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『死霊のえじき』

2006年04月30日
ゾンビ界の巨匠、ジョージ・A・ロメロがお届けするゾンビ3部作、いよいよここに完結。
3作目は 『死霊のえじき』です。


それにしても、世のホラー映画に“死霊の”が付いたもののなんと多い事か・・・。
そしてそのほとんどがキワモノであることは、間違いないでしょう。
我らが巨匠の作品も、その邦題のせいでかなりの迷惑を被っていたはずです。


『死霊のえじき』 の舞台は近未来のアメリカ。
地上の殆んどはゾンビによって埋め尽くされ、生存者はほんの一握りの状態で、科学者と軍人の数人が地下シェルターの中でゾンビに対抗する術を研究しています。
その2グループもすでに分裂状態で、なかなか成果を上げることの出来ない科学者に対して、軍のリーダーは完全に業を煮やしており、まさに一触即発状態です。
こんな限られた状態で反目しあって、何がどうなると言うのか・・・。
ほんとバカばっか


こんな危機的状況においても、人間と言うのは権力を手に入れたがるものなのか?
彼らの辞書に、“協力”の二文字は無いのか?
イラつきます。
科学者グループの中にも、イラついた女性が一人。
生存者の中で紅一点、サラさんです。
(・・・やっぱりロメロは女性に何か不満でもあったのでしょうか?
殺され要員でもいいから、もう一人くらいは出してくれてもよかったのに・・・。
不公平だわ。  と、田嶋陽子センセイも申しております。)


で、サラさんですが、軍のリーダー・ローズ大尉の横柄さや、ゾンビ研究の第一人者・フランケン博士のオタクっぷりや、恋人ミゲル君のやる気の無さにかなり辟易しているご様子で、パイロットのジョン&無線係のおっちゃんと酒で憂さ晴らしの日々です。
そんな、日に日に緊張感の高まる科学者と軍人達のやり取りを尻目に、一人我が道を行くフランケン博士(ゾンビオタク)。
これぞ オタク道!!と言う生き様を、まざまざと見せ付けてくれます。
『死霊のえじき』が後世に語り継がれる事になった立役者、とも言えるバブ(ゾンビ)と博士との愛に満ち溢れた日々・・・!
素敵です!!
おすぎです!!   (関係ないです)


(普通に考えたら、一度死んだ人間である“ゾンビ”ですから、脳も死んでいる訳で、記憶能力とか学習能力だとか、ありえないと思うのですが、それを言ったら“ゾンビ映画”そのものを全否定してしまう事になりかねないので言わない事にしておきます。)
このバブが、博士の愛情たっぷりな授業によってどんどん人格が目覚めてゆきます。
サリバン先生とヘレン・ケラー。
狼少女ジェーンとステュワート(ガラスの仮面)。
そして、フランケン博士とバブ
今ここに、新たなる愛の物語が・・・(略)


とにかくバブが最高でした。
正直、途中から「主役のサラさんがゾンビの檻に入れられてキャー」とか「恋人のミゲル君がゾンビにかじられてワー」とか、もうどうでもいいよ・・・と言う気持ちになるくらい、バブの独壇場です。
バブに出会えただけで、私の人生幸せです。   (それは嘘です)


で、結局この作品でもゾンビに対する対処法も解決策も見えないまま、サラさんとジョンと無線係のおっちゃんと言う“やなドリカム編成”が、無人島に逃避行して物語は終わるのですが、やっぱりこれが限界なんでしょうか。
そもそも
・歩くのも遅い
・頭を打ち抜けば倒せる
ゾンビですから、最初の対応さえ間違えなければ鎮圧は可能だと思います。
何をどうやったら、こんな全米各地ゾンビだらけになるのか、よっぽどヘタレばっかりだったのか・・・としか思えないので、“その場しのぎ”というか“現実逃避”のようなエンディングしか迎えようが無いのかもしれません。
しかしこのような選択肢を見せられると、やはり私には「そこまでして生き残ってなんになる?」という気持ちが浮かんでしまうのです。
例えばこのドリカム編成で、離れ小島で、これから先どうするのでしょう?
文明を一からやり直す?
子供を作って子孫を増やす?
このおっちゃん達と~?
私には無理です。


さて、今回借りた 『死霊のえじき』 ですが、観ていてやたらと音楽がぶつ切れしたり、シーンのつなぎが不自然だなー・・・と思っていましたら、なんとこれがファンの間では悪評高い『(最終版)』でした・・・。
どう悪評高いかというと、「ゴアシーンをことごとくカットしてしまっている」との事。
・・・なるほど。
「ここからかじられるシーンだな」と思ったシーンの直後が、全て編集されていた訳ですね。
どうりで臓物が一つも出てこない訳だ。
・・・いや別に臓物が観たかった訳ではないのですが。
ロメロ氏の意向はまるでくみ取られていなかったと言う事ですね。


機会があったら、是非ノーカット版を観てみたいものです。
・・・いや別に臓物が・・・(略)





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『ゾンビ』

2006年04月30日
地獄の底から這い出して、ゾンビが食う、人間を食う! 
残酷映画史を真紅の血のりで塗り替えた驚異のスーパー残酷!
肉をくれ! もっと若い肉を!



