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『ぼくを葬る』

2008年01月10日
ぼくを
ほんまアレやなぁ、 オゾンくんは大物喰いやなぁ。(※喰ってはない)


遠方に住む姉とお正月に、久しぶりに再会しました。
で、このブログの話にもなったのですが、ごくたまにしか姉がコメントをつけてくれない事に関して、ご本人から一言。

「だってあのブログさぁ・・・ なんつーか、絡みづらいんだもん。

そうだね、なんつーかホラーばっかでホントごめん・゚・(ノД`;)・゚・

そういえば、以前登録させて頂いていたyahoo!カテゴリ
「評論・レビュー」の枠に登録した筈が、知らない間に「ホラー映画」枠に修正されていたのは、いわゆる一つの気配りってやつなのでしょうかねぇ?
yahoo! はきっと、いい奥さんになりますよ。 (誰の?)

それはともかく、そんな(非ホラーな)姉にも正々堂々とご紹介できる今回のレビューは、 フランソワ・オゾン監督の 『ぼくを葬る』 です。

あらすじ・・・
写真家としての人気はそこそこ出て来た。
最愛の男性(ひと)もいる。
心配してくれる家族も。
そんな恵まれた状況にいたロマンは、ある日医者からガンの告知を受けます。
治療の限りを尽くしても、生存率は5%以下。
治療をしなければ、余命は残り3ヶ月。

以前に知り合いが、化学治療で苦しむ姿をみていたロマンは、迷う事無く治療を拒否。
そして選んだのは、愛する者たちを密かにカメラに収めながら、最期の日々をたった一人で葬(おく)る事・・・。


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アガサが好きな曲に、 『遺書』 と言う曲があります。
cocco(こっこ)のアルバムに収録されている、自分の死期を悟った女性の最期の想いを綴ったその歌は、
私の最期を看取って欲しい。いや、なんだったら最期の止めはあなたに刺して貰いたい。目は逸らさないで私の死に顔を脳に焼き付けて欲しい。灰は海に撒いて頂戴。でもって、いつかは新しい恋をするでしょうけど、私たちの記念日にだけは私の為に泣いてよね。
と言う、凄まじい気迫と緊張感とプレッシャーに溢れる遺言書に仕上がっております。 (※アガサの意訳ですので実際はもっと素晴らしい歌です)

アガサがこの曲を好きな理由は、願いがとても正直なだからです。

自分が死んだら綺麗に忘れて、新しい人生を歩んで欲しい。
それも確かに願うでしょうが、しかし、やはり本音としては覚えていて欲しいのではないでしょうか。
私の為に悲しんで欲しい。
私の表情を思い出して、心を絞って泣いて欲しい。
新しく愛する人よりも、大事な存在であって欲しい。

とても利己的な考え方でしょうが、
自分の事を忘れて欲しくない。
と言うのは、誰もが抱く願いなのではないかと思うのです。

coccoの「遺書」は、そんな身勝手で一方的な願いを素直に表現している所が、死を前にした者のリアルな感情の様に感じられるのです。

で、本作の主人公・ロマンなのですが、彼もある意味とっても身勝手な男です。
余命3ヶ月を宣告された事を、彼は家族にも恋人にも打ち明けません。
いつもと様子が違う事を心配する周囲の人々に憎まれ口を叩き、一人で痛みに耐えるロマン。
ロマンが死んだら、勝手な理由で別れを告げられた恋人は、愛するロマンの末期に付き添って、痛みを分かち合えなかった事を悔やむでしょう。
何の相談も受けなかった家族は、その無力感から立ち直れないでしょう。
ロマンにしてみれば、余計な心配や負担を掛けたくないと言う思いから選択した最期でも、残された者たちにしてみればたまったもんじゃありません。

しかし、自分の意志とは関係なく、無理やり人生から退場させられるロマンが、周りの人の感情より自分の一番いいと思うやり方を貫いた事は、やはりとてもリアルな選択なのではないかと思います。

