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『渇き。』

2014年07月04日
かわき


(※ 以下、どうにもこうにもネタバレだらけの感想となっておりますので、鑑賞後にご覧いただけるとさいわいです。)



あらすじ・・・
わたしは藤島加奈子。
酒を飲んでクダをまくしか能のないクズの父親と、男依存度の高い母親のもと、無関心という名の見えない暴力に育まれた割には、フツーに生きてきたつもり。 ・・・の、はずだった。
父親の心の奥底を覗いてしまうまでは。
覗き返されてしまったわたしを、母親が見捨てるまでは。

フツーではなくなった景色。
諦めと絶望で無味乾燥の日々。
ある時、そんなわたしの生活に、一条の光が射しこんだ。 
男の子の名前は緒方誠一。
彼はわたしの人生をすくい上げてくれた。
存在しているだけでいいんだ、と思わせてくれた。
一緒にいるだけで、身体じゅうがあたたかい何かで潤ってゆく気がした。
彼はわたしのすべてだった。
すべてだったのに。

今、光を失ったわたしは、すべてを捨てよう。
心も、体温も、感情も、なにもかもを捨て、からっぽになろう。
復讐のために。
光を奪ったすべてのものに、復讐するために。



■ 藤島加奈子について

観終わった瞬間、わたしの頭に真っ先に浮かんだのは、
すげえ! これは「セカイ」を相手に、ひとりきりで復讐を挑んだ少女の、壮絶なリベンジ・ムービーだ!
という思いでした。

とにかく加奈子がかっこいい!! 
パーティ会場を虚ろな目で闊歩する姿の、なんと儚く、なんと力強いことか!

たったひとつのもののため、すべてを捨てて、すべてを壊す加奈子。 
その余りに無慈悲で、自由すぎる凶暴性は、ふつうなら「良心」や「愛情」によって自身の中に引き留められるであろうものなのではないでしょうか。
それがわかっているからこそ、彼女は自らをからっぽにした。
躊躇なく復讐を遂げるため、惜しげもなくすべてを捨てた。
「友達」も、「家」も、「人間らしさ」も。
彼女が冷酷なことはじゅうじゅうわかっていて、尚且つ、彼女の目的も承知しているような人間さえも虜にしてしまうのは、彼らが加奈子の生き方に、一種の「潔さ」のようなものを感じてしまうからなのかもしれないなぁ、と思いました。

そして、「藤島加奈子」という「人間」を捨て、美しい入れ物だけになった少女は、目の前の人間が望んだとおりにその姿を変える。
変えているのは少女なのに、周りの人たちはその変化を自分の力だと信じ込む。
唇からこぼれるのは口先だけの愛だとわかっていても、気づかないふりをして彼女に欲望を注ぎ込む。

もちろん、加奈子の行動は許されることではありません。
自分が深い穴に堕ちてしまったからといって、周りの人たちを同じように引っ張り込んでもいい訳ではない。

加奈子は、自らが犯している罪の報いを覚悟していて、いや、もしかしたらいつだって、そうなることを待ち望んでいたのではないか。
復讐のために始めた行動が、いつからか自分を葬るための行動になっていたような気がして、それはなんだかとてもかなしくて、より一層「すべての元凶」である藤島昭和に対する怒りが込み上げてきたのでした。

あの、「親」だなんて言いたくもない、藤島昭和に対してね!


■ 藤島昭和について

もやはクズいとかクズくないとかのレベルではない! 
こいつはまさしくケモノ以下のゴミクズやで!


もうね、とにかく初めて原作本「果てしなき渇き」を読んだ時から、藤島昭和に腹が立って腹が立って、吐き気をもよおしたり書籍を壁に叩きつけたくなるぐらい、100パーセント嫌悪感しか抱けなかったわけなんですけどね。
映画が公開になり、あちらこちらから「父親の愛に共感した」とか「娘を思う気持ちはわからんでもない」とか、なんだったら「この父親は何も悪いことしていないんですけどね・・」みたいな文言まで聞こえてきたものですから、「アレ・・? ・・この度の映画って本当にわたしが読んだのと同じ原作本なの・・?」という果てしなき疑念までもが湧き上がる塩梅で。

で、いざ本編を観てみたら、安定のクズさ加減でホッと胸をなでおろしたという。
っておろせるか!! 案の定気分わるいわ!

妻の不倫に激昂し、相手に対し暴力事件を起こしてしまった藤島は、そのまま刑事の職を辞し、やさぐれ警備員としてドン底生活に甘んじています。
もちろん妻とは離婚。 娘とも長い間会っていません。
そんなある日、絶対に自分とは話したくないはずの元妻から「娘がいなくなった」という電話が入り・・・ というのが導入部で、わたしはあらすじを加奈子目線で書きましたが、じっさいこの物語は、ほぼ藤島目線で紡がれてゆきます。

自分が知らなかった娘の顔。
妻も知らなかった娘の生活。
わからないことだらけではあるけれど、まぁ、せっかくの機会だし、自らが暴力によって壊してしまった家族をこれをきっかけに取り戻せたら。
だいたい、先に浮気したのは妻のほうだし、生意気な態度しかとらない娘にだって非がないとは言えない。
家族を養うために私生活を犠牲にしてまで働いてきたオレの、なにが悪いというのか。
オレだってもういちど、あいつらに愛されたい。
あたたかい家庭を手に入れたいんだ。

藤島のそんなひたむきな姿を、「不器用な父親」と受け取る方もいらっしゃるでしょう。
愛の言葉ややさしい態度をかけることができず、怒声とげんこつしかふるえない父親を、哀れと受け取る方もいらっしゃるでしょう。
でもね、わたしに言わせれば、そんなの愛情じゃないですよ。
ただ単に自分のことがだいすきなだけのクズ野郎ですよ。

「ふぇぇ・・ だれもボクのこと愛してくれないよ~ 従順な妻といつでもニコニコ笑顔な娘がいいよ~ もっと必要とされたいよ~ ヤりたい時にすきなだけヤらせてくれる妻がいいよ~ 娘にもチヤホヤされたいよ~ ふぇぇ・・・」
・・って要するに大切なのは自分だけなんじゃんか。

なんじゃいそれ・・・

・・・なんじゃいそれ!!
 (←思い出しただけで怒り心頭)

「あいつはオレだ」という藤島のセリフがありますが、そんな風にしたのは誰やねん! という話なわけで。
あと、ついでに言っておくと、子どもは親のものでもありませんし、親がいい気分に浸るための道具でもないんですよ。
ボロボロに傷つけられながらも一生懸命に加奈子を探す藤島が本当に探しているものは、結局「誰からも愛されない自分自身」であり、加奈子を救いたいんじゃなく自分を救いたいだけだったのではないでしょうか。

ホントにさぁ、そんな自己愛の塊みたいな人間だから、元妻の気持ちなんて爪の先程も考えず欲望に任せて凌辱するし、ヤクザに脅されれば「あんな娘もう知らないッスよ!」とへこへこしたりできるんだよ!
挙句には、まったくその必要などないのに、「自分が手に入れられなかったもの」への妬みだけで、ひとんちの奥さんまで何度も犯すとか、一体藤島のどこに「同じ子を持つ父親として、娘への愛はわからんでもない」なんつって共感できる余地があるというのか。
わからん! まったくもってわからん!
ぼかぁマジで一回、谷原章介さんと小一時間語り合いたいよ!

藤島は、加奈子に関わっていたと思しきチンピラの母親に向かい、「お前みたいな親だから子どももクズになるんだよ」と吐き捨てます。
本日の「お前が言うな大賞」に認定したい気持ちを抑えつつ、わたしの考えを書くと、クズの親はまず間違いなくクズだと思うのですよね。
ただ、親がクズだからといって、子どもまでクズになるかというと、それはまた別の話で。

自らのクズ具合を認めた上で、子どもにそれを移さない。
仮に自分の中にどよどよと渦巻く毒があったとしても、子どもにだけは飲ませないでおくことが、親にはできるはずだし、やらないといけない。
完全にそれを怠った藤島と元妻・桐子に、我が子をバケモノを呼ぶ資格なんてないと思うのですよね。

藤島の中の深淵を覗いた加奈子が飲み込まれた闇。
バケモノなのは加奈子なんかじゃない。 彼女を生み出したふたりの大人こそが、無責任なモンスターじゃんか!
なんだよもう! 父親ぶってんじゃねえぞ!


