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『クライング・ゲーム』

2007年01月16日
20070116195010.jpg  ニール・ジョーダン監督作品


こんにちは、アガサです。
お正月早々、水疱瘡に痛い目に遭い、やっと治ったと思ったら今度は扁桃腺が腫れて、またもや発熱してしまいました。
何なんでしょうか・・全く。
こうも病気が続くのなら、ブログのタイトルを
“すきなものだけでいいです”
から
“今週もアガサが発熱します”
に変更した方がいいかもしれませんね。

まったく意味が判らないブログ名になってしまいますが。

そんな、さえない2007年を謳歌している私なのですが、実はずっと前に別の所でチョコッとばかりブログを書いていた事がありまして、その時に書いたレビューをコチラに移しておこうと、日夜画策しています。
で、その当時のレビューを読んで、衝撃の事実に気付いてしまいました。

文章、 ・ ・ ・ 長くねぇ!
前は長文じゃなかったんですね。
極めて普通サイズのレビューでした。
その頃の自分に・・乾杯!(←意味なし)

ブログ移籍シリーズ・・・『クラインゲーム』のあらすじ
IRA(アイルランド共和軍)のメンバーであるファーガスはある日、監禁した英国黒人兵ジョディの見張り番を勤める事になります。
緊迫した空気の中、少しずつ会話を交わすうちに二人の間に芽生え始める友情。
しかし事態は急転し、間接的にですがジョディを死なせてしまったファーガスは、ジュディの伝言を告げるため、ロンドンの酒場で歌う彼の恋人ディルに自分の身分を隠して会いに行くのですが・・・。


題名をぱっと見た時の字面の印象だけで、勝手に『クライム・ゲーム』だと思い込んでいた、早とちりなB型の私。(B型は関係ないか)

IRA関係だとも聞いていたので、てっきり人間ドラマにアクションを交えた物語だろうと思って観ていました。
次々に予想を裏切る展開があり困惑していた時、ディルが酒場で「涙のゲームはもう沢山なのよ〜」と歌うシーンがあり、その瞬間、

ん?  ・・涙のゲーム?
クライング・ゲーム?
“クライム”じゃなかったんかー!!
と気が付いた有様です。

カタカナが苦手になる事ほど、年齢を実感する瞬間はないですね。
そのうち自分が「ゼイアール(JR)」とか「デズニーランド(ディズニーランド)」とか言い出しそうで、少し怖いです。
韓流スターの名前の把握度がヨン様以外降参な時点で、充分アウトな気はしますが。

話を『クライングゲーム』に戻しましょうか。

冒頭のファーガスとジョディのやり取りのシーンは、それだけで一本の上質な短編と言っていい様な秀逸な出来です。
ロンドンに移ってからのディルとファーガスの複雑な関係は、少し『蜘蛛女のキス』を思い起こさせる様な、胸がちくちくと痛む切ない気持ちになりました。

その後も二転三転と物語は展開し、一気にシリアス、かつ悲劇で終わってしまうんだろうか・・・、と思っていたら、これまた予想を裏切るラストが待っています。

単純に「あー面白かった」とも言えないんです。
でも、決してつまらなかった訳でもない。

・・・なんと言えばいいんでしょうか。
「ご飯にポテトサラダを載せてお味噌汁を掛けた」様な感じでしょうか・・・。
わっかるかなー?
わっかんねぇだろうなー?
自分でもわかんねぇなー。

・・すっごくマズそうですが、食べてみると意外とハマル味なんですよね。
(※あくまで例えですので、実際に載せたり掛けたりしないで下さい)

俳優陣も、自然かつ胸を打つ芝居を存分に披露してくれます。
特に、ジョディ役のフォレスト・ウィテカーがとてもいい!
この人はこういう“本当は感じのいい人”をやると実にはまりますね。(で、悪党役をやるとマルっきりシックリこない)
主人公・ファーガスを演じるスティーブン・レイも、地味だけどとても味のある演技で、意外な展開の多い話の中に、観ている者を素直に引き込んでくれます。

この作品、なんとオスカーで脚本賞を獲っているようです。
確かに他に例を見ない、独特なタッチの映画でした。
とにかく一つ言えるのは、絶対予備知識無しで観る方がいい。と言う事でしょう。
あと、出来ればトイレを済ませてノンストップで観る事。
いい意味でこちらを裏切ってくれる、良質なラブ・サスペンスでした。

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『恋は邪魔者』

2006年12月24日
イヴだイヴだってなぁ・・・

サービス業にイヴもへったくれも無いんだよ!!

