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『脳男』

2014年01月15日
のうお+セリフコピー_convert_20140109223757
(※ こういう話ではありませんよ)

あらすじ・・・
【生まれた時から何の感情も無いんだけど、なんか質問ある?】

1:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
ちな痛覚もない


2:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
感情がないのになんでスレ立てようと思ったの?

3:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>2
終わってた


4:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>2
まぁそう言ってやんなよ

6:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
痛覚もないってマジか 画鋲ふんだ時とか大変だな

7:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>6 
画鋲ならいいが、こないだは爆風で飛んできたガラス片が背中じゅうにささってた(らしい)
らしいっていうのは、痛覚がない為そのことに気付いてなかったから

おまえらが何を書き込もうと、オレは何も感じない
煽ろうとしてもムダだぜ

8:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
一応スペックな

男(ジャニーズ系ってよく言われる)
20代後半
腹筋割れてる
IQ180以上は確実にある
祖父の遺産が数億円
幼少期に両親をひき逃げ事故で無くし、祖父と家庭教師に育てられたが、その祖父も押し入り強盗に殺され天涯孤独
今は遺産で悠々自適な日々

名前は… そうだな、鈴木一郎とでも呼んでくれ


10:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
どこのバットマンだよ

12:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
感情がないってことは、親が亡くなった時も悲しくなかったってこと?

13:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>12
悲しみも憎しみもなかったね そもそも感情が無いオレは、排泄や食事に対する欲求もなかった ただ生きているだけの人形みたいなものだったんだ


16:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
排泄はおしめかなんかでカバーできるとして、食欲はマズいだろ。。 よくそれまで生きてたな

17:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
なんも食ってなかったわけじゃないだろ 
それはさておき、この>>1はさっき何気なくヘンなこと言ってなかったか…? 爆風…?

18:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>17
スランプ

19:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>18
オッス、おっさん

22:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
大きな玉ねぎの話はどうでもいいんだよ
おまえらオレに何も質問ないのかよ

じゃあ、どうして爆風を受けたのか教えてやろう

実はオレは祖父から暗殺者としての教育を施されて育ったんだ
ほら、じいちゃんも大切な息子夫婦を卑劣なひき逃げ犯に殺されたわけじゃん
それでちょっと、恨みでおかしくなっちまってたんだろうな
古今東西、あらゆる「殺し」関連の本を読まされ、完璧に身体機能も鍛えられたオレは、祖父亡き後世の中の極悪犯に鉄槌を下す処刑人となった


24:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
今北産業

26:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>24
>>1 が
厨ニ病で
爆風スランプ

30:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
殺人犯を見てもなんも感じないんだろ? 腹も立たないんだろ? なんで殺すのよ

35:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
なんて言うのかな 腹が立つから殺すんじゃないんだよね
やむを得ない殺人とかなら鉄槌は下さないし よっぽどの極悪人ぐらいだよ、ターゲットに選ぶのは

ただ、こないだ留置所に入れられた時は、隣に「ばあさんなら殺してもいいっしょ」って吹いてるやつがいてカチンときたから、警備の隙をついて半殺しにしてやったは


36:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
カチン て言うてもうてるがな。。。

38:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
あ…(察し)

40:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
何がだよ! カチンが怒りの擬態語だなんて誰が決めたんだよ!


44:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>1
もういい… もういいんだよ… 一郎くんは感情が無い……それでいいじゃないか、なあみんな…

47:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
あのさあ 20代後半って書いてたけど、それまでの間いろんな人にも出会ってきたんだろ?
何かしら心に響くモノとか出来事ってなかったの? 一度も?

60:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
心に響く…か…
そうだな…… その爆風の一件なんだが、実は凶悪な連続爆破事件の犯人を仕留めようとした時にくらったモノだったんだ
で、その事件に関わっていた精神科の女医が、何かとオレに興味津々な様子でな…


62:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします

女医キタ━━━ッ!!

65:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>1
パンツぬいでもいい?ねえ、ぬいでもいい?

87:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
パンツ…か…
すまんがお前の期待には応えられなさそうだ…

その女医は、自分の弟を殺した犯人の精神カウンセリングを担当しているという、なんというかとても崇高な人だった
彼女は、いわゆる「性善説」ってやつを信じていたんだろうな… オレの過去を知った彼女は、オレには眠っている感情があるはずだ、と力説した それを目覚めさせたい、と…


90:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
眠ってるもなにも、さっきから感情むき出しじゃ…

93:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>90
何がだよ! オレがいつ感情を剥き出しにしたって言うんだよ! オr


113:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
あれ・・? >>1どこ行った?

121:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
イチローさんおこなの?

130:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
落ちた…か…?

157:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
おーい

135:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
匿名掲示板に群がる愚かな人間どもよ聞くがいい! 今からこのスレはこの緑川紀子さまが支配する!
あたしもまた、感情が欠落した史上最凶の殺人鬼・・・! そう、巷を騒がしている連続爆破犯とはあたしのことよ!
恐怖ってなに? 怒りってなに?愛って?信頼ってなに? そんなものみんなクソくらえだわ!
かわいそうな鈴木一郎くんの空虚な人生を理解できるのは、あ・た・し・だ・け!
だからあたしがこの手で彼の命を終わらせてあげる! ああ愉快!傑作ね!アーッハッハッハ!! 


140:以下、名無しにかわりまして脳男がお送りします
>>135
一郎といい紀子といい、おまえら人間味ありすぎだろ




・ ということで、昨年からずっと観よう観ようと思っていた『脳男』をやっとこさ鑑賞しましたよ。

・ 「人は何を持って生まれてくるのか」というと、遺伝的なものがどこまでどう影響するのかわかりませんが、ざっくり言うと「大して何も持っていない」のではないかと思います。

・ 生まれた時は誰でも白紙。 そこにどんな色のどんな模様が描かれるかは周り次第。 たとえば、コンビニやレストランで平気で店員を怒鳴り上げるような人の傍にいれば「怒鳴ることが日常」になる可能性が大ですし、駐車場の障害者用スペースに車を横付けするような人の傍にいれば「自分が楽ならそれでいいんだ」と思うようになる確率が高くなるでしょう。 絶対とは言いませんが、「色」には成長の過程で経験した後天的なモノが多分に作用するのではないでしょうか。

