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『アンチクライスト』

2011年03月05日
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史上最も過酷な夫婦喧嘩がここに!


【夫婦生活で犯してはいけない7つの大罪】

1・「嫁の日常に無関心」

セラピストとして多くの悩める人間を救ってきた夫は、一番身近にいる妻の悩みには無関心。
今日も
「あーぁ・・山に篭ってゆっくり論文でも書きたいなぁ・・」
とこぼした妻に、
「じゃ行ってくれば?ニックと一緒に。」
と素気無い返事。

そうじゃないでしょ! そこは
「どうしたの?何か煮詰まった?オレが子ども見とくから、ちょっと旅行でも行ってくるか?ん?」
っていうパターンでしょ!! 奥さんひとりの時間を作ってあげなきゃでしょ! さっきのじゃあ、幼い子どもと一緒に嫁を厄介払いしてるようなものですよご主人!マジ気をつけて! 気遣っているように見せかけて突き放しちゃダメ!


2・「嫁の話を聞かない」
ある日、夫婦が夜の営みに夢中になっている間にベビーベッドを抜け出したニックが、窓から転落して亡くなるという事故が起きる。
自責の念から激しく落ち込む妻。 日常生活もままならない為、病院にて心身共に治療を施されていたのだが、セラピストの腕に自信を持つ夫は妻を強制退院させ、自らがカウンセリングを行う事を決意します。

はい!コレまたマズいよね! 「オレ」を押し付けちゃダメでしょ! 病院で処方された薬を飲んで、段階を踏んで前に進もうとしている妻に「そんな薬意味無いぜ!」ってご主人!「オレが一番嫁を理解してるんだぜ!」ってご主人! 根拠の無い自信はダメ!絶対!! もっと、奥さんがどうしたがってるのかってトコを聞いてあげて!


3・「嫁の気持ちを考えない」
かくして自宅に戻った夫婦だが、そこはまさに愛する息子が不幸な死を迎えた場所。 命の痕跡が色濃く残っている場所。
どこを見ても、何をしていても、無情に突きつけられる“息子の不在証明”に、妻はますます精神のバランスを狂わして行く。

ご主人!ちょっとご主人!アナタナニカンガエテマスカー!(※興奮のあまり口調が乱れています)  あなたは確かに、ショック状態の嫁をフォローする為にも、気丈に振舞っているのかもしれない。振舞えているのかもしれない。 がしかし!嫁は違うでしょ! 自分の過失を常に突きつけられるような場所に連れて帰ってどうするんですか! ノンノンですよ! そこは敢えて、現実逃避出来るような遠くの場所、ほら、避暑地的なトコとかさぁ、そういう場所にしなきゃダメでしょ! 荒療治は逆効果ヨー!!

4・「嫁にハードルの高い宿題を押し付ける」
カウンセリングを続ける中、妻の心に巣食う恐怖の根源が、どうやら昨年彼女と息子が休暇を過ごした森にあると知った夫は、嫌がる妻を説得し、“エデン”と呼ばれる森へと向かう。

そうそう、避暑地的なね、遠くの場所にね、 ・・・ってバーカ!おまえバーカ!!   だからそういうコト言ってるんじゃないでしょ! さっきも言ったけど、荒療治は逆効果ヨー!メガリョウジヨー!  「トラウマに向き合う事で、現実を受け入れ立ち直る事が出来る」って、判るけどさあ!意図はわかるけどさあ! 今やることじゃないよね! ハードル高すぎるよね! 自分だけのものさしで物事を考えちゃダメ!


5・「嫁の求めに応じない」
森に対し異常な程怯えている妻に、ひとつづつ課題を出し、恐怖を乗り越える事を強いる夫。
なんとか克服しつつあるように見える妻だったが、心の奥底では何も変化しておらず、不安定さを誤魔化すかのように夫の体に貪りつく。
しかし夫は、カウンセラーとしての役割を優先し、妻が差し伸べる手を払いのけるのだった。

やれやれ!据え膳喰わぬはなんとやらですなあ!  ていうかね、ご主人、ホントちょっといい加減にしましょうよ。 なぜ嫁が自分の体を異様に求めるのか、罪を消そうとしているのか、罪をさらに重ねて、自分を滅してしまおうとしているのか、そういうトコを酌んであげるのが夫の役割じゃないんですか。 いや、これは妻も同じですけどね、体を重ねるっていうのは、ただ単に性欲の解消ではないんですよ! やーい!このへっぽこカウンセラー!! 


6・「嫁を信用しない」
治療を重ねれば重ねるほど、一進一退どころか悪化の一途を辿る妻の容態に、焦りを抱きはじめる夫。
そんな時、偶然入った屋根裏部屋の中で、昨年妻が書いていたと見られる論文と、その資料を発見する。
それは、魔女狩りなどで行われた、おぞましい拷問と殺戮を扱ったもので、女の本質=悪魔と言わんばかりの狂気に満ちた内容だった。
妻が錯乱するに至った原因は、本当に息子の死だけだったのか?
実は妻はずっと以前から、狂気に蝕まれていたのではないのか?
夫の中で、妻に対する不信感の種が一斉に芽吹き始める。

だーかーらー! 言わんこっちゃないね!「根拠の無い自信はダメ」って言ってたもんねオレ! ご主人が「わかったつもり」でいた嫁が、実は「思てたんとちゃうかった!」からって、泣き言いってんじゃねえですよ!ケツの穴のちいさか男たいね! 自分が救うと決意した、誰の手にも任せないと決めた奥さんでしょ! あなたが信じなくて、誰が奥さんを信じてあげるっていうんですか!  死なば諸共で、とことん連れ添ってあげましょうよ! 病める時も!健やかなる時も!


7・「嫁のオシャレ心を理解しない」
完全に精神のバランスが崩壊してしまった妻は、ついに夫に向かい牙を剥く。
乱暴に体を求め、それが叶わないと知るや、傍にあった木材で夫の性器を殴打。
失神した夫の足にドリルで穴を穿ち、そこに砥石を留めつけミッションコンプリート。 
今、ちょっと重めのファッションが新しい・・・!
が、目覚めた夫は砥石の重みと傷の痛みに恐れをなし、妻から脱げ出すべく地面を這いずり、傍にあったキツネの巣穴に隠れてしまうのであった。

世の男性陣の一番ダメなトコ来たね! あのね、奥さんがご主人のファッソンセンスを嘆く理由がおわかりか?かっこよくなって欲しいからですよ! 関心が無かったら何も言いませんて! そこに愛があるからファッソンに口出しするんでしょ! もうねえ、ちょっとばかし足が痛くったって、そこはグっと我慢の子で 「お! 足に砥石ですか?! 斬新っすね!」 とイイネ!ボタンのひとつも押してあげましょうよ! 案外、慣れれば鉄下駄感覚で使いこなせるようになるかもですよ! ならないかもだけど!!