■ 親から子への愛情という名状しがたい不可思議なものについて

と、さんざん「自己愛うぜー」と書いておいてなんですが、親が子どもに対して抱く感情の正体って、実はわたしにもわからないシロモノだったりします。 
いや、現在進行形でし続けています。

わたしにはふたりの娘がいて、わたしは彼女たちのことがそれはもうだいすきで。
いつだって彼女たちのことが心配だし、彼女たちの幸せがなにより大事だし、もしも必要ならば自分の命なんかいつだって捨てられるし。
でもそれって、本当は「娘に何かあったら自分が耐えられないから」なんじゃないの? と。
「自分がつらい思いをしたくないから、娘たちを守ろうとしている」だけなんじゃないの? と、思うことがあって。

単なる自己満足なんじゃないか・・・という考えが頭をよぎるたび、「なんだよ!自己満足でもいいじゃんか!」とキレてみたり、「わたしはなんと身勝手な人間なんだ・・・」と落ち込んでみたりする自分がいて。
でも他方では、そんな脳内のゴチャゴチャが追いつかない程の猛烈な勢いで、体に満ちてゆく「とにかくうちの子は宇宙一かわいいんだよおおお!!」という感情があったりもして。
別の生き物に支配されたような感覚になるんですよね。 子どものことを思う時って。 

なので、藤島の執着心の根底にあるのは自己愛だけだとわたしは依然言い切っちゃうのですけども、もしかしたら、「親」という生き物に宿る説明不可能な感情も、少しは混じっていたのかなぁ、と思わなくもないのです。
特に、ラストシーンの雪山で、やっとこさ自らの力だけで娘を探し始める、惨めったらしい藤島の姿に対しては。

とまぁ、文句を言うために行ったんじゃないはずなのに結局文句に終始してしまっている感はありますが、映画を観終わって(原作を読んだ時もですが)改めて思ったことがありまして。

あくまでわたしの考えですけども、一番忘れちゃいけないのは、親は「いつか子どもを手放す日」のために行動しなきゃいけない、ってことなんじゃないのかなぁ、と。


だいすきだしかわいいから、ホントはずっと一緒に居たいし、手元にとどめて愛しんでいたい。
でもそれは、それこそ「自己満足」以外の何ものでもないわけで。
それに、「一緒にいる」ことを前提にしてしまうと、「一緒にいて心地よいため言うことを聞かせる」とか「一緒にいて不便でないため押さえつける」なんてことをしてしまう気がしますし。

子どもたちを送り出す時は必ず訪れるから、その時彼らが安心して旅立てるよう、愛されたという自信を持って生きてゆけるよう、今できることをやっておかなきゃならないんだよなぁ・・と思ったのですよ。
「加奈子を取り戻したい」、「加奈子の本性を知りたい」、「加奈子に愛されたい」、と自分の願望ばかりを押し通そうとする藤島のようになってはいけない。
暴力なんかは言うまでもないけど、「愛」という心地よいものでがんじがらめにしてもダメなんだよ!

まぁでも、じゃあ「それはどこまで?」っていう配分がまた、非常にむずかしいんですけどね・・。 (※そしてまたぞろ湧き上がる「うちの子かわいいいいい!」という熱情)


■ 原作との相違について

大きな相違として感じたのは、藤島が加奈子にしでかした鬼畜な行動。
原作ではもっとわかりやすく、父親が娘を(酔った勢いとはいえ)辱めたということがわかるやりとりがありました。
その後、加奈子が緒方くんに救われ、その緒方くんを奪われた、といういきさつも、原作からは充分理解できます。
加奈子の行動に「復讐」という意図が隠されていたことも、しっかり伝わってくる。
ですので、性的な行為が行われたようには描かれず、暴力行為とキスだけだったようになっていた映画版は、加奈子というキャラクターの印象がずいぶん違ってしまったように思います。

感情を持たないお人形。 
うまれついての邪悪な存在。 
理解不能なバケモノ。
そんな得体の知れない生き物に振り回される、市井の人々。
キスだって、加奈子のほうから父親を誘っていたように演出されていましたからね。
こわいでーこわい小悪魔やでー抗えんでー とでも言いたいかのように。

でも、ホントにそうなのでしょうか。
仮に性的虐待がなかったとしても、「実の父親に首を絞められ殺されかける」って、人間性が壊れるには充分すぎる経験なんじゃないですか?
加奈子が誘惑したかのようなシーンにしたって、そこに至るまでの経緯を想像せずに「わービッチだー」って言いきっちゃっていいんですか?
藤島の目を見つめて「ああ、わかった」となにもかも悟ったような表情を浮かべる加奈子が、幼いころから父親の眼差しに「よこしま」なものを感じ取っていたのでは、と推測するのは、決して深読みしすぎではないと思うのですよね、わたしは。
むしろ、そこまでに小さな積み重ねがあったと考える方が自然なのではないでしょうか。

『ダークナイト』(のジョーカー)以降、なんかつったら「純粋な悪」で片づけよう、みたいな映画をちょいちょい見かけるのですけども、わたしは安易な気がしてあまりすきではないのですよ。
それはわたしの中に、「子どもってそんなんじゃないよ」という、「純粋な悪は自然に生まれるもんじゃないよ」という気持ちがあるからなのかもしれませんけどね。
というわけで、原作とは別のおぞましい経験を経た加奈子も、だからといって完全な悪にも見えず、でも描き方としてはジョーカーっぽい感じになっていて、ものすごくモヤモヤしてしまいました。

うーん。 わしゃやっぱり、原作の加奈子のほうが、すきだなぁ。(悲惨ですけどね)

あと、オダギリさん演じる殺し屋・愛川が、ただのサイコパスみたいだったのも不満でしたね。
原作における愛川(役名は別でしたが)には、大きな病気を患う息子がおり、その治療費を稼ぐため裏稼業に手を染めるという、「いけないことはわかっているけどのっぴきならない」動機付けがありました。
それがまるまるカットされ、こっちにもジョーカーおったわ!みたいな闘いにもつれ込んでいたのが、なんというか、欲張りすぎというか、おもてなし精神ありすぎというか・・。
もっと藤島の狂気に集中してもよかったんじゃないかなぁ・・と思ったのでした。

その他は、若干の変更こそあったものの、大まかには原作に忠実に作られており、そこはホントによく作れたなぁ(というかよく映倫通ったなぁ)と素直に感心できるトコロでありましたよ。


■ その他のことについて

・ オープニングだっせぇ!! オープニングだっせぇ!!!

・ なんなのこの「オシャンティな幕開けを目指した結果壮絶ダサくなっちゃってでもとりあえずそのまま続行してます」みたいなオープニングは・・・?!  ・・と思ったのですが、もしかしたらアレは、「元嫁から電話がかかってきて久しぶりに頼りにされてるっぽくてテンションガチ上がりの父ちゃん」の心象を表していたのかもしれないので、どっちみちダサいです。

・ 映像がガチャガチャしていてなんのこっちゃわからん。

・ やたらと大音量でBGMがかかっていて、「耳障りだなぁ・・・」  ・・と思ったのですが、そのあと車のエンジンを切ろうとしていたので、「もしかしたら車でかかっていた音楽ってことにしてスムーズにオフにする演出くる?」と洋画でよくあるパターンを期待していたらエンジンを切ってもそのまま流れ続けていたので、どっちみち耳障りでした。

・ 役所さんの靴下のシーンはとてもよかったです。

・ 役所さんの部屋がリアルガチで汚かったところもよかったです。

・ ダンスを踊ってるんじゃないですよ? 音楽をかけながら内臓を踏んでいるだけですよ?