観ている方(観客)は相当やきもきさせられますが。
(もっと周りに甘えればいいのに・・・とか)

しかしそんなやきもきも、最後に浜辺で一人きりの死を迎えるロマンの姿に、不思議と消え去ってしまいます。
潮が引くように帰ってゆく周囲の海水浴客。
静かに沈んでゆく夕陽。
砂浜に一人横たわったロマンの横顔に、柔らかい最後の光が射している。

一日が終わるように一つの命が消えてゆくシーンは、それは美しく、そして穏やかです。

ロマンがカメラに残した写真は、残された者たちを悲しみから救ってくれる事でしょう。
それはきっと、ロマンの口に出せなかった愛に満ち溢れているだろうから・・・。

つくづく、オゾン監督の憎たらしい程の才能にひれ伏してしまいました。

もう一つ、特筆すべきはロマンの祖母役の御大ジャンヌ・モロー。
少しのシーンですが、ロマンが唯一余命を打ち明ける相手として、圧倒的な存在感と説得力を魅せつけてくれます。
ゲイのロマンに「もう少しぼくが若かったら結婚したかったよ」と言わしめる御大。
御大のフェロモンは性別をも越えた!

それにしても、シャーロット・ランプリングにカトリーヌ・ドヌーヴ、エマニュエル・ベアールにイザベル・ユペール、そしてファニー・アルダンなどなど、大物がこぞって出演するオゾン作品。
オゾンくんは大物女優に信頼されてるんやなぁ・・・。
さすがはゲイですね! (←そこは関係ない)
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『まぼろし』

2007年12月28日
まぼろし
ニュータイプ誕生。

“世紀の名作”・ 『タイタニック』 の公開当時、女友達の間でよく話題に上っていた事があります。
それは、
「あなたは恋人を見捨てて生き延びる事が出来るか?」
と言う事。
(ただし、ただの恋人ではなく、運命を感じた一生一人の恋人の場合)

意見は大体、
「彼が身を犠牲に助けてくれた命だもん。彼の分まで幸せにならなきゃ」
と言うローズタイプと
「助けられたかもしれない彼を踏み台にしてまで助かりたくない。彼無しの幸せなんてありえない」
と言うアンチ・ローズタイプに別れていまして、ちなみにアガサは後者でした。

恋人に限らずそれが家族だったとしても、自分が命を捧げてもいいと思うほど愛した人が抜け落ちた人生を、幸せに生きてゆく自信はありません。
苦しみを乗り越えて、その人の分まで充実した人生を切り開いてゆくなんて、とてもじゃないけど出来ません。

私は、卑怯者なのかもしれません。
私は、その人の願いを踏みにじっているのかもしれません。

でも、人間には出来る事と出来ない事があり、思うにローズの様な人生の選択は、私にとっては後者なのです。

あらすじ・・・
マリーは、いつでもジャンに会う事が出来る。

25年連れ添った、唯一の家族・ジャン。
ある夏の日の海で、突然姿を消したジャン。
警察は、ジャンの生存は絶望的だと言っている。
友人は、ジャンの事を忘れさせようとしている。

しかし、マリーはいつでもジャンに会う事が出来るのです。
灯りの消えた家で、いつでもジャンはマリーを待っていてくれる。
そして、疲れたマリーに優しく声をかけてくれる。

だからマリーは、人生を歩み続ける事が出来るのです。
ジャンの“死”とは、すなわちマリーの人生の終わりを意味しているのです・・・。


ここにも居ましたねぇ・・・。
アンチ・ローズタイプが。


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最愛の夫を喪って、現実を直視する事が出来ないマリー。
いえ、直視しているから尚のことなのかもしれません。
とにかくマリーは、夫の“まぼろし”と共に暮してゆきます。
辛い現実も、“まぼろし”が寄り添ってくれるから何とかやり過ごす事が出来るのです。