・ で、感情を持たない鈴木一郎くんこと入陶大威(いりす たけきみ)くんですが、感情は感情でも「喜怒哀楽」なんてわかりやすいものじゃない、なんと「ハラヘ・・」や「PPP(ポンポンペイン)」といった食事・排泄関連の身体的サインまで示せないという、こだわりよう。 演じる生田斗真さんの陶器でできた人形のような美しい容姿も相まって、実に見事なスーパー超人っぷりと相成っていたのでした。

・ 常人以上にまっしろだった彼に色をつけたのは、憎しみに取り憑かれたお祖父さんだったり、沢山の蔵書から知ったこの世の醜さだったり、ステレオタイプな強盗だったのでしょうが、色がついているということは充分感情も備えられているということなのではないかと思いますよね。 というか、痛覚がないだけで感情は人並み以上にあったのではないでしょうか。外に出さなかっただけで。 一郎くんが感情を解放したラストシーンは、とても爽快な気持ちになりました。 もうさ、裁判資料とか判例集とか全部一郎くんに読んでもらって、その上でジャッジメントタイムまで任せちゃえばいんじゃないかな。

・ ところで、本作は一郎くんに限らず、随所でキャストのみなさんのこだわりが光る作品だったのですよね。 というわけで、以下ちょっとその一部をご紹介したいと思います。

・ 【一郎くんのまばたきがすごい】・・・サイボーグのような冷徹さにとことんこだわった結果、劇中はいっさいのまばたきを封印。 これからは彼を、ジャニーズ界の北島マヤと呼ばせていただきたい。(※ガラスの仮面第9巻参照)

・ 【松雪泰子さんの前髪がすごい】・・・一郎くんの精神鑑定を担当する鷲谷医師に扮した松雪さんの額に常に垂れ下がる、幅5センチほどの艶やかな前髪。 髪を下ろしていようが束ねていようが、その数センチだけは絶対に揺るがない。 しかし、決してハードに固められているわけでもない、そのこだわりの毛束感に脱帽。

・ 【江口洋介さんのギリギリ具合がすごい】・・・過去の作品で観たことのあるような役柄からの脱皮をはかったのかもしれない江口さんによる、こだわりのゲストークがすごい。 「もう・・あんちゃんとは呼ばせない・・」という気概がうんだ、事務所的にギリギリオッケーな演技。 ただし、中盤気がゆるんだのか、若干「あんちゃん」要素が戻ってきてしまう箇所もあって、別の意味でもギリギリオッケーになっているという。 まぁでも、とにかくこだわりは感じられましたよ。

・ 【最中あるあるがすごい】・・・最中っておいしいんですけど、ふこふこっとした感触の皮が上あごにくっついて、舌で剥そうにも、舐めれど舐めれど真空状態にでもなったかのようにピッタリ貼りついちゃうんですよねーという「最中あるある」が、怪優・石橋蓮司さんによって語られます。 ちなみにこのエピソード、本編とは関係ありません。 なんかね。 すごいこだわりだよねーっていう。 編集でカットしてしまうには忍びないほどのこだわり。

・ 【悪そうにしている感がすごい】・・・一郎くんの好敵手となる爆弾魔・緑川さんを演じていた二階堂ふみさんのこだわりがすごい。 眉毛を剃ったり、ギョロっと目を剥いたり、パートナーの女の子のちちをまさぐったり、悪魔的笑いを挿入したりと、全力で「悪そう」な感じを演出。 さっきから貼りついたままの、最中の皮の違和感なんて忘れてしまうほどのこだわりです。 

・ 【新入りいじりがすごい】・・・江口さん演じる茶屋刑事が、部下の広野さんという若い刑事さんをいじりたおします。 つきあって3年にもなるのに、いまだに名前ではなく「新入り」としか呼ばない江口さん。 「もう~センパ~イ!ちゃんとナマエで呼んでくださいヨ~!」とよがる新入り。 一瞬オレ得かと思いましたがそんなはずはないので、後半の展開を盛り上げるための伏線なんだよそうだよそうに決まってるよ最後の最後には名前で呼ぶシーンがあるんだよと自分自身に言い聞かせていたら、結局最後まで「新入り」のままだったという。 なーんだ!やっぱオレ得じゃん! 悲劇的な結末を迎えてしまった江口さんはたぶん、新入りくんに聞かないと紅茶のありかすらわからないのでしょうから、もう恋なんてしないと思うよぜったい。 

・ 【ダークナイトっぽさがすごい】・・・バットマンとジョーカーという、表裏一体の存在を日本でも・・・というこだわりがすごい。 映像的にもそれっぽくなっています。 ただし、最後のオチはレクター博士とクラリスみたいになってしまうので、「ダークナイト」っぽさというより「ハリウッドに負けないぞ!」という愛しさとせつなさと心強さみたいなものだったのかもしれません。

・ 【主題歌がすごい】・・・ここまでこだわりぬいたのですから、当然本編のシメとなるエンドクレジットも手を抜くはずがありません。 Jという事務所に属するタレントさんが主演する映画だと、その関係者が主題歌を担当するというパターンが多いのですが、幸か不幸か鈴木一郎さんは特定のグループに入っていなかったため、無事超かっこいい洋楽を採用。 おかげで貼りついていた最中の皮も知らない間に溶けて流れておりました。 

・ ということで、みなさんのこだわりが実を結び、とてもおもしろいサスペンスのようなアクションのような猟奇映画となっていた『脳男』。 感情うんぬんはこの際こだわってくれなくてもいいので、今度は一郎くんがあけっぴろげに悪い人をバッタバッタとやっつける姿が観られるといいなぁ・・と思いました。 





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『先生を流産させる会』

2013年10月01日
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うさぎ小屋を覗き込む少女たち。 
目の前には、生まれたばかりでまだ血にまみれたままの赤ちゃんうさぎ。
「キモいよね」「キモいね」
突如、小屋の中から赤ちゃんうさぎをむんずと掴み上げる、ひとりの少女。
彼女はものも言わず傍にあった滑り台に上り、てっぺんからその赤ちゃんを投げ落とす。
べしゃり、という音と共にへしゃげた小さな命。
何が起こったのか? 
どうしてこんなことを? 
こわい、けど、こわがってもいいのだろうか?
どうすればいいのかわからない少女たちは彼女を見上げ、「ははは」と、おずおずと笑う。
ひとりの声にもうひとりが加わり、不安げな笑い声に自信が漲り始めた次の瞬間、頭上から浴びせられる冷水のような声。
「なにがおかしいの?」
ぐしゃり、と押しつぶされる少女たちの心。

