、大地は再びおびただしい血で覆われ、無残で無慈悲な死体が転がる事には違い無いでしょう。

その闘いに、不謹慎だけどかっこよさを感じるのは、私の中にも野蛮な欲望が眠っているからなのでしょうか?
いいえ、そんなハズはない。
雷太が放っているそこはかとない強さに無条件で惹かれてしまうのは、きっと人間が持つ本能なのだと思いたい。
だからほら、憎たらしいけど人気あるじゃないですか、範馬勇次郎も! ね!ね!


童貞であった事が狂わせた運命の歯車。
人間の欲は果てしなく、狂気へ転がり落ちるには、ほんの少し背中を押されるだけで充分なのかもしれないと言う恐怖。
この小説がファンタジーだった事に、若干安堵のため息を吐き、しかし、どこにでも存在しているであろう狂気の引き金に心が粟立つのを感じながら、私は本を閉じました。

あと、童貞はほんとに、パワーがすごいなぁと思いました。
色んなパワーが。
童貞ばんざい。 (←どんなまとめ方なんだよ)

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「リーシーの物語」 どいつもこいつもアレな人ばかり。

2008年11月25日
寒いアガサです。こんにちは。

いや、アガサが寒いのではなく、いや寒いんですけど、言動がお寒い状態とかそういう意味ではなくあくまでパソコンの周辺に暖房機器が全くないから寒いというだけのってもうどうでもええわい。(←早々に投げた)
とりあえず、手がかじかんでキーボードが打ちにくいったらありません。
なんでもない様な事がしあわせだったと思う日々。(←意味不明)

で、まぁ寒いので防寒の為にベストを購入してみたのですよ。
長袖を着込むと家事の邪魔になるので、以前からベストを欲していたアガサ。
今年流行しているらしい、ボアボアが付いたモコモコのベスト(擬態語ばっかだなぁ)を購入です。
どうしましょう! これでついに、アガサもオサレ女子の仲間入りですよ! まったく!>< ヤッタネ!





そして期待に胸を膨らませ、ベストを装着。


マタギ
母さん事件です・・・ どうやってもマタギにしか見えません・・・。
(↑参考資料・マタギのおじさん)


千里の道も一歩から。
でも母さん・・・、ぼくのオサレへの道は、千里どころでは済みそうにない訳で・・・。

と言う訳で、熊を撃つかたわらスティーヴン・キングの新作 『リーシーの物語 上・下』 を読了しましたので、その感想など。

リーシー

↓↓ ネタバレしています。 ↓↓

スコットはピュリッツァー賞や全米図書賞に輝く世界的人気作家。
リーシーは、そのスコットの嫁。
スコットが突如この世を去って2年。
あまりに愛し合っていた2人だったので、残されたリーシーにとっては未来に向けての一歩が何も踏み出せないまま、ただ惰性で過ごした2年でした。
周囲の声もあり、不本意ながらやっと夫の遺品の整理に手をつけ始めたリーシー。
しかし、その矢先、個性的な姉・アマンダが精神バランスを崩したり、精神バランスを崩したストーカーが脅迫してきたり、スコットが精神バランスを崩していた頃の記憶が蘇ってきたり、そんなスコットが愛していた兄が精神バランスを崩した時の小噺だとか、同じく精神バランスを崩しつつあったスコットの父の事だとかが走馬灯の様に廻ったりして、ついにはリーシー自身の精神バランスも崩れそうになってきたりと、なんだかもう、アレな感じな怒涛の展開がリーシーに押し寄せます。

果たしてリーシーは、ストーカーの脅威に打ち勝ち、夫との哀しい過去に決別する事が出来るのでしょうか。


なんや、アレばっかりか。

なんというか、乱暴な作品だなぁと思いました。
乱暴って、“バイオレンス表現が多い”とかそういう意味ではなく、・・うーん・・読者に優しくないというか。
2年前に亡くなっている夫(スコット)と暮らしていた時の記憶や、
そのスコットが幼少時代の記憶だとか、
リーシー自身の幼少期の記憶だとかが、現在のリーシーの状況に凄まじく挟み込まれていくのですが、その戻り方(挟み込み方)があまりスムーズでないんですよね。(と、アガサには感じられたんですよね)

