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『めぐりあう時間たち』

2006年11月15日
20061116015705.jpg  格調高き一本



1923年、イギリス、『ダロウェイ夫人』を執筆している作家ヴァージニア・ウルフ。
1951年、ロサンジェルス、『ダロウェイ夫人』を愛読する妊娠中の主婦ローラ・ブラウン。
2001年、ニューヨーク。『ダロウェイ夫人』の主人公と同じ名前の編集者クラリッサ・ヴォーン。 
時代も場所も違う3人の女性の、とある(しかし大きな意味を持つ)一日。


とても観応えのある作品でした。

主役の3人を演じる女優の素晴らしい事! 
そして脇に配された役者も、それぞれ見事な演技を魅せており、文句の付け所は無し。
美しい映像や、叙情的な音楽、印象的な台詞が、役者陣の演技をさらに引き立てています。

主人公達はそれぞれが人生に疑問を持ち、自問自答して苦しんでいます。

ヴァージニア・ウルフは、心の病を回りに押し付けられている様にも見え・・。
実際にもそうだったのかもしれませんが、登場人物の声や作品の意味に思いを巡らし、「執筆」に心を占められている彼女は、作家としては異常な状態では無いような気がします。
自分の苛立ちや葛藤を理解してもらえず、「静かな療養地」と言う籠の中でもがいている彼女は、とても痛々しい。

ローラ・ブラウンは、「優しい夫と不自由ない生活」と言う檻に閉じ込められています。
友人の女性に秘めた思いを抱き、余りある程の愛情を注いでくれる夫を愛する事も出来ず、本当の自分、本当の人生と言う物を渇望している彼女は、とても憐れに見えます。

クラリッサ・ヴォーンは、エイズで死期の近いゲイの友人(男性)に、報われる事の無い愛を注ぎ続けています。
彼女自身も恋人(女性)と長年暮していますが、本当に手に入れたいのは彼なのです。
彼も彼女に深い愛を抱いているがようなので、なんでくっついちゃわないんだろう?と思うのですが、この二人の間の感情というのは、とても複雑なようなのです。
誰よりも、何よりも大切な筈の彼の存在は、彼女にとって幸せをもたらしているようには見えません。
残りの人生に失望し、彼女の存在の為だけに“生き続ける”彼と、全ての人生を、彼が存在し続ける為だけに費やす彼女。
互いが互いの重荷になっている事に気付いていますが、「愛」の為、現状を続ける事しか出来ない彼女は、常に悲しみに支配されています。

そして、それぞれが迎える「一日の終わり」に、彼らは三者三様の表情を見せます。

それは決してハッピーエンドではありません。

しかし、彼らが歩む(歩んできた)その後の人生に、きっと悔いはないのでしょう。


ヴァージニア役のニコール・キッドマンは、オスカーに相応しい演技を魅せてくれます。
彼女の持つ“華やかさ”が(鼻メイクのお陰もあり)きちんと抑えられ、今まで見たことの無い、渋い演技を披露してくれています。

ローラ役のジュリアン・ムーアと、クラリッサ役のメリル・ストリープは言うまでも無いでしょう。
誰が代表でオスカー獲ってもおかしくない(だからニコールだったのか?)演技合戦でした。
ただ、晩年のローラ役を、ジュリアン・ムーアが特殊(老け)メイクで演じていたのだけは、ちょっと違和感が・・・。

どう見ても美しすぎるのです。
これだけ演技の確かな面々を揃えたのだから、老婆役も適役がいたでしょうに・・・。

例えば・・・?

・・ジーナ・ローランズとか・・
・・・ジーナ・ローランズとか・・
・・ジーナ・ローランズとか・・

・・すみません、これと言ったいい例えが浮かびませんでした。
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『カポーティ』

2006年11月02日
人が死ぬ。

人が死ぬ。

愛に包まれた人、
孤独に苛まれている人、
無垢な人、
罪を犯した人、
状況や理由はどうであれ、人はいつしか死んでゆく。

しかし、その命の重さは、目に見えない故に第三者には伝わりにくく、身近で命を失った者のみが、その重さを背負ってゆかなければならない。

死刑執行人は夜、布団に包まって、心地よい眠りにつく事が出来るものなのだろうか?
命が、最後の力を振り絞る様を目の前で見届ける仕事をしていて、心休まる瞬間を味わう事が出来るものなのだろうか?

