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『モテキ』

2012年03月31日
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お前がモテてるんじゃなくて、長澤まさみがモテてるんだよ! 見誤るな!



公開当時、鑑賞を終えた「是」の人と「非」の人たちが血で血を洗う抗争を繰り広げたと風の便りで聞いていた『モテキ』を観ましたよ。

主な内容をかいつまんで説明すると、
まともな恋愛をしたことがない非モテのアラサー男子(とは言っても傍から見れば普通にかっこいいメガネ男子)の藤本幸世は、フリーター生活に終止符を打たんとばかりに、サブカル系インターネットニュースサイト・ナタリーの就職試験に挑むが、面接官にセカンド童貞(筆は下ろしたもののそれ以降性交が無い)である事を嘲笑されたり、たまたま事務所に乱入してきた女性に刺されたり、と散々な目に遭って(けど、そのお陰で就職試験には合格する)しまう。 その後、新人ライターとして上司(巨乳でドSで仕事が出来て超絶美人)に罵倒されつつ忙しい日々(趣味と実益を兼ねた仕事なのでウハウハではあるが)を送る幸世は、ある日愚痴を書き込んでいたミニブログ「Twitter」上で同業者らしき人物・松尾から声をかけられる。 ライターならではのストレスや苦労を共有するうち、すっかり意気投合した二人はオフ会を催す事に。 リアルで会う事に若干の緊張が隠せない幸世。 すると目の前に想像もしない人物が現れる。 「こんにちは・・幸世くん?だよね?」。 なんと男性だと思っていた松尾は(巨乳で気立てもよさそうで超かわゆくてサブカルにも通じている20代の)女の子だったのだ! 出会って2秒で即ハ恋に落ちてしまった幸世は、松尾に自分の想いを伝えられない(ちゃっかりキスだけはしてしまうんだけども)まま、彼女に紹介された(美人で控えめで甲斐甲斐しく尽くすタイプの)OL・るみ子とも関係を持ってしまい・・・
という、まぁ要約するとモテていると勘違いした男が実はまんまと手玉にとられていたというお話だった訳ですね。

いや、あらかじめ断っておきますが、これは全てアガサの勘違いなのかもしれません。
監督が意図したものではないのかもしれない。(というかたぶんそう)
しかし、演出が作り出した奇跡なのか長澤まさみさんのナチュラルな成分のせいなのかはさておき、アガサには長澤さん演ずる「松尾みゆき」の立ち振る舞いが、すべて「高度な心理操作」にしか見えなかったのですよ! 眠そうにしてても目の奥がギラギラ光ってるトコとか、他意なくやっている事のはずが計算ずくでやっているようにしか見えないトコとかがね!
(ええとねええとね、本来は「眠そうな演技」の筈だったんだけど諸事情で眠そうに見えなかったとかじゃなくてね、「寝ている演技」がぎこちなさすぎて寝たふりにしか見えなかったとかそういうんじゃなくてね、うーんなんだろなぁ、この「言えば言うほど敵を増やしている」感じ!まいっか!うふふーオッケー!)

という訳で、今回は『モテキ』のモテ子・松尾みゆき嬢から読み解いた恋愛方程式、その名も【“女のプロ”はココがすごい!】をお送りしようと思います。 完全にアガサの独断と偏見の塊ですけどお送りしますよ!オーケーライドオン!

その1・初対面でもボディタッチ
たとえネット上では気心が知れている相手でも、直接会う時には多少なりとも緊張するのが人の常。
しかし、男を手玉に取る事に長けた女性(アガサはこれを“女のプロ”と名付けたよ)は、その緊張をいとも簡単にときほぐすのです。そう、さりげないボディタッチでね。 肩から始まり、背中、ふともも、そして最終的には自分のちちを相手の二の腕にこすりつけて華麗にフィニッシュ。 これで殿方は「アレ・・こいつオレに気があるんじゃね?」といっぱしのモテ男気分になる事まちがいなし!

その2・二次会に女友達を呼ぶ
すっかり(性的な意味で)ほろ酔い気分になった殿方をクールダウンさせるべく、友達を召喚する女のプロ。
もちろん友達は色気の無いジャンルの無難なタイプをチョイスします。 ここで、殿方は一旦「アレ・・やっぱグループで、ってコトか・・まぁそうだよね・・テヘヘ・・勘違いすんなよオレ・・」と涙混じりに鼻の頭をこすりつつ友達気分に原点回帰しようと努力します。 しかし、彼は気づいていない・・・意識的に「努力」しようとしている時点で、もう時既に遅しなのだと言う事に!

その3・初対面でも家でまったりする
グループ交際方面に舵をきった殿方の家で、友達も含めDVD鑑賞を楽しむ女のプロ。 お次の一手は再びボディタッチです。 タッチ、ノータッチからの再タッチです。 ここでのタッチは、ずばり「手つなぎ」プレイ。 そう、この世のほぼ全ての殿方が夢見ているであろう、「だらだらビデオを見ながら手をつないだり重ねたりカップルみたいに組み合わせたり」プレイです。 一緒に連れてきた友達には悟られないよう、体の陰(死角)でプレイすることで、「アレ・・?やっぱオレに気がある・・?」という期待と背徳感が間欠泉のように一気に噴き出す事でしょう!

その4・眠気をアピール
昭和タイプの女のプロは「あたし酔っちゃったみたい・・」と酔いをアピールしていたそうですが、平成のプロは違います。 男友達の家でまったりしている最中に眠気モードを稼働させる事で、プロの表情からは邪気が消え、純粋無垢な「甘え」の精神だけが残るのです。 そして殿方は、プロのあどけない「ねむいよう・・」の一言に今夜の勝利を確信する。 性的な意味での勝利をね!