そんな“まぼろし”は、彼女を過去に縛り付ける足枷なのでしょうか?
それとも、未来を生きる為の支えとなってゆくのでしょうかるのか?
どちらにしても、それはつらすぎる“まぼろし”です。

ジャンはどうして、マリーを人生に置き去りにしてしまったのか。
ハッキリとした答えは出て来ません。
ジャンが生前、うつ病で投薬を受けていた事は明らかになりますが、失踪(自殺)時に薬を飲んでいたのかどうかはわかりません。
せめて、遺書の一つも遺してくれていたら・・・。
せめて、遺体がすぐに揚がっていたら・・・。

お墓の前で泣く事も出来たでしょうに・・・。

色んな事が判らないので、後を追う事も出来ず、ジャンが居た頃と同じ様に人生を歩むしかなかったマリー。
例え新しい恋人が現れたとしても、それはマリーにとっては不倫であり、恋のトライアングルでしかないのです。
そして、ジャンの遺体と対面したとしても、それを受け入れる事はマリーにとっては死刑の宣告と同じ事なのです。

ジャンが居ない人生を一人で生き抜く事は出来ない。
でも、ジャンが居ると思えば生き抜いて行ける。
だからマリーは、生きる為にジャンのまぼろしを作り続けるのです。
きっと、ずっと、いつまでも。


これは
「あなた無しでは生きて行けない」アンチ・ローズタイプ
とは違う、より強い生存願望を抱いた
「あなた無しでは生きて行けない、ならばあなたを作り出そう」というニュータイプ
なのかもしれませんね。

シャーロット・ランプリングは、このニュータイプを「強さ・果敢なさ・危うさ」と共に見事に表現しており、その演技はまさに芸術品です。
そして何より、こんな心をえぐる作品を作り上げたフランソワ・オゾン監督の才能には、激しい眩暈を感じてしまいました。

こうなったら、オゾンさんの全作を観ないと気がすみませんねぇ。
ちょっくらレンタル屋まで小走りで懸け抜けてきます。



※一応注釈・・・ 
冒頭のアンチ・ローズタイプのくだりについてですが、アガサは何も、後追いを推進しているのでも示唆しているのでもありませんので。念のため。
愛する人が居ない悲しみを乗り越えて一人で生きてゆく自信はないので、まずはそうならない様に全力を尽くします。

ちなみにアガサがローズの状況に立たされたなら、まずはもっと平等に(板の上を)交替します。
そして、肉のつき具合を見て、交替の時間配分をさらに平等にします。
ジャックが眠そうになったら、「起きんかコラ──ッ」とハリ手をお見舞いします。
2人で助かる道しか、選ぶつもりはありません。

2人で助かってこその人生ですもの。
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『8人の女たち』

2007年12月20日
はちにん
世のメイドどもは、ルイーズさんを見てもう一度出直して来い!

あらすじ・・・
雪深い山中の別荘。
そこで暮すのは富豪のマルセル。
そして彼の妻の母・マミーと、妻の妹・オーギュスティーヌと、彼の娘・カトリーヌ。

ある日、クリスマスを祝う為に別居中の妻・ギャビーと長女・スゾンが帰ってきました。
久しぶりの再開を喜ぶ一家。
しかし、マルセルを起こす為にメイドが寝室のドアを開けると、なんとそこには背中をナイフで刺されて死んでいるマルセルの姿が・・・。

慌てて警察を呼ぼうとするギャビー。
電話線が切られている事に気付くのに、そう時間は掛かりませんでした。
ならばと車で呼びに行こうにも、大雪に塞がれて動けません。

閉ざされた別荘内で、疑心暗鬼になる女たち。
一家の5人+シャネルとルイーズという2人のメイド。
そしてそこに、マルセルの妹・ピレットまで現れて、もはや邸内は大暴露大会の様相を呈してきます。
「あんたなんてレズのくせに!」
「なにさこの売女!」
「守銭奴が何を偉そうに!」
「お前こそ淫売じゃないか!」
「近親相姦だぁ?あーやだやだ!」
「無計画妊婦は黙ってな!」

美しい雪景色の下には泥に覆われた大地があるように、美しく着飾った女たちの化粧の下にはどれほどの醜い嘘が隠されているのか・・・。
マルセル殺しの真犯人が明らかになる時、女たちの素顔もまた白日の下にさらけ出される・・・!