キングの小説では珍しくない(というかお馴染み)の手法だと思うのですが、フラッシュバックの多用が物語をより魅力的にしていた過去の作品と違って、フラッシュバックする度に会話が中断されてゴチャゴチャしてしまう。
フラッシュバックの部分にノリ切れないのです。
なんなんでしょうねぇ・・・ この語り口調のテンポの悪さは。

以前の作品に見られた様な、「ページをめくるのがもどかしい! 寸暇を惜しんで読み耽りたい!」という悪魔的な魅力が、どうも感じられない。
これは数ヶ月前に読んだ 『セル』 の時にも思ったのですよねぇ・・・ やっぱキングも寄る年波には敵わないって事なのでしょうか。

登場人物にあまり感情移入できない。という点も、『セル』に共通しているかもしれません。

圧倒的な愛でリーシーを包み込んでいた(と思っていた)頼りがいのある夫が、実は精神を病んでいたり、ちょいちょい“別世界”に飛んでいっていたり、その“別世界”が比喩的な意味ではなく本当に実在していたり、なんか実は超能力者だったりと、どんどんトンデモなキャラクターになって行くのがいけなかったのか?

それとも、典型的な内助の功だと思っていたリーシーが、大事な夫との過去にやたらと拒絶反応を示していたり、実は結婚前から夫がキ○ガイだと気付いていたにも関わらず結婚を決めた理由が今ひとつハッキリしなかったり、キ○ガイに襲われた夫を救う程の強さを見せたかと思いきやストーカーに踏み込まれた途端メソメソして強いんだか弱いんだか判らなかったり、なんか実は超能力者だったりと、これまたどんどんトンデモなキャラクタ-になって行くのがいけなかったのか?

どっちにしてもなんか実は超能力者だったこの夫婦が、あまりに現実離れしすぎて感情移入出来なかった。というのが正直なトコロなのかもしれませんね。
今までの作品でもよく見かけた “かがやき” なのですけどね。
今回はちょっとスタート地点と着地地点が懸け離れすぎた様に感じました。

あと、これも 『セル』 に共通して感じた事なのですが、最近のキングは“母親”に厳しいのでしょうか?
本作で、リーシーとの夫婦愛に負けない比重で語られるのが、夫とその父(兄も含め)との親子愛。
何故か全く語られない“母親”不在の中、精神を病んだ父の不条理な暴力に傷つき、その傷を癒す為に“別世界”に逃げ込んでいた夫。
しかし、どんなに父親に暴力を振るわれようと、暴言を投げつけられようと、夫は決して父親への愛を失うことは無く、むしろより一層愛を深めて行きます。
『シャイニング』でも見られた“子から父への無償の愛”ですが、あそこではそれと平行して“母から子への圧倒的な愛”も語られていたのですよね。
ところが本作では、ひたすら盲目的な“父子愛”一本。

「女なんかに、この男同士の親密な関係が判る訳ないさ!」と言わんばかりの置いてけぼり感は、アガサが女だからこそ感じる疎外感なのかもしれませんし、「女だから」「男だから」とキーキー言いたくも無いのですが、でもやっぱり思いますよね。母ちゃんはどうしたんだよ?!って。

この辺りも、アガサがノリ切れなかった一因なのかもしれません。

うーん、あとストーカーについても物足りなかった点が色々あるし、その末路についても「あぁ・・そうなんだ・・」という尻すぼみ感があったりなかったり・・・、なんですけど、不満ばっかり重ねるのも寂しい限りなので、今日のところはこの辺で。
なんだかんだ言っても、下巻は結構なスピードで読みきってしまいました(ただし上巻は遅々として進まなかった)ので、面白くない訳ではないんですよ。
なんと言っても、久しぶりのハードカバーでしたしね。
「悪のぬるぬる」とか「ベイビィラーブ」とか「ブール」とか「うまうまツリー」とか、印象には残るけど何だかよく意味が判らない単語も、いかにもキングっぽくて楽しかったですし。
とくに「悪のぬるぬる」。