うちの世帯主さまの気持ちを、さりげなく代弁してみました。アガサです。

そんな一部の働きマンをよそに、世間はすっかりメリー・クリスマス。
あちらこちらで「メリー、メリー」と囁き合う恋人達にお勧めしたい、2大スター競演のラヴコメディ 『恋は邪魔者』 。
本当に邪魔者だらけの一本だったのでした。

あらすじ・・・
新進女流作家バーバラ・ノヴァク(レニー・ゼルウィガー)は、著書『恋は邪魔者』が大ベストセラーになり、一躍時の人に。
「女性に恋は不要」と説く、この本のあおりをモロに受けたのは、名うてのプレイボーイのキャッチャー・ブロック(ユアン・マクレガー)。
モテ男の絶頂から、一気に非モテへと転落してしまったキャッチャーは、モテ男の沽券に掛けて著者バーバラの陥落に乗り出します。

何も知らないバーバラはまんまとキャッチャーの手練手管にはまり、仕掛けたキャッチャーもまた、徐々にバーバラの事が気になり始めてしまいます。

2人の恋の行方は一体・・・?


画面を彩る、60年代風なワードローブの数々にウットリ。
ポップな色調の舞台美術は、オシャレな雑誌から抜け出たよう。
主役2人のコミカルな演技合戦も楽しい、ロマンチック・ラヴ・コメディ。

さて、これだけ映画的魅力に満ち溢れた本作の、どこに邪魔者が潜んでいたのかと言うと、
 2大トップスターのキャスティング。 
  (ノリノリの熱演は、×2になるとちょっとクドい)
 ウィットに富んだ台詞の応酬。
  (ノリノリの熱演は、何故だか観ているうちにだんだん居心地が悪くなってくる)
 オシャレでサプライズなハッピー・エンディング。
  (ノリノリの熱演なのに、観終わってみるとこれまた何とも形容しがたい居心地の悪さ。)


つまり、ユアン・マクレガーとレニ・ゼルウィガーと言う2人の芸達者が、張り切ってラブコメを体現しようとすればするほど、その不自然さが際立ってくるのです。
結果、観ている方は何とも言えない、不完全燃焼な気持ちに襲われてしまうのです。

しかし、「金返せ」と言う程つまらなかった訳でもありません。
画面を観ているだけで楽しい、セットや衣装。
いじり様ではいくらでも面白くなり得る設定。
主演二人の楽しさが感じられる演技合戦。
それらは“観た時間の無駄”とまでは言う気になれない良さがありました。
ただ、それ故に余計観ていて、なんだか座り心地の悪いくモゾモゾしてしまう様なヘマが目に付くのです。

まず“希代の大プレイボーイ”役のユアンが、新橋付近のサラリーマンにしか見えません。
女たちを虜にする“悩殺スマイル”も、IQが悪そうなマヌケ顔にしか見えませんし、今をときめく“メガネ男子”というトレンドを押さえた黒縁メガネを掛けていても、エルビス・コステロ風と言うよりはとろサーモンのボケ担当にしか見えません。  20061224163938.gif  ←参考資料


一方レニーにしても、カラフルな衣装が裏目に出て、もともとのマンガ顔がもはや笑える顔にまで見えてしまいます。
また、ラストにシャマラン君もびっくりの大どんでん返し(レニーの打ち明け話)があるのですが、そこに至るまでの演出がマズイせいで、
まあ、そうだったの?! レニーったらデキル女ね〜!
というよりは
え〜・・・?またまたそんなぁ・・ホントに思ってた?
と、年末に入って特番に出倒しては荒稼ぎしている細○数子に対するのと、同じくらいの不信感を持ってしまう始末。

そしてラストシーン。
愛する伴侶を得た2人は、夢と希望と共に大空に羽ばたきます。

たとえ話ではないですよ。
ホントに羽ばたいちゃってます。


“脱力”と言うのは、こういうのを言うのでしょうね。
勉強させて貰いました。

脱力のとどめは、エンドロールで突如始まる二人のオンステージ。
全盛期のルミ子と賢也のショーを見た人は、こんな気持ちを感じていたのでしょうか。
歌も上手いし息もピッタリ。なのにビミョー。
ステキ! と言えなくも無い。でもビミョー。

