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その黒は絶望の色。「黒の女王」読感

2010年12月21日
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あらすじ・・・
自らが果たせなかった“オリンピックで金メダル”という夢を、幼い一人娘に託した父親。
が、しかし、その夢は娘にとってあまりに大きく、重い枷となって、彼女の心を蝕んで行く。
金メダルをとる。 世界一強くなる。 その事に囚われて暴走する父親と、狂気にとり憑かれた娘。
その背中に、絶望の女王の黒い影が浮かぶ・・・。



超人気ブログ・俺の邪悪なメモの管理人である罪山罰太郎さんが、物語の前半(1~4話まで)をWEBで、後半(5~8話)を含めた完全版を書籍で、という面白い形で発表された猛毒漫画「黒の女王」を拝読させて頂きました。
「邪悪なメモ」という物騒な名前にも関わらず、非常に真面目な記事を沢山書いていらっしゃる(中にはとんでもないへんたい記事もありますが)罪山さんの作品、ということで、勝手に「きっと最後は胸にグっとくるオチが待ち受けているに違いない」と思い込んでいたアガサ。
WEBで公開されていた前半部分に、ちょっと自分の中で受け入れられない描写(※)があったりしたものの、ストーリー自体に興味を惹かれていましたので、迷う事無く書籍版を購入するに至ったのですが、読み終わった瞬間、あまりの救いのなさに「woo・・・」と声が漏れてしまいました。


巻末に載せられた罪山さんのあとがきによると、本作の構想は「子どもを授かったことをきっかけに生まれた」とのこと。
親が子どもに対して持つ力、その力に対する不安、みたいなモノから、本作のエゴ丸出しなモンスターオヤジは生まれたのかもしれません。

不安。  
たしかに、子どもを授かった瞬間から、親の心の中には“一生一緒にいてくれや”とばかりに不安がどっかりと腰を下ろしてしまうような気がします。

ニュースでよく見る「うちの子にかぎって・・」という決まり文句に「そんな訳ないでしょ、親なんだから兆候くらい気付くでしょ」と言い放っていた自分が、同じように「親なんだから」と言われる立場に立ってしまったんだという不安。
自分が正しいと思って教えた事は、本当に子どもの将来にプラスになるのか? 
自分が何気なく発した一言は、子どもにどれだけの影響を与えてしまうのか?
もがけばもがくほど沈んで行く不安の底なし沼。
ヤだよ。 あっちいけよ。 自分が“正しい”と信じるやり方で子育て頑張るから、“不安”とかもうあっち行っちゃえよ。
いくらそんな風に強がって追い出そうとしても、一向に消えないどころか卑屈な笑みを浮かべてこちらを見ている“不安”。 
「ほほう、そんな風にキーキー怒っちゃうの? 真似して子どもが周りに当り散らすようにならないのかね?」「あ、今こどもの話を「忙しいから後で」って無下に中断させたね?いいのかなー?心が寂しい子どもになっちゃってもいいのかなー?」と、何かにつけて自分自身を落っことそう落っことそうとする“不安”。

周りから全く影響を受けずに大人になる人など存在し得ない。
誰だって、何かを見聞きすることで、自分だけの価値観や目的を持つようになる。 そして、そこに至るまでで一番大きな影響力を持つのは、一番ちいさな頃から一番身近にいる大人。
その力の圧倒的な大きさに気付くからこそ、子を授かった人は不安になる。

でもね、それでいいんだと思うのですよ。 不安なままでいい。 常に暗中模索しながら子育てすればいい。
“不安”とお別れできないというコトは、「こうすれば絶対IQ180の天才児になりまっせ!」「アレとコレとソレを食べさせてればアレルギーも病気も絶対治りまっせ!」みたいに垂れ流されてくる戯言が、嘘っぱちだと見抜いているというコトだから。
あと、根拠のない自信に支えられた歪んだ価値観を、まっさらな子どもに押し付けるような事もないってコトだから。

本作のもう一人の主役とも言える、ガイキチな父親は、まさにこの“歪んだ価値観”の塊のような人間だった為、娘の光ちゃんもどんどん狂った世界に脚をつっこんでしまうコトになってしまいます。
強ければいい。 弱い者は淘汰される世の中だから、とにかく強くさえあればいい。
光ちゃん自身の意思など、車のヘッドライトに張り付いた虫の残骸くらい取るに足らないものとして見捨てられる、絶望の世界。
そして、光ちゃんは、その世界で死なず、ひたすら生き残る為に、自分の中の“黒の女王”を呼び出す。
無情に力を揮うことが出来る女王を。 絶望の中でも生きてゆける女王を。

こんな哀しい親子関係があってもいいのだろうか。 子を守るのが親の役目なのに。逆に子を地獄に叩き落すだなんて。
WEBで先に公開されていた前半部分でも、この光ちゃんの地獄行脚の模様は克明に描かれており、かなりイヤな後味を与えてくれていたのですが、なんとか後半部分で父親に対する報復攻撃がなされるものと思い込んで堪えていました。
悪い親父がギッタンギッタンにやられるトコロを見れば、きっと溜飲が下がるはずだ。
悪をもって悪を制してもなんの解決にもならない事はわかっているけれど、とりあえずこの胸のモヤモヤは晴れるだろう、と祈るような気持ちで読み進めていました。
ところがクライマックスに待ち受けているのは、予想の斜め上をゆく壮絶な結末だったのです。
そこには一片の爽快感もない。 
底なしの狂気と果てしない絶望。

そして実は、本作は親子関係からさらに深く進んで、人間という存在そのものにまで踏み込んできてしまいます。
“自由”を人は欲しがるけれど、その“自由”の先にあるものってなんなのだろう。
“何ものにも縛られず、思い通りに生きたい”ということは、「欲しいものを全て手に入れること」なのか?「行きたい場所にいつでも行けること」なのか?「食べたいものを何でも食べること」なのか?「ヤりたい時に誰とでもヤること」なのか?
“自由”を手に入れる事を願ってはいるけれど、いざ手に入れたトコロで結局人はみな、その先にある“欲”に飼われているだけなんじゃないか。