・ 先生、そこはとどめを刺さなきゃダメ! ホラーでも鉄則のやつ!

・ 加奈子をバケモノと思えなかったわたしの目に、いちばんバケモノらしく映ったのは、妻夫木さん演じる浅井刑事でした。 いつも薄ら笑いを浮かべているその瞳の奥はまっくら闇で、「ああ、この人の心こそからっぽじゃないか」と思いましたよ。 すごくよかった!

・ 橋本愛さん演じる森下さんの親友・長野さんが超ガチャピン。(※峯岸みなみさん)

・ 加奈子のほうから藤島を誘惑・・というシーンですが、もしかしたらその一連のくだりは現実じゃなく、藤島の脳内で歪められ出来上がった事実なのかもしれないなぁ、と思いました。 とかく人間というものは、自分に都合よく記憶を書き換えるものなのれす。  ということで結局クズい!

・ 加奈子が「わたしが緒方君を殺した」とつぶやくシーンがあるのですが(※ここも原作とは違う点なのですが)、わたしは文字通りの意味ではなく、「死に等しいほど苦しんでいた恋人を楽にしてあげた」、もしくは「恋人の死を止められなかった(見殺しにしたも同然)」、という風に解釈しましたよ。  ・・まさかそのまんまじゃないじゃろ? でもジョーカー的なキャラにしたいみたいなので、そのまんまなのかも。


■ 藤島昭和について(リプライズ)

最後に藤島は「父」になれたのでしょうか? 
なれたのかもしれません。  

そして、「娘と一緒に朽ち果てる」ことが、父親として、最後にして唯一してあげられることだったのなら、この幕引きは藤島にとってのハッピーエンドだったのかもしれないなぁ、と思いました。




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『呪怨 –終わりの始まり-』

2014年07月02日
じゅおん


わたし    「ちょっと映画行ってくるで」
世帯主さま 「おっ! 『渇き。』行くんか?」
わたし    「えっ・・・ っと・・それも観たいというか観るつもりなんやけど、今日はちょっと別の・・・あの・・・『呪怨』をですね・・・」
世帯主さま 「はああ?! じゅおん?! 『渇き。』じゃないんか?!」
わたし    「・・うん・・・だからその・・・もちろん『渇き。』も行くんやけど・・・ なんというか・・・せっかくね・・『呪怨』もやってるし・・・」
世帯主さま 「今度のじゅおんってアレやろ? 佐々木希やろ? だいじょうぶなんか?だいじょうぶじゃないんじゃないんか?」
わたし    「いやそりゃまぁね・・・・大丈夫かって言われたら正直なんとも言えないというか・・・  監督もオリジナルを撮り続けてきた清水崇監督から落合正幸監督にバトンタッチしてるし・・」
世帯主さま 「それダメなパターンじゃん?!」
わたし    「違うんやで! 落合監督は過去に何作もホラーを手掛けてきたベテランだし、廃院間近の病院での恐怖の一夜を描いた『感染』なんかも、史郎がじつによかったし!」
世帯主さま 「史郎だけなんか・・・」
わたし    「それに、今回の内容はというと、 “不登校の生徒の家を訪ねた教師が呪いの渦に巻き込まれる” っていう導入部はオリジナルシリーズ1作目をなぞらえていてワクワクするし、 “遊び半分で家を訪れた女子高生が次々と惨劇のえじきとなる” っていう所なんかもオリジナルの展開そのまんまだし、とかなんとか言いながら “リブート” であるという点を強調していたりなんかもしていて、どのような物語になっているのか大いに興味をそそられるし!」
世帯主さま 「そ・そうなんか・・・  でも、なんだかんだ言っても佐々木希やろ?」
わたし    「ぐぬぬ・・・  ちなみにトリンドルも出とるんやで・・・」
世帯主さま 「なんやて・・・?  ・・しかし、ほんまにええんか・・・わざわざ映画館に行ってまで君が観る必要って、あるのんか・・?」
わたし    「・・逆にな、わたしが観ないとダメな気がするんよ・・・ 『渇き。』は既に話題になってるし、たくさんの人が観に行くと思う。でも、『呪怨』は・・・」
世帯主さま 「ま・・まあな・・・」
わたし    「おもしろくないかもしれん・・おぜぜの無駄かもしれん・・・でも、あの人(呪怨)にはわたしが必要なんよ・・・わかってつかあさい・・・・ 」
世帯主さま 「(完全にダメな男ばっか好きになるパターンのアレやで・・!)」


あらすじ・・・
悪徳不動産屋さんが、不幸が相次いで起こりさんざっぱら死人を出したいわくつきの家を、性懲りもなくシレっとした顔で貸し出します。

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(※ 相変わらず塗りムラがはげしい俊雄くん)

・ Jホラーブームの立役者のひとり『呪怨』が、先だってヒットを叩きだし続編まで作られた『貞子』に続けとばかりに、華々しい復活を果たしました。 しかも、3Dなんつう小手先勝負に出ることなく、正統派ホラーとしての堂々たるカムバックです。

・  というわけで、少なからず胸をよぎっていた不安を振り払いつつ、佐伯家の骨を拾うべく劇場へと馳せ参じたのですが、ホントにね、すごかったですよ! いろんな意味ですごかった! いやぁ、いい「呪怨」でした!

・ ノゾミール(佐々木希さん)とトリンドル(トリンドル玲奈さん)という二大巨頭を使って恐怖映画を作る、という、ねるねるねるねからIPS細胞を作り出すぐらいインポッシブルなミッションを突き付けられた落合監督の心情を慮ると、並々ならぬご苦労があったことは想像に容易いのですが、いざ蓋を開けてみれば「よくぞここまで!」と喝采を送りたくなるようなナイスな調理っぷりで敬服いたしました。 みんなー!でっかい大根がおいしく炊き上がったよ!

・ まず、準主役であるトリンドルさんについてですが、「困り顔」というただひとつの表情だけで、ほとんどのシーンを乗り切らせることに成功。 それはまるで、“人形”という感情の無い役に挑んだ「石の微笑」における北島マヤの如き「不動」の演技と言えるのではないでしょうか。 最もリアクションを求められる場面においては、スタントさんに体を張らせることで画面に迫力を与え、なんとなくうやむやにさせてしまうという。 まさに映像の魔術師(マジシャン)!

・ 多くの人が心配していたであろうノゾミールはというと、「オラが主役だべ!」という気概をも感じさせる熱演を披露。 神妙な表情(覇気のない状態)と驚いた表情(ちょっと目を開いた状態)といつものキメ顔(ふんわりと笑った状態)の3パターンで共演者を煙に巻く姿は、「はい」「いいえ」「ありがとう」「すみません」だけで姫川亜弓さんと渡り合った北島マヤの如き煌めきを感じさせる程。

・ そしてわたしが一番舌を巻いたのは、主人公ノゾミールが迎えたクラマックス。  一難去ってまた一難の果てにノゾミールを待ち受けていた、彼女の婚約者の変わり果てた姿(この姿がまた超さいこうにおもしろいんですよ!)。 物語を締めくくる最上級の悲鳴には、狂気と絶望に満ちた表情を添え・・・ ・・・たかったんでしょうけど流石にそれはちょっとノゾミールにはハードルが高すぎるとふんだ監督が選んだうまい解決法、それはズバリ「無表情」!

・ とりあえずぼけーっとさせておいて、あとは瞬きだけ我慢させておけばそのうち目が乾いて涙もこぼれますし! そしたら、何もしてないのに何かしてるみたいに見えますし!  「できないならやらせなければいい」 という発想の転換・・・ すごいぞ・・・落合監督は天才か・・!