キングの登場人物は、みんなおったまげ級の「悪のぬるぬる」にとっつかまっていた事が今回判明。
いいなぁ、「ぬるぬる」。(笑)


ところで某方にお聞きした情報によると、キングの息子さんが文壇デビューされていて、その作品の中に『ゾンビ』撮影中のロメロ組を舞台にした短編があるらしいので、父ちゃんの才能をどれくらい息子さんが継いでいるのかも、是非今度確認してみたいと思います。
何より、ロメロとかサビーニ兄貴とかが作中に出てくるらしいですからね!
そりゃ読まんといけん!(←なぜか岡山弁)


では、今日はこれにて。
って、なんか寒いと思ったら、例のベストを(お風呂前に)脱いでそのまんまでした。
意味ねぇぇぇぇぇ!((((´д`;))))

母さん・・、一人前のマタギになるには、まだまだ険しい道を歩む事になりそうです。(※なりません)


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「ハリー・ポッターと死の秘宝」 その中途半端な読感

2008年09月03日
最初は「3部作くらい作れりゃ御の字かな?」思っていたが、毎回の手堅い興収と、予想外に成長と役とが違和感なくシンクロしていた主役トリオに気をよくしてか、その後もきっちり製作される事となった「ハリポタ・シリーズ」。
気が付けば全7巻の原作中、既に5作までが映画化されており、待望の6作目も来年あたり公開されるそうな・・・。

つまり何が言いたいのかというと、まだまだ終わった感じがしないんですよね。原作は終わりましたけど。
来年観られる筈の「謎のプリンス」と、その何年後かに観られる筈の「死の秘宝」とを観終わらないと、ハリーの物語は終わらない・・・。
それくらい、アガサの中では完全に、映画版の役者さんと本の中の登場人物が同化しているのです。

特にスネイプ先生がね!


あらすじ(前作のネタバレ部分は反転)・・・
前作のラストで、頼れる親方・ダンブルドア校長を喪ったハリー。
もはや完全に復活したと言っていい、蛇面・ヴォルデモート卿とそのワル仲間たち。
そしていよいよ、ハリーにかかっていた守護魔法の効力が切れる17歳の誕生日が、すぐそこまで迫っていた。
魔法界の希望の光・ハリーを、なんとか守ろうと奔走する“不死鳥の騎士団”。
そんな中、当のハリーはヴォルデモート卿を倒すただ一つの作戦を遂行する為に、親友のロンとハーマイオニーと共にさすらいの旅に出るのでした。
使える男・ダンブルドア亡き今、完全に統制を失った魔法省はヴォルデモート卿の意のままに牛耳られ、日に日に凄惨さを増してゆく魔法界。
ハリーたちもまた、行く先々で死喰い人や賞金稼ぎに狙われ、その作戦は行き詰まってしまっていた。
やっぱ大人がいないと何ともなんねぇよな・・・
と、やさぐれ、亀裂が入り始める3人の友情。
果たしてハリーたちは、ヴォルデモート卿の野望を阻止する事が出来るのでしょうか?
そして、スネイプ先生の本領発揮タイムは、いつになったら訪れるのでしょうか?


最終巻ですので、ネタバレなしで書くのは難しいのですが・・おら頑張るぞ><。

とにかく、読み終わって感じたのは
セブルス・・・ オレじゃ駄目か・・?
に尽きます。
2次元に恋するだなんて、中学校の段階で卒業したとばかり思っていましたが、完全に恋に落ちました。
しかも、とても苦しい恋です。
おかしいなぁ・・・  スネイプ先生にクルーシオ!って言われちゃったカナ・・・
でもいいの・・ セブルスにならあたし・・・ 喜んで「武装解除」しちゃうんだから・・.。゚+.(*´∀`*)゚+.゚。

ああ、なんとでも言え。(←どうせアガサはアホですよ、アホでいいですよ)

ちなみにここでの脳内スネイプ先生は、当然ですがアラン・リックマンですので。そりゃもうバッチリとね!

