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『ジュラシック・ワールド』(シリーズ4作目)

2015年10月21日
jurassic world

【一行あらすじ】
大金持ちのインド企業家が恐竜のテーマパークを作って大失敗します。


【舞台】
ヌブラル島(コスタリカの西 約200km)


【主な登場人物】
オーウェン・・・恐竜公園の管理人。 元軍人かつ恐竜行動学のエキスパート。 ヴェロキラプトルを絶賛しつけ中
クレアおばさん・・・恐竜公園の管理責任者。 オーウェンとは一度だけデートした仲。 姉の子どもを恐竜公園に招いてイイトコみせようと目論むも、漂うのは大失敗の予兆のみ
グレイ・・・クレアおばさんの甥っ子。 恐竜大好き。 両親の離婚危機にドギー&マギー
ザック・・・クレアおばさんのクリームシチュー。 グレイの兄。 両親の離婚危機にうんざり顔。 車のことならおまかせボーイ
マスラニ社長・・・いわくがつきまくりのインジェン社を買収する奇特な億万長者。 失敗するから。絶対失敗するから。 ヘリコプターのことならおまかせジェントルマン
バリー・・・オーウェンのマブダチ。 ヴェロキラプトルの調教師。 恐竜行動学を心得ているはずだけど、やってることはもっぱら公園内をウロウロのみ
ホスキンス・・・恐竜公園のセキュリティ担当者。 とみせかけて、実はインジェン社の密偵
ヘンリー・ウー博士・・・1作目にも登場したインジェン社お抱えの遺伝子学者。 性懲りもなく適当な生物の遺伝子を恐竜のDNAに組み込んで、とんでもねえハイブリッド恐竜を作ります
ロウリー・・・恐竜公園のシステム担当者。 今は亡きハモンド社長が作ろうとして大失敗したジュラシック・パークの大ファン。 念願かなって恐竜公園に就職。 よかったね! あと、童貞だよね!
ヴィヴィ・・・恐竜公園のシステム担当者。 主に泣いています。 彼氏がいるのでロウリーとは付き合えません。 そのくだりいるか?


【主な登場恐竜】
ガリミムス・・・瞬足のやつ。 かぎりなくダチョウっぽいやつ。 草食うやつ
ステゴサウルス・・・背中が健康遊歩道の激しいバージョンみたいなやつ
アンキロサウルス・・・尻尾が鈍器のやつ
アパトサウルス・・・草食うやつ。 超ヘビー級のやつ。 a.k.a.ブロントサウルス・インダハウス
プテラノドン・・・滑空するやつ。 そで下がジュディ・オングの流れをくむやつ
ヴェロキラプトル・・・チームで狩りをするやつ。 超あたまがいいやつ
ティラノサウルス・レックス・・・咀嚼力バツグンのやつ。 お刺身に添えられた菊のように控えめな前脚がチャームポイントのやつ
インドミナス・レックス・・・遺伝子操作により生み出された新種のやつ。 せっかくの肉を食わずにいじって遊ぶだけという、カミカミ期の幼児みたいなことをするやつ
モササウルス・・・水に棲むやつ。 ワニとお魚のニコイチみたいなやつ


【たべられたみなさん】
裏切り者のホスキンスさん・・・裏切るからだよ!
インドミナスの監視員のおじさん・・・インドミナス担当っていう時点でご臨終感半端ない
インドミナスの作業員のおじさん・・・インドミナス担当っていう時点で(略
セキュリティ担当のハマダさん・・・主戦場はインドミナスの足の裏
セキュリティ担当のクレイグさん・・・インドミナスに背中をへし折られスナックと化する
セキュリティ担当のクーパーさん・・・負傷した仲間を守るためインドミナスに果敢に立ち向かうもお腹の中へダイレクトイン
セキュリティ担当のリーさん・・・インドミナスのおやつと化する
セキュリティ担当のミラーさん・・・インドミナスの軽食と化する
セキュリティ担当のスピアーズさん・・・インドミナスのおつまみと化する
ヘリの副操縦士さん・・・プテラノドンのくちばしで胸を一突き
ヘリの射撃手さん・・・プテラノドンに弄ばれる
インジェン社の兵士(10人程度)・・・ラプター用の夜食
クレアの秘書・・・クレアに子守を押し付けられるわ、プテラノドンにつままれるわ、モササウルスに食われるわ、災難続きです


【落下したひと】
マスラニ社長・・・ヘリの操縦に自信あり(落ちないとは言ってない)

【今回の推しメン】
インドミナス・レックスとラプトルとやっぱりみんなだいすきTレックス


【思い出写真館】
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すべての元凶ひげじいさんが銅像で登場!


【補足】
・ 超巨大企業インジェン社も、さすがにあれだけの大惨事を引き起こしたら潰れますわなぁ!
・ という訳で、虫の息だったインジェン社を買い取ったマスラニ社が、ハモンド社長の遺志を継ぎ、装いも新たにジュラシック・パークを新装開店!
・ しかもまたもや遺伝子をいじって、恐竜をより賢くしたりより強くしたりするマスラニ社
・ しかも遺伝子やら種類やらを掛け合わせて、最強恐竜まで作り出しちゃうマスラニ社。 もちろん肉食うやつです!
・ おまえはアホか、アホなのか
・ 一方、買収されたインジェン社も負けてはいません
・ 失敗を繰り返すたびにアホっぽさがレベルアップしているインジェン社。 なんと今回は、マスラニ社の資金力と開発力を利用し、恐竜を生物兵器に変身させようと企てます!
・ 言うことを聞かせるのに手間もヒマもかかりすぎる恐竜より、無人偵察機や攻撃用ドローンなんかを開発する方がよっぽどか効率的だし低コストだと思うんですけど、インジェン社のえらい人はどうしちゃったのかなー?脳みそのかわりにホイップクリームでも詰まってるのかなー?どうなのかなー?
・ 銃弾もロケットランチャーも効かないぐらい強い恐竜に四苦八苦するマスラニ社と、全然言うこと聞いてくれないラプターに四苦八苦するインジェン社。 2万人の来園者のみなさん、本当にお気の毒さまでした! まぁあの、アレだ、訴訟しようぜ!
・ シリーズ1作目を超リスペクトしている本作。 ちょっと気を遣いすぎなんじゃないの?というかスピルバーグ先生におもねりすぎなんじゃないの?という印象すら漂う程のリスペクトっぷりでした
・ お馴染みのテーマ曲、「するな」ということを絶対にする子ども、なんかつったらカエルの遺伝子を混ぜ込んじゃう博士、DNAくん、旧パークのレストランの壁画、発煙筒などなど、「ほらほら、原点に戻りましたよー!」と両手を広げて満面の笑みを浮かべている感じ、きらいじゃないです
・ そのかわり、3作目に出てきた「ラプターの鳴き声が再現できる骨模型」は完全スルーでしたけどね! しょうがないよね! 今回の主役は1作目だもんね!
・ 遺伝子をいじられて、1作目に出ていたタイプよりもちょこっとお利巧になっていたラプトルたちと、クリス・プラットさんのふれあいがとてもステキでした。 きっとこの映画は、「人間と恐竜(ラプトル)はわかりあえるのか」という点とクライマックスの「恐竜大戦争」のためだけにあるのだろうと思います。 そして、そこが大成功しているので、それでいいのだと思います
・ ただ、わたしの好みを言わせていただくと、「パーク内の2万人近いお客さんを恐竜が襲う」という、シリーズ史上最大の虐殺絵巻が繰り広げられる可能性をちらつかせておきながら、せいぜいプテラノドンが逃げ惑うおっさんおばさんをつまんで落とす程度で、全く血のシャワーが噴き出さないというのはね、一体どういうことなのか、と
・ そうですよね、レイティングですよね。 わかりますよ、そりゃわかってますよ。 でもね、予告を観た時に感じた「おっ!恐竜のごはんがいっぱい!」というワクワク感がね・・・ くやしいのう・・くやしいのう・・・
・ 今回、カエルだのラプターだのの遺伝子を掛け合わせた最強恐竜を登場させたのはなぜですか? もちろん、人間を襲うためじゃないですか! オレはもっとこう、ファミリー向け映画にあるまじき阿鼻叫喚が観たいんだよ・・・!
・ というわけで、少々歪んだ嗜好をもつわたしにはモヤモヤの残る内容となっていたのですが、恐竜バトル部分に関しては非の打ち所もございませんので、心からの拍手でもってシリーズの復活を祝いたいと思います!