そんな、底なしの絶望を見せつける本作のクライマックスは、ほんとにもうどうしようもなく救いがなく、まぁね、それはそうなのかもしれないけれど、いや実際のトコロそうなのかもしれないけれど、それはホラ、欲というよりかは本能というか生きる原動力というかなんというかかんというかうわああんなんかヤダようヤダようそんなんじゃないんだよう!!!って叫びだしたくなるようなモヤモヤに満ちています。

でも本作のこれは、決して厭世観丸出しな意味で締めくくられているのではないと思うのですよね。
欲を持つこと自体は決して“悪”ではないと思いますし、生きる希望に繋がるコトも多い。
肝心なのは、欲に支配されちゃいけないんだよ、というコトなんじゃないかと。
“自由”というのは、心の中の状態を指すんだと思うから。
本作が示すラストに、真っ向から「そんなことないから!」と言えるよう、自由であろう。自由である為に闘おう、世の中のあれやこれやと。 そう語りかけられているような気がしてなりませんでした。 

ま、と言っても後味が抜群に悪いことには間違いないのですけどね。  


あと、本作の父娘の姿は極端な例ですが、こういう“狂った親子関係”というのは、実際に存在するのですよね。
“狂った”までは行かないにしても、もしかしたら親自身も気付かないうちに、よかれと思っているままに子どもの人生を誘導してしまったり決め付けてしまったりしている事って、そこいらじゅうにあると思うのですよ。
だからちょっとね、読み終わった直後は言葉が出ませんでした。
見たくないものを見せ付けられて、苦虫を噛み潰しながらせいぜい「woo・・・」って言うしかありませんでした。  
邪悪! この本、邪悪!!

大人が子どもに与える影響は、命が続いて行く限り永遠に途切れない。 
多かれ少なかれ、姿かたちを変え受け継がれて行く。
だから、不安なままでいいから、子どもと真剣に向き合って、間違ったことを言ってしまったと感じたら素直に謝って、一緒に成長してゆきたいものですね。
教育も恋愛も、あんまり押し付けてばっかだと嫌われちゃうゾ!テヘ!!(←いきおいでなんとかまとめようとした例)(←どうやら失敗)

しつこいようですが、読後の気分は決して爽快ではありませんし、過激な描写も少なくありません。
とんでもない毒をはらんだ作品なのではないかと思います。
なので、全力でおすすめはしません。(あと、我が家では子どもの目の届かない場所にしまってあります)
ただ、アガサは読んでよかったと思っています。
「隣の家の少女」(※2)も読んでよかったと思うし、「ベニーズ・ビデオ」も観てよかったと思う。そして、「黒の女王」も読んでよかった。


罪山さんの次回作が、非常に楽しみです。



(※)第2話に登場する、小学生時代の光ちゃんの性的体験シーン。とにかくアガサには受け付けられませんでした。娘を持つ親だからとかそういうのとは関係なく、昔から苦手なのです。  ま、自分自身はどうだったのかというと、バッチリ小学生低学年の頃にはエロいコト考え始めていたんですけどね!しょうがないさ、にんげんだもの!


(※2)「隣の家の少女」と「ベニーズ・ビデオ」と「黒の女王」が同じ話だとかそういう意味ではありません。念の為。)



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「ダブル」 男と女たちの挽歌。 

2010年09月28日
ダブル2


あらすじ・・・
刈田誠次は苛立っていた。
幼い頃母親に見捨てられて以来、壮絶な人生を歩んできた誠次と弟の武彦は、マフィア組織の中に入り、すご腕の人殺しとして頭角を現してきたのだが、最近その武彦の様子がおかしいのだ。
マフィアが扱う新型ドラッグにはまっているのではないか・・? 
だが、それは“ドラッグ禁止”を掲げる組織の掟に背く事であり、すなわち処刑の対象となる事を意味していた。
「思い違いであって欲しい・・・」 
そう願いつつ、武彦のマンションを捜索する誠次。

その頃武彦は、限界を感じていた。
自分の命を、人生を救ってくれた兄・誠次に誘われるがまま組織に入ったものの、殺しの仕事は自らの心を蝕んで行くばかり。
何かにすがりたくて、それが自分の死刑宣告に繋がっている事を知りつつ手を出したドラッグも、何の助けにもなってくれなかった。
自分達に殺しのスキルを授けてくれた恩人を、裏切り者として処刑した事が、さらに武彦の精神をボロボロにした。
「もう無理だ・・・」
そう思いつつ、絶望を振り払うかのように、“これで最後”と自分に言い聞かせながらドラッグを飲み干す武彦。

兄弟が苦悩している頃、組織のボス・神宮は高揚していた。
これから起こりうる展開は、自分の命をも脅かす事になるかもしれない。
その事を考えるだけで、興奮に打ち震えそうになる。
人生は最悪なほど素晴らしい。
常に破壊と流血を求めてしまう自分に誇りを持ち、神宮は一本の電話をかける。
「誠次と武彦を連れて来い」
そう口にしながら、唇の端が上がるのを感じる神宮。

血と銃弾に彩られた男たちの戦いが今、始まろうとしている。


「ダブル」おもしろいよ!さいこうだよ! 2バーイ!2バーイだよ!!(何がだよ)

深町秋生先生の最新刊「ダブル」は危険ですよ。
家事をする時間も寝る時間も奪って行きますから。
お陰で我が家はさながらゴミ箱の様相を呈していますが、悪いのはオレじゃない!「ダブル」が悪いんだ! そういうコトでお願いします!!

