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『ベニーズ・ビデオ』

2007年10月13日
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Q.何故少女を殺したのか?

ハネケ祭り第2弾 『ベニーズ・ゲーム』 です。
第3弾があるかどうかは定かではありません・・○| ̄|_OTLorz.....。

あらすじ・・・
たそがれ中学生・ベニーが、たまたま出逢った少女を部屋に連れ込み、何となく殺害。
その事実を知ったベニーの両親は、死体を闇に葬る事を決意。
母とベニーを海外に旅立たせ、残った父が死体を解体処理。
見事に完全犯罪成立! ・・と思っていた両親でしたが、思わぬ所に裏切り者がいた! それはベニー!!

お前・・何故・・?
・・無事やり過ごせるハズだったのに・・?


一家の行く末・・それは全てベニーの匙加減一つ。
判断理由は 「それやったらどんなかなぁ・・」 と思ったから。


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先日の 『ファニー・ゲーム』 に引き続き、ミヒャエル・ハネケ監督の初期作品にレッツチャレンジ!

映画は、とある農家での豚の屠殺シーンで幕を開けます。
末期の叫びを上げ続けるブタさん。
無情に額に当てられた屠殺用の銃。
大きな爆発音と共に、四肢が死後の痙攣を繰り返す。
このシーン、実際の屠殺映像を使っているので、観客は不快感のどん底です。

いきなり冒頭から、人の神経逆撫でしまくるこの映像とは・・・!

さすがは不愉快帝王・ハネケさん!

ハネケは最初からクライマックスだぜ!!

ただし、その後ブタさんを捌くトコまでは見せない辺りに、ハネケさんの良心を感じました。
これギャスパー・ノエだったら、絶対最後までノーカットで映しきってますよ。
アイツはそれくらいやる人間です。

鬼畜帝王・ノエさんの話題はさておき、『ベニーズ・ビデオ』

無表情・無感動・無興奮、と、何の感情の起伏もないベニー少年は、モニターに映し出された映像に囲まれて暮しています。
テレビ局によって編集された「現実の」ニュース。
固定されたファインダーで区切られた中だけの「実際の」風景。
それはホンモノのようで、実は虚構の世界でしかなく、そんな中にどっぷり使って生きているベニー少年もまた、リアルな物など何も持たない、カラッポな人間に思えてなりません。

で、そんなカラッポなベニー少年は「ただなんとなく」行きずりの少女に銃を向け、「どんな感じかなぁ・・」と思って引き金を引いた。
しかし、予想外に人間と言うのは死なない生き物で、「ブタは一発で死んでたのになぁ」と多少焦りつつも、泣き叫ぶ少女を黙らせる為にベニー少年は何度も引き金を引くのです。

なんなのでしょうか。
この空虚さは、一体なんなのでしょうか。
人が一人死んでいると言うのに・・・。


恐ろしいほどの無感情で支配されたベニーの部屋。

“魔が差した” とよく聞きますが、まさにこの瞬間ベニー少年は悪魔そのものだったのでしょう。
無表情の、まだ面影に幼さを残す悪魔。

そんな悪魔な子供の親の顔が見てみたい! と思っていたら、ベニー少年の両親もやっぱり魔が差した様で、被害者の事より加害者の将来(もしくは保身)を最重要課題として家族会議を徴集です。

この親にしてこの子あり なのか・・・?
はたまた、人とは極限状態においては、悪魔になり得る生き物なのか・・?

