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『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』

2013年06月05日
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「踊るシリーズって完結したんだよねーでも観るのダルいんだよねー」という全国のものぐさ太郎のみなさん、こんにちは。アガサです。そして朗報です。
なんと今回、みなさんのお気持ちを汲みに汲んで、126分間の本編をざっくり1分ぐらいにまとめてみましたよ。どうですか。こういう気配りどうですか。

忙しい方もそうでない方も、これさえ観れば「踊るファイナリスト」の仲間入りまちがいなし!いざ鎌倉!




(※ だいたいこんな感じだと思います)


と、いうわけで、最後の『踊る大捜査線』を(126分間ノーカットで)観ましたよ。
なんつうか、もうね、言う事なんてないのですよ。
いや!ありますよ! なんだったらこの話題だけで半日話せるぐらいあるのですけど、「もういっか・・・」って。
人間が持っている「立ち向かおう」という積極性みたいなものをダメにする何かが、この映画にはありました。
鑑賞中ふと隣を見ると、一緒に観ていた世帯主さまがとても悲しそうな眼をしていた事だけ、お伝えしておこうと思います。

・・・と、本当ならここで終わるつもりだったのですけども、たまさかインターネッツで見つけてしまったこの記事について、どうしても書かずにはいられない、という気持ちになってしまった為、以下思いの丈を綴らせて頂こうと思います。
聞いてください。
【すみれさんの人生とはなんだったのか】です。

(※ ↓この記事ですよ!)
踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望 踊る大捜査線:本広克行監督「すみれさんが実体じゃなかったら…」 「THE FINAL」秘話語る - MANTANWEB(まんたんウェブ)

“実はあのすみれさんが実体じゃなかったらどうなるんだろうという思いで演出をしたんです。”
“あんなに大きなバスの事故で、生きていられるわけがない。”
“そのかわりに意識したのが、“本当に大切な人を、命を賭けて助けに来る女の人の最後”でした。”


・・す・・・すみれさん死んでた―――!!!

脚本を担当された君塚良一さんには内緒の演出だったそうなので、もしかしたらこのインタビューのあと「オレそんなつもりで書いたんじゃないよ!」と本気の殴り合いが繰り広げられたのかもしれませんが、ともかく、本広監督としては、そういうつもりで撮ったのだ、と。
マジでか・・・ すみれさん、死んどったんか・・・あの事故っつうかむしろ自爆テロ級のアレのせいで・・・
_人人 人人 人人 人 人人 人人 人人人 人人 人人 人 人人 _
> 「となりのトトロにおけるメイ&さつき死亡説」を超える衝撃!!<
 ̄Y^Y^Y^Y^Y Y^Y^Y^Y^Y Y^Y^Y^^Y^Y^Y^Y ̄


いやね、実は大破したバスからすみれさんがしれっと這い出してくるシーンでね、すみれさんが透けていたのですよね。
「雑な合成しよってからに・・・!」とカチンコチンきていた(その直前のバス突入シーンのCGもめっぽう雑だったので)のですが、そうか・・・演出の一環だったという可能性もあるって事か・・・
_人人人 人 人人 人人人 人人人_
> ま、どっちにしてもひどいけどな!<
 ̄Y^Y^Y^Y^Y Y^Y^Y ^Y^Y^ ̄



すみれさんの人生とはなんだったのでしょうか。
「踊る大捜査線」という物語の中で踊らされ続けた「恩田すみれ」という女性の人生とは。
正義感にあふれ、気弱になる青島くんを励まし、女性や子どもが被害に遭う事を何より憎み、ユーモアもあり、常に湾岸署を照らすおひさまのような存在だったすみれさん。
しかし結局、「青島くんという主人公を殺すわけにはいかない」という都合だけで、「でもファイナルだから誰か殺したい」という都合だけで、普通なら乗るはずもないバス(そう、もちろん乗るはずなんてないのですよ。なぜならすみれさんは生き甲斐だった警察官の仕事を諦めざるを得ないほど体調を崩していたのだから。東京↔大分間を夜行バスで移動する必要なんて、まるでない。)に乗らされ、人質になっている子どもを轢き殺してしまうリスクを度外視してまで、バスごと倉庫に突っ込まされたすみれさん。
そんな事の為にうまれたのでしょうか。「恩田すみれ」という愛すべきキャラクターは。

仮に、脚本通り死んでいなかったとしても、その後のシーンに一切登場しないすみれさんからは「もう湾岸署には関係ない人」という印象しか感じられませんでした。
青島くんと室井さんが、テレビシリーズ当初のような関係を取り戻し、もういちど「自分の正義」を貫こうと志を新たにしていたその隣にこそ、彼女は居るべきだったと思うのですよ。
恋人とか奥さんとかそういうのではなく、強い心を持った、頼もしい同僚として。
だけど、すみれさんは居なかった。
なんだったんだ。
なんだったんだ、この「踊る大捜査線」という物語は。