その5・狸寝入りを駆使
ここで邪魔になるのが一緒に連れてきている女友達の存在です。 背徳感には一役かったものの、その後のイチャイチャには邪魔以外の何者でもない。 そんな状況を軽々と打開するのが、秘技「狸寝入りの術」。 始発電車で帰る事を提案する女友達の呼びかけには一切答えず、「こりゃもう動かせないな」と思わせるまで丸太のように転がるプロ。 諦めた女友達がひと足先に帰宅するやいなや、「むにゃむにゃ・・あれえ・・ねちゃってた・・?」と殿方にベイビーフェイスで問いかけます。 自分の家で、無防備にぽやんとしている寝惚けまなこの女の子。 あなたの心には何が残りましたか? そう、性欲ですね!

その6・何事も寸止め
シャワーを済ませ、殿方の服を借りてもなお、最終結合には及ばせないのが女のプロ。 誰とでも定額な世の中で敢えてファミリー割引にこだわり続けるドコモの如く、身持ちの硬さを貫くプロの姿は時に、「次こそは・・・!」という希望にも似た何かを感じさせる事でしょう・・・ そしてそれこそが、殿方が既にプロの術中にまんまとはまりこんでいる事の証明なのです!

その7・美人な友達を紹介
「彼女はオレのこと、好きなのかなぁ・・きらいなのかなぁ・・、いや、きらいではない筈なんだけど、でもどうなんだろう・・ああ・・気になるなぁ・・でも聞いてみて否定されるのもイヤだしなぁ・・・」。 おわかりいただけたでしょうか。これがきょうびの草食い男子です。 ダイレクトに聞けばいいのに。 聞 け ば い い の に 。  かように、気持ちを伝えない上確認する事すら躊躇う殿方が多い昨今、プロが編み出したのが「囮作戦」。 キレイめの女友達を紹介し、殿方の心を激しく揺さぶる作戦です。 「なかなか気持ちに応えてくれない彼女を思い続けるよりも、いっそ簡単に落とせそうで且つ美人の友達に乗り換える方が・・・いやしかし・・」とグラグラする殿方を思い切って放置。 仮に、彼が友達と一線を越えてしまったのを確認したら、即座に失望の色をあからさまにしつつその場を立ち去ります。 殿方の気持ちは、もはや「やってもうた」という後悔と「アレ・・ショック受けてるって コ ト は ?!」という期待でズブズブですね!

その8・追いつかれる程度に逃げる
どんな草食い野郎でも、好意を寄せている女性が目の前で思わせぶりに逃げれば、追わずにはいられないもの。 「あんな風に逃げ出すという事は、きっと追いかけて欲しいに違いない!」という根拠のない自信を抱かせる程度に逃げるのが、プロの腕の見せ所と言っても過言ではないでしょう。 「涙を見せる」「チラッチラッと視線をおくる」「逃げすぎない」といったポイントを抑えつつ、お互いの息が上がるまで逃げたら、あとは思う存分殿方の腕に飛び込んで相手の気持ちを受け入れてあげるプロ。 これらの一連の行動で「コイツはオレが一生守ってやらないと・・!」と堅く誓わせる所まで持ってゆくのがプロの流儀なのです。 


いかがだったでしょうか。 
このように、女のプロの手にかかれば、世の殿方は「オレってモテてる!」と思い込みながらいとも簡単に「運命の愛」を誓ってしまうものなのです。
ただし、誓っているのは殿方の方だけですので、プロはいつでもフリーエジェント宣言し、もっと条件のよい他の殿方へと電撃移籍を果たしてしまうことでしょう。 
その時きみは、刻の涙を見る・・・!

で、ここまではアガサによる「あの眠いアピールは全て計算だったに違いない」という判断に基づく妄想夢芝居だった訳ですが、仮に、計算ではなく純粋に眠かっただけで、その他の幸世を振り回すかのような言動も全てみゆき嬢の天真爛漫さゆえのものだったとしたら、『モテキ』は「不器用な男女による、とても甘酸っぱい恋愛活劇」だったと言えるでしょう。
妻帯者との不毛な恋愛に寂しさを感じていたみゆき嬢が、同世代で趣味も合う青年と出会い、心揺れ動かされ、迷走の果てに青年との愛を選ぶ
というね。 マジ苦々し甘酸っぱいですよね。
まぁその場合だったとしても、結局「本来好きなタイプとは違うタイプに寄り道した」だけですので、遅かれ早かれフリーエージェト宣言が飛び出すものと、アガサは推測しますケドね!
ゴメンね! 辛酸なめすぎたせいで心が錆び付いてる大人なもんでゴメンね!

という訳で、どちらにせよ、当人たち以外にとっては非常にはた迷惑な恋愛が繰り広げられていた本作ですが、恋愛なんてものはそもそもはた迷惑なシロモノですし、迷惑をかけたりかけられたりしながら、人は成長してゆくのではないかと思いますので、まぁ・・アレだ・・、みんなもがんばってネ!うふふ!オッケー!


- 追 記 -

・ 出てくる部屋や居酒屋などがいちちシャレオツ地獄! 机が樽とか!飲み屋さんの机がワイン樽とか!

・ 物語を邦楽で語らせる場面が多かったのですが、大江千里の「格好悪いふられ方」がカラオケ風に字幕付きで流れ始めた時は思わずゾっとしましたよ。(そのままの意味で)

・ TwitterやUSTREAM、ロフトプラスワンや野外フェスや多岐多様な邦楽などのおもしろさや楽しみ方を知っている人と、そういったものをあまり知らない人では、この映画に対する印象は違ってくるのかもしれませんね。 アガサはあまり知らないので、「えっえっ N'夙川BOYSってどう読むの?野外フェスってテント張って寝泊りするの?」とおのぼりさん気分で鑑賞しました。

・ みゆき嬢はさておき、主人公である幸世くんが心底クズい男でアガサは辟易したよ!