痛い話はこれくらいにして、本題に。
毎回このシリーズを読む度に思いますが、ローリングさんはホントに読ませ上手ですね。(世界的ベストセラー作家さんに言う事じゃないですが)
今回も上巻は一気読み、下巻に突入した時点で翌朝に差し支えそうだったので泣く泣く中断、翌日はおさんどんを完全放棄して読みふけってしまいました。
今までも重要な人物がサクっと死んでいっていましたので、少々の犠牲者は予想していましたが、まさかこんなに死体の山が築かれようとは・・・。
ローリング・・・ この雌豚野郎め!(←いくらなんでも言い過ぎ)

ハリーはいつも、周りに居る沢山の人々に助けられてきました。
「賢者の石」で華々しく登場した当初こそ、
世界を滅ぼすほどの魔力を持つヴォルデモート卿の攻撃から生き残ったハリーは、きっとみんなビックリのスーパーウルトラパワーを隠し持っていて、最後は強力魔法でヴォルデモートをビリビリ☆ドカーン!なオチ
なのかと思っていましたが、巻が進むにつれ、そんな浅はかな考えは吹き飛んでしまいました。
ハリーを深く愛していた両親、固い信頼で結ばれた友人、ハリーの両親と親しかった人々、聡明で誇り高きホグワーツの教師たち・・・
ハリーを取り囲む多くの人々が、ハリーの運命を信じて、未熟なハリーを必死に支えようとする。

ハリーは、時にそんなみんなに暴言を吐きつつ、時にツンツンしつつ、時にデレデレしつつ、自らも成長してきたのです。
読み続けてきた私たちもまた、余りに都合よく劇的に展開する物語にヤキモキ・ハラハラさせられながらも、過酷で壮大な宿命を見届ける覚悟を固めていった様な気がします。
最初から6~7巻クラスのテンション来られたら、きっとちゃぶ台をひっくり返していたでしょう。(当たり前か)

で、シリーズ最後の本作は、今までで一番哀しく、一番残酷で、一番苦しい物語が用意されています。
ハリーが17歳の若さで悟らなければならなかった自らの運命。
信頼していた人の裏切り(と言うか若気の至り)。
世界は闇に包まれ、希望の光も弱々しいばかりの展開が、過去の作品と全く違ってとても静かに語られていきます。
ホントに児童文学なのですか・・? コレ・・。
最近のお子さんは、こんな現実的なファンタジーまで理解しないといけないとは・・・うーん><。

まぁ、それはそておき、そんな過酷な本作では、今まで以上に多くの力がハリーの為に終結します。
圧巻だったのはクライマックスの、シリーズ最終巻の名に相応しい様な血まみれの死闘。
個々の力は小さいけれど、とても大きな勇気を持った人々が、想像を絶するような巨大な力に立ち向かう。
ハリーは確かに特別な男の子だったのでしょう。
しかし、ハリーを支え、自分達の尊厳を守る為に命懸けの闘いに挑む“その他大勢”の人々もまた、特別な男の子であり、女の子に違いありません。
私たちはいつでも、特別になれるのです。 “そうであろう”という勇気さえあれば。

勿論、最後の最後に過酷過ぎる運命を受け入れ、ヴォルデモート卿に対峙するハリーもまた、言うまでもなく、底知れない勇気を持った男の子でしたよ。
サシであいつ(※ヴォルデモート)に説教くれようなんて、そうそう出来るもんじゃありません。