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いやぁ、ルイーズさん最高!
高慢ちきな女主人たちが闊歩する邸内で、ソツの無い給仕を全うするルイーズさん。
前半は控え目な態度で、本性がバレる中盤からは堂々と居直る態度で、しかしながら痒い所に見事に手が届くメイドっぷり。
見た目の童顔さ加減とは裏腹な、むせ返るようなフェロモン砲といい、コイツはまさにメイドの鑑なのではないでしょうか。

年末ジャンボが当たったら、真っ先にオファーしたいメイド・ナンバー1ですね。(時給高そうなので)

・・・まぁ、ルイーズさんは一先ず置いておいて。

今やすっかりフランスの人気監督となってしまったフランソワ・オゾン。
昔観た 『ホームドラマ』 と言う作品は、身震いがするほど変態臭たっぷりの傑作でした。
当時短編も観ましたが、これがまた黒い感情を澱の様に沈ませる良作。
その後、アガサは観る機会が無かったのですが、新作する作品が次々に色んな賞を掻っ攫っていくと言う快進撃を続けたフランソワ・オゾン監督(通称フラ夫)。
そんなぱらゲイだと噂されるフラ夫が、フランスの人気女優を一堂に介して撮ったオサレな娯楽作とは一体どんなモノなのか?

どうやら悪意たっぷりの総天然色女優ショーだったようですねぇ。

『シェブールの雨傘』でお馴染み、フランス女優といえばこの人。カトリーヌ・ドヌーヴ (ギャビー)
『永遠のマリア・カラス』でお馴染み、天下のトリュフォーの嫁ことファニー・アルダン (ピレット)
『美しき諍い女』でお馴染み、フランスが世界に誇るフェロモン核弾頭ことエマニュエル・ベアール (ルイーズ)
『ピアニスト』でお馴染み、変態エリカ先生ことイザベル・ユペール (オーギュスティーヌ)
『ザ・ビーチ』で、レオ様をフェロモン漬けにした磯娘ことヴィルジニー・ルドワイヤン (カトリーヌ)
などなど、酸いも甘いも噛み分けたフランスの新旧人気女優が勢ぞろい。

美しい衣装を華麗に着こなし、ヘタウマな歌を愛嬌たっぷりの振り付けで披露してくれる8大女優の皆さん。
メイド頭役の黒人女優さんを除いて、他7人のフェロモン女優陣が均等に見せ場もキメ顔も用意されると言う周到さは、当然と言えば当然なのでしょうが、
ドヌーヴさんはコチラの角度でお願いします!
すみません!ベアールさんのエビアンがぬるいそうなので、至急替わりの物を!!

と言うセット裏で飛び交うスタッフの叫びまで、リアルに聞こえてきそうな気まずさ緊張感を感じさせます。

昔の日本の『オールスター忠臣蔵』モノ(阪東妻三郎・片岡千恵蔵・嵐寛寿郎・月形龍之介)などは、役者の台詞の数まで平等に振ってあったと聞きますが、この作品もかなり隅々まで気を配って作られているのでしょうねぇ。
しかしそんな気配りが逆に、撮影中の女の力関係を想像させて怖いったらありません。

したたかな女たちの、毒っ気たっぷりなセリフの行間にこれでもかと詰め込まれた
女って生き物は、コワイよ~ ホントだよ~
と言うメッセージは、フラ夫のメスに対する挑戦なのか、それともオスに対する警告なのか・・・。
少なくともアガサは心底震え上がりましたね。 自分、女ですけど。