わたしはテレビドラマのシリーズがだいすきで、期待を込めて劇場版1作目を観に行ったらそこそこ面白く、だったらってんで2作目も観てみたら返り討ちに遭い、その後は「期待をしない」ことを前提に生温かく見守ってきた1ファンなのですが、まさか最後のさいごに、今までの楽しかった思い出すらぶち壊しにするような作品を観る事になろうとは、予想だにしていませんでした。

唯一の救いは、もう、このシリーズが作られない事だな、と思いました。 
ありがとうファイナル。
そして、さようなら。



― 追記 ―

散々書きましたが、スタッフの方も俳優のみなさんも、決して「馬鹿げた駄作」を作るつもりでがんばった訳ではないと思っています。 
今までの作品に対する想い、お客さんを喜ばせたいという意志、長年愛されてきたシリーズに有終の美を飾らせたいという気持ちで、沢山のスポンサーを確保し、小ネタを散りばめ、どうにでも取れるようなサービスシーンを盛り込んだのだろう、と思っています。 
そしてそれは、わたしの心にこそ響かなかったものの、「踊るシリーズ」を見守ってきた多くの皆さんに、感動を与えたのではないかと。
なにはともあれ、15年間お疲れ様でした。



参考記事
『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望(ネタバレ)』三角締めでつかまえて ・・・痒いところに手が届きまくっていてとてもおもしろいレビューです。おすすめ!




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『KOTOKO』

2013年04月12日
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団地内に響き渡る絶叫! 血塗れたバスタブに全世界が戦慄! 
次に壊れるのは、あなたの隣にいる「母」かもしれない・・・!


というフレーズが脳裏を過ぎってしまった、一見「ホラー」よく見ると「お母さんあるある」な恐ろ哀しい映画『KOTOKO』を観ましたよ。


アガサが最初にその悪夢を見たのは、第一子を妊娠中でした。 

もう5ヶ月を過ぎ、安定期に入った頃だったでしょうか。
生まれて間もない我が子の首が、抱っこした拍子にポロンと落ちてしまう、という夢でした。
プールの更衣室のようなトコロで、わたしはなぜか赤ちゃんをロッカーに入れていて、着替えようと扉を開けると赤子は既に息をしておらず、わーっと慌てて抱き上げた瞬間ポロン、と。

首は床をコロコロと転がって行きました。
首はなぜか穏やかな表情をしていました。

わたしは叫びながら飛び起きました。


2人の子どもを授かり、かれこれ11年が経ちます。
一年のうちのほとんどは、朝起きて、ご飯食べて、笑ったり、叱ったり、いつもと変わらぬ毎日なんですよね。
でも、今でも時折、叫びながら悪夢から目覚める事があるのですよ。
事故や犯罪に巻き込まれたちびっこたちが無残な事になるのをなすすべなく呆然と見ている、という夢から。

coccoの『KOTOKO』は、そんな夢をギュギュっと凝縮したような映画でした。
夢と、夢を見て跳ね起きるわたしが、そこに詰め込まれていました。

死にたいからではなく、生きていることを確かめる為に手首を切るKOTOKO。
周りの人を攻撃したいからではなく、我が子を守る為に拳を振り上げるKOTOKO。
その姿はあまりに痛々しく、直視することが耐え難い。
だので、「メンヘラだなー」とか「彼女はアレですね、完全にアスペですね」とか「マジキチwww」という簡単な言葉で片付けてしまいたくなる人もいるかもしれません。
わかりますよ。 わからんでもないです。 だって、そういった言葉で自分の領域から遠ざけてしまえば楽ですもんね。
「これは自分とは関わりのない世界なんだ」って。 「あたまのおかしい人の話なんだ」って。
しかし、KOTOKOの世界はわたしたちの世界なのですよ。
表現こそ過激でショッキングだけれど、彼女が抱える不安は特別なものではない。
だから、遠ざけるのではなく、少しでいいから想像してみてほしい。
わからなくていい、同情してくれなくていいけれど、「危険厨」みたいなばかげた言葉で蓋をして、見なかった事にだけはしないでほしい。

枯れ枝のように細い腕を振り、KOTOKOがハラハラと舞う姿を観ながら、そう思いました。


「母はつよし」なんつって言いますが、母になったからといって「よっしゃーまかせとけー」と逞しくなる訳ではないのですよね。 
むしろ、圧倒的に弱くなるのではないかと思います。特にメンタル面で。
テレビから“登校途中の児童の列に車が・・”というニュースが流れれば「集団登校させててもいいのだろうか・・・」と惑い、“女の子をねらった性犯罪が・・”というニュースが流れば「えっとえっと、携帯持たせて、GPSで見守って、送り迎えもして、あと、何すればいいの?!いっそ外出すの禁止にするか?!」と思いあぐねる。
「子どもを守りたい! ああ、絶対に守るさ! でも、できないかもしれないよ! できなかったらこの子はどうなるの?!」
確固たる決心はあるものの、不安に打ち勝つだけの自信なんてない。
常に強くて弱い「母」。 