それから、全作を読み終わってアガサが強く思ったのは、このシリーズはハリーの物語であると同時に、セブルス・スネイプの物語でもあったのだ、と言う事。
最初からその生い立ちの多くが闇に包まれていたセブルス。
とことんハリー厳しく、決して本音を表に出さなかったが為に、6作目のラストまで、彼の真意は掴みきれませんでした。
本作でついに、全て明らかになるセブルスの過去は、きっと読者の魂を絞る事でしょう。
ハリーとヴォルデモートの闘いは、セブルス無しでは有り得なかった。
ハリーの17年の人生を護っていたのは、母・リリーの保護魔法ではなくセブルスだったと言っても過言ではない。
そんな想いで胸がいっぱいになり、涙が止まりませんでした。



兎にも角にも、今まではこのシリーズにイライラした事もありましたが、今はこの壮大な愛の物語に胸いっぱいで、もう一度最初から読み直したくてムラムラしているアガサです。
出来れば全巻揃えたいものですがねぇ・・。

そうさのう・・・ クリスマス商戦まで、あと3ヶ月を切った様な気がするのう・・なぁ、じいさんや・・(←特定人物へのメッセージ)

映画化されるのが、ホントにほんとに楽しみです。
ま、いっぱい枝葉のエピソードはヘつられる(※削られる)でしょうけどね!


では、今回は最後ですので、おまけとして第7巻の登場人物をレッツ補足!(ネタバレを含むので続きを読むに続く)


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「閉店時間」 ジャック・ケッチャム中篇集

2008年08月13日
closingtime-cover.jpg

ご無沙汰いたしております。
なんだか最近、立て続けに長距離移動する事が多く、忙しさが常にクライマックス状態なのですが、お陰さまで読書の方がこってり捗って嬉しい悲鳴のアガサです。
とは言っても、2冊しか読めていないのですが。(←ダメぢゃん)

そして、その2冊ともがケッチャムという。

自殺行為とはまさにこの事なり。

と言う訳で(どういう)、先日の京都道中で読んだ、ケッチャムの最新刊 「閉店時間」 の読感など。

・「閉店時間」
男と女は心の底から愛し合っていた。
厚い友情と深い愛情に裏打ちされたそれは、まさに人生最初で最後の、本物の恋愛だった。
しかしその恋愛は、周囲から祝福されるべきものではなかった。
心の底から求めないながらも、離れるしかなかった男と女。

そしてそんな彼らの人生に襲い掛かろうとする、悲劇の瞬間・・・。


ケッチャムの小説とは思えないような、胸が痛くなる恋愛模様で幕を開ける表題作。
好きなんだけど好きでいてはいけない。
結ばれたいんだけど犠牲なしでは結ばれない。
そんな苦しい恋愛にもがく、男と女の胸のうちを、ついさっきそこで見てきた様にリアルに表現するケッチャム。

あんた・・・、いつの間にそういうジャンルの人にならはったんや・・゚・(ノД`;)・゚・ウワアアン

と、思っていたら、どうやらこれはケッチャムさんの実体験に基づいたお話だったようですね。(あとがきによると)
これは彼なりの、別れた彼女宛てのラブレターだったのですね、わかります。
まぁ、・・アレだ・・・
がんばれよ、ケッチャム!!
(「すきなものだけでいいです」は、NY在住ジャック・ケッチャムさんの私生活を応援します!)


と、思っていたら、終盤から否応なしに押し寄せる救いの無い展開にのまれて、男と女は最も悲劇的な人生の結末を迎える事に。
やっぱケッチャムはケッチャムだったか。

うん、やっぱさっきの応援は取り消しの方向で。

しかし、考えようによっては、もしかしたらハッピーエンドだったのかもしれないと。
現実的には結ばれない彼らが永遠に結ばれる方法としては。
・・・考えようによっては、ですけどね。 (アガサはこんな終わり方イヤですけど)

イヤなんですけど、何度も読み返したくなってしまう、不思議な透明感をもった傑作です。




・「ヒッチハイク」
極悪非道な殺人犯を弁護中の女弁護士が、車の故障からヒッチハイクを試みる。
ところが通りかかったのは、ガイキチっぽいトラック。
命の危険を感じ、怯える彼女を助けたのは、そこに偶然通りかかった一台の車。
なんとその車を運転していたのは、十数年ぶりに再会した同級生だった。

「やだぁ、久しぶり~!」
「今なにしてんの~? 彼氏とかいんの~?」
と、ガールズトークに花が咲くかに見えた車内だったが、なんとその同級生そのものが、ウルトラど級のガイキチだったからさあ大変。
さらにそこに、新たなガイキチ(男3人組)まで加わり、女弁護士は人生最悪の夜を体験する事に・・・。


只今、ケッチャムの本領発揮祭り開催中!