おそろしい。
これはおそろしい映画を観始めてしまったぞ。
本編が始まってわずか数分、ガラス越しに差し込む陽光で充分すぎるほど暖められた部屋の中、わたしはすこしだけ、いや、かなりゾっとしていました。
そして観終わった今、おそろしさは虚しさへと変わっています。
からっぽだ。
彼女の心の中はからっぽだった。
そして今も、からっぽなのだ。


2009年に名古屋で起きた事件を参考に作られた本作は、その題名の身も蓋もなさ具合や、実際の事件との相違点などから大いに話題となっておりました。
元となった事件では男の子だった加害者たちを少女に変えるのは、いくらなんでも「いかにも」じゃないか。
そんな意見も数多く見受けられました。

そう、たしかに「思春期の女の子」「担任の先生の妊娠」「初潮」というキーワードは女の子ならではのものでしょう。
「女性」と「女の子」の境界で、もやもやとした気持ちを持て余している中学生の少女たち。
まだ、「妊娠=生命の誕生=めでたい!」としては処理できず、「妊娠=セックス=キモい!」の辺りでクダを巻くしかない「複雑」なお年頃。
そんな彼女たちと、数年前にそこを通り過ぎたばかりの女性教師と、年数が経ちすぎて記憶すら残っていない(というか抹殺してしまっている)母親との、おそろしく噛み合わないやりとりが繰り広げられる、という部分は、「男子→女子」へと設定変更したからこそ生み出されたものだと思います。
ただ、もっと深い、根本的な部分は、「男の子」だろうと「女の子」だろうと、なんだったら「子ども」ではなく「大人」であったとしても、同じだったのではないかと思えて仕方なかったのですよね。

先生のお腹に宿った命を「なかったこと」にしてしまおう、と提案するミヅキ。
うさぎの赤ちゃんを投げ捨て、常に暗い瞳をし、滅多なことで表情を変えず、机の上を踏み歩き、幼い子どもに買い物カートを投げつける彼女は、一体どういう女の子なのでしょうか。
わたしは、彼女自身が「なかったこと」にされている子なのではないか、と思ったのです。
劇中一切登場しなかった(なかったことにされていた)ミヅキの両親。
名簿に記された携帯は番号違い。 自宅の電話は不通。 保護者会にも不参加。
そんな彼らの「不在」は、そのまま彼らの中の「ミヅキの不在」でもあると思ったのですよ。

もしかしたら、ミヅキには「なかったこと」にしてはならない理由が、本当にわからなかったのではないか。
なぜなら、自分(彼女)自身が「なかったこと」にされているから。

どうして? なにがいけないというの?
答えを求めているような、挑みかかるような眼差しを先生へと向けるミヅキの姿を前に、わたしはなんだか息が詰まる思いがしました。
この問いに答えてあげられる大人はいるのだろうか?
ミヅキに、他ならぬミヅキに、「なかったこと」になんて出来ないし、してはならないのだ、と説明できる大人が、この世界にいるのだろうか?

「なかったこと」にされるということは、子どもだけの話とは限りません。
わたしたち大人の世界にも存在していることです。
大切にされなかった為、どうやって大切にすればいいかわからない。
愛されなかった為、どんな風に愛すればいいかわからない。
心の中の「何か」が欠けてしまっている時、その埋め方を自分だけで見つけることは、とても困難です。
大きかったり幼かったり、男だったり女だったりする世の中の「ミヅキ」たちにぽっかりと開いた穴を、誰がどうやって埋めればいいのでしょうか。
これは決して、「子ども」特有のお話ではない。
もっと根深く、もっと何処ででもありうるお話なのではないかと思うのですよ。

特殊ではないのはミヅキだけではなく、彼女の周囲とて同じことで。
理解できない出来事や不安な気持ちに直面した時、笑ってやりすごすしかない、という現象は女の子だけなのか。 それを大人の世界では「お追従笑い」と呼ぶのではないか。
一瞬で何かに夢中になり一瞬で忘れ去ってしまう、という少女たちの移ろいやすい心が孕む残酷さは、まさしく大人がよくみせる「喉元過ぎれば・・」そのものではないか。
先生の給食に異物を混入させるミヅキたちに見てみぬふりを決め込むクラスメイトと、駐車場で危険な遊びに耽るミヅキたちに何の注意もしない警備員に、どんな違いがあるというのか。

この作品に登場する、ズルくて、罪悪感が控えめで、その場しのぎで、したたかに生きている女たちは、そのままわたしたちの世界の住人でもあるのですよ。
そして、それについてゆけない加害者の「ミヅキ」や被害者の「先生」といった渦中の人間たちは、いつも置いてけぼりになる。
からっぽのままで。 欠けたところを埋められることもなく。

ああ、しんどい。
ホントしんどいですよこの映画。
もっと救いがほしいよ! せめて映画の世界ぐらいはさぁ!

「仲間」たちに見捨てられたミヅキと先生が対峙するクライマックス。
「お腹の我が子を殺されたら、その相手を殺す」と宣言していた先生は、ミヅキを殺すのではなく救いの手を差し伸べます。
生徒たちに命の尊さを説くでもなく、命を授かったことの喜びを伝えるでもなく、終始ヒステリックに騒ぎ立てるばかりだったこの先生は、そもそも一体何のために教師という職を選んだのだろうか・・・とひたすら疑問に思いながら鑑賞していたわたしは、「ああ、よかったなぁ」と少しホっとしました。
「復讐ではなく赦しを、攻撃ではなく保護を選んだ先生の姿から、ミヅキが何かを見出してくれればいいな・・」と。
「先生やるじゃん・・・あんた根っからの教師だったよ・・・」と。
しかし、その後ミヅキと接したソーシャルワーカーは、彼女が犯した罪は「殺人」ではなく「不同意堕胎罪」であるとフォローだかなんなんだかわからない説明をし、おざなりな態度で時計をチラ見。
肝心の先生はというと、こちらもまた、その辺の川原にミヅキを連れてゆき謎儀式を始める有様。
ミヅキに掘らせた穴に、胎児が入っているらしき箱をおさめ、こんもりと盛った土の上に風車をぶっ刺して合掌。