「だいじょうぶ。」 cocooさんやたくさんの「母」たちに向け、贈られた言葉で、映画は幕を閉じます。
その言葉の贈り主が彼女の子どもであった事がなにより嬉しく、心強く、救われたような気がしました。

鑑賞しつづける事は苦痛かもしれません。 けれど、ただ鬱気分を味わうだけの映画ではないと思います。
心にズシーンとくる、とても美しい映画でした。



― 追記 ―

・ 何よりビックリしたのは、こっこさんの演技力でして。 限りなくプライベートフィルムに近い映画ではあるものの、赤ちゃんと共に神経をすり減らしながら暮らすこっこさんは、あくまで「cocco」ではなく「KOTOKO」な訳で。 カメラの前であそこまで自然に神経を磨り減らせるこっこさん、ただもんじゃねえな・・・!

・ お姉さんに預けた我が子に、KOTOKOが久しぶりに会いに行くシーンで、すっかりお姉さんになついちゃった赤ちゃんが機嫌よくしているのをじっとりと眺めるトコなんかもうね! せつなさと嫉妬と哀しさが渾然一体となったあの表情! わかるわー! 出来れば人見知りしてほしい気持ち、わかるわー! 

・ 預けてのんびりしたい割には、なつきすぎてほしくないというね!相反するアレね! まあね、おかあさんなんて勝手なもんなんスよ!

・ こっこさん的には、「演技」というのではなく、当時の記憶を思い出して「感覚の再現」をしていたのかもしれませんが、それこそがまさに演技の真髄・・・! って月影先生が言ってた!

・ あと、火が付いたように泣く赤子を抱きかかえながらお昼ご飯を作るシーンでの、悲痛な叫び&フライパンぶん投げもね、非常に身につまされましたよね。 フライパン投げた事はありませんけど、ああいう気持ちになった事あるお母さん多いんじゃなかろうか・・・。 

・ アガサもね、離乳食時代にせっせこ作ったどろどろ飯をあまり食べてもらえず、裏ごしに使ったザルに詰まったカボチャの繊維をゴシゴシしながら泣いた事、ありますもんね。 いとも簡単に絶望する・・それが「お母さん」・・!

・ 毎日気にしなかったり気にしたりしながら、手探りで挑む子育てですが、実は子どもには「タイムワープ」という必殺技が備わっていまして、気づいたら大きくなってたりします。

・ 「こないだまでオムツだったのになぁ」「つい昨日入園したのに」「いつまでも小学生だと思ったたのに、もう中学校か・・」 なんて言葉をうっかりもらしてしまった事のない親御さんなどいないのではないでしょうか。 そう、それこそが子どもたちの秘技・タイムワープ・・・!

・ 本編のラストで、KOTOKOの息子さんが突然成長した姿で現れるのですが、その直前まで起こっていた事からあまりにかけ離れた展開だった為、実在するのかしないのか困惑してしまいました。 しかし、それもきっと、秘技・タイムワープだったのではないかなぁ・・と。 KOTOKOがどれぐらいの期間入院していたのかは定かではありませんが、息子さんの穏やかな表情とさりげない温かさから、KOTOKOに対する愛情がひしと伝わってきました。 なんかね、すごく嬉しかったです。

・ 子どもたちが秘技・タイムワープを使ってくれる事がどれだけありがたいことか、タイムワープを実感出来る事がどれだけすばらしいことか。 あっという間にすぎてゆく日々というのは、ちょっとした奇跡の積み重ねなのかもしれないなぁ・・と思います。

・ という訳で、おおむね「あるある」と共感しながら観ていたのですが。

・ 以前にも書いたことがありますが、私は子どもが酷い目に遭う映画がどうしても受け付けられなくてですね。 「出来事」としての死ならまだしも、その死に方をまざまざと見せつけたりなんかされたら、もうそれだけでゲンナリしてしまうのですよ。

・ 本作に関しても、直接見せなくてもいいんじゃないか・・・と思わずにはいられないシーンがバッチリありまして。 そこはね、銃声の音と、世界の崩壊を目にするKOTOKOの姿だけで、じゅうぶん伝わるんじゃないか、と思ってしまったのですよ。  もちろん、「子どもを失う」想像を時々してしまうのも事実なのですけどね。悪夢としてね。 ・・でも、やっぱり直接表現はしんどいなぁ・・。

・ そう思う一方、KOTOKOに一目惚れしてしま小説家・田中(塚本晋也監督)がフルボッコにされるダイレクトなシーンは大歓迎してしまうわたしですよ。

・ 塚本監督登場シーンは爆笑につぐ爆笑で、コメディになっちゃったのかと思う程おもしろかったです。 ちなみに田中(塚本監督)も「だいじょうぶ」を連呼するのですが、全然だいじょうぶじゃないわ、だいじょうぶになりかけたらトンズラするわで、ホントもう「おまえゲスいな!」と思いました。

