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『ドラゴン・タトゥーの女』

2012年02月20日
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最高にインパクトの強い予告編で耳にして以来、なにかにつけてアガサの脳裏で鳴り響きまくっていた「移民の歌」をバックに、真っ暗闇の中ひとりの女性が真っ黒な液体を身にまとっているオープニング・シークエンスで、まず胸を鷲づかまれました。
その液体はコールタールのようにドロドロとしていて、女性の体の表面は黒いスチールでコーティングされたかのように硬い。
一瞬、いのちを持たないマネキンなのかと思いきや、彼女のまぶたが時折微かに震える。
不快で、おどろおどろしくて、苦しみに満ち満ちたような真っ暗な世界。
キーボード、ワイヤー、コード、火のついたマッチといったキーワードが現れては消え、男性の体と溶け合っては引き裂かれ、押さえつけられては這い出し、そして、真っ赤に燃え盛る不死鳥が翼を大きく広げ、混乱の中から蕾が開くように一人の女性が生まれ出るトコロで終わるこのタイトルバックに、背筋がぞくぞくしてしまいました。
一体これから何が始まるのだろうか。
このおぞましい世界から生まれでたヒロインは、どんな女性なのだろうか。
そして、その想像は期待は予想を上回る勢いで現実のものとなりました。
史上もっとも脆く、もっとも強靭なヒロイン・リスベットの誕生です。

しかし、リスベットはヒロインと呼ぶにはあまりに「かわいそう」な女性で、背中に刻んだドラゴンのタトゥーでは弾き飛ばしきれない程の「災い」が、常に彼女の上に降り注ぎます。
もっと活躍してほしい! 
もっと男どもをズタボロに引き裂いてほしい!
そう願うものの、リスベットの怒りの原動力となっているのは“「男」に対する復讐心”だということがビシビシと伝わってくるだけに、心のもやがスカっと晴れる事はないのです。
リスベットをここまで「強く」してしまった過去が、どれほど過酷だったかを思うと。

スウェーデンの大富豪一族の過去に関して調査以来を受けたジャーナリスト・ミカエルを、ハード面からもソフト面からもサポートする事となったスーパーハカー・リスベットの活躍を描いた本作は、世界中で大ベストセラーとなったミステリー小説3部作の第1作目。
40年前に起こった少女失踪事件を洗いなおすことにより、一族の忌むべき黒歴史が明らかとなってゆく・・・!のですが、一番肝心なリスベットの過去や、今回芽生えて潰えた想いのその先という、非常に気になる箇所は残されたままなのですよね。 いや、3部作なのでしょうがないのですけどね。 正直わしゃ黒歴史のことよりもリスベットのことの方が気がかりなんスよね。 
いやだって、犯人探しだー!なんつって言ってるそばからステラン・スカルスガルドさんが出てきた日にはねぇ。 「あー・・・アハハ・・」って思っちゃいますって。
スカルスさんが最後までいい人で終わる訳がない!!
(※ネタバレなので反転しています)

本国スウェ-デンでは既にトリロジーとして映画化されていますので、是非今回のリメイク版の方も、同じキャスト&スタッフで引き続き製作して頂きたいものです。
アガサはこれ、大傑作だと思います。


- 追記 -(※ 以下ネタバレ含む)

・ スウェーデンといえばリンドグレーン。 『長くつ下のピッピ』『やかまし村の子どもたち』といった児童文学の傑作を数多く送り出した偉人で、アガサなんかはもうセリフの中に「クローネ」が出てくるだけで「よし!」と意味も無く興奮してしまう訳なのですが、なんと今回はもうひとつ気になるセリフが!
主人公のジャーナリスト、ミカエルの名前が「ブルムクヴィスト」になっているではないですか! なんということでしょう!

・ スウェーデンでブルムクヴィストといえば『名探偵カッレくん』じゃないですか。 アガサの小学校時代のバイブルですよ!カッレ、アンデス、エーヴァ・ロッタですよ! (←かなり興奮している) 

・ で、鑑賞後ネットで本作について色々見ていると、どうも本当にミカエルのモデルはカッレくんだったようで、原作にはそのようなくだりもあるそうなのですね。 マジかー!やっぱリンドグレンさんは偉大なんだなぁ!!(リスベットのモデルはピッピなのだそうです)

・ なるほど、確かに推察力が鋭くて正義感が強くて女性に対しても尊大な態度をとることなく「紳士」であるミカエルは、ホームズ先生に憧れるカッレくんの成長版と思えなくも無い事もないんだけど、自分の娘ほどの歳の仕事仲間とねんごろになったり既婚女性と大人な関係を続けたりしているトコロが若干生臭いから却下だコンニャロー!

・ 「いなくなった少女・ハリエット」とリスベットには、いくつかの共通点があると思いました。 ええとね、ます顔が似ていますよね!予告編を観た時、てっきり「実はリスベットがハリエットなのでしたー」という時間軸お構いなしのオチなのかと思いましたもん! すまんのう!頭の仕組みが単純ですまんかったのう!