いや・・ そんな・・川原って・・・  飼ってた金魚が死んじゃったんじゃないんだからさぁ・・・

鑑賞後に調べてみると、この「土葬シーン」は内藤瑛亮監督の出身地で古くから行われていた埋葬方法からきており、お墓を掘る人(他人)と埋葬される人(親族)、つまり人と人との結びつきという意味が込められているそうですが、ちょっとね、わたしにはわからなかったですね。
突然なんの儀式が始まるのかと思いましたよね。
あと、風車どっから出したん。

埋葬を終え、風車を眺めるミヅキの瞳は相変わらずうつろでした。
「なかったこと」になんて出来ないのよ、と言われた彼女の脳裏に浮かんだのは、肯定か、はたまた否定だったのか。
もしかしたら「わからない」なのではないだろうか・・。
だって彼女の周りには結局まだ、曖昧な大人たちばかりがひしめいているから。
そう思ったわたしは、なんだか虚しくなってしまい、切に願わずにはいられなかったのでした。

神様どうか、この哀しい出来事が、彼女が探し求める答えへの第一歩になりますように。
彼女が、自分の存在を、命の存在を肯定できるきっかけになりますように。



-おまけ-

・ 茶色くしなびた向日葵、蟻にたかられた鳥の骸、寒々しい廃ホテルといった「死」のイメージと、その中心に佇む、「新世紀のダミアン」と呼びたくなるようなミヅキの禍々しい存在感がとても印象的でした。

・ ヒステリックな先生はさておき、うだうだしている5人の少女がとてもすばらしかったです。 

・ 超モンペとして登場するおかあさんの描き方が、「いかにも」毒母って感じでモヤっとしました。 もちろん、行き過ぎたおかあさんではあるのですが、わたし自身にも娘がいるだけに、「おかあさんはおかあさんで、いろいろ心配なんだよ!」となんとなくフォローしてあげたくなってしまいましたねぇ。

・ 「子どものため」なら世の中のルールなんてお構いなしなおかあさんは、「子どもを殺されたらやり返す」と公言していた先生の十数年後の姿なのではないか、と思いました。 「我が子第一!よその子なんか知らん!」という根っこの部分はいっしょ。 先生はそのことに気づいたが故に、最後の最後で方向展開することに成功したのではないでしょうか。

・ そんな先生には、今後も「どうしてなかったことにしてはいけないのか」ということをミヅキに教えてあげていって欲しいものですね。 ていうか、やっぱ最後の謎儀式しっくりこないわー。 「教育」として行うなら、本物の墓地で、ちゃんとした葬儀を行ってみせる方が「死」を認識させやすいと思うのですけどね。 ちょっとなー川原はないなー。 





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『桐島、部活やめるってよ』

2013年08月07日
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進学校でもなんでもない、ごくごくふつうの県立高校で、わたしは3年間を過ごした。
センバツ優勝、という華々しい記録を持つ野球部や、幾度とないインターハイ出場を誇るバレー部など、運動部の活動が盛んだったそこに於いて、まぁ、わたしが感じた限りではあるのだけれど、「スクールカースト」というものは存在していなかったように思う。
バレー部のエースも、放送部の部長も、美術部の幽霊部員たちも、校舎の中ではみな等しく「有意義なことや無意味なことに夢中になっている」高校生だった。
もしかしたら、制服を着崩すことに天才的なセンスを閃かせていたかわいらしいクラスメイトは、寝グセを直さず指毛&腕毛ボーボーのまま登校していた為、モンキーパンチ先生の画風的な意味で友人たちから「ルパン」と呼ばれていたわたしを、陰で嘲笑していたかもしれない。
しかし、わたしが彼女たちに卑屈な感情を抱いたことはまったく無かったし、朝から晩まで吹奏楽部で汗を流すことと、部活以外の時間を映画鑑賞に費やすことにしか興味がなかったわたしは、誰の上でも、誰の下でもなく、ただただ幸せな日々を送っていたのだった。

そして、そんな幸せな日々の中に、「桐島」はいた。

わたしの半径1メートルの中にいた「桐島」は、高校3年の初夏、突然音楽室から姿を消した。

「桐島」との友情は何から始まったのか。
今ではよく、思い出せない。
当時愛読していたロードショー誌を、「桐島」も読んでいたことがきっかけだったのか。
ともかく、同じクラス、同じ部活に属し、共通の趣味を持っていた「桐島」とわたしは、いつごろからか友達になっていた。
スラリとした体躯で物腰は穏やか、洋楽に詳しく、音楽の才能が豊かで先生からの信頼も厚かったことから、多くの女子部員からきらきらとした眼差しで見つめられていた「桐島」。
そんな彼とホラー映画の話題で盛り上がれたことは、わたしにとって「特別」に嬉しい出来事だった。
「ステータス」だなんて、そんな損得勘定が絡んだものなどではない、ひたすら純粋に嬉しい出来事だった。
共に厳しい練習に耐え抜き、帰路途中にあった映画館に足を運ぶうち、いつしかわたしの中に、「桐島」に対して友情以外の感情が芽生え始めてしまったことは言うまでもないだろう。
わたしは時折、準備室にいる「桐島」にだけわかるよう、音楽室のピアノでエルム街の悪夢のテーマを弾いてみたりした。
「桐島」は黒板をフレディのように爪で引っ掻く仕草で応えて・・・ ・・はくれなかったけれど、とにかく、まぁ、時々笑ってくれた。
わたしは幸せだった。
「桐島」がいる風景が。
「桐島」とコンクール金賞を目指す日々が。
「桐島」に友達と呼ばれることが。
高校生活最後のコンクールを控えた初夏の午後、「桐島」が部活をやめるらしい、と友人から聞かされるまでは。

わたしは、わたしたちは、毎日のように「桐島」の家に通い、なんとか退部を思い直すよう説得に励んだ。
しかしとうとう最後まで、「桐島」が音楽室に戻ってくることはなかった。
そして「桐島」が部活をやめた理由も、誰も知ることができないまま卒業の春を迎えた。

親友だと思っていた「桐島」。
夢中になっていることも、悩んでいることも、なんでも判っているつもりだったのに。
いや、ちがう。 
わたしは最初から、「桐島」のことを何もわかっていなかったのだ。
「わかっていなかった」ことに気づいていたからこそ、あえて「わかっていた」ことにしておきたかった。
「わかっていた」ことにしておきたかったからこそ、どうしても踏み込めなかったのだ。
その心の奥底に。