・ 田中は現実する人物だったのか非現実だったのか。 あまりにKOTOKOに尽くしてくれるので、もしや彼も彼女が作り上げた幻だったのでは・・・という考え方もあるようですが、アガサは完全にモノホンだと思います。 田中はたぶんね・・・・ドMだったんだと思うよ!(※なのでKOTOKOが暴力を奮う必要がなくなった途端トンズラした)

・ 手首を切って、そこから流れてくる血のあたたかさに「生」を感じるこっこさん(KOTOKO)の姿は、私たちから見るととても異様だけど、彼女にとっては異常ではないのでしょうね。 そりゃあたたかさを感じて血にまみれて踊ってもみるわーおさげも切り落とすわーわかるわー。

・ たぶんですけど、たとえばわたしたちが、プールとか海とかでお手洗いに行った時にね、「あれ・・・身体は冷えてるのに出てくるモノは意外とあったかい・・・?」と「生」を実感するのと大して変わらないのではないでしょうか。 ほら、「生きてる」って、そういうことじゃん?ちがうか!ちがうのか!

・ まぁ、でもできれば身体を傷つけずに実感できるようになるに越したことはないですけどね。 こっこさんが今でもその確認方法を採用しているのか定かではありませんが・・。  

・ 願わくば、彼女と彼女の世界がずっとずっと「だいじょうぶ」であるように。



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『ヘルタースケルター』

2013年03月30日
昨年夏に(もっぱら“沢尻さんのちちの出る出ない”のみで)話題を呼んだ『ヘルタースケルター』を借りてきました。
原作は、80~90年代にかけ活躍していた不世出の天才漫画家・岡崎京子さんの同名作品。
時代を問わない普遍的なテーマが大胆かつ綿密なタッチで描かれており、深い思い入れを抱いている方も多いのではないかと思いますが、果たして実写映画化はどのような出来栄えとなっていたのでしょうか。
早速デッキにセットしてみましたよ。


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(※ ハマー作品でおなじみ・ミイラ男のようにも見えるこのお方の正体は・・・?!)

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(※ グロッシーさに欠けるさくら色のリップ・・・ 今年のトレンドはマットなくちびるなのか・・?!)

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(※ ムダ毛いっぽん生えてない、トゥルットゥルな二の腕・・・!)

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(※ さあさあ、いよいよパーフェクトなビューティが出てきますよ・・・たぶん・・・!)

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(※ はい!出た!完璧なクマ!おい!徹夜明けか! )

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(※ パ・・・パーフェクトなビューティ・・? ・・ですよね・・・うん・・)Oo。.(´・ω・`)

均整のとれた包帯姿の下から現れたのは、「美しくありたい」「美しくなければならない」という強迫観念が生み出した哀しき怪物。
ファッション・モンスターならぬビューティ・モンスター、りりこさんです!
という訳で、以下彼女のモンスターっぷりをご堪能ください。

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(※ 盛れるだけ盛って映画完成披露試写会に登壇する、IKKOモンスター・りりこさん。)

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(※ 顔面崩壊の危機に瀕し作画のタッチがかわっちゃった、楳図モンスター・りりこさん。)

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(※ 素朴な妹との再会にファンシーな帽子で駆けつける、アパホテルモンスター・りりこさん。)

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(※ 球体と化したヘアスタイルでジャーマネのおうちを突撃訪問する、トットちゃんモンスター・りりこさん。)

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(※ この点線に沿って切り込みを入れたら、どこと繋げればいいか・・あとはもうわかりますね、そう、ムカデにんげ)

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(※ 番組のコンセプトはよくわからないものの張り切って出演する、ギルガメッシュモンスター・りりこさん。)

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(※ ギルガメッシュパンチ!)

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(※ 収録中幻覚に襲われ、また楳図っちゃったりりこさん。)

・ 自らの欲望を満たすため、人間たちが自然の摂理に反した行為に手を染めたとき、さまざまなモンスターが産声を上げる。 それはゴジラであったり、フランケンシュタインの怪物であったり、また、りりこであったりするのでしょうか。

・ 冒頭高らかに響き渡るのは、クラシックなホラー映画でも始まるのかと思わせるような、仰々しいサウンドトラック。 それが指し示すように、なるほど、これは確かに「とある憐れなモンスター」の物語だったのかもしれません。 

・ 「ナンバー1にならなくてもいいよ、もともと特別なオンリーワンじゃないか。 ただ、ブサイクはチェンジな!」「男は度胸、女は愛嬌。 だけどババアは勘弁な!」「男はみんなぽっちゃりが好き。 それはそうと、お前最近ちょっと肉つきすぎてんじゃね?」等等。 個性を尊重してくれているようにみえて実は、容姿のみでやんわりと否定される事の多いこの世の中。 なぜなら、「かわいいは正義」だから。 「かわいくないは悪」だから。

・ 果たして自分は「正義」なのか。それとも「悪」なのか。 女の人たちは日夜「自己否定」と「自己肯定」の間で葛藤しています。 「整形をする程否定しないけれど、コスメ程度で補正できるものならなんとかしたい。」とか、「中肉中背で充分だわ・・と肯定しているけれど、ダイエット企画があるとつい見てしまう。」といった葛藤を。

・ 「男の人だって同じだ!」と言われるかもしれませんし、「ただイケ」事例も多々存在するとは思いますが、それでも女の人が味わう絶望に比べればまだ随分マシなのではないでしょうか。 とにかくね、女の人の現実は過酷なんスよ、ええ。 物心ついた頃からすでに、「品評会」は始まっている・・・それが女の人のリアル・・・!