冒頭の「殺人犯の公判うんぬん・・・」が、正直ちょっとかったるかったものの、タイトルの“ヒッチハイク”がなされた瞬間からはもうノンストップ非道祭り。
拾ってくれたのが女の人でヨカッタね~!
という読者の安心感を、鋲付きのウェスタンブーツで踏みにじり、その上にプラスチック爆弾をてんこ盛りにして木っ端微塵に爆破するような、ケッチャムの文章力に脱帽です。

とにかくケッチャムの小説は、
ここでなんとか助かって欲しい・・・
この仕打ちだけは逃れて欲しい・・・

という読者の想い(願い)を、ことごとく裏切る非情な展開がチャームポイント。
普通のお話なら、すんでの所でヒーローが飛び込んで来るシーンには誰も来ず、登場人物はひたすら屈辱され、傷を負い、最悪の場合命をおとす。

それがケッチャム!
というか、それが現実。


ところが、今までのケッチャム作品にはなかった展開が、最後の最後に待ち受けているので吃驚(←るしはさん風)です。
ケッチャムには最も程遠い単語だった「カタルシス」で、思う存分読者の溜飲を下げてくれるラストは、ケッチャム新時代の到来を示唆しているのでしょうか・・・。
(※「襲撃者の夜」にもある程度の“逆襲”はありましたが、あんなのの比ではないくらいスッキリします)

アガサがかったるいと思っていた冒頭のくだりも、当然かったるいだけで終わる筈もなく、クライマックスのヒロインの逆襲にキレイに絡んで来ます。
この逆襲に一役買う事になる、残酷非道なアンチヒーローがまた痺れる程のかっこよさ。

作中で行われる最も非道で許せない犯罪も、それのせいで犯罪者達が報いを受ける展開に繋がるので、若干マシに思えますし。(許せない事には変わりないのですが)

ともなくコレは、ケッチャムがその(狭い顧客獲得の)間口を広げるいいきっかけになりそうな予感がしますよ!
中篇ですし、悪い評判(特に「隣の家の少女」に関しての)のせいで、ケッチャムを敬遠されていた方にはオススメの一本です♪




・「雑草」
異常なカップルの鬼畜な犯罪。
そして穏やかにもたらされる天罰。


って、さっきせっかくオススメしたのに次がこれか!
こんなん薦めれんわ――! 
ケッチャムのアホ―――!!ヾ(*`Д´*)ノ"


ケッチャムの多くの作品と同じく、本作のカップルも、なぜこんな異常な性格になってしまったのかさっぱり説明されません。
幼少期に何がしかの虐待行為があったのか?
大きな影響を受けるような存在があったのか?
日常にのっぴきならないストレスがあったのか?
理由はまったく判りません。
もしかしたら、理由などないのかもしれません。

ケッチャムが描く殺人犯は、生まれながらの“純粋悪”に見える事が多く、それはまた、
鬼畜な犯罪を犯すガイキチの深層心理なんて、正常な人間に理解出来る訳が無い
という、ケッチャムの持論の様な気がしてなりません。 (アガサの持論はまさにソレ)

犯罪心理学だとか、精神鑑定士だとか、色んな専門家の方が、日夜犯罪者の心の中を読み解く為に勉強されている事は理解します。
しかし、誰かに屈辱されても、カっとなっても、殆どの人が怒りを堪えたり飲み込んだりして我慢出来るのが普通なのです。
抑え込む事が出来ず
誰でもいいから殺してやろう
などと言う結論に辿り着くなんて人間は、完全に狂っているとしか言いようがない。