と言う訳で、上記の点に充分気をつけて、みなさんは楽しい夫婦生活を共に白髪の生えるまでお過ごし下さい!
以上、ラースからのアドバイスでした!


という内容では無いんですけどね。 にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ  見ようによっては強ちハズレでもないような・・。


“アンチクライスト”というタイトルが現しているように、本作は宗教色が強い作品な為、キリスト教の教義を知っているかいないかで、解釈も変わってくるのではないかと思います。
アガサは、というと、何を隠そう幼少期、日曜学校に通っていた事があるものの、もっぱら「親から献金用にもらった小銭でこっそり駄菓子を買う」為だけに通っていたようなものでしたので、信心らしい信心は持っていませんでした。
残念な子羊で、どうもすみません。

そこで、専門的な解釈はその道の方にお任せして、見たままのイメージから自由に解釈しますと、本作はものすごく悪意に満ちた映画だったような気がします。 あと、超ネガティブな映画だったなぁ、と。

作中で言及されるのですが、「自然は悪魔の教会だ」というのが大きなテーマとなっているようでして、妻がひたすら恐怖を抱くのは、緑豊かな大自然。
アガサの中にあった、「自然とは、厳しくも温かく命を生み出し育むもの」というイメージを真っ向から否定するように、「自然は非情」 「自然は残酷」 「自然マジパネエ」 「自然ちょうこわい」 と、自然がひたすらおっかないものとして描かれています。
ヤバイよ! これC・W・ニコルさんが聞いたらロースハム持って殴りかかって来ちゃうよ!

ただ、確かに、自然ほど「死」にシビアな世界は無いのも事実。
樫の木から雨粒のように降り注ぐどんぐりの実は、その殆どが死に、大きく成長できるのはほんの一部分。
弱い雛鳥は木から落ち、救い上げられる事もなく啄ばまれてゆくのみ。
一秒ごとに命が生まれ、一秒ごとに死んで行く世界。
そこは見ようによっては、悪魔が絶望を教示する場所なのかもしれません。
その事に気付いてしまった妻は、何気ない森の風景に響き渡る架空の赤ちゃんの泣き声(森が上げる絶望の叫び声)を耳にしてしまい、森に対し恐怖心を募らせて行く。
地面を覆いつくすような沢山の裸体で、自然界に横たわる「死」の容赦のなさを表したカットは、夢に出てきそうなほどの禍々しさに包まれ、最高に悪意溢れるシーンだったと共に、そりゃ森の景色がこんな風に見えたんじゃあ心も病むだろうなぁ・・と妻が気の毒になってしまいました。

本作でもうひとつ印象的だったのは、「落ちる」カット。
先程も書いた、どんぐりの実。
宝石のようにキラキラと輝くシャワーの水滴。
ふわふわと舞い落ちる雪の粒。
巣から落下する雛鳥。
机から滑り落ちる、悲嘆、苦痛、絶望、の銅像。
そして、幼いニック。

本作では、実に色々なものが「落ちて」行きます。
それらは「死」そのものを表していたのではないでしょうか。
あるいは、「死」の予兆を。
では、ラストシーンで、丘を「上がって」行く沢山の女たちは何を表していたのか。
それは新たな「生」なのか?
女は、本当にアンチクライストだったのか?

夫婦が森へ向かう列車の窓ガラスに、『エクソシスト』でサブリミナル的に挿入された悪魔の顔さながらの、おぞましい顔が浮かび上がったり、
心を病み始めた(悪魔に取り憑かれた)妻が、息子に靴を左右反対に履かせていたり、
彼らが耽るのが悪魔的堕落の代表である「肉欲」だったりと、何かと「アンチクライスト」を意識させる演出がなされていたのですが、アガサはどうしても、妻が「アンチクライスト」だったとは思えなくてですね。
救いを求める憐れな子羊だったのではないか、と思えてならなかったのですよね。
その声に耳を貸さず、救済を放棄した夫の方が、よっぽどか性悪じゃん、と。
という風に考えるとあら不思議。 妻がアンチクライストから殉教者に早変わり!  いや、ちがうから!ラースさんの「女こえー」的な、超後ろ向きな考え方が気に食わないだけとか、そういうじゃないから! 無理やりとかじゃないから!


とまあ、色々書きましたが、そういうひねくれた考え方から一旦離れて観てみれば、要は本作は

「こじれた夫婦関係が、子どもの死によってさらにこじれ、そのうえ夫がやることなすこと全てが裏目に出て、どえらい夫婦喧嘩に発展する」

という、世の悩めるご夫婦にとって素晴らしい反面教師的な作品だったのではないでしょうか。

とりあえず、奥さんはご主人の、ご主人は奥さんの話をしっかり聞こう!  とりとめのない内容でもきちんと聞こう!


夜のお楽しみはそれからだ!



-追記-

・ 後半に超えげつない自慰シーンがあるので要注意ですよ。

・ そんなにこすったらあかん! パート1(奥さん篇)

・ そんなにこすったらあかん! パート2(旦那さん篇)

・ なまいきシャルロットさんは、何かいやなことでもあったのだろうか・・・。(というくらい自分を捨てた熱演)

・ キツネがシャベッター!!!

・ 「現われると死が訪れる」という3人の乞食は、キリスト誕生の時に現われた3人の賢者のネガティブ・バージョンみたいなものなのか。 いやあーこの映画とことん陰気やでー!

・ そこ切ったらあかん!! (※シャレにならないほどエグいシーンです)

・ それにしても、ほんと、シャルロットはがんばったよ! 今年はシャルロットが優勝でいいよ!

・ 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のラストを見た時も思ったんだけど、ラースさんは今回もやっぱり、見せなくていい部分(落下した子どもが地面にぶつかる瞬間)までもを見せてしまっていて、アガサは思いを新たにしたのでした。 オレやっぱりこの人キライ!!! (窓枠と一緒に映っていた子どもがフレームアウトするだけでわかるから。 子どもがどうなるかわかるから。 そこまで映さなくてもわかるから。 なのにわざわざ映すのがラースさん流。 オレ、この人キライ!)