「桐島」の中に自分の知らない部分がある、ということを認めることができなかった当時のわたし。
『桐島、部活やめるってよ』に登場する桐島の友人や恋人たちもまた、桐島の心に深く踏み込もうとしません。
「裏切られた」という失望感を隠そうとはしないものの、家を訪ねていくような積極的なことはしない。
「桐島不在」が重要ポイントである物語なので。 と言ってしまえばそれまでですが、わたしには彼らが桐島の家に押しかけないのは、心のどこかで「桐島が隠していた部分を知りたくなかったから」なのではないかなぁ、と思えたのですよね。
なぜならそれを認めてしまうと、わたしたち(彼ら)の友情がニセモノになってしまいそうだから。

ほら、たとえばね、へんに嗅ぎ回っていて、うっかり桐島に別の学校に通う親友や幼馴染の彼女(しかもそちらの方が本命)とかがいたなんてことが判明しちゃったら、もう立ち直れないじゃないですか。
「あーじぶん必要とされてなかったわー“友達”じゃなく”知り合い”だったんだわーへこむわー薄々感づいてたけどへこむわー」 ってなりますって。
友情ってやつは儚いものです。
学校という狭い、けれどもただひとつの世界に張った、いつ砕けてしまうか判らない薄氷のようなものなのですよ。
だからこそ、少しの「絆」にしがみつくしかない。
薄っぺらい言葉ででも、つなぎとめようとするしかない。
でもね、それでいいと思うのですよね。
それでよかったんだよなぁ、と思うのですよ。今は。

わからないことだらけでいい。
全て判り合えていることが「友達」なのではないから。
細かく説明はしたくないけれど、とにかく、とりあえずそばにいてくれるだけで助かることだってあるから。
深刻な話よりもむしろ、くだらないことを同じように楽しんでもらいたいことだってあるから。
そういうことができる存在って、実はとても大切なのではないかと思うから。


本作は、桐島の「親友」だった菊池くんが、すがるような表情で携帯電話を握り締めるシーンで終わります。
そこまで一貫して「無関心」「平常心」を貫いてきた菊池くんが見せた無防備な表情。
「わかってくれてなくてもいいから、とにかく話を聞いてもらいたい」という眼差しはとても弱々しく、なんというか、さながらえさを待っている小動物のようで、わたしは気づくと、桐島が電話に出てくれることを心の底から願っていたのでした。

やっと一歩踏み込む決心を固めた菊池くんの未来に、幸多からんことを!


一方、わたしはというと。
先日、意を決して「桐島」に電話をかけた。
“どうしてあの時、部活をやめたの?”
という20数年越しの問いに、「桐島」は少し戸惑い、少し笑って、とても真剣に答えてくれた。
“大人になった今だからこそ、わかることもあるし、冷静に話せることもあるよな”
と、すっかり岡山弁が抜け、しかしあの頃と変わらない穏やかな口調で話す「桐島」は、
“おまえあの頃毎日うちにきてくれてたよな。 ・・わかってたよ”
なんて意味深なことを言い残し、じゃあまた、と電話を切ったのだった。

あの日、「桐島」が部活をやめた日、わたしは彼のことを何も判っていなかったし、まぁ、今でもよくわからないのだけれど、きっとこれからもじいさんばあさんになるまで、わたしたちは友達なのだろうなぁ、と思う。
これってすごく、幸せなことなのかもしれないな。

余談ですが、いちおう「じぶんの知らない世界」のリサーチとして、当時岡山で有数の進学校に通っていた世帯主さまに、桐島的人物の有無を確認してみたところ、
“女子に人気があって、バスケをかじってて、あえて部活には入らずに帰宅部を謳歌してて、放課後は制服デートしてて・・・  ・・ってアレ? オレって桐島?”
とのたまわったのですが、それ桐島じゃなく竜汰な! 橋本愛とつきあってたもじゃもじゃパーマの方!

改めて世帯主さまとじぶんの世界の交わらなさっぷりを認識したわたしだったのでした。


-追記-

・ とはいうものの、実は「桐島がいなくなって右往左往」の部分にはあまり興味がわかず、「映研のみんな、輝いていたよね!さいこうだよね! あと、なんかしらんけど桐島っていうバレー部の人が退部したらしいよ」ぐらいな配分で観ていました。

・ 女社会のドロドロが、思わずオエっとなるほど正確に表現されていたので、観る気が失せそうになりました。 あのね、陰でひそひそとか、本人に聞こえるか聞こえないかのギリギリの音量でキャハハ笑いとか、実生活において極力関わらないよう努力してきたスパイシーな光景を、なにが悲しゅうてフィクションの中でしこたま観せられなあかんねんって話ですよ。 鑑賞中何度「うわあ・・・・」と苦悩のためいきをもらしたことか・・。

・ バスケがすきなのに友達に合わせて帰宅部になって、でも未練タラタラで放課後ボールを抱える友弘がいつ「安西先生・・バスケがしたいです・・!」と言い出すのか、実はじっと見守っていたわたしです。

・ 「顧問の先生(大人)の言いなりになるより、自分たちが本当にやりたいものを作ろう!」と声を上げる前田くんは本当にかっこよくて、そんな彼を支える武文くんといい、生気のない顔の下にやる気をみなぎらせる後輩部員たちといい、最初からすでに「ヒーロー」として完成されていた人たちなのだなぁ、という印象を受けました。

・ これは『キックアス』を観た時にも感じたのですが、「情けない」「か弱い」「オタク」「さえないやつ」とされている主人公が、よくもわるくもそんな風に見えないのですよね。 キックアス(デイヴくん)は有名になる前の段階で「見てみぬふりなんてできない!」とリンチを止めに入るし、映画部のみんなも確固たる意志を持って映画を撮り始めている。 彼らは全然「カッコ悪く」なんてないし、周りの流されるがままに生きている生徒たちとは比較にならないぐらい輝いているのです。

・ たしかに途中、「自分たちよりも上のポジションにいる女子に声をかける」という初級ミッションや「派手なグループの運動部のごつい男子に謝罪を求める」というさらに困難なミッションをこなす姿からは、彼らなりの成長を感じることができましたが、それよりなにより、なんだったらもう顔を青く塗ったくってそぞろ歩いている時点で、すげーやり遂げてるんですよ。 充分満足なんですよ。 自分が高校生の時、ここまで積極性を持って人生に挑戦できたか?と思うと、ちょっと疑問ですもんね。