・  (※ 演出に関する記述は全てわたしの推測です)

・ では、ダブルヒロイン以外はどうだったのでしょうか。  まず、貞子に並ぶホラー・アイコンを長年演じ続けてきた藤貴子さんに代わり、新たな伽椰子像を作り上げるという難関にチャレンジした最所美咲さんですが、人間モードの時こそ「いかにもな感じのエキセントリックな演技」だったものの、カヤたんモードに入ってからは抜群の動きとキレッキレの眼力を見せつけ、劇場内の温度を2、3度下げることに成功していたのではないでしょうか。  これまたオリジナル版の松山タカシさんから配役変更された、佐伯剛雄役の緋田康人さんも、松山さんに負けず劣らずな凄みのある演技で、タガが外れた人間の恐ろしさというものを心底感じさせられました。  あとは・・・ 俊雄くんは・・・ええと・・・・なんつうかその・・・ねぇ・・?

・ そもそも、「白塗り&グンパン(グンゼのパンツ)」という、恐怖の対極にあるとしか思えないいでたちでニャーニャーないていた俊雄くんは、いつだって全力でカヤたんの足を引っ張っていたわけでありまして。 どれだけカヤたんが気を吐いたところで、俊雄くんが体育座りでジト目をしているだけで失笑必至。 なんど映像化されても解消されない塗りムラ問題と、とってつけたような目のくまにプラスして、近年は「これって児童ポルノ的にオッケーなのか・・・?」という心配まで付きまとい、正直こちとら恐怖描写に身が入りません! せめてなんか羽織っておくれ!

・ 佐伯家に不法侵入した結果、おばけ親子にきっちりお仕置きされてゆく女子高生たち(トリンドルさんを除く)も、いい塩梅に浮ついていて、演技に関してはトリンドルさんとどっこいな方もいらしたのですが、制服姿がめちゃくちゃ可愛いかったので、もういいかな・・・ と思っているわたしがいます。 なあに、問題ありません。 なぜならホラーというのはそういうものなのだから。(たぶん)

・ 「あご割れ」や「布団からのコンニチハ」や「まさかの受胎騒動」に続き、伝家の宝刀「階段降り」など、オリジナルの名場面をふんだんに盛り込んだ展開がおもしろく、「来る・・?」と思わせた上での意表を突いた天井這いなどは、そうきたか!と膝を打ちたくなるぐらい愉快でした。 

・ ずらされた時間軸が組み合わされることで真相が解き明かされてゆく構成も、複雑すぎず、かといって単純すぎない程度のひねりがくわえられており、過去のシリーズを観てきたファンと、初めての観客の双方に、適度な驚きを与えてくれるのではないでしょうか。 

・ さんざん遠まわしに書いてきましたが、はっきり言うと「覚悟していた以上の惨状ではなかった」程度でしかなかった作品でした。 これでも回りくどいか。  わかった!正直に言うよ!ひどかったよ!わかってたけどひどかったよ! でも、わかってて行ったんだからこれでいいんだよ! 

・ 「このタレントさんを使って、この予算で、グロは無しで、血の色なんかは当然抑えめで、でも絶叫系で」みたいな無理難題にノーと言うことを許されない映画監督(制作スタッフ)って、決して少なくないのではないかと思うのですよ。 そうして完成した作品は、目の肥えたホラーファンからは悪しざまに批評され、新規のファンにさえ物足りないと言われることもあるでしょう。  ただ、わたしはそういった様々な制約の中で作られた映画をできれば応援して行きたいし、本作にしてみても、かなりの創意工夫と苦渋の決断の痕跡が痛いほど感じられ、絶対に嫌いにはなれない。  いや、むしろ充分すぎるほどよくできていると思うのですよね。  ひどいとか言っちゃったけど、最低限押さえるべきツボは、きちんと押さえて仕上げられていると思います。

・ 特に、ラスト10分の畳みかけはすばらしかったですよ。 そこに至るまでの停滞感を一気に吹き飛ばすほどの勢いで、思い切りの良すぎる造形も含め、大いに楽しませていただきました。  

・ サンルティンバンコもかくや! というような一大アクロバットに挑戦する(ほとんどはスタントさんと特殊効果でしょうが)トリンドルさんのスカートが、大人の事情でいっさいめくれないのを目にした時、本当に心の底から「スタッフのみなさん・・・ご苦労様でした!」と思いましたもんね。  あれだけ上下左右に振り回されて、あれだけミニスカートなのに、パンチラが完全にロックされてるなんて尋常じゃないよ! あとから描き足したみたいなスカートだったよ! もういいっ・・・!・・もう休めっ・・・・!

・ まあね、大きなスクリーンでカヤたんが観られたので、わたしはもう満足ですよ。ええ、そうですとも。

・ あとね、なんだかんだいって一番衝撃だったのは、エンディングで流れた主題歌なんですよね。 「なんだこのお経みたいな歌は」と思っていたら、鬼束ちひろさんの新曲だったという。 ・・き、聴いてるだけで気持ちがどんよりとするいい歌ですね!

・ というか、今の鬼束さんならそのままの状態でカヤたんやっても違和感ない気がします・・!

・ というわけで、得心したので、明日こそは『渇き。』を観に行きます。 



関連感想
『呪怨』(ビデオ版)・・・栗山千明さまが登場
『呪怨2』(ビデオ版2作目)・・・カヤたん大繁殖
『呪怨』(劇場版)・・・焼いても炊いてもどうにもならなかった奥菜恵さん
『呪怨2』(劇場版2作目)・・・酒井法子さんご懐妊
『THE JUON 呪怨』(ハリウッド版)・・・狙われたビル・プルマン
『呪怨 パンデミック』(ハリウッド版2作目)・・・家が燃えました
『呪怨 ザ・グラッジ3』(ハリウッド版3作目)・・・カヤたんの妹登場


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『脳男』

2014年01月15日
のうお+セリフコピー_convert_20140109223757
(※ こういう話ではありませんよ)

あらすじ・・・
【生まれた時から何の感情も無いんだけど、なんか質問ある?】

1:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
ちな痛覚もない


2:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
感情がないのになんでスレ立てようと思ったの?

3:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>2
終わってた


4:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>2
まぁそう言ってやんなよ

6:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
痛覚もないってマジか 画鋲ふんだ時とか大変だな

7:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>6 
画鋲ならいいが、こないだは爆風で飛んできたガラス片が背中じゅうにささってた(らしい)
らしいっていうのは、痛覚がない為そのことに気付いてなかったから

おまえらが何を書き込もうと、オレは何も感じない
煽ろうとしてもムダだぜ

8:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
一応スペックな

男(ジャニーズ系ってよく言われる)
20代後半
腹筋割れてる
IQ180以上は確実にある
祖父の遺産が数億円
幼少期に両親をひき逃げ事故で無くし、祖父と家庭教師に育てられたが、その祖父も押し入り強盗に殺され天涯孤独
今は遺産で悠々自適な日々

名前は… そうだな、鈴木一郎とでも呼んでくれ


10:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
どこのバットマンだよ

12:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
感情がないってことは、親が亡くなった時も悲しくなかったってこと?

13:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>12
悲しみも憎しみもなかったね そもそも感情が無いオレは、排泄や食事に対する欲求もなかった ただ生きているだけの人形みたいなものだったんだ


16:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
排泄はおしめかなんかでカバーできるとして、食欲はマズいだろ。。 よくそれまで生きてたな

17:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
なんも食ってなかったわけじゃないだろ 
それはさておき、この>>1はさっき何気なくヘンなこと言ってなかったか…? 爆風…?

18:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>17
スランプ

19:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>18
オッス、おっさん

22:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
大きな玉ねぎの話はどうでもいいんだよ
おまえらオレに何も質問ないのかよ

じゃあ、どうして爆風を受けたのか教えてやろう

実はオレは祖父から暗殺者としての教育を施されて育ったんだ
ほら、じいちゃんも大切な息子夫婦を卑劣なひき逃げ犯に殺されたわけじゃん
それでちょっと、恨みでおかしくなっちまってたんだろうな
古今東西、あらゆる「殺し」関連の本を読まされ、完璧に身体機能も鍛えられたオレは、祖父亡き後世の中の極悪犯に鉄槌を下す処刑人となった


24:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
今北産業

26:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>24
>>1 が
厨ニ病で
爆風スランプ

30:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
殺人犯を見てもなんも感じないんだろ? 腹も立たないんだろ? なんで殺すのよ

35:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
なんて言うのかな 腹が立つから殺すんじゃないんだよね
やむを得ない殺人とかなら鉄槌は下さないし よっぽどの極悪人ぐらいだよ、ターゲットに選ぶのは

ただ、こないだ留置所に入れられた時は、隣に「ばあさんなら殺してもいいっしょ」って吹いてるやつがいてカチンときたから、警備の隙をついて半殺しにしてやったは


36:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
カチン て言うてもうてるがな。。。

38:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
あ…(察し)

40:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
何がだよ! カチンが怒りの擬態語だなんて誰が決めたんだよ!


44:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>1
もういい… もういいんだよ… 一郎くんは感情が無い……それでいいじゃないか、なあみんな…

47:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
あのさあ 20代後半って書いてたけど、それまでの間いろんな人にも出会ってきたんだろ?
何かしら心に響くモノとか出来事ってなかったの? 一度も?

60:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
心に響く…か…
そうだな…… その爆風の一件なんだが、実は凶悪な連続爆破事件の犯人を仕留めようとした時にくらったモノだったんだ
で、その事件に関わっていた精神科の女医が、何かとオレに興味津々な様子でな…


62:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします

女医キタ━━━ッ!!

65:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>1
パンツぬいでもいい?ねえ、ぬいでもいい?

87:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
パンツ…か…
すまんがお前の期待には応えられなさそうだ…

その女医は、自分の弟を殺した犯人の精神カウンセリングを担当しているという、なんというかとても崇高な人だった
彼女は、いわゆる「性善説」ってやつを信じていたんだろうな… オレの過去を知った彼女は、オレには眠っている感情があるはずだ、と力説した それを目覚めさせたい、と…


90:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
眠ってるもなにも、さっきから感情むき出しじゃ…

93:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>90
何がだよ! オレがいつ感情を剥き出しにしたって言うんだよ! オr


113:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
あれ・・? >>1どこ行った?

121:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
イチローさんおこなの?

130:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
落ちた…か…?

157:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
おーい

135:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
匿名掲示板に群がる愚かな人間どもよ聞くがいい! 今からこのスレはこの緑川紀子さまが支配する!
あたしもまた、感情が欠落した史上最凶の殺人鬼・・・! そう、巷を騒がしている連続爆破犯とはあたしのことよ!
恐怖ってなに? 怒りってなに?愛って?信頼ってなに? そんなものみんなクソくらえだわ!
かわいそうな鈴木一郎くんの空虚な人生を理解できるのは、あ・た・し・だ・け!
だからあたしがこの手で彼の命を終わらせてあげる! ああ愉快!傑作ね!アーッハッハッハ!! 


140:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>135
一郎といい紀子といい、おまえら人間味ありすぎだろ




・ ということで、昨年からずっと観よう観ようと思っていた『脳男』をやっとこさ鑑賞しましたよ。

・ 「人は何を持って生まれてくるのか」というと、遺伝的なものがどこまでどう影響するのかわかりませんが、ざっくり言うと「大して何も持っていない」のではないかと思います。

・ 生まれた時は誰でも白紙。 そこにどんな色のどんな模様が描かれるかは周り次第。 たとえば、コンビニやレストランで平気で店員を怒鳴り上げるような人の傍にいれば「怒鳴ることが日常」になる可能性が大ですし、駐車場の障害者用スペースに車を横付けするような人の傍にいれば「自分が楽ならそれでいいんだ」と思うようになる確率が高くなるでしょう。 絶対とは言いませんが、「色」には成長の過程で経験した後天的なモノが多分に作用するのではないでしょうか。

・ で、感情を持たない鈴木一郎くんこと入陶大威(いりす たけきみ)くんですが、感情は感情でも「喜怒哀楽」なんてわかりやすいものじゃない、なんと「ハラヘ・・」や「PPP(ポンポンペイン)」といった食事・排泄関連の身体的サインまで示せないという、こだわりよう。 演じる生田斗真さんの陶器でできた人形のような美しい容姿も相まって、実に見事なスーパー超人っぷりと相成っていたのでした。

・ 常人以上にまっしろだった彼に色をつけたのは、憎しみに取り憑かれたお祖父さんだったり、沢山の蔵書から知ったこの世の醜さだったり、ステレオタイプな強盗だったのでしょうが、色がついているということは充分感情も備えられているということなのではないかと思いますよね。 というか、痛覚がないだけで感情は人並み以上にあったのではないでしょうか。外に出さなかっただけで。 一郎くんが感情を解放したラストシーンは、とても爽快な気持ちになりました。 もうさ、裁判資料とか判例集とか全部一郎くんに読んでもらって、その上でジャッジメントタイムまで任せちゃえばいんじゃないかな。

・ ところで、本作は一郎くんに限らず、随所でキャストのみなさんのこだわりが光る作品だったのですよね。 というわけで、以下ちょっとその一部をご紹介したいと思います。

・ 【一郎くんのまばたきがすごい】・・・サイボーグのような冷徹さにとことんこだわった結果、劇中はいっさいのまばたきを封印。 これからは彼を、ジャニーズ界の北島マヤと呼ばせていただきたい。(※ガラスの仮面第9巻参照)

・ 【松雪泰子さんの前髪がすごい】・・・一郎くんの精神鑑定を担当する鷲谷医師に扮した松雪さんの額に常に垂れ下がる、幅5センチほどの艶やかな前髪。 髪を下ろしていようが束ねていようが、その数センチだけは絶対に揺るがない。 しかし、決してハードに固められているわけでもない、そのこだわりの毛束感に脱帽。

・ 【江口洋介さんのギリギリ具合がすごい】・・・過去の作品で観たことのあるような役柄からの脱皮をはかったのかもしれない江口さんによる、こだわりのゲストークがすごい。 「もう・・あんちゃんとは呼ばせない・・」という気概がうんだ、事務所的にギリギリオッケーな演技。 ただし、中盤気がゆるんだのか、若干「あんちゃん」要素が戻ってきてしまう箇所もあって、別の意味でもギリギリオッケーになっているという。 まぁでも、とにかくこだわりは感じられましたよ。

・ 【最中あるあるがすごい】・・・最中っておいしいんですけど、ふこふこっとした感触の皮が上あごにくっついて、舌で剥そうにも、舐めれど舐めれど真空状態にでもなったかのようにピッタリ貼りついちゃうんですよねーという「最中あるある」が、怪優・石橋蓮司さんによって語られます。 ちなみにこのエピソード、本編とは関係ありません。 なんかね。 すごいこだわりだよねーっていう。 編集でカットしてしまうには忍びないほどのこだわり。

・ 【悪そうにしている感がすごい】・・・一郎くんの好敵手となる爆弾魔・緑川さんを演じていた二階堂ふみさんのこだわりがすごい。 眉毛を剃ったり、ギョロっと目を剥いたり、パートナーの女の子のちちをまさぐったり、悪魔的笑いを挿入したりと、全力で「悪そう」な感じを演出。 さっきから貼りついたままの、最中の皮の違和感なんて忘れてしまうほどのこだわりです。 

・ 【新入りいじりがすごい】・・・江口さん演じる茶屋刑事が、部下の広野さんという若い刑事さんをいじりたおします。 つきあって3年にもなるのに、いまだに名前ではなく「新入り」としか呼ばない江口さん。 「もう~センパ~イ!ちゃんとナマエで呼んでくださいヨ~!」とよがる新入り。 一瞬オレ得かと思いましたがそんなはずはないので、後半の展開を盛り上げるための伏線なんだよそうだよそうに決まってるよ最後の最後には名前で呼ぶシーンがあるんだよと自分自身に言い聞かせていたら、結局最後まで「新入り」のままだったという。 なーんだ!やっぱオレ得じゃん! 悲劇的な結末を迎えてしまった江口さんはたぶん、新入りくんに聞かないと紅茶のありかすらわからないのでしょうから、もう恋なんてしないと思うよぜったい。 