新型ドラッグを扱う巨大組織の用心棒(武力交渉担当)として存分に実力を発揮していた兄が、うっかりクスリに手を出してしまった弟を始末され、自らも瀕死の重症を負わされて海に落ちてしまうまでの導入部がまず素晴らしく、兄弟の悲惨な生い立ち、それによって兄がどのように精神を病んでいるか、弟がどれだけ兄を慕っているか、兄が弟にどんな複雑な想いを抱いているか、その他、組織のメンバーの人となり等がすんなりと頭に入って行きます。
そしてそこから、警察と協力し合い、容姿も声もガラリと変えて組織にオトシマエをつけに行く兄・誠次の壮絶な復讐劇が始まる・・と思いきや、そんな“ダークヒーロー誕生”的な簡単な話ではないのですよね。
兄は決してスーパーマンなどではなく、血の通った一人の人間。
ゆえに、物凄くうっかりしている。 もう、読んでいて「くおら~!!もっと気をつけなきゃらめれしょ~!!」と萌え妹キャラで責め立てたくなってしまいます。 ゴメン、萌え妹じゃなくてもよかった。以降気をつける。
この脇の甘さが、ハラハラドキドキ感を“これでもか”と煽り、ページをめくる手に加速がかかってしょうがない。

それに、兄はもともと組織に忠誠を誓っていた。 というか、組織での仕事に生きがいを感じていた。 なので、古巣に潜り込んで疑われない様仕事をしているうちに、どんどんその魅力に引き込まれてしまうのですよ。
「弟を殺したヤツを八つ裂きにしたい」という怒りと、「みんなと一緒に行き着くとこまで行ってしまいたい」という破滅願望。
その狭間で揺れ動く兄の姿に、気付くと同調してしまっている自分(読者)。
破壊の美しさに、人の命がいとも簡単に奪われて行くという凄惨な現場に、魅力を感じてしまっている・・・?
ああこわい。 深町先生の筆力がこわい。
ちがうちがう、アガサが暴力だいすきっ子なんじゃなくて、ぜんぶ深町先生の表現力がわるいんですよ。 ホンマ、わるいお人やで~! そういうコトでお願いします!!

まぁでもね。 人間は誰しも、そういう2面性というか、相反した部分を持っているのですよね。
おぞましいと思いながらも、目を背けることが出来ない。
いけない事だと主張しながらも、別の立場になればいとも必要な事だと主張する。
殺し合いはいけないと思うけれど、“復讐”という大義名分をかざされると応援したくなる。
暴力を嫌い、暴力に酔いしれる。
読者のそんなダブルな部分をも曝け出してしまう本書は、とても危険で、とても魅力的で、とても悲惨で、とても甘美な傑作だと思います。

未読の方は書店へ急げ!


-追記-

と、これだけだと、「男臭(おとこしゅう)立ち込めるマッスルヒートなヤクザ小説なのかしら」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、本書に登場する女性刑事がこれまた超絶にかっこいいのですよね。
一命を取り留めた兄に接触を図るのですが、彼女が心に宿す憤怒の炎といったら、兄のそれに比べてもまったく引けを取らない程の業火レベルの炎なのです。
自分の命など消しゴムのカスほどの重みも感じていない。 その命は、ただひたすら、大切なひとの仇をとる為だけに存在する。 その為なら、どんな痛みにも耐えてみせる。 
そんな女刑事が、ただの“協力者”という賑やかし要員的な役割ではなく、丁寧に、想いを込めて描かれているトコロが、なんというか、とてもフェアでいいと思いました。 (←自分の気持ちを表すいい言葉が浮かばなくてアレなんですが、とにかく抜群にかっこいいというコトです!)

というわけで、女性の皆さんも是非!


-追記・2-(ネタバレにつき反転)

ちょwwww神宮wwwおまwwwwwwww


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「ラブリー・ボーン」 今、そこにある天国。(読感)

2010年02月27日
ええと、映画の方はいまひとつ乗り切れなかったのですが、いちおう比較と好奇心と出来心の為に原作も読んでみました。


ラブリー
【アリス・シーボルト さく、 イシイシノブ やく 】


一気に読みきってしまいましたよ!
なんだこりゃ。すごい読みやすいじゃないか。遠足のお供にぴったりですね!(アガサは今回の旅行中に読みました)
ただしかし、内容はちっとも遠足気分にマッチしませんが。


くわしいあらすじは映画の感想で。


まず、原作と構成が全く違っていてビックリしました。
映画をがっつりと盛り上げていたサスペンス要素は完全に鳴りを潜め、ひたすら淡々と綴られていくのは、現世の人々を見守るヒロイン・スージーの心模様。
ほとんど動揺する事もなく、まさしく第三者の視線で描かれる、スージーの死後の世界。
映画版では効果的に挟み込まれていた事件の数々(ボトルシップ割り、ハーヴェイとスージー父のテント作り、トウモロコシ畑での死闘など)も、かなり早い段階でサラリと語られていましたので、改めて映画版のまとめ方の上手さを痛感しました。

それから、酷い犯罪を行う中年男・ハーヴェイの印象も随分違っていました。
映画版では「異常性と正常性の間で若干の戸惑いも感じている中年男」という感じだったのですが、原作では完璧な異常者なのですよね。
生い立ちも少しだけ描かれているのですが、その不幸さ加減もかすむ程の異常っぷりです。
常に、か弱い女の子の甘美な味を求め、胸の内で舌なめずりをしているような、おぞましい変態男。それが原作でのハーヴェイ。
これはヤだなぁ。 トゥッチさんくらいの程よい変態の方が、身近に感じられていい。(変態が身近という言い方もヘンですが)


そして、一番違っていたのは、スージーの母・アビゲイルについて。
映画の中で、いきなり心の旅に出掛けてしまっていたアビゲイルに対し、かなりの違和感を覚えてしまったアガサなのですが、原作ではこのアビゲイルの人となりが、かなり鮮明に、痛々しいほどにリアルな感情で以って描かれていました。

映画版の冒頭でも、スージーの妊娠を知ったアビゲイルが、育児本を読み漁るシーンが映しこまれており、アガサはそれを観て、“アビゲイルという女性は何でも完璧さを求めてしまう人なんだろうなぁ”と思っていたのですが、実はアビゲイルは元々とても学のある女性だったのですね。

英語の修士号を持っていて、ゆくゆくは教師になる事も考えていた。
自分の力を知っていた女性。
自分の力を信じていた女性。

しかし、スージーとリンジーという年子の姉妹を育て上げながら、自分の力を再び解放する日を楽しみにしていた女性のもとに突然訪れたのは、新たな命の芽生えだったのです。

アビゲイルはきっと、目の前に「試合終了」と書かれた横断幕が垂れ下がったような気持ちになった事でしょうね。
そして、気持ちを無理やり切り替えて、ジェイムズ・ジョイスの分厚い本を育児書に持ち替えた。
あの育児書は、夢と希望と理想に包まれていたのではなかったのです。
後悔と、諦観と、少しばかりの失望に包まれていたのです。