・ キライなんだけど、きっとまた次回作も観ちゃうんだろうなぁ・・。 くやしいっ・・ビクンビクンッ

・ 散りばめられた小ネタの数々のひとつひとつを、何度も反芻しながら観ると、また違った発見や感情がでてくるのかもしれませんので、出来れば何度か観返す方がいいかもしれません。 もしくは、観た人と沢山お話するとかね!  決して楽しくない作品ですが、クセになる作品だと思いました。 オレ・・この人キライなのに・・くやしいっ・・ビ(略)


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『黒く濁る村』

2011年02月15日
こけ


あらすじ・・・
やあやあよくきたのう。 わしがこの村の村長のチョン・ヨンドクじゃ。
まあまあ座りなされ。 田舎の空気はうまいじゃろう、そうじゃろう。
うむ、お父上のことは残念じゃった。 がまあ、年齢のことを考えればさほど不思議ではないと思うがのう。
この後の葬儀の事はわしらに任せておかれるがよいぞ。 
こんな田舎の村じゃてのう。 みな、きみの突然の来訪に驚いておるのじゃよ。いや、迷惑とかではないぞ。もちろんじゃとも。
まあ、じゃあ、埋葬も済んだことだし、お別れ会を設けてあげたでの、たんと食べて都会へおひきとりを・・

なんと? 帰らんと?
まさかこのままこの村に住み着くなどと・・  言うのかね、そうかね。これは甘い驚きじゃのう。スイートサプライズじゃのう。
なんじゃね、何か腑に落ちない点でもあるのかね?
お父上の死亡診断書もきちんと用意してあげたにも関わらず、まだ何か気になる点があるのかね?
村民の態度が気にかかる、とな。
きみはアレじゃのう、まだ若いから、シャイな田舎の老人心というものがわかっておらぬのじゃろうな。
わしらは閉塞的なのではない、内弁慶なだけじゃよ。
まあよいまあよい、居たいと言うなら気が住むまで暮らすがよい。
じゃが、田舎は不便じゃぞ~。 ヘビも出るぞ~。 夜になったら布団にムカデが入り込むぞ~。

しかし困ったことになったのう・・・ あの若造、いつまで村に居座るものか・・・ ぬぬ!ソンマンが崖から転落しておるではないか! くぬう・・ソンマンめ・・早まりおったか・・。 
なんじゃねなんじゃね、わかっておるよ。 確実にあの若造が一枚噛んでおるに違いないわい。
おのれ・・わしの村の大事な村民を・・・。

おお、きみかね。  いや、何も言わずともよい。
ソンマンは死んだ。
きみはまだ村に居る。
と、いうことで、ここはひとつ、都会に帰ってくれんかね。
ダメか。そうじゃろうな。わかっておったよ。

いやまて、ソンギュ。 おまえの苛立ちはわしとて同じじゃわい。
じゃが、あの若造はユ氏の息子じゃて、一筋縄ではいかぬ男じゃぞ・・。 ここはひとつ、事を慎重に運ばねば・・。
って燃えておるではないか! ソンギュの家ではないか!ええい何をしておるのじゃ!早く火を消さんか!!
うぬう・・ソンギュめ・・じゃからあれほど慎重にと・・ええいええい・・無念じゃ・・。
あの若造はどこに逃げたのじゃ!なにおう!ヨンジが逃亡を手助けしたじゃと!
あの女一体なにを考えておるのじゃ! わしらがどれだけあの女やユ氏に善くしてやったと思っておるのじゃ!

まあよい。いや、きみがソンギュの家に火を放ったことも、そこからまんまと逃げたこともわかっておる。
じゃが、あえて、あえてわしはきみを責めない。
そしてあえてきみに問いたい。 
もう、頼むから帰ってくれんかね、と。
ダメじゃろうともそうじゃろうとも。そんなことは全部お見通しじゃ!年寄りなめんな!

おい、なんじゃあの怒声は。あの声はドクチョンではないか。
な・・なにを考えておるのじゃ!わしとドクチョンの20年間を、全部あの若造と若造の友達に話して聞かせるなどと!ばか!ドクチョンのばか!信じてた!わし、信じてたのに!
そうか、わしのせいか。そうじゃな。わしが悪かったんじゃよ。お前の裏切り行為は、すべてわしの不徳の致す所・・・お前にこんな非道な仕打ちをさせてしまったもの、お前のタレコミによってわしが深く傷付いてしまったのも、おまえのかあちゃんがでべそなのも、全部わしが悪いのじゃよ・・ そうでは無いと言うのなら今直ぐすべき事、あるよな?

ああ、きみかね。話しかね?全部話して欲しいのかね?
まあその前にゆっくりご飯を食べさせてくれんか。わしがまだ食べてるっしょ。
ああそうじゃよ、今となっては専らひとり飯じゃよ。なにせ、誰も一緒に食卓を囲んでくれるものなどおらんでな。
ソンマンは転落死。 ソンギュは焼死。 ドクチョンは溺死。 
わしの仲間はもう、誰もおらんよ・・・・・ き み の せ い で な 。
いやなに、怒ってはおらんよ。 きみの父上の話も、聞きたいというのなら全て聞かせてやろう。ただ、真実を受け入れる勇気がきみにあるのかどうかは別問題じゃがな。証人か?証人はおらんよ。これここに居るヨンジくらいじゃて、すべて見てきたのは。他の村民などもうとうにおらんわい・・き み の せ い で な 。
いやいやいや、怒っておるのではないと言うとろうに。父上とわしがこの村を作った30年前からの話、とくと聞かせてやろうではないか。そう、わしらの村、わしの村、わしが村長のこの村。 ただ、もう好きだった村民はおらんがのう・・・・き み の せ い で な 。  ていうか、ホントもう帰ってくれんか。 


■ 天使のような悪魔の笑顔

20年ぶりに再会した父は、亡骸だった。 そんな父が、亡くなるまでの30年を過ごした村には、重大な秘密が隠されていた。
それを息子が暴いて暴いて暴き倒す、というのが本作の大まかなストーリー。
物語の出発点となったのが、キリスト教に基づき祈りを捧げる“祈祷院”だったコトや、キーパーソンである主人公の父が熱心なキリスト教信者だったコトから、本作は
“神になろうとした男(父)と、神を利用しようとした男(村長)”
のドラマなのかなぁ・・と思っていたのですが、よく振り返ってみると、そもそも“神”自体が全く出てこない物語だったような気がしてきました。
“罪”を背負って生きる人々に、“神”の教えを説くユさん(父)。
瞬く間に人の心をとらえるユさんを快く思わない祈祷院の院長は、悪徳刑事に金を握らせ、ユさんを刑務所送りにしますが、そこでユさんを待ち構えていた札付きのワルたちまでもが、過酷なリンチに心折れないユさんの姿に衝撃を受け、改心してしまいます。
行く先々で、人の心を鷲づかみにしてしまうユさん。 自らの体についた傷を物ともしないユさんは、まさに“神”の化身のような聖なる存在なのですが、見ようによっては“バリッバリの悪魔”ともとれるのですよね。
「言葉巧みに人々の心を掌握する」なんて、いかにも悪魔の仕事そのものですし、自分を殺そうとした囚人に向けた眼差しも、完全に天使のそれというより悪魔でしたもん。 ガン睨みでしたもん。 スクリーン越しに呪い殺されるかと思ったね、オレは。
その他にも、お気に入りの少女をレイプした若者たちを半殺しにしてくれ、と刑事に依頼したり、自分を陥れた院長に審判を下そうと目論んだり、自分の思いを蔑ろにした仲間を殺そうとしたり、と、右の頬をうたれたら左の頬を差し出すどころか、全力で仕返しする方向で頑張るユさん。
全然聖人君子じゃないユさん。
むしろ執念深い小悪党っぽいユさん。