こんな事なら、もっと非の打ち所の無い位の“ダメ映画”を観た方が、スッキリ出来たかもしれませんね。
鑑賞後数日間は、ユアンの希代のまぬけ顔が目に焼きついて離れない事請け合いです。

まぁ、クリスマスと言うと気合入れまくって『タイタニック』とか観ちゃう人も居るかも知れませんが、これくらいの脱力映画を観るくらいが丁度いいのではないでしょうか。
「珍品を観てしまった・・」と言う変な連帯感で結ばれるかもしれませんし。



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『50回目のファースト・キス』

2006年12月13日
20061209152005.jpg   人呼んで ゴールデン・コンビ


『ウェディング・シンガー』のナイスカップル、アダム・サンドラードリュー・バリモアが再びお届けする、切なくも心温まるラブコメディです。

前作、鬱陶しいロングヘアでの鬱陶しい粘着質演技で、全世界(日本を除く)の乙女達の涙を奪ったアダム・サンドラーですが、今回はスタイル一新。
スッキリとした高校球児のようなヘアスタイルで、爽やかさをさりげなくアピール。
見方によれば、彼のキラキラした瞳は“ハンカチ王子”のそれに見えなくも無い・・・

・・事は無い。

残念ながら、どんなヘアスタイルにしようと、どんな爽やかな土地でロケしようと、アダム・サンドラーの醸し出す胡散臭さは消える事は無く、“ハンカチ王子”と言うよりは“東野幸治”に限りなく近いのです。(あくまで私の主観ですが

日本で彼が、今ひとつ受け入れられないのも、そこら辺にあるんじゃないかと思うのですが、そんなひがしのりが特例的に魅力を発揮するのが、ダメ男のマドンナドリュー・バリモアと組んだ時。
ひがしのりが持つ潜在的な毒素を、圧倒的な中和力で打ち消してしまうその微笑み。
さすがは、いつ福留功男と野際陽子に挟まれてもおかしくない程、波乱万丈な人生を送ってきたドリューですね。

あらすじ、
ハワイの水族館で獣医をしているヘンリーは、バカンスに訪れる女性たちの一夜の思い出作りに、大いに貢献していました。
要するにプレイボーイです。
アラスカに渡り、海洋研究をすると言う自分の夢の為に、後腐れの無い関係を選んできたヘンリー。
しかし、ある日立ち寄ったカフェでルーシーに出会い、彼の運命は一転します。

一目惚れしたルーシーと打ち解け、翌日も同じ時間にカフェで会う約束を取り付けたヘンリー。
しかし、約束の時間に現れたルーシーは、ヘンリーを見て無反応。
困惑するヘンリーにカフェの店員が教えてくれたのは、ルーシーが一年前に遭った事故の事でした。
父親の誕生日に、記念のパイナップルを収穫に向かう為乗っていた車で事故に遭い、頭に傷を負ったルーシーは、一日しか記憶が残らない。
つまり、一晩寝ると前日の記憶を全て無くしてしまうのです。

一年たった事を知らずに、いつまでも父親の誕生日(事故当日)を繰り返すルーシー。
そんな彼女を本気で愛してしまったヘンリーは、周囲の反対を押し切って、毎日彼女にアタックし続けます。
いつか彼女の記憶が回復する事を願って・・・。


娘の記憶障害に対して、父ちゃんと弟はさぞかし色んな手を講じた事でしょう。
しかし、どんな手段も効果が無い事を悟った彼らは、娘を“記憶が止まった事故の日”だけを生き続けさせる事を選択します。
特注した“その日”の新聞を玄関に置き続け、毎晩父ちゃんの誕生日パーティを開き、毎晩同じプレゼントで感激し、同じ映画を観続けるルーシー一家。

苦肉の策とは言え、正直この選択が正しいとは思えません。
しかし、“その日”が実は一年後だったと知ったルーシーの慟哭を目の当たりにすると、「彼らの選択が間違いだ」と言うのは余りに酷な事。
実際の記憶障害患者に対して、どのような対応をするのが幸せなのか・・・。
真面目に考え始めると、それはラブコメでは無くオスカー狙いの感涙モノになってしまうので、この作品では障害の事はあくまでロマンチックへの橋渡しにされているようです。

一晩で記憶をリセットしてしまうのならば、毎日アタックし続ければいいじゃないか。
一晩で全てを忘れてしまうのなら、何度でも出会いからやり直せばいいじゃないか。
泣かぬなら、泣くまで待ってみればいいじゃないかホトトギス。