・ 「実の父親による性的虐待」。 リスベットに関してははっきりは明言されませんでしたが、その事実があったことは想像に難くないと思います。 そしてハリエットとリスベットは、その父親を自らの手で葬り去る事で地獄から抜け出そうとした。 しかし双方とも、ひとつの地獄の後に待ち受けていたのはさらなる無限地獄だった。

・ ハリエットは二つ目の地獄から逃げ去る事で自由を手に入れました。 きっと、いまだに悪夢を見ない日はないでしょうが、名前と身分を捨て新たな人生を自分自身の足で歩んできた(しかも社会的に成功した)ハリエットは、とても強い女性だと思いました。

・ リスベットはというと、二つ目の地獄からはまだ抜け出せていません。 「父親に火をつける」という反社会的な行為の代償として被後見人となり(昔でいう所の禁治産者でしょうか)、見下され、虐げられ、尊厳を踏みにじられる日々です。 しかし、そんなリスベットもまた持って生まれた才能で世間と闘ってきた。 どこまでいっても「成功」とは程遠い人生かもしれない。 けれど、リスベットもまたとても強い女性なのですよね。

・ ハリエット事件の真相を日の下に曝し出すことは、リスベット自身の闘いでもあったのだろうなぁ、と思いました。 だから、その闘いに終止符を打つのはミカエルであってはならなかったのではないかでしょうか。

・ それにしても、ハリエットの父親(と兄)にせよリスベットの父親や後見人にせよ、ゲス野郎の存在が非常に胸くそ悪い映画でしたねぇ。 特にハリエットの肉親はホントにゲスい! 真性のSってこういうのを言うんだろうなぁ。 邪悪だ!邪悪すぎる!

・ 拷問時のBGMにエンヤを使うのもあくど過ぎるだろ! フィンチャーさんも相当なドSであるとオレはみた!

・ リスベットは、理不尽な苦痛を強いられるたび、自らの意思で新たな苦痛を自身に与えてきたのでしょうね。 そうする事で、痛みを支配しようとしてきたのではないでしょうか。 彼女の体に刻まれたタトゥーは、邪悪なものと闘ってきた彼女の歴史でもあるのかなぁ・・と思いました。  

・ という事は、これからもリスベットの闘いが続く限りタトゥーは増えてゆくという事なのだろうか。

・ とりあえず今回も大きな精神的痛手を被ってしまいましたし。

・ このペースで行くと、どんどん増えてっちゃいますよね・・・どんどん増えて・・ ・・どんどん・・ ・・・ドンドン・・・ 

ネコ
(※ どんどん増えたパターン)

・・・ダ メ !  ぜ っ た い !!

・ リスベットさんがこうならない為にも、続く第2部、第3部で少しでも心休まる日々が彼女に訪れる事を願いつつ、フィンチャーさん御一行の続投に期待したいと思います!

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『デビル』

2012年01月11日
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あらすじ・・・
エレベーターと言う名のお白州に引き集められた5人の罪人に、悪魔がみせた大岡裁き・・!


※ 以下ネタバレしています


未だに「どんでん返ししか能がない人」みたいに言われる事の多い不遇の鬼才・シャマラン監督が、書き溜めたネタ帳を他の人に公開して好きなように撮らせてみた“ザ・ナイト・クロニクルズ”プロジェクトの第一弾、『デビル』を鑑賞しました。

オープニングがとにかく素晴らしいです。
「オープニングが優れている映画にハズレなし」というのはよく聞かれる言葉ですが、本作の冒頭、灰色の空とギザギザに立ち並んだ高層ビル街とが、逆さまの視点でなめらかに映し出されるのを観て、胃のあたりがぐるぐると掻き回されるような感覚に襲われました。
そこにかぶさる不穏な調べ。 滑るように移動しながら、とあるビルの排気口から一気にエレベーターシャフトを下降する視点。 ロビーを掃除する男性をとらえた視点の先には、落下する人の姿。
こんなスマートで不気味なオープニングを、今まで観たことがないです! さいこう!!

物語は、その後のナレーションで語られる小噺が忠実になぞられるだけで、要は「悪魔がきて罪人の魂を奪う」だけのお話です。
「と、みせかけて実は・・!」みたいなひっかけもありませんし、非常に理解力の高い登場人物によって悪魔の存在が周知されるので、徹頭徹尾ブレる事無く「悪魔モノ」として突っ走ります。
ですので、オカルトに興味がない方やキリスト教的道徳映画がお好きでない方には、あまり楽しくない作品かもしれませんね。
しかし、「エレベーターに閉じ込められた市井の人々が実は小悪党ばかりで、そんなワルどもが不安と恐れから疑心暗鬼になりギラギラし始める」という状況は超密室におけるサスペンスとしてとても魅力的だと思いますし、彼らを裁く「自業自得」というホトケの概念も、我々日本人にとってお馴染みのモノですので、例の「シャマラン映画だったらどんでん返し」みたいな思い込みを捨てて鑑賞すれば、文句なしに満足できるのではないでしょうか。
ていうか、ホントもういい加減馬鹿の一つ覚えみたいに「どんでん返し」を引き合いに出すのはやめる方がいいと思います。 お前は人生のうちでたった一本の映画しか記憶に残っていないのか・・?みたいな人、時々いますからねぇ。 沢山の映画をまっさらな気持ちで楽しみたい、とぼくは思うね!(※以上、ぼやきのコーナー終了)


キリスト教圏で作られる、こういった「神様ありき」な映画の事を、最近とても「おもしろいなぁ・・」と思うようになりまして。(もともと好きなジャンルではありましたが)
それというのも、昨年観た『ザ・ライト ~エクソシストの真実~』という映画が、信心を亡くした若い神父がこわい目に遭い、「悪魔がいるんだから神さまもいるにちげえねえなこりゃあ!」と再び信仰心を取り戻すという、そういうお話でしてね。
「え!そっちが先なの?!」 と驚愕した訳ですよ。
「えっとえっと、悪魔がいるから神さまがいて、神さまがいるということは悪魔もいて、じゃあ悪魔がいなかったら神さま用無しってこと?」と。 「強敵」と書いて「とも」と呼ぶ、みたいな! 悪魔(あなた)なしでは神さま(あたし)いきていけないの!みたいな! ちがうか!
とにかくその考え方がとても新鮮で、結局この世は「アンパンマンとバイキンマン」の双方が揃ってこそ成り立っているんだ、という物分りがいいような非情なような世界観って超おもしろい! と思ったのです。

本作に登場する刑事もまた、「妻子の命を奪った犯人を赦すことができない」ゆえに信心出来ずにいたのですが、目の前で繰り広げられる悪魔の所業にビビっときてしまいます。
最終的には「自分の意志で赦しを与える」に至る刑事が、もう一度仏壇の前に座り手と手のしわを合わせてしあわせ!ナム~!となる日も近いのではないかと予感させるラストに、ほんのりと温かい気持ちになると共に、「悪魔がいたからこそ一歩踏み出せた」ことを確信しましたね、ぼかあ!(いちおう断っておきますが「仏壇」はじょうだんですよ)
刑事を再び人生と向き合わせてくれたのは、神さまではなく悪魔だった。
不幸な過去と向き合うことができず、なんだかんだ言い訳しながらお酒に逃げていた自分自身の弱さを認めさせてくれたのも悪魔。
なんか超いいデビルじゃんか! 明日からデビル師匠とお呼びしたいレベル!

本作の悪魔は、刑事の他にもう一人、地獄に落とすつもりだったとある罪人を期せずして改心させてしまうのですが、これがまたあっぱれなまでの大岡裁きでして。
自分を取り繕い、嘘に嘘を重ねて生きる罪人は容赦なく魂を奪うクセに、その罪人が「ぼくが全部わるかったんです・・本当にすみません・・死んでお詫びします・・」と懺悔すると「な・・なによ・・!ホントは地獄に落とすつもりだったんだからね!」ととびきりのツンデレっぷりを発揮。
そのまま悪魔的お咎めはなし。あとは司法の手に委ねるという大岡裁き・・・ お・・お奉行さまー!!!
まるで仏さま神さまみたいな粋な事をやらかす悪魔に、月曜8時のナショナル劇場を見ているような安心感をおぼえたアガサなのでした。

この世に神さまはいないと思います。
神さまはあくまで自分の中に存在する「よきもの」であり、その存在を信じることで、心を強く保てたり迷いから抜け出すヒントを導き出せたりするのではないかと。
そして悪魔もまた自分の中に存在している。 
恐ろしいのは人間で、それを救うことが出来るのも人間なのですよね。
超常現象やこわい形相をした悪魔を使ってはいるものの、結局キリスト教のおしえ・・というか、シャマランさんやドゥードル兄弟が本作で伝えたいことはそれであり、「だからこそ、人はもっと人を信じ、自分自身をも信じようじゃないか」、と強く訴えかけられているような気がしました。
宗教臭くなんかない、ものすごく当たり前でたいせつな事なのではないかと。
わたしはきらいじゃないです。 こういうの。

やたらと評判のよくないシャマランさんの、“ザ・ナイト・クロニクルズ”プロジェクトですが、なんとか第二弾として予定に挙がっている『Reincarnate』も実現するといいですね。

以上、どっちかというと無神論者のアガサがお送りしました。


-おまけ-
・ 一連のお裁きの前に、信心の強そうな男のひとが転落死するのですが、あの人なんで飛び降りちゃったのでしょうかねぇ。 「やばい・・・悪魔くる・・!」と思ってしまったのでしょうか。 感じやすい人だったのかなぁ。

・ 理解力の高さゆえに悪魔の存在を察知する警備員さんが、食べかけの食パンをぽーんと投げて、ベチョっとジャム側から落ちたのを見届けてから「ほら!ほら!ね、ね、これ!こういうこと!」と大騒ぎするシーンがとてもおもしろかったです。 「ね! って言われても・・・」というポカーン顔の刑事さんもグっときた。

・ 妻子を亡くし、この前までアル中でリハビリしていた刑事さんが、職場復帰直後から検視官の女の子とべたべたしていたのはどうかと思う。 モテキか!

・ エレベーター内と下界をつなぐのは監視カメラとインターホンだけで、しかも会話は一方通行。という設定がとてもよかったです。 

・ その監視カメラに、「悪魔」として一瞬だけ邪悪なおじいちゃんみたいな顔が映ってしまうのですが、その後エレベーター内でのシーンで再び映る不審な姿はミイラ男みたいな包帯ぐるぐる状態だったのですよね・・・ 悪魔は一人じゃなかったって事なのか・・? おしえて!お奉行さまシャマランせんせい!


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『アイ・スピット・オン・ユア・グレイヴ』

2011年12月06日
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目には目を!歯には歯を!臀部には臀部を!!

あらすじ・・・
執筆活動に専念する為、田舎のコテージにやってきたうら若き女流作家が、自分を陵辱した、頭が悪くてイカ臭そうなカッペどもにそれ相応のお返しをします。


ある時は野蛮な殿方の欲望を満たす為、またある時は物騒な御婦人の溜飲を下げる為、数多くの「リベンジ・ムービー」が作られてきましたが、その中でも群を抜いて「エグい」とされるのは78年に制作された『発情アニマル(悪魔のえじき)』なのではないでしょうか。
そして今、容赦ない性的暴行描写や突き抜けた報復攻撃で、観客の股間を縮み上がらせ拳を振り上げらせた伝説の「リベンジ・ムービー」が、その舞台を現代に置き換えてスタイリッシュに再映像化!
ホントにね、そりゃもうスタイリッシュですよ! 
スタイリッシュすぎて、報復するヒロインなんて『リング』のサマラみたいになっちゃってますからね!
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(※ 「きっとクルー!!」状態のヒロイン)

「都会っ子」「美人」「お金持ち」「作家」という華々しいキーワードを身にまとうヒロインが、荒くれ者のカッペに言いがかりにも程があるような因縁をつけられ、「欲求不満の都会人はこってり調教してやんねえとな」とばかりに嬲られる前半のくだりは、時間をかけて一部始終を描いているだけにとても生々しく、エロに比重を置くのではなく、ねちねちとした言葉責めや小道具責め(代表例・マッチに火をつけて一本づつ投げつける)(←陰湿!)に徹している点も効果的で、なんというか、底なし沼にはまったような「終わりの見えない恐怖」を感じさせてくれます。
この地獄のような夜は、もう二度と明けないのではないか。
そんなヒロインの絶望がひしひしと伝わってくるようで、とても気分が悪かったです。(←そしてそれは映画として正解だと思います)
しかし一方、男根主義のクズ人間であるカッペたちの装いに今ひとつ「汚さ」を感じられなかったり、ヒロインが基本サラサラヘアだったりする点にはちょっぴりがっかりしてみたり。
「血まみれで萎えるぜ」と、男どもが吐き捨てた直後に映るヒロインの後ろ姿には、一滴の血も流れ落ちていないという・・・。 とても泥道で繰り返し陵辱されたとは思えないようなキレイなおしりだったという。
こういうのはほんとアカンと思います。
オールヌードで体当たり演技を披露している女優さんの苦労も水の泡ですよ。マジ台無しですよ。

嬲られ続けたたのち放心状態で川に飛び込み、その1ヵ月後に奇跡の生還を果たしたヒロインが報復攻撃を始める後半のくだりになると、事態はさらに「それはアカンわ・・・」状態となっており、瀕死のヒロインがいつ、どこで、どのようにして復讐の段取りを整えたのか全くわからないまま、再登場した時には既に無双状態。
見知らぬ田舎町を舞台に、圧倒的有利なポジションをキープしたまま、ずっとヒロインのターンが続きます。
「カッペがヒロインの急襲に遭い失神」 → 「拷問」 → 「ウギャー」 → 「カッペが失神」 → 「拷問」 → 「ウギャー」 の繰り返しで、大きな波乱が起こるコトもなく淡々と執り行われる復讐の儀式。
せっかくリベンジモノのセオリーにならって「雑魚キャラから」殺って行くにも関わらずですよ。
一番タチの悪い保安官ですら、後ろからポカンと殴られ失神して、ピタゴラ装置にセッティングされてギャーですからね! おまわりさんのくせにどんだけ隙だらけなんや!
これがもしもフランスの映画だったならば、途中でヒロインのセッティングが甘かったり不慮の事態が起こったりして、ラスボスによる反撃があっただろうになぁ・・・、と妄想が花開いてしまったアガサ。