・ 冒頭、尾崎豊を軽くdisっていた幸世に、オレは今「耳の後ろがひどく臭くなる呪い」をかけた!(※アガサは数十年来の尾崎大好きっ子です)

・ みゆき嬢の親友・るみ子に告白され、勢いで一夜を共にしてしまったまではいいものの、「コーヒー淹れようか?あ、それとも何かごはんたべる?ウフフ」と含羞むるみ子にまともな返事すら返さず、露骨に「あ゛ーヤるんじゃなかったーくそー」と後悔してみせる、デリカシーの欠片もない幸世に、オレは今「30歳とは思えない程無残な生え際になる」呪いをかけた!

・ 女とみれば「自分はモテているのかモテていないのか」、はたまた「性交出来るのか出来ないのか」しか考えないゲスい幸世に、オレは今「ここぞいう時に限って中折れする」呪いをかけた!もちろん性的な意味でだ!

・ 要するに、幸世という人間は「本当の愛がしたい」のではなく「綺麗でちちがでかくて好みのタイプの女性とたんまり性交したい」だけなのではないでしょうかねぇ。

・ だから彼は作中で成長しない。 幼稚園児並みに駄々をこねながらなんとか一つ仕事を済ませた程度で、その後も公私の区別が全くつけれていない。 そういう所がものすごくイヤだなぁ、と思いました。

・ 計算なんだか天然なんだかは定かではありませんが、とりあえずアガサはみゆき嬢の「女子力」の高さに圧倒されましたね。 あのね、合コンの途中で離脱する時にね、「すみませ~ん!わたしここでドロンします~♪」とか正気の沙汰とは思えないですよね。 ほんでさらにその後ダメ押しで「シュッシュッシュ~」って手裏剣のパントマイムとかもう・・ ・・見える・・セットも何も無いのに、あの子の後ろに伊賀の里が見える・・・!!って こ わ い 子 !!


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『超・悪人』

2012年02月01日
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あらすじ・・・
おい、これを見ているおまえ。これは滅多にお目にかかれへん貴重な映像やからな、しっかり見とけよ。
オレは女が大好きや。 そして、好きになったらもう、どうにもできん。気持ちを抑えられへんねん。
オレは惚れた女の家に入り、その女をズボる。
これはな、いうたらオレの愛情表現や。
ホンマはオレも、好きになった女と仲良くエッチしたいだけやねん。
せやけど時々、女はオレの気持ちを踏みにじる。 暴れてみたり、なんやったら大声出したりする。 これはあってはならない裏切り行為や。
そんな時はしょーがないから、愛用のハンマーで女の脳天を一発。
ポーン。 
ショブって終了や。
まあな。 こんなオレを「悪人」と罵る女もおるわ。 ええやんか。「悪人」。グっとくるわ。
オレは稀代の「悪人」や。 愛を求める狩人や。

今までやむを得ずショブった女は6人。
ズボった女は107人。
そしてオレはこれから、今までで一番惚れた女を抱きに行こうと思うてる。
丁度108回目の、愛の告白や。 
煩悩と同じ百八つやで。ちょっとおもろいやろ。
おい、これを見ているおまえ。 これは滅多にお目にかかれへん貴重な映像やろ。 どうや、108回目のズボり、気になるやろ。 
見たくないか。 
本当は見たくてたまらんのちゃうか。 
おい、どうやねん。
なあ。 おい。



とにかく強烈な映画でした。
全編通して延々と続けられる、不謹慎極まりない行為。
なかでも、冒頭に用意されている「主人公が自らの信条を具体的に説明する犯行ビデオ」は相当にエグく、それはまるで、第1ステージの頭からアルティメットクリフハンガーが登場するSASUKEの如きハードルの高さ。
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(※ 最初からこんなの出ちゃったら 越 え ら れ る 気 が し な い !!)

「青春H」というパッケージに惹かれ、ついうっかり手にとってしまった方ですと、かなりの確率で脱落する事が予想される、この十数分の冒頭シーン。
主人公である「悪人」が一人暮らしの女性の家に上がり込み、彼女を縛り上げ、粗暴な言葉と暴力によって無理やり「強姦」を「和姦」へとすり替える様が、「悪人」自身が持つハンディカメラに収められるのですが、かくいうアガサも、あまりの惨たらしさに停止ボタンを押して、プレイヤーからDVDを取り出してしまいました。
そして、「自分はなぜ、こんな胸くその悪い映画を借りてしまったのか」「はたして自分はこのままコレを観続けるべきなのだろうか」と自問自答してしまう事小一時間。
「このままDVDを叩き割ってしまえ!」という心の声と闘いながらも、Twitterで励まして下さった方の声に背中を押されながら再びディスクをデッキに入れ、気が付けばエンドクレジットまでノンストップで食い入るように観てしまったのでした。
DVDを叩き割らなくて本当によかった。 
なにより、「ディスカスに弁償」という最悪のシナリオを辿らなくて、本当によかった。(喜ぶトコそこかァ?)