そんなアビゲイルが、まだ純粋に誕生を願って、祝福して、人生の輝かしいスタートと思えていた頃生まれた第一子のスージーが、ある日突然この世から消えてしまった。
ほんの一部分を覗いて、体の大部分は見つからない。
「死んだ」と断定されているけれど、ハッキリとした確証もない。
ただとにかく、二度と戻ってこない。
このスージーの理不尽な消失によって、アビゲイルは自分の人生そのものを全否定された様な気持ちになったのではないでしょうか。
言い方は不謹慎ですが、もしこれが3番目に想定外に出来てしまった末息子だったなら、アビゲイルはここまで壊れてしまわなかったのではないか、と思います。
自分の人生をコントロールしてきた女性が、その操縦桿を無遠慮な第三者によって奪われてしまった時、その人生は果たしてどうなってしまうのか。
勿論、そこに待っているのは、見るも無残な迷走飛行でしょう。

その後のアビゲイルがとった行動は、全く以って感心できた行いではありません。

ひたすらに真犯人探しにのめり込む夫や、心に蓋をして挑戦的な態度をとる次女に囲まれ、母性を繋ぎ止めて置くことが出来なかったのも想像に容易い。
何か、どこか、自分でいられる所が欲しくて、いいとか悪いとかそういうのも全部関係なく、どぼーんと飛び込んでしまいたくなったのだと思う。きっと。

しかし、だからといって、大怪我をした夫が眠る病院の物陰で、別の男性に身を委ねるのはホント如何なものかと。
わかった、と。
百歩譲って現実逃避したくなるのはいいとしよう、ただ、別の場所でやれよ、と。
自分がされていやな事は、人にもしちゃダメって先生に言われませんでしたか、と。

なんや、もしかして例のあれ系か! 魔性のおんな系なのか!! 

怖いのう! 魔性のおんなはまっこと怖いのう!!



そして、映画ではかなり早めだったアビゲイルの遁走そのものも、原作ではかなり遅めとなっております。
つまり、残された家族を襲う、様々な事柄が全て終わった後での遁走。
驚くべきことに、勇敢な妹が、恐ろしい犯人の家から証拠品を盗んで帰った時も、アビゲイルはその紙を見ようともしないのです。
もうこの時点で、アビゲイルの心はサーモン家からの離脱を始めていたのかもしれませんね。
なんという哀しい女。


ごくごく幸せに生きていた一家を突如襲う不幸な出来事に対し、誰もが誰も、一致団結して立ち向かっていける訳では無いと思います。
子はかすがいと言いますが、苦難はかすがいにならない場合も多々あるのです。
ですから、アビゲイルのような反応をしてしまう人を責める事は出来ませんし、彼女には彼女なりの傷の癒し方、人生の立ち直し方があるのだとは思います。

でも、出来ればその時、怒りを感じて欲しかった。
同じ母として、女性として、守るものを持つ親として、アビゲイルにたぎるような怒りを感じて欲しかった。
その怒りを燃料に、操縦桿を無くしてもなお飛び続けて欲しかったのです。
だってまだ、彼女には大切な子供が2人も残っていたのだから。



それと、アガサが映画を観て感じていた違和感の正体を、原作を読んでいて見つけたような気がしたのですが、それがこの一文。

「私の死が生み出した出来事の数々はただ単にいくつかの骨だったのかもしれない。 それはいつの日か、いつかは全く予想ができないけれど、完全な身体になっていくのかもしれない。 そんな奇跡のような身体になって、わたしは何かを理解する。そのために支払った対価がわたしの命だったということだったのだろう
(「ラブリー・ボーン」より。 太字はアガサによる強調)

言いたい事はわかるけど、そのために支払った対価ってトコだけは納得いかねえな!
命が喪われてしまってから、それをなんとか乗り越えて、結果その先に奇跡のような骨の集合体(改めて結ばれた新たな家族の形)が完成するんでしょ。
なんかこれだと、「殺されちゃうけど、崇高な魂になる為の過程だから気にすんなよ」みたいに感じてしまうんだけど。(※かなり意訳だという事はわかってますよ)
だいたい、「死を恐れるな」みたいな事が言いたいのはわかるけど、だからって何も悪いことしてない14歳の女の子が変態に嬲り殺しにされるいわれはないと思う。
気にするよ! その死に方だと気にしちゃうって!絶対!!

こういうやけに清清しいところ、前向きなところが、アガサの肌に合わないんですよね。
まぁ、こういう考え方もあるんだなぁ、という事で。


他にも、“天国”の描き方もかなり映画とは違っていたのですが、“文字”と“映像”という異なる表現方法の差をよく感じる事が出来て、とても面白かったです。
原作ではほとんど現世と変わらなかったりもするんですよね。
あと、映画の中で異質だった「アイドル雑誌の表紙を飾るシーン」が、原作にもあるシーンだったり・・・。意外!

人にはみんなそれぞれ違う“天国”があるという点では同じなのですけどね。


そうだなぁ。
私だったら、どんな天国を願うだろうか。


あったかくて、
パソコンが使えて、
映画が観られて、
ゾンビや切株の話が出来るお友達がいて、
かわいい子供たちや家族がいて、
ときどき涙がでたり、
でも笑顔でいられるような場所。


そうか。

今いるここが、わたしにとって天国なのかもしれないな。


と言う訳で、みなさんも、いつまでも末永く、お幸せに。


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信用します! 「Bootleg」感想

2010年01月09日
映画ブログをやっていると、一度は必ず訪れる場所がある。(と思う)

それは、“はてなブログ”である。

映画の感想を書いていると、当然の事ながら他の方の感想や評価も気になるもので、かくいうアガサも映画を観る度あちこちうろついていたのですが、数年前偶然辿り着いたのが“はてなブログ”の「ゾンビ、カンフー、ロックンロール」様
含蓄に富み、文章のリズムが心地よく、程よい毒を孕んでいたそのレビューは、今まで読んできたどんな“映画レビュー”とも違い、アガサはいっぺんにブログの管理人であるsamurai_kung_fuさんの虜になってしまったのでした。
で、その日から、アガサがはてなブログを読み漁る日々が始まり、他のはてなーの方も恐ろしいほど魅力的なレビュー(や記事)を書かれている事を知り、当然の流れで“はてなブログ”をいうモノに対しほのかな憧れを抱くようになったのでしたが、実は同時に、どこか怖さみたいなものも感じてしまったのでした。

なんというか、「頑固親父がいる激うまラーメン店」というか「いちげんさんお断りの名店」というか・・・。
コメントしてみたいんだけど、どうしても怖くて書き込めないオーラが、“はてなブログ”や“はてなー”の皆様にはあったのです。

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(※参考:アガサの中の“はてなー”の皆様イメージ。 声掛けるとか絶対ムリだから!)