いやだってね、彼女は毎回カッペの後ろから忍び寄り、ポカンと殴って失神させるのですが、百戦錬磨の人さらいでもあるまいに、そんな丁度いい力加減で人の頭って殴れるかァ?
とりあえずオレには無理だね! そんなもん「ポカン」とやったあとは神のみぞ知るですよ! ヘタしたら「冥土行き」だけど勘弁な!っつって心の中で全力謝罪ですって!
で、運良く失神してくれたからと言って、それが何時間続くのか・・というのもコレまた不明瞭な世界じゃないですか。
いつ目を覚ますかわからない状態で、えんやこらせーって山奥のコテージまで運んで、拷問装置に乗せて・・・ って無理だわー!こんな細腕モデル体型のモテカワ女子じゃ無理だわー! おーい、誰かちょっと北斗晶呼んできて!


これはあくまでアガサ独自の考え方なのですが、この種の「女性が性的暴行を受けて反撃する」ような映画は、とことん描き込まれていて欲しいのですよね。
なんだったら、観た事を後悔してしまう程のトラウマムービーであって欲しい。
なぜなら、実際の性的暴行そのものが、「誰かにとっての快楽」だけではすまないような最低最悪の悲劇だから。
そしてアガサは、性犯罪は殺人と同等に裁かれるべきだと思っています。
性的虐待や性的暴行は、人の命までは壊さないかもしれない。
けれど、人の心は完全に壊してしまうから。
性犯罪者に人権なんてないと思っていますし、どんな酷い目に遭ってもしょうがない。いや、そんな目に遭って欲しい。
だから、映画においても反撃はあっててしかるべきだと思いますし、その内容はとことん過激でとことん痛いものであって欲しい。
「虐待」も「報復」も、中途半端であって欲しくないのです。
そんな独自の目線で観ると、本作は肝心な所で遠慮していたり流行りのトーチャーポルノっぽさを取り入れている為に、全体的に「軽い」印象を受けてしまいました。
何を伝えたかったのか、薄ぼんやりとしてしまっている。 そんな気がしてならなかったです。
「加害者側の諸事情」も描こうとするなど、物語に奥行を持たせようとしている気合が伝わってきただけに、ホント残念だなぁ。

まぁ、そういう「鬱映画」ではなく、「べっぴんさんが強面の男どもをヒーヒー言わす」映画として観るならアリなのかもしれませんけどね。
なんだかんだ書きましたが、自分が受けた虐待をそのままアレンジした「目には目を、歯には歯を、ケツにはケツを」という工夫に富んだ報復攻撃はおもしろかったですし、この種の映画ではすっかりお約束となった「シャウエッセン切断の刑」もありましたしネ!
あと、やたらと「田舎だからさ・・・」とばかりにカッペ・ルサンチマンが全面に押し出されていましたが、男がアホで男根第一主義なのは都会も田舎も同じだと思いますので、そういう輩は等しく「ポークビッツ切断の刑」に処せられるといいと思うよ!

と、世の中の男性を敵に回した所で、今回の感想はお開きにしたいと思います。


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『悪魔を見た』

2011年08月21日
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あらすじ・・・
ある、雪の降る夜、ひとりの女性が姿を消した。 
数日後、人気の少ない川原で、人間の残骸が発見された。
その残骸を、その彼女を、全身全霊で愛していた男の前には、ただひとつの選択肢しかなかった。
愛した人が受けたであろう苦しみを、倍にして返す。たとえどんな手を使っても。

と、言う訳で、韓国国家情報院のすご腕捜査官であったその男が、使えるコネクションの全てを総動員してさっくりと真犯人へと辿り着き、にっくき殺人鬼をフルボッコにしたりおこづかいをあげたりフルボッコにしたり治療してあげたりフルボッコにしたりアキレス腱を切ったりフルにボッコにしたりする、エグさ満点の物語です。



「どこかのバカに殺される」事ほど理不尽なことが、他にあるだろうか。

何の落ち度もないのに、ただ一生懸命に生きてきただけなのに、「どこかのバカ」に偶然出会ってしまったが為に、耐え難いほどの恐怖を与えられ、命を奪われてしまう。
残された遺族は、耳にするだけで心がずたずたに引き裂かれるような言葉を聞き続けなければならない。
「どこかのバカ」にはとても命を大切にする弁護士がつき、とても参考になるアドバイスを与えてくれる。
愛する人の不在を受け入れる事を強いられるだけの人たちには、終わらない悪夢やとめどない涙があるのみ。
「どこかのバカ」は、時に未成年であったり、自身も幼少期につらい過去を経てきていたりする事があるので、あまり責めるのもどうか、という風潮が発生したりもする。
時が過ぎ、反省や謝罪の言葉を覚えた「どこかのバカ」は、数年の刑期を終え社会復帰する。
ひたすら耐えてきた人たちには、仕返しする権利など与えられるはずもなく、これから先も一生、がんばって、耐えて、乗り越えて、前を向いて歩いて行く事だけが求められる。