小銭程度の金額の為、躊躇無く人を殺す人間。
正義の名を振りかざして、ゴミの様に人を始末する人間。
憎かった訳でも必要に迫られた訳でもないけど、ただ何となく煽られたから銃を撃ったベニーが、その行為に正義も悪も感じていない事が何より恐ろしい。
ついでに、息子が陥っている(無感情と言う)地獄に正面から向き合おうとせず、表面上を取り繕う事だけに一生懸命なベニ父も何気に恐ろしい。

唯一、家族の中で壊れた様な笑顔を見せ、自分たちが為した非道な行為に慟哭するベニ母の姿だけに、少し救われた様な気持ちになりました。

こりゃ更正出来るのベニ母だけだな・・きっと。

と言う訳で、ハネケ祭り第2弾 『ベニーズ・ビデオ』 は派手な展開も惨たらしい死体も何も無いものの、心底リアルな「ある殺人」を描いた、ある意味 『ファニー・ゲーム』 より数倍恐ろしい“どん底映画”だったのでした。
本当は 『隠された記憶』 もチャレンジしたかったのですが、若干心が折れてしまいましたので、またの機会に・・と言う事で。

ヘタレでスンマセン。・゚・(*ノД`*)・゚・。
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『ファニーゲーム』

2007年10月06日
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・・・ちっともファニーじゃないよ!何やってんだよ!! ・・と小一時間。

アガサの頼れるホラー仲間・wataruさん(←勝手に仲間にしちゃってスミマセン)がレビューされているのを拝見して、無性に観たくなってしまいました。
何でも、根限り「後味悪い」作品だそうですね、コレ。
丁度精神的に参ってしまう出来事があったので、こんな時は潔くとどめを刺そうと、颯爽と借りてまいりました。

ええ。
自分、ドMですよ。
 それが何か?(←意味無く逆ギレ)

あらすじ・・・
そこそこ裕福で幸せいっぱいのショーバー家。
(内訳・・・父・ゲオルグ、母・アナ、幼い息子・ショルシ)

3人はバカンスを楽しむ為、湖のほとりの別荘にやってきました。
到着早々、荷解きに追われる一家のもとを訪れた2人の青年。
すみません、奥さん。 ・・・卵切らしちゃって・・。

そして始まる、無情な一夜。
タイムリミットは12時間。
誰一人楽しめる筈が無い、狂った青年2人だけが満喫する狂気のファニーゲームの幕が上がる・・・。


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怒り・・・

絶望・・・

虚無感・・・

どこにぶつける事も出来ない、むき出しの感情があなたを襲う。
いや、実際私も襲われた。

これはヒドイ。
も一回言っとこう・・・これは非道い。

ヒドイよ! wataruさん!!(※wataruさんは悪くない)

主人公である幸せな一家が、頭のおかしい2人組によってサックリ殺されて捨てられる。
で、2人組はテクテクと次のターゲットのお宅を訪問。

この映画はそれでお終いなのです。
勇気ある父による攻防も、ブチ切れた母の逆襲も、にっくき犯人に迫るパトカーのサイレンも、何もないままに、観客の感情をグッチャグチャに引っ掻き回したそのままに。

くそぅ・・・!
こいつらが訪問したのが、ジョディ(フォスター)さんちだったらなぁ・・・!
凄まじい返り討ちの刑だったろうになぁ・・・!

と、地団駄踏みたくなるような“リアルになす術が無い母”“憐憫の欠片も持ち合わせていない犯人たち”の姿。

この映画の一番怖い所は、
実際にもこういう殺人鬼っているんだろうなぁ・・きっと。
と思ってしまうトコです。

アベックを襲って、暴行の果てに殺して埋めてしまう、狂った連中。
通りすがりの女性を拉致して、非道の限りを尽くして海に捨ててしまう、悪魔のような連中。
現実に起きているおぞましい事件の犯行現場が、この映画のようでは無かった、と、誰が言い切れるでしょうか。
人間というのは、いつでも非人間になれるモノなのでしょうか?
否もしかしたら、このおぞましい残虐性は人間だからこその特性なのかもしれません。

人間の認めたくない本質を、これでもかと叩きつけてきたハネケ監督。
(映像という媒体を使って)やってる事はこの上ない極Sですが、伝えたいメッセージはこれ以上無い程シンプルなのですね。