・・・これ、公開時のキャッチコピーだったらしいのですが、全く意味が判りません。
「もっと若い肉」って・・・。
そんな事(ゾンビの中の)誰も言ってないし・・・。
ビデオのパッケージの裏にもしっかり書いてあって、借りる時ちょっと恥ずかしくなりました。


そんな訳で(どんな訳?)、ゾンビのオリジンに立ち返る第二弾、『ゾ
ンビ(ディレクターズカット完全版)』です。


1作目から10年の時を経て、画面はカラーになり特殊メイクもかなり向上して、見応えは充分です。
確かにゴアシーンも格段に増えて、嫌悪感を抱く人も(当時)格段に増えたのでしょうが、キャッチコピーから抱かれる“B級ホラー”臭に惑わされてはいけません。
やっぱりロメロは偉かった!
ここで描かれるのは、あくまで人間の本質。
ゾンビの恐ろしさではなく、生きた人間が持つサガやエゴや残酷さが、どこまでも深く、恐ろしいのでした。


ゾンビが地上を侵食し、都市が混乱を極める中、テレビ局員のスティーブと恋人のフランは友人のSWAT隊員ロジャーとピーターと共に、 へりコプターでカナダへの逃亡を計ります。
途中、郊外のショッピングモールで食糧補給の為に一時休息をする事にした一行は、全てのものが揃うショッピングモールに安住の地を見出すかに思えたのですが・・・。


冒頭、混乱した街中で、ゾンビや暴徒化した人々との虚しい戦闘に駆り出されたSWAT隊員コンビの表情は、ベトナム戦争のそれに似た、虚無感に溢れたやるせない表情です。
この時点で、二人の中の何かは弾けてしまっていたのかもしれません。
テレビ局のカップルは、一般人なので当たり前なのですが“使えない奴ら”で、ヘリコプターの給油に訪れたガソリンスタンドでも、足を引っ張る引っ張る。
一作目の『ナイト・オブ・・・』の主人公の女性も、かなりの“使えなさ”でしたが、ロメロ氏は何か女性に恨みでもあるのでしょうか?
“女性=いらん事をする” がまかり通っていた時代の作品なので仕方ないのかもしれませんが、この『ゾンビ』の紅一点フランもいいトコまるで無しです。


目を丸くしてガタガタ怯えるか、ヒステリーを起こすだけの要員フランをよそに、男性陣は大活躍です。
モールを施錠してゾンビの進入を防いだら、後はモール内に残ったゾンビを一掃して人間様の貸切状態。
衣類も食品も武器も家電も何でも盗りたい放題で、まさにこの世の楽園です。

しかし、食品が永遠にもつ訳ではなく電気だっていつ止まるか判らないし、おまけにフランは妊娠中。

冷静に考えれば、ここは楽園などではなくむしろ監獄に近い存在です。
そこから目をそらし、浮かれて見せる彼らが向う先は、ただの現実逃避への旅なのかもしれません。
所詮、人間なんて脆いもの・・・。
でも、自分ももし目の前にこんな絶望的な状況を突き付けられたら、選ぶのは“現実逃避”かもしれませんね。
現実に“リプリー(fromエイリアン)”になれる人なんて、いるとは思えませんし・・・。


(表面上の)楽園生活を満喫していた彼ら。
その生活を脅かす事になるのは、ゾンビではなく“生きた人間”です。
いわゆる火事場泥棒を続けて旅をして来たらしい、荒くれ者の一団がショッピングモールに目を付けるのです。
ゾンビだろうが生身の人間だろうが、お構いなく殺し、奪い去るのみの略奪者たち。
と言うか、こんな混乱の世で貴金属や宝飾品を盗んで、何の価値があるんだろう? と思ったのですが・・・。
どんな状況においても人の心を惑わすもの、それがお金なのでしょうか。
怖いですねぇ。  この作品で一番怖いところですね。