・ ということで、クライマックスの反撃シーンはグっときましたが、それよりも薄暗い部室で前田くんがゾンビ映画制作を宣言するシーンの方がもっとグっときたわたしだったのでした。 こんな部長がいたら、部活もたのしいだろうなぁ。

・ 部活に限らず、何かを始めたときや何かをしているときって、かなりの確率で「自分はこの先どうなるのだろう」と思ってしまうのではないでしょうか。 「やっていてたのしい」という反面、「これを続けていて何になるというのか」「これでご飯が食べていけるハズもないのに」と、常に頭の上を漂う疑問と不安。 体に絡みついてはなれない承認欲求。

・ 菊池くんも、もしかしたら桐島も、部活に対してそんなもやもやした気持ちを抱いていたのかもしれません。 だからこそ、前田くんの「映画監督になんかなれないことはわかっているけど、でも映画がすきだし、映画と関わっていたいから、これからも映画を撮る」という姿勢を目の当たりにしたとき、ファッ!っとなった菊池くん。 すきなことをすきと、恐れず堂々と言えることのかっこよさに、打ちのめされたのではないでしょうか。

・ あとね、ちょっといじわるな考え方ですけども、菊池くんは「求められたい人」なのかもなぁ、と思いました。 「試合に出てくれ」と。「つきあって」と。「うちの部に入ってよ」と。 周りから請われることで、自分に価値を見出しているタイプの人なのかもなぁ、と。 求められる快感というか、求められるうちが花、というか。 物語の終盤でついにキャプテンから「お客さんでいいから試合見に来てよ」と言われた時のその絶望。 ほら、いまさら「やっぱ出てあげてもいいですよ」だなんて、もう言えないッスもんねー。ねー。

・ 元吹奏楽部員としてちょっと気になったのですが、吹奏楽部がね、映画の冒頭の体育館のシーンで「今度の大会も好成績が期待されます」とかなんとか紹介されていたのですがね、どうも服装を見るに、秋から冬にかけてのお話じゃないですか。 何の大会なんだ、と。 吹奏楽コンクールの県大会は夏休み中に行われるので、もしかして支部大会とか? でも支部大会も早いトコだと8月中に終わっちゃう。 てことはまさか全国大会?!

・ 「エルザの大聖堂への行列」で全大って・・・ちょっと難しいんじゃなかろうか・・・いや、もちろんいい曲ですけどね・・

・ エルザは打楽器が少ないので、もし先生が「自由曲エルザな」って言ったら確実にやさぐれる自信があります。

・ とりあえず、校舎の中庭でひたすらシンバルを叩き続けるパーカッション奏者が出てこない時点で、オレは認めらんないね! 何を認めらんないかわかんないけど、とにかく認めらんないね! 朝から晩まで!手の形が変わるまで!オレはシンバルを叩くことをやめないッ!!

・ もうさ、そんなことより「メトセラⅡ」やろうぜ!




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『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』

2013年06月05日
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「踊るシリーズって完結したんだよねーでも観るのダルいんだよねー」という全国のものぐさ太郎のみなさん、こんにちは。アガサです。そして朗報です。
なんと今回、みなさんのお気持ちを汲みに汲んで、126分間の本編をざっくり1分ぐらいにまとめてみましたよ。どうですか。こういう気配りどうですか。

忙しい方もそうでない方も、これさえ観れば「踊るファイナリスト」の仲間入りまちがいなし!いざ鎌倉!




(※ だいたいこんな感じだと思います)


と、いうわけで、最後の『踊る大捜査線』を(126分間ノーカットで)観ましたよ。
なんつうか、もうね、言う事なんてないのですよ。
いや!ありますよ! なんだったらこの話題だけで半日話せるぐらいあるのですけど、「もういっか・・・」って。
人間が持っている「立ち向かおう」という積極性みたいなものをダメにする何かが、この映画にはありました。
鑑賞中ふと隣を見ると、一緒に観ていた世帯主さまがとても悲しそうな眼をしていた事だけ、お伝えしておこうと思います。

・・・と、本当ならここで終わるつもりだったのですけども、たまさかインターネッツで見つけてしまったこの記事について、どうしても書かずにはいられない、という気持ちになってしまった為、以下思いの丈を綴らせて頂こうと思います。
聞いてください。
【すみれさんの人生とはなんだったのか】です。

(※ ↓この記事ですよ!)
踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望 踊る大捜査線:本広克行監督「すみれさんが実体じゃなかったら…」 「THE FINAL」秘話語る - MANTANWEB(まんたんウェブ)

“実はあのすみれさんが実体じゃなかったらどうなるんだろうという思いで演出をしたんです。”
“あんなに大きなバスの事故で、生きていられるわけがない。”
“そのかわりに意識したのが、“本当に大切な人を、命を賭けて助けに来る女の人の最後”でした。”


・・す・・・すみれさん死んでた―――!!!

脚本を担当された君塚良一さんには内緒の演出だったそうなので、もしかしたらこのインタビューのあと「オレそんなつもりで書いたんじゃないよ!」と本気の殴り合いが繰り広げられたのかもしれませんが、ともかく、本広監督としては、そういうつもりで撮ったのだ、と。
マジでか・・・ すみれさん、死んどったんか・・・あの事故っつうかむしろ自爆テロ級のアレのせいで・・・
_人人 人人 人人 人 人人 人人 人人人 人人 人人 人 人人 _
> 「となりのトトロにおけるメイ&さつき死亡説」を超える衝撃!!<
 ̄Y^Y^Y^Y^Y Y^Y^Y^Y^Y Y^Y^Y^^Y^Y^Y^Y ̄


いやね、実は大破したバスからすみれさんがしれっと這い出してくるシーンでね、すみれさんが透けていたのですよね。
「雑な合成しよってからに・・・!」とカチンコチンきていた(その直前のバス突入シーンのCGもめっぽう雑だったので)のですが、そうか・・・演出の一環だったという可能性もあるって事か・・・
_人人人 人 人人 人人人 人人人_
> ま、どっちにしてもひどいけどな!<
 ̄Y^Y^Y^Y^Y Y^Y^Y ^Y^Y^ ̄