人間って怖い。

中でもハネケさんは特に怖い。

ナオミ・ワッツ主演で作られたリメイク版が、かなり気になる秋の午後でした。



<< 余談のコーナー >>
“ホラー” と言う虚構の世界が骨身に染み付いているアガサに言わせると、このショーバー家の犯人への対応は 「全くなっちゃいない」 ポイントばかり。
 犯人から逃げる時、手ぶらのままだ・・・(包丁が目の前にあったのに!)
 犯人を出し抜けたのに、無人の家の中に逃げ込んでしまう・・・(袋のネズミ回避は基礎中の基礎!)
 どこの誰ともわからない車に助けを求める・・・(まずはどこかで電話を探すのが一番でしょ!)
 電話をかけるチャンスがあったのに、警察の番号が判らない為友人宅にかける・・・(110番があるぢゃない!)
などなど、ファイナル・ガール(※ホラー映画で最後まで生き残る美少女の事)なら絶対に犯さないであろう失敗を、ことごとく繰り返してしまう主人公たちに、
もしかしたら旦那が黒幕?
なんていう大穴予想までしてしまったアガサ。

しかし、本編中一度だけアナが魅せた起死回生の攻撃に対し、なんとハネケ監督は「本編そのものが巻き戻されてやり直される」という、トンデモ展開を用意。
とことん犯人に、凶行の続行をさせてやったのでした。

・・・監督、やっぱアンタが一番怖いよ・・。
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『マリー・アントワネット』

2007年08月26日
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「ブサ可愛い」ではない・・・!
「可愛い」ではないのだよっ ・ ・ ! ! 

それはつまりブサしか残っていないと言う事・・(モゴモゴ

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もともと、あまり女っぽいものが得意でないアガサ。
ブランドモノも関心が湧かず、宝石もちっとも欲しくならず、甘いものもどちらかと言うと苦手で、ハイヒールは生涯一度も履いた事が無い、と、女道(おんなどう)からかなり踏み外した人生を送ってきたような気が・・・。
そんな訳で、美容院での時間潰しが最も苦手だったりなんかしちゃったりして、店員さんが気を利かせて持って来てくれるオサレな雑誌の9割方が、普段の人生とは無縁の世界を映し出していたりします。

絶対買わない(買えない)であろう洋服。
絶対食べない(食べられない)であろうスウィーツ。
絶対履かない(履けない)であろうパンプス。
でも、心の隠れた部分をくすぐられるような感覚を感じてしまう・・・。

女力アップ企画・第1弾 『マリー・アントワネット』 は、まさにそんな「美容院で覗き見るキラキラとしたオサレな世界」そのものの様な映画だったのでした。

あらすじ・・・
オーストリアの皇女・アントワネットは、14歳にしてフランスの皇太子と政略結婚する羽目になり、一路フランスへ。
冴えないご面相の皇太子・ルイ16世は、絶世の美少女・アントワネットには目もくれず、結婚してからも自分の趣味だけに没頭。
実家に帰る事も許されず、生活習慣の違う見知らぬ土地で、孤独な結婚生活を余儀なくされていたアントワネットは、ルイに負けじと自分の好きなモノに全精力を注ぎ込んでゆきます。
しかし、いくら贅沢をしても、いくらチヤホヤされても、少しも満たされないアントワネットの心。
そんな時、お忍びで出掛けた仮面舞踏会で、彼女は一人の美しい殿方・フェルゼン伯爵と出逢い、生まれて初めての恋に落ちるのですが・・・


女の、女による、女の為の映画ですね、コレは。

男なんか(女なんか)にゃ理解出来っこない なんて事は、とことん不毛なので言いたく無いのですが、しかしこの作品が男の人に理解(共感?)出来るとは到底思えません。

だからと言って、女性だと100%共感出来て
「わかる!わかるよ、アントワネット!!」
なんて居酒屋で管を巻いてしまう、と言う訳でもないのですが。

全編を埋め尽くす、パステルカラーの靴ゴージャスな宮中ファッションオサレなスウィーツポップなロック煌びやかな宝石などは、無条件で女の遺伝子をくすぐってくれます。
普段、そういう物とは無縁なアガサでも、純粋にキレイなもの、可愛いものがキライな訳ではありませんので、当然の如くくすぐられまくりでした。