しかし正直に白状しますが、再生ボタンを押すに至るまでの間、実はアガサはネットで『超・悪人』のネタバレレビューを探してしまったのですよね。
もうね、とてもじゃないけど「この先もあんな調子で進んだらどうしよう」という恐怖に、一人では立ち向かえなかったのですよ。
よそさまのブログで見かけた「エグい冒頭から一転、想像もつかない展開をみせる」という一言で、ようやく続きを観る気になれた。
それくらい、本作の冒頭は残酷で、容赦なくて、観るに耐えないシロモノであり、そんなシロモノをなんだかんだ言いながら観てしまっている自分の罪深さにハっと気づいた時、『超・悪人』の真の恐ろしさに震える事となったのでした。
そう、なんだかんだ言って、気になってしまうのですよ。
ディスクを一旦取り出した時、「やめる」という選択肢もあった。 
でも、私はやめなかった。

本作に登場する「悪人」は、自分が107回目にやらかした強姦の映像を、とある実録犯罪系雑誌の編集部に送りつけ「インタビューを受けてやる」と申し出ます。
この時点での編集者の白石とライターのヤエコの状態は、テレビの前に座っているアガサと同じなのですよね。
明らかに凶悪な犯罪者である「悪人」を警察に通報し、挑発的なメッセージを拒絶するという選択肢もあった。
でも、しなかった。

白石監督の作品は、『ノロイ』『オカルト』『シロメ』しか観ていないのですが、前者2作品に共通する「観客をカメラマンの共犯者にしてしまう」技は今回も健在で、というか、ますます力強さを増し、有無を言わさずおぞましく自己中心的な犯罪に加担させてしまいます。
いくらでも「やめどき」がありながらも、「悪人」の話術と危険極まりない行為に魅入られたようにカメラを回し続ける編集者・白石はアガサそのものであり、「自分は見ているだけだから悪くない」という逃げ口上を笑い飛ばすように悪い方へと転がってゆく物語を、共に呆然としながらポカーンと口をあけて見守るしかありませんでした。
しかもタチの悪い事に、おもしろかったのですよね、それが。
白石もアガサも、たのしんでしまっていたのですよ。そんな不快な物語を。

と、こういう風に書いてしまうと「わしゃどんだけ鬼畜な人間なんやねん!」と自己嫌悪に陥ってしまいそうなので弁解しますが、本作はアガサがネットで見かけた一文の通り、酷すぎる冒頭シーン以降一気に思いもよらない方向へと舵を切りまして。
都合の良い言い訳と思われた「オレは好きになってしまっただけなんや」という言葉は、運命の相手と出会った事で真実の心の叫びとなり、似たような孤独と哀しみを経験してきた「悪人」と「被害者」は、あっという間に恋に落ち、お互いの愛を貪り合うように口づけを交わします。
「わかる・・・わかるで・・ずっと誰からも愛されなかったんやな・・ オレもや・・ このワキガのせいでな!


バーン

もうね、なんでここでワキガなのかと。
慈しむような表情を浮かべながら懐からミョウバンを取り出す「悪人」。
それを受け取り、感動のあまり涙ぐむ「被害者女性」。
なんかもうよくわからんけど、とりあえずお邪魔しましたー!
世の中には体臭に悩んでいる方も沢山いらっしゃると思いますし、その皆さんを嘲笑する気持ちは全くないのですが、このタイミングでワキガとか言われたらもう、笑うしかなかったのですよね。白石監督はちょっとばかり卑怯だと思うの!どんな緩急のつけ方やねん!

とまぁ、ワキガの一件は若干ズルいなぁと思うものの、とにかく「悪人」の熱情と「被害者」の純情ががっちり噛み合い、巻き込まれた編集者とライターが完全におミソ状態になってしまうくだりは異常にオカシクて、彼らはどんな結末を迎えるのだろうか・・と、気になって仕方ありませんでした。
「悪人」が吐き散らす胡散臭い関西弁もとても効果的で、ありえないほど滑稽な犯罪の打ち合わせシーンに吹き出した次の瞬間、今度は心臓がキュっと締め付けられる程怖くなるという・・・。
心底おぞましい物語を、こんな風におもしろく感じる作品にしてしまう白石監督をおそろしいと感じると共に、こういう「抜き具合」(笑いどころ)を用意してくれるのは、監督の「世の中の悪人」に対する優しさなのかなぁ・・と思ってしまいました。
なんだかんだ言って鑑賞する事をやめない、アガサのような「悪人」に対してもね。

・・・うーん、でも違うかな!わかんないや!わはは!!
(ドス黒いものに惹かれてしまう人を全部まとめて笑い飛ばしているようなトコロは優しさなのかなぁ・・と思ったのですが、もしかしたらとどめの一発なのかもしれませんね。ザ・混乱!)

とにかくこわい程おもしろい映画でした。
絶対におすすめしませんが、少なくともアガサは最後まで観てよかったと思いましたし、白石監督の他の作品も全部観てみたくなってしまいましたよ!


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(※ 本作で「悪人」を演じていた宇野祥平さん。 苦しみ抜いた後野垂れ死んで欲しいと思うほど憎たらしい。 アガサは冒頭のシーン以降しばらくは顔を観るのもイヤでした。)

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(※ そんな宇野さんの『オカルト』での姿がこちら! うそみたいだろ!同一人物なんだぜ! 和製チャンベールの称号を君に捧ぐ!!)


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『デンデラ』

2011年09月21日
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あらすじ・・・
年に年を重ねたおとな系女子のみなさんが、とある事情から山ガールになり
デンデラ
(※ 参考画像・山ガール)

途中、ハンター系女子やガーデニング女子や、
デンデラ3
(※ 参考画像・ハンター系女子)

美魔女たちと合流し、
デンデラ2
(※ 参考画像・美魔女)

一緒にスローライフ系コミュを作り、夜毎の女子会を満喫していたのだけれど、ある日ママ女子系の肉食系女子が乱入してきて
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(※ 参考画像・肉食系女子)

「子どもの為にお肉を下さい」とごり押ししてきた事から、楽しかった日々が一気にサバイバル女子生活へと変貌してしまうという、復讐系なおかつ闘う系のお話系です。


そして婆さんは野に解き放たれた!!