・ 【ダークナイトっぽさがすごい】・・・バットマンとジョーカーという、表裏一体の存在を日本でも・・・というこだわりがすごい。 映像的にもそれっぽくなっています。 ただし、最後のオチはレクター博士とクラリスみたいになってしまうので、「ダークナイト」っぽさというより「ハリウッドに負けないぞ!」という愛しさとせつなさと心強さみたいなものだったのかもしれません。

・ 【主題歌がすごい】・・・ここまでこだわりぬいたのですから、当然本編のシメとなるエンドクレジットも手を抜くはずがありません。 Jという事務所に属するタレントさんが主演する映画だと、その関係者が主題歌を担当するというパターンが多いのですが、幸か不幸か鈴木一郎さんは特定のグループに入っていなかったため、無事超かっこいい洋楽を採用。 おかげで貼りついていた最中の皮も知らない間に溶けて流れておりました。 

・ ということで、みなさんのこだわりが実を結び、とてもおもしろいサスペンスのようなアクションのような猟奇映画となっていた『脳男』。 感情うんぬんはこの際こだわってくれなくてもいいので、今度は一郎くんがあけっぴろげに悪い人をバッタバッタとやっつける姿が観られるといいなぁ・・と思いました。 





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『先生を流産させる会』

2013年10月01日
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うさぎ小屋を覗き込む少女たち。 
目の前には、生まれたばかりでまだ血にまみれたままの赤ちゃんうさぎ。
「キモいよね」「キモいね」
突如、小屋の中から赤ちゃんうさぎをむんずと掴み上げる、ひとりの少女。
彼女はものも言わず傍にあった滑り台に上り、てっぺんからその赤ちゃんを投げ落とす。
べしゃり、という音と共にへしゃげた小さな命。
何が起こったのか? 
どうしてこんなことを? 
こわい、けど、こわがってもいいのだろうか?
どうすればいいのかわからない少女たちは彼女を見上げ、「ははは」と、おずおずと笑う。
ひとりの声にもうひとりが加わり、不安げな笑い声に自信が漲り始めた次の瞬間、頭上から浴びせられる冷水のような声。
「なにがおかしいの?」
ぐしゃり、と押しつぶされる少女たちの心。

おそろしい。
これはおそろしい映画を観始めてしまったぞ。
本編が始まってわずか数分、ガラス越しに差し込む陽光で充分すぎるほど暖められた部屋の中、わたしはすこしだけ、いや、かなりゾっとしていました。
そして観終わった今、おそろしさは虚しさへと変わっています。
からっぽだ。
彼女の心の中はからっぽだった。
そして今も、からっぽなのだ。


2009年に名古屋で起きた事件を参考に作られた本作は、その題名の身も蓋もなさ具合や、実際の事件との相違点などから大いに話題となっておりました。
元となった事件では男の子だった加害者たちを少女に変えるのは、いくらなんでも「いかにも」じゃないか。
そんな意見も数多く見受けられました。

そう、たしかに「思春期の女の子」「担任の先生の妊娠」「初潮」というキーワードは女の子ならではのものでしょう。
「女性」と「女の子」の境界で、もやもやとした気持ちを持て余している中学生の少女たち。
まだ、「妊娠=生命の誕生=めでたい!」としては処理できず、「妊娠=セックス=キモい!」の辺りでクダを巻くしかない「複雑」なお年頃。
そんな彼女たちと、数年前にそこを通り過ぎたばかりの女性教師と、年数が経ちすぎて記憶すら残っていない(というか抹殺してしまっている)母親との、おそろしく噛み合わないやりとりが繰り広げられる、という部分は、「男子→女子」へと設定変更したからこそ生み出されたものだと思います。
ただ、もっと深い、根本的な部分は、「男の子」だろうと「女の子」だろうと、なんだったら「子ども」ではなく「大人」であったとしても、同じだったのではないかと思えて仕方なかったのですよね。

先生のお腹に宿った命を「なかったこと」にしてしまおう、と提案するミヅキ。
うさぎの赤ちゃんを投げ捨て、常に暗い瞳をし、滅多なことで表情を変えず、机の上を踏み歩き、幼い子どもに買い物カートを投げつける彼女は、一体どういう女の子なのでしょうか。
わたしは、彼女自身が「なかったこと」にされている子なのではないか、と思ったのです。
劇中一切登場しなかった(なかったことにされていた)ミヅキの両親。
名簿に記された携帯は番号違い。 自宅の電話は不通。 保護者会にも不参加。
そんな彼らの「不在」は、そのまま彼らの中の「ミヅキの不在」でもあると思ったのですよ。

もしかしたら、ミヅキには「なかったこと」にしてはならない理由が、本当にわからなかったのではないか。
なぜなら、自分(彼女)自身が「なかったこと」にされているから。

どうして? なにがいけないというの?
答えを求めているような、挑みかかるような眼差しを先生へと向けるミヅキの姿を前に、わたしはなんだか息が詰まる思いがしました。
この問いに答えてあげられる大人はいるのだろうか?
ミヅキに、他ならぬミヅキに、「なかったこと」になんて出来ないし、してはならないのだ、と説明できる大人が、この世界にいるのだろうか?

「なかったこと」にされるということは、子どもだけの話とは限りません。
わたしたち大人の世界にも存在していることです。
大切にされなかった為、どうやって大切にすればいいかわからない。
愛されなかった為、どんな風に愛すればいいかわからない。
心の中の「何か」が欠けてしまっている時、その埋め方を自分だけで見つけることは、とても困難です。
大きかったり幼かったり、男だったり女だったりする世の中の「ミヅキ」たちにぽっかりと開いた穴を、誰がどうやって埋めればいいのでしょうか。
これは決して、「子ども」特有のお話ではない。
もっと根深く、もっと何処ででもありうるお話なのではないかと思うのですよ。

特殊ではないのはミヅキだけではなく、彼女の周囲とて同じことで。
理解できない出来事や不安な気持ちに直面した時、笑ってやりすごすしかない、という現象は女の子だけなのか。 それを大人の世界では「お追従笑い」と呼ぶのではないか。
一瞬で何かに夢中になり一瞬で忘れ去ってしまう、という少女たちの移ろいやすい心が孕む残酷さは、まさしく大人がよくみせる「喉元過ぎれば・・」そのものではないか。
先生の給食に異物を混入させるミヅキたちに見てみぬふりを決め込むクラスメイトと、駐車場で危険な遊びに耽るミヅキたちに何の注意もしない警備員に、どんな違いがあるというのか。

この作品に登場する、ズルくて、罪悪感が控えめで、その場しのぎで、したたかに生きている女たちは、そのままわたしたちの世界の住人でもあるのですよ。
そして、それについてゆけない加害者の「ミヅキ」や被害者の「先生」といった渦中の人間たちは、いつも置いてけぼりになる。
からっぽのままで。 欠けたところを埋められることもなく。

ああ、しんどい。
ホントしんどいですよこの映画。
もっと救いがほしいよ! せめて映画の世界ぐらいはさぁ!

