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『デビル』

2012年01月11日
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あらすじ・・・
エレベーターと言う名のお白州に引き集められた5人の罪人に、悪魔がみせた大岡裁き・・!


※ 以下ネタバレしています


未だに「どんでん返ししか能がない人」みたいに言われる事の多い不遇の鬼才・シャマラン監督が、書き溜めたネタ帳を他の人に公開して好きなように撮らせてみた“ザ・ナイト・クロニクルズ”プロジェクトの第一弾、『デビル』を鑑賞しました。

オープニングがとにかく素晴らしいです。
「オープニングが優れている映画にハズレなし」というのはよく聞かれる言葉ですが、本作の冒頭、灰色の空とギザギザに立ち並んだ高層ビル街とが、逆さまの視点でなめらかに映し出されるのを観て、胃のあたりがぐるぐると掻き回されるような感覚に襲われました。
そこにかぶさる不穏な調べ。 滑るように移動しながら、とあるビルの排気口から一気にエレベーターシャフトを下降する視点。 ロビーを掃除する男性をとらえた視点の先には、落下する人の姿。
こんなスマートで不気味なオープニングを、今まで観たことがないです! さいこう!!

物語は、その後のナレーションで語られる小噺が忠実になぞられるだけで、要は「悪魔がきて罪人の魂を奪う」だけのお話です。
「と、みせかけて実は・・!」みたいなひっかけもありませんし、非常に理解力の高い登場人物によって悪魔の存在が周知されるので、徹頭徹尾ブレる事無く「悪魔モノ」として突っ走ります。
ですので、オカルトに興味がない方やキリスト教的道徳映画がお好きでない方には、あまり楽しくない作品かもしれませんね。
しかし、「エレベーターに閉じ込められた市井の人々が実は小悪党ばかりで、そんなワルどもが不安と恐れから疑心暗鬼になりギラギラし始める」という状況は超密室におけるサスペンスとしてとても魅力的だと思いますし、彼らを裁く「自業自得」というホトケの概念も、我々日本人にとってお馴染みのモノですので、例の「シャマラン映画だったらどんでん返し」みたいな思い込みを捨てて鑑賞すれば、文句なしに満足できるのではないでしょうか。
ていうか、ホントもういい加減馬鹿の一つ覚えみたいに「どんでん返し」を引き合いに出すのはやめる方がいいと思います。 お前は人生のうちでたった一本の映画しか記憶に残っていないのか・・?みたいな人、時々いますからねぇ。 沢山の映画をまっさらな気持ちで楽しみたい、とぼくは思うね!(※以上、ぼやきのコーナー終了)


キリスト教圏で作られる、こういった「神様ありき」な映画の事を、最近とても「おもしろいなぁ・・」と思うようになりまして。(もともと好きなジャンルではありましたが)
それというのも、昨年観た『ザ・ライト ~エクソシストの真実~』という映画が、信心を亡くした若い神父がこわい目に遭い、「悪魔がいるんだから神さまもいるにちげえねえなこりゃあ!」と再び信仰心を取り戻すという、そういうお話でしてね。
「え!そっちが先なの?!」 と驚愕した訳ですよ。
「えっとえっと、悪魔がいるから神さまがいて、神さまがいるということは悪魔もいて、じゃあ悪魔がいなかったら神さま用無しってこと?」と。 「強敵」と書いて「とも」と呼ぶ、みたいな! 悪魔(あなた)なしでは神さま(あたし)いきていけないの!みたいな! ちがうか!
とにかくその考え方がとても新鮮で、結局この世は「アンパンマンとバイキンマン」の双方が揃ってこそ成り立っているんだ、という物分りがいいような非情なような世界観って超おもしろい! と思ったのです。

本作に登場する刑事もまた、「妻子の命を奪った犯人を赦すことができない」ゆえに信心出来ずにいたのですが、目の前で繰り広げられる悪魔の所業にビビっときてしまいます。
最終的には「自分の意志で赦しを与える」に至る刑事が、もう一度仏壇の前に座り手と手のしわを合わせてしあわせ!ナム~!となる日も近いのではないかと予感させるラストに、ほんのりと温かい気持ちになると共に、「悪魔がいたからこそ一歩踏み出せた」ことを確信しましたね、ぼかあ!(いちおう断っておきますが「仏壇」はじょうだんですよ)
刑事を再び人生と向き合わせてくれたのは、神さまではなく悪魔だった。
不幸な過去と向き合うことができず、なんだかんだ言い訳しながらお酒に逃げていた自分自身の弱さを認めさせてくれたのも悪魔。
なんか超いいデビルじゃんか! 明日からデビル師匠とお呼びしたいレベル!

本作の悪魔は、刑事の他にもう一人、地獄に落とすつもりだったとある罪人を期せずして改心させてしまうのですが、これがまたあっぱれなまでの大岡裁きでして。
自分を取り繕い、嘘に嘘を重ねて生きる罪人は容赦なく魂を奪うクセに、その罪人が「ぼくが全部わるかったんです・・本当にすみません・・死んでお詫びします・・」と懺悔すると「な・・なによ・・!ホントは地獄に落とすつもりだったんだからね!」ととびきりのツンデレっぷりを発揮。
そのまま悪魔的お咎めはなし。あとは司法の手に委ねるという大岡裁き・・・ お・・お奉行さまー!!!
まるで仏さま神さまみたいな粋な事をやらかす悪魔に、月曜8時のナショナル劇場を見ているような安心感をおぼえたアガサなのでした。

この世に神さまはいないと思います。
神さまはあくまで自分の中に存在する「よきもの」であり、その存在を信じることで、心を強く保てたり迷いから抜け出すヒントを導き出せたりするのではないかと。
そして悪魔もまた自分の中に存在している。 
恐ろしいのは人間で、それを救うことが出来るのも人間なのですよね。
超常現象やこわい形相をした悪魔を使ってはいるものの、結局キリスト教のおしえ・・というか、シャマランさんやドゥードル兄弟が本作で伝えたいことはそれであり、「だからこそ、人はもっと人を信じ、自分自身をも信じようじゃないか」、と強く訴えかけられているような気がしました。
宗教臭くなんかない、ものすごく当たり前でたいせつな事なのではないかと。
わたしはきらいじゃないです。 こういうの。

やたらと評判のよくないシャマランさんの、“ザ・ナイト・クロニクルズ”プロジェクトですが、なんとか第二弾として予定に挙がっている『Reincarnate』も実現するといいですね。

以上、どっちかというと無神論者のアガサがお送りしました。


-おまけ-
・ 一連のお裁きの前に、信心の強そうな男のひとが転落死するのですが、あの人なんで飛び降りちゃったのでしょうかねぇ。 「やばい・・・悪魔くる・・!」と思ってしまったのでしょうか。 感じやすい人だったのかなぁ。

・ 理解力の高さゆえに悪魔の存在を察知する警備員さんが、食べかけの食パンをぽーんと投げて、ベチョっとジャム側から落ちたのを見届けてから「ほら!ほら!ね、ね、これ!こういうこと!」と大騒ぎするシーンがとてもおもしろかったです。 「ね! って言われても・・・」というポカーン顔の刑事さんもグっときた。

・ 妻子を亡くし、この前までアル中でリハビリしていた刑事さんが、職場復帰直後から検視官の女の子とべたべたしていたのはどうかと思う。 モテキか!

・ エレベーター内と下界をつなぐのは監視カメラとインターホンだけで、しかも会話は一方通行。という設定がとてもよかったです。 

・ その監視カメラに、「悪魔」として一瞬だけ邪悪なおじいちゃんみたいな顔が映ってしまうのですが、その後エレベーター内でのシーンで再び映る不審な姿はミイラ男みたいな包帯ぐるぐる状態だったのですよね・・・ 悪魔は一人じゃなかったって事なのか・・? おしえて!お奉行さまシャマランせんせい!


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『アイ・スピット・オン・ユア・グレイヴ』

2011年12月06日
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目には目を!歯には歯を!臀部には臀部を!!

あらすじ・・・
執筆活動に専念する為、田舎のコテージにやってきたうら若き女流作家が、自分を陵辱した、頭が悪くてイカ臭そうなカッペどもにそれ相応のお返しをします。


ある時は野蛮な殿方の欲望を満たす為、またある時は物騒な御婦人の溜飲を下げる為、数多くの「リベンジ・ムービー」が作られてきましたが、その中でも群を抜いて「エグい」とされるのは78年に制作された『発情アニマル(悪魔のえじき)』なのではないでしょうか。
そして今、容赦ない性的暴行描写や突き抜けた報復攻撃で、観客の股間を縮み上がらせ拳を振り上げらせた伝説の「リベンジ・ムービー」が、その舞台を現代に置き換えてスタイリッシュに再映像化!
ホントにね、そりゃもうスタイリッシュですよ! 
スタイリッシュすぎて、報復するヒロインなんて『リング』のサマラみたいになっちゃってますからね!
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(※ 「きっとクルー!!」状態のヒロイン)

「都会っ子」「美人」「お金持ち」「作家」という華々しいキーワードを身にまとうヒロインが、荒くれ者のカッペに言いがかりにも程があるような因縁をつけられ、「欲求不満の都会人はこってり調教してやんねえとな」とばかりに嬲られる前半のくだりは、時間をかけて一部始終を描いているだけにとても生々しく、エロに比重を置くのではなく、ねちねちとした言葉責めや小道具責め(代表例・マッチに火をつけて一本づつ投げつける)(←陰湿!)に徹している点も効果的で、なんというか、底なし沼にはまったような「終わりの見えない恐怖」を感じさせてくれます。
この地獄のような夜は、もう二度と明けないのではないか。
そんなヒロインの絶望がひしひしと伝わってくるようで、とても気分が悪かったです。(←そしてそれは映画として正解だと思います)
しかし一方、男根主義のクズ人間であるカッペたちの装いに今ひとつ「汚さ」を感じられなかったり、ヒロインが基本サラサラヘアだったりする点にはちょっぴりがっかりしてみたり。
「血まみれで萎えるぜ」と、男どもが吐き捨てた直後に映るヒロインの後ろ姿には、一滴の血も流れ落ちていないという・・・。 とても泥道で繰り返し陵辱されたとは思えないようなキレイなおしりだったという。
こういうのはほんとアカンと思います。
オールヌードで体当たり演技を披露している女優さんの苦労も水の泡ですよ。マジ台無しですよ。

嬲られ続けたたのち放心状態で川に飛び込み、その1ヵ月後に奇跡の生還を果たしたヒロインが報復攻撃を始める後半のくだりになると、事態はさらに「それはアカンわ・・・」状態となっており、瀕死のヒロインがいつ、どこで、どのようにして復讐の段取りを整えたのか全くわからないまま、再登場した時には既に無双状態。
見知らぬ田舎町を舞台に、圧倒的有利なポジションをキープしたまま、ずっとヒロインのターンが続きます。
「カッペがヒロインの急襲に遭い失神」 → 「拷問」 → 「ウギャー」 → 「カッペが失神」 → 「拷問」 → 「ウギャー」 の繰り返しで、大きな波乱が起こるコトもなく淡々と執り行われる復讐の儀式。
せっかくリベンジモノのセオリーにならって「雑魚キャラから」殺って行くにも関わらずですよ。
一番タチの悪い保安官ですら、後ろからポカンと殴られ失神して、ピタゴラ装置にセッティングされてギャーですからね! おまわりさんのくせにどんだけ隙だらけなんや!
これがもしもフランスの映画だったならば、途中でヒロインのセッティングが甘かったり不慮の事態が起こったりして、ラスボスによる反撃があっただろうになぁ・・・、と妄想が花開いてしまったアガサ。

いやだってね、彼女は毎回カッペの後ろから忍び寄り、ポカンと殴って失神させるのですが、百戦錬磨の人さらいでもあるまいに、そんな丁度いい力加減で人の頭って殴れるかァ?
とりあえずオレには無理だね! そんなもん「ポカン」とやったあとは神のみぞ知るですよ! ヘタしたら「冥土行き」だけど勘弁な!っつって心の中で全力謝罪ですって!
で、運良く失神してくれたからと言って、それが何時間続くのか・・というのもコレまた不明瞭な世界じゃないですか。
いつ目を覚ますかわからない状態で、えんやこらせーって山奥のコテージまで運んで、拷問装置に乗せて・・・ って無理だわー!こんな細腕モデル体型のモテカワ女子じゃ無理だわー! おーい、誰かちょっと北斗晶呼んできて!


これはあくまでアガサ独自の考え方なのですが、この種の「女性が性的暴行を受けて反撃する」ような映画は、とことん描き込まれていて欲しいのですよね。
なんだったら、観た事を後悔してしまう程のトラウマムービーであって欲しい。
なぜなら、実際の性的暴行そのものが、「誰かにとっての快楽」だけではすまないような最低最悪の悲劇だから。
そしてアガサは、性犯罪は殺人と同等に裁かれるべきだと思っています。
性的虐待や性的暴行は、人の命までは壊さないかもしれない。
けれど、人の心は完全に壊してしまうから。
性犯罪者に人権なんてないと思っていますし、どんな酷い目に遭ってもしょうがない。いや、そんな目に遭って欲しい。
だから、映画においても反撃はあっててしかるべきだと思いますし、その内容はとことん過激でとことん痛いものであって欲しい。
「虐待」も「報復」も、中途半端であって欲しくないのです。
そんな独自の目線で観ると、本作は肝心な所で遠慮していたり流行りのトーチャーポルノっぽさを取り入れている為に、全体的に「軽い」印象を受けてしまいました。
何を伝えたかったのか、薄ぼんやりとしてしまっている。 そんな気がしてならなかったです。
「加害者側の諸事情」も描こうとするなど、物語に奥行を持たせようとしている気合が伝わってきただけに、ホント残念だなぁ。

まぁ、そういう「鬱映画」ではなく、「べっぴんさんが強面の男どもをヒーヒー言わす」映画として観るならアリなのかもしれませんけどね。
なんだかんだ書きましたが、自分が受けた虐待をそのままアレンジした「目には目を、歯には歯を、ケツにはケツを」という工夫に富んだ報復攻撃はおもしろかったですし、この種の映画ではすっかりお約束となった「シャウエッセン切断の刑」もありましたしネ!
あと、やたらと「田舎だからさ・・・」とばかりにカッペ・ルサンチマンが全面に押し出されていましたが、男がアホで男根第一主義なのは都会も田舎も同じだと思いますので、そういう輩は等しく「ポークビッツ切断の刑」に処せられるといいと思うよ!

と、世の中の男性を敵に回した所で、今回の感想はお開きにしたいと思います。


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『悪魔を見た』

2011年08月21日
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あらすじ・・・
ある、雪の降る夜、ひとりの女性が姿を消した。 
数日後、人気の少ない川原で、人間の残骸が発見された。
その残骸を、その彼女を、全身全霊で愛していた男の前には、ただひとつの選択肢しかなかった。
愛した人が受けたであろう苦しみを、倍にして返す。たとえどんな手を使っても。

と、言う訳で、韓国国家情報院のすご腕捜査官であったその男が、使えるコネクションの全てを総動員してさっくりと真犯人へと辿り着き、にっくき殺人鬼をフルボッコにしたりおこづかいをあげたりフルボッコにしたり治療してあげたりフルボッコにしたりアキレス腱を切ったりフルにボッコにしたりする、エグさ満点の物語です。



「どこかのバカに殺される」事ほど理不尽なことが、他にあるだろうか。

何の落ち度もないのに、ただ一生懸命に生きてきただけなのに、「どこかのバカ」に偶然出会ってしまったが為に、耐え難いほどの恐怖を与えられ、命を奪われてしまう。
残された遺族は、耳にするだけで心がずたずたに引き裂かれるような言葉を聞き続けなければならない。
「どこかのバカ」にはとても命を大切にする弁護士がつき、とても参考になるアドバイスを与えてくれる。
愛する人の不在を受け入れる事を強いられるだけの人たちには、終わらない悪夢やとめどない涙があるのみ。
「どこかのバカ」は、時に未成年であったり、自身も幼少期につらい過去を経てきていたりする事があるので、あまり責めるのもどうか、という風潮が発生したりもする。
時が過ぎ、反省や謝罪の言葉を覚えた「どこかのバカ」は、数年の刑期を終え社会復帰する。
ひたすら耐えてきた人たちには、仕返しする権利など与えられるはずもなく、これから先も一生、がんばって、耐えて、乗り越えて、前を向いて歩いて行く事だけが求められる。

もしかしたら、そんな理不尽な仕打ちに逆らって、自らの手で「どこかのバカ」に報復する人も現われるかもしれない。

でも、最も理不尽なことに、もしも憎しみと怒りに身を任せ、「どこかのバカ」を思いつく限りの残虐非道なやり方で殺したとしても、愛した人は戻ってこない。
「どこかのバカ」にやられた事を、100回やり返したとしても、愛した人は二度と戻らない。理不尽なことに。

と、いうような、理不尽極まりない事柄がこってりと描かれていた『悪魔を見た』。
ただし、そこに見たのは悪魔そのものではなく、悪魔に踊らされた二人の男の姿だったような気がします。

ある日無残に殺されてしまった最愛の彼女。しかも、彼女のおなかには新たな命が芽生えていた。
国家を守る仕事に就きながら、一番大切な、たった一人の女性すら守る事が出来なかった主人公の苦悩は如何ばかりだったことか。
思うのですが、「復讐」とは、相手に対してだけではなく、何も出来なかった自分自身を痛めつける意味もあるのではないでしょうか。
<なぜ愛する人を守れなかったのか>
<愛する人が苦しみの最中呼んだ名前は自分だったはず>
<代わりに自分が死ねばよかったのではないか>
残された者が殺したいのは、相手だけではなく、無力な自分自身でもあるような気がしてならないのです。  
だから「復讐」を求める心は、誰にもとめられない。
愛が深ければ深いほど、きっと滅んでしまいたくなるから。

本作でも、引き返すべきターニングポイントが用意され、主人公の「復讐」の先に明るい光などない事が度々告げられます。
<相手を殺しても、死んだ人間は生き返らない>
<残された家族の事を考えて生きてゆくべき>
そんな言葉が主人公に投げかけられますが、彼はどうしても追撃の手を止めることができません。
たとえ地獄に堕ちる事がわかっていようと、犯人の息の根をとめるまでは決して止める事ができないのは、犯人の事と同じくらい、自分の事も許せないからなのではないでしょうか。
一番忌むべき存在の犯人と、徐々にその姿が重なって行く主人公。
そして彼は、犯人の命とともに、自分自身を破滅させ、「復讐」を完了させる・・。

『復讐者に憐れみを』、『オールド・ボーイ』、『親切なクムジャさん』、そして『悪魔を見た』。 
「復讐」が招く「理不尽な結末」を繰り返し繰り返し目にしてきた私は、一体なにを心に刻んだのだろう、と、ふと考え込んでしまいました。
「復讐なんてよした方がいい」 それは勿論そうですが。
「憎しみは新たな憎しみを生み出すだけ」 そんな事は百も承知ですが。
正論に頷く一方で、猟奇的なほほえみを浮かべて無力な女性に襲い掛かるチェ・ミンシクや、鍛え上げられた肉体と憂いに満ちた表情で犯人をフルボッコにするイ・ビョンホンを目の前に、「殺せ!殺せ!さっさと殺しちまえ!!」と猛り狂ってしまう私もまた、悪魔に踊らされている一人なのでしょうか。
結局、これらの映画によって曝け出されたのは、「私の中にも悪魔がいる」という事であり、「でも、しょうがないじゃない」という諦めに似た気持ちなのかもしれません。
どこかのバカを前に「赦す」のが天使で「赦さない」のが悪魔なんだったら、私はもう、悪魔でいいかな、と思う。 残念な結論で申し訳ないですが。

と言う事で、スクリーン(モニター)の中と外の双方で、人間のドロドロとした面をこれでもかと浮き彫りにしてしまう、非常にいじわるな映画だった本作。
ちなみに、血も涙もない純粋悪のように見える犯人にも、虐待された過去があるのではないかと思わせるようなカット(※犯人の実家に年季のはいった血まみれバットが転がっている)が用意されており、これらは負の連鎖による不幸な事件だったのだ、と思えなくもない描写を盛り込んであるという、念の入ったいじわるっぷりも味わえますので、鑑賞後はなんかもう畳に転がって小一時間うんうん唸りたくなってしまう事請け合いです。
「復讐」の有り無しを問うのではなく、「人間ってこういうもんなんだよ」というバツの悪い事実を正面から突きつける正直な作品。
後味はよくないですが、とても見応えのある素晴らしい作品だと思いました。


― 追記 ―

・ 美麗なファッソンの凄腕捜査員イ・ビョンホンが「ここぞ!」というタイミングではなくいつもワンテンポ遅れた状態で飛び込んでくるのが、モンティパイソンの『スペインの宗教裁判』ネタみたいでおもしろかったです。  ていうかもっと早く止めに入れよ。

・ 超凄腕の捜査官なのに、「ひっひっひ・・あの被害者の家はたしか〇〇町だったな・・・」と嘯くチェ・ミンシクに対しなんの手も打たないとは如何なものか。 

・ で、案の定チェ・ミンシクが被害者宅に向かっている事が判明し、慌てて被害者宅に電話を入れるものの案の定繋がらない凄腕捜査員。  おっそ!電話おっそ!!!

・ チェ・ミンシクのゲスいお友達には愛人(情婦?)がいるのですが、彼女のキャラの背景がすごく気になりました。 猟奇殺人を続ける男と行動をともにする彼女は、もしかしたらどこかでさらわれてきた被害者の一人なのか。ストックホルム症候群を発症してしまった果ての姿なのか・・。 

・ 世の中に「仕返しされ顔選手権」というものがあったとするならば、ダントツで優勝しそうなチェ・ミンシクの不遜な表情。 もうね、これは仕返しされてもしょうがない顔ですよね。 被害を被ってなくても仕返ししたくなる顔。(←理不尽)

・ イ・ビョンホンの後輩捜査員が尊敬する凄腕捜査員に向ける熱いまなざしを、アガサは見逃さなかった!!!!

・ 尊敬するイ・ビョンホンの言いなりになって、GPSを盗み出したり闇病院を用意したりする後輩捜査員。 恋だな!それはきっと恋なんだな!!  そういうことにしておいてください!!


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『下女』

2011年01月05日
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おんなこわいよ!!

あらすじ・・・
ピアノ教師のトンシクは、縫製工場の合唱部を指導して生計をたてているナイスミドル。
10年間に及ぶ地道な勤労と献身的な妻による内職が実を結び、ついに念願のマイホームを建てることになった。
そんなある日、長年の内職疲れから妻が倒れた為、懇意にしていた女工に家政婦を探してくれるよう依頼。
家事を家政婦さんに任せ、しばらくの間、妻を実家に帰すことにしたのだが・・・。


男は偉い。 女はそれにかしずくもの。
そんな古きよき男性上位家庭に乱入してきたスーパー家政婦さんによって、キレイに整列していたハズの縦割り社会がぐちゃぐちゃと入れ替わり、不穏な雷鳴と共に壊れてゆく様を、抜群の間合いと緊張感溢れるカメラワークで描き出した傑作。
1960年の作品ですが、登場する人物たちは現代でも全く違和感なく受け入れられるような普遍的なダメ人間であり、自己愛精神の強いキャラクターですので、鑑賞中は自分の中の都合の悪い部分をグイグイと抉られながら、心地よい責め苦を味わうコトが出来るのではないでしょうか。


おうちに来た時から、“下女”として蔑みの目線で見つめられる家政婦さん。
なんと、まだ齢9歳くらいのちびっこまで「おい女!水もってこいよ!」と社長クラスの上から目線で指示しているという驚きの縦社会。 おとうさん、おかあさん、あなた方何か間違ってますよ。
そして、最初の頃こそ、ある程度従順に自分の務めを果していた家政婦さんは、妻が実家に帰ったのをきっかけに本領を発揮し始める。
別件で意気消沈状態の旦那さまの前で、シャツをはらりとずらして無垢な背中を丸出しにする家政婦さん。
誘蛾灯に引き寄せられる虫のようにふらふらと吸い寄せられ、つい乳を揉んでしまう旦那さま。
もんだらあかん! ギリでつまむ程度にしとかなあかんやないか・・・!!

走り出したリビドーは、ここまで来たらもう止まりません。
結局、家政婦さんと一夜を共にしてしまった旦那さま。
男にしてみれば一度きりの過ち、いや、ほら、なんつうか、勢いっていうか、うっかりっていうか、あるじゃん、そういうの。という感じの“忘れ去りたい昨日”なのですが、身寄りの無い、孤独な家政婦さんにとっては“永遠の一日”であり、“輝けるラブラブ生活のスタート”だったからさあ大変。
妻がまだまだ帰ってこないコトをいいことに、「ダーリン」「あなた」「あたしにもピアノ教えてちょうだいよ」と甘えんぼ大作戦が始まってしまいます。
こわいです。 一つ屋根の下という限定された空間で逃げ場はゼロ。 しかも、相手はこの時点で既に、場の空気を読む気持ちゼロ。  そうだった。おまえはいつも、全力野球だったよ。 夢にときめけ!明日にきらめけ!!

一方、旦那さまはと言うと、そんな家政婦さんのテンションに狼狽しつつも、まだまだ「雇い主であるオレの方がえらい」という意識があるのか、強気の姿勢を崩さず徹底抗戦。
マジでおまえ、そういうコトばっかしてたら、ペットのうさぎを釜茹でにされちゃうよ。

で、一見泥沼地獄真っ只中のように見えますが、コレはまだまだ前哨戦。
本妻が帰宅した事で、闘いは一気に地上戦へと突入です。
実家で休養していた本妻は、実は妊娠中でして、出産日を間近に控えておりました。
そしてなんと、家政婦さんの方も、たった一回開催されただけの夜の大運動会で、見事結実していた事が発覚。
それを知らされた旦那さまは、当然のことながら顔面蒼白です。  白黒映画ですが蒼白かったです。間違いない。
家政婦さんに「あたし産みますから」と宣言されて、悩みに悩んだ挙句、本妻に打ち明ける事を選択する正直な旦那さま。
本妻は怒った。
家政婦は見た。(それを)
信頼して尽くして来た夫の裏切りを知った妻は、夫に三行半を叩きつけ・・・ると思ったのも束の間、自ら家政婦さんを説得する事を宣言いたします。 まあね、女の気持ちは女が一番わかるでしょうしね、なんと申しましても妊婦同士な訳ですしね、ここはひとつ腹を割って話し合えば赤ちゃんの一人や二人なんとかならないよね! 
「そこに階段がある・・あとは・・わ か る よ な ?」みたいな? 暗黙の了解?みたいな? わかった、わかったからふたりとも一回落ち着こう!