平均年齢80歳のおばあちゃん軍団が、踏みにじられた自らの尊厳を取り戻す為竹やりを持って立ち上がるアクション巨編『デンデラ』を観てきました。
70歳で一方的に「人生終了」宣告をされ、人里離れた雪山に捨てられてしまうおばあちゃん方を演じるのは、浅丘ルリ子、倍賞美津子、山本陽子、草笛光子、角替和枝、赤座美代子などなど、日本の女優界の牢名主的存在の錚々たる皆様。
パキっとしたアイラインがチャームポイントのルリ子が、ナチュラルメイク&ボサボサ頭で槍を振り回す姿や、いつも眩いばかりの光源を伴って登場しているイメージの強い草笛光子が、実年齢よりも20歳以上も年上の役をぎりぎりミイラ直前の如き老けメイクで熱演している姿は圧巻で、その他の女優さんもみな美人オーラを封印し、とことんリアルな婆さん、言うなれば、飼いならされていない野生の婆さんになりきって野山を駆け回っている光景が、本当に素晴らしいと思いました。
ノーモア・皇潤! ノーモア・サメ軟膏! くたばれサセミン野郎! という掛け声が聞こえてきそうな生命力溢れる演技の応酬は、観る者の胸に大きな爪あとを残してゆくことでしょう。
年をとるなら、カラオケ喫茶でおじいちゃんと合コンするようなお婆さんじゃなく、こういうお婆さんになりたいものですね、ぼくは。

昔の日本で実際に行われていた「姥捨て」という風習。
食い扶持を減らす為、生活水準を保つ為、役に立たなくなった人間に現世からの引退を強要するというとても非道な風習に「NO!」を突きつけ、命続く限り生き続ける事を選択した本作のお婆ちゃんたちに、感銘を受けると同時にちょっとビックリしてしまったアガサ。
なぜなら、これはアガサ独自の考えですが、「老いる」というのはひとつづつ「執着」を捨てていく事なのかなぁ、と思っていたから。
結婚をしたり、子を育てたり、体力が落ちていったり、食べる物の濃さが薄まっていったり、食が細くなったり、性欲が枯れていったり、順番にこだわることを諦めたり・・。
年を重ねるにつれ、多くの人は「自分の引き時」みたいなものを意識するようになるのではないかなぁ、と。
しかし、デンデラ(山奥に拓かれた婆さんたちの桃源郷)の婆さんたちは違った。
彼女たちは、「死ぬタイミング」を人任せになどしない。 
石にかじりついてでも生き延びて、いつかその時が来るまで一心不乱に生を全うする。
眩しいと思いました。
婆さんたちのギラギラとした命の輝きが、心底眩しいと思いました。

と、ここまでは、ひたすらに「すごいお婆ちゃん」の姿に関心しきりだったアガサなのですが、JKJ(ジュクジョ)49の面々は徐々にその荒々しい野心を顕にし始めることに。
彼女たちが胸に潜めていた目的。 
それは、自分たちを粗大ゴミ扱いした村に復讐することだったのです!
これはアガサも驚きましたけど、デンデラに拾われて間が無いルリ子も驚いていましたよね。というかちょっと引き気味でしたよね。
いやいやいや、ちょっとまって奥さん! と。
その村には自分たちが産んだ子どももおるんちゃうの! と。 我が子を手にかけるおつもりなのか、と。
そんな良識派のルリ子に、デンデラの長・草笛光子が返した一言。
「自分の子は殺さないわよ。まぁ、他の誰かが殺すだろうし」

・ ・
・ ・ ・ 狂 気 ! ! !


もうね、完全にヒットマンの目ですからね、光子。 
何が光子をそこまで駆り立てたのか、と。

30年前に山に捨てられ、何もないところから裸一貫デンデラを立ち上げた光子。
そもそも、山に捨てられる婆さんたちには、「村の平穏な暮らしの為安らかに死んで行く」という最後のお勤めが課せられていた。
「生き延びる」ことは、「不名誉」であり「不誠実」な事とされていたのです。
ルリ子も、そんな想いから最初はデンデラのみんなに反発していました。「なぜ死なせてくれなかったのか」と。
しかし本当は、ルリ子を含め、婆さんたちはみな生きたかった。
「生きてはならない」自分たちが「生き続ける」ことに正当な理由を与える為、光子は「復讐」を選んだのかもしれません。 たとえそれが狂った選択肢だったとしても。

「産んで育てる人」という役目を終えた者ゆえの暴走だったのか、生き続ける為の選択だったのか、ともかく、内部分裂を経ながら婆さんたちが恐ろしい計画を実行しようとしたその時、さらに過酷な試練が彼女達に牙をむいて襲い掛かってきます。

肉食系女子こと、クマのおかあさんの襲来です。
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( (´・(ェ)・`)クマー!)

デンデラの皆と同じように、ただ「生き続ける」為だけにデンデラに襲い掛かったクマ。 なすすべなく蹂躙される婆さんコミュ。
囲炉裏端に転がる婆さんの手足。 引き摺り出された臓物。 噴き上がる血飛沫。
未だかつて無い大スペクタクルな映像に、隣の席で和やかに鑑賞していらしたご高齢のご婦人方の精神状態が心配でならなかった事は言うまでもありません。(上映後は案の定微妙な顔つきで退場されていました)
試練はさらに続き、死傷者を出しながらもコグマを仕留め、母クマも山に追いやり、なんとか体制を立て直そうとする婆さんたちに、今度は圧倒的な自然の力が立ちふさがります。
婆さんコミュは壊滅寸前。 デンデラをまとめあげていた光子まで喪ってしまった婆さんたちは一気に老け込み、あんなにも輝いていた目はどんよりと曇るばかり。
しかしその一方、「死ぬはず」だった自分の人生に付け足された「望んでいなかった延長戦」に戸惑ってしまい、立ち居地を決めかめていたルリ子は、この一連の試練を経て、初めて自分の意思で「生きる」ことを決意します。

