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『キック・アス/ジャスティス・フォーエバー』

2014年02月28日
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あらすじ・・・
街を牛耳る犯罪組織のボス、フランク・ダミーコが謎の死を遂げて4年。
その死に深く関わった「スーパーヒーロー」キック・アスことデイブは、ヒーロー稼業から足を洗い、ごくごく普通の高校生活を送っていた。
ダミーコと死闘を繰り広げたヒット・ガールことミンディもまた、父の友人だったマーカスに引き取られ、デイブと同じ高校に通うことに。
一方、姿を消した(引退した)キック・アスが世間に与えた影響は大きく、いまだに多くのフォロワーを生み出し続けていた。
正義の心をマスクに包み、街を練り歩く一般市民たち。
しかし、しょせんコスプレをした普通の人でしかない「ヒーロー」たちを前に、反社会的な犯罪行為がおさまる筈もなく、相変わらず街は「わるいやつ」で溢れかえっていたのだった。

今こそヒーローとして復帰すべき時なのではないか・・・ どうせ毎日退屈だし・・なんだかんだ言ってヒット・ガールと闘ってた時って充実してたし・・・

デイブの中に、再び正義を求める気持ちがくすぶり始めたその頃、ダミーコの息子であるレッド・ミストことクリスの中にも、キック・アスに対する復讐の炎がメラメラと燃え上がっており・・・



物心ついた頃から父親に「殺人術」を叩き込まれ、悪党を倒すことにこそ生きる意味はある、と信じて育ってきたヒット・ガール。
幼い頃から「正しい闘い」について教え込まれ、自爆テロをも辞さない生き方を強いられてきた過激派組織の子ども達と彼女とは、一体何が違うのか。
きっと何も違わない。
彼らはみんな、洗脳され、銃を持たされ、人を殺しに出掛けるかわいそうな子ども達なのