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『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』

2011年07月17日
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いつもより多めにアイシャドーを入れております!!

“ハリー・ポッター”ほど特殊な映画が、今までにあっただろうか、と、ふと思いました。
名作と呼ばれるシリーズ映画はいくつもあります。
『スター・ウォーズ』、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、『ロード・オブ・ザ・リング』、『トイストーリー』、『ゴッド・ファーザー』・・。
個々に切り取っても面白かったそれらと比べ、ハリー・ポッターは単体で観るとあまりにご都合主義の塊で、あまりに説明不足で、あまりにツッコミどころの多い映画でした。
しかし、有名すぎる原作と共に、新しい続編映画が作られるたび世界を熱狂させ、特別な想いを芽生えさせてきた。
「続けて観る」事で、登場人物たちをまるで自分の隣人、友達、家族のように感じさせてしまう特殊な映画。 それが“ハリー・ポッター”なのではないでしょうか。

そして、今回ついにその物語が完結の時を迎えました。

上・下巻合わせて1100ページ強という原作のストーリを、Part1,Part2に分割し、たっぷりとした時間をかけて描かれた最後の瞬間。
前作(Part1)と同様、今までの流れを知らない人には全く優しくない作品です。
現われるキャラクターは多く、ほとんど語られる事無く消えてゆくキャラクターも多い。
ハリーはひたすら苦悩し、しかし信念を貫き、彼を支える人々はそれぞれの覚悟を固め、過酷過ぎる運命に立ち向かう。
あどけない笑顔を浮かべていたハリーが、うすらヒゲを生やして魔法の杖を振りかざすに至るまでに、どんな試練を越えてきたのか。 
その事を知らないままに鑑賞すれば、きっと本作は「やたらと悲惨」で「なんでこうなっているのかイミフ」で「ヴォルデモートって結局何がしたかったの?」という印象ばかりを与えてしまうことでしょう。
しかし、彼らを見守り続けてきた私にとっては、深い感動を与えてくれる本当に素晴らしい終幕でした。

“魔法の力”を違和感なく表現した映像美は圧巻の一言。
個々のキャラクターには見せ場が与えられ、過去に数回しか出てこなかったキャラもまた、最後の挨拶とばかりに登場しますので、ファンの心を大いにくすぐってくれるのではないでしょうか。
溢れんばかりの哀しみを湛えた、とても辛い物語です。
省かれた部分もありますので、「なぜもう少しそこを説明してくれなかった」と悔しく思わなかったといえば嘘になります。
が、観終わった時には、見事に絶望を乗り越え希望を取り戻したキャラクターたちに惜しみない拍手を送りたくなるであろう、見事な完結編だったと思います。
10年分の感謝を込めて、ありがとう!ハリー・ポッター!



(※ 以 下 ネ タ バ レ 感 想 で す の で 鑑 賞 後 に ご 覧 下 さ い )

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『スカイライン-征服-』

2011年06月28日
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親方!空から・・じゃなかった、空に女の人や男の人やおじいさんやおばあさんや、とにかく沢山の人がまるでゴミのように!

あらすじ・・・
3日でわかる、人類捕食計画。


UFOの姿を探して空を見上げるようになったのは、いつごろからだっただろうか。

初めて「UFO」を見たのは、テレビか映画の1シーンではないかと思う。
作り物くさくて、実際に存在するとは思えなかった丸い物体。
それが、尽きない関心の対象となったのは、小学校4年生の頃に読んだ「世界七不思議」という子ども用ムックがきっかけだった。
写真とイラストを織り交ぜつつ、ネッシー、魔の三角地帯、アトランティス大陸、キャトルミューティレーション、人体自然発火現象といった摩訶不思議な事象を紹介するという、今だったら間違いなく洋泉社あたりが発行しそうなオモシロ本の中で、多めのページを割いて説明されていたUFOの目撃談。
アメリカの片田舎で農夫のおじさんが遭遇したオレンジ色の光。
偶然撮られたお椀の様な形の空飛ぶ物体。
世間はそれを「アダムスキー型」と呼ぶんだぜ、と教えてくれた矢追純一のテレビ番組も、さらに私の心を燃え上がらせた。

肉眼で見るUFOの姿はどんな様子なんだろう。
どんな風に飛んで、どんな光を放って、そもそもどんな目的で「付かず離れず」みたいな距離を徘徊しているのだろう。
実際に遭ったら多分怖い。 でも見てみたい。
小学6年生の頃には、訳のわからない熱情に突き動かされるがまま仲間を募って近所の鉄塔下に集まり、UFOを呼ぶような子どもに育っていた私。
そのころから今に至るまで、私の空の上にUFOは現われていない。
ゆえに今も私は、空を見上げてしまうのだ。
そこに、ぺかーっと輝くまばゆい物体が漂っていないかを確認する為。

さて。 本物のUFOとは縁遠い人生だったが、目の前のスクリーンでは実に多種多様なUFOが飛来しては消えてきた。
戸惑う人々をからかう様に高速で飛び交うUFO。 迷子のUFO。 実は地面の下に潜んでいたUFO。 ちっちゃいUFO。 ジャイアントUFO。
空を埋め尽くしたり、覆ったり、ちょこまかとうろついたりするUFOたちの姿に、私はいつだって無い胸を躍らせてきた。
そう、例えそれらの目的が、侵略や観察や殲滅や支配だったとしても、だ。