関連感想
『ジュラシック・パーク』シリーズ3作まとめ




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9月に観た映画詰め合わせ 『カリフォルニア・ダウン』『アントマン』『ピクセル』

2015年10月14日
『カルフォルニア・ダウン』
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あらすじ・・・
妻から三行半を叩きつけられたお父さんが娘への想いだけを原動力に不可能を可能にします。


・ 小難しい説明や状況説明は極力省き、ひたすらにアメリカ西海岸を破壊する鬼畜ストーリー。

・ わたしはいわゆる「ディザスタームービー」がとても好きで、エメリッヒ監督の『2012』なんかはそれをおかずに白飯がパクパク頂けちゃうようなタイプなのですが、やはり東日本大震災以降にこの手のパニック映画を観る時は、なんとなく心がざわつくというか、もちろん虚構と現実は別物なのですが、映像がリアルであればあるほど、心臓を冷たい手で触られたような感覚になることがありまして、本作でもあまりにすさまじい崩壊の描写に喉が詰まってしまった瞬間がありました。

・ まぁ、最後まで観てみると、そんな気持ちが吹き飛んでしまう・・というか意味なく思えるほど荒唐無稽な「父ちゃんSUGEE」伝説のてんこ盛りムービーでもあったのですけどね。

・ 妻と二人の娘に囲まれ幸せいっぱいの生活を送っていたすご腕レスキュー隊員の父ちゃん(ザ・ロック様)は、数年前自分が誘った急流下りの最中に起きた水難事故で娘のひとりを亡くしてしまい、それ以来罪悪感から妻に対し心を閉ざしてしまっていました。 妻はそんな父ちゃんと一緒にいることに耐えられなくなり、離婚を決意。 今は大手ゼネコンの社長と絶賛同棲中です。

・ 残されたもう一人の娘はというと、いまだに父ちゃん大好きっ子で両親の復縁を密かに願い続けているのですが、新しい彼氏との新生活にワクワクしている母にも、毎日救助活動で忙しくしている父にも無茶な要求は出来ず、大人たちの微妙なやりとりを静観する日々。 子の心親知らず。

・ そんな中、ロサンゼルスから東に約400キロのフーバーダム付近で巨大地震が発生します。 早速ヘリで救助に向かおうとする父ちゃん。 一方娘と母ちゃんは彼氏が経営する会社のビルがあるサンフランシスコにお出かけ中。  

・ まずは父ちゃんがラスベガスでじゃんじゃん人助けに奔走するんだろうなぁ・・・ と思いきや、移動の途中で新たな巨大地震が発生し、なんと娘と母ちゃんが絶体絶命の状態に陥ってしまいます。 

・ 思ってた。 たぶんそんなこったろうと思ってた。

・ で、それぞれが父ちゃんの携帯にSOSの電話をかけてくるもんだから、父ちゃんは職場放棄して華麗に家族の救出へGO! 物わかりのいい上司でよかったね!

・ この、父ちゃんが家族と自分の人生を再生させるに至るための装置が「地震」であり「津波」なので、他の人の人生なんて塵ほどの重みもない! 潔い! この切り捨て方、逆に潔い!

・ とにかく父ちゃんも母ちゃんも娘さんも娘さんのお友達もみんなSUGEEE! 彼らが選ぶ道は全て「解放」と「救済」というゴールへと続き、彼ら以外の人間が選ぶ道はだいたいビルに押しつぶされるか津波に流されますからね! こわい!この一家、逆にこわい!

・ 母ちゃんが指し示す方角とは逆のドアを開けた女性(恋人のお姉さん)は、崩壊しかけていたビルから転落死。 母ちゃんが誘導しようとしたのとは逆の方向に逃げた店員は、たぶんビルのがれきに押しつぶされて圧死。 娘さんが閉じ込められていた地下駐車場の天井は、崩落しそうでしなさそうで結局しないので、脱出後はビルから逃げてきた人たちに悠々合流。 で、どれだけビルが崩れてきても娘さんとそのお連れの方々には直撃しない代わりに、じゃんじゃん潰される群衆。 ヘリが墜落しても、次から次へと代わりの乗り物をゲットする父ちゃんと母ちゃん。 超でっかい津波が来てもボートで波のてっぺんまで登っちゃいます。 馬力どんだけやねん。 もちろん、その他のボート班のみなさんは登っている途中で続々落下ですよ。 避難所目指してサンフランシスコの街中を進んでいた人たちも、いちいち描かれすらしませんでしたが、あの津波だったらひとたまりもないと思います。 どうですか。 鬼畜でしょう。 もう一度言いますが、なにせ塵ほどの重みもないですからね! 

・ ビルを越え、津波を登り、やっとこさ娘の居場所に辿り着く父ちゃんでしたが、彼女は水の中に閉じ込められておりどうしても助け出すことができない。  父ちゃんの脳裏に、以前娘を亡くした時のつらい光景がよみがえる・・・。

・ その後、なんとか娘を救出できたものの、懸命の人工呼吸もむなしく呼びかけに応えてくれない娘の身体。 しかし安心してください、結局はいていますよ。(水を)

・ 一度は救えなかった命を救った父ちゃん。 アメリカを訪れていた外国(イギリス)人の命も救う父ちゃん。 壊滅的な被害を受けた街を前に、「壊れたなら、もう一度作ればいい」と復活を宣言する父ちゃん。 父ちゃんの姿はなんど苦境に突き落されても立ち上がるアメリカそのものなのかもしれない・・・!

・ しょうじき、ぼかぁもうおなかいっぱいです!

・ ちなみに母ちゃんの恋人で役職は高いけど人としては下の下というダニエル氏を演じていたのは2005年版『ファンタスティック・フォー』で伸びる人に扮していたヨアン・グリフィズさん。 意外と伸びなかった!(色んな意味で)

・ ジアマッティかわいいよジアマッティ!

・ おそろしいほどスピード重視の展開だったのですが、「データー取りにフーバーダムいくで!」 からの 「地震前に起きる周波出たで!」 → 「こりゃ地震予知出来るで!」 ← 「予知もなにもすぐ震度7きたで!」 までの無駄のなさが特にすばらしかったですね。 ストーリーがむちゃくちゃであればあるほど、有無を言わさぬ勢いって大事なんだなぁ。



『アントマン』
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あらすじ・・・
妻から三行半を叩きつけられたお父さんが娘への想いだけを原動力に不可能を可能にします。 あと、負け組のレッテルを貼られた人たちが特技を活かしてでっかい敵に立ち向かいます。


・ この博士がひどい!

・ 【ひどさ その1】 娘と会話しない

・ 若かりし頃、妻と共にシールドのメンバーだったピム博士。 活躍中のある日、なんやかんやでソビエト連邦がアメリカに向け大陸弾道ミサイルを発射してしまいました。 博士は自ら開発したアントマンスーツを着込み、ミサイルを墜落させようとしましたが、アリサイズのスーツではミサイルの内部に入り込むことができません。 このままではミサイルがアメリカに到達してしまう・・・ その時、妻は自らのサイズ調節つまみを壊し、体を量子サイズまで縮小させることでミサイル内へ潜入。 第三次世界大戦の危機は回避できたものの、彼女の身体は永久に縮み続けることを余儀なくされ、ついにはそのまま宇宙の藻屑となってしまったのでした。

・ つまり、「お母さんはアメリカを救うため、大規模な戦争が起こるのを防ぐため、自らを犠牲にした」んですよね。 英雄ですよ。 二度と会えないことは哀しいけれど、無駄な死って訳でもないし、そこは教えてあげればいいじゃない。 きちんと説明してあげればいいじゃない。

・ ところが博士は一番大事なそこを省いちゃうんですよね。 「お母さんは飛行機事故で死んじゃった」ってモロバレな嘘をついてしまうんです。 なぜなら、本当のことを話すことでたったひとりの愛娘まで「かあちゃんスゲーうちもそれやるー」ってなったら困るから。 なにせ自分たちに似て正義感も我も強いタイプだし。

・ で、省かれた娘はというと、かなり早い段階で父親のウソを見抜き、「結局のところなぜ母は死んだのか」「なぜ父は本当のことを自分に教えてくれないのか」「父にとって自分は信用ならない存在なのか」「頼りにもならない存在なのか」「父にとってたいせつなのは研究(スーツ)だけなのではないか」などなど各種猜疑心にさいなまれつつ育つ羽目に。 

・ 娘にまでスーツを着させて危険なミッションをさせたくない、という親心はわかりますが、会話は省いちゃいけませんよね。そこ省いてもなんもいいことないですよ。 娘の「知る権利」や「将来を選択する権利」より、自分が再び傷つきたくないって願望だけ優先しちゃう父ちゃんを、同じ親として是非反面教師に採用したい!