「仲間」たちに見捨てられたミヅキと先生が対峙するクライマックス。
「お腹の我が子を殺されたら、その相手を殺す」と宣言していた先生は、ミヅキを殺すのではなく救いの手を差し伸べます。
生徒たちに命の尊さを説くでもなく、命を授かったことの喜びを伝えるでもなく、終始ヒステリックに騒ぎ立てるばかりだったこの先生は、そもそも一体何のために教師という職を選んだのだろうか・・・とひたすら疑問に思いながら鑑賞していたわたしは、「ああ、よかったなぁ」と少しホっとしました。
「復讐ではなく赦しを、攻撃ではなく保護を選んだ先生の姿から、ミヅキが何かを見出してくれればいいな・・」と。
「先生やるじゃん・・・あんた根っからの教師だったよ・・・」と。
しかし、その後ミヅキと接したソーシャルワーカーは、彼女が犯した罪は「殺人」ではなく「不同意堕胎罪」であるとフォローだかなんなんだかわからない説明をし、おざなりな態度で時計をチラ見。
肝心の先生はというと、こちらもまた、その辺の川原にミヅキを連れてゆき謎儀式を始める有様。
ミヅキに掘らせた穴に、胎児が入っているらしき箱をおさめ、こんもりと盛った土の上に風車をぶっ刺して合掌。

いや・・ そんな・・川原って・・・  飼ってた金魚が死んじゃったんじゃないんだからさぁ・・・

鑑賞後に調べてみると、この「土葬シーン」は内藤瑛亮監督の出身地で古くから行われていた埋葬方法からきており、お墓を掘る人(他人)と埋葬される人(親族)、つまり人と人との結びつきという意味が込められているそうですが、ちょっとね、わたしにはわからなかったですね。
突然なんの儀式が始まるのかと思いましたよね。
あと、風車どっから出したん。

埋葬を終え、風車を眺めるミヅキの瞳は相変わらずうつろでした。
「なかったこと」になんて出来ないのよ、と言われた彼女の脳裏に浮かんだのは、肯定か、はたまた否定だったのか。
もしかしたら「わからない」なのではないだろうか・・。
だって彼女の周りには結局まだ、曖昧な大人たちばかりがひしめいているから。
そう思ったわたしは、なんだか虚しくなってしまい、切に願わずにはいられなかったのでした。

神様どうか、この哀しい出来事が、彼女が探し求める答えへの第一歩になりますように。
彼女が、自分の存在を、命の存在を肯定できるきっかけになりますように。



-おまけ-

・ 茶色くしなびた向日葵、蟻にたかられた鳥の骸、寒々しい廃ホテルといった「死」のイメージと、その中心に佇む、「新世紀のダミアン」と呼びたくなるようなミヅキの禍々しい存在感がとても印象的でした。

・ ヒステリックな先生はさておき、うだうだしている5人の少女がとてもすばらしかったです。 

・ 超モンペとして登場するおかあさんの描き方が、「いかにも」毒母って感じでモヤっとしました。 もちろん、行き過ぎたおかあさんではあるのですが、わたし自身にも娘がいるだけに、「おかあさんはおかあさんで、いろいろ心配なんだよ!」となんとなくフォローしてあげたくなってしまいましたねぇ。

・ 「子どものため」なら世の中のルールなんてお構いなしなおかあさんは、「子どもを殺されたらやり返す」と公言していた先生の十数年後の姿なのではないか、と思いました。 「我が子第一!よその子なんか知らん!」という根っこの部分はいっしょ。 先生はそのことに気づいたが故に、最後の最後で方向展開することに成功したのではないでしょうか。

・ そんな先生には、今後も「どうしてなかったことにしてはいけないのか」ということをミヅキに教えてあげていって欲しいものですね。 ていうか、やっぱ最後の謎儀式しっくりこないわー。 「教育」として行うなら、本物の墓地で、ちゃんとした葬儀を行ってみせる方が「死」を認識させやすいと思うのですけどね。 ちょっとなー川原はないなー。 





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『桐島、部活やめるってよ』

2013年08月07日
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進学校でもなんでもない、ごくごくふつうの県立高校で、わたしは3年間を過ごした。
センバツ優勝、という華々しい記録を持つ野球部や、幾度とないインターハイ出場を誇るバレー部など、運動部の活動が盛んだったそこに於いて、まぁ、わたしが感じた限りではあるのだけれど、「スクールカースト」というものは存在していなかったように思う。
バレー部のエースも、放送部の部長も、美術部の幽霊部員たちも、校舎の中ではみな等しく「有意義なことや無意味なことに夢中になっている」高校生だった。
もしかしたら、制服を着崩すことに天才的なセンスを閃かせていたかわいらしいクラスメイトは、寝グセを直さず指毛&腕毛ボーボーのまま登校していた為、モンキーパンチ先生の画風的な意味で友人たちから「ルパン」と呼ばれていたわたしを、陰で嘲笑していたかもしれない。
しかし、わたしが彼女たちに卑屈な感情を抱いたことはまったく無かったし、朝から晩まで吹奏楽部で汗を流すことと、部活以外の時間を映画鑑賞に費やすことにしか興味がなかったわたしは、誰の上でも、誰の下でもなく、ただただ幸せな日々を送っていたのだった。

そして、そんな幸せな日々の中に、「桐島」はいた。

わたしの半径1メートルの中にいた「桐島」は、高校3年の初夏、突然音楽室から姿を消した。

「桐島」との友情は何から始まったのか。
今ではよく、思い出せない。
当時愛読していたロードショー誌を、「桐島」も読んでいたことがきっかけだったのか。
ともかく、同じクラス、同じ部活に属し、共通の趣味を持っていた「桐島」とわたしは、いつごろからか友達になっていた。
スラリとした体躯で物腰は穏やか、洋楽に詳しく、音楽の才能が豊かで先生からの信頼も厚かったことから、多くの女子部員からきらきらとした眼差しで見つめられていた「桐島」。
そんな彼とホラー映画の話題で盛り上がれたことは、わたしにとって「特別」に嬉しい出来事だった。
「ステータス」だなんて、そんな損得勘定が絡んだものなどではない、ひたすら純粋に嬉しい出来事だった。
共に厳しい練習に耐え抜き、帰路途中にあった映画館に足を運ぶうち、いつしかわたしの中に、「桐島」に対して友情以外の感情が芽生え始めてしまったことは言うまでもないだろう。
わたしは時折、準備室にいる「桐島」にだけわかるよう、音楽室のピアノでエルム街の悪夢のテーマを弾いてみたりした。
「桐島」は黒板をフレディのように爪で引っ掻く仕草で応えて・・・ ・・はくれなかったけれど、とにかく、まぁ、時々笑ってくれた。
わたしは幸せだった。
「桐島」がいる風景が。
「桐島」とコンクール金賞を目指す日々が。
「桐島」に友達と呼ばれることが。
高校生活最後のコンクールを控えた初夏の午後、「桐島」が部活をやめるらしい、と友人から聞かされるまでは。

わたしは、わたしたちは、毎日のように「桐島」の家に通い、なんとか退部を思い直すよう説得に励んだ。
しかしとうとう最後まで、「桐島」が音楽室に戻ってくることはなかった。
そして「桐島」が部活をやめた理由も、誰も知ることができないまま卒業の春を迎えた。

親友だと思っていた「桐島」。
夢中になっていることも、悩んでいることも、なんでも判っているつもりだったのに。
いや、ちがう。 
わたしは最初から、「桐島」のことを何もわかっていなかったのだ。
「わかっていなかった」ことに気づいていたからこそ、あえて「わかっていた」ことにしておきたかった。
「わかっていた」ことにしておきたかったからこそ、どうしても踏み込めなかったのだ。
その心の奥底に。

「桐島」の中に自分の知らない部分がある、ということを認めることができなかった当時のわたし。
『桐島、部活やめるってよ』に登場する桐島の友人や恋人たちもまた、桐島の心に深く踏み込もうとしません。
「裏切られた」という失望感を隠そうとはしないものの、家を訪ねていくような積極的なことはしない。
「桐島不在」が重要ポイントである物語なので。 と言ってしまえばそれまでですが、わたしには彼らが桐島の家に押しかけないのは、心のどこかで「桐島が隠していた部分を知りたくなかったから」なのではないかなぁ、と思えたのですよね。
なぜならそれを認めてしまうと、わたしたち(彼ら)の友情がニセモノになってしまいそうだから。

ほら、たとえばね、へんに嗅ぎ回っていて、うっかり桐島に別の学校に通う親友や幼馴染の彼女(しかもそちらの方が本命)とかがいたなんてことが判明しちゃったら、もう立ち直れないじゃないですか。
「あーじぶん必要とされてなかったわー“友達”じゃなく”知り合い”だったんだわーへこむわー薄々感づいてたけどへこむわー」 ってなりますって。
友情ってやつは儚いものです。
学校という狭い、けれどもただひとつの世界に張った、いつ砕けてしまうか判らない薄氷のようなものなのですよ。
だからこそ、少しの「絆」にしがみつくしかない。
薄っぺらい言葉ででも、つなぎとめようとするしかない。
でもね、それでいいと思うのですよね。
それでよかったんだよなぁ、と思うのですよ。今は。

わからないことだらけでいい。
全て判り合えていることが「友達」なのではないから。
細かく説明はしたくないけれど、とにかく、とりあえずそばにいてくれるだけで助かることだってあるから。
深刻な話よりもむしろ、くだらないことを同じように楽しんでもらいたいことだってあるから。
そういうことができる存在って、実はとても大切なのではないかと思うから。


本作は、桐島の「親友」だった菊池くんが、すがるような表情で携帯電話を握り締めるシーンで終わります。
そこまで一貫して「無関心」「平常心」を貫いてきた菊池くんが見せた無防備な表情。
「わかってくれてなくてもいいから、とにかく話を聞いてもらいたい」という眼差しはとても弱々しく、なんというか、さながらえさを待っている小動物のようで、わたしは気づくと、桐島が電話に出てくれることを心の底から願っていたのでした。

やっと一歩踏み込む決心を固めた菊池くんの未来に、幸多からんことを!