しかし、ページをめくれば視界から消え、めくり間違うとあっけなくビリっと破れてしまう雑誌の1ページの様に、この作品の中のオサレな装飾品たちもまた、とても儚く、とても薄っぺらな印象しか感じない。

そしてそれは装飾品だけではなく、アントワネットの生活風景もまた同じ。
心を許せる友も無く、旦那は自分に関心を示さず、孤独な事この上ないアントワネットの生活は、あくまでアッサリさっくりと紡ぎだされていきます。
お世継ぎの催促で追い詰められて泣き崩れるシーン、
取り巻き連中と夜通し遊んだ後に見た美しい朝日、
束の間の恋に夢中になるシーン、
革命の波にのまれて宮殿を後にするシーン、
全てのシーンがとても平坦で、美しいけれど心に残らない。
それはまるで、美容室で見るオサレな雑誌の様に、パラパラと目の前を通り抜け、あっけなく閉じられてしまうのです。

しかし、もしかするとそれこそが、アントワネットの人生そのものなのかもしれません。
どこかリアリティに欠け、あらゆる美しいものに囲まれているけど、全てが作り物の世界。
勿論、子を産み、王妃として誇り高く生きたのでしょうが、アントワネットを取り巻いていた世界は、案外この作品のような「自分のものであって、自分のものでない」世界だったような気がしてなりません。

映画界のオサレ番長、ソフィア・コッポラ監督は、もしかするとそこまで計算したからこそ、これ程までに全編をオサレなアイテムで埋め尽くし、薄っぺら感を演出していたのかもしれませんね。

・・・もしかしてじゃない?

そうですよね! 勿論そうッスよね!!
ソフィア姐さん、ナマ言ってスミマセンでしたぁぁっ!!

この映画が面白いと感じるか、サッパリしすぎて物足りないと感じるかは、大いに意見が分かれる所でしょうが、私は良くも悪くも女100%の映画として、とても気に入りました。
最後に絞首台のくだりまで行かなかった点も、この作品が伝記映画ではなく、女(の目線に絞った)映画なのだと言う強い意志を感じて、よかったのではないかと思います。
むしろ、もしそのくだりがあったら、この映画は台無しになっていたでしょうし。

とにかく、今はただ無性にケーキが食べたいです。
(とどのつまりそういう映画です)
(うそです)

最後に、がっつりベルばら世代のアガサには、どうしてもキルスティン・ダンスト=アントワネットがしっくりこなかった事をご報告させて頂いて、今回のレビューを終わらせて頂きたいと思います。

・・旦那(ルイ)とツーショットの時なんて、長年連れ添った熟年夫婦にしか見えなかったですからねぇ・・・。
・・・あと、どのシーンもきっちり可愛くなく撮られていましたからねぇ・・・。
ソフィ姐さん・・・、ホントはキルスティンの事キライなんじゃ・・(モゴモゴ
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『リトル・ミス・サンシャイン』

2007年06月18日
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ご褒美なんて無くても、人生はきっと素晴らしい。

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思えば去年の年末。
我が街のミニシアターで、ほんの少しの間だけ上映されていた 『リトル・ミス・サンシャイン』 。
黄色いバスに飛び乗ろうとしている、老若男女が印象的なそのポスターに心惹かれたものの、結局観逃してしまったアガサ。

・・・観に行っときゃあ良かったな・・・這ってでも。

その後、その作品(『リトル・・・』)はアカデミー賞作品賞候補にその名を連ねる事になるのですが、惜しくも受賞の名誉は逃してしまいました。
しかし、そのノミネート5本のうちのどの作品よりも、きっといつまでもアガサの心に残る作品になる事と思います
・・・あ゛ぁ、やっぱり観に行っとけば (以下略)