そして、そんな狂った人間の心理状態を
「あぁ、なるほどね~。 わかるわかる、その気持ち」
と理解出来るとしたら、その時点でその人も狂っているのではないかと思うのです。
極論でしょうけどね。

話がちょっと逸れましたが、とにかく本編の鬼畜カップルの所業は、全く理解する事も、無論同情する事も出来ず、読者はただひたすらに腸を煮えくり返らせつつ、鈍痛をともなった様な憤りをのみ込み続けるしかありません。
というか、ケッチャッムが何を思ってこんな胸クソの悪い(言葉が汚くてすみません)小説を書いたのか、理解に苦しみます。
なんでもご本人曰く「これまでに書いたうちでもっとも不快な作品」との事なのですがだったら無理に書かんでもええんやで!なぁケッチャムさんよ!

今度ケッチャムさんに会ったら、そこらへんを小一時間問い詰めたい気持ちでいっぱいです。
ある意味、「隣の家の少女」を越えたような気がする、最低小説だと思いました。

しかし、一番反吐が出そうなのは、 こういう犯罪者は、現実にバッチリ存在する。 という点なのですけどね。




・「川を渡って」
1848年・アリゾナ。
貧困者層の家庭から女子供を奪っては、人身売買を繰り返す鬼畜ども。
命からがらその巣窟から脱出を計り、奇跡的に助けられたメキシコ人の若き女性。
彼女を救った凄腕のガンマンたちは、まだ捕らえられているままの妹を救出に向う彼女を、援護する事を決意する。
たとえそこに、生きても戻れる可能性が見出せなかったとしても・・・。


ああ・・・! 漢(おとこ)臭い!!・゚・(´Д⊂)・゚・(←褒め言葉)

3本目の鬼畜カップルに続き、またもや登場するは鬼畜一族。
見てくれからして、マクベスの荒野の魔女の遠慮がないバージョンみたいな老女3人組と、その手下のムサい野郎ども。
ホントきらい! (←小学生の感想かよ)

アガサが世の中で最も許せない犯罪に、性犯罪というものがあります。
見も蓋もない書き方をすると、ずばり“レイプ”ってやつですね。
やっている事は、殺人と同じくらい非道い事なのに、軽犯罪として扱われるトコが特に許せません。
もうアレですね、世の中の性犯罪者は、みんな去勢でいいと思いますよ。
あと、映像としてそういう内容のモノを楽しむ人も信じられませんし、アダルティな夜のお供として陵辱モノとかを選ぶ人も、この際思い切って去勢でいいと思います。

・・・ええ、ちょっと眠いので発言が極端ですね。仰るとおりです。
あと、「切株」とか「臓物バシャー」とか言ってるヤツに言われたかねぇよ!ですよね、わかります。

でも、やはり許せません。
女を、人を、人として扱う事なく踏みにじり、体だけでなく心までも深く傷付け、精神的に殺してしまうも同然のこの犯罪は、どんな媒体で描かれるにせよ、全く同調できる事のない(できたら問題か)胸のムカつく最低の行為だと思うのです。

で、本編でもこの鬼畜一族の蛮行が延々と描かれる訳ですが、その殆どがレイプとなっており、またもやアガサの怒り爆発。
バーカ! ケッチャムのバーカ! (←小学生並の感想・その2)

しかし、これまた今までのケッチャム作品とは異なり、本作ではそんな胃もたれ必至のゲス野郎どもに正義の鉄槌を下す漢(おとこ)どもが登場!

明らかにもやしっ子臭のたちこめる新聞記者と、彼が同行する事になった鋼のガンマンたち。
多くを語らず、しかし多くの武勇伝をもつ漢どもが、命を散らすに等しい行為に挑もうとしていた女を助け、たった3人で邪悪な巣窟に殴りこむ姿のなんと気高き事か・・・!
痺れるったらありません!