その上、ドヌーブとアルダンが罵り合いの果てにキャットファイトを始めた日にゃあ、セット外でのピリピリとした空気で窒息寸前です。
姐さんがた、自分が腹を斬りますんでココはひとつ・・・

・ ・ ひと・ ・つ ・ ・



・・堪忍してつかあさい・・・・゚・(´Д`)・゚・ 


一見幸せそうだった一家が、主の死によって狂い始めてゆく・・・。
本当の事を言っている人など一人もおらず、何らかの秘密を隠し持っている。
そして、誰もが市原悦子。 誰もが見ていた。
女たちはこっそり目撃されており、秘密が次々と明らかになって行くストーリーは、アガサ・クリスティの小説の様でとてもワクワクします。
カーテンコールのようなラストショットまで、艶やかな女優陣の演技合戦から目が離せませんね!

これで満腹になれないのなら、お代はいらねぇよ! と言う、3つ星シェフ・フラ夫の啖呵が聞こえてきそうな、目にも楽しく口にほの辛い豪華絢爛な女優ショーでした
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『マリアの受難』

2007年12月15日
マリア
その王子様は40歳・独身。

『パフューム ある人殺しの物語』 の監督がトム・ティクヴァだったのだと知ったのは、DVDをプレイヤーに入れ、長すぎる予告編集を見終えて、やっと始まったオープニングタイトルを観た、まさにその時でした。
そうか・・・そうやったんか・・・。
瞬間、アガサの心は遥か遠く、まだ20代半ばで映画館に通い詰めだった頃に飛んでいました。
岡山で唯一のミニシアター、シネマ・クレール。
当時そこで観た 『ラン・ローラ・ラン』 には、アガサの胸に深く刻まれた甘酸っぱい青春の想い出が、もれなくおまけで付いて来るのです。

・・・まぁしかし、そんな甘酸っぱいレビューを書いてもなんなので、そんな 『ラン・ローラ・ラン』 の監督でもある トム・ティクヴァの長編デビュー作、『マリアの受難』 のレビューを行ってみますわい。

あらすじ・・・
平凡な主婦・マリア。
一秒の狂いも無い規則正しい生活の中で、何の感情も持たず、ただただ愛情の無い夫と寝たきりの実父の世話に明け暮れる。
そんなマリアの生活に、ある日変化が訪れます。
いつもの様に見下ろしていた窓の下の風景。
その中を通り過ぎていた男性が、彼女の方を見上げていたのです。
2人の視線はほんの数秒間絡み合い、何かが生まれる予感がした。
そして、直ぐに予感は実感に変わる。
マリアの隣人だった、その男性からの電話。
確かな熱い感情によって、マリアは生まれ変わろうとしていました・・・


チクショー・・・これも甘酸っぱいじゃねぇか・・・

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例えば、いつも行く映画館。
何故だかよく見かける、同い年くらいの異性。
ある日、その人が話しかけて来たら・・・
「いつもあなたの事が気になっていたんです」と・・・。

例えば、いつものコンビニ。
同じ時間帯、同じ人。
顔はすっかり覚えていたけど、私語を交わした事など無かったその人に
「つきあっている人、いるんですか?」なんて言われたら・・・。

“いつもの平凡な自分を、密かに見出してくれていたあの人”
と言うのは、理想の王子様なのではないかと思います。
特別着飾っても、念入りなメイクをもしてもいない、素の自分に恋してくれる。
そんな、小説やドラマの中ではお馴染みの王子様(ただし実際にいたらキモいと罵声を浴びせられる事ナンバー1の半ストーカー)と、マリアは出逢うべくして出逢います。