ところが、一昨年から始めたtwitterのお陰でそんな状況は一変しました。
“フォロー機能”という人見知り克服ボタンにより、なんと憧れだった“はてな一族”の方々と交流を持つ事が出来、しかも昨年東京に行った際には一緒にお酒を飲んだくれる席まで、ご一緒する事が出来たのです! 

あたし、間違ってた! 
“はてなー”のみなさんって、ホントはとっても気さくで話やすい方々だったのね!


ま、結局今でも、全ての“はてなー”の方にガッツンガッツン話しかけれるような心臓は持っていないんですけども。


そして、ある秋の日。
長年憧れ続けてきた“華麗なるはてなブロガー”の方々が一堂に介し、映画評論本を作られるという情報が、アガサのもとに飛び込んできたのです。
おいかあさん!どうやら盆と正月が一度に来たらしいぞ!

で、なんとか東京在住のお知り合いの方にお願いして送って貰ったブツがこちら。
はい、映画評の玉手箱・bootleg、ドーン!

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薄(うす) っ ! !(←アガサの第一印象)


いえね、完全にアガサの思い込みだったのですけどね、てっきり映画秘宝の別冊ムックくらいの厚みがあると思っていたのですよ。 へたしたら秘宝本体くらいの版で。
普通に考えれば、フリマで売る本がそんな本気の商業誌みたいなサイズな訳ないのですけどね。
ただ、それくらい期待が高かったというか、第一報を知った時から続いていたワクテカ気分がマジ半端なかったというか・・・。

ではここで、文学フリマに出品されたと同時にバカ売れし、僅か一時間ほどで完売してしまった事がアメーバニュースにも取り上げられたという超人気同人誌、「Bootleg」の中身をちょこっとご紹介。

■ 侍功夫(ブログ「ゾンビ、カンフー、ロックンロール」)さん

「ハートウォーミング?ナニそれ喰えんの?~ロバート・ゼメキス~」
・・・『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で一躍ヒットメイカーとなり、『フォレスト・ガンプ』でアカデミー作品賞をかっさらっていったロバート・ゼメキス監督のフィルモグラフィを、わかりやすく解説。
『BTTF』が当初、エリック・ストルツ主演で進んでいた事は聞いたことがありましたが、その裏にこんな事実が隠されていたとは・・・。
当時の事がとても詳しく解説されていて、ゼメキス監督の心の声まで書き込まれた記事は、本当に面白くて貪るように読んでしまいました。

これ、是非ゼメキス監督に英訳したもの送ってあげたいなぁ。
「YOUはとっても鋭いトコ突いてくるアルネ!」って言っちゃうんじゃなかろうか。
すみません、「アルネ」はうそ。

欲を言えば、この倍くらい長くてもよかったと思います。
とにかくページが終わってしまうのが歯がゆかった。

「王と神に戦いを挑んだ男たち~ジャッキー・チェンとハロルド・ロイド~」
・・・喜劇の王・チャップリンと、アクションの神・ブルース・リーと比較される事を運命付けられた2人の天才の軌跡をざっくり解説。
「あー、確かにジャッキーさんの、ぽかぽかと晴れた渡ったような明るさと底抜けな強さは、子供ながら無条件で惹きつけられてたなぁ」と、小学生の頃に観た金曜ロードショーに思いを馳せてしまいました。
あと、アガサも、酔拳のマネした事ない男子は信用できません。


■ とみさわ昭仁(ライター、蒐集家、ブログ「人喰い映画祭」)さん

「ジョーズは全部見ろ!ブロディ一家を執拗に追い続けるジョーズ軍団」
・・・『ジョーズ』シリーズ皆勤賞の警察署長一家ブロディさんちを壮大に解説。
『ジョーズ』は全部観たはずなのに、「はいはい、こんな内容だった!」と言えない自分にもどかしさ百倍。
今年中に観直そう。
エコなパッケージに吹きましたww

「スピード見るなら『1』よりも『2』!」
・・・タネも仕掛けもないバスが空を舞うバカ映画『スピード』を激しくdisり、その数倍バカな、ワクワク船上アドベンチャー『スピード2』を猛レコメンド。
どうでもいいのですが、いくら頭をひねっても『2』に関してはTK編曲のテーマ曲くらいしか思い出せないアガサ。
初めてのデートの時、なぜかこのサントラを何度もリピートしていた○○くんは、今どうしているのだろう。


■ 真魚八重子(映画ライター、ブログ「アヌトパンナ・アニルッダ」)さん

「あぁ、そういえば悪くないねと言われ続ける映画監督、カーティス・ハンソンの世界」
・・・まさに「ああ、そういえば」と言ってしまうフィルモグラフィを持つ映画職人・カーティスさんを、作品レビューを交えつつ解説。
『激流』や『ゆりかごを揺らす手』はカーティスさんだったと記憶していたのですが、『L.A.コンフィデンシャル』もそうだったのかぁ。
エルロイさんの名前ばっかりが印象に残ってしまっていました。
未見だった『ワンダーボーイズ』のレビューが秀逸で、これは絶対借りて来ようと心に誓うと共に、こういうレビューが書けるようになりたいものだと、強く思ったのでした。

■ 伊藤聡(ブログ「空中キャンプ」)さん

「十七歳から遠く離れて~ロミーとミッシェルの場合~」
・・・『ロミーとミッシェル』他、さまざまなスクールカースト映画を、愛情あふれる目線で解説。
冒頭の「かましたい」の一言で、読者をあっという間に空中キャンプさんワールドに引き込んでしまうのがさすがですね!