本妻はとにかく、“家”を守ることしか頭にないのですよね。
やっと建てることが出来た自分たちの“家”。 
大きく立派な“家”。 
夫や子どもという個々の存在ではなく、“家”というその“カタチ”を守りたい。
そのためなら、どんな手段も犠牲も厭わないという。 もはや狂気としか思えないような願いに突き動かされている。
一方家政婦さんは、やっと見つけた自分の居場所を守りたい、その一心しかありません。
きっと彼女は、誰かと本気で愛し合ったことがないのだろうなぁ、と思うのです。
誰かに必要とされたり、信頼されたりしたことは無かったのではないか、と。
そんな自分を初めて抱いてくれた人、求めてくれた人を、絶対手放したくないと思った。
そのためなら、どんなに傷付いてもどんなに傷つけても構わないと思ったのではないでしょうか。


どちらのおんなも、何かに取り憑かれたように、自分たちの“ホーム(家、居場所)”を守ろうとする。
そこに、「誰かの思い」なんて入り込む余地はありません。 
もしかしたら、自分の気持ちすら見捨てているのかもしれない。
だって、守ろうとすればするほど、人としての尊厳を無くしてしまっているから。 本当は諦めてしまった方が気持ちも楽にきまってる。でも引かない。
なぜそこまで? と言いたくなるほど、何もかもを犠牲にしながら突き進むおんなたち。 

本作には、こわい本妻とこわい家政婦さんの他にも、こわい女工さんやこわい少女も登場し、ひたすらじっとりとした目つきで主人公の男性(旦那さま)を見つめるという、なんかもうおんなに恨みがあるとしか思えないようなヒドいキャラ設定を与えられています。
こわい女工さんなんて、旦那さまに片想いしていたもののそれが叶わないと判った途端、ブラウスを自ら引きちぎり「抱いてくれないんだったら、襲われたってみんなに言いふらしてやるからね!」と高らかに自作自演宣言ですからね。 なんやその一か八かの賭け的なアレは。 おまえは勝負師か。 根っからの博打打ちか。

で、それとは反対に、主人公の男性(旦那さま)は、とことん誠実で、妻に尽くし、娘に優しく、女工さんには公平というとても“正しい”人として描かれているのが印象的。
浮気はほんの出来心で、本当は妻を愛し、妻以外眼中にない旦那さま。(※自称)
諸事情から、妻とひとつ屋根の下で家政婦さんを抱かざるを得なくなり、挙句には体を家政婦さんに捧げる事を余儀なくされてしまうのですが、その際も「体は家政婦さんに与えるが、魂までは渡さない」、みたいな意気込みを語る旦那さま。 なんやその精神論でエロ行為をなんとか正当化してやろうという姑息な言い回しは。 どうせみんなに言ってるくせに!どうせ寝たおんな全員に言ってるくせに!!(妻を抱いているが心はおまえ、的な感じで)

というコトで、おんなはこわい生き物として、おとこは誠実な生き物として、かなり極端に描かれている本作なのですが、実はそう描けば描くほど、逆におんなのか弱さや果敢なさが引き立ち、おとこの狡さや優柔不断さが浮き上がってしまっているのですよね。
自分は弱い存在だからこそ、なんとかひとつのモノだけは守りたい。 
そんなおんなたちの形振り構わぬ姿に、胸が締め付けられました。
それに比べておとこの下衆い事と言ったら。
「あー、モテたくなんてなかったのになー。マジ不本意だわー」って言いながらも乳揉んじゃってますからね。 説得力ないから! 下衆!おまえホント下衆!!

誰かを自分のものにしたい、という気持ちは、要は自分が満たされたい、というコトだけなのですよね。
むき出しにされた人間の欲望。 自分自身にもコントロールできない程の貪欲な感情。
どうしようもなく憐れで、どうしようもなく愚かな私たちの姿が否応無く重なってしまう、とても素晴らしい作品でした。
国内版は出ていないようですが、日本語字幕つきの韓国版を手に入れるコトは出来るようですので、興味のある方は是非いかがでしょうか。
衝撃すぎて書けないラストも必見ですよ。


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『マンディ・レイン 血まみれ金髪女子高生』

2010年05月16日
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オーバー出来ません。

あらすじ・・・
マンディ・レインは学園一の美少女。
廊下を歩けば誰もが振り返り、その唇を味わいたいと願う男は星の数ほどに。


・・はい! と、いう事で、そんなイケイケのパツキンJKマンディ・レインが血まみれになると評判の、『マンディ・レイン 血まみれ金髪女子高生』 を鑑賞してみますよ! ってそのまんま!タイトルそのまんま!