つまり、何がいいたいのかというと、『スカイライン』最高におもしろかったよコンチクショウ! というコトです。
『インデペンデンス・デイ』の流れを汲む巨大なマザーシップ。
「シップ」とは言ってもそれ自体が生命体であり、ひとつひとつの姿は微妙に異なっている。
数kmはあろうかという個性豊かなマザーシップが、ロサンゼルスの青い空と地上に建ち並ぶ高層ビルとの間、等間隔に浮かんでいる光景には、荘厳さすら感じてしまいました。
物語は、ある日の明け方近く、それらが空を覆ったのち、一気に無数の人間たちを吸い込む所から始まります。
何も出来ず、ただマンションに閉じこもり窓の外で繰り広げられる惨状に絶望するだけの1日目。
血気盛んな民間人の抵抗と、寄せ集め空軍による反撃が開始されるも、異性人が持つ再生能力を前に成す術無く踏みにじられるだけの2日目。
そして、全ての望みを失ったかのように見えた時、ついに最強の救世主が誕生する3日目。

限られた時間と、限られた空間(主人公が滞在していたマンションの周囲約数10km)だけを使い、人類の絶望から希望までの道のりをスピーディに描いてみせた手腕は鮮やかで、まるでロメロ3部作(ナイト・ドーン・デイ)をショッピングモールだけを使って一気にまとめてしまったかのような豪快さを感じました。
「世界の破滅」に説得力を与える為に、いちいちノートルダムやロンドン・アイやピラミッドを出す必要などないのですね。 
恐るべき吸引力を持つマザーシップや、パワー・攻撃力共にずば抜けているタンカー(全高18メートルのゴリラ型エイリアン)や、機動力の高いドローン(長い触手を持つタコ型エイリアン)が暴れまくる姿を呆然と観ているだけで、「ああ、こりゃ人間勝てないわ」と白旗を上げたくなってしまいました。
圧倒的、ってこういう事なんだろうなぁ・・と。

魅力的なエイリアンの造形、舞台設定のこじんまり加減と語られる内容のスケールのでかさによるギャップ、役立たずの泣き虫男・という過去にないヒーロー像もおもしろく、マンションから出るか否かで延々内輪もめしている生存者たちも、とてもリアルでよかったと思います。
そりゃ、外に出ればタンカーに踏み潰され、中に居ればいたで何時ドローンに見つかるかわからない様な状態で、揉めない訳ないですって!
ちなみにですけどね、アガサがもしこの場にいたら、確実にもっと揉めるような事言って撹乱させますよー。
「みんな聞いて! そもそも吸引されていった皆が死んでいるとは限らないわよ! もしかしたらあの船は、地球の危機を嗅ぎつけて人類を救出に来てくれた未来人かも!」とか「だから試しにお前行け」とか言って壮絶に仲間割れさせますからね! オッス!オレ協調性ゼロ!!

そして、世間では賛否両論・・というか否の方ばっかりのような、ラストの覚醒。
3日間に渡り、エイリアンの圧倒的強さを散々見せ付けられてきて、絶望しか残っていない状態での、この覚醒(というか生まれ変わり)・・・。
なんだよ! 最高にグっと来るじゃんか! 
え、え、なんで皆怒るの? わしなんかもう劇場で拳を突き上げたくなったケドなあ!

『第9地区』で(ハートが)焦がれたように、このラストもキター!って言いたくなってしまいました。 
惜しむらくは、本編はそこで終わってしまい、胸のすくような反撃に雪崩れ込んでくれない(続編の企画があるそうです)のですが、その予兆を充分感じさせるエンドクレジット(フィギアを組み合わせて撮ったジオラマ写真のような大暴れシーン)がこれまた素晴らしくキュートでしたので、アガサは大満足で劇場を後にしましたよ。
ロケによる実際の撮影フィルムにCGを組み合わせる方法から生まれたリアルな臨場感も素晴らしかったですし、脇キャラのおじさんによる大活躍も胸が熱くなりました。 決めセリフがバチーンと決まった時の爽快感たらないね!

長年「UFO」に憧れ、遭遇を夢見ている私にとって、この上ない贈り物のようだった『スカイライン-征服-』。
友好的でないエイリアンは怖いけれど、やはりいつか遠目でいいから、遥か彼方から来た隣人たちの姿を拝んでみたいなぁ・・と思いを新たにしたのでした。 あの、第三種でなくてもいいからね。 第一種接近遭遇まででいいですから。  そこは是非、気をつけて頂きたい。(←なぜか上から目線)


-追記-
聞くところによると、どうも巷では
スカイラインー征服ー x TENGA スカイラインー征服ー x TENGA “究極の吸引力”コラボ決定のお知らせ 

という企画が開催されているようで、これを見た多くのみなさんが一様に首をかしげていたのですけどね。
「そりゃ“吸い込む”って点では大きく外れてはいないケドさ・・・」とか「だったら掃除機のダイソンでもいいじゃない」とか。

しかし、ダイソンじゃダメなんですよ。
「強烈な吸引力」で、なおかつ「一度に数億のナニを吸い込む」というコレでなければ・・ね・・。 あとはもうわ か る な ?