あらすじ・・・
“勝ち組”である事にこだわる“負け組”の父・リチャードと、
ストレス飽和状態で禁煙からは程遠い母・シェリルと、
ドラッグとエロスに無しでは生きて行かれない祖父と、
“家族である事”をボイコットして声を封印した長男・ドゥウェインと、
ミスコン優勝を目指すリトル・ミス・メタボリックな妹・オリーヴと、
恋人と名声を一度に失って世を儚んでいる叔父・フランク。

互いに想い合ってはいたものの、心はバラバラだった5人は、ミスコンの州大会の出場権を勝ち得たオリーヴの為、アリゾナからカルフォルニアまでを車で旅する事になり、その道中に遭遇する様々な出来事から、“家族”や“人生”について改めて見つめ直す事に・・・。


アメリカという国は、私の予想以上に恐ろしい国でしたヨ!
まだ年端もいかない少女たちに様々なコスプレをさせて、色気を売らせて、それで優劣をつけようってんですから。
そのくせ、小児愛がらみの犯罪は山盛りてんこ盛り状態のアメリカ。
・・・ホント、鬼畜の国ですね!

しかし実は、女という生き物自体が、自分の美(や虚栄心)を満たしたいと言う衝動を抱えているのもコレ事実。
需要(見たい)と供給(見せたい)が一致している限り、ミスコンは輝き続けるのでしょうが、子供となるとやはり話は別のような気も・・・。

自発的に「あたちってキレイでちょ」とお鼻ニョキニョキ女になる事は考えにくく、それよりは親の虚栄心や断念した夢が子に伝染して、いつしかそれが子供の心に刷り込まれる方が多いのではないでしょうか。
この作品の小太り少女・オリーブちゃんも、ミスコンで頂点に輝く事が一大命題となっているようなのですが、その情熱は自然に湧いたモノではなく、父・リチャードの「勝ち組じゃなきゃダメなのさ絶対」と言う洗脳に因るものなのではないかと思います。

で、そんなリチャードはと言うと、営業でも「勝ち組ノウハウ」を売り歩き、そのHow-to本の出版で一山当てる気マンマンなのですが、実際は出版社の担当者からは煙たがられ、本の出版は風前の灯火。
そりゃそうですよねぇ。
「勝ち組説」を唱えているリチャードそのものが、思いっきり負け組の顔をしていますから。

オクレ兄さんに「マッチョになる方法、教えたろかぁ?」と言われるのと同じ位、説得力ゼロです。

リチャードが“負け組”を必要以上に否定するのは、実は自分自身が“負け組”である事に気付いているからなのでしょう。
気付いているから、その事実は余計に認められない。
従って、彼は全力で全否定します。
“負け組”と言う物を。

しかし、リチャードは結局、本の出版が不可能だと言う事実をガツーンと宣告され、自分が“負け組”だと言う事実も受け入れざるを得なくなります。
そして受け入れられた事で、初めて真実に辿り着くのです。
人生には“勝ち”も“負け”も無いのだ、と言う事に・・・。

本作の登場人物たちは、リチャードに限らずみんな“隠れ負け組”です。(いや、隠れてないか)
で、みんな“隠していたつもり”だったイケてない現実に、頭をガツーンと(おじいちゃんに至っては心臓をガツーンと)やられる事で、傷付きながらも前向きに生きてゆく力に気付くのです。

自分は何の為に生きているのか?

こんな人生に、何の意味があるというのか?