とかなんとか言ってる傍から出てきましたよマンディ・レイン。
すごいパツキンです。
全盛期のダイアン・レインを髣髴とさせる悩ましき豊満バディ。 “レイン”だから“レイン”。安直!
なにしろ学園一の美少女仮面な訳ですので、今日も今日とてスポーツ万能でお金持ちのディランからホームパーティのお誘いを受けるマンディ・レイン。
一度は難色を示すものの、親友のエメットも一緒なら、という条件つきで了承した模様です。
パーティかぁ・・・ クセぇクセぇ!こいつぁ事件の臭いがしやがるぜ!

そして、その予感は見事に的中。
合意の上でパーティに来たのに、あからさまに退屈そうにしているマンディ・レインを遠くに眺め、「彼女の気を惹きたいんなら空飛べよ!」と嘯いたエメットの挑発にまんまと乗ってしまったディランが、お屋敷の屋根から空中ダイブしたのです。
鈍い音を響かせつつ、プールの水面に飲み込まれるディランの体。 見る間に広がってゆく赤い波。
いいですね! この迷いの無い出だし!
もっと行こう!どんどん血飛沫舞わせて行こう!
これはきっと、この事件をベースにした復讐劇とかに雪崩れ込んで行くに違いないですよ。
多少マンディ・レインの顔のアップやらお着替えシーンやらに時間を割きすぎな感はありますが、こっからグイグイ行ってくれる方に期待!

さて9ヵ月後。
相変わらず男子の熱視線でこんがりキツネ色になりそうなマンディ・レインとは裏腹に、完全にハブられているエメット。
親友だった時期もあったものの、すっかりガン無視をきめ込むマンディ・レインに物言いたげな表情のエメット。
校庭を走るマンディ。
追うエメット。
揺れるマンディのちち。
すがるエメット。
ちち、エメット、ちち。(≠ラン・ローラ・ラン)
若干ランニングシーンに時間をこってり使い過ぎな感もありますが、きっとこのシーンはのちのちへの伏線となっているのでしょう。そうに違いない。違ったら泣く。

さて、姉さん、事件です。
なんと、ちょっとしたサービスシーンの後に、ロッカールームに入ったマンディ・レインのお着替えシーンが待っていました。
サービスシーンのちサービスシーン。 まさにサービスシーンのミルフィーユ状態です。
ロッカールームと言えば殺人鬼のアタックシーン、という下世話な推考を嘲笑うかのようなこれらのシーン、無論ポロリ無し。
姉さん、これが生殺しというやつですか。 都会は恐ろしいところですね。
そんな都会っ子のマンディ・レインは、またもやお金持ちの男子学生から別荘でのパーティに誘われました。
今回はエメット無しで快諾した模様です。
パーティかぁ・・・ クセぇクセぇ!今度こそ本格的な事件の臭いがしやがるぜ!

車2台で別荘があるという田舎へ向かうマンディ・レインと無軌道な若者たち。
途中で立ち寄ったガソリンスタンドでは、彼女を除く若者たちがヤクをキメたり万引きしたりする悪い様が、尻を基調にした青春群像劇として描かれています。
“尻を基調”って何だ? と思われるでしょうが、その言葉のままです。 画面いっぱいの尻です。
ガソリンスタンドに付きものの“間違った道を教える怪しい店主”は登場しませんので、心置きなくギャルの尻をご堪能下さい。

その後、もう少しで別荘に着くという細道で、予想外の出来事が起こりました。
なんと、車の持ち主のうちの一人が、高級車であるという事を理由に細道への進入を拒絶し、それを聞いたマンディ・レインが「じゃ、ここから先は降りて歩く」と断言したのです。
当然、急遽降って湧いたパツキンJKとのお散歩タイムにどよめく男子学生たちなのですが、車と徒歩とマンディとを天秤にかけた結果、たった一枠しかない“お散歩相手”に名乗りを上げたのは一人だけだったのでした。
マンディ・レイン神話、ここに崩壊す。

でもね、いよいよ物語が大きく動き出しますよね、これね。
二人っきりになったマンディ・レインと黒人の若者。 はい、わかりますね。ホラー(サスペンス)映画の中の黒人ですね。
そう思いながら、固唾を呑んで見守っていても、生ぬるい擬似恋愛シーンが続くのですが、ここは我慢。我慢なのですよ。
きっとこの後、2人の背後から忍び寄る何かが・・・ ってほらね!やっぱり来ました。世にも怪しいジープですよ!
先ほどの若者たちとは明らかに毛色の違うアラフォー男性に声を掛けられるマンディ・レイン。
その時歴史は動いた・・・!

・・・と思ったのですが、結局アラフォーはただの別荘の管理人だった様です。
ま、人生そういう事もある! 次行ってみよう!

別荘に着くなり、「湖に泳ぎに行こう」と言い始める金持ち男子。
一斉に車に乗り込む学生たちを尻目に、「私は走って行くから」とまたぞろランニングを始めるマンディ・レイン。
走るマンディ。
乗る学生。
走るマンディのちち。
早々と湖にダイブする学生たち。
ちち、マンディ、ちち。  ・・・って、あれ? オレもしかして、借りてくる映画間違えた? これランニングの映画だった?ひょっとしてスポーツもの?
なあんてご心配はご無用!
きっとこの後、身の毛のよだつ襲撃があるに違いありません!
とかなんとか言ってる間に、マンディ・レインが湖に到着。 そうです。 もちろんここでも生着替えです。
何は無くともサービスシーン。 やったね!今夜はホームランだ!(←特に意味は無い)
白い水着があらわになるのを、舐め回すようなカメラワークでとらえるスタッフさん。
演技なのか素なのか、それをうっとりと眺める学生たち。
「ああ! オレもう我慢出来ねえ!」と叫びだす男子。 何を我慢出来ないのかはさておき、それを今ここでカミングアウトして、お前はどうやって湖から上がるつもりなのか。 小一時間問いただしたいオレ。

しかしその時、先ほど恐れていた襲撃が現実のものに!
なんと、湖をスイスイーっと泳ぐマンディ・レインに、一匹のヘビが近寄って行くではありませんか!