人は、目的があるから生きていくのか。
生きていくために目的を作るのか。
目的がなければ、生きる意味はないのか。
目的を失って尚、ギラギラと目を輝かせ、遮二無二生きてゆこうとするルリ子を観ながら、「生きる」ってこういうことなのかもしれないな、と思いました。 
今、この命があるから生きていくんだ。 というね。
ごちゃごちゃ言ってるんじゃないよ、と。

あと、それ以上に、子を喪っても、体中に深い傷を負っても、住む場所を荒らされてもなお、雄を誘い肉を喰らい産んで殖やして行こうとする母クマの姿がね、偉大だなぁ・・と思いましたよね。
デンデラ婆さんたちは、自分たちが産んで育てた村を襲おうとした時点で、このクマに敵うはずなど無かったのかもしれません。
でも、きっと婆さんたちは後悔などしていなかったのではないでしょうか。
彼女達が終えたのは、生かされた人生ではなく、自分の意思で生きた人生だったから。

「役立たず」のレッテルを貼られた人間の最後の反撃が胸に強く響き、「生き物」という大きなジャンルの中で精一杯の死闘を繰り広げる婆さんの奮闘に熱くなる、とてもおもしろい作品だったと思います。
若い人も老境に差し掛かった人も、みんな観に行くといいよ!


― 追 記 ―

・ どこかのコミュニティからガッサリ捕獲してきたかのような、見事な野良婆さん揃いだった面々の中、一人だけ「小奇麗」な雰囲気を醸しだしていた倍賞美津子が、少し残念でした。 言葉も、標準語の人が無理になまりを使ってるような不自然さでいっぱいでしたし。 もっとこう、吹っ切れて欲しかったですねぇ。

・ クライマックス、クマとの因縁の対決に挑むルリ子は、エイリアン・クイーンを前にしたシガニー・ウィーバーみたいだなぁ、と思いました。 第3の性、覚醒・・・!

・ そんなルリ子なのですが、対・クマ戦に際してなんらかの作戦を練っているのかと思いきや、とりあえず棒切れで殴りかかろうとしたり、やばそうになったら一目散に逃げ出したりと、いくらなんでもなノープランっぷり。 せめてさぁ・・ ブービートラップ的な何か・・ほら、落とし穴とかさぁ・・。 精神論で勝てる相手じゃないからね!クマだからね!


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『魔夏少女』

2011年09月01日
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あらすじ・・・
それは、綾が小学6年生の夏に始まった。
誰かから嫌がらせを受けた時。 誰かに対し怒りを感じた時。 突如相手の体から噴出す血。
罪の意識から、夜毎悪夢にうなされ、激しい頭痛や不眠症に悩まされるようになる綾。
母・美都子はそんな綾を心配し、自分が勤める病院で精密検査を受けさせるが、何の異変も見つからない。
担当医の佐藤から精神科の医師を紹介され、動揺する美都子。
母の心配をよそに、綾の状態は益々悪化してゆき、ついに最悪の事態が起こってしまう・・・。

1年後。 
横浜にある美都子の実家近くに居を移し、すっかり以前と同じような明るさを取り戻したように見えた綾。
しかし、彼女を苦しめていた怪現象は収まるどころか、より一層残酷さを増して再開する事になる。
しかも、彼女はそれを、楽しんでもいるように見えるのだった。
気に入らない存在を、次々と血祭りに上げる綾。
誰よりも母を慕い、母の愛を独占したいと願っていた彼女が次に狙ったのは・・・?
そして、悩みぬいた末美都子がとった行動とは・・・?


1987年にTBSで放送されたドラマ。
母・美都子を演じるのは原田美枝子さん、魔夏少女・綾を演じるのは、当時天才子役として一世を風靡しまくっていた小川範子さん。
伝説の昼メロ『愛の嵐』でヒロインの子ども時代を演じたり、『3年B組金八先生』スペシャルで15歳の母を演じたり、藤田まことさんの子どもになったり、と1980年代の「子役部門」のおいしいところをガッサリさらっていっていた印象の強い、「ノリピー」こと小川範子さん。 そう、アガサの中で「ノリピー」とは、碧いうさぎのあの人ではなく、小川ノリピーなのである。今までも、これからも。

母・美都子と娘・綾は、一卵性母子と言ってもいいのではないかと思うほど仕草も性格もそっくり。
お互いを想う気持ちも非常に深く、ちょっとやそっとでは壊れないような絆で結ばれている・・  ・・・はずだったのですが、綾が「願うだけで他人を破壊する事ができる」能力に目覚めてしまったことから、その関係は徐々にズレ始める事に。
前半、能力をコントロールする事が出来ず、罪悪感から精神のバランスを大きく崩してしまっていた綾が、初潮をイメージさせるシーン(ある事件の後、美都子が綾の体を洗ってあげる際、体についた血が足を伝って排水溝に流れ落ちる)の後は自由自在に力を操り、周り中に血の雨を降らせてゆくようになる、なんてのは『キャリー』そのものですし、変わり果てた娘を前に、「今まではなんでも理解出来ていると思っていたのに、何を考えているのかさっぱりわからなくなった」と恐怖と不安の混ざり合った眼差しを向ける母の姿は『エクソシスト』の母・クリスと重なって見えます。
「思春期を迎えた娘と母」のぶつかり合いを描いた2大名作のおいしい所を上手にくみ取りつつ、今のテレビでは天地がひっくり返っても実現不可能な血祭り騒ぎを惜しみなく挟み込む・・。 いい意味で貪欲だと思います!いい意味で!