ヘンリーが家康タイプで良かったですね。
そして、家康作戦が功を制し、ヘンリーの存在だけはなんとかルーシーの深層心理にインプット終了。
こうなったら後はなし崩し作戦です。

忘れるなら、忘れたままでいいじゃないかホトトギス。

ヘンリー、秀吉に昇格。(格上なのか?)
そして勢いに乗ったヘンリーは、ルーシーにプロポーズ。

ある朝、目覚めたらつわりでゲロゲロでした。
またある朝、目覚めたら胎動で赤ちゃんに蹴られまくりました。
そしてまたある朝、目覚めたらアラスカの海上で娘と夫と暮していました。

・・・先生、これが恋愛と言う物なのでしょうか(ルーシー心の日記)


ヘンリーよ、ここまでやると秀吉と言うよりは信長寄りだぞ。

いくらなんでも、陣痛が来たら夜もおちおち寝ていられないでしょうから、完徹の日もあったんじゃないかと思うのですが・・・。
そう言う場合、記憶はとりあえず一旦繰越になるんでしょうか。

あ、そうか・・・ 外国は無痛分娩なのか・・。
(注:無痛分娩でも陣痛はある)

まぁ、多少大味な展開もあるのですが、そこはそれ。
アメリカのダイナーで出されるポテトの量を考えれば、奴らの思考の大らかさは判ろうもん。てなもんです。
常夏の島・ハワイの癒しパワー満開の風景や、水族館の可愛いアザラシやペンギンたち、そして包容力たっぷりのドリューの笑顔で、今作を観た人は今宵、幸せな夢が見られる事でしょう。

ひがしのりも、これに懲りずに以後益々精進して、少しでも腹黒さが消えるといいですね。(あくまで私の主観ですが

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『イルマーレ』 (リメイク版)

2006年10月01日
20061001010154.jpg  絶賛公開中!!



※大オチ以外のネタバレあり※



湖の側に立つお気に入りの家から、転勤に伴い引っ越す事になった、医師のケイティ。
新しい入居者に宛てて書いた郵便物転送の手紙を、家の前の郵便受けに入れ、後ろ髪を引かれる思いで“湖の家”を後にします。
その後に家に荷物を運び込む、一人の男性。
その男性・建築家のアレックスは、郵便受けに入っていた転送依頼の手紙を読んで、戸惑いが隠せません。
何故なら、その“湖の家”には長い間人は住んでいなかった筈だから・・。
そして最後に書かれた、ある一文に疑問を抱きます。
「玄関に付いた犬の足跡は、私が住む前からありました。」
しかし、アレックスが越してきた時点で足跡など無く、そこには入居後に、ペンキの塗り替えをしている最中にアレックスの飼い犬が偶然つけてしまった、付けたてホヤホヤの足跡があるだけ。
何かの悪戯としか思えない、この手紙に
「出す先を間違えていませんか?」
という返事を書くアレックス・・・。

最初はお互いが、何かの悪戯(間違い)だと思っていた手紙でしたが、ひょんな事から、二人の間には2年の隔たりがある事が判明します。
2006年を生きるケイティと、2004年を生きるアレックス。
常識ではありえない事が起き、2人の間で交わされる手紙の数々。
手紙を通して、2人は心を通わせ、理解し合い、いつしかお互いがかけがえの無い存在になっていきました。

2年のタイムラグを乗り越えて、とあるレストランで会う約束をする2人。
2006年のケイティにとっては“明日”。
2004年のアレックスにとっては“2年後の明日”。
しかし、その待ち合わせ場所にアレックスが現れる事は無く、改めて“2年”の大きさを痛感したケイティは、実在するけど実在しないアレックスへの想いに蓋をする事を決意します。
そして、アレックスもまた、そんなケイティの決意を受け入れ、2人は切ない想いを心の中に封印してしまうのです。

時は流れて2年後。
2008年のケイティは元彼とよりを戻し、新しい住居のリフォームを頼む為、とある建設事務所を訪れていました。
そしてその頃、2006年のアレックスは2年前にケイティと交わした手紙の中の一文を、思い出していました。
そこには
「2006年のバレンタインに、わたしはデイリー・プラザにいました」
と書いてあったのです。
今日こそが、そのバレンタインデーであり、デイリー・プラザに行けば、2006年のケイティに出会える事に気付いたアレックス。
2008年のケイティもまた、建設事務所で予想もしない事実に突き当たります。
2006年、約束のレストランにアレックスが現れなかった理由が明らかになった時、ケイティは“湖の家”に急ぎます。
自分の過去を・・、アレックスの未来を書き換えるために・・。

2人の時間は、果たして一つに重なるのでしょうか・・・?