「『ビッグ』で語る非モテ論」
・・・トム・ハンクスが天から与えられし才能「純粋っぽさ」と、その才能をフルに発揮した名作『ビッグ』に関するミニエッセイ。
なぜトム・ハンクス演ずるジョシュは女性の心を掴んだのか? 信頼を勝ち得たのか?
その理由が、空中キャプさん独特の優しい語り口で解説されていきます。
なので、どっちかというと「非モテ論」というより「モテの極意」ですかね。

それにしても、空中キャンプさんって絶対モテてるに違いないので、「非モテ論」とか言われると「いやいやいや!あなたはきっと本当の地獄を知らないハズ!」とつっこみたくなってしまう。
だいたい、どんなに少年のような純粋さを持っていても、相手の望むトコロをハズすコツを心得ていても、見た目がのんちゃん(フットボールアワー)みたいだったら鼻にもかけられないですものね!
地獄の沙汰もビジュアル次第。
結局、男も女もキレイが勝ちってコトか! くそう! ちょっと泣いてくる!

■ 破壊屋(HP「破壊屋」管理人・)さん

「エンドクレジットの世界」
・・・一癖も二癖もある、エンドクレジット総まとめ。
あなたはエンドクレジットを最後まで観ますか?
私は観ます。
その理由には、ギッチョさんがありえない例として書かれている「スタッフに対する礼儀」も含まれて居ます。

・・・と、今までは答えていたのですが、ホントはぶっちゃけ“意地”なんですよね。
ざわざわと席を立つ人たちに対する“意地”。 
あとは“見下し感”。
「おまえらほんとにわかってねえな! 映画ってのは明るくなるまでが映画なんだよ!」という、遠足の日の校長先生のような偉そうな態度をとりたいが為の“意地”。

最近は長いスタッフロールもあるので、正直いうと“意地”と“生理現象的な問題”の狭間で命の危険を感じるコトもしばしばです。

ただ、そういう本音と共に、あの暗闇を「本編のセリフやシーンが脳裏に焼きついているまま過ごす」という行為には、非現実の世界から現実の世界に戻る為の準備期間みたいな意味を感じているので、私にはやっぱり必要不可欠な数分間なのだと思います。

で、そんなひとときを面白おかしく賑やかしてくれるのは大歓迎ですので、このまとめを参考に、じゃんじゃん未見の作品にトライしてみたいものですね!

「リブート!~繰り返される映画たち~」
・・・今までの作品を“無かった事”にして、再起動(リブート)されてきた映画たちを紹介。
『バットマン』や『ハルク』の仕切りなおしは有名ですが、『仁義なき戦い』もそうだったんですね!
観たのが小学生の頃なので、とにかく「こわいおじさんたちが○○○をハサミでちょんぎられてた」くらいの印象しかありませんでした。 あとは金子信雄の小ズルイ親分。
最近はリブートの期間が狭まってきている気がして、なんだか寂しいですね。(アン・リー版ハルク、結構好きだけどなぁ)

次にリブートされるのはジャニーズ版『男はつらいよ』になるのか、興味津々なわし。

■ マトモ亭スロウストン(馬の骨、赤ブログ「マトモ亭 後だしジャンケン連敗録」)さん

「男はつらいよ全48作を全部見たっす」
・・・最初こそ、マトモ亭さんならではのユニークな文体に「男はつらいよ関係ねえwww!」と笑っていたのですが、いつの間にとらやの現実的な経済状態の推察に変わり、そこから、シリーズの真の主人公ともいえる“赤い職工”・博の半生の考察を経て、最後は下ネタに着地するという、完璧かつ読み応えのある良レビューに。
マトモ亭さんはホントはマトモだったんですね!

『男はつらいよ』の大ファンで、シリーズ全作のソフトを持っているうちの父にも読ませてあげた・・いや、やっぱやめとこう。
そんな父に半ば強要されて鑑賞していた幼少時代は、寅さんのことを「大人のクセにメロンくらいで大騒ぎして、みっともないなぁ」と好きになれなかったのですが、案外今見直すと違った印象を持つのかもしれませんね。 バタァ~。

「XXX」(シークレット・コラム)
・・・実はBootlegを手に入れて、一番最初に読んだのがこのコラムだったのでした。
そして、「無理にお願いしてでも買ってよかった!」と実感。
やっぱりマトモ亭さんはおもしろいなぁ!!
もう最後の辺はビックリマークを見ただけで笑ってしまいました。
先生! 突き抜けるってすばらしい事なんですね!!


■ 古澤健(映画監督、ふるにゃん、ブログ「にゃんにゃんゾンビ村」)さん

「80年代のこと」
・・・世紀の大傑作『オトシモノ』の古澤監督が、自らの幼少~青春期と映画との関わりを情感たっぷりに著したエッセイ。
ここに描かれているのは「東京」の事なのですが、昔は岡山にもこんな「東京」があったような気がします。
怪しげで、魅力的で、怖そうで、楽しそうで、美しいものやモンスターが一緒くたに存在していた「東京」。
『ネバーエンディングストーリー』のファルコンが躍る看板と、「人妻の淫らな昼下がり」というエロいフォントと身悶えするおっぱい丸出しの女性のポスターが混在していた、古き良き岡山の中の「東京」。
古澤さんのエッセイを読みながら、そんな「東京」が今は何処にも無いのかもしれないと思い、チリリと胸が痛みました。

「僕に影響を与えなかった映画~ニンジャリアン~」
・・・あったといえばあったけど、特に記憶にも残らない“誰得”映画の中から、『ニンジャリアン』をピックアップ&レビュー。
って、知らねー!!
今ではDVDはもとより、ビデオも出回っていない本作ですので、当然アガサも観た事はありません。
なのになんでだろう。 初めて会った気がしないのですよね。(パッケージに)
きっと昔、まだレンタル店がビデオ一色だった頃、見かけてスルーした事があるのでしょう。
ま、借りないわな、これは。
ninja.jpg
(※参考:『ニンジャリアン』パッケージ。 そこはかとなく漂う地雷臭。)

しかし、古澤さんのレビューを読むと、どうしようもなく観てみたくなるから不思議。
文章の力なのか、それともB級を求める本能なのか・・・。
ま、観ませんけどね、きっと。(機会もないだろうし)


■ 永岡ひとみ(イラスト得意女子、ブログ「とかくめも」)さん

「出張とかくめも~Living in Films~」
・・・濃い執筆物の合間で、一服の清涼剤の如き爽やかさを醸し出す、かわいらしいイラストエッセイ。
「衣・食・住・獣」という4つのキーワードをさまざまな映画のイラストと共に語るページは、シャレオツな女子雑誌の真ん中辺りに挟みこまれていてもおかしくない程読みやすく、穏やかなひとときを与えてくれます。
なんだろう・・ビーバップ・ハイスクールの中のミポリン的な存在とでも言いましょうか。
(真魚八重子さんは宮崎ますみ的イメージ)

全部のコラムの合間にあってもよかった気がします!