私は死刑はあるべきだと思います。
死を以ってしか償えない罪はあると思いますし、そうされるべき人間(とも言えない様な人間)も存在すると思うからです。
でも、「ならず者は縛り首にしろ!」と言うアホブッシュのような台詞は、とてもじゃないですが口には出来ません。
罪を犯した人の命もまた、とても重い一つの命だと思うからです。

この作品で縛り首になる男も、何の罪も無い家族を無残に撃ち殺した極悪非道な人間です。
死刑で当たり前。
生きている価値は無い。

しかし、そんな彼への死刑宣告を聞いて、彼の家族は怒りも悲しみもしない。
家族の中では、“もう存在していない”彼を見て、「ざまあみろ」と言える人はどれくらいいるでしょうか?

アメリカの高名な作家、トルーマン・カポーティが、『冷血』と言う“カンザスの農家一家4人惨殺事件”を題材にしたノンフィクション小説を書き上げるまでの日々を描く。
そんなこの作品。
最初は、イメージの脱却を図って『コップランド』に出たスタローンの様な気持ちで、この事件を題材に選んだであろうカポーティ。
しかし、その犯人のうちの一人であるペリーと出会ったことから、彼は大きなジレンマに陥る事になるのです。
その生い立ちに数々の共通点を見出し、殺人犯と自分との違いなど微々たる物だと言い切るカポーティ。
「僕らは同じ家で育った。
彼は裏口から、僕は表玄関から出た。
それだけだ。」

そこまで言っちゃうカポーティですから、犯人との面会はさぞかし心苦しかったでしょう。
分かり合えるから傷つけたくない・・。
傷つけたくないから、期待を持たせるような事を言ってしまう・・。
その嘘がばれるのを恐れて、犯人が消えてしまう事(死刑)を望む・・。
カポーティを信じきって、その嘘さえも受け入れて、友情を誓う犯人。
それまで、信頼できる友人(や恋人)は居たものの、常に孤独を感じながら生きてきたカポーティもまた、犯人に一番心を許していたのではないでしょうか?
消えて欲しいけど、消えて欲しくない。
そんなアイツは死刑囚。

結局、力及ばず死刑は執行されるのですが、カポーティがその目に焼きつけ、その体に背負った“命の重さ”は、彼の筆を折るに充分だったのでしょう。

本作に出ている俳優さんが、全て素晴らしい演技を魅せてくれて、お陰で考えさせられる事が山の様に湧いて来ます。
皆さん、目が口ほどにモノを言う方ばかりで・・・。
オスカーを受賞した、愛しのフィリップ・シーモワ・ホフマンも、申し分ない渾身の名演技でした。
どんな作品でどんな役を演じても、
「あー、この人素顔もこんな人なんだろうな・・」
と思わせる、自然だけど自信に満ちた演技を魅せてくれていましたが、今回もまんまと、
「あー、この人ホントに繊細なリアルゲイなんだろうな・・」
と思ってしまいました。
やるな・・ シーモア。
うちにも一人欲しいなぁ・・・ シーモア。
メガネが素敵だよ・・ シーモア。
シーモア、可愛いよ、シーモア。
シーモアァァーー!!

とりあえず、 『冷血』 を読まなければ、話が進まないように思いますので、一刻も早く本屋さんに走ろうと思います。
『ブラック・ダリア』 も待機中なのになぁ・・・。
今年の秋は、忙しいなぁ・・。
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『ニュースの天才』

2006年09月24日
20060923231550.jpg 2003年製作


今や、世界で一番リッチなニートに成りつつある、トム・クルーズ
そんな彼が、まだソファーの上で飛び跳ねる前に製作した、小粒でキリリと辛い作品 『ニュースの天才』 を観ました。

この作品は実際の事件に基づいて作られており、その元の事件は確かに記憶にあります。

あらすじ
アメリカ大統領専用機に、唯一置かれている雑誌としても名高いニュー・リパブリック誌
高い信憑性を誇るその雑誌で、事もあろうに記事を誇張・捏造し続けた、人気記者のスティーブン・グラス。
彼の嘘がばれ、業界を追放されるまでを落ち着いた語り口で綴る、社会派ドラマ。


今や、崇拝しているサイエントロジーを宣伝していると言うよりはむしろ、営業妨害している方が大きいようなトム・クルーズ
そんな彼も、チョット前は有能な映画人にチャンスを与えるべく、小作品の製作に熱心だった時があったんです。
つまり、結構マトモだった訳です。
で、ありまして、この 『ニュースの天才』 もすこぶるマトモないい映画だったのでした。