これは現代の御伽噺なのです。
魔法使いも妖精も出てきませんが、奇跡の数々に彩られた、現代の御伽噺なのです。
なんなら、2人の飼い犬を“妖精”だと見てもいいでしょう。

なので、
何でケイティは2006年の世界で、ちっともアレックスを探そうとしないの?
(探しちゃったらアレックスがアレになってるのが判っちゃうから)
とか
何で出会う事をあっさり諦めて、2年もの間離れて過ごしてきたの?
(2年後のバレンタインにならないとアレしようにもアレ出来ないから)
とか
何で2人が飼っているのが同じ犬だとわかるの?
(それはほら、大体の特徴が一致してたし・・)
とか
いっぱいタイムパラドックスが起きちゃうんじゃないの?
(そんな事言ってたら映画なんて作れないんだよ!
とか、大人の事情に口出ししてはいけないのです。

シンデレラを読んでいて、
なんで魔法使いは“12時まで”なんて時間制限をつけるのさ?
助けるんなら徹底的に行こうよ!

なんて言わないでしょう?
相手はなんてったってファンタジーですから。

そんな些細な事よりもっと、納得行かない点があるじゃないですか。
私が一番納得行かない点。
それはケイティの元彼。
“湖の家”から引っ越す前に別れていたらしい彼・モーガン
その強引な性格から、ケイティに捨てられたくせに、未練たっぷりで復縁を目指すモーガン
自分ではそうと知らないうちに、ケイティとアレックスの運命の出会いをお膳立てしていたモーガン
強引だけど憎めない、周りからは“理想の結婚相手”と認められるモーガンは、この物語の中でも大きな役割を果たす、重要人物のはず。
そのモーガンがねぇ・・・。
私にはどうしても、石油会社を経営していた頃のジョージ・ブッシュにしか見えないのですよ。(その頃のブッシュに会った事はありませんが)
一昔前なら、間違いなくビル・プルマンにオファーが行くであろう、“憎みきれない恋敵”がヤング・ブッシュ

有り得んな・・・。

もう、画面にモーガンが出てくる度に忍び笑いです。
「あ、またブッシュ出た」
って。
演じる役者さんは、ディラン・ウォルシュと言う人です。

全く知らんな・・・。

出来ればここのキャスティングが、もう少し肩入れできるビジュアルの役者さんだったら、せつなさ5%アップだったかもしれません。(それだけ?)
20061003153332.jpg←こちらがモーガン


それと、もう一つ納得行かなかった点。
テレビの予告で使われているバラード、キーンの『SOMEWHERE ONLY WE NKNOW』が、本編では流れなかった事。
本編でのテーマ曲は、ポール・マッカートニーの『THIS NEVER HAPPENED BEFORE』と言う曲だったのでした。
御大のバラードですけどねぇ・・・。
個人的には、ラストでキーンの方の曲が流れてたら、せつなさ120%アップだったような気がします。

まぁ、せつなさアップしなくても、秋の夜長にときめくにはピッタリな、大人の贅沢な御伽噺で、私は充分満足出来ました。
私の一番の収穫は、キアヌの弟役を演じていたエボン・モス=バクラックに出会えた事でしょうか。
若い頃のジェームズ・スペイダーに似た、クールな男前で、今後も要注目です。


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『追憶』

2006年09月28日
泣かせて下さい・・・!

どうか泣かせて下さい、小一時間・・・!

学生時代は、連続失恋記録の自己レコードを更新し続けてきた私・・。
パッと見、田中真紀子と五十歩百歩のバーバラ・ストライサンドが、全盛期のブラピ並みのビジュアルで世界中の女性の憧れの的だったロバート・レッドフォードを射止めて、大恋愛の果てに引き裂かれてゆくこの物語を観て、どうして泣かずにいられましょうか!

こっち側の女性では、誰にも成し得なかったであろう快挙を成し遂げ、尚且つ夢と希望と共感を与えてくれたバーバラ・ストライサンドに、盛大な拍手を!!