もしかしたら、そんな理不尽な仕打ちに逆らって、自らの手で「どこかのバカ」に報復する人も現われるかもしれない。

でも、最も理不尽なことに、もしも憎しみと怒りに身を任せ、「どこかのバカ」を思いつく限りの残虐非道なやり方で殺したとしても、愛した人は戻ってこない。
「どこかのバカ」にやられた事を、100回やり返したとしても、愛した人は二度と戻らない。理不尽なことに。

と、いうような、理不尽極まりない事柄がこってりと描かれていた『悪魔を見た』。
ただし、そこに見たのは悪魔そのものではなく、悪魔に踊らされた二人の男の姿だったような気がします。

ある日無残に殺されてしまった最愛の彼女。しかも、彼女のおなかには新たな命が芽生えていた。
国家を守る仕事に就きながら、一番大切な、たった一人の女性すら守る事が出来なかった主人公の苦悩は如何ばかりだったことか。
思うのですが、「復讐」とは、相手に対してだけではなく、何も出来なかった自分自身を痛めつける意味もあるのではないでしょうか。
<なぜ愛する人を守れなかったのか>
<愛する人が苦しみの最中呼んだ名前は自分だったはず>
<代わりに自分が死ねばよかったのではないか>
残された者が殺したいのは、相手だけではなく、無力な自分自身でもあるような気がしてならないのです。  
だから「復讐」を求める心は、誰にもとめられない。
愛が深ければ深いほど、きっと滅んでしまいたくなるから。

本作でも、引き返すべきターニングポイントが用意され、主人公の「復讐」の先に明るい光などない事が度々告げられます。
<相手を殺しても、死んだ人間は生き返らない>
<残された家族の事を考えて生きてゆくべき>
そんな言葉が主人公に投げかけられますが、彼はどうしても追撃の手を止めることができません。
たとえ地獄に堕ちる事がわかっていようと、犯人の息の根をとめるまでは決して止める事ができないのは、犯人の事と同じくらい、自分の事も許せないからなのではないでしょうか。
一番忌むべき存在の犯人と、徐々にその姿が重なって行く主人公。
そして彼は、犯人の命とともに、自分自身を破滅させ、「復讐」を完了させる・・。

『復讐者に憐れみを』、『オールド・ボーイ』、『親切なクムジャさん』、そして『悪魔を見た』。 
「復讐」が招く「理不尽な結末」を繰り返し繰り返し目にしてきた私は、一体なにを心に刻んだのだろう、と、ふと考え込んでしまいました。
「復讐なんてよした方がいい」 それは勿論そうですが。
「憎しみは新たな憎しみを生み出すだけ」 そんな事は百も承知ですが。
正論に頷く一方で、猟奇的なほほえみを浮かべて無力な女性に襲い掛かるチェ・ミンシクや、鍛え上げられた肉体と憂いに満ちた表情で犯人をフルボッコにするイ・ビョンホンを目の前に、「殺せ!殺せ!さっさと殺しちまえ!!」と猛り狂ってしまう私もまた、悪魔に踊らされている一人なのでしょうか。
結局、これらの映画によって曝け出されたのは、「私の中にも悪魔がいる」という事であり、「でも、しょうがないじゃない」という諦めに似た気持ちなのかもしれません。
どこかのバカを前に「赦す」のが天使で「赦さない」のが悪魔なんだったら、私はもう、悪魔でいいかな、と思う。 残念な結論で申し訳ないですが。

と言う事で、スクリーン(モニター)の中と外の双方で、人間のドロドロとした面をこれでもかと浮き彫りにしてしまう、非常にいじわるな映画だった本作。
ちなみに、血も涙もない純粋悪のように見える犯人にも、虐待された過去があるのではないかと思わせるようなカット(※犯人の実家に年季のはいった血まみれバットが転がっている)が用意されており、これらは負の連鎖による不幸な事件だったのだ、と思えなくもない描写を盛り込んであるという、念の入ったいじわるっぷりも味わえますので、鑑賞後はなんかもう畳に転がって小一時間うんうん唸りたくなってしまう事請け合いです。
「復讐」の有り無しを問うのではなく、「人間ってこういうもんなんだよ」というバツの悪い事実を正面から突きつける正直な作品。
後味はよくないですが、とても見応えのある素晴らしい作品だと思いました。


― 追記 ―

・ 美麗なファッソンの凄腕捜査員イ・ビョンホンが「ここぞ!」というタイミングではなくいつもワンテンポ遅れた状態で飛び込んでくるのが、モンティパイソンの『スペインの宗教裁判』ネタみたいでおもしろかったです。  ていうかもっと早く止めに入れよ。

・ 超凄腕の捜査官なのに、「ひっひっひ・・あの被害者の家はたしか〇〇町だったな・・・」と嘯くチェ・ミンシクに対しなんの手も打たないとは如何なものか。 

・ で、案の定チェ・ミンシクが被害者宅に向かっている事が判明し、慌てて被害者宅に電話を入れるものの案の定繋がらない凄腕捜査員。  おっそ!電話おっそ!!!