と言う訳で、神秘の女体宇宙を夢見る健全な男子のみなさんは、偶然ではなく必然的にコラボした結果生まれたソレを使いつつ、吸い込まれる寸前で堪える、という荒業を習得すれば、本作の主人公・ジェロッドの様に新たな自分が覚醒するかもしれませんよ!  気になる方は是非お試しあれ!


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『SUPER 8/スーパーエイト』

2011年06月25日
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HAKAISHAとの遭遇。

あらすじ・・・
1979年、オハイオ州の小さな町リリアン。 そこでは、子ども達による低予算ゾンビ映画の製作が佳境を迎えていた。 
お調子者のケアリーはカメラと火薬担当。 ディック・スミスに憧れるジョーは特殊メイク担当。 背の高いマーティンは主演俳優。 気弱なプレストンは製作助手。 そしてホラー映画をこよなく愛するチャールズがメガホンを取り、撮影は順調に進んでゆく。
夏休みを迎えた彼らは、新たに同級生のアリスに出演を依頼し、ドラマ部分に深みを与えようと試みる。
実はその裏には、チャールズの淡い恋心が隠されていたのだが・・ もちろん仲間たちは知る由もなかった。
アリスの承諾を得た子ども達は、映画の山場を場撮影するべく夜中に家を抜け出し、郊外の駅舎に向かう。
リハーサルで迫真の演技を魅せるアリス。 
事前に練り直しておいた脚本も万全。
おまけに、抜群のタイミングで駅の横を貨物列車が横切ったお陰で臨場感もたっぷり。

何もかもうまくいく筈だった。
その貨物列車に、中学校で生物学を教えているウッドワード先生が、トラックでぶつかって行くまでは・・・。


まず、オープニングからの数分間が素晴らかったです。
鉄鋼工場とおぼしき場所に掲げられた「連続無事故記録784日」の文字。
そして、それが外され「1日」に変えられる。 そこからカメラが切り替わると、黒いスーツを着た少年が雪の中でひとりブランコに座り、ロケットペンダントを握り締めている姿が映し出される。
そしてその後さらに、会葬者で溢れかえっていた彼の家に一台の車が横付けされ、酒の匂いを気にしながら一人の男が降りてくるシーンが続き、その男を彼の父親が追い出し、自分が運転するパトカーに乗せ乱暴に連れ去るまでが描かれます。
セリフらしいセリフは無いけれど、彼らの置かれた状況が全て説明されるこのオープニング。
演出の巧みさに唸らされてしまいました。

なんでもセリフで説明しちゃう日本の脚本家と演出家は、いっぺんJ.J.エイブラムスさんの爪の垢をバケツ一杯飲ませてもらうといいよ

スマートな演出と語り口によって少年少女のひと夏の成長物語を描いた本作は、スピルバーグの映画を観て育った「モロに私たち世代」の物語であり、しかし、そのまた下の世代にもそのそのまたまた下の世代にも共感を持って受け入れられるであろう、実に爽やかで気持ちのいい作品だったと思います。
そして本作の立役者は、なんと言っても映画をこよなく愛する子どもたち。
「ふとっちょの子」と言えば食いしん坊でトラブルメイカー、という固定概念を覆すような「仕切り屋」っぷりを発揮するチャールズ。
火薬が好きすぎて、凄惨な列車事故を目撃してもしょげるどころか喜びを爆発させるような問題児だけれど、いざという時には人一倍勇敢なケアリー。
凄惨な現場を前にするとすぐ嘔吐してしまう程神経が細いものの、要求されたものにはきっちり応え、実は力も強いマ-ティン。
自分の限界を超えたら迷わず撤退する、という潔さを持った(つまりヘタレの)プレストン。
あと、健気なジョーとアリス。
出てくる子どもたちが、どの子どもも最高にキュートで、最高に頼もしくて、最高に愉快なやつらなのですよね。
「この子たちとともだちになりたい!」  そう思わされた瞬間、私はこの映画を好きにならずにはいられませんでした。

とりあえず、もしも本作をご覧になる際は、本編が終わっても絶対に席を立たない事をお薦めします!



( ※ 以下ネタバレを含みますので、必ず鑑賞後にご覧くださいませ。)



とある事故で心に傷を負った父と子。 その事故に負い目を感じ自暴自棄になっている父とそんな父を見て心を痛めている娘。
2組の親子は、ひとつの死をどうやって乗り越えて行くか。
本作では、その姿がモンスター騒ぎと絡めて丁寧に描かれていたのですが、子どもたちよりも父親たちの方が死を乗り越えられていなかった所が、とても印象的でした。
子どもたちは、幼いなりに生活に楽しみを見出し、チクリと心を刺す痛みと向き合いながらも生きる事に没頭しようとする。
しかし、大人たちは「喪失」から現実逃避し、憎しみと自己嫌悪から抜け出せないまま、自分たちの戸惑いを子どもに押し付けようとします。
大人だからこそ、今までの自分だったり辛い経験から離れられないのかもしれませんね。 わかるような気はするけれど・・ もっとつらいのは子どもだかんね。 おい!おとうさん!頼みますよ!

わだかまりを捨て、他者を受け入れる。 というテーマはこの2組が辿り着くだけではなく、そのまま宇宙からの訪問者と少年との交流においても繰り返され、ずっとずっと昔から私たちが目指していて出来ない、永遠の課題なんだなぁ・・、と痛感させられました。

で、ですね。
ほんとにね。
テーマもはっきりしているし、情緒溢れる映像もじんわりとなりましたし、昔懐かしい映画の世界(実際アメリカに行った事は無いので、映画の中の世界しか知りませんが)から抜け出たような古きよきアメリカの街並みも素晴らしかったですし、今まで観た事の無いような大スペクタクルな列車事故シーンも度肝を抜かれましたし、とても面白かったんですよね。
なんですけどね。
なんというか、「ノスタルジーに浸らせすぎない容赦の無さ」みたいなものも感じてしまったのですよね。

主人公たちが映画作りの最中遭遇した列車事故。 その列車で運搬されていたのは宇宙からなんらかの事情で地球に落ちてきた生命体。
早く宇宙船を修復して故郷に帰りたい彼(彼女?)は、アメリカ空軍に捕獲されて実験材料にされ、人間に対する恨みを募らせていた。
列車事故で自由の身になり、宇宙船をこしらえながら派手な破壊行為を繰り返す彼(彼女)は、その合間合間に人間を捕食する。
この捕食が、私の気持ちをふと、現実へと引き戻してしまったのです。

子どもの頃の私は、スピルバーグやリチャード・ドナーが作った映画に夢中でした。
それは『未知との遭遇』であり、『E.T.』であり、『グーニーズ』であり・・。  自分と似ていない誰かと、心を通わせる映画たちでした。
今の子どもたちがあの頃の自分と同じように、この作品を観て、思う存分わくわくして、広い宇宙に思いを馳せたり他者に胸を開くようになるといいな、と強く思います。
だからこそ、彼(彼女)による殺戮は必要なかったのではないか、と。 
そう思えてならなかったのですよね。

自分が育った街を破壊しまくった彼(彼女)をジョーは受け入れ、その地球生活のつらさを理解を示した上で「それでも生きる事は出来る」と説く。
自分自身に言い聞かせているように、彼(彼女)の目を見て偽りのない言葉を投げかける。
「同じ目線で話す事で、心を通じ合わせる事が出来た」というこのシーンの直前に、街の人がぐしゃぐしゃと食い散らかされる姿を描く必要は、本当にあったのでしょうか。

例えば、『未知との遭遇』のUFOが見物に来ていた人たちを殺人ビームで焼き尽くしていたり、ETの主食が皆が飼ってるわんこだったり、スロースがカニバリズム全開だったりしたら。(※)
私は今と同じように、映画好きになっていたかどうかわかりません。
もちろん、ホラーでやる分にには構わない、と言うか盛大にやって貰いたいのですけどね。
本作が目指すものが、子どもたちの成長であり、他者に心を開くことであり、ひと夏のアドベンチャーであるのなら、破壊行為だけで充分だったのではないかなぁ・・と。
殺戮と友情が混ざり合う事により感じるチグハグさって、どうにかならなかったのかなぁ・・と。

物語のクライマックス、恐ろしい破壊行為の果てに、美しい造形の宇宙船が星形の光を放って去るシーン。
私の頭の中で、「星に願いを」は鳴り響きませんでした。
すべての映画が大甘であって欲しいだなんて塵ほども思いませんが、この作品にはそういう甘さがあってもよかったのではないでしょうか。

ま、遭遇したのがETじゃなくてHAKAISHAだったのなら、しょうがないのかもしれませんけどね。 そういえば顔もちょっと似てたしなぁ。
要するに、エイブラムスとスピルバーグが組むと派手な事が起こるってコトで! おまえらホント大人気ないよな!

と言う訳で、その一点だけが、私にとっては大いに不満ではあるのですが、それ以外の部分は、パーティに行きたいおねえちゃんの存在や、そんなおねえちゃんに片思い中のヒッピーや、「ドラッグ反対!」のくだりや、チャールズの部屋に所狭しと貼り付けてあるホラー映画のポスターや、ロメロリスペクトな自主映画や、夜中に気になる男の子の部屋に忍び込んでくるアメリカンな女子の行動力や、マイ・シャローナや、スーパーエイトのジリジリという回転音や、子どもたちの頑張る姿など、とってもグっとくるシーンが満載でしたので、やっぱりすきです、『SUPER 8』。


(※ それはそれでおもしろい、と、今の私は思ってしまうけれど。 あくまで幼かった頃の私なら、というお話です)