一方、わたしはというと。
先日、意を決して「桐島」に電話をかけた。
“どうしてあの時、部活をやめたの?”
という20数年越しの問いに、「桐島」は少し戸惑い、少し笑って、とても真剣に答えてくれた。
“大人になった今だからこそ、わかることもあるし、冷静に話せることもあるよな”
と、すっかり岡山弁が抜け、しかしあの頃と変わらない穏やかな口調で話す「桐島」は、
“おまえあの頃毎日うちにきてくれてたよな。 ・・わかってたよ”
なんて意味深なことを言い残し、じゃあまた、と電話を切ったのだった。

あの日、「桐島」が部活をやめた日、わたしは彼のことを何も判っていなかったし、まぁ、今でもよくわからないのだけれど、きっとこれからもじいさんばあさんになるまで、わたしたちは友達なのだろうなぁ、と思う。
これってすごく、幸せなことなのかもしれないな。

余談ですが、いちおう「じぶんの知らない世界」のリサーチとして、当時岡山で有数の進学校に通っていた世帯主さまに、桐島的人物の有無を確認してみたところ、
“女子に人気があって、バスケをかじってて、あえて部活には入らずに帰宅部を謳歌してて、放課後は制服デートしてて・・・  ・・ってアレ? オレって桐島?”
とのたまわったのですが、それ桐島じゃなく竜汰な! 橋本愛とつきあってたもじゃもじゃパーマの方!

改めて世帯主さまとじぶんの世界の交わらなさっぷりを認識したわたしだったのでした。


-追記-

・ とはいうものの、実は「桐島がいなくなって右往左往」の部分にはあまり興味がわかず、「映研のみんな、輝いていたよね!さいこうだよね! あと、なんかしらんけど桐島っていうバレー部の人が退部したらしいよ」ぐらいな配分で観ていました。

・ 女社会のドロドロが、思わずオエっとなるほど正確に表現されていたので、観る気が失せそうになりました。 あのね、陰でひそひそとか、本人に聞こえるか聞こえないかのギリギリの音量でキャハハ笑いとか、実生活において極力関わらないよう努力してきたスパイシーな光景を、なにが悲しゅうてフィクションの中でしこたま観せられなあかんねんって話ですよ。 鑑賞中何度「うわあ・・・・」と苦悩のためいきをもらしたことか・・。

・ バスケがすきなのに友達に合わせて帰宅部になって、でも未練タラタラで放課後ボールを抱える友弘がいつ「安西先生・・バスケがしたいです・・!」と言い出すのか、実はじっと見守っていたわたしです。

・ 「顧問の先生(大人)の言いなりになるより、自分たちが本当にやりたいものを作ろう!」と声を上げる前田くんは本当にかっこよくて、そんな彼を支える武文くんといい、生気のない顔の下にやる気をみなぎらせる後輩部員たちといい、最初からすでに「ヒーロー」として完成されていた人たちなのだなぁ、という印象を受けました。

・ これは『キックアス』を観た時にも感じたのですが、「情けない」「か弱い」「オタク」「さえないやつ」とされている主人公が、よくもわるくもそんな風に見えないのですよね。 キックアス(デイヴくん)は有名になる前の段階で「見てみぬふりなんてできない!」とリンチを止めに入るし、映画部のみんなも確固たる意志を持って映画を撮り始めている。 彼らは全然「カッコ悪く」なんてないし、周りの流されるがままに生きている生徒たちとは比較にならないぐらい輝いているのです。

・ たしかに途中、「自分たちよりも上のポジションにいる女子に声をかける」という初級ミッションや「派手なグループの運動部のごつい男子に謝罪を求める」というさらに困難なミッションをこなす姿からは、彼らなりの成長を感じることができましたが、それよりなにより、なんだったらもう顔を青く塗ったくってそぞろ歩いている時点で、すげーやり遂げてるんですよ。 充分満足なんですよ。 自分が高校生の時、ここまで積極性を持って人生に挑戦できたか?と思うと、ちょっと疑問ですもんね。

・ ということで、クライマックスの反撃シーンはグっときましたが、それよりも薄暗い部室で前田くんがゾンビ映画制作を宣言するシーンの方がもっとグっときたわたしだったのでした。 こんな部長がいたら、部活もたのしいだろうなぁ。

・ 部活に限らず、何かを始めたときや何かをしているときって、かなりの確率で「自分はこの先どうなるのだろう」と思ってしまうのではないでしょうか。 「やっていてたのしい」という反面、「これを続けていて何になるというのか」「これでご飯が食べていけるハズもないのに」と、常に頭の上を漂う疑問と不安。 体に絡みついてはなれない承認欲求。

・ 菊池くんも、もしかしたら桐島も、部活に対してそんなもやもやした気持ちを抱いていたのかもしれません。 だからこそ、前田くんの「映画監督になんかなれないことはわかっているけど、でも映画がすきだし、映画と関わっていたいから、これからも映画を撮る」という姿勢を目の当たりにしたとき、ファッ!っとなった菊池くん。 すきなことをすきと、恐れず堂々と言えることのかっこよさに、打ちのめされたのではないでしょうか。

・ あとね、ちょっといじわるな考え方ですけども、菊池くんは「求められたい人」なのかもなぁ、と思いました。 「試合に出てくれ」と。「つきあって」と。「うちの部に入ってよ」と。 周りから請われることで、自分に価値を見出しているタイプの人なのかもなぁ、と。 求められる快感というか、求められるうちが花、というか。 物語の終盤でついにキャプテンから「お客さんでいいから試合見に来てよ」と言われた時のその絶望。 ほら、いまさら「やっぱ出てあげてもいいですよ」だなんて、もう言えないッスもんねー。ねー。

・ 元吹奏楽部員としてちょっと気になったのですが、吹奏楽部がね、映画の冒頭の体育館のシーンで「今度の大会も好成績が期待されます」とかなんとか紹介されていたのですがね、どうも服装を見るに、秋から冬にかけてのお話じゃないですか。 何の大会なんだ、と。 吹奏楽コンクールの県大会は夏休み中に行われるので、もしかして支部大会とか? でも支部大会も早いトコだと8月中に終わっちゃう。 てことはまさか全国大会?!

・ 「エルザの大聖堂への行列」で全大って・・・ちょっと難しいんじゃなかろうか・・・いや、もちろんいい曲ですけどね・・

・ エルザは打楽器が少ないので、もし先生が「自由曲エルザな」って言ったら確実にやさぐれる自信があります。

・ とりあえず、校舎の中庭でひたすらシンバルを叩き続けるパーカッション奏者が出てこない時点で、オレは認めらんないね! 何を認めらんないかわかんないけど、とにかく認めらんないね! 朝から晩まで!手の形が変わるまで!オレはシンバルを叩くことをやめないッ!!

・ もうさ、そんなことより「メトセラⅡ」やろうぜ!




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