・ チェ・ミンシクのゲスいお友達には愛人(情婦?)がいるのですが、彼女のキャラの背景がすごく気になりました。 猟奇殺人を続ける男と行動をともにする彼女は、もしかしたらどこかでさらわれてきた被害者の一人なのか。ストックホルム症候群を発症してしまった果ての姿なのか・・。 

・ 世の中に「仕返しされ顔選手権」というものがあったとするならば、ダントツで優勝しそうなチェ・ミンシクの不遜な表情。 もうね、これは仕返しされてもしょうがない顔ですよね。 被害を被ってなくても仕返ししたくなる顔。(←理不尽)

・ イ・ビョンホンの後輩捜査員が尊敬する凄腕捜査員に向ける熱いまなざしを、アガサは見逃さなかった!!!!

・ 尊敬するイ・ビョンホンの言いなりになって、GPSを盗み出したり闇病院を用意したりする後輩捜査員。 恋だな!それはきっと恋なんだな!!  そういうことにしておいてください!!


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『下女』

2011年01月05日
下女1
おんなこわいよ!!

あらすじ・・・
ピアノ教師のトンシクは、縫製工場の合唱部を指導して生計をたてているナイスミドル。
10年間に及ぶ地道な勤労と献身的な妻による内職が実を結び、ついに念願のマイホームを建てることになった。
そんなある日、長年の内職疲れから妻が倒れた為、懇意にしていた女工に家政婦を探してくれるよう依頼。
家事を家政婦さんに任せ、しばらくの間、妻を実家に帰すことにしたのだが・・・。


男は偉い。 女はそれにかしずくもの。
そんな古きよき男性上位家庭に乱入してきたスーパー家政婦さんによって、キレイに整列していたハズの縦割り社会がぐちゃぐちゃと入れ替わり、不穏な雷鳴と共に壊れてゆく様を、抜群の間合いと緊張感溢れるカメラワークで描き出した傑作。
1960年の作品ですが、登場する人物たちは現代でも全く違和感なく受け入れられるような普遍的なダメ人間であり、自己愛精神の強いキャラクターですので、鑑賞中は自分の中の都合の悪い部分をグイグイと抉られながら、心地よい責め苦を味わうコトが出来るのではないでしょうか。


おうちに来た時から、“下女”として蔑みの目線で見つめられる家政婦さん。
なんと、まだ齢9歳くらいのちびっこまで「おい女!水もってこいよ!」と社長クラスの上から目線で指示しているという驚きの縦社会。 おとうさん、おかあさん、あなた方何か間違ってますよ。
そして、最初の頃こそ、ある程度従順に自分の務めを果していた家政婦さんは、妻が実家に帰ったのをきっかけに本領を発揮し始める。
別件で意気消沈状態の旦那さまの前で、シャツをはらりとずらして無垢な背中を丸出しにする家政婦さん。
誘蛾灯に引き寄せられる虫のようにふらふらと吸い寄せられ、つい乳を揉んでしまう旦那さま。
もんだらあかん! ギリでつまむ程度にしとかなあかんやないか・・・!!

走り出したリビドーは、ここまで来たらもう止まりません。
結局、家政婦さんと一夜を共にしてしまった旦那さま。
男にしてみれば一度きりの過ち、いや、ほら、なんつうか、勢いっていうか、うっかりっていうか、あるじゃん、そういうの。という感じの“忘れ去りたい昨日”なのですが、身寄りの無い、孤独な家政婦さんにとっては“永遠の一日”であり、“輝けるラブラブ生活のスタート”だったからさあ大変。
妻がまだまだ帰ってこないコトをいいことに、「ダーリン」「あなた」「あたしにもピアノ教えてちょうだいよ」と甘えんぼ大作戦が始まってしまいます。
こわいです。 一つ屋根の下という限定された空間で逃げ場はゼロ。 しかも、相手はこの時点で既に、場の空気を読む気持ちゼロ。  そうだった。おまえはいつも、全力野球だったよ。 夢にときめけ!明日にきらめけ!!

一方、旦那さまはと言うと、そんな家政婦さんのテンションに狼狽しつつも、まだまだ「雇い主であるオレの方がえらい」という意識があるのか、強気の姿勢を崩さず徹底抗戦。
マジでおまえ、そういうコトばっかしてたら、ペットのうさぎを釜茹でにされちゃうよ。