・ 【ひどさ その2】 息子の替わりを作る

・ 娘に本当のことを言えない博士は、そのモヤモヤを晴らすかのように、娘みたいに血が繋がって愛着のある子ではなく、自分が後腐れなく育てられる疑似息子のような存在を作ろうと思い立ちます。

・ そんな折、若い頃の自分を思い起こさせるような才能ある青年を見つけた博士。 渡りに船とばかりに、自社の跡継ぎとしてスカウトします。 これがのちにイエロージャケットを開発して謀反をこころみることになるダレンさんです。

・ 見立て通りメキメキと頭角を現してくるダレンさん。 会社の経営面でも技術の開発面でも超グイグイきて、博士なんだかちょっとダレンさんのことがウザくなってきちゃいます。 青年が胸に秘める野心は成長を促す燃料となるが、同時に功を焦って暴走してしまう危険性もある・・・。  ・・・かいつまんでいうと、青年の野心が暑苦しく思えてきた博士。 しょうじき嫉妬もあったんじゃねえの、とわしは思う。

・ そこで博士は自分の一番の発明であるピム粒子やアントマンスーツをなかったこととして、その存在をダレンさんにひた隠したり秘密にしたり蚊帳の外に置いたりないがしろにしたり、要するに知らぬ顔を決め込んでしまいます。

・ で、のけものにされたダレンさんはというと、かなり早い段階で博士のウソを見抜き、「結局のところ自分は博士から信用されていないのではないか」「なぜ博士は本当のことを自分に教えてくれないのか」「自分は博士から疎ましく思われているのではないか」「頼りにもならない存在なのか」「博士にとってたいせつなのは研究(スーツ)だけなのではないか」などなど各種猜疑心にさいなまれつつ育つ羽目に。

・ あれ・・これさっきもどっかで観たよ・・・!

・ 博士(父)に認められらたくて研究に打ち込み、博士(父)を越えるために悪党に魂を売り渡すことを決意したハゲかわいそう。

・ 【ひどさ その3】 ムシは使い捨て要員

・ だってムシだから。

・ 「小さくてパワフルで賢くて飛んだり浮いたりできるアリンコって、超便利な兵隊じゃね?」 ・・・ということで大量のアリンコを脳波でコントロールして任務を与える博士。

・ 最悪何匹か潰されても、なあに、代わりなら庭にいくらでもいるさ!(博士の心の声)

・ 謝れ!アントニーに謝れ!!

・ 【ひどさ その4】 娘以外なら犠牲にしてもいっか的なアレ

・ 大事な娘にスーツを与えて、みすみす危険なミッションに送り出す訳にはいかない。 そこで博士は、「理系の知識に優れて」いて、「義侠心」があって、「人の親だから情にも厚く」て、「フットワークが軽め」で、なおかつ「人生どんづまりであとがな」さそうなスコットをスカウト。 

・ スコットが自らの意志で博士の邸宅に盗みに入るよう、すべて先回りしてセッティング。 難解なセキュリティシステムをどのようにクリアするかを別室でモニタリングしつつ、最終的にはアントマンスーツを着るという選択肢以外選べないトコまで追い込む算段です。

・ この博士はかわいい顔してわりとやる博士やで・・! 

・ そもそも、博士が妻を亡くした時点で娘さんと真摯に向き合い、妻(母)の死について、自分にとって娘がどれだけ大切な存在かということについて、きっちり話し合っていればこんなややこしいことにはなっていなかったと思いますし、ダレンさんに関しても、スーツがはらむ可能性についてもっと早く共通理解をはかっていれば、暴走して物騒な機能のついた自己流スーツを開発することもなかったのではないでしょうか。

・ もっとハゲの能力を正当に評価してあげて・・・ 彼は褒められると伸びるタイプなんです・・たぶん・・・

・ 開発に関することもそうですけど、もっとこう、世の中のために出来ることというか、「自分たちが開発しうる技術は正義のために使えばいいものだけど、悪に手渡せば地球を滅ぼしかねない」っていう倫理観みたいなものも教えてあげればよかったんじゃないですかね。 ダレンさん、家族いなさそうだし、寂しかったんじゃないかな・・・。 やっと理想の父親的存在に出会え、しかも息子のようにかわいがられてその気にさせられたのに、さっさと梯子を外されるダレンさんかわいそう。

・ ブラックホールマシンみたいなのくっつけられてどっか消えちゃったダレンさんが、量子の世界で博士の奥さんに出会い一緒にこの世にカムバックしてまたひと悶着!みたいな話があっても、オレはいいと思う。

・ ということで、父ちゃん(博士)は毒親でしたが、ここのところ陰惨な空気になりがちだったMCU界に舞い降りた「とにかく明るいマーベルヒーロー」像はとても新鮮でたいへんおもしろかったです。

・ 前科持ちだけど義賊だからアリ!っていう居直り方もすごいし、そんなスコットを演じているポール・ラッドさんの全身から滲み出る「お人よし」感もすごい! あと、スコットのちょいワルな仲間たち! 再婚モノでは珍しい「いい義父」のおまわりさん! MCU作品は他のものもそうなんですけど、キャスティングやキャラクターの設定が本当に絶妙だと思います。

・ 子ども部屋を使った闘いも超たのしかった! 予告で使われていたトーマス脱線のシーンの膨らませ方もうまい! 細かいところまで手と気を抜かないってこういうことなんですよね!

・ バ・・・バッキーちゃん!!

・ まったく思いもよらないところからのバッキーちゃん登場に、本編以上に興奮してしまったことをご報告させて頂きます。 おお・・・なんという・・・・


『ピクセル』
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あらすじ・・・
負け組のレッテルを貼られた人たちが特技を活かしてでっかい敵に立ち向かいます。

・ 小学校の頃なら神のごとくチヤホヤされる「特技・ゲーム」も、大人になったら話のとっかりり程度にしかならないのか。 そんな「過去は輝いていたけど今はなんとなくくすぶってる」大人たちの大人たちによる大人たちの為のミラクルストーリー。 それが『ピクセル』です。

・ とにかくね、主人公はゲームしか能がないんですよ。 それも今のゲームではなく、もっぱら昭和のアーケードゲーム。 子どもに自慢しても「ふーん」と流されるような特技なんです。 それが世界を救うんだからもうさいこうですよ!

・ でも、実は本作でもっとさいこうなのは、ゲームにうつつをぬかし続け、女の子からも(ゲーセン以外では)見向きもされなったオタク三人衆の中の一人が、アメリカ大統領になっているというこの世界なんですよね!

・ 難しい単語が読めなくて記者にバカにされたり、世界の非常事態だってのに嫁とイチャイチャしている所をすっぱ抜かれたり、なんかっつったら友達をホワイトハウスに呼んじゃったり、一体どんな経歴をへてアメリカの最高権力者へ登りつめたのかさっぱりわからないへっぽこ大統領! いいなぁ!わしもこんな友達ほしい! 

・ 映画に登場する大統領って、たいがいいかにも「出来る人」が演じているじゃないですか。 まあね、ワールドポリスアメリカのリーダーですものね、そりゃピリっとしたキャスティングになりますよね。 でもこの映画の世界では、「オレら」と地続きの誰かがアメリカ大統領なんですよ。 特別じゃない、欠点だらけで、幼馴染とつるんでクダ巻くのがだいすきで、権力を手にしてもなにも変わらない男が大統領。 もうこの時点で、この世界は夢と希望に満ち溢れているではありませんか・・・!

・ てコトで、頭のてっぺんから尻尾の先まで超大甘なアンコがみっちり詰まった『ピクセル』。 わたしが好きにならないわけもなく、また、一緒に観に行ったちびっこたちもその毒気の無さを大いに気に入ったようで、とても愉快な1時間45分となったのでした。

・ ゲームがふんだんに使われていましたが、マニアックなネタを理解できる人たちだけではなく、登場するゲームの中では「パックマン」と「ドンキーコング」と「テトリス」ぐらいしか知らないようなわたしでも、何の問題もなく楽しめるような作りになっていたのもよかったと思いますねぇ。 もともとのゲームのルールのシンプルさもあるのでしょうが、素材の取り入れ方やストーリーの紡ぎ方が優れているからなんだろうなぁ・・。 大人から子どもまで。 ヘビーユーザーからライトユーザーまで。 

・ あと、異星人の侵略を扱っていながら、画面が常にしあわせな色をしていたのも印象的でした。 白昼の攻撃も、夜間に米軍基地が襲われているシーンも、とにかく色調が暗くない。 ピクセルと化す街並からは、悲壮感ではなく多幸感が溢れてきました。 製作者のゲーム愛を感じるとともに、これは「登場する異星人は本来危険性のない種族なのだ」という意味合いも込められているのだろうなぁ、と思いました。 だからあのオチなんですよね。 ほんと、やさしい映画だなぁ。

・ マーサ・スチュワート!

・ ショーン・ビーンさんなにしてはるんですか!

・ どのキャラクターもとても人間くさく、とても愉快で、とても愛らしい! 中でもラズロもかわゆさは異常! (ちびっこたちの間でも一番ウケていました)

・ ちなみに、わたしはゲームはからきしダメだったものの、鉄棒にスカートを巻きつけてグルグル回るのはメチャクチャ得意な小学生だったのですが、それが異星人をやっつける鍵になるような映画、出来ませんかねぇ。  クラスで一番回ってて、周りの子たちから「すげえ・・・あいつ風車みてえだ・・・」って言われてたんですけどね。 ダメですかね。  

・ 鉄棒にスカートを巻きつけて回るタイプの異星人からの挑戦求む・・・!




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すきもの主婦が選ぶおっぱい映画ベストテン

2015年04月28日
どうもこんにちは。アガサです。

ブログでも書こうかなぁ・・ と管理画面を開いたものの何も書く気が起こらず、インターネッツという名の往来を前にアンニュイな気分に浸っていたところ、いつも楽しく拝見させて頂いている大人気ブログ・男の魂に火をつけろ! 様が「おっぱい映画ベストテン」というめちゃくちゃグっとくる船を浮かべていらしたので、ここぞとばかりに乗らせて頂きたいと思います。そうです、これが渡りに船というやつです。

GW特別企画! 映画ベストテン・番外編 - 男の魂に火をつけろ! GW特別企画! 映画ベストテン・番外編 - 男の魂に火をつけろ!



「アガサさん・・あなた、女の方ですよね?」なあんて野暮な問いかけは無用ですよ!
女だって男だって、美しいものはだいすきなんだ! 至極当たり前のことじゃあないか!

ということで以下わたしがすきなおっぱい10選です。


1位 『スペースバンパイア』

スペース
(1985年公開/監督トビー・フーパーさん/出演マチルダ・メイさん)

1970年代に生まれた我々にとって、おっぱいといえばマチルダ・メイ。 マチルダ・メイといえばおっぱい。
まだテレビがおおらかだった時代、エロ・グロ・SF・耽美などなど多種多様な映画が放送されていたあの頃、老若男女に刷り込まれたおっぱいの理想形、それがマチルダ・メイさんのおっぱいなのであります。
形も色艶も等身に対する割合も完璧で、子ども心に「外人さんのおっぱいはケタ違いじゃなぁ・・・」と生唾をがぶ飲みした懐かしい思い出。 
きっとこの先、わたしの目の前にどんなおっぱいが登場しようとも、マチルダさんのそれが塗り替えられることはないでしょう。
あまりにおっぱいの印象が強すぎたため、今あらすじを思い出そうとしても「おっぱい」と「しわしわミイラ」ぐらいしか記憶から引っ張り出せないのですが、たぶんおっぱいとしわしわミイラの映画だったんだろうと思いますので、深く考えないことにします。
違っていたらすみません。



2位 『ラストサマー』 
ラストサマー
(1998年公開/監督ジム・ギレスピーさん/出演ジェニファー・ラブ・ヒューイットさん)

初めて劇場で『ラストサマー』を観た時、美の衝撃で打ちのめされそうになりましたよね。
ハリウッドの女優さんにしては幼い顔立ち。 ポキリと折れそうな腰。 その真ん中でありえないほどの膨らみをみせるカットソー。
(で・・でけえ・・・)
心の声がそう叫びました。もしかしたら若干口から洩れていたかもしれません。
殺人を犯したかもしれないという罪悪感と謎の殺人鬼の存在に怯える若者たちの群像劇がろくすっぽ頭に入ってこない。というか完全にストーリーの邪魔になっているレベルのでっかいおっぱい。 どうなの?そこんとこどうなの?監督は本気で怖がらせる気、あんの? おっぱいが撮りたかっただけなんじゃねえの? まぁ、それならそれでいいけどさぁ!

そして、エンドクレジットを観たら名前がまた「ジェニファー・ラブ・ヒューイット」っていう!おっぱい美女がラブって!マジなの?!それマジなの?! おらぁ名前にラブがついてる人見たの、ラブクラフト以来だぞ!

かわいいだけの青春スターたちの中、その存在を頭一つ抜けさせることに一役買っていたジェニラブさんのおっぱい。
ちなみに、わたしはピタピタのタンクトップよりも白シャツのボタンを留めることで前みごろがパツパツになっている状態の方がすきです。
どういう告白なんだよ。


3位 『プラダを着た悪魔』 
プラダ
(2006年公開/監督デヴィッド・フランケルさん/出演アン・ハサウェイさん)

知る人ぞ知るおっぱい黄金比を持つ女優、アン・ハサウェイさん。
(おっぱい黄金比とは、左右のバストトップと鎖骨の真ん中あたりをつないだ時の線が正三角形になるおっぱい位置のことを言います。 その昔、an・anだったかnon-noだったかのおっぱい特集で見たから間違いないと思います。)
そんな黄金のおっぱいを、『ブロークバック・マウンテン』や『ラブ&ドラッグ』において惜しげもなく見せているアンさんですが、わたしが最も彼女のおっぱいに美しさを感じるのは、実録ファッション事件史として世界中で大ヒットを記録した『プラダを着た悪魔』でありまして。

劇中、どんどんあか抜けてゆくアンさんが身に着ける、華やかな衣装の数々。
それはみな、ただ単にオシャレなだけではなく、アンさんのナイスなスタイルを最大限に活かすものばかりで、陶器のように滑らかなデコルテを嫌味にならない程度に魅せる肌シャツだったり、体に下品にフィットするではないけれど胸の大きさだけはバッチリ伝わってくるコートだったり、なんでもないニットに合わせたアクセサリーが崖から吊るされたエルフのロープのように大きな胸にひっかかってゆらゆら垂れている様だったり、ホントもうどれもこれも「隠せば隠すほど服の下の胸のことが気になって仕方なくなる」ような絶妙なデザインばかりなのですよお立合い! 森の奥方さま・・おらサムになりてえだ・・・サムになって、あのネックレスを滑り降りてえだ…!(※錯乱中)

特にこの、モスグリーンのワンピースなんか最高じゃないですか!
ギリで谷間が出ないぐらいの襟ぐりと、ハイウェストのごんぶとベルトとで板挟みになったおっぱい・・・めくってみなくてもわかりますだ・・・これぞ完璧な黄金比ですだ・・・! うずめたい!この丘に顔をうずめて5~6年眠りこけたい!



4位 『ハモンハモン』 
ハモンハモン
(1993年公開/監督ビガス・ルナさん/出演ペネロペ・クルスさん)

『ハモンハモン』はすごいですよ。 
なにせ、ペネロペさんのおっぱいがなかったら、ストーリーそのものに支障をきたしてしまうのですから。
逆を言えば、ペネロペさんのおっぱいがあったからこそ、この物語は成立している。
みんながペネロペさんのおっぱいに希望を見出し、ペネロペさんのおっぱいに依存し、ペネロペさんのおっぱいで人生を踏み外す。 
そしてそれを無茶な話だと思えない。 なぜならペネロペさんのおっぱいが本当に美しいから。

美しいっつっても、形とかじゃなくてね、もう触感なんですよね。 
もちろん映画ですから観てるだけですよ。 
でもね、わかるんです。 つきたての餅のようにすべすべで、それでいて手に吸いついてくるようなしっとりとした肌触りが、画面の向こうから伝わってくるんです。
劇中、恋人役のおっぱい星人がまさしく餅のようにペネロペさんのおっぱいをすするシーンがあるんですが、エロいだけではなく、不思議な説得力がありましたからね! 「そりゃすすりたくなるわ!」って思いましたもん! わかるよ、おまえの気持ち!