上記の読み物の他に、侍さんおすすめの鉄板映画リスト(コメディ・モンスター・アクション・サスペンス)や「見たハズなのに記憶に無い映画たち」(『ショートサーキット2』『プロジェクトX飛べ!バージル』など)のミニコーナーなどがついて、お値段驚きの900円!

や す っ ! !


で、実は本誌には侍さんによる裏話という名の“犯行声明分”もついてきたのですが、それを読んでアガサは先ほどの自分の第一印象を深く恥じ入りました。
この一冊を完成させるまでに、侍さん(と、その他の執筆者の方々)がそれだけ苦労されたか・・・。
簡単に「ひとつの読み物」と思って目にしていたページが、どれだけの文字数とデザインによって構成されているか・・・。

ほんとすみませんでした! 薄(うす)っ!とかナマ言ってすみませんでした!!
そして面白い本をありがとうございました!



今回は買ってきてもらうしかなかったのですが、もしまた次回があるようでしたら、その際はなんとかヘソクリを駆使して、文学フリマに直接お邪魔したいと思います。
ま、怖いので声とか掛けるのはムリなんですけどね!


最後に、その次回発刊時には、新たな執筆者として「俺の邪悪なメモ」の罪山罰太郎さんが加わる可能性が大なのではないか、と予想しつつ、「Bootleg」の感想を終わりたいと思います。

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「粘膜蜥蜴」 今度は戦争だ! (読感)

2009年11月23日
本作を読み終わり、感想を書く為表紙の画像を検索しようとしたアガサ。

「・・・とかげ・・・  ん・・? ・・何蜥蜴だったっけ・・?」

さっき読んだタイトルがもう抜けたアガサ。 さっき泣いたカラスがもう笑った、みたいな?そんなライトな感じ?(どんなだよ)

で、確かドロドロした印象の単語だったよなぁ、と思いつつ「溶解蜥蜴」で検索。
が、それらしいものは何も出てこない。
仕方ないので前作のタイトルで検索。

はい、「溶解人間」ドーン!!

「溶解人間」
掃除夫が街の片隅で見つけたボロきれと得体のしれないドロドロの物体、それこそが「溶解人間」スティーブのなれの果ての姿であった。 路上の汚物がすっかり掃き清められた頃、土星に向け新たな探索船が発進したニュースに世界中は歓声につつまれていたの・・・  (きまぐれムービーシアター様より)



違うよね!ていうか、この光景前も見た!!(←前作の時もタイトル失念して溶解で検索した)

もうねぇ、なんというか、自分の記憶力のふがいなさに絶望ですよね。
いや、傍らにおいてる文庫本見ろよ、って話なんですけどね。

ちなみに前作と本作のタイトルはどちらも「粘膜」。
河童が頑張る「粘膜人間」と、爬虫類人間が頑張る「粘膜蜥蜴」になっております。

そもそも“粘膜”がついてる理由がいまいちわからな・・・  いやなんでもないです。


あらすじ・・・
第壱章 「屍体童子」
庶民の真樹夫と大吉は、大金持ちの雪麻呂の家に招待されてウハウハになるが、ちょっとしたアクシデントで大吉が死亡。
慌てた雪麻呂から「この後始末をしなければお前も殺す」と脅された真樹夫は、牛刀を片手に途方に暮れるが、そこに出兵中の兄・美樹夫の幻が現れ・・・。

第弐章 「蜥蜴地獄」
東南アジアのナムールに駐屯中の美樹夫に、ある重大任務が言い渡される。
それは、軍部にとって大事な金づるである下衆野郎・間宮を、チャラン村まで護衛するという危険な仕事だった。
有能な部下2人と共にジャングルの奥地にあるその村へ向かう美樹夫だったが、反日ゲリラや獰猛な動植物に行く手を阻まれ、やっとの事でたどり着いた村もまた既に、住民すべて皆殺しにされており、その死体は一様に陵辱の跡があったのだった。
そして、その犯人たちが現れたとき、美樹夫は想像を絶する恐怖を味わう事に・・・。

第参章 「童帝戦慄」
雪麻呂は従姉の魅和子を熱烈に愛していた。
魅和子は雪麻呂の人生の全てであり、何としてでもモノにしたいと願っていた。
しかし魅和子は、雪麻呂と同じように求婚してきた雪麻呂の従兄・清輔との間で心を決めかねており、悩んだ末、とうとう2人に最後の手段である「ガチンコ対決」を提案してくる。
つまり、雪麻呂と清輔で正々堂々と戦い、勝った方が魅和子と婚約出来るというのだ。
どんな手を使ってでも、魅和子の愛を勝ち取ろうと画策する雪麻呂と清輔の戦いは熾烈を極め、死人を出しながらもついに雪麻呂に軍配が上がるのだが、そこに意外な人物の横槍が入り・・・。



いろいろと、前作と共通した要素が散りばめられている本作。

第2次大戦っぽい戦争真っ只中のパラレル日本。
巨大な力を持つ性悪な少年。
異形のクリーチャー。
男と逃げた母。
怪しげな幻覚剤。

これらの素材を使って、前作同様、読んでいる人の神経を逆撫でするエグいストーリー展開が、テンポよく描かれます。
が、あまりに強烈だった前作(粘膜人間・感想)の印象が強かったせいか、今回は若干物足りなさを感じてしまいました。