そして本作はただの二番煎じに終わる事無く、とある「もしも・・・」に対して、深く、重く踏み込み、ひとつの答えを導き出している所が素晴らしいと思うのですよね。
それは、「もしも、我が子が怪物になってしまったら」という事。
「自分の愛する子どもが何らかの犯罪に巻き込まれて被害者になってしまったら・・」
という不安はいつも親の胸の片隅にあると思うのですが、そこには常に、
「我が子が加害者になってしまったら・・」
という恐怖も、表裏一体となって存在しているのではないでしょうか。
だって、子育てには明快な正答がないから。

今、我が子に掛けている言葉は間違っていないのか? 
今、我が子に接している態度に問題はないのか?
自分では「きっとこれでいいんだ」と、「こうするしかない」んだと思ってやってきた事が、ある日すべて崩れ落ちてしまったら、一体どうすればいいのか?

以前、神戸児童殺傷事件の犯人・少年Aの父母が書いたとされる手記を読んだ事があるのですが、その時猛烈な違和感と共に、もやもやとした不安に襲われたことを強く覚えています。
前者は、「こんな子育ておかしいだろうに、なんで誰も気付かなかったのか」という憤りに似た感情で、後者は、「でも、私の子がこんな風にはならないって保障はどこにもないのではないか」という疑問。
加害者になった後に、異論を唱える事は簡単です。
問題は、子育て真っ最中に、違和感に気付く事の困難さなのだと思うのですよ。

もちろん、その手の疑問や不安にいちいち怯えていては子育てなんて出来ないし、周りの声や心の声に耳を傾けながら手探りで頑張るしかないのですが、その先にどんな結果が待ち受けているかなんて、誰にもわからないだけに、もしも、自分がやってきた事が間違いで、我が子が「加害者」になってしまった時のことを思うと、胸に鉛を流し込まれたような気持ちになってしまいます。
会話する事もままならず、差し伸べた手も払いのけられた時、邪悪な事に喜びを見出す怪物と化してしまった我が子を前に、一体何をどうすればいいのか。
『キャリー』の狂信的な母親のように、ひたすら忌まわしいものとして刃を向ければいいのでしょうか。
それとも、罪を罪とせず、一緒に地獄に堕ちる覚悟で娘を庇い、怪物のしもべとして生きてゆけばいいのでしょうか。

綾の気持ちを理解しようと努め、犯してしまった殺人を隠し、なんとか共に暮らしてゆく道を模索する美都子。
しかし、幼さゆえに自分の力に酔いしれるばかりで母の思いをわかってくれない綾に対して、徐々に愛情を恐怖が上回るようになってしまう。
そんな美都子がとった行動。
それが正しいのかどうか、私にはわかりません。
ただ、かたく抱きしめ合い、穏やかな表情で火に包まれる母子の姿(←オチばれにつき反転)を見ていると、なんだかとても胸が苦しくて、母から娘への、娘から母への愛に涙がひたすら溢れてしまいました。


と、言う訳で、『キャリー』の衝撃と『エクソシスト』の怖ろしさと『スキャナーズ』の頭バーンを上品にミックスした、とても優れた人間ドラマだった本作。
若かりし頃の永瀬正敏による気合の入りまくったヘンタイ演技が楽しめたり、原田美枝子と黒田福美の2大フェロモン女優がもっさい三宅裕司を奪い合うという釈然としない展開があったりと、他にも見所たっぷりな良作ですので、もしも機会がありましたら是非! 
(ビデオは廃盤になっているようですが、時々CSのTBSチャンネルで再放送している模様)(もしくは、うらびれたレンタルビデオ店で捜索してみるという手も)


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『ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲』

2011年06月15日
ゼブラ

あらすじ・・・
2025年。ゼブラシティと名を改めた元・東京都では、犯罪抑止活動の一環として朝夕5分間ずつ、警官が自由に人を殺してもいいという“ゼブラタイム”を儲け、民間人の処刑に勤しんでいた。
記憶を失った状態で、そんなゼブラシティに放置されていた中年男・市川新市は、街のルールがわからぬまま警官隊に襲われたものの、偶然通りかかった介護士の市場に助けられ、ゼブラタイムの被害者が集まるコミュニティへと連れて行かれる。
実は市川新市は、15年前エイリアンに襲撃された東京を救ったヒーロー・ゼブラーマンであり、現ゼブラシティ知事・相原公蔵の娘であるユイとは切っても切れない間柄であるのだが、記憶喪失であるがゆえに、なかなか自分のとるべき行動に辿り着けないでいた。
そんな中、コミュニティで匿われていた少女・すみれと交流をきっかけに、再びゼブラーマンとしての力を取り戻した市川新市は・・・


仲里依紗たんの無駄な頑張りキタヨコレ―――!!

劇中、ゼブラウーマンに扮した里依紗たんが「5分だけ、5分だけ、スッキリしたいわ」と熱唱するシーンがあるのですが、ホント5分でいいからスキっとしたかったですよ。勘弁してくださいよ。全編に渡って生煮え状態ってどうゆう事なんすか。ちゃんと加熱調理しといてくださいよ。

6年前に作られた前作『ゼブラーマン』は、「信じれば夢は叶う」をテーマに、ヒーローに憧れている冴えない中年男性が信じたお陰でスーパー能力を発揮したり、信じたお陰で空を飛んだり、信じたお陰でしまうまに変身したり、要は信じたお陰で見事リアルヒーローになるという、信心溢れるお話でした。
では、前作の舞台だった“2010年”に合わせて製作された本作『ゼブラシティの逆襲』は、一体どのようなお話だったのか。
物語の舞台は、2025年という微妙な近未来世界。
革新派の都知事が独自の政策を進めた結果、“東京”は周囲の町村と合併し“ゼブラシティ”という一大都市に生まれ変わり、新しく導入された“ゼブラタイム”によって犯罪率が著しく低下。 世界で類を見ない程の安全な街になっていた。
毎日朝夕5分ずつの粛清タイムは、警官が目に付いた民間人をなぶり殺しにするだけではなく、国会議員のパワハラ&セクハラや医師の人体実験をも容認しているので、泣き寝入りを強いられる犠牲者が後を絶たないそうなのですが、そんな政策でなぜ、犯罪率が激減したというのか。
それはですね、人間は誰しも「善」の心と「悪」の心を持っており、そのうちの「善」を礼賛するのではなく、あえて「悪」の部分を認める事により、人は自らを肯定することが出来、結果不用意な「悪」に走る事がなくなるというわけなのですね。

あー・・なるほどねー なる・・・ほ ど ・・えないよね! ゴメン、えないえない!それ全然ほどえないわ!