・ 過酷な現実を生き抜くため、女の人たちは「わたしは今のわたしのままでいい」と幾つもの自己欺瞞を積み重ね、身を守る鎧をこしらえます。 しかし、雑誌を開けば、テレビをつければ、一歩街に踏み出せば、その瞬間鎧の上に容赦なく降り注ぐのは「かわいいは正義」という価値観の銃弾。 

・ もちろん、「美」は押しつけではありません。 美顔に励むもプチ整形に手を出すも過酷なダイエットに身をやつすも己次第。 最終的な判断は、全て「わたし」に委ねられています。  けれども、街中に溢れかえる「カワイイ」「ダイエット」「アンチエイジング」を無視し続けることが、決して容易くないのもまた事実。 気付けば鎧は穴だらけで、心の中には「もっとキレイにならねば・・女子力とやらを磨かねば・・」という焦燥感だけが虚しく漂っている。 ・・なあんてことも。

・ 「(出来ることなら)キレイになりたい」という世の中の女の人。 「あなたが願うキレイはこんなんでしょ?」と提示してくる芸能事務所。 「これを使えばキレイになれますよ」と手段を売りつける広告代理店。 食っているのか食わされているのか。踊らされているのか踊ってやっているのか。 様々な思惑が絡み合うことで成り立っている不思議な三角関係は、常に新たな「カリスマ」を作り上げ、消費してゆく。 なんといびつで、なんとはかなく、なんとおかしな光景か。

・ 本作のヒロイン・りりこは、そんな三角関係の中でピンポン玉のように弾かれ、破滅的なラストへと猛烈な勢いで転がってゆきます。 かわいくなかった容姿を大々的にリフォームし、「正義」を手に入れたはずなのに、何も手に入れることができなかったかわいそうな女の子。 観終わったアガサの心に残されたのは、ただただ虚しさだけでした。 

・ いや、つまんなかったからっていう意味の虚しさじゃないですよ。消費の虚しさ、無言の圧力に抗えない虚しさ、「キレイ」に固執せざるを得なかったことへの虚しさ。 そういった意味のアレです。 あくまでそれです。それのアレです。

・ 捨て身のセルフパロディでりりこを演じた沢尻エリカさんも、「美」の傍にいるのにちっとも「美」に染まっていかない中年ジャーマネを野暮ったさ満点で演じた寺島しのぶさんも、若さとお直し無しの美貌と嘔吐術でヴイヴイ言わせる水原希子さんも、おそろしくアンニュイな表情1パターンだけで全編やりきった桃井かおりさんも、みなさんとても(役柄に)はまっており、「蜷川実花さん版・ヘルタースケルター」には、この方々以外のキャスティングは考えられなかっただろうなぁ・・と思いました。

・ まあね、とりあえず画は五月蝿かったですけどね。 これはもう、何を今更という話なのかもしれませんが。 ・・と、いうもの、アガサは蜷川さんの前作『さくらん』の時点で完全に食傷してしまっていましたので。いや、食傷じゃなくて食中毒かも。

・ こうるさい装飾、ガチャガチャとした背景、「赤プラス赤かける赤」みたいな色の殺し合い。 ダメだ・・ニナガワさんは『さくらん』の頃となんも変わっちゃいねえ・・・むしろ悪化しているような気がするぜ・・!!
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(※ 差し色という概念が無さすぎて、何がどうなっているのかよくわからない。ちょっとした騙し絵レベル。逆さにして見ると髭をはやしたおじいさんの顔が・・・!)(※浮かびません)

・ もともと蜷川さんの「美的センス」はガチャガチャゴテゴテ系らしいのですが、本作の「舞台美術」はどういう心づもりで作ったのでしょうかねぇ? ホントの意味で「ステキー!」と思って用意したものなのでしょうか? とてもじゃないけどそうは見えなかったものでね・・・。 「ステキー!シャレオツー!」どころか「醜悪でグロテスク」で超おちつきませんでしたよ。りりこの部屋に1時間いるだけでSAN値が下がりきる自信がオレにはある・・・! 