王子様は、同じマンションの隣の棟に住む中年男。
3階に住むマリアがいつも、夕暮れに窓際でタバコを燻らす姿を見つめ続け、密かな想いを寄せていた王子様。
そして実は、1階に住む彼の部屋の窓も、マリアの部屋から丸見えだった。

・・・ベタだ・・ ベッタベタだよコレ・・
おうちが隣同士でお互いの姿が窓越しに見える。だなんて、昔の「りぼん」か「別マ」レベルだよ。
そして、お互いが揃って恋愛経験の乏しい加齢集コンビな訳なので、当然会話も弾まないよ。
好き好きオーラがビシビシ飛び交っているのに、
キスのタイミングを今か今かと計りまくっているのに、
最後の一手が打てないんだよ。
だって中年だから! 2人合わせて喜寿だから!!(←推定)

無駄に年ばかりを喰ってきた様な不器用な2人の恋は、観ているコチラまでドキドキしてしまうほど、リアルな心拍数を感じさせてくれて、ホントにもう、甘酸っぱいったらありゃしない。
で、一応人妻であるマリアの倫理的な問題は?と言うと、マリアの夫は彼女の事を、完全に奴隷か家政婦扱い尚且つギャンブル狂いなので難なくクリア。
むしろ、彼女の不憫な生い立ちを知ってしまうと、心から声援を送りたくなる程です。

『マリアの受難』 と言う題名が示すように、宗教的なイメージも多く感じる本作。
マリアがいきなり受胎・出産したり、無意識のうちに贖罪の人生を歩まされていたり、人生とは?生きる意味とは?と言う小難しいテーマを感じさせたりと、一見とっつきにくい印象を与えてしまいそうなのですが、実はとてもシンプルな物語なのではないかと思います。

要は、
無味乾燥な生活を送る主婦が、運命の相手と出逢う
と言う、凄くありきたりで胸にグっと来る(主婦は尚の事)普遍的なラブストーリー

悲劇的なクライマックスとその後に映し出される奇蹟のラストシーンは、何故か涙がこぼれてしまった程、愛情と救いに満ちていました。

色んな意味で、アガサの生涯ベスト10に入る作品かもしれませんねぇ。

ちなみにマリアの “一風変わった趣味” のシークエンスは悪趣味かつ変態色満載で、その暴走っぷりも見応えたっぷりですので、『ミセス・シンデレラ』系が苦手な殿方にも安心してご鑑賞頂けるのではないかと思います。
キーワードは虫と言う事で。 
ときめき変態ワールドを、皆さんも是非ご堪能あれ!
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『トランスアメリカ』

2007年12月05日
transamerica.jpg
不幸で、とても幸せな親子の物語。

あらすじ・・・
LAに住む中年男スタンリー・シュパックは今、サブリナ・クレア・オズボーンとして生まれ変わろうとしていました。
完全なる性転換手術によって、長年苦しんできた性同一性障害にケリをつけようとしていたのです。
しかし、その手術を1週間後に控えたある日、サブリナ(ブリー)に一本の電話が掛かってきます。
それは昔、ブリーのたった一度の気の迷いから産まれた見知らぬ息子が、逮捕されたと言う知らせ。
手術で頭が一杯のブリーは、面識も親心も無い息子を無視しようとしますが、親友で手術保証人のマーガレットから
「自分の過去と向き合わないままで生まれ変わる事は出来ない」
と諭された為、迷いを抱えたまま、息子のいるNYへと向かう事に。

人生をかけた手術まであと数日。
初めて逢った息子と共に過ごすNYからLAまでの横断旅行で、彼女(彼)は捨ててきた多くの過去に直面し、心の整理をつける事が出来るのでしょうか・・・。


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「自分という人間の、入れ物と中身は違う」と、ある日気付いてしまったら・・・。
自分は気付いているのに、周りからは見た目のままの扱いを受け、しかし、否定も出来ずに過ごして行くのは、どんなにか辛い事でしょう・・・。