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『ダレン・シャン』

2011年06月17日
ダレンシャン
友の心、友知らず。

あらすじ・・
シャン
まぁ聞いてくれ。ぼくの話を聞いてくれ。 確かにぼくの家は裕福だ。友達も多いし女の子にもモテる。こないだの数学のテストではAをとった。お母さんはぼくの生活態度についてガミガミ言ったりするけど、全てはぼくの将来を心配しての事だと思ってる。反発したくなる事もあるけど、本当は感謝の念でいっぱいだ。 なので、アレはほんの出来心なんだ。何らかの不満があったわけじゃない。言ってみれば不幸な事故だ。
シャン3
・ ・ ・
シャン
わかった。 正直に言おう。 事故じゃない。自己責任だ。ぼくは自分で自分が抑えられなかったんだ。 なぜならクモがだいすきだから。 人によってはグロテスクと思う人もいるかもしれない。だが、ぼくはクモの美しさに強く惹かれてしまう。もしかしたら前世からの運命なのかもしれない。 うん、もしかしたら抗えない何か大きな力に操られていたのかもしれない。 ぼくにはそれを、どうする事も出来なかった・・・。
シャン3
・ ・ ・
シャン
わかったわかった。 正直に言うよ。 欲しかったんだよあのクモが。だってキレイかったんだもん。 まぁ、それはともかく、うっかり魔が差した為に君の命を危険に晒してしまった事は悪かったと思ってる。まさかあのクモが君を刺すだなんて・・・。本当に申し訳ない。  だからこそ、ぼくは「半バンパイア」になってでも、君を助けようと思ったんだ。  あのクモの飼い主であるバンパイアが、解毒剤と引き換えに家族を捨ててバンパイアの道に入れって言った時は迷ったよ。けど、君の命には代えられないからね。 君はぼくの親友だもの。
シャン3
・ ・ ・ 
シャン
ああ、そうだよ。君がその前に、あのバンパイアに「吸血鬼の仲間に入れてくれ」って懇願していた事は知っていたよ。 でも、別に抜け駆けしてどうしようとか、君を裏切ってどうこうとか、そういうつもりは毛頭無かったんだ。 とにかく君の体内からクモの毒を消す事、その事しか頭になかった。 お陰でぼくは一度死に、家族と永遠の別れをするという選択を強いられたけどね・・ アレはつらかったけど・・。
シャン3
・ ・ ・
シャン
あの、別に恩を売ってるつもりじゃないからね。 ただ、ぼくが半バンパイアになった結果、君もバンパニーズという吸血鬼の仲間になってしまった事が哀しいだけで。何も競うようにこっち側に来なくても、ってさ。 だって、ぼくは君を助ける為にバンパイア人生を歩む事になってしまったのに、そんな苦労が水の泡になってしまったんだもの・・ちょっとね・・徒労感が凄まじいよね・・。  おまけに君はぼくを逆恨みして憎しみを顕にしてくるしさ・・ ほんと・・なんというか・・ ままならないよね・・人生って・・。  でも、ぼくは君の事、今でも親友だと思ってるよ。 ぼくは人間を信じてる。人の心を信じてる。 色々行き違ってしまったけど、誤解さえとければまた友達になれるハズだよ。 ぼくは幸せな家族に恵まれて育ち、きみは不幸な家庭環境に育ったけれど、あと、つきあってるって両親に知られたら心配をかけちゃうからナイショのつきあいにはなるけれど、でも、ぼくらは、ずっとずっと友達だかr
シャン3
お ま え も う 帰 っ て く れ よ 。


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と言う訳で、子どもから大人まで大人気の児童文学を華麗に映画化した『ダレン・シャン』を鑑賞しましたよ。

かなり脚色して書いた上記のあらすじからは、あまりダレシャンの魅力が伝わってこないかもしれませんが、実際のダレシャンはイヤミなトコロが全く無く、とっても誠実で、真面目で、お堅くて、真摯で、昔だったら「公務員?」と聞かれるタイプのダレシャンですよ。
で、そんな公務員ダレシャンがうっかり万引きしてしまったせいで、家族や友達の人生をも狂わしてしまう、という現代にも通じるような悲喜劇を、一風変わった人々のにぎやかしと共に描いているのが本作な訳です。 間違ってない。たぶん間違ってないはず。

身体的に個性豊かな人々が結成したサーカス団の団長を、世界のケン・ワタナベがエキセントリックに好演。
ダレシャンをバンパイア道に勧誘する、元バンパイア将軍のクレプスリーをジョン・C・ライリー、その友達のバンパイアをウィレム・デフォー、その(クレプスリーの)恋人であるヒゲのOLを、ピープル誌の「世界で最も美しい100人」に選ばれた美魔女サルマ・ハエックが熱演、などなど、ハリポタだけにメシウマさせてなるものか!というたぎるような熱情のこもったキャスティングが素晴らしいと思います。
ダレンシャン2
(※ 参考画像・ヒゲのOL)

特にインチキ髭が世界一似合う男・デフォーのバンパイアっぷりは、思わせぶりなラストのセリフと共に、いつまでもアガサの心に刻まれる事でしょう。「あの事をダレシャンに教えてあげないと・・」というセリフと共に。 
ま、続編製作が望み薄な現在、「その事」を知る機会は訪れそうにもないのですけどね・・! デフォォォォォ・・・!

原作は全12巻もの壮大なファンタジーなのだそうですが、そのさわりの部分しか語らせて貰えていない本作は映画としてかなり不憫な状態で、一応の山場こそ用意されているものの、「完結させてはならない」(原作があるから)という縛りによって全てが中途半端な盛り上がりにしかならず、結局「ダレシャンが半バンパイアになりましたよー」という、ただそれだけのお話で終わってしまったのが残念でなりませんでした。それ、5分で済むよね。手短に言うと。
ダレシャンと親友のこじれっぷりと、クレプスリーと宿敵マーロックとの対決と、ダレシャンと猿少女との淡い恋と、奇異なサーカス団の日常生活・・などなど、第1作だからこそ盛りに盛った内容も、しょうがない事とはいえ、散漫な印象を与える一因となってしまったのかなぁ、と。
万能すぎるミスター・タイニーの存在も、なんだか釈然としませんでしたし。
「争う姿が見たいだけ」って、人生の目的ざっくりしすぎだろ。 もうそんなわがままタイニーはアレだよ。『ドラゴンボール』のアニメシリーズ全巻借りて来るといいよ。 延々争う人々の姿を、結構長いスパンで楽しめると思うよ。