この荒くれ者達との死闘から一気にクライマックスを迎えて、最後はショッピングモールになだれ込んで来たゾンビとの決死の脱出劇になります。


ここで生き残ったところで、その後何が待っているのか?
世界は救われるのか?
助けは得られるのか?
未来はあるのか?
考え出すと、とことんきりが無く、その先には真っ暗な闇しか広がっていないように思えるのですが・・・。


いよいよその答えが得られるかもしれない、3部作最後の作品 『死霊のえじき』 が楽しみです。
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『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』

2006年04月28日
観ましたよ!観ました!!
足掛け2日で、ゾンビ映画のオリジンに立ち返ってきました。
知っている人は知っている知らない人には未知の世界、ゾンビ界の帝王ジョージ・A・ロメロがお届けする 『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』 『ゾンビ』 『死霊のえじき』 のゾンビ3部作です。


しかし  ・・・今回借りてきたこの3本と『悪魔のいけにえ』(何となくついでに借りた)シリーズ・・・。
もし近所で事件が起きたら、レンタル履歴から真っ先に事情聴取されそうなラインナップじゃないですか?


いいのか? 私?  こんなんで?


何はともあれ、ゾンビ3部作を観てみてビックリした事。


・・・怖くない。


実はきちんとゾンビ3部作を観るのは初めてだった私。
ゾンビ映画も普通のホラーと同じで、驚かし最重視なのだと思っていたら、なんと中身は殆ど生身の人間のドラマ。
一歩間違ったら“ヒューマンドラマ”の棚に置かれてもおかしくない様なものが、チョコチョコ入る血しぶきのせいで“ホラー”の棚に置かれているなんて・・・。


ここでゾンビ3部作の基本情報。
一作目『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』は1968年作品。
死体が次々蘇り生きた人を襲うと言う、ゾンビの基本形のストーリーです。
アメリカ全土が混乱状態で、政府がその処理に追われており、とある田舎の一軒家でも逃げ集まった男女7人が、ゾンビに囲まれて決死の脱出を計ります。
絶望感60%

2作目『ゾンビ』は1978年作品。
アメリカ全土の混乱状態は一作目よりさらに激しくなっており、アメリカを捨てカナダに脱出すべくヘリコプターに乗り込んだ男女4人が、途中で立ち寄ったショッピングモールで、ゾンビや生きた人間(暴走族)と死闘を繰り広げます。
絶望感80%

3作目『死霊のえじき』は1985年作品。
地上の殆どがゾンビに埋め尽くされた近未来、生き残った僅かな人間は地下シェルターの中でなんとかゾンビに対抗すべく、ゾンビ研究を続けています。
果たしてゾンビの攻略法はあるのか?
絶望感99.9%


原題は『ナイト(夜)・オブ』『ドーン(夜明け)・オブ』『デイ(昼間)・オブ』ときちんと統一されているのですが、邦題が無茶苦茶な為数多の亜流の中でどれが正式な3部作なのか、すこぶる判りずらいです。

その上、各作品も 『完全版』 『ディレクターズカット版』 『最終版』果てには 『30周年版』 『ダリオ・アルジェント(プロデューサー)版』だのと、 『ブレードランナー』 も真っ青の“別バージョン乱発”っぷりで、どれを観るのが3部作の一番正当な観方なのか、今回レンタルショップでも随分悩まされました。


結局『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド 最終版(またの名を30周年記念版)』を借りたのですが、メニューを開くといきなり「1997年版と30周年版の両方が収録」と書かれていてあせる私。


・・・何が違うというのでしょう?


メニュー画面もそのままでググって見てところ、1997年版がギリギリ観られる程度のバージョンで、30周年版はファンの間では噴飯モノのトンデモシーンが追加されているとの事でした。
パソコンってホント便利ですね。


そんなこんなで無事観終わった、記念すべきオリジン1作目。
懸念していたゴアシーンもほとんど無く、ゾンビメイクも低予算らしく“白塗りだけで精一杯”状態。
見た目で恐怖を感じさせるのではなく、ストーリーや行間で恐怖を呼び起こさせる作りは、さすが“伝説”と呼ばれるに相応しい作品でした。
ゾンビを退治するシーンより、一軒家に閉じこもって人々が「救出を待つ」か「脱出する」かで一触即発になったり、疑心暗鬼になってお互いに武器を向け合うような事になったりするシーンが、とにかく緊張感や絶望感に溢れて秀逸でした。


これはもう、スプラッターでもなんでもないですね。
立派な心理ドラマです。


作中テレビで流れる緊急番組で、ゾンビ現象対策会議に出席した科学者と政府高官が、レポーターにインタビューされるシーンがあるのですが、3人仲良く並んで国会議事堂の前をとぼとぼ歩いていてるのがとってもマヌケで素敵でした。
これぞ低予算映画の醍醐味!