満を持してヘビか!
殺人鬼とか、もう諦めよっか!

で、そのヘビはさっきの管理人が(どこからともなく現われて)銃でバンって撃って、みんなで別荘に帰って、酒のんで、ドラッグして、ナニが大きいの小さいのってしょうもない与太話に花を咲かせて、その後やっと、今度は本当に事態が急展開しました。
ナニの大きさを馬鹿にされた男子のひとりが、怒って別荘を飛び出したのです。
慌てて追いかける女子。
そのまま2人で納屋に雪崩れ込み、始まったのはお馴染みのエロティックシーン。
殺戮の予兆はいまだ無し。
機長、こちら管制塔。 ここまでノーポロリ&ノーサスペンスの様ですが、そのまま鑑賞を続けても大丈夫でしょうか?オーバー?
はい、もうここまで来たのでなんとか踏ん張ってみます、オーバー。
了解、オーバー。


オーバーじゃねえよ!!ウラァー!!(ノ゚Д)ノ:・'∵:.┻┻

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と言うわけで、もうこれイメージビデオですよね。
ホラーかな~、サスペンスかな~、なんだかな~(阿藤快)と思っていたら、なんとイメージビデオだったという、ぶらりレンタル途中下車の旅。いかがだったでしょうか。 

“ポロリが無い”と文中で書きましたが、正確に言うと“マンディ・レインのは無い”ですので、他の脱ぎ要員の方が孤軍奮闘して下さっています。
そして、イメージビデオではないかもしれない要素として、後半の血まみれ合戦があるのですが、まぁこれも言ってみればいわゆるひとつのイメージ映像ですよね。
彼女、でらべっぴんだけど、こんな猟奇的な作品でも映えるんですよ。 という、腕利きエージェントが仕込んだ罠。
どうだろう、この際みんなで乗っかってみないか。その罠に。
了解、オーバー。

だからオーバーじゃないんだってば。


ミュージックビデオ出身の監督さんなのか、やたらとスタイリッシュな映像が垣間見えたり、本編に関係ないトリップシーンに妙に気合が入っていたり、伏線がほったらかしになってたり、と、若さゆえの“やったった感”が無くもないのですが、タイトルロールのマンディ・レインは確かに魅力的でした(スカーレット・ヨハンソンと藤原紀香を足して2で割った様)し、理由なき殺害というオチも、通用する場合もあると思うのです。時と場合によったらね。

ただ、中途半端なイメージビデオみたいな主旨不明のフェティッシュ映像に時間を割きすぎて、肝心な“殺人鬼の襲撃シーン”がダラダラ~っとしてしまっているせいで、致命的な程に緊張感が足りていないのですよね。

中盤でさっさと犯人の正体をバラした時点で、その裏で糸を引いているヒトの正体もわかってしまっているようなものじゃないですか。
犯人を知らせた上で緊張感を持たせるのは至難の業。
意表をつくどんでん返しの為に選んだ展開(早々に犯人バレ)のせいで、逆に自らのハードルを上げてしまい、まんまとそれに引っかかってすっ転んでしまったように感じて仕方ありませんでした。
せっかく、“よくあるスラッシャー”に“説明不可能な残酷衝動”と“青春”をミックスした意欲作だったのに・・・ 勿体無いなぁ。

もうさぁ!ソフトレズ描写とかマジいらないから! いや、需要はあるのかもしれないけどさ!(しかも、それもまた結局中途半端だったりする)


で、他の伏線未回収は最悪「しょうがないなぁ・・」で片付けてあげなくもないのですが、冒頭の空中ダイブ事件と後半の事件が全く繋がってこない点だけは、どうにもこうにも見逃す訳には参りませんね。
その一件で彼女が猟奇な趣味に目覚めたとか、何らかの人間関係があったとか、そういうのが皆無だなんて「謎を謎のまま終わらせる」と言うより「投げっぱなし」にしか思えないのですが。
ベタですが、例えばそこを
“空中ダイブの男子とマンディ・レインは付き合ってて、後半の学生たちは実はその事件に関わっていた加害者だった云々”
で繋いで、冷静そうなマンディ・レインの底で燃え上がっていた憎悪の炎を見せてくれていたりしたら、それで一本筋が通ると思うのですが。 ベタすぎですか。 あいすみません。ナマ言ってすみません。

なんでもかんでも説明すればいい、という訳ではないのですが、最低限説明すべき所は曖昧にしてはいけないのではないか、と思いつつ、静かに停止ボタンを押したアガサだったのでした。
あと、タイトルにもでかでかと書いてあった“女子高生”という設定が、一番納得できなかった点も書き添えておきたいと思います。
いやぁ、あちらの女の子は発育がよろしいですなぁ! JK(女子高生)っていうかJD(女子大生)だもんね! ヘタしたらJJ(熟女)?みたいな。 ってそれは言い過ぎですか。 あいすみません。ナマ言ってすみません。



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