というわけで、本作は“悪党どもが小競り合いの末に自滅する”お話なのかもしれません。


■ 空白の20年間

30年にわたって、悪事を積み上げ隠し続けてきた村。 そこに現われたヘグクくん。
父の死に不審な匂いを嗅ぎ取った為、空気を一切読まず探偵ごっこに勤しむのですが、そもそも彼が何故、父親と20年間も音信不通だったのかが判らないので、ヘグクくんが必至に嗅ぎまわる姿が非常にしっくり来ないのですよね。
父の遺影に向かい、「こんな死に方で満足か?!」と吐き出すシーンがありますので、何らかの諍いがあったであろう事は想像できるのですが、たとえば「ユさんが自分の罪を償う為、妻子を捨てて殉教の旅に出た」みたいな過去があったとするならば、最低限お葬式だけ済ませてさっさと立ち去りたいのではないかと思うのですよね。
「自分たちを捨ててまで成し遂げたかった事が何なのか知りたい」という情念もあったのかもしれませんが、それにしたって、夜中にこっそり殺しに来られたり、千枚通しで脇腹をグサグサ刺されたり、火あぶりの刑に処されそうになったりしても尚挫けない、という動機づけには、この1シーンだけではちょっと弱すぎるように感じました。

ま、もしかしたら、たまたま自分が諸事情で家も職も家族も失ってしまってたから他に行く場所もやる事も無かったってだけなのかもしれませんけどね! おい!ヒマな人か!!


■ 一見デキる男風に見えてデキない男

うさんくさい村人に囲まれ、孤立無援で謎を探るヘグクくんの、唯一の心の拠り所になるのが、エリートメガネ検事のパクさん。 
ふたりの馴れ初めは、ヘグクくんに被せられた容疑を調べもせず「おまえの顔は怪しいから有罪」と言い放ったパクさんが、ちゃっかり者のヘグクくんに言質をとられていた為、左遷させられてしまったという事件。 どこがエリートやねん。
ところが、ヘグクくんの無罪を認めようとせず、「おまえだけは絶対ゆるさへんからな!」と憤るパクさんだったのに、ヘグクくんから「ここの村長怪しいからちょっと調べて」と頼まれたら「なんでオレが調べたらんとあかんねん!」と言いながらもそそくさと調査してあげるとはこれ如何に。 なんや、ただのツンデレか。 おまえらつきおうてんのか。 だったらいいのにな。 そうだったらいいのにな。(←個人的な願望)

ただ、調査は部下にやらせて、自分はもっぱらヘグクくんとのチャットに専念する、という程度なら許せるものの、村長の悪事に関わる重大な発言を申し出てきた証人を何の保護もなく村に置き去りにして見殺しにしちゃったり、自白寸前の村長をみすみすひとりきりにして見殺しにしちゃうって・・それはあかんやろ。典型的なあかんパターンやろ。 たとえヘグクくんの事しか頭になかったとしても。たとえだいすきなヘグクくんの事しか頭になかったとしても!(←個人的な妄想)

本日の教訓・仕事と恋愛は切り離して行動しよう。


■ 帳簿多すぎじゃね?

帳簿多すぎじゃね?(隠し帳簿が各戸建に数十冊ずつ。)


■ 純情な感情が空回り

お腹に一物を隠す村人たちは、なんとかヘグクくんを都会に帰そうとあの手この手をつか・・・  わないのですよね。不思議なことに。
ユさんの過去をヘグクくんに問い詰められるたび、
「ふっふっふ・・・その答えが知りたければ父親に聞くがいい・・あの世でな!」
とか
「あれだけは絶対に知られてはならんのじゃ・・!」
とか
「お父さんが被害者だったとか、果たしてあなたに言い切れるのかしら!」
とか、教えたいんだか秘密にしたいんだか煮え切らない態度をとり続ける村人。なんやその思わせぶりな態度は!小悪魔か!愛読書は小悪魔agehaなんか!

いやいやいや、きみたちは結局のトコロ、どうしたいのか、と。
主人公を無理やり帰らせちゃいたいんなら、もっとほら、都会のコネクションを利用し、就職を斡旋して呼び戻すとか、色々手はあるじゃない。 赤毛連盟みたいなアレがあるじゃない。
本気で帰そうとしている割には、いまひとつ確実な手をとらず、「オレたちはただ、村長と共に築きあげた30年間を守りたいだけなんだ・・」とばかりに空回りして自滅しまくる村人たちが、不憫でなりませんでした。

ただ、
「下宿先の雑貨屋に泊まっていることを確かめた上で、夜中にこっそりロープを持ってヘグクくんのおうちに忍び込もうとしたはよいけれど、予定を変更しておうちに泊まっていたヘグクくんと鉢合わせしてしどろもどろになる」
という空回りっぷりだけは、回転が激しすぎてなんのこっちゃわかりませんでしたけどね。
ヘグクくんがよそに泊まってる間に、証拠書類か何かを処分しに来たって言うんならわかるけど、ロープを持って何しようとしてたのか。 完全に殺す気まんまんやないか。 ヘグクくんが居ない筈の家に殺す気まんまんで忍び寄る、ってどういうコトやねん。  ここは村人の空回りというより、監督の空回りだったのかもしれません。 スリリングでいいシーンだっただけに、余計勿体無かったです。