そして、私に小一時間休憩を!(ゼェゼェ

大昔にこの作品を初めて観た時は、バーバラの奮闘とレッドフォードの美しさ、それに切なすぎる別離に、とめどない涙が流れたものでした。
秋の夜長に、恋愛映画シリーズ。
10数年ぶりに観直す、 『追憶』 です。

1940年代、ニューヨーク。
放送局で働くケイティは、同僚と立ち寄ったバーで、偶然の再会をします。
その相手とは海軍大尉のハベル。
久しぶりの再会に、ケイティの心はお互いが学生だった、大学時代に遡ります・・・。

バリバリキャリアウーマンのケイティが、ハベルの姿を見た瞬間に表情がパッと和らぐ事で、ケイティの想いは全て伝わってきます。
(器用な事に)座ったまま寝ているハベルの前髪を、愛しそうに撫ぜるケイティ。
寝ている筈のハベルの瞼がピクピクしているのですが、気付かなかった事にしておきましょう。

時は遡り、1937年、大学のキャンパス。
野暮ったい容姿のケイティは、反戦活動に情熱を捧げる、志し高い学生活動家。
それに対し、ハベルは容姿端麗でスポーツ万能な学園のヒーローでした。
正反対な二人でしたが、自分の信念を貫くケイティにハベルは尊敬の念を抱いており、ケイティもまた、見た目だけの軟派男とは一味違うハベルの優しさに、密かに心惹かれていました。
少しずつ言葉を交わすようになる二人でしたが、所詮貧乏でユダヤ人で共産党員のケイティと、裕福な家庭で白人で学園の人気者のハベルではつりあう筈も無く、大学卒業と同時に繋がりは切れてしまったのでした・・。

とにかく、ケイティの目が口ほどにモノを言う事といったら!
饒舌すぎるほど、ハベルへの想いを語るケイティの視線。
わかる! わかるよ!
あなたの気持ちは痛いほどよく判る!

必要以上に感情移入してしまう、ケイティの学生時代のエピソードの数々。
かっこよすぎるハベルに、冷たい眼差しを向けざるを得ないケイティ。
だって、モロに熱い眼差しを向けても、相手にされないに決まっているから・・。
だからワザと、「あたしはあんたなんかアウト・オブ・眼中なのさ!」と言わざるを得ないのです!
これぞ、非モテ系のみがマスター出来る、究極の自己防護策!
しかし、博愛主義者のハベルは、そんな頑ななケイティにすら親しげに話しかけ、他のキャピキャピ女学生には見せないような表情を見せたりするのです。
・・なんと言う罪作り!
二人の心が、微妙に惹かれつつある中、一度目の別れが容赦なく二人に訪れます。

時は戻って、40年代のニューヨーク。
偶然の再会から、すっかりハベルの事で頭が一杯のケイティ。
そんな彼女に、最初は特別な感情を抱いていなかったハベルでしたが、ある日ケイティが差し出した1冊の本に、心が動かされます。
それは、過去にハベルが出した小説でした。
決してベストセラーではなかったその小説を手に、ハベルの才能を力説するケイティに、ハベルは親しい感情を抱くようになり、いつしか二人は付き合うようになります。
ハベルの文才を信じ、執筆を促すケイティ。
そんなケイティの献身的な愛に、すっかり身を任せるハベル。
しかし、ケイティの信条である政治思想が二人の愛の妨げになる事も多く、次第に二人の溝は深まって行っていました。
自分を曲げないケイティに耐え切れなくなったハベルは、彼女に別れを切り出します。
しかし結局、ケイティの押しの一手に根負けし、ケイティもまた、自分の政治的信念よりもハベルへの愛を優先させる事を誓い、二人はめでたくゴールイン。

問題です。
自分のベッドで、ずーーーっと片思いしてきた憧れの人が、酔いつぶれて裸で寝入ってしまいました。
さあ! あなたならどうする?!
1.とりあえず記念写真
2.紳士らしく、傍のソファーで寝顔の鑑賞
3. チャンスとばかりに既成事実を作る

長年、非モテ人生を歩んできたケイティが取った行動とは、なんと3番!
奥手のように様に見えたのに・・・。
やる時ゃやるんですね!
勝負師の眼差しを垣間見たようなきがします。
しかし、そんな猛烈アタックが功を奏して、めでたくハベルを射止めたケイティでしたが、所詮は政治思想の強い非モテ系女子。
空気なんぞは読める筈も無く、ハベルのセレブな集まりで、ノンポリな友人達を猛烈批判。
“口は禍の元”の見本の様なケイティに、ハベルがお手上げになるのも、仕方のない事です。
別れを切り出すハバルに、取り乱したケイティは、
「あたしが貧乏だからでしょ!」
「あたしがブサイクだからなんでしょ!」