要するに、「悪くてもいいんだよ、にんげんだもの」ということなのかもしれませんが、それで犯罪が減るとかないわー。むしろヒャッハーな展開だわー。バギーの注文殺到だわー。
しかし、一度は「うそうそ!ホントは目障りな人間(汚物)を自由に処分(消毒)して世界征服したかっただけ!」と本音とむき出しにしながらも、クライマックスでは再び「やっぱ自己肯定イイネ!」という人間賛歌に落ち着いてしまう。 なぜなら、それが今回のテーマだったから。 誰だって二面性があって当然だよ。悩むこたぁないよ。という力強いメッセージが込められているから。

というわけで、そんな二面性をわかりやすく視覚化する為に、善の部分を哀川翔演じる白ゼブラ、悪の部分を里依紗たん演じるゼブラクイーンに振り分け、その2人の闘いと苦悩と融合によって、先の「自己肯定イイネ!」へと帰結させるのですが、コレもし視覚化しなかったら、哀川翔が
「お前は悪くないよ・・そう・・そうだよ・・オレは悪くない・・だよね・・うん・・なんだそうか・・あはは・・うふふ・・」
と一人で会話しているという、世にも切ない状態になってしまいますよね。 わかった、わかったから柚子茶でも飲んで一回落ち着こう!みたいな。よっ!一人相撲名人!

そもそも前作で主人公がヒーロー開眼した際も、自分の中の二面性に思い悩むというくだりがあった訳ではなく、本作の冒頭において「おまえ、悩んでたんだろ?」と悪い人に水を向けられ「え・・あぁ・・うん・・ええっ?」と煮え切らない態度のまま遠心分離機にかけられてしまうような有様なので、一番肝心な「ゼブラーマンの心の中の葛藤」が見えてこないのですよね。
いつの間にか拉致され、よくわからないまま二分割され、過去の記憶を失い無垢な瞳をきょろきょろさせるだけの白ゼブラからは、何も伝わってきませんでした。
ボンテージに身を包み、非道の限りを尽くす黒ゼブラがとても魅力的な存在だっただけに、光(=善)の部分の弱さは致命的だったのではないかと思います。
あとね、汚れない心を表そうとしたのか、哀川翔にやたらと間の抜けた演技をさせていたのもね・・「きょとん!」みたいなね・・「なにがなんだかわからないんですう」みたいなね。 ゆ る ふ わ か !

出発点(罪悪感に揺れる主人公の苦悩)がぼんやりしている為、その後の善悪の対比が際立たず、ひたすらがんばる里依紗たんの勇姿だけが脳裏に刻まれた本作。
見れば見るほど、「なんで作ったんだろう・・・」と思わずにはいられない、非常に残念な続編でした。
いっそのこと、無理やり主人公に続投させるのではなく、ゼブラクイーンを主役に配して、哀川翔はカメオ出演くらいにしちゃってもよかったのではないか、と思ってしまいました。
三池崇史監督も、結局のトコロ里依紗たんにボンテージを着せたかっただけなんじゃねえの、と。
悪のヒロイン・ゼブラウーマンとして、レディガガ風メイクで踊り狂う里依紗たんが撮りたかっただけなんじゃねえの、と。
だったらもうさあ、全編ゼブラクイーンだけでいいよ!ゼブラクイーンにヤクザキックしてもらうからいいよそれで!コンチクショウ!

まぁ、「壮大なカーテンコール」くらいの気持ちで観るのが一番なのかもしれませんね。


最後にいくつか気になった点を記して、今回の感想はおしまいにしたいと思います。

・ 浅野さん!いつの間に歩けるようになってたの!

・ ヒーローに憧れたココリコ田中が、虐げられて踏みにじられれも尚ゼブラーマンのマスクに手を伸ばすシーンがあるのですが、これって前作で哀川翔が能力を発揮するシーンと同じ構図になっているのですよね。 だったらなぜ、ココリコは能力に目覚めなかったのか。 弱き者を救う為体を張ってヒーローになろうとしたココリコが不憫でなりませんでした。 なっちゃいねーなー。

・ 浅野さんのエロいナースかあちゃんはどこに行ってしまったんだ・・!

・ 「人畜無害な哀川翔」を演出する為か、まばたきする際「ピョコン!ピョコン!!」という効果音がついていたのだが 猛 烈 に ダ サ い 。

・ 「時計じかけのオレンジ」リスペクトなメイクのガダルカナル・タカが 猛 烈 に ダ サ い 。

・ なんだかんだすったもんだの末、再び姿を現したエイリアンを前に共闘を決意した白と黒がついに一体となり、完全体のゼブラーマンとな・・・
ゼブラ2
・・らないんでやんの。 赤黒なんでやんの。やーいやーい!おまえのかあちゃんでべそー!!
(←困惑が隠せない)

・ ゼブラなのに赤黒、そして白黒つけずに丸く収めるというオチに色々な意味で衝撃が隠せなかったアガサだったのでした。 あやまれ!笑福亭仁鶴師匠にあやまれ!


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