もちろんケッチャムですから、そこにハッピーエンドなどは用意されてはおりません。
胸がすく様な思いにもほど遠い、激しい痛みを伴う報復劇があるだけです。
しかし、ケッチャムが描くむせ返る様な漢(おとこ)臭は、そこに至るまでの鬼畜な蛮行を覆い尽くし、読後にほんのちょっとだけの救いを感じさせてくれるに違いないでしょう。

これは紛う事なき傑作です!

読み終わったら、みんなで大いに漢(おとこ)泣きしようではありませんか!





あぁ・・・長い。 (※読感)
それにしても、今月の更新回数は絶望的ですね。
「すきなものだけでいいです」、存続の危機なのかもしれません。

・・・がんばります (;´・ω・)ゝ
あと、コメントのお返しも遅くなってしまい、どうも申し訳ありません。
・・・ホントすみません・゜・(つД`)・゜・

宜しかったら、気長に見守って頂けると小嬉しいアガサでございます。


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「B型自分の説明書」 ですってよ、奥さん!

2008年03月24日
何を隠そう、血液型はB型のアガサです。(隠してはないか)

B型といえば「自由奔放」「我儘」「気紛れ」「気分屋」などなど、顰蹙をかう血液型の代名詞的ポジションらしいですし、実際アガサも何度それ系の責め言葉を受けたか判らないのですが、実を言うとそんな責め苦にもあまり動じていないのも事実だったりします。

どんなに責められても動じない。 と言うか、関心がない。
「そんなん言われてもBなんだしなぁ」としか思えない。
で、最終的には右から左へ・・・。

それこそがB型の特徴だ。 と、また言われそうなのですが、だって血液型なんて変えられないし・・ねぇ・・。
合う人は合う、合わない人は回れ右してみてはいかがでしょうか。
と、思ってしまう私を許してください。(←と言いながらあまり罪の意識も無い)

で、なんとそんな我が道を行く事こそ我が使命なB型の説明書があるそうなのですね。


21yLlogKmSL.jpg 「B型自分の説明書」 Jamais Jamais著 文芸社刊


お友達からその存在を聞いて、近くの書店を探してみたのですがみつからず、とりあえず密林の「なか見!検索」機能でチラ見してみました。

↓中身抜粋↓
● 楽天的と言われるけど、実は結構考えている。
● だけど楽天的な時もある。
● 根暗だ。
● 集団行動の中で一人だけフラフラ散歩したりする。
● 時には人生まで賭ける。
● 「変」て言われるとなんだか嬉しい。
● 気になると即行動。
● その時の行動力は凄まじい。
● だけど、興味無いとどーでもいい。
● 人と同じは嫌。絶対。
● 口べた。
● 人に全てを明かさない事を、こっそり楽しむ。

・・・どこから見てたんスか?!Σ(゚□゚;)

古くは小学生の頃から、「カワイイね」と言われるより「お前って変なヤツ」と言われる事の方に悦びを感じていたアガサを、その人生を、どこかで誰かが覗き見ていたに違いない!
そうか、この前スーパーでこっちを見ていた怪しいおっちゃんが、このJamais Jamaisとか言う著者だったんだな!
あやつめぇ~ヾ(*`Д´*)ノ" (※それはない)

とにかく、導入部に書いてあることの全てが思い当たる事ばかり。
「血液型診断」とか「血液型うらない」関係に全く興味が無いアガサなのですが、この本に関してはムチ打ちになりそうな位頷いてしまいましたねぇ。
自分の全てを見せ付けられたような気持ちになった 「B型自分の説明書」 。
自分の周りに、どうしてもつかみ所がないB型さんがいらっしゃるそこのあなた!
まずはこの本を一読されてはいかがでしょうか。
そうすればきっと次の日から、あなたはB型の全てを知る事となる・・・んじゃないですか、わかりませんけど。

あと、心底ビックリした記述がもう一つ。

● 歩いているとき、道のでっぱりに上る。

やっぱ見られてた━━━っっ!!∑(`□´;)/

うーん・・・、私も買おうかな・・この本。
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