この作品の主人公・ブリー(旧スタンリー)も、辛い青春を送ってきました。
酒も飲んださ。 ハッパも吸ったさ。(←アガサ予想)
理解の無い親に無理やり病院に入れられ、自殺を図ったりもしたさ。

・・・ああ、そして女も抱いたさ。

で、そんな一夜の過ちの成果が、17歳・只今青春まっさかりのトビーとして、ブリーの前に突きつけられたのでした。

そしてそんなトビーもまた、父親を知らずに育ち、母親には自殺され、継父には性的虐待を受け家出の果てには、生きる為に男娼の道を選ぶと、実に悲惨な人生を歩んでいました。

まさに、親の因果が子に報い。状態。

ブリーはそんな不幸ど真ん中のトビーに、自分が親だなんて打ち明けられるはずもありません。
ましてや、トビーが見知らぬ父親に、
「おれの父ちゃんはハリウッドで成功して大豪邸でウハウハ状態に違いない」
などと、果てしない幻想を抱いていると知った日には、いやもう絶対無理っス。

と言う訳で、アメリカ横断を余儀なくされたブリーとトビーの旅は、不自然な事この上なし。
実の親子なのに、赤の他人。
自らの身の上を少しずつ明らかにするトビーとは裏腹に、ブリーは色んな事を隠さずにはいられない。
その対比が実にもどかしく、時に可笑しく、胸を締め付ける。
徐々に親心が芽生え始めるブリーと、ブリーが男性だと知ってからも何とかそれを受け入れ、ついには愛情めいたモノを抱き始めるトビー。

父親に結婚を申し込んでしまいました・・。 

・・・死のう。

と、全ての真相がわかった刹那、トビーが心の中で言ったとか言わないとか。
とにかく愛情と同情が混ざり合った感情の渦に飲まれて(いや、もしかするとそもそもソッチの気があったのか)、全裸で愛を告白するに至った息子を前に、これ以上ブリーが秘密を隠しとおせるハズもありません。
悔恨の念と共に、父親カミングアウトをしたブリーを、トビーは力いっぱいグーパンチわかる、わかるよトビー。

この映画で、アガサが一番救いを感じたシーンは、実はこのシーンでした。

“プロポーズ大作戦”時に二人が居たのはブリーの実家。
長年、ブリーの辛さを理解しようとせず、苦しみを与え続けてきた母親が支配する家です。
母親は、未だにブリーをスタンリーとしてしか扱おうとせず、密かに存在していた孫トビーを、息子の替わりに溺愛。
しかし、いざブリーがトビーに殴り飛ばされた瞬間、母が駆け寄ったのはブリーの元でした。
怪我を負った息子に寄り添い、優しく手を当てる。
やはり、どんなに横暴でどんなに無理解な母でも、息子を愛している事には違いは無いのです。
このシーン、この瞬間に、親子の深く途切れる事無い愛情を感じ、胸が熱くなりました。

そしてそれは、ブリーとトビーの間にも確かに存在している愛情なのです。
たとえ判り合えなくても、たとえ疎遠にしていても、血を洗い流す事など出来ないし、遺伝子レベルで愛というものは存在しているのではないでしょうか。

母親としての愛情を痛いほど感じ、息子を傷付けてしまった悲しみに、手術の成功の喜びなど消し飛んでしまったブリーと、
「おれの父ちゃんはイチモツを持つ母親」と言う衝撃の事実を知ってしまい、ショックのあまり家を飛び出してしまったトビー。

二人が再び一つの家に集うラストは、これ以上ないほどの希望に溢れ、そこに存在する確かな愛情を感じさせてくれる、とても温かいシーンでした。

やはり人と人は向き合わないといけないのですね。
そこにどんな見たくない事実が横たわっていても、しっかり目を逸らさずに向き合ってみないと。
でないと、大切な愛情を見逃してしまうかもしれませんね。

久しぶりにホッと出来た、ステキな作品でした。

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