すみれさんの人生とはなんだったのでしょうか。
「踊る大捜査線」という物語の中で踊らされ続けた「恩田すみれ」という女性の人生とは。
正義感にあふれ、気弱になる青島くんを励まし、女性や子どもが被害に遭う事を何より憎み、ユーモアもあり、常に湾岸署を照らすおひさまのような存在だったすみれさん。
しかし結局、「青島くんという主人公を殺すわけにはいかない」という都合だけで、「でもファイナルだから誰か殺したい」という都合だけで、普通なら乗るはずもないバス(そう、もちろん乗るはずなんてないのですよ。なぜならすみれさんは生き甲斐だった警察官の仕事を諦めざるを得ないほど体調を崩していたのだから。東京↔大分間を夜行バスで移動する必要なんて、まるでない。)に乗らされ、人質になっている子どもを轢き殺してしまうリスクを度外視してまで、バスごと倉庫に突っ込まされたすみれさん。
そんな事の為にうまれたのでしょうか。「恩田すみれ」という愛すべきキャラクターは。

仮に、脚本通り死んでいなかったとしても、その後のシーンに一切登場しないすみれさんからは「もう湾岸署には関係ない人」という印象しか感じられませんでした。
青島くんと室井さんが、テレビシリーズ当初のような関係を取り戻し、もういちど「自分の正義」を貫こうと志を新たにしていたその隣にこそ、彼女は居るべきだったと思うのですよ。
恋人とか奥さんとかそういうのではなく、強い心を持った、頼もしい同僚として。
だけど、すみれさんは居なかった。
なんだったんだ。
なんだったんだ、この「踊る大捜査線」という物語は。

わたしはテレビドラマのシリーズがだいすきで、期待を込めて劇場版1作目を観に行ったらそこそこ面白く、だったらってんで2作目も観てみたら返り討ちに遭い、その後は「期待をしない」ことを前提に生温かく見守ってきた1ファンなのですが、まさか最後のさいごに、今までの楽しかった思い出すらぶち壊しにするような作品を観る事になろうとは、予想だにしていませんでした。

唯一の救いは、もう、このシリーズが作られない事だな、と思いました。 
ありがとうファイナル。
そして、さようなら。



― 追記 ―

散々書きましたが、スタッフの方も俳優のみなさんも、決して「馬鹿げた駄作」を作るつもりでがんばった訳ではないと思っています。 
今までの作品に対する想い、お客さんを喜ばせたいという意志、長年愛されてきたシリーズに有終の美を飾らせたいという気持ちで、沢山のスポンサーを確保し、小ネタを散りばめ、どうにでも取れるようなサービスシーンを盛り込んだのだろう、と思っています。 
そしてそれは、わたしの心にこそ響かなかったものの、「踊るシリーズ」を見守ってきた多くの皆さんに、感動を与えたのではないかと。
なにはともあれ、15年間お疲れ様でした。



参考記事
『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望(ネタバレ)』三角締めでつかまえて ・・・痒いところに手が届きまくっていてとてもおもしろいレビューです。おすすめ!




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『KOTOKO』

2013年04月12日
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団地内に響き渡る絶叫! 血塗れたバスタブに全世界が戦慄! 
次に壊れるのは、あなたの隣にいる「母」かもしれない・・・!


というフレーズが脳裏を過ぎってしまった、一見「ホラー」よく見ると「お母さんあるある」な恐ろ哀しい映画『KOTOKO』を観ましたよ。


アガサが最初にその悪夢を見たのは、第一子を妊娠中でした。 

もう5ヶ月を過ぎ、安定期に入った頃だったでしょうか。
生まれて間もない我が子の首が、抱っこした拍子にポロンと落ちてしまう、という夢でした。
プールの更衣室のようなトコロで、わたしはなぜか赤ちゃんをロッカーに入れていて、着替えようと扉を開けると赤子は既に息をしておらず、わーっと慌てて抱き上げた瞬間ポロン、と。

首は床をコロコロと転がって行きました。
首はなぜか穏やかな表情をしていました。

わたしは叫びながら飛び起きました。


2人の子どもを授かり、かれこれ11年が経ちます。
一年のうちのほとんどは、朝起きて、ご飯食べて、笑ったり、叱ったり、いつもと変わらぬ毎日なんですよね。
でも、今でも時折、叫びながら悪夢から目覚める事があるのですよ。
事故や犯罪に巻き込まれたちびっこたちが無残な事になるのをなすすべなく呆然と見ている、という夢から。

coccoの『KOTOKO』は、そんな夢をギュギュっと凝縮したような映画でした。
夢と、夢を見て跳ね起きるわたしが、そこに詰め込まれていました。

死にたいからではなく、生きていることを確かめる為に手首を切るKOTOKO。
周りの人を攻撃したいからではなく、我が子を守る為に拳を振り上げるKOTOKO。
その姿はあまりに痛々しく、直視することが耐え難い。
だので、「メンヘラだなー」とか「彼女はアレですね、完全にアスペですね」とか「マジキチwww」という簡単な言葉で片付けてしまいたくなる人もいるかもしれません。
わかりますよ。 わからんでもないです。 だって、そういった言葉で自分の領域から遠ざけてしまえば楽ですもんね。
「これは自分とは関わりのない世界なんだ」って。 「あたまのおかしい人の話なんだ」って。
しかし、KOTOKOの世界はわたしたちの世界なのですよ。
表現こそ過激でショッキングだけれど、彼女が抱える不安は特別なものではない。
だから、遠ざけるのではなく、少しでいいから想像してみてほしい。
わからなくていい、同情してくれなくていいけれど、「危険厨」みたいなばかげた言葉で蓋をして、見なかった事にだけはしないでほしい。

枯れ枝のように細い腕を振り、KOTOKOがハラハラと舞う姿を観ながら、そう思いました。


「母はつよし」なんつって言いますが、母になったからといって「よっしゃーまかせとけー」と逞しくなる訳ではないのですよね。 
むしろ、圧倒的に弱くなるのではないかと思います。特にメンタル面で。
テレビから“登校途中の児童の列に車が・・”というニュースが流れれば「集団登校させててもいいのだろうか・・・」と惑い、“女の子をねらった性犯罪が・・”というニュースが流れば「えっとえっと、携帯持たせて、GPSで見守って、送り迎えもして、あと、何すればいいの?!いっそ外出すの禁止にするか?!」と思いあぐねる。
「子どもを守りたい! ああ、絶対に守るさ! でも、できないかもしれないよ! できなかったらこの子はどうなるの?!」
確固たる決心はあるものの、不安に打ち勝つだけの自信なんてない。
常に強くて弱い「母」。 