ちなみに、30周年バージョンですがその後一応観て見ました。
確かに噴飯モノでした。
何の役にも立っておらず、その上誰にも望まれていない追加シーン・・・。
その追加シーンのメイキングまで収録されていて、特典映像コーナーはさらに涙を誘う状態になっていました。
この映像の分だけでも、価格から引いて欲しいくらいでしたね。
何故だかすごくエド・ウッドの作品を思い起こしました。
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『ショーン・オブ・ザ・デッド』

2006年04月20日
なんだか最近、ホラー(スプラッター)ばっかり観ているような気がしてきました。
特に意図して選んでいる訳でも無いのですが・・・。
『ショーン・オブ・ザ・デッド』も、テレビで紹介されているのを見た時から、観たくて観たくてたまりませんでした。
ところが、レンタルショップに行っても置いてない・・・。
うちの近所のレンタルショップが、保守的だからなのかと思っていましたが、劇場未公開だったんですね、これ。
私の命綱、WOWOW様が再々再放送してくれたお陰で、やっと観る事が出来ました。
タイトルを見ての通り、ゾンビものな訳ですが、コメディ仕立てのパロディーだと思っていたら、これがなんと堂々たるスプラッターで、ちょっとビックリしました。


あらすじは、
ダメ人間の見本のようなエド(親友)と、自称勝ち組のピート(悪友)と同居中のショーンは、大した人生設計も無く、惰性で生きる毎日。
馴染みのパブが生活の一部になっていて、デートもディナーもパブ。
そんなショーンに、恋人のリズはついに愛想を尽かし、別れを告げます。
エドと共にヤケ酒をあおるショーンですが、翌日二日酔いの頭で付けたテレビから、「イギリスがゾンビに占拠されています」と言うニュースが流れているではありませんか!
ショーンは生き延びる事が出来るのでしょうか?
そして恋人とヨリを戻す事は出来るのでしょうか?


テンポよく、細かい笑いを散りばめて進んでゆく物語は、さすがはイギリス産、と言う感じです。
ちょっと人を小馬鹿にしたような、あくまで不真面目な姿勢が、私にはツボでした。
ゾンビに遭遇してからも、マヌケな気持ちになるからと「ゾンビ」称を使う事を拒否したり、レコードを武器にしてゾンビと戦う時も、「この歌手はキライだからよし。これは希少盤だからダメ」とレコードを吟味したりして、ユルさ満点。


ところが、ずっとそんなテイストで行くのかと思っていましたが、途中でショーンが義理の父の臨終に際して長年のわだかまりを無くし、和解する辺りからシリアスな空気も漂い始め、大切な人が次々犠牲になる事で、ショーンは追い詰められていきます。


ホラーを観ていると、自分勝手な登場人物に対してはある程度、「この人は殺され要員だろうなー」と予測が付きますが、しかしスプラッター全開で殺されていくのを観ていると、人の脆さと言うか儚さと言うか、無情さを感じます。
人の命が失われる様と言うのは、その人の大切さや重要さなんて全て吹っ飛んでしまう程、あっけないものなんですね。


猟奇殺人や快楽殺人が起きると、よくスプラッターやホラーがヤリ玉にあげられ、非難されますが、こういう映画を観ていて感じるのって、そう言う“人間の非力さ”とか“命が失われる事の無情さ”であって、“わー 楽しそー!!私もあんなのやりてー!”ではないと思うのですが。
“やりてー!”なんて発想に結びつくのが異常の証であって、普通の人はそうは思わないだろう・・・と思います。


特殊効果として“やりてー!”と思うのは、別ですが。
そんな事ないですか?


配役は(当たり前ですが)、見事なほど知らない英国俳優ばっかりですが、そんな中、キッチリおいしい所を持っていったのは、ビル・ナイ
有名どころは『ラブ・アクチュアリー』の落ち目のロック・シンガー役でしょうか。
色んな作品にちょこまかちょこまか出演しては、おいしい所をさらって行ってます。
この作品でもショーンの義父役で、重要なシーンをしっかり持って行ってました。


憎いおっさんです。


ダメ人間のエドが、最後まで“使えない”状態のままな所が、とってもリアルでいいなと思いました。
ハリウッド製だったら、きっと“隠された才能を発揮して大活躍”なんてオチでしょうから。
人間なんて、そんなものですよね。


うちの近所のレンタルショップにも、英断を迫りたい気持ちです。
これは観て損は無し! (ただしスプラッター平気な人に限り)

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