「人間の血を全部飲み干すから嫌われるんじゃねえの?すする程度でやめとけばいいんじゃねえの?」
という今までに無かった温和な性格の吸血鬼はおもしろかったですし、わくわくするようなオープニングタイトルや、仲間に引き入れる際の手順、爪を武器にして昭和のスケバンのカミソリ攻撃みたいにシュパーッと襲い掛かる姿も新鮮で楽しかったのですよね。
サーカス団の面々も実に個性豊かでしたので、出来る事なら彼らの今後の活躍が見てみたかったなぁ・・と、思わずにはいられませんでした。
ホント、勿体なかったですねぇ。(過去形にしちゃったらあかんのか)
あと、“親友と思っていたのに、ちょっと言葉が足りなかったばかりに絶交されてしまった。”という、「さわやか3組」にも通じるような親近感溢れる内容の割には、小さいお友達のウケがよくなかったのは、シャンの心の師となるクレプスリーを演じるのが、獅子丸テイスト満載のジョン・C・ライリーさんだったからなのでしょうかね・・。
ししまる John C_ Reilly
(※ 獅子丸とライリーさん。 だいたい一致。)

オレはすきだけどなぁ・・ライリーさん。
まぁアレだ。これが瑛太だったら、もっと小学生とか中学生にもウケたのかもな! もしくはMAKIDAIとかさ!(←ちょっと投げやりになっている)

と、いうコトで、消化不良な点が多々ある本作なのですが、捨ててしまうには惜しい部分も無くはないので、なんとかこの第1作のほとぼりが冷めた頃でいいので続きを作って貰えないかなぁ・・と思うアガサなのでした。
じゃないと、デフォーさんが美女の血をチューチュー吸うトコロやインチキ髭をむしられるトコロが観れないじゃんか! (先でそんなシーンがあるのかどうかは存じませんが)

あと、どうでもいい情報ですが、実を言うとアガサは「さわやか3組」は見ていない世代です。ホントはガッツリ「みんななかよし」世代です。いかにも知ってる風にサバ読んですみませんでした。クチブエ~フ~イテ~(・3・)~♪


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『エンジェル ウォーズ』

2011年04月19日
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あらすじ・・・
「今日はザック・スナイダー監督にお越し頂きました。 監督、本日はどうぞよろしくお願いいたします」

「あ、はい、ですね、むふふw ええとよろしくおねがいしますww」

「本作は監督にとって初めてのオリジナル作品ということなのですが、その誕生の経緯などお聞かせ頂けますでしょうか」

「そ、そうですね、これはですね、かれこれ8年ほど前になるのですけど、まぁそのいわゆる美少女系のですねwまぁ闘いというおおまかに言えば闘いの物語をダンスに絡めたイメージがですね、いや、闘いというのはリアルな闘いではなく、あくまで魂が自由を勝ち取る為の葛藤というかですね、まぁそういうもののメタファーでありwデュフフww」

「監督は日本の文化に多大な影響を受けていらっしゃるそうですが、具体的にはどういった作品がお好きなのでしょうか」

「おっとジャパニーズカルチャーキタコレww いや、むしろぼくはジャパニーズカルチャーの中で生きていたいというか、おおよそキライな要素が見当たらないというかwwフヒョヒョw まぁそうですね、クロサワのサムライムービーは言うまでもなく、ハヤオミヤザキのアニメーションもたまらんですよねwwwナウシカのアレはスカートなのかチュニック的なものなのかそしてノーパンなのかアリパンなのか、そういった永遠の謎にむしろ寄り添っていきたいというかwwいや語りすぎw語りすぎだからコレwデュフフww いや、ジャパニーズアニメの何が素晴らしいといって、なんといってもセーラー服にサムライソードという組み合わせの妙。これに尽きる訳ですよ。そして絶対領域の存在、これを除く訳にはいきますまいてwミニスカとオーバーニーとの間に生まれた黄金比。つまり、4:1:2.5という比率が」

「監督が本作に込めたメッセージをお聞かせください」

「オウフwwwいわゆるストレートな質問キタコレですねwww その、本作は抑圧された少女の精神世界を反映させた空想世界というメタSF的な側面がですねwwwダン・シモンズの影響によりwwww ドプフォwwwついマニアックな知識が出てしまいましたwwwいや失敬失敬www つまり、闘う少女とそこに垣間見える萌えのメタファーというですねw5人の少女が持つ文学性を洗練された形式美でもって表現する点に拘ったことによってww おっとっとコレ少し専門的すぎましたかねww つまり、ナチやドラゴン大魔神といったキッチュなキャラクターは、彼女達の向き合わざるを得ない仮想敵のメタファーでありww彼女達が身にまとうコスチュームはその薄さも含めて彼女たちが持つ力の儚さや美しさを表しているのでありww決してふとももをさらけだす事のみに集中するものではなくwww フォカヌポウwww拙者これではまるでふとももフェチみたいではござらぬかwwwwコポォ」

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(※ イケメンオタクのザック監督。 ふとももだいすき。)