< ※ 以下ネタバレしています。>


■ 共存という生き方

遡ること30年前。 ユさんが牢獄から釈放された頃。
ユさんが周りの人々に与える影響力に目をつけたチョン刑事は、その力を利用して、自分が思い通りに操れるコミュニティを作ることを目論み、ユさんはチョン刑事の実行力を利用して、自分の理想通りのコミュニティを作る決心をします。
いわゆるひとつの利害関係の一致です。
チョン刑事(村長)は、コントロールし易そうな犯罪者に声をかけ、減刑に協力することを餌に入村を指示。
ユさんは、その犯罪者たちに、キリストの教えを説き、更生のための手助けをする。
表面上は同じ方向を向いているものの、心の中では真逆のことを考えている2人。

チョン刑事(村長)とユさんの関係は、コインの裏と表のようなものだったのではないでしょうか。
お金と暴力を使って人の心を掌握するチョン刑事。 
優しい物腰と救済の言葉をもって人の心を掌握するユさん。
正義と悪。
独善と偽善。
やり方は違えど、それに従う人の数や目線は限りなく似ています。
村人たちはみな一様に、村長とユさんを尊敬し、かしずいている。
なんとなく、バットマンとジョーカーのような関係だなぁ、と思ってしまいました。

だから、村長はユさんを殺さなかった。 
自分が生きてゆく為には、ユさんの存在が必要だったから。
ユさんが死んだ瞬間、チョン刑事(村長)が目指した“村”が完成したのだ、という見方もあるのかもしれませんが、本当はチョン刑事は、ユさんに生き続けて欲しかったのではないか。
ユさんの死体を見つけた時の、チョン刑事(村長)の呆然とした表情を見て、そう感じました。
あれは“喜び”でも“達成感”でもなく、“虚ろ”であり“哀しみ”だったのではないか、と。


■ まとめ

ハードルを上げに上げて、これ以上ない程のヘン顔を集めて、幾人もの犠牲者を出しながらも村長たちが守りたかった秘密とは、一体なんだったのでしょうか。

「自分たちの理想郷を作る為に、祈祷院の院長と信者をみなごろしにし、その財産を元手に村を開拓。チョン刑事(村長)は仲間の元犯罪者を使い、あくどい地上げや有力者への贈賄を重ねて絶大な権力を手にし、ユさんは自分の教えが罪人たちの心を救っていると自己満足してきた。」
という、ざっくりとした村の歴史の中、彼らが隠したかったのは、①30年前の大量殺人 ②違法な土地転がし ③贈収賄 の3点だったのではないかと思います。

うん、たしかにコレは悪いですよね。 私利私欲にまみれた悪事の数々です。
でもこれ、完全に隠蔽しようと思えば出来ますよね、たぶん。
①に関しては、証人はヨンジしかいない訳ですし、②に関しては実行犯である仲間の口を封じれば(実際、彼らは互いの過去を握りあっているので口を割れない)問題ありませんし、③に関しては関係書類を燃やしてしまえば立件は不可能。

で、ユさんが死んでしまった今、問題なのは、ユさんに傾倒しきっていたヨンジただひとりな訳ですよ。
ユさんの存命中、「オレたちの言う通りにしなかったら、おまえの大好きなユさんがどうなっても知らないぞ」と脅して、押さえつけていたのですから、ユさんが亡くなったらヨンジがどんな行動に出るかくらい読めなきゃダメですよねー。  甘い! 村長はツメが甘すぎる!!
つまり、ヨンジさえ亡き者にしてけば、20年ぶりにやってきたユさんの息子がしゃしゃり出てきても、「おとうさんは自然死ですよ。おとうさんの土地や財産が村長の名義に変わっているのは、おとうさんが生前贈与してくれただけですよ」と説明するだけで、まるっと収まってた話なんですよねコレ。

それを、さも勿体つけて「いやぁ、その件にかんしてはノーコメントですなぁ」とか「細かい事は気にすんな」とか「ワカチコワカチコ」とか言ってるから、余計に勘繰られて、死ななくてもよかった人たちが死んでしまう羽目に・・・。みんなホントもうちょっと真面目にやろうぜ!

村長とユさんの歪んだ共存関係がとても魅力的だっただけに、ミステリー部分に重きを置きすぎた展開が無駄に思えてなりませんでした。
村長の告白を2日に分けるのも、ヘグクくんが自分に施されるおせっかい(怪我の手当てやカセットデッキ)の数々を追求しない展開も、全く必然性がありませんからね。
ただ単に、ラストの真犯人が明らかになるシーンを活かす為、その為だけの展開ですので。
謎解きシーンを分散させたのも、盛り上がりを欠いてしまう結果に繋がってしまったような気がします。
映画の山場をどこに持ってくるのが一番効果的なのか。
少なくとも、本作のラストショットには、『ユージュアル・サスペクツ』に感じたような全身の粟立ちは感じませんでした。
お・・おまえだったのかー!!!!  みたいなアレはね。

あ、あと、ユさんを監視する為に掘られたという地下道もね。 地下に作る必要、ないですよね。 
監視なら村全体を見渡せる村長の家からでも出来ますし、そもそも構造自体が便利なのか不便なのかいまひとつわかりませんし。(ユさん側の出口に鍵をかけられたらアウト)
なんというか、「閉ざされた村に秘密の地下道があったらおもしろくね?」みたいな発想だけで登場したんじゃないかという気が・・・。 ひねくれ過ぎでスミマセン。


というわけで、村の舞台装置や二転三転させるコトに懲りすぎたトコロが若干気になりますし、“衝撃の結末”を盛り上げる為に用意した展開が足を引っ張り、パンチ力を弱まらせてしまった感もありますが、ダークヒーローである村長が近年稀に見るかっこよさですし、脇を固めるヘン顔の村民も一度見たら忘れられない程強い印象を残してくれましたので、結論を言うと実におもしろい作品でした。

目には目を。
歯には歯を。
罪人たちは自ら招いた地獄を味わい、真の殉教者こそが正義を勝ち取るのである。 というありがたい教えを胸に刻み、これからもまっとうに生きて行こうと誓ったアガサだったのでした。


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『ファンボーイズ』

2010年07月01日
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あなたは『スターウォーズ』を観た事がありますか?
あなたはベイダー卿の呼吸音の物真似をした事がありますか?
あなたはルークとレイアがどんな関係か知っていますか?
あなたはEP4でデススターに破壊された惑星の名前を知っていますか?
あなたはチューバッカの生まれ故郷の名前を知っていますか?
あなたは映画以外のスターウォーズ関連商品に手を出した事がありますか?
あなたは『スターウォーズ』が好きですか?
あなたは『スターウォーズ』が心底大好きですか?