もうひとつわかっているのは、読んで下さっているみなさまが若干ひいているということです。
うん、わたしも書いていて若干ひいてる!



5位 『シングルス』 
シングルス
(1993年公開/監督キャメロン・クロウさん/出演ブリジット・フォンダさん)

『シングルス』のブリジットさんは、ここまでランクインしたみなさまとは大きく異なるおっぱいの持ち主です。
そう、ブリジットさんはどっちかというとこっち寄り。 つまり、たいらむね一族の末裔なのです!(※勢いだけで書いているので細かいツッコミはご遠慮ください)

役柄はズバリ、恋人に気に入られるため豊胸手術を考えている女の子。
でもね、胸なんて大きくなくたって、充分キュート・・いや、充分どころか有り余るほどキュートなのですよね。
ユニクロのカップ付タンクトップなんか着ようものなら、カップ部分が余ってカポカポになるであろうおっぱいのリアルな小ぶりさ・・・  ・・いいじゃないの! 親近感・・・ ・・湧くじゃないの!
女の子の魅力は胸の大きさで決まるんじゃない。 
大事なのはそのままの自分を愛すること。 あと、どう魅力的に見せるかってことだろ?アーハン? っていうウルトラポジティブなエモーションのビックウェーブが押し寄せてくる、全日本小ぶりおっぱい協会推薦映画。 未見の方は是非。
若い頃のティム・バートンさんも出てますよ。



6位 『ブギーナイツ』
ブギーナイツ
(1998年公開/監督ポール・トーマス・アンダーソンさん/出演ヘザー・グレアムさん)

ヘザーさんのおっぱいが、大きさといい形といいハリ感といい申し分ない美しさだということは、数々の出演作において証明されていると思うのですが、やはりその中でも一番わたしの印象に残っているのはこの『ブギーナイツ』でしょうかね。
愛らしく、可憐で、儚くて、誇り高いローラーガール。
彼女があっけらかんと服を脱ぎ捨てた瞬間、わたしは思わず目を逸らしそうになってしまったものでした。
それは、その躰があまりにも眩しかったから。
若さと素直さで弾けんばかりなヘザーさんの素肌。 水弾きも半端なさそうだよ。 よっ!撥水コートいらず!



7位 『マチェーテ・キルズ』 
マチューテ
(2014年公開/監督ロバート・ロドリゲスさん/出演ミシェル・ロドリゲスさん)

アメリカが誇るミス三白眼ことミシェル・ロドリゲスさんもまた、何を隠そう美しいおっぱいの持ち主なのでありますよ。
っていうか、『マチューテ・キルズ』を観た時はビックリしましたよね、「アレ・・・?姐さん・・ 入れた?」っつって。 
だってこんなにこんもりしてなかったハズだもん。 
けっこう大きかったとは思うけど、ここまでパキっとしたおっぱいじゃなかったもん。 

でもね、いいんですよ。 仮に入れていたとしてもいいんです。 姐さんが入れるんならシリコンや生理食塩水じゃなくプロテインかなんかだと思うから。 
姐さんのおっぱいは、あくまで腹筋とワンセット。 える、しっているか。おっぱいは張るも垂れるも筋肉次第。 鍛えれば鍛えるほど互いを高め合う、それがおっぱいと筋肉の潜在能力(ポテンシャル)・・・!
もう自分が何を書いているのかよくわからなくなってきましたが、いとしさとせつなさと力強さが詰まったおっぱいが醸し出す健康美で、これからも荒くれ者どもを圧倒してやっていただきたいものです。



8位 『REC/レック』 
アンヘラ
(2008年公開/監督ジャウマ・バラゲロ&パコ・プラサさん/出演マヌエラ・ベラスコさん)

世帯主さまに聞かれました。
「おっぱい映画ってことはすなわち、タンクトップなんだろ?」 と。
そう、確かに『REC』で世界中のホラーファンを虜にしたアンヘラたんもタンクトップ。
襟ぐりの開き具合もウェストの張り付き具合も丁度いい、フーターズガールばりの良タンクトッパーです。
しかし、わたしが『REC』のアンヘラたんを8位に入れたのは、平時のタンクトップ姿を評価したことが理由ではない。
クライマックス、床にうつぶせになったアンヘラたんの胸のつぶれ具合。
しっかりとした大きさと弾力があったがゆえに実現した、あのハイレベルな押しつぶれ具合こそ至高なのですよ・・・! わかってつかあさい・・・つぶれた時にこそ、おっぱいはその真価が問われるのだということを・・・!

ああ、ぼくはもう床になりたい。



9位 『ジャッキー・ブラウン』 
ジャッキーブラウン
(1998年公開/監督クエンティン・タランティーノさん/出演パム・グリアさん)

パム・グリアさんのおっぱいを今さらどうこう言うなんて野暮も野暮、無粋の極みってもんじゃないですか。
ただ、わたしが声を大にして言いたいのは、パムさんは布の量の少ない服を着ている時だけがセクシーなんじゃない、ということ。
普通のスーツを着ている時ですらこの色香ですよ、ということなのです。
見て下さい、このはち切れんばかりのボタンたちを。 
パムさんのおっぱい圧に締め上げられて、さも幸せそうじゃないですか、ええ?
今この瞬間、ぼかぁ床になることを諦め、パムさんのスーツの第一ボタンになることを熱望しはじめています。

ちなみに、『ジャッキー・ブラウン』には先に挙げたブリジット・フォンダさんも出演されているのですが、本作では謎の巨乳ガールへと変ぼうを遂げられており、せっかくの小ぶりでバランスのいいたいらむねが台無しになっております。
ヌーブラであってほしい・・・ 「注入」ではなく「上げ底」であってほしい・・・ そんな風に思ってしまうのは、ぼくのわがままなのでしょうか・・・

大きいおっぱいならなんでもいい、小さいおっぱい以外はおっぱいじゃない、といった「カップ数」だけの価値観を押し付けることは、おっぱい保持者にとってもおっぱい鑑賞者にとってもしあわせなことではない。
みんなちがってみんないい。 それがおっぱいのすばらしさなのではないか。
そんなことをふと考えさせられる『ジャッキー・ブラウン』。 おっぱいを愛するみなさんにおすすめです。
(※実際はおっぱいに焦点を絞った映画ではなく、タランティーノさんらしいフェティシズムとバイオレンスに溢れた「女かっこいい」映画です)



10位 『ビフォア・ミッドナイト』
ビフォア
(2014年公開/監督リチャード・リンクレイターさん/出演ジュリー・デルピーさん)

ベストテンにどうしても入れずにはいられなかった普段着おっぱい、それが『ビフォア・ミッドナイト』のデルピーさんです。
普段着おっぱいとは、パッドも補正も筋トレもなにもない、あるがままのおっぱい。
垂れているんじゃないですよ。重力に対して素直なだけなんです。
媚びない、おもねらない、という凛とした美しさが漂う普段着おっぱいは、不思議と郷愁の念を誘い、見ているだけで幼い頃駆け回ったふるさとの野山を思い出させてくれるやさしいおっぱい。うーさーぎーおーいし、かーのやーまー。「うさぎおいし」が「うさぎ=美味」という意味ではないのだということを知ったのは、高校にあがった頃でした。

他の出演作とは違い、「ビフォアシリーズ」だけは衣服をはだけることのなかったデルピーさんが、ここにきてはじめて見せてくれた、ウォーターベッドのように穏やかなうねりのふわふわおっぱい。
美魔女だの美熟女だのといった煽り文句に踊らされない、自然な加齢の行く末がここにある・・・。 考えるな、感じろ、そしてすすれ! 





いかがだったでしょうか。
脱いでいようと着たままでいようと、それぞれに美しく魅力的なおっぱい。
わたしはキーラ・ナイトレイさんばりのたいらむねであるため、ないものねだりというか、映画を観ていてもついおっぱいに目が行ってしまう習性を持っているのですが、決して大きいおっぱいばかりに惹かれるのではなくてですね。
それこそ、キーラさんのおっぱいだって、映画によって巧みに形状が変えられていますし、おっぱいの魅せ方も演技(演出)の一部分なんだなぁと感心することは非常に多いです。 
というか、そういうトコロを観るのがたのしみなのです。
いやらしい目線だけで見ているのでは断じてない。
常に「やわらかそうだなぁ」とか「どんな感触なんだろなぁ」とか考えているけれど、そういう目線だけではない。 わかって・・わかってつかあさい・・・ 

というわけで、以上わたしが選んだおっぱい10選でした。


最後に、全く別の意味でわすれられないおっぱいとして、『マルタイの女』と『黒い家』に登場するグロテスクな「にせおっぱい」をあげさせていただいて、今回の記事を切り上げたいと思います。 トラウマになるよ~夢に出るよ~(うれしくないよ~)

ではみなさん、よいおっぱいを!
ワッシュさん、たのしいお題をありがとうございました!