と、的外れな逆ギレをします。
そうじゃない・・  そうじゃないんだよ・・ケイティ・・。
しかし、非モテが振られる時は、これ以外に理由を見つけられないものなんです・・。
そんな全国の非モテ系に、愛の手を!!
一度はハベルを諦めかけたケイティでしたが、学生運動で培った不屈の行動力でハベルを説き伏せ、何とか2人は復縁します。
この辺の行動力が、ただの非モテとケイティの決定的な違いなんでしょうね。
あやかりたい、あやかりたい・・。


ハリウッドに渡り、脚本家として再出発するハベルをサポートするケイティ。
子供も授かり、幸せ一杯に見えた二人でしたが、ハリウッドは赤狩りの恐怖に侵されつつありました。
持ち前の政治思想が、抑えきれなくなったケイティは、デモ活動を再開します。
しかし、ハリウッドの一員であるハベルにとって、妻の政治的活動は命取りであり、全てを失う危険を孕んでいました。
すっかりハリウッドに染まっていたハベルは、その地位を捨てるつもりは無く、ケイティもまた、長らく潜めていた自分の信念を再び眠らせる事は出来ませんでした。
どうしても相容れない、二人の考え方の違い・・。
ケイティはハベルに最後のお願いをします。
それは、間もなく産まれて来る赤ちゃんの出産のその日まで、傍にいて欲しい・・と言う事。
そして、二人はその日を迎えます。


アホー!!

おまえら二人とも、

ドアホー!!

こんなにお互いを理解しているのに、こんなにお互い愛し合っているのに、それでも続ける事の出来ない愛があるなんて・・・。
切な過ぎるじゃないですか・・。
愛よりも大事な信念って、何なのさ?!
私なら曲げるよ、信念。
さあさあ信念の大安売りだい!
今なら30年保障つきだよお立会い!

って、そんな女じゃなかったケイティだからこそ、ハベルは強く惹かれたんでしょうね。
「私はただ、ずっと愛し合いたかっただけなのに・・」
と言う、ケイティのセリフ・・。
二人はもう二度と、同じ道を歩む事が出来ないのでしょうか・・?

時は流れて、50年代のニューヨーク。
街を颯爽と歩いてゆくケイティの視線が、通りの向こうに釘付けになります。
その先にいたのは、ハベル。
ハベルもまたケイティに気付き、偶然の再会を果たす2人。
心の底にあった想いが溢れかえりそうになるケイティでしたが、完全に別々の種類の道を歩んでゆく2人の人生は、もう2度と交わる事はないのです。
忘れられない想いを胸に、二人はまた自分の人生に戻ってゆくのでした・・。

ラスト、2人の再会のシーンを飾るのは、バーバーラ・ストライサンドの名曲 『The Way We Were』 です。
この曲を聴きながら、観客は2人の今までの人生に思いを馳せ、偶然の再会に奇跡を願います。
もしかして、もしかしてもう一度、同じ人生を選択してくれないだろうか・・と。
「やっぱりあなた(きみ)無しの人生なんて、考えられない。」
どちらかがそう言ってくれる事を祈りながら、でもその言葉が口に出される筈はない事も判ってしまう。
再会のシーンで2人が見せる表情は、セリフ以上に全てを表していて、バーバラとレッドフォードの見事な演技力に圧倒されます。

ともすれば、判官びいきな意味もあり、バーバラよりの見方になってしまいそうな本作。
頑張れバーバラ!
負けんなバーバラ!
なんとかしてやれよレッドフォード!

そんな風になってしまいがちなストーリーを、どちら側にも共感できるような作品にさせているのこそ、2人の繊細な演技力以外の何ものでもありません。
心を打つ音楽、素敵な台詞の数々、そして確かな演技力に支えられて、 『追憶』 は今でも多くの人に愛される名作となったのですね。

愛ってこんなに苦しいものなんですね・・。
・・痛い・・・
・・胸が痛いよ母さーん!!


非モテのみならず、全ての恋する大人たちに観て頂きたい素敵な作品でした。

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