1~3つ、「イエス」と答えたあなたは、7月にNHK-BSで放送される『ファンボーイズ』を鑑賞される事をお勧めします。
3つ以上「イエス」と答えられたあなたは、今すぐレンタル屋さんに走り『ファンボーイズ』を借りてくる事をお勧めします。
7つ以上「イエス」と答えられたあなたは、きっともう、『ファンボーイズ』のDVDを購入済みの事と思います。ね、ね、そうなんでしょ。素直に言ってごらんなさいな。
・・え? 全て「ノー」と答えられたあなた?   そうさのう・・ まぁ・・ほら、アレだ、そういうあなたは『THE LAST MESSAGE 海猿 3D』でも観てりゃいいんじゃねえの? 
(※アガサは『海猿』を揶揄するつもりは毛頭ありません。むしろ観に行きたい気持ちで一杯です。 気持ちだけですが)


と言う訳で、6つ「イエス」と答えた(中途半端やなぁ)そこそこ『スターウォーズ』ファンのアガサが、先日やっとこさ鑑賞いたしました『ファンボーイズ』。
うそです。 ホントは大ファンです。 なんでもっと早く観なかったんだろう。バカバカ、わしのバカ。
罰としてトーントーンのお腹の中で一晩過ごすの刑を甘んじて受けたいと思います。 たぶん相当臭いんだろうと思います。えへへ。こいつはありがてえ。

高校卒業と共に夢に終止符を打ち、毎日をなんとなく生きていたエリック。
久しぶりに再会した親友が末期ガンに侵されている事を知り、彼に最後で最高の思い出をプレゼントすべく、悪友たちと共にアメリカ横断の旅に出る。
エリックはその旅の途中で、もう一度自分の夢と正面から向き合い、友人たちもまた、今まで見過ごしていた大切なものに気付き始め・・・
という本作は、物凄くまっとうな青春記、成長記となっておりますので、沢山の方の胸に響きやすい作品なのではないかと思います。

が、実は、正直言うとこのドラマの部分、かなり物足りないコトになっているのですよね。
末期ガンという設定の友人は至って元気で、ほとんど“病気”である事を感じさせない。
エリックが諦めていた“夢”を取り戻す過程も、そんなに丹念には描かれていない。
友人が大切な存在に気付くというドッキドキエピソードも、そんなにグっとくる内容ではない。 そもそも、その友人の魅力が特に描かれてはいないので、なんというか、棚からぼたもち的な都合のよさが否めない。

では本作で一番力を入れられている部分は何か、というと、まぁもう言うまでも無く“スターウォーズ愛”なのであります。

もしも自分が映画を撮れるとしたら・・・。
その映画に、大好きなスターウォーズネタを仕込めるとしたら・・・。
あまつさえ、オリジナルの役者の方々にもご登場願えるとしたら・・・。
そんな妄想を余す事無く具現化したのが本作であり、だからこそ、スターウォーズファンは画面を観ながらいちいち頷いたり、ニヤニヤしたり、ちょっと涙を滲ませたりしてしまうのです。
ですので、もしかしたら、スターウォーズに何の思い入れも無い方が観ると、「なんだよマジつまんねえよ」と思われるかもしれません。
じゃからわしがあれ程口を酸っぱくして言っておいたじゃろう、「SWに興味が無いなんて言う不届き者はさっさと家に帰ってTENGAでもして寝てろ」と。(そこまでは言ってない)

“車で看板を突き破ったら、開いた穴がダース・ベイダーの頭の形になってストップランプが目の光になる”なんていう「なんや!お前は小学生か!」というような若干上滑り気味のSWギャグ(ネタ)も、気持ちがわかるだけに微笑ましい限り。
そうそう、そうだよねー!やってみたいよね、そういうベタなギャグね!
あと、「ランド男爵をキャスティングしてもいいよ!」って言われたら、たぶんこういう役にするよね! 話のわかる偉い人にね!
そういえばそのシーンでは、ランド男爵演ずる判事の役名がラインホルドになってましたね。 
判事(ジャッジ)なだけにラインホルド。 
なんや!今度はオヤジギャグか!! (何その振り幅)(そしてSW関係ない)

レイア姫とのやりとりだって、お約束中のお約束、ベッタベタのコッテコテなのですが、にも関わらずとても胸にグっとくるのは、きっとスターウォーズを愛するみんななら、誰でも一度は夢見た事があるからだと思うのですよね。
「愛してる」「知ってたわ」。 そんな、映画史に輝く不朽の名シーン。

他にも、敵陣(?)に乗り込んだらダースモールの中の人がお出迎えしてくれたり、で、案の定大して強くなかったり(笑)、SW臭を嗅ぎ付けてきたサイレントボブ(akaケヴィン・スミス)もちゃっかり覗きに来ていたり、何故かトレホさんも出てきたり、小さなセリフネタや宿敵・トレッキーネタあり、「せっかくだからあんなコトもやっておきたい」「こんなコトも言わせておきたい」と、痛い程の熱を持ったスターウォーズファンの思いが随所に散りばめられ、とても心地よく感じられた90分だったのでした。
せっかくなんだから、ユアン・マクレガーの叔父さんにもオファーすればよかったのにね!


スターウォーズは、それをこよなく愛する人たちにとっては、我が子であり、恋人であり、心の友であり、人生の師であるのですよね。
何物にも変えがたい存在で、消える事のない感情の源である。
だから時として、誰かの人生を変える程の力を持つし、「自分の人生は幸せな人生だった」と思わせてくれる。
もちろん、必ずしもスターウォーズでなければかからない魔法という訳ではなく、夢中になる対象は他にも色々あるでしょう(スタートレックも含め)が、でもやはり、あの映画には特別な魔力があるような気がしてなりません。
アガサもまた、10歳の秋に初めてテレビで観た時からずっと、その魔法にかかったままです。
この映画の若者たちと同じ、とまではいかない(知識も情熱も)ものの、これからもずっとこの特別な魔法から解ける事なく、愉快な生き物や胸躍る冒険や中学生みたいな恋愛に心焦がし、尽きる事のない暗黒面からの誘惑に抗い続けるコトでしょう。
たとえ狂言回しに起用されるのがジャージャーでもね。

楽屋ネタの様な作品ですので、楽しめる方は限られてくるかもしれませんが、一度でも何かに寝食を忘れるほど夢中になった事のある方は、一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。

それと、もし本作を観ていて「あれ?ソロはともかく、なんでルークが出てこないの?」と思われた方。
『ジェイ&サイレント・ボブ 帝国への逆襲』の方をご鑑賞頂ければ、その辺の理由がほんのりご理解頂けるのではないなと思います。
たぶんね、もうこりごりなんだと思うよ!

May The Force Be With ルークとその中の人!!