「だいじょうぶ。」 cocooさんやたくさんの「母」たちに向け、贈られた言葉で、映画は幕を閉じます。
その言葉の贈り主が彼女の子どもであった事がなにより嬉しく、心強く、救われたような気がしました。

鑑賞しつづける事は苦痛かもしれません。 けれど、ただ鬱気分を味わうだけの映画ではないと思います。
心にズシーンとくる、とても美しい映画でした。



― 追記 ―

・ 何よりビックリしたのは、こっこさんの演技力でして。 限りなくプライベートフィルムに近い映画ではあるものの、赤ちゃんと共に神経をすり減らしながら暮らすこっこさんは、あくまで「cocco」ではなく「KOTOKO」な訳で。 カメラの前であそこまで自然に神経を磨り減らせるこっこさん、ただもんじゃねえな・・・!

・ お姉さんに預けた我が子に、KOTOKOが久しぶりに会いに行くシーンで、すっかりお姉さんになついちゃった赤ちゃんが機嫌よくしているのをじっとりと眺めるトコなんかもうね! せつなさと嫉妬と哀しさが渾然一体となったあの表情! わかるわー! 出来れば人見知りしてほしい気持ち、わかるわー! 

・ 預けてのんびりしたい割には、なつきすぎてほしくないというね!相反するアレね! まあね、おかあさんなんて勝手なもんなんスよ!

・ こっこさん的には、「演技」というのではなく、当時の記憶を思い出して「感覚の再現」をしていたのかもしれませんが、それこそがまさに演技の真髄・・・! って月影先生が言ってた!

・ あと、火が付いたように泣く赤子を抱きかかえながらお昼ご飯を作るシーンでの、悲痛な叫び&フライパンぶん投げもね、非常に身につまされましたよね。 フライパン投げた事はありませんけど、ああいう気持ちになった事あるお母さん多いんじゃなかろうか・・・。 

・ アガサもね、離乳食時代にせっせこ作ったどろどろ飯をあまり食べてもらえず、裏ごしに使ったザルに詰まったカボチャの繊維をゴシゴシしながら泣いた事、ありますもんね。 いとも簡単に絶望する・・それが「お母さん」・・!

・ 毎日気にしなかったり気にしたりしながら、手探りで挑む子育てですが、実は子どもには「タイムワープ」という必殺技が備わっていまして、気づいたら大きくなってたりします。

・ 「こないだまでオムツだったのになぁ」「つい昨日入園したのに」「いつまでも小学生だと思ったたのに、もう中学校か・・」 なんて言葉をうっかりもらしてしまった事のない親御さんなどいないのではないでしょうか。 そう、それこそが子どもたちの秘技・タイムワープ・・・!

・ 本編のラストで、KOTOKOの息子さんが突然成長した姿で現れるのですが、その直前まで起こっていた事からあまりにかけ離れた展開だった為、実在するのかしないのか困惑してしまいました。 しかし、それもきっと、秘技・タイムワープだったのではないかなぁ・・と。 KOTOKOがどれぐらいの期間入院していたのかは定かではありませんが、息子さんの穏やかな表情とさりげない温かさから、KOTOKOに対する愛情がひしと伝わってきました。 なんかね、すごく嬉しかったです。

・ 子どもたちが秘技・タイムワープを使ってくれる事がどれだけありがたいことか、タイムワープを実感出来る事がどれだけすばらしいことか。 あっという間にすぎてゆく日々というのは、ちょっとした奇跡の積み重ねなのかもしれないなぁ・・と思います。

・ という訳で、おおむね「あるある」と共感しながら観ていたのですが。

・ 以前にも書いたことがありますが、私は子どもが酷い目に遭う映画がどうしても受け付けられなくてですね。 「出来事」としての死ならまだしも、その死に方をまざまざと見せつけたりなんかされたら、もうそれだけでゲンナリしてしまうのですよ。

・ 本作に関しても、直接見せなくてもいいんじゃないか・・・と思わずにはいられないシーンがバッチリありまして。 そこはね、銃声の音と、世界の崩壊を目にするKOTOKOの姿だけで、じゅうぶん伝わるんじゃないか、と思ってしまったのですよ。  もちろん、「子どもを失う」想像を時々してしまうのも事実なのですけどね。悪夢としてね。 ・・でも、やっぱり直接表現はしんどいなぁ・・。

・ そう思う一方、KOTOKOに一目惚れしてしま小説家・田中(塚本晋也監督)がフルボッコにされるダイレクトなシーンは大歓迎してしまうわたしですよ。

・ 塚本監督登場シーンは爆笑につぐ爆笑で、コメディになっちゃったのかと思う程おもしろかったです。 ちなみに田中(塚本監督)も「だいじょうぶ」を連呼するのですが、全然だいじょうぶじゃないわ、だいじょうぶになりかけたらトンズラするわで、ホントもう「おまえゲスいな!」と思いました。

・ 田中は現実する人物だったのか非現実だったのか。 あまりにKOTOKOに尽くしてくれるので、もしや彼も彼女が作り上げた幻だったのでは・・・という考え方もあるようですが、アガサは完全にモノホンだと思います。 田中はたぶんね・・・・ドMだったんだと思うよ!(※なのでKOTOKOが暴力を奮う必要がなくなった途端トンズラした)

・ 手首を切って、そこから流れてくる血のあたたかさに「生」を感じるこっこさん(KOTOKO)の姿は、私たちから見るととても異様だけど、彼女にとっては異常ではないのでしょうね。 そりゃあたたかさを感じて血にまみれて踊ってもみるわーおさげも切り落とすわーわかるわー。

・ たぶんですけど、たとえばわたしたちが、プールとか海とかでお手洗いに行った時にね、「あれ・・・身体は冷えてるのに出てくるモノは意外とあったかい・・・?」と「生」を実感するのと大して変わらないのではないでしょうか。 ほら、「生きてる」って、そういうことじゃん?ちがうか!ちがうのか!

・ まぁ、でもできれば身体を傷つけずに実感できるようになるに越したことはないですけどね。 こっこさんが今でもその確認方法を採用しているのか定かではありませんが・・。  

・ 願わくば、彼女と彼女の世界がずっとずっと「だいじょうぶ」であるように。



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