作品は、グラス記者が名を成し、暴走していく過程を、過去や現在入り混じって描かれます。
グラス記者と言う人は、多くの有名記事を書き、人気記者になったそうなのですが、この作品ではその成り上がりの過程はあまり描かれません。
メインは“ハッカー天国”と言う、彼の失墜のきっかけとなった記事が書かれ、その記事のハッタリ具合に目をつけたライバル雑誌が、一気に記事の穴を暴いていくくだりなのです。
ですから、グラス記者がどれくらいヒットを生み出していた時点でのスキャンダル発覚なのかが、ちょっと判りづらかったのは事実です。
出だしのペーペーなんだから、大目に見てあげれば・・・? と思っていたら、実は充分中堅どころの花形記者だったと言う事を理解するまでに、本編の2/3を費やしてしまいました。(それは嘘)

グラス記者と言う人は、周りへの気遣いを欠かさず、人当たりのいい、職場でも人気者の若者だったようです。
作品でもその点をかなり強調して描かれており、
そんな彼が何故・・・?
きちんと挨拶する、いい子だったんですよ・・・?
的な、犯罪者にありがちな2面性を臭わせています。

しかし、彼がやった事は明らかに確信犯(しかも悪質)であり、記事に出てくる人物を弟に演じさせたり、「架空の会社だ」と指摘されたら徹夜で偽の企業HPを作ったり、往生際の悪さと言ったら日本の政治家も真っ青です。

そう言えば、この作品のグラス記者の悪あがきを観ていたら、あの議員を猛烈に思い出しましたね。
覚えていますか?
060228nagata.jpg9月1日、民主党に帰って参りました


おそらく、当時日本で一番いさぎ悪かった永田(元)議員。
胡散臭さ120%の黒塗りメールを片手に、「これは間違いなくホンモンだ!」とつばを飛ばし、さらに追い詰められると「俺は嵌められたのかもしれない・・」と被害者ヅラし、責任を問われると「オレが悪いのか?!」と逆ギレしつつ、民主党にしがみついていた彼を見ていて、
小学生かよ?!
と思っていたものですが、この作品のグラス記者もまさにそれ。

ちょっと調べれば簡単にばれる嘘を、とことん真実だと言い張り、嘘を繕う為に更に嘘を重ね、その嘘がまた子供でも見抜けるような稚拙な嘘で、更に追及されると「・・僕は嵌められたのかもしれない・・」。
物語は、この嵌められたのか?自作自演なのか?に、グラス記者の上司が気付く所がクライマックスになるのですが、観ているこちらはどっからどう見ても自作自演なのが判りきっている為、当然見所は違う所になります。

その見所が、グラス記者の上司であり、ニュー・リパブリック社の編集者であるチャック。
前任者が余りにスタッフに慕われていた為、かなり肩身の狭い思いをしながら苦労していたチャックが、苦労に止めを刺すような“記事の捏造”を知り、いさぎは悪いが同僚には人気のあるグラス記者に振り回されながらも、最後には毅然とした態度で彼の暴走に終止符を打つ姿は、観ていて感動を覚えます。

グラス記者が、どうしてここまで暴走してしまったのか?
動機は一体何だったのか?
その点はハッキリされないので、想像するしかありません。
単なる目立ちたがり立った訳では無いように思いますが、それにしても精神構造はかなり子供じみているんじゃないでしょうか。
今は本も書いているそうです。
想像力の旺盛さを、充分に活かせる職に就ければ、J・K・ローリングを越える事も可能なんじゃないかと思うのですが・・・。

グラス記者を演じているのは、ダースなベイダーでお馴染みのヘイデン・クリステンセン。
抑揚がちと足りなかった気はしますが、記事の穴を突かれてもなお虚勢を張ったり、記事のネタを会議で発表して、それがウケた時の無邪気な笑顔などは、「ほんとにこういう人(子供っぽい人)だったんだろうな・・・」と納得させてくれるリアルさを感じました。
チャック役のピーター・サースガードや、元上司役のハンク・アザリアがとても素晴らしい演技を見せてくれて、そのお陰で作品が一気に締まったような気がします。