そんな風に思った事が無い人なんて居ないハズ。
でも、その答えを見つけられる人もまた、そんなには居ないハズ。

何かの称号を勝ち得たいから、
何らかの評価を受けたいから
“成功”と言う2文字のその先には、誰もが羨むご褒美がきっと待ち受けているから。
そんな答えもあるかもしれません。
しかし多くの人は、目的は無くても、目標も無くても、今、生きているから、この先も可能な限り生きて行くのではないかと思います。

リチャード率いるフーバー家の面々も、「ベストセラー作家の地位」「プルースト研究家全米一の称号」「マブイ女抱き放題の野望」「空軍パイロットの栄光」「ミスコンでの完全勝利」と言う目標をこっぱ微塵に打ち砕かれてしまい、その先の人生に華やかな成功やセレブな生活が待ち受けているとは思えません。

ただなんとなく続いて行くだけの人生。
“勝ち”も“負け”もない人生。
しかしそこに、少しの笑顔や涙や思いやりが散りばめられれば、とても幸せな人生になるのではないかと思うのです。
大きなご褒美が無くても、人生はきっと素晴らしい。
そんな風に励まされたような気がします。

オンボロバスを力強く押す一家の姿がいつまでも胸に残る、心の栄養剤のような作品でした。

さあ、明日からも人生を前向きに頑張るぞ!
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『マッチポイント』

2007年06月03日
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撮影中、スン・イーは生きた心地がしなかったそうな・・・。(『マッチポイント・撮影日誌』 ※幻冬舎刊)

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こんにちは。 アガサです。

ここのトコ、なんだかホントに忙しくて“一日一本が適量”と決めている“映画服用”すらままならない日々だったりします。
そして、そんな日々の中、気力を振り絞って観た映画が 『リビングデッド・ザ・ビギニング』 だった(前回記載分参照)りした日にゃあ、茶の間はもう暴動騒ぎですね。

・・・ええ、それをわざわざ借りて来たのはアガサ自身ですよ。
それが何か?


・・私は一体、誰に向かって逆ギレしているのでしょう。
・・・きっと運命の神様に向かってですね。(もしくはケン・ワタナベ)

まぁ、過ぎ去った恋にいつまでもくさっていても仕方ないので、お口直しにウディ・アレンでも・・・。

あらすじ・・・
プロテニス選手としてそこそこの実績を残したものの、将来に大した望みも抱けないクリス。
「若いうちに」とプロに見切りをつけ、講師として勤め始めた高級テニスクラブで、上流階級のおぼっちゃま・トムと意気投合します。
トムの妹・クロエは、男前で野心マンマンなクリスに一目惚れ。
トムのセレブな両親もまたクリスを気に入った事から、家族ぐるみの付き合いが始まり、クロエとの仲も絶好調。
しかしある日、トムの婚約者・ノーラに出会ったクリスは、彼女に猛烈な一目惚れをしてしまったからさぁ大変。
クロエと結婚はしたものの、ノーラのセクシーな唇が気になって仕方ないクリス。

その後一度はノーラへの想いを封印したクリスでしたが、偶然美術館でノーラと再会した事で恋は炎上、もはやロマンティックは止まりません。
クロエをキープしつつ、ノーラもモノにしたい。
尚且つ、トムの父ちゃん(大企業社長)のコネにもあやかりたい。

ああ、ホントにもう、体が2つ3つあればいいのに!!(もしくはコピーロボットが・・・  モゴモゴ

しかし、そんなクリスの甘ーい綱渡りの日々は、ノーラの妊娠によって一転します。
甘い背徳の香りに満ちた不貞な関係に酔いしれていた筈のノーラは、人が変わったようにヒステリックな態度で、クリスにクロエとの離婚を迫り、一気に窮地に立たされるクリス。

妻に愛はないものの、今さら裕福な生活を捨てる事は出来ないよなぁ・・・そうだよなぁ・・地球のみんな?
妻と愛人の間に、ガッツリと追い込まれたクリスが立てた計画とは・・・?