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『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』

2015年04月16日
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もがけ!もがけ! 世界はまだ、美しい!


※ 文中、映画の結末に触れています。


あらすじ・・・
スーパーヒーローの役で一世を風靡した俳優がアイデンティティの危機に陥ります。


まず、あらすじをどんな風に書けばいいかで、キーボードの上に置いた手が固まってしまいました。
アイデンティティの危機。 
我ながら浅い言葉だなぁ。
しかし、これは紛うことなき「自分探し」の物語だと思うのですよね。
「バードマン」を演じていた主人公リーガンや、彼をとりまく人々の。 

『バードマン』に登場する人物はみな、誰かに認められたいがために、様々な「役」を演じていたように思います。
(本当は自分の演技に自信などないんだけど)一流の役者として見られるため、「出来る男」を演じるリーガン。
(本当はストイックで真面目な役者バカなんだけど)ハリウッド俳優との格の違いを見せるため、「破天荒な役者バカ」を演じるマイク。
(本当はちょっと前からマイクとの関係にはズレが生じていて、それを不満に思っているんだけど)長年の夢だったブロードウェイデビューを成功させるため、「恋人と円満な関係にある女性」を演じるレズリー。
(本当は役者としてもパートナーとしてももっとおおっぴらに認めてほしいけど)リーガンとの関係を壊さないため、「不平不満を言わないクールな女性」を演じるローラ。
本当は振り向いてほしくてたまらないんだけど、願っても叶いそうにないので「父のことなど気にもかけていない悪い娘」を演じるサム。
彼らは、リーガンのキャリアがかかる舞台 『愛について語るときに我々の語ること』 に関わる中、それぞれの「役」を脱ぎ、自分という人間の中の「核心」に触れることになる。

ブロードウェイに出ている、俳優である、俳優の娘である彼らの葛藤は特別な者ゆえのものなのでしょうか。
「やっぱ有名人は自己承認欲求も強いよねー」というだけの話なのでしょうか。
違う気がするのですよ。
違うと思うのですよ。
だって多くの人がきっと、生きている上で常に「何者か」を演じているから。

従順な社会人を、頼れる母親を、物わかりのいい父親を、ボロボロに傷つけられていても全く効いていない強い人を、愛がほしくてたまらない気持ちを隠して孤独に慣れている人を。
特別ではない普通の人たちが、いろいろな矛盾を抱えながら、いろいろな何者かを演じている。
意識的ではなく、無意識のうちに演じていることも多いと思います。
「それが自分なのだ」と言い聞かせている部分もあるかもしれない。
とにかく物事を円滑に進めるため、しあわせでいるために、必死に「何者か」を演じている。
そして演じているうちに、わからなくなるのです。
自分は本来、どんな人間だったのか。 

別に、演じていること自体がいいとかわるいとかではないのですよ。 生きる知恵っていう場合もありますし。 
でも、何かの拍子に、たとえば社会人としての生活に慣れてきた時だとか、子どもがある程度大きくなった頃だとか、経てきた時間よりも残された時間の方が少ないのではと思い始めた瞬間とかに、フッと影が差すというか、「本当の自分ってなんなのだろう」と、なんともいえない不安に苛まれることってあると思うのですよね。
ほんで、インドとかバリとかに自分探しの旅に出たりなんかして。食べたり祈ったり恋したりとか。


本作の主人公・リーガンも、「バードマン」で築いた財産を失い、妻と子に愛想をつかされ、名声と評価は一体ではないという現実を突き付けられ、自分の人生に対し猛然と焦りはじめます。
演劇の本場・ブロードウェイで演技派として認められることしか、自分のアンデンティティを確立するすべはない。と思ったリーガンは、自分が俳優を志すきっかけとなった作家の小説を自ら脚色・演出し、なんとか「バードマン」の影から抜け出そうとします。

共演者にダメ出しをして演劇人アピールをするリーガン。
でも、マスコミはゴシップネタしか求めていない。
実力派の舞台俳優と演技論を交わしてみるリーガン。
でも、一般の人は「バードマン」の中の人としてしか見てくれない。
プレビューでいい評価を得ようと張り切るリーガン。
でも、演技の内容ではなくSNSでの拡散ネタしか話題にならない。

「本当の自分」の実力を認めてもらいたくて必死にもがくリーガンは、その度、世間が自分に求めるものを痛感させられ、打ちのめされてしまう。
でもリーガンはもがくことをやめない。 
呪縛から逃れるため、不本意な栄光から抜け出すため、自分でも確信など無い「最高の演技」に辿り着くため。 
死にたくなる程落ち込んでも、無様な醜態をさらしても、もがいて、もがいて、もがき続けるのです。

そんなリーガンを見て、過去の確執を捨て、純粋に彼の身を案ずるようになるサムと元妻。
家族が見守る中リーガンは舞台に上がり、役と同化するという北島マヤメソッドで「演技」を越えたパフォーマンスを披露。 それは、役と一緒に自分自身を葬るという行動でした。

常軌を逸した行動ではありましたが、過激さだけではない役者たちの渾身の演技が観客の心を揺さぶり舞台は大成功。
死んだと思われたリーガンはというと、鼻に重傷を負うものの、奇跡的に一命を取り留めました。
皮肉なことに、彼の顔に巻かれた包帯は「バードマン」のマスクそのもの。
そして包帯をとり鏡をのぞくと、そこに映ったのは復元された鼻が「バードマン」とそっくりになっている自分の姿。

わたしはこの時やっと、リーガンが過去を否定することをやめたのではないかと思ったのですよね。
否定してもしょうがないじゃないか。 
なぜなら、リーガンが演じていた「バードマン」もまた、リーガンの一部分なのだから。

わたしたちが演じている「何者か」は、決してわたしたちの敵でも暗部でもない、とわたしは思います。
もともと自分の中にある部分を出しているだけなのではないか、と。
だから、自分探しをしても答えなんて見つからない。
弱い自分も、見栄っ張りな自分も、意外と強い自分も、全て本当の自分なのではないでしょうか。

もがいたからこそリーガンが辿り着いた世界。

まだ見つかっていない人はもがけばいい。
かっこわるくても、みっともなくても、もがいていけばいい。
もがくことにも意味はあるし、もがいた先でわたしたちを待っている世界はまだ、充分に美しい。


過去の自分の、認めたい部分も認めたくない部分もすべて受け入れたリーガンは、窓から身を乗り出し鳥たちが自由に羽ばたく空を見上げます。 
その後、リーガンの姿が消えた部屋に入ってきたサムは、ベッドの中にもバスルームにも、そして窓の下の道路にも父がいないことに気づき、ふと空に目を向けました。 
そしてすばらしいものを見たように顔を輝かせます。 
現実のことなのか、あくまで比喩なのかはわかりませんが、サムが見たのは、鳥と共に空を飛ぶリーガンだったのではないでしょうか。 

実は劇中なんども、リーガン自身が自分の超能力について語ったり、力をふるったりするシーンがあるのですが、それはあくまでリーガンの空想であり、現実にはスーパーパワーなんて持っていなかったと思うのですよね。 
しかし全てを受け入れたリーガンは自由になった。
自分という存在に誇りを持ち、ほしかった愛を手に入れた父は、さぞ晴れ晴れとした表情をしていたことでしょう。

リーガンは本当に空を飛んでいたのか、それともすべてはサムの願望なのか。
どちらでもいい。 
ただわたしは、リーガンに「大味なアクション俳優」とか「高尚な舞台俳優」なんていう無意味な格付けに心を悩まされることなく、色々なお芝居の世界を自由に飛び回ってほしいと願うし、きっとリーガンならできると思う。
実在する偉大な俳優たちがそうであるように。
バードマンのような派手なヒーロー映画でも活躍できるし、すばらしい舞台の上で予期せぬ奇跡のようなお芝居も魅せることができる俳優。
サムが見たのはきっと、そんな父の姿なのだと思いました。




― 余談 ―

・ 全編ワンカットと見紛うような驚異のカメラワークは、ただ単にトリッキーなだけではなく、観客を「舞台」に釘付けにさせる最高の装置だと思いました。 

・ そう、このカメラはまさに「舞台」なんですよね。 演劇が上演される舞台は、一度幕が上がれば物語が全て終わるまでノンストップ。 もちどん幕間がある場合もありますが、観客はその席を空けない限り、途切れなく続く舞台から目を離せない。本作がそうであるように。

・ 同じ部屋、同じ建物の中をカメラが移動するだけで、時間や状況が切り換えられてゆくさまもまた、まるでスポットライトを端から端へ移したり、喋っている役者の位置が変わるだけで、瞬時に場面を転換させてしまう舞台そのもので、その圧倒的な魔力にくらくらしてしまいました。 奇跡的な舞台映画じゃないかこれは!