・ エグいセットの中、終始情緒不安定なままヒステリックに泣き叫び、ガラガラと崩壊してゆくりりこ。 モンスター映画としてなら、これはこれで成立しているのではないでしょうか。 「美しいとされるもの」を「美しい」という意図で描いていないのならば。 「憧れ」ではなく「虚しさ」を感じさせようとしていたのならば。 少なくとも、アガサはそう受け取りました。 「つまらない映画」だとも思いませんでしたよ。蜷川実花さんの目には「ヘルタースケルター」の世界がこんな風に映っていたんだなぁ・・と思っただけで。

・ 原作の「ヘルタースケルター」に登場するりりこはどうだったのかというと、大掛かりなリフォームを受けるのも、それによって心のバランスを崩してしまうのも、手に入らないものばかりを求めてしまうところも蜷川さん版と同じなのですが、決してモンスターではなかったと思うのですよ。 原作のりりこは、満身創痍になりながらも自分の人生を果敢に切り開く戦士だったと思います。 だからこそ、読者はそんなりりこに強く惹かれてしまったのだと。

・ 蜷川さんにとっての「ヘルタースケルター」と原作のそれは、設定こそ同じものの全く別の世界でした。 それならばそれでいいではないか。 「美しさ」にとらわれ、もがき、のたうち回る女の人の物語としては、どちらもおもしろかった。 私はそう思います。 どちらの方がすきか、はさておき。

・ ただ、別の世界なのにセリフまでそっくりそのまま原作から持ってきてしまった為、印象的な筈のシーンが随分と薄っぺらいものになってしまっていましたけどね。  大森南朋さん演じる検事による「タイガーりりい」という言葉の「ソレジャナイ感」の半端ないことと言ったら・・・。 そりゃそうだよ!だって全然タイガーリリィじゃないんだもん! たぶん、大森さんも言ってて「ヤバイ!超ハズい!」ってなってたんじゃないでしょうかね・・。

・ そして、全編通してモンスターとして生きていた(生かされていた)りりこからは、したたかさが伝わってくる筈もなく、別天地で威風堂々と構えてみせるラストカットも全く活きてこないという。 なんと言ったらよいか・・・原作に忠実にやろうとする気持ちと蜷川さんの方向性が噛み合わず、ちぐはぐになってしまっているのですよね。 映画そのものも、りりこと同じくつぎはぎだらけで崩壊寸前みたくなっちゃった!ということなのか・・・。 意識してやっていたとしたらおそろしいな・・・。

・ というわけで、アガサは「原作との相違」や「蜷川さんの超センス」や「沢尻さんの作画崩壊っぷり」など、興味深く感じられる点がいくつもありましたので、たのしく鑑賞させていただきましたよ。 如何せん長すぎでしたけど。 長すぎでしたけど。(※上映時間127分)  ちなみに一緒に鑑賞していた世帯主さまは「鬱映画じゃねえか、ちっきしょう!また嫁にだまされた!」(※世帯主さまはネガティブ要素のある映画が大嫌いなタイプです)とドンヨリしていました。 ごめんねジロー。 



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『この子の七つのお祝いに』

2012年11月26日
この子の七つの

あらすじ・・・
マンションの一室で、ひとりの女性の惨殺死体が発見される。
彼女は、次期首相候補と噂される大物議員の私設秘書・秦一毅の邸宅で家政婦をしていたものの、つい先日解雇されたばかりだった。
ルポライターの母田耕一は、政界を影で操っていると評判の女占い師・青蛾がこの事件に一枚噛んでいると推理。
後輩の雑誌記者・須藤と共に青蛾の正体を追うのだが・・・。



(※ 以下ネタバレです)

・ 「トラウマ映画」として名高い増村保造監督の傑作『この子の七つのお祝いに』を観ました。何を隠そう初見です。(別に隠してないけど)

・ 代名詞の如くつきまとう「岩下志麻のセーラー服姿」もさることながら、本作の見所はなんといっても岸田今日子。 岸田今日子先生渾身のジト目なのであります。 

・ 家族で渡った北京で両親を亡くし、一人ぼっちだった岸田今日子先生。 そんな最中、上海の軍事工場に勤めていたものの終戦で職を失い、さらに戦犯者として追われる身であった高橋佳哉(芦田伸介さん)と出会い、強制収容所送りにならない為結婚。 日本へ送還されたのち女児を出産。親子三人幸せな生活を送っていたのですが、ある日愛する愛娘がネズミに齧られて死んでしまいます

・ ネズミに齧られて死んでしまいます。 

うわあ

・ 哀しみの余り精神を病んでしまう岸田今日子先生。 一方、酒に溺れていた夫は、民家の軒下で元嫁に再会。実は彼は上海に行く直前、別の女性と婚姻関係を結んでいたのです。 こわれゆく妻を見捨て、元嫁のおうちに転がり込んだ芦田伸介さんは、彼女との間にちゃっかり子どもまでもうけ、巨額な手切れ金と共に先生に離別を宣言。 奥さん、この人鬼でっせ!

・ 何もかもをうしなった岸田今日子先生は、鬼の居ぬ間に赤ちゃんを誘拐。 ネズミ用語でいう所のチュウされた娘の名前をつけ、我が子として育てることを決意するのでした。 ネズミ用語のくだりについてはあまり気にしないでください。

・ そしてここから怒涛の「岸田今日子式英才教育熟」がスタート!

・ 手切れ金があったのでお金には苦労していなかったはずなのに、食費を切り詰めては「うちがこんなにまずしいのはおとうさんが私たちを捨てたからなのよ~」と貧乏アピールする今日子先生。 恨みつらみの一歩は食い物から、ですよね先生!