その1・すきなものだけでいいです

「かわいい女の子が、ふともも成分たっぷりの服を着て、怖そうな敵をぎったんぎったんにしたら最高だと思いませんか」

もちろんそうですとも。 アガサも完全同意です。 とりあえずかわいけりゃいいんですよ。かわいいは正義!
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大金持ちの家に生まれ、何不自由なく育ったものの、お母さんが病死してしまったせいで遺産狙いの継父に命を狙われる事になる幸薄い主人公・ベイビードール。
無実の罪を着せられ、精神病院へと放り込まれた彼女を待ち受けるのは、「感情を取り除く」と評判のロボトミー手術。残された時間はたった5日。
そんなベイビードールと共に、精神病院からの脱出に挑む少女たちは、厳格な家庭環境に反抗した結果病院送りとなってしまったロケットとその姉スイートピー、他、「黒髪」のブロンディと、アジア系美少女・アンバーの4人。
5人ともムチムチボディで、その割にはスレンダーなふとももで、ベビーフェイスにボリュームたっぷりなつけ睫毛というギャル系アイメイクで、いかつい銃器を軽々と担ぎ上げて闊歩しちゃっやりなんかしちゃったりするので、アガサなんかはもう訳もなく「バンザーイ!!」と叫びたくなってしまうのですが、中でも一番グっときたのはアンバーちゃんなのでありまして。

いつも心細そうなんだけど、ここぞという時にはがんばるアンバーちゃん。
空想世界ではメカに滅法つよいアンバーちゃん。
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もうアレだ、アンバーちゃんが持ってるロリポップの棒になりたいよ、ぼかあ!

出来ればアンバーちゃんの殺陣も見てみたかった。
出来れば邪悪なオーク役になってアンバーちゃんにフルボッコにされたかった。
余談だけど、ベイビードールは気を抜くとギャル曽根になるから気をつけろ。


その2・キメ画

ザック監督といえば、偏執的なクローズアップとクドいのにクセになるスローモーションとバチンとキマった構図ですよね。
凝りに凝った絵作りは色彩を抑えめに処理された映像とも相まって、まるでルネッサンス絵画のよう。 ビーナスか!おまえがビーナスなんか!
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(※ す ご い 火 。)
ベイビードールとその仲間たちは、脱出に必要な4つのアイテムを手に入れる為、空想世界で闘う事になります。
まずはベイビードールが単独で大魔神と闘い、2回戦からはナチスやドラゴンや機械人間を相手に総力戦。
基本的には、どの闘いに於いても、美少女たちの無双っぷりが堪能できるのですが、あまりに強すぎて少々間延びしてしまう部分がありました。 
弾を撃てば必ず当たるし、太刀を振れば必ず倒れるんだもんなー  ・・いや、その強さが心地よいのもまた事実なのですが。
しかし、そんな風に「なんかさっきの闘いと展開同じじゃね・・」と気持ちが緩んだトコロを見計らったかのように、ビシっとキメ画が飛び込んでくるので問題なし! 寝た子も起きますよ。いや、寝てないですけどね。
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(※ す ご い 大 魔 神 。)


その3・入れ子構造

本作に登場する世界は3つ。
ベイビードールが継父に嵌められ、ロボトミー手術を待つばかりの現実世界と、
つらい現実を直視しない為、病院を娼館にリ・イマジネーションした空想世界と、
その両方から逃げ出す為に必要な、4つのアイテムを手に入れる闘いの世界。
ベイビードールの意識が娼館に移行する瞬間、彼女はまさにロボトミー手術を施される寸前だったので、「もしや娼館から後の世界は全て、ベイビードールが正気との境に見た走馬灯のようなモノなんだったりしたらどうしよう・・・」なんてちょっぴり心配していたアガサ。 まさかの夢オチなんてこと、ないよなぁ・・と。
しかし、すべての闘いを終え、ベイビードールに残酷な現実が降り注いだ時、少女たちが空想世界で行った叛乱が、実は現実にも行われていたのだという事が明かされた瞬間。 その過酷過ぎる闘いに思いを馳せ、胸が熱くなってしまいました。
つまり少女たちは、空想世界である娼館だけではなく、精神病院内でも、地図を盗んだり、小火騒ぎを起こしたり、傷害事件を起こしたり、脱走したりしていたのですよ。職員の気を逸らしながら。
ちなみに、娼館での気の逸らせ方は、「ベイビードールが披露する超扇情的なダンスで、見る者をジュクジュクにしたりギンギンにしたりする」というモノ。

・・まさかとは思うけど、踊ったのかリアルでも!!