アガサにとっては、ひ っ っ っ っ っ っ さしぶりのウディ・アレン作品です。
元々、ウディ・アレンが3度の飯より好きだったアガサだったですが、 『おいしい生活』 を最後になんとなく鑑賞を中断していました。

別段理由があった訳ではないのですが・・・。
「やっぱりウディ作品は、ミアと一緒の頃が最高だよね」なんて、懐古主義な訳でもないのですが・・・。
「ウディがNYを離れたらお終いだい」なんて、NYに固執するつもりもないのですが・・・。
まぁ、何となく、・・です。

しかしながら、ウディはミア・ファローとの泥沼訴訟劇でヤな感じに知名度を高めたり、ミアの養女だったスン・イーとの電撃結婚で真性ロリコンの名を全世界に発信したりしながらも、一向に作品自体の質が落ちる様な事は全く無く、変わらぬ傑作を作り続けていたのでした。

そうですねぇ・・。
アガサも、ウディがスン・イーと結婚した頃は、
おっさん、何やっとんじゃい!?
と、呆れ果てた事もありましたが、 『ワイルド・マン・ブルース』 でスン・イーにいい感じに尻にひかれているウディを観て、
これでよかったのかもネ
と胸を撫で下ろしたモノです。
で、アガサが撫で下ろした胸がホラーに占拠されている間に、愛しのウディは新しいミューズを手に入れていたのでした。

・・・薬用石鹸じゃないですよ。(←ベタなボケ

その女神とは、今世紀最大のフェロモン最終兵器、スカヨハことスカーレット・ヨハンソン。
自分自身の魅力を全肯定。
「あたしはセクシー。 だから何?」 とばかりに、全身から放出されるメガトン級のセクシー光線。
並みの女優が束になっても敵わない事でしょう。
女の中の女。 
まさにメスのプロ。

フェロモン含有量は、なんとアガサの5万倍を記録!
今後も更に増幅してゆくであろう警鐘が、各種専門家から唱えられております。

どんな種類の専門家なのかはさておき、そんなセクシーヴォイスアンドロボなスカヨハが、ウディと初のタッグを組んだのが本作であり、それはまたウディのロンドン鞍替え初作品でもあるのでした。
だからなのか、作中登場する場所はロンドンの有名スポット揃い。
バッキンガム宮殿、コヴェントガーデン、パレス座、テイト・モダン、サーチ・ギャラリーなどなど、この一本でロンドン(イギリス)観光を軽く済ませたような気持ちになれるのではないでしょうか。

ストーリーはと言うと、野心家の若者が上流階級の波に潜り込もうと策を練るのですが、その裏で欲望に溺れてしまった揚句、償う事の出来ない重大な罪を犯してしまう。と言うお話で、まぁありがちと言えばありがちな映画です。
しかし、さすがウディというべきは、その罪に対する罰を与えるのが警察ではなく、幸せに包まれた温かい家庭だ、と言う点なのではないでしょうか。

重罪を犯した主人公。
まんまと警察の追及から逃れ、幸せな結婚生活に戻る主人公ですが、その生活はそもそも彼が心から望んでいた幸せではなく、お金と地位が溢れ返るだけの空虚な幸せで満ち溢れた生活なのです。
妻は彼を愛しているものの、求める存在価値はもっぱら子種に集中。
妻の両親は、彼を評価してはいるものの、あくまで「一人の男」としてではなく、「愛娘の婿」としか見ていません。
自分を除いた世界で展開される、生粋のセレブ一族による“幸せな生活”。
そんな生活に、貧乏長屋で病気のおとっつぁんと5人の幼い弟たちを支えながら育ってきた(みたいに見える)クリスが安らぎを見出せる訳もなく、しかしまた、その生活を捨てる勇気も無く、クリスは一生“何不自由ない幸せな生活”という監獄の中で、自分の罪の重さに打ち震えながら生きてゆくしかないのです。

なんという皮肉。
なんという孤独。
人間の本当の幸せとは何なのか、自分の身の丈に見合った幸せとは何なのか?
そんなウディからの鋭い問い掛けが、画面の中から聞こえてきそうな作品です。

ラストシーン、罪を逃れ、待望の赤ちゃんにも恵まれて、幸せいっぱいの家族団らんの席で、まるで絞首刑を控えたような表情をしていたクリスが、とても哀れで印象的だったのでした。
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