・ ひもじさで子どもの思考力を低下させたら、次は「おかあさんは体が超弱いんだけどそんなかわいそうなおかあさんを捨てて出て行ったおとうさんの事をアナタどう思いますか~」と病弱アピール。 ホントに病気なのはあなたの心、ですよね先生!ホントは毎食どんぶりめし3杯いけるクチですよね!

・ そして毎晩就寝前になると、一枚の布団に親子でぎっちり入り込む今日子先生。 齢6歳の少女相手に、鼻息のかかる距離での「この子の七つのお祝いに」独唱です!
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( ※ イ メ ー ジ 図 )

・ 本作で娘役を演じていた子役さん、正直演技の面では「おかあさーん、おかあさーん、うえーんうえーん」レベルでからきしでしたが、あの至近距離で今日子先生に「いきはよいよいかえりはこわい~」とウタわれて、よくぞ正気を保てたな、と。 なかなかどうして、相当肝の据わったお子様だと思いますよ!

・ 最後の仕上げとして、娘が7歳の誕生日を迎えた朝、手首と喉元を掻っ切って自害する今日子先生。 朝起きたらおふとんが(粗相以外の意味で)びちょびちょだった時の子どもの気持ち、わかりますか?  しかも子どもにはとっておきの振袖を着せておくという念の入よう。 「おまえは二度と振袖を着て何かを祝うような気持ちにはなれないでしょう・・それもこれもぜんぶおとうさんが私たちを捨てたから~」と一生消えないトラウマを植え付けてフィニッシュです。 

・ かくして立派なPTSD患者となった娘は、おとうさんの身元に繋がる唯一の物証である「手形」を徹底的に研究。 類まれなる手相鑑定のスキルを駆使し、復讐という名の代理戦争へとその身を投ずるのでありました。 嗚呼、居た堪れない。 しかも本当の親子ならまだしも、今日子先生は憎い相手の子をさらい、その子を洗脳して実父を殺させるのですから、なんというか、二度手間なわけですよ! もうさー!直接やりゃいいじゃん! しかし「親子共々地獄へ一直線」がモットーなのだからしょうがありませんね。 いいかよく聞け!今日子先生の辞書に「ほどほど」という四文字は無いぞ! 

・ 『キャリー』の母親よりもおっかなく、『ブラック・スワン』の母親よりも哀しい、岸田今日子演じる「母・真弓」。 彼女をそこまで追い詰めてしまったのは自分だ、と、ものすごくあっけなく告白してうなだれる父・高橋佳哉の姿が無性に虚しく、その場に居ない母に尚すがるしかない娘(岩下志麻)が不憫でなりませんでした。 いや、不憫なんて言葉じゃ片付けられない。 今日子先生の亡霊に取り憑かれ、愛する人まで手にかけてしまった娘は、この先一体どうやって生きてゆけばいいのか。 母が残した「業」の呪縛はあまりに深い・・・。

・ 早い段階で「岩下志麻意外に犯人が考えられない」状態になる(というか出てきた瞬間「あー」ってなる)為、ハラハラドキドキ感はあまり無いものの、圧倒的オーラを放つ志麻姐さんのドスの効いた「おがあざん・・おがあざん・・ぐら゛いよ゛・・・ごわ゛いよ゛・・・」という叫びに震え、岸田今日子さんのじっとりとした眼差しに射抜かれるという、とても心地よい2時間弱でした。 豪華俳優陣の色気ある演技も素晴らしかったですよ!


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『アウトレイジ ビヨンド』

2012年10月11日
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ああ、極道なんかになりたくないな。

もともと、「大きな声」や「乱暴な立ち振る舞い」や「眉間に寄せた皺の深さを測る大会」の如き睨視が心の底から大嫌いなので、暴力(肉体的なものも精神的なものも含め)による支配には何の憧れもないのだけれど、本作を観終え、改めて強くそう思った。
だいたい、極道になりたい、チンピラ人生を貫きたい、などという思考に、人は何故陥るのか。 
私にはその部分が不思議でならない。
勉強しなくてもいいからなのか? でも、最近の極道は頭も使うと聞くぞ。
腕っ節にだけは自身があるからなのか? でも、もっと強い人間なんてザラだと思うぞ。
誰かを怯えさせるのが快感なのか? でも、自分は自分で組織のもっと上にいるでっかい親分の存在に怯えなければならないんだぞ。
力だけでのし上がれるのが魅力なのか? でも、のし上がれない事の方が多いぞきっと。
わざわざ危険な世界に身を置き、恫喝したりされたり、暴力を振るわれたり振るわれたり、搾取したりされたり、裏切ったり裏切られたり。 
常に心休まる暇がない極道の世界の何が、彼らを惹きつけてやまないのか。