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『母なる証明』

2009年12月26日
はは
★★★★
バカ親にだけは、なっちゃいけないんだ。

あらすじ・・・
“母”は走る、かけがえの無い息子の為に。
“母”は探る、無実の息子の為に。
“母”は覗く、純真な息子の為に。
“母”は嘆く、薄弱な息子の為に。
“母”は振り上げる、愛する息子の為に。
“母”は踊る、自分の為に、自分と息子の未来の為に。



映画が終わって劇場を後にしようとした時、昔からの知り合いに出会った。
「どうでした?」と聞かれた私は咄嗟に、「ひどかったです」と答えた。
その人はとても戸惑った顔をしていたと同時に、ガッカリしていたようでもあった。
確かに「ひどかった」という感想は、“無い”かもしれない。
でも、私はそう答えずにはいられなかった。

ここに描かれた“母”の姿が、あまりに異様で、あまりに自己中で、あまりにバカだったから。

なになに?ポン(ポン・ジュノ監督)の頭の中で、“母”ってのはこんなイメージなの?
ポンはアレなの? 極度のマザコンか、もしくはその真逆なの?

現役バリバリの“母”として一言言わせて頂くけれど、“母”ってこんなひどくないからね! 
もうちょっと常識とか理性とかあるから、マジで!! ほんとにもう!ポンのバカ!! バカポン!!



しかし、劇場から数百メートル離れた駐車場へ向かって歩き始めた私は、鑑賞直後に胸に渦巻いていた不快な気持ちの正体に、すぐに気付いてしまいました。
それは、「認めたくない真実を突きつけられた時のバツの悪さ」だったのです。


私は子供を産むまで、“子供”がキライでした。
スーパーや行楽地でワーギャー走り回る“子供”が、ふいにこちらの目の奥をジっと射抜く様に見てくる“子供”が、すごくキライでした。
実を言うと今でも得意ではありません。 
さすがに「キライ」から「苦手」レベルに緩和はされたものの、やっぱり“子供”を前にすると、笑顔がじんわりと固まってしまいます。

が、 自分の子供に対しては全く別で、もう、かわいいとか愛しいとか、そういうレベルじゃないのですよね。
世界に対して均等に抱いている微量な愛(世界平和を求める気持ちとか、戸締り用心火の用心・人類みな兄弟!みたいな気持ち)を全人口分集めたとしても、我が子に対する想いには到底届かないのです。
我が子が助かるのであれば、自分の命なんて1ミクロンも惜しくない。
もしも世界が滅びそうになっても、例外的に我が子が生き延びれるのであれば構わない。
我が子が困っている事があるのなら、全力でフォローしてあげたい。

そうなのです。
私自身がとても自己中心的で常識はずれな“母”だから、同じ臭いを放つ、この作品の“母”の存在を認めたくなかった。
理解したくなかったのです。

ごめんね、ポン。 確かにこんな感じかもしんないや。 
常識とか無いよねー。 そりゃ我が子が絡んじゃったらさぁ、常識も倫理もへったくれも、無い無い、んなもん!
いやぁ、ポン鋭いわーマジで! ほんとにもう!ポンはマジ!! マジポン!!(←語感だけで突っ走った例)


で、我が子の事は死ぬほど心配だし大事なのはわかったけれど、じゃあ他の子供はどうするんだ?と言うと、それはもうその子のお母さんなりお父さんにお任せするしかないのですよね。
「うちの子はどんな手を使ってでも助けたい。 よその子の事はその子の親が考えてあげればいい」
とことん身勝手だけど、とことん正直な論理。
きっと、本作の“母”もそう思ったのでしょう。
息子が解放されるのと引き換えに捕まった、新たな容疑者に接見し、「あなた、お母さんはいるの?」とすがる様に聞いた“母”。
お母さんさえいれば、この哀れな容疑者もきっとなんとかなる筈。
圧倒的お母さんパワーで、なんとか助かる道を探して貰える筈。

しかし、この容疑者には守ってくれる両親は居なかった。
それを知った瞬間の“母”が上げる悲鳴の様な泣き声の、なんと憐れで、なんと悲惨な事か。
でも、“母”は歩みを止める事など出来ないのです。
例えよその子供が犠牲になろうと、彼女にとって大事なのは“我が子の無事”だけなのだから。

自分自身に向けられた“子を守る母としての矛盾”という呵責から眼を背け、「全て忘れてしまえ」とばかりに秘伝のツボに針を刺し、一心不乱に踊り耽る“母”と、その姿をグラグラと気がふれたような視線で捉えるカメラ。
残酷で、恐ろしくて、哀しくて、どう考えても「幸せ」にも「希望」にも満ちていないラストは、
はい、そこのお母さん。あなたならどうする?
と問いかけているかの様で。

そして私は、「ひどい映画だった」と目線を逸らしながら言うしかなかったのでした。


“母”というのは、特殊な生き物だと思います。
数ヶ月の間とは言え、ひとつの体にふたつの命(またはそれ以上)を宿していた、不思議な生き物。
そのせいで、生まれてきた我が子には、異常な執着を見せる事がある。
それはそれでいいと思う。
その執着が子供を、人生に降りかかる様々な困難から守ってくれる筈だから。
みんなもっと親バカであればいい。
周りから笑われる位の親バカならば、少なくとも、同居人に遠慮して虐待を黙認したり、子供の健全な生活より自分の欲望を優先させるようなアホにはならない筈だから。


ただ、やはり、バカな親にはなってはいけないと思うのですよ。
学習発表会で自分の子がいいポジションを得られなかったら、周りの迷惑関係なしにキレまくる、とか、
自分の子に楽をさせる為なら、社会のルールなんてクソくらえ!とか、
自分の子可愛さで、他人の不幸は知ったこっちゃ無い! みたいな、バカな親にだけはなってはいけないのです。 
親バカは子供への愛だけど、バカ親は結局自分への愛でしかない。

本作の“母”を観ていて感じたバツの悪さは、「私も同じ立場になったら、死に物狂いで我が子を守ろうとするだろう」という共感からきていたのですが、この“母”が選んだ結末だけは共感出来ません。
ここまでやってしまうと、バカな親になってしまう。
本当に子供の長い人生を考えるなら、踊ってないでしっかりと足を踏ん張り、現実を見なければ・・・。
むずかしい、つらいですけどね。


“母”をという生き物を、恐ろしいまでの情念を込めて描いたポン監督の手腕には、ただただ脱帽です。
いつかポンに会った時、
「“母”は確かに特殊だけど、ここまでひどくはないよ!」 
と胸を張って言える様な、そんな“母”でありたいと、切に願った私なのでした。

ま、会わない(会えない)けどな!!