今や、100人規模で人命救助しないと、壊滅的なダメージを受けている好感度を持ち直す事は出来ないと思われるトム・クルーズ
今作もそうですが、彼の製作した作品は意外といいモノが多かったりします。
思い切って、製作側に回ると言うのも手かもしれませんね。
作品を見る眼はありそうですし・・・。
いい加減、ケイティの事はそっとしといてやれ! トム!
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『ベジャール、バレエ、リュミエール』

2006年09月19日
20060919212236.jpg 2002年 作品


秋でございます。

芸術の秋でございます。

窓の外からは鈴虫のささやきが聴こえ、スっと流れ込む風の心地よさと思わぬ冷たさに、暖かいコーヒーを入れたくなる、秋でございます。

こんな夜に、画面に映し出したくなるのは、やはり美しきものでしょう。

と言う訳で、私の大好きなモノの一つ、バレエでございます。

この作品は、現代バレエ界の天才振付師 モーリス・ベジャール が、新作バレエ『リュミエール』を完成させるまでの舞台裏に密着したドキュメンタリーです。
ベジャールの名前は知らなくても、彼が振り付けした作品を観た事ある人は少なくない筈。
かく言う私も、決してバレエ通な訳ではありませんが、彼の代表作『ボレロ』は観た事があります。
丸い台の上で踊る一人のダンサーと、その台の周りを取り囲む大勢のダンサーによる、妖艶かつ鬼気迫るような一糸乱れぬ群舞が、名曲ボレロに合わせて繰り広げられる、素晴らしいバレエ作品でした。

その、『ボレロ』を振付けたベジャールが次の作品を生み出す裏側が、惜しみなく映し出される『ベジャール、バレエ、リュミエール』。
リュミエールとは、フランス語で“光”。
この作品の中に登場する、ベジャール・バレエ団のダンサー達は、まさに舞台の上でキラキラと光輝いています。
しかし、その一方でまた、厳しいレッスンで極限まで追い込まれるダンサー達。
一流ダンサーの中での、さらにトップを極めるダンサー。
その場所をひたすらに目指すダンサー達。
何と険しく、何と容赦の無い、ストイックな世界なのでしょう。
そして、彼らを芸術品に仕立て上げるベジャールもまた、様々な問題に対処しながら、自分の作品を作り上げていきます。
一見テキトーに振付けているようなモダンバレエ。(ベジャールさん、ごめんなさい)
当たり前ですが、その一つ一つはベジャールの中で計算し尽くされた、完璧な動きなんですね。

ダンサー達の磨き上げられた肉体に、ベジャールの作り出した動きが宿った時、作品はこれ以上ないほどの美しさを放ち、私たちは息を潜めてそれに見入る事しか出来なくなるのです。

ダンサー達が、レッスンの合間に見せるふとした表情がとても新鮮で、「みんな普通の若者なんだなぁ・・・」と一気に親近感が沸きます。
日本人ダンサーの姿もポロポロ観られ、意味なく得意げになってしまったりもします。

自分の体の全て、細胞の一つ一つまでもコントロールしようとしているような、若きバレエダンサー達の姿に圧倒され、その上に君臨するベジャールもまた、苦悩の上に作品を作り出している様は興味深く、画面に惹き付けられたままの1時間30分でした。

クラシックバレエの、華やかな舞台美術と華麗な衣装に包まれた、優美な踊りも好きですが、体そのものの美しさを最大の衣装にした、ベジャールのモダンバレエもまた、素晴らしい芸術品ですね。

うっとりとした気持ちで過ごした、秋の一夜でした。
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『ベルヴィル・ランデブー』

2006年09月12日
20060912000131.jpg 


あらすじ・・・
小さな家に2人きりで住む、内気な孫とおばあちゃんがおりました。
孫の喜ぶ姿が見たくて、色々なプレゼントを送るおばあちゃんですが、孫のシャンピオンは反応しません。
そんなある日、シャンピオンが自転車にだけは並々ならぬ興味を抱いている事を知ったおばあちゃん。
早速自転車を買い与えると、初めて目を輝かせるシャンピオン。

十数年が経ち、自転車に全てを捧げる人生を歩んで来た2人。
ツール・ド・フランスだけに焦点を絞った、過酷なまでにストイックな生活を送っています。
そして、大会当日。
シャンピオンは、練習の甲斐も無くかなり出遅れていました。
そんな孫の後をピッタリとマークするおばあちゃん。
レースは、最大の難所である急勾配の山道に差し掛かり、次々と脱落者が出始めます。
そんな中を、黙々と進むシャンピオン。
しかし、そんな選手達を怪しい目線で見ている、黒服の男がいました。