いや、空想世界だったからこそ、表現出来ない程完璧なダンスで、みんなをスーパー賢者タイムに陥らせることが出来たと思うんですけどね。
衣装だってふともも丸出しだったり総スパンコールだったりする訳ですし。
そういった手助けの無い現実世界で、ベイビードールは一体どんな撹乱作戦を行ったというのか。 
踊ったのか。まさかのまさかで踊ったのか。 もしもガチで踊ったんだったとしたら、その踊り、なんとかDVD-Rに焼いて貰えないだろうか。いや、個人で楽しむだけだから。絶対流出させないから。お願いします。

(※ この、「空想世界で踊っていた瞬間、現実世界ではどんな行動をとっていたのか」という部分は敢えて描かれていないので、「わー何してたんだろー踊ってたのかなあーえへへー」とのんきに考えていたのですが、こちらのレビューで指摘されていた内容を拝見して目から鱗が落ちました。 DVD-Rに焼いてくれとかふざけちゃってどうもすみません。)


その4・でも、やるんだよ

ベイビードールとロケット&スイートピー姉妹以外の女の子が、何故入院する羽目になったのか、その経緯は明らかにされません。(そもそも、この精神病院の患者の中に、果たして本当に病んでいる少女が何人いるのかも定かではありませんし)
ただひとつ、ハッキリしているのは、彼女たちが無力だという事。
その言葉にも、細い腕にも、何の力も宿ってはいないという事。

「自由」って一体なんなんだろう。
私たちはみな、お約束のように「自由」を求めようとします。
もしかしたら、とうの昔に手に入れてかもしれないにも関わらず、呪文のように「自由」という言葉を唱えてしまう。「自由」にこだわりすぎて、不自由になっちゃってるんじゃないかという程に。

アガサは、「自由」とは「自分の意志で生きること」だと思います。
誰かにお膳立てされた楽園で、のほほんと暮らす事は自由なんかじゃない。 願いがなんでも叶えられるのが自由なのでもない。
愛したり、憎んだり、悲しんだり、悩んだり、迷ったりしながら、時には理不尽な感情に振り回されながらも、自分でこうと決めた道を進むのが、「自由」なんじゃないかなあ、と。
だから、「自由であること」とは「闘うこと」でもある。

絶望に支配され、ただ「生かされて」いるだけの日々を送ってきた少女たちは、新しく入ってきたベイビードールに触発されて、もういちど「自由」を手に入れることを決意します。
その選択の先にあるのは、ただの敗北かもしれない。
自分たちの命がけの抵抗は所詮、悪あがきに過ぎないのかもしれない。
それでも少女たちは誓う。 
死にながら生かされるくらいなら、生きて死ぬ方がマシだ。とばかりに、闘う事を誓うのです。
無駄かもしれない。 でも、やるんだよ!と。

これが応援せずにいられるかっていうんですよ! 
ふともも丸出しでがんばる女の子は世界の希望です!


なんかね、甘っちょろい話かもしれないし、辻褄の合わない部分も多々あるかもしれない。 でも、少女たちの闘いは無意味ではなかったと思うし、ベイビードールは誇りを持ってロボトミー手術を受け入れたんだと思うのですよ。 スイートピーが手に入れた「自由」は、5人全員で勝ち取った自由だから。 あまりに哀しい勝利でしたけどね。

スイートピーを乗せたバスは、パラダイスという名の看板を通り過ぎ、遥か彼方を目指す。
きっと彼女はこれからも、沢山の苦難を乗り越えて行かなければならないだろうと思う。
でも、それもまた、自由な証。 
操られず、自分の手で、足で、勝利を掴みとって欲しいと願いました。

と言う訳で、アガサはだいすきです。『サッカー・パンチ』!


-追記-

・ 本作は、1960年代という設定で描かれているのですが、同じく1960年代の精神病院を舞台にした『17歳のカルテ』や『カッコーの巣の上で』とは、かなりその姿がかけ離れている様に感じてなりませんでした。 どっちかというと、1920年代を舞台にした『チェンジリング』に近いような・・。 女性の「力」が圧倒的に弱いという点も含めて。 もしかしたら、ゾンビ兵士化したナチスを仮想敵にしつらえたかったから、60年代という設定にしたのかなぁ・・なんてのは勝手な妄想すぎますかね。 ただ、空想世界を際立たせる為にも、現実世界はもう少しリアルだった方がよかったような気が。 

・ 『マトリックス』や『インセプション』など、沢山の映画を思い起こさせる本作なのですが、アガサはやっぱり『未来世紀ブラジル』とがっちり印象が結びついてしまってたまりませんでした。大魔神とかねー、やりたかったに違いないよねー。 最後にスイートピーを乗せたバスが遠ざかって行くシーンまで被らせているし。ただ、その後ヘビー級のオチをつけたギリアム監督と違って、ハッキリとした希望を映し出して終わらせたザック監督は、たぶん、SじゃなくM。

・ なんでMかというと、少女たちを甚振りぬく用務員(精神病院のカゲ番状態)が、ザック監督そのものなんじゃないかと思ったから。(この世界を支配する用務員=映画を支配する監督) 
少女たちを意のままに操っていた用務員さんなんですが、ロボトミーを受けて空虚な器になってしまったベイビードールを前にはらはらと涙を流してしまいます。 
彼もまた、檻の中でちっぽけな虚栄心にすがって生かされていただけの存在だったのではないか、と。 そんな時、ぎらぎらと生きようとするベイビードールの姿を見て、嫉妬や憧れや独占欲や憎しみと言った、複雑な感情に襲われてしまったのではないか、と。
もしかしたら用務員さんも、自由を求めていたのかもしれない。ベイビードールに激しく叱咤されたかったのかもしれない。 もしかしたら、踏まれたがっていたのかもしれない。ピンヒールで。
と言う訳で、この映画にふとももが沢山登場するのは、全部ザック監督の「ああ・・あれに挟まれてもがいてみたい・・」という願望だったのではないかと思ったのでありました。 オレはキライじゃないよ!そういうの!

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