で、一見泥沼地獄真っ只中のように見えますが、コレはまだまだ前哨戦。
本妻が帰宅した事で、闘いは一気に地上戦へと突入です。
実家で休養していた本妻は、実は妊娠中でして、出産日を間近に控えておりました。
そしてなんと、家政婦さんの方も、たった一回開催されただけの夜の大運動会で、見事結実していた事が発覚。
それを知らされた旦那さまは、当然のことながら顔面蒼白です。  白黒映画ですが蒼白かったです。間違いない。
家政婦さんに「あたし産みますから」と宣言されて、悩みに悩んだ挙句、本妻に打ち明ける事を選択する正直な旦那さま。
本妻は怒った。
家政婦は見た。(それを)
信頼して尽くして来た夫の裏切りを知った妻は、夫に三行半を叩きつけ・・・ると思ったのも束の間、自ら家政婦さんを説得する事を宣言いたします。 まあね、女の気持ちは女が一番わかるでしょうしね、なんと申しましても妊婦同士な訳ですしね、ここはひとつ腹を割って話し合えば赤ちゃんの一人や二人なんとかならないよね! 
「そこに階段がある・・あとは・・わ か る よ な ?」みたいな? 暗黙の了解?みたいな? わかった、わかったからふたりとも一回落ち着こう!



本妻はとにかく、“家”を守ることしか頭にないのですよね。
やっと建てることが出来た自分たちの“家”。 
大きく立派な“家”。 
夫や子どもという個々の存在ではなく、“家”というその“カタチ”を守りたい。
そのためなら、どんな手段も犠牲も厭わないという。 もはや狂気としか思えないような願いに突き動かされている。
一方家政婦さんは、やっと見つけた自分の居場所を守りたい、その一心しかありません。
きっと彼女は、誰かと本気で愛し合ったことがないのだろうなぁ、と思うのです。
誰かに必要とされたり、信頼されたりしたことは無かったのではないか、と。
そんな自分を初めて抱いてくれた人、求めてくれた人を、絶対手放したくないと思った。
そのためなら、どんなに傷付いてもどんなに傷つけても構わないと思ったのではないでしょうか。


どちらのおんなも、何かに取り憑かれたように、自分たちの“ホーム(家、居場所)”を守ろうとする。
そこに、「誰かの思い」なんて入り込む余地はありません。 
もしかしたら、自分の気持ちすら見捨てているのかもしれない。
だって、守ろうとすればするほど、人としての尊厳を無くしてしまっているから。 本当は諦めてしまった方が気持ちも楽にきまってる。でも引かない。
なぜそこまで? と言いたくなるほど、何もかもを犠牲にしながら突き進むおんなたち。 

本作には、こわい本妻とこわい家政婦さんの他にも、こわい女工さんやこわい少女も登場し、ひたすらじっとりとした目つきで主人公の男性(旦那さま)を見つめるという、なんかもうおんなに恨みがあるとしか思えないようなヒドいキャラ設定を与えられています。
こわい女工さんなんて、旦那さまに片想いしていたもののそれが叶わないと判った途端、ブラウスを自ら引きちぎり「抱いてくれないんだったら、襲われたってみんなに言いふらしてやるからね!」と高らかに自作自演宣言ですからね。 なんやその一か八かの賭け的なアレは。 おまえは勝負師か。 根っからの博打打ちか。

で、それとは反対に、主人公の男性(旦那さま)は、とことん誠実で、妻に尽くし、娘に優しく、女工さんには公平というとても“正しい”人として描かれているのが印象的。
浮気はほんの出来心で、本当は妻を愛し、妻以外眼中にない旦那さま。(※自称)
諸事情から、妻とひとつ屋根の下で家政婦さんを抱かざるを得なくなり、挙句には体を家政婦さんに捧げる事を余儀なくされてしまうのですが、その際も「体は家政婦さんに与えるが、魂までは渡さない」、みたいな意気込みを語る旦那さま。 なんやその精神論でエロ行為をなんとか正当化してやろうという姑息な言い回しは。 どうせみんなに言ってるくせに!どうせ寝たおんな全員に言ってるくせに!!(妻を抱いているが心はおまえ、的な感じで)

というコトで、おんなはこわい生き物として、おとこは誠実な生き物として、かなり極端に描かれている本作なのですが、実はそう描けば描くほど、逆におんなのか弱さや果敢なさが引き立ち、おとこの狡さや優柔不断さが浮き上がってしまっているのですよね。
自分は弱い存在だからこそ、なんとかひとつのモノだけは守りたい。 
そんなおんなたちの形振り構わぬ姿に、胸が締め付けられました。
それに比べておとこの下衆い事と言ったら。
「あー、モテたくなんてなかったのになー。マジ不本意だわー」って言いながらも乳揉んじゃってますからね。 説得力ないから! 下衆!おまえホント下衆!!

誰かを自分のものにしたい、という気持ちは、要は自分が満たされたい、というコトだけなのですよね。
むき出しにされた人間の欲望。 自分自身にもコントロールできない程の貪欲な感情。
どうしようもなく憐れで、どうしようもなく愚かな私たちの姿が否応無く重なってしまう、とても素晴らしい作品でした。
国内版は出ていないようですが、日本語字幕つきの韓国版を手に入れるコトは出来るようですので、興味のある方は是非いかがでしょうか。
衝撃すぎて書けないラストも必見ですよ。


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