前作『アウトレイジ』でも、ひたすら「過酷な世界」だったヤクザ稼業。
続編である本作では、さらに「夢も希望も信頼もなにも無い世界」として描かれている。
その世界に居るのは「謀をする者」と「使い捨てされる者」のみ。
沢山のものを犠牲にして権力の頂点に立ったはずの人間すら、いとも簡単に踊らされ、引き落とされ、ゴミのように放置される。
彼らの姿は全くかっこよくないし、シビレないし、思わず真似したくならないし、ただただ無様で滑稽でみっともないばかり。

ああ、極道なんかになりたくないな。 なるもんじゃないな。

しかし、「ヤクザ」という設定を取り払った時、このしょうもない縦割り社会は私たちが「普通」に暮らす生活のあちこちにも存在している事に気づいてしまう。
一見特殊な「ヤクザ社会」の中に、とても見慣れた「不条理さ」が色濃く漂っているのだ。
そして、そんなコインの裏表のような世界で、クズな極道たちが潰し合うさまを観て、胸のつかえを取り除かれたような気持ちになってしまう。
いいぞ、もっとやれ。
どうせクズ同士だ、クズがどうなろうと知ったこっちゃない。
スクリーンを埋め尽くす「人の死」を悼むより先に心を満たす、残酷な高揚感。

ラスト、主人公・大友の拳銃から放たれた弾丸は、そんな感覚を撃ち抜くかのように轟音を響かせ空を裂く。
私はポスターに書かれた“一番悪い奴は誰だ!”という毒々しいピンク色の文字の答えを突きつけられたような気がして、ウっと言葉に詰まり、でもまぁ、極道だし、死ぬために生きてるみたいなトコ、あるし。と、誰に言い訳するでもなくひとりごちた。

ああ、ホント、極道なんかになりたくないな。






以下、面白かったところ。(※ネタバレ含む)

・ カ ━ ツ ━ ノ ━ リ ━ !!

・ ひとことも発さないヒットマンを演じた高橋克典の男前な事といったらもうね! ぼく極道きらいだけど、カツノリは別だね! 襟立ててるトコロもすてきだね!はい、けっこんしてくれ!

・ ヤクザの人たちが、どいつもこいつも仁義のへったくれもないサバサバしたヤクザばかりで、今まで培ってきた信頼とか恩義とか一切気にかけないのですよね。 そんな中で唯一、昔気質なケジメを取ろうとするのがチョロ(中野英雄さん)と大友で、「子分の仇とったるで!」という熱い感情が見えるだけに、どうしてもいい人っぽく思えちゃう。しょせん極道なのに。 ヒトの心のなんとあやふやなことか。

・ チョロが子分として養ってやっているチンピラの嶋と小野は、彼らの父親もまた元ヤクザであることから、「なぜ極道なんかになるのか」という問いの答えのひとつの形なのだろうな、と思いました。 生まれた環境から、選択の余地が限りなくゼロに等しかった憐れな子どもたち。 

・ とても痛ましい人生ですが、新井浩文さんと桐谷健太さんの勢いのある演技のおかげで「全身全霊で極道やってます!」という、どこかしら誇りすら感じさせるような生き様となっていました。 ほんでまた、こういうチンピラいるもんねー「そのまっすぐさをもっと別の所へ向けてみてはどうか?」みたいなチンピラがねー。 いい塩梅にクズい!

・ そういえば、チョロって大友のちょっと前に刑務所に服役して、しかもお務めの真っ最中に障害沙汰を起こしてるのに出所早くね? 大友より早いってどゆこと?

・ いくらなんでも、本作に出てくるヤクザの人は他人を信じすぎだと思う。 そうだよ!トモトモ(三浦友和さん)、おまえの事だよ!

・ 自分の親分(大友)を裏切ってまで配下に入ってくれた加瀬きゅん(加瀬亮さん)を、大して仲良くもないライバルヤクザからの言葉ひとつで疑うとか、マジありえないからね! 百恵!おたくの旦那さんのうっかり度合いはデンジャーゾーンですよ百恵!

・ 汚れ仕事も一緒にこなし、血に濡れた運命を共にしてきたミントの香りの加瀬きゅんと、盆暮れの挨拶ぐらいしかしてこなかった西田敏行さんと、どっちの言葉を信じるのさ! ふたりの関係ってそんなものだったの?! あんなに愛し合っていたのに!(←たぶん)

・ いい年した大人が、ほとんど見知らぬ他人の言葉に振り回され、疑心暗鬼になってわいのわいの揉め合っている姿は本当に幼稚で、なんだか、砂場でスコップやらショベルカーのおもちゃやらバケツやらを奪い合い、一生懸命おしろを作って競い合っている園児みたいだなーと思いました。 そしてそれをにやにやと見ている小日向先生。 

・ きっと作られるであろうアウトレイジ3は、関西ヤクザと韓国マフィアと関東ヤクザががっぷりよつで一大抗争を巻き起こすのでしょうが、その際は是非、佐野史郎さんをインテリヤクザ役か何かで起用してもらいたいものですな・・・『その男、凶暴につき』以来の出演、なんとか・・・そこんとこ・・お願いします・・・!



関連感想:『アウトレイジ』





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