・ 凄まじすぎる集中力で、この驚くべき撮影に応えた俳優のみなさんもすばらしいと思いました。 エドワード・ノートンさんの陶酔演技もすごかったなぁ。 でもやはりマイケル・キートンさんですね。 劇中劇のラストシーンを三度演じるのですが、当然のごとく三回とも違うし、三回目の抑揚のつけ方なんか鳥肌が立ちましたよ! マイケル・・・恐ろしい子・・・!

・ 何気に、全方位にケンカを売っているようなところもよかったですね。 「権威に成り下がっている批評家」 「舞台を舐めてる“有名”俳優」 「プライド高いばっかの舞台俳優」 「ネット上のイイネだけに存在価値を見出す人々」 「時代を取り入れようとせずただただ頑なな年寄り」 「派手なアクションばっかで中身のないハリウッド映画」 「ヒット作続編とかばっかもうやめんかおまえらロッキーか」 と、どこか一方に偏るのではなく唾を吐きまくる感じがサウスパークみたいでおもしろかったです。

・ 「バードマン」こそ架空のヒーローものでしたが、それ以外の固有名詞はバンバン実在のものが登場するところもワクワクしました。 この世界のジョージ・クルーニーさんは「バードマン」の続編には出ていないのかなぁ。

・ あと、なんといっても音楽! リーガンの鼓動、街の振動、演劇の熱量を表すような凄まじいドラムが最高すぎる! サントラがほしくなりましたが、家や車の中でかけていたら変なテンションになってお皿とか叩き割りそうだからやめときます! オレ賢明だと思う!

・ アクションか舞台か、みたいに決め付けようとしていたリーガンさんですが、ホント、特に最近はそんな隔たりなんてないと思いますよねぇ。 ガン爺ことサー・イアン・マッケランだって、マグニートーことファスベンダーさんだって、スマウグことカンバーバッチさんだって、パイカリのキーラさんだって、リディックのデイム・ジュディ・デンチだって、本作に出演しているハルクことエドワード・ノートンさんだって、みーんなジャンル関係なく活躍されてますし。 娯楽作だろうと文芸作だろうとハリウッドだろうとブロードウェイだろうとウェストエンドだろうと、いい作品が人の心をうつことに変わりはないじゃないですか。 

・ ともかく、本当におもしろい作品でした。 わたしはすごくすきです、『バードマン』。




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『ウエスト・オブ・メンフィス 自由への闘い』

2015年02月09日
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確かに「悪魔」はいた。 
彼らの目の前に。わたしの目の前に。


川の中から3人の少年の遺体が見つかったのは、1993年のことでした。
アメリカはアーカンソー州の小さな町。 学校から帰った子どもたちが自由を満喫するおだやかな夕暮れ。
遊びに出かけたまま帰らなかった8歳の子どもたちは、翌日無残な姿で発見されます。
衣類ははがされ、手足は縛られ、体中に無数の傷。 性器は切り取られていました。
しかし、怒りと哀しみと恐怖に打ち震える地域住民の胸は、ほどなくして、安堵の吐息で満たされることになります。
悪魔信仰のあるという不良少年グループが捕まったからです。
彼らの犯行を裏付ける、数々の証言。
仲間の1人による自白。
自宅裏から発見された凶器。
疑わしき点は何もなく、この非道で無慈悲な犯人たちは生涯を檻の中で過ごすことを言い渡されました。
遺族たちは哀しみをこらえ、新しい人生を歩もうと心に決めた。
不良少年を顧みる者はいなかった。
少しの人々を除いては。

のちに「WM3(ウェスト・メンフィス3)」と呼ばれることとなる容疑者少年たちが巻き込まれたこの事件は、日本のテレビ番組でも扱われたことがあり、わたしもそれを見てあらまし程度は知っていたつもりだったのですが、しかしここまで、これほどまでに恐ろしい事件だったとは想像もしていませんでした。

あまりにもむごたらしい姿で発見された8歳の子どもたち。
「普通」の殺人事件ですら理解が難しいのに、か弱い者たちをここまで痛めつける神経などもはや理解不可能。
もしかしたら、捜査にあたった警官や刑事たちはそう思ったのかもしれません。
これはきっと、カルト的な何かが絡んでいるに違いない。 そうでないとやりきれない。
つらい気持ちを「悪魔」という問答無用で邪悪な存在に丸投げするのは、今に始まったことではありませんし、気持ちはわからないでもない。
だけれど、それは結局、目の前の事件に対し思考停止して、自分たちが果たすべき責任から逃げているだけなのですよね。


たしかに「悪魔」はそこにいました。 何人もいました。
「悪魔」の名前は「無責任」といいました。


たとえば、何から調べればいいかわからなかった警察がお知恵を拝借しにいった保護観察官。
「保護観察中の若者のなかで、いかにもカルト的な行為を犯しそうなヤツを教えてください」と聞かれた観察官は、「それならダミアンだな」と、ある若者の名前を告げます。
WM3のうちのひとり、ダミアン・エコールズです。
観察官に強い確信があったわけではありません。 聞かれたから答えただけ。 それにほら、保護観察中だし。 不良だし。
自分の無責任なひと言が、ひとりの人間を死刑台に向かわせるかもしれないという自覚が、はたして彼にあったのでしょうか。

たとえば、検視担当官として法廷に立ったペレッティ博士。
博士は、性器は故意に切り取られたものとの見解を自信をもって述べ、体についた傷とジェイソンの自宅裏から発見されたサバイバルナイフの形状は一致すると断言します。
WM3のうちのひとり、ジェイソン・ボールドウィンです。
しかし、ペレッティ博士の証言は、彼自身が「マブダチ」と語る法医学の権威によってあっさり否定されます。
性器の損傷は、遺体が放置されていた川で繁殖しているカミツキガメやワニガメなどの動物によるもの。 体に残る傷も死亡後についたものなので、悪魔信仰による儀式的な行為とは考えられない。etc・・etc・・
自分の無責任な証言が、ひとりの人間の人生を奪ってしまうかもしれないという自覚が、はたして博士にあったのでしょうか。 っていうか、そもそも一人前の検視出来るの?なんか試験何回も落ちてるって言ってたけどだいじょうぶなの?ペレッティはモノホンのドクターなの?

たとえば、事件を担当したウェスト・メンフィス署のゲイリー・ギッチェル警部。
不良少年の取調べを担当したギッチェル警部は、巧みな話術で容疑者少年を懐柔し、犯行の一部始終を聞き出します。
WM3のうちのひとり、ジェシー・ミスケリーJr.です。
ジェシー自身に非行歴があったわけではなかったものの、ジェイソンたちとつるんでいたという理由で芋づる式に逮捕されたジェシーには、知的障害がありました。
ギッチェル警部はそれを承知の上で、ジェシーから「自分が望む」答えを引き出していきます。
「犯行時刻は?もうちょっと遅くなかった?何で殴った?棒じゃない?こんな感じの木の棒だったんじゃない?ダミアンは悪魔に心酔してたでしょ?性的暴行もしたよね?」
その音声が残っている以上、誘導尋問があったのは疑いようのない事実なのに、というか後々そこ突っ込まれても何の言い訳の出来ないだろうに、ギッチェル警部は「巧みな話術」をやめようとは思わなかった。
自分の無責任な捜査が、ひとりの人間の未来を奪ってしまうかもしれないという自覚が、果たして彼にあったのでしょうか。

ダミアンから悪魔集会に誘われたことがある、と声を震わせ証言しておきながら、10数年後に「あれはウソだ」と涙ながらに撤回する主婦。
ダミアンは「少年の性器を切断して生き血を啜った」と自慢していた、と自信満々に証言しておきながら、10数年後に「あの頃はヤクとかやってたし自分でもなんであんなこと言ったのかよくわかんない」とシレっと撤回する少年収容所の少年。
自分の甥っ子が被害者であるにも関わらず、自分の兄(子どもの義父)に疑いの目が向けられた途端、事件に対し「道路のスピード防止帯にぶつかった程度のこと」と吐き捨てる叔母。
どれだけ警察のずさんな捜査があきらかになろうと、アーカンソー州には何の落ち度もないと言い切る次席検事。

悪魔がいるというならば、彼らこそが悪魔なのではないでしょうか。
彼らの中に巣食う、「自分以外の人間が殺されようと死刑になろうと、自分には関係ないから」という気持ちこそが、悪魔なのではないでしょうか。
なんと無情で、なんと身近な悪魔なのか・・・!