 

■ おまけの一言

・ ノゾキ、ヨクナイ!
・ 韓国のおかんはファッショナブル!(細身のジャケットにロングスカート)
・ 母と息子って、父と娘よりも生々しいのは何故なんだろうね!
・ おかんが薬草を切るシーンが、実は本編中一番怖かったのは内緒だ! 


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『縞模様のパジャマの少年』

2009年09月30日
縞模様のパジャマの少年
★★★★★
凹むとか凹まないとか、もうそういうレベルの話ではない。 全人類必見。


本当は、今年の夏上京した際に本作を観ようと思っていたのですが、上映時間との兼ね合いで断念してしまったのでした。
無事“岡山の良心”ことシネマクレールでも公開されたので、先日鑑賞してきたのですが・・・。


これ、東京で観なくてよかったです。
『マーターズ』 と本作とをはしごなんかしていたら、もう立ち上がれなくなってたかもしれません。


あらすじ・・・
お父さんの仕事の都合で、田舎の一軒屋に引っ越してきたブルーノは8歳。
新しい家は、なんだかとても寒々としているし、お父さんの仕事の仲間が常に歩き回っているし、「危ないから」という理由で庭の外にも出させて貰えないし、何も楽しい事がない。
退屈でしょうがないブルーノ。
そんなある日、ブルーノは裏庭の納屋の窓から外に抜け出せる事に気づく。
入ってはいけない約束の裏庭。
でも、8歳のブルーノにとって、その裏庭はキラキラ輝く自由な遊び場への入り口だった。

お母さんが街へ行くと言う日、ブルーノは思い切って納屋の窓を開ける。
その向こうにあったのは、緑が眩しい森林と、そよそよと流れる小川と、鉄条網で囲まれた農場だった。
恐る恐る近づいたフェンスの向こうに、一人の少年を見つけたブルーノ。
少年の名前はシュムエル、8歳。
縞々模様のパジャマを着て、いつもお腹をすかせている不思議な少年・シュムエルと、ブルーノはあっという間に仲良くなった。
ブルーノはもう、寂しくなかった。

それから毎日のように、こっそり家を抜け出し、シュムエルとの友情を育んでいったブルーノ。
日常にまとわりつく得体の知れない不安と、真実を話してくれない大人の中で孤独に押しつぶされそうだった2人の少年は、フェンス越しとはいえ、堅い、厚い絆で結ばれてゆく。

楽しい日々は、ずっと続くと思っていた。

続く筈のものだった。

ブルーノのお父さんがナチスの強制収容所の所長で、
シュムエルのお父さんがユダヤ人捕虜でさえなければ。



なんという恐ろしい映画だろう。
なんという残酷な映画だろう。
あまりの衝撃に、口をついて出てくるのは激しい嗚咽だけだった。

本作はPG-12、つまり、12歳以下は保護者同伴で行くか、保護者の助言や指導を必要としますよ、という指定を受けている。
これは極めて妥当な指定だと思う。
12歳以下は観ない方がいいと言う意味ではない。
積極的に鑑賞して(させて)、その上で保護者(大人)が本気で説明をしてあげるべき作品なのだ。

戦争って、今ひとつ実感がわかなくて判らない。
正義を貫くための戦争も、あるのではないか。

そんな風に、ぼんやりとした平和に浸かっている人たちは、この作品を観ればいい。
この一本だけで、戦争の恐ろしさの全てが判るだろうから。
戦争という大量殺戮の中には、「奇跡」も「ヒーロー」もない。
ただの、吐き気がするような醜い殺し合いがあるだけだ。

私たちはみな、本作を観て、打ちのめされて、心を引きちぎられて、そして思い知るべきなのではないだろうか。
過ちを犯し続けるのは、もう沢山だ、と。




以下、オチを含めての感想になりますので、未見の方は出来れば鑑賞後にご覧になって下さい。


子供は単純だ。
本作の冒頭映し出される、
「子ども時代とは分別という暗い世界を知る前に、音とにおいと自分の目で事物を確かめる時代である」
という詩の通り、子供は偏見や先入観ではなく、目に映るもの、かわした言葉、耳にした音、向けられた目線で、相手がいい人かどうかを判断する。
子供が持つ、善悪のものさしはとても単純なのだ。
そして、単純だからこそ、物事の核心を突いてしまう事が多い。

本作でも、ブルーノは単純なものさしでもって、シュムエル(やユダヤ人たち)を“いい人”だと判断する。
大人がどんなに「ユダヤ人は普通の人間とは違う」だなどという嘘八百を並べ立てても、ブルーノの純粋な目には、シュムエルはただの気のいい8歳の少年にしか写らないのだ。
実際、本作のユダヤ人とドイツ人の違いは、縞模様のパジャマを着ているかどうか程でしかない。(演じる役者がイギリス人だという理由もあるけれど)
そしてその「些細でしかない違い」が、物語に今まで見たことの無いような悲劇的な幕切れを与える事になる。

大人たちが、子供たちに真実を話さなかった為、悲劇は起こった。
どうして大人たちはウソをついたのか。
それは、自分たちがしている事が、非人間的な行為だと判っているから。
誰もが納得できる、正当な理由などないと判っているから。

歴史を作るのは、いつだって大人だ。 子供には無理なのだ。
だから大人は、責任を果たさなければならない。
説明という責任を果たさなければ。
単純で、曇りの無いものさしを持つ子供を、納得させられるだけの説明が出来ないのならば、嘘で固めた説明しか出来ないのであれば、その計画は間違いなのだ。
実行すべきではないのだ。


何も知らずに(知らされずに)、最後の冒険に向かう少年たちの姿は、とても楽しそうで、とても生き生きとしていた。
その冒険の果てに待つのは恐ろしい悲劇だと予測出来てしまうから、その姿が余計につらかった。
心臓が激しく打ちつけ、私は心の中で繰り返し「やめて!やめて!やめて!」と叫んだ。
でも、その祈りは決して届かない。
現実の戦争、大量殺戮と同じように、必死の願いはいつだってただただ踏みにじられる。


ブルーノの母があげる叫びは、無責任な戦争でわが子を失った、全ての母の叫びだ。
被害者も加害者も無い、同じ“子”を喪った“母”の叫び。
そして、その叫びこそが、無意味で、無慈悲で、クソったれな戦争がもたらす事の全てなのだ。


私は、きちんと説明できる大人でありたいと思う。
間違った歴史を、これ以上作ってはいけない。


今はパンフレットを開くだけで、心が締め付けられて涙が溢れてしまうけれど、いつの日か家族にもこの作品の事を伝えてあげたいと思う。

つらいけれど、鑑賞してよかったと思った。


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