圧倒的存在感とパワーを兼ね備えていた主人公・雷太に比べ、今回の主人公である雪麻呂は、少し小粒というか、小物なんですよね。
もちろん、とてつもなくイライラさせられる良キャラである事は間違いないのです。
政治家や軍部までも言いなりにさせられる様な、強大な権力を持つ父の威光を笠に着て、銃は持つわ、大人をグーパンチするわ、煙草は吸うわ、女は抱くわ、もう我儘し放題の雪麻呂。
12歳のガキのくせに、女中相手に性欲処理とか・・・ もしモモ太(※モモ太=前作に出てきた童貞河童)が聞いたら大変な事になりますよ。
たぶんタコ殴りの刑ですよ。 
もしくは羨まし過ぎて泣いちゃうんじゃないの、と。 
女体欲しさにさめざめ泣く童貞河童・・・うへえ!!(←想像しただけで鬱陶しい)

きちんと叱ってくれる大人がいなかったせいで、他人の気持ちを全く思いやる事の出来ない少年に育った雪麻呂と雷太は、生い立ちまでもが似ているものの、なんでも自分の拳で実際に痛みを伴いながら切り開く雷太に対し、雪麻呂が持っているのはあくまで「権力」なので、手下にやらせるとか、軍部の上層部に手回しするとか、恫喝するとか、とにかく卑怯極まりない。
愛する魅和子の為、ついに自身の拳で戦わざるを得なくなった時も、掴み掛かってきた相手に迷う事無く金的攻撃。
反則じゃん。

いや、命がけの勝負ですから、別に金的でもなんでもいいのですけどね。
終始この調子で卑怯な方法ばかり使うので、雷太に感じた様な魅力は感じられませんでした。
「悪いんだけど、なぜか惹かれる」みたいな。 そういう吸引力は。

この悪童・雪麻呂が同級生相手にかっこつけようとしたせいで、死人が出たり、それが生き返ったりと大騒動が繰り広げられるのが第壱章で、続く第弐章では貧乏な真樹夫の兄・美樹夫が未開の地で命がけの大冒険を体験することに。
この第弐章が実に面白く、強引に植民地化したアジアの田舎を舞台に、まじめな日本兵である美樹夫と彼を振り回す民間人・間宮、そして実直な部下たちの人間模様が、息もつかせぬスピードと適度なグロとをもって描かれてゆきます。
この作者さんは、人間のイヤなトコロを膨らませるのが本当にうまいのですよね。
間宮の下衆さ加減がハンパないお陰で、物語にぐいぐい引き込まれてしまいます。
そして、彼らに襲い掛かる反日ゲリラの姿無き攻撃。
もう、完全に気分はランボーです。

なんとかたどり着いた村での、ヘルビノ(爬虫類人間)との摩訶不思議なやりとりも、「食人族」っぽくて面白かったですねぇ。
因果応報なオチは、ちょっと大人しすぎる気がしましたが。

で、最後の第参章で、ここまでの登場人物が一堂に介し、ドロドロの愛憎劇が展開されるのですが、若干話がまとまりないかなぁ、と。
いろいろ広がった話がどう纏まるのかと、残りのページ数を見ながらハラハラしていたのですが、案の定最後がバタバタになってしまい、そこに至るまでの伏線をきちんと回収し、なおかつ溜飲の下がるオチだったかどうかと言うと、ちょっと肩透かしな感じが否めませんでしました。

(※以下盛大にネタバレ)







クライマックス、美樹夫や爬虫類人間の下男・富蔵を引き連れて、ナムールにあるヘルビノの集落にやってきた雪麻呂が知った、衝撃の真実。
それは、男と駆け落ちしたハズだった雪麻呂のお母さんは、実はマッドな外科医である夫(雪麻呂の父)に捕まり、罰として脳を富蔵に移植されていた!という事。
つまり、富蔵の中身はおかあさんだったのです! 
ま、そいつは確かに衝撃展開だけども!!
「おかあさん」として放った最後の一言で、なぜかしんみりしちゃうけども!!


だけれども、それを踏まえると、今まで読んできた雪麻呂と富蔵との珍妙なやりとりがあまりに無茶苦茶になってしまい、素直に「ほほう!そんな新事実が!」と思えないのですよ。
自分の息子がどこぞの女相手に性欲処理しているのを、枕元でデンデン太鼓を叩いて応援とかしちゃってましたからねぇ。
それも、
「フレフレぼっちゃん! ナイスボーイの憎いやつ! イケイケぼっちゃん!モダンボーイの洒落たやつ!」
くらいの声援ならまだしも
「カチカチ (ピー)! ビンビン (ピー)! 雪麻呂ぼっちゃん日本一!」(※自主規制の為ピー音入り)
て。
で、その後も行為を終えた息子に自信を与える為に、言葉を尽くして息子のムスコを褒め称えるという念の入りよう。
「ぼっちゃんの (ピー) は太くて長くて艶があって最高でやんすよ! (ピー) した時の反り立ち具合なんかも (ピー) で (ピー) に・・」
ってねえよ!!(ノ`Д)ノ:・'∵:.┻┻

もうねぇ、ヤダ!
こんなおかあちゃんヤダ!!

 
いくら諸事情の為、自分の正体を隠して接しているとはいえ、12歳の息子に掛ける言葉じゃないですよね。
おまえ・・、もうちょっと・・ほら・・だから、なんか色々さぁ・・・・まぁ、とにかくちゃんとしろよ!! 
ていうかちゃんとしてあげて!お願い!!


最後まで読んだ後で、もういちどザっと読み直す(おかあちゃんと息子の会話として読む)と、また新たな衝撃が走ること請け合いの、ある意味斬新な小説だったのかもしれません。

うそです。


という事で、先にも書いたように若干物足りなさを感じたり、行間に張り詰める緊張感や勢いもやや弱いような気はしますが、思わず胸焼けを起こしてしまいそうなグロシーンや、全く感情移入出来ないいけ好かない登場人物などが、この作家さん独特の表現によって非常に魅力的に描かれていますので、まぁまぁ楽しめるのではないでしょうか。
前作と比べる事自体、間違っていますしね。(←ここまでの文章を全否定)


とりあえず、デビュー以来2作続けて“少年”を主役に持ってくるという、無類の少年好きな作者さんが、次回でどんな物語を紡ぐのか、非常に気になるトコロであります。
ちがうちがう、ヘンな意味でなくて。

あと、次はどんな粘膜になるのかも気になるトコロであります。

思い切って、「胃粘膜」なんかどうでしょうかね。

うそです。


※ちなみに無事探し当てた画像はこちら
ねんまく
「粘膜!粘膜!」と唱えながら、書店へGO!

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