しかし、世の中には悪魔がいる一方で天使もいた。
WM3を牢獄から救い出した守護天使たち。 それは事件に疑念を抱いた映像作家であり、その作品を観た観客であり、レッテル貼りや弱い者いじめを心底憎む有名映画監督(ピーター・ジャクソン!)であり、目の前に差し出されたものをただただ無邪気に信じることをしない、思慮深い人々でした。

WM3にかけられた疑惑は、きちんとした解析や分析を経てあっという間に晴らされてゆき、決定的とも言える「現場に残されたDNAの相違」も明らかとなります。
もはやWM3が真犯人でないことは明明白白。
そこで、多くの支援者たちはWM3の釈放を訴えますが、アーカンソー州はとりつく島もなくそれを却下。
「新しい証拠など知らない。」 「過去の裁判がすべて。」 「いまさら事実もクソもない。」 「あーあー聞こえない聞こえない。」
この期に及んで、まったく自分たちの捜査や言動を省みようとしない「正義の番人」たちの愚劣さに、眩暈すら覚えました。

過去の過ちを認めてしまうと、WM3が奪われた20年近い期間になんらかの補償をしなければならないから?
ただの過ちどころか、証拠の捏造や違法捜査がバレたら告訴待ったなしだから?
あれだけイキって逮捕したのにプライド丸潰れだから?
・・なんかこれ、聞いたことあるよ! 聞いたり見たりしたことある! 自白の強要とか冤罪とか誤認逮捕とか捏造とか、そういうの突き付けられてもいけしゃあしゃあとしてるおまわりさん、テレビで見たことあるわ! 昔の話じゃなく現在進行形で見かけるわ!

遅々として進まない釈放要求。 いつ死刑を執行されるかわからないダミアンの健康状態の悪化。
苦悩の末、WM3と支援者たちは、頑として過ちを認めようとしないアーカンソー州と司法取引を交わすことを決めました。
「アルフォード・プリー」と呼ばれるそれは、「あくまで無実を訴える一方有罪であることも認める」という、とても奇妙で、とても残酷な取引。
2011年、WM3は縛めを解かれ自由の身になりました。
しかし彼らは無罪放免になったわけではないのです。 
「アルフォード・プリー」により、彼らは法の上で「有罪」になったのです。
これはただ単に、WM3はさぞかし無念であろうなぁというだけの話ではないのですよね。
8歳の少年たちを殺したのは誰なのか、という一番大切な部分が、一生闇に葬り去られてしまうことをも意味しているのですよ。 
なんなんだろうこの・・・ ホントに・・・ 正義って何かね。


当時、予審判事として事件を担当し、現在アーカンソー州の上院議員を務めているデヴィッド・バーネットは、事件を振り返りこう語ります。
「あの事件に関わらなければ人生は楽だった。 18年もあの事件に振り回されたんだ、わたしの判決に不満を持つ人たちから文句を言われながらね。 たまたまわたしが担当しただけだったのに。」
たまたま担当しただけ。
振り回された。
関わらなければ楽だった。
なるほど、そうなのでしょうね。 それぐらいの気持ちでなければ、子どもたちが無残に殺され、何の罪もない少年たちが人生の最も輝ける時期を奪われても良心の呵責を感じずにいられるわけないでしょうね。 
真摯に事件と向き合って、正しいことを追及しようという気が少しでもあったなら、今頃は無為に過ぎ去った時間を思って、激しく自分を責めているでしょうから。

わたしたちには、むやみに他人の私生活を嗅ぎまわり、証拠を集め、疑わしき相手を勝手に調べ上げる権限もなければ、私的に加害者を裁く権限もありません。
だからこそ、それをすることを許された、それをするために組織された行政機関や司法機関が、真実を追求する手を緩めるようなことがあってはならないはずなのです。
先入観を捨て、偏見を除外し、プライドにとらわれず、めんどくさがらずに、小さなことからこつこつと、公正な捜査と公平な裁きを下してもらわなければならないのですよお願いしますよマジで。
もちろん、アメリカだけではなく、日本を含めたすべての国で。


148分という長編ですが、支援者たちが事件の真相に迫ってゆくさまはテンポよく緊張感にも満ち、問答無用でぐいぐいひきこまれてしまいます。
ダミアンの無実を信じる女性、ジェイソンの心の支えとなる友人、ジェシーの帰りを待ち続ける父親、彼らの苦しみによりそい、正義を果たそうと団結する人々の姿はとても力強く、あまりに悲惨な結末でしたが、少しだけ救いを感じ取ることができました。
ただ、ドキュメンタリーですし、検視の結果を再検証するという内容である以上仕方ないのかもしれませんが、被害男児たちの遺体写真が何度も(しかも結構エグいものまで)映し出されるのがわたしにはつらすぎて、画面を直視できませんでした。 あそこまでばっちり映さなくてもいいんじゃないの。 どうなのPJ。

あと、すごいなぁと思ったのですけども、「ほぼ間違いなく彼に違いないっていうか彼以外考えられない」ぐらいの勢いで最有力容疑者認定された男性が、顔出し&実名でばんばん登場しているのですよねコレが。
遺族の中のひとり(義父)なのですが、PJも名指し、弁護士も名指し、出てくるみんなが名指しで「彼がやったんだよ!」と断言し、その説にのっとった取材を敢行していて、確かに、彼が真犯人であるという説はめちゃくちゃ信憑性もあるのですが、ホントにこれだいじょうぶなの?と思わずにはいられませんでした。

WM3も、その次に疑われていた別の義父も、本作で名指しされ現在最も疑われている義父も、誰に関しても直接的な証拠はありません。 彼らに共通しているのは、「いかにもやりそう」という印象だけ。
いや、最有力容疑者の義父に対してだけは、わたしも「いかにも」の範疇を越えていると言わずにはいられません。
なぜなら、20年近く経って関係者の口から語られたのは、吐き気がするほどおぞましい、義父の過去だったから。
元妻に対しDVをしていたという事実。
カっとなった末に元妻の親族に発砲したことがあるという事実。
隣家の女性を相手に暴行未遂事件を起こし訴えられたことがあるという事実。
被害男児を虐待していたという事実。
被害男児の妹にも長期間に渡り、性的虐待を行っていたという事実。
事件当日の行動に疑問を抱く友人を、逆に共犯者として脅していたという事実。
被害男児の靴紐からは彼のDNAが検出され、アリバイがないことが明らかとなり、どう考えても不自然な行動も目立つ。
もう彼以外考えられない。 わたしもそう思います。
しかし、彼が殺したという証拠は何もないのです。 それ以外の罪だけでも一生監獄に閉じ込めておきたいぐらいの気持ちですが、この事件に関する証拠は何もない。

警察が初動捜査をきちんとしてさえいれば。
警部が思い込みに縛られずにいれば。
自分たちの考えに反する証言にも目を向けていれば。
「こえー!地域のみんなもヒステリックになってるー!やべー!よっしここはひとつカルト的なアレってことで!」と責任を放棄しなければ、真犯人を裁くことも出来たはずなのに。
悔しいし、虚しいし、本当に腹立たしいです。

「いかにもやりそう」が実際の犯人に結び付くこともあるでしょう。 そうでない場合と同じだけある。
疑念の余地なく真犯人です!と名指しする本作の勢いに不安を感じると共に、今となってはそれを裏付けることなどできないのだ、というもどかしさに胸が詰まりました。

残念なことに、本作は劇場未公開でソフト化もされていないようなのですが、アマゾンでダウンロード版の購入なんぞが出来るそうですので、もし興味をお持ちの方はご覧になってみてはいかがでしょうか。 






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