男は、おばあちゃんが同乗していた救護車をパンクさせ、偽の救護車で脱落した選手達を回収してゆきます。
何とその中には、力及ばずリタイアしたシャンピオンまでもが・・・。

愛する孫が、謎の男達に拉致された事に気付いたおばあちゃんは、シャンピオンが乗せられた船を追って、愛犬ブルーノと共に、小さなボートでどこまでも進みます。
高波の中も。
嵐の中も。

そして、彼らが辿り着いた場所、それはベルヴィル。
活気に溢れ、高いビルが立ち並ぶ都会・ベルヴィルには、その昔おばあちゃんが幼いシャンピオンと一緒に楽しみにしていたテレビ・ショー 『ベルヴィルの三姉妹』のステージがありました。
しかしそのステージも、今ではすっかりマフィアの隠れた楽しみの場に成り代わっていたのでした。

大都会で孫を見失ってしまったおばあちゃんは、お金も無く、途方に暮れていた時、ある3人の女性と知り合います。
その3人組こそ、あの『ベルヴィルの三姉妹』。
今ではすっかり年老いて、貧乏な生活を送っている三姉妹でしたが、素晴らしい歌声は今でも健在。
意外にも音楽の才能に恵まれていたおばあちゃんと、すっかり意気投合した三姉妹。

そんな三姉妹と共に、バーのステージに立っていたおばあちゃんは、ある日ついに、シャンピオンの居場所を知る事になるのですが・・・。
おばあちゃんは無事に、シャンピオンを取り戻すことが出来るのでしょうか?



正直言って、このアニメに出てくる登場人物は、余り愛嬌がありません。
それは特に、孫のシャンピオンなのですが、彼が持っているのは過剰にデフォルメされた顔の異様に尖った鼻や、くぼんだ目や、鶏がらのような体と、それに不釣合いな発達した太ももなどなど、可愛くも無ければハンサムでもない、きわめてグロテスクな風貌なのですよね。
その上無表情で無感情。 目に浮かぶのは生気の無い死んだ魚のような虚ろな色。
感情移入されることを拒んでいるかのようなシャンピオンのキャラクターは余りに不気味で、その点だけでもこの作品から脱落する方がいるかもしれません。

物語はというと、これまたなかなか予想外で、映画の冒頭ジャジーな主題歌をクールに歌って踊っていた「三姉妹」のシーンが、実はテレビの中の映像だったことが伝えられると、次に続くのは、余りにもトーンの違う「おばあちゃんと孫の現実世界」。
陰気で惨めで明るさの欠片も無い2人の暮らしは、観ていて決して気分が晴れるような物ではありません。
見るからに貧しい生活を送る、年寄りと無表情な青年。
それにブサイクな犬。
主役の2人のセリフは全く無く、ゆったりとした物語が静かに静かに進みますので、おそらくはここで脱落する方もいるかもしれません。

舞台がベルヴィルに移ってからは、若干テンポが変わりますが、かつて華やかなステージを踏んでいた三姉妹はオンボロアパートで貧しい暮らしを送っていますし、シャンピオンは相変わらず無表情。
物語が劇的な展開を迎えることを期待しても、それが訪れるのは最後の最後になってからです。

しかし、愛する孫を取り戻す、おばあちゃんの大冒険的なノリを期待していたらかなり手痛い仕打ちにあう今作ですが、何故か私は、その仕打ちすらいとおしく思えたのですよね。
所々に現れる、素晴らしい音楽もその理由ですが、やはり一番の要因はおばあちゃん!!
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(まるっこい!ちびっこい!メガネの度がすごい!) 


愛想の無い孫を、一途に想い、守り続けるおばあちゃん。
その愛らしい姿や、思いがけず見せる抜群の音楽センス。
何もかも最高です!
おばあちゃんとカルテットを組む事になる、ベルヴィルの三姉妹もクールなのですが、やはり一番クールなのはおばあちゃんなのではないでしょうかね。
おばあちゃんの無上の愛情が観客にしっかり伝わって来るお陰で、シャンピオンの無表情さの下に隠れるおばあちゃんへの信頼や愛を読み取る事が出来る。

押し付けがましい感動は、そこにはありません。
しかし、確かな家族の絆が、そこらじゅうに溢れている事を、見逃さないで欲しいのです。

あ! それと、観終った後にはサントラが欲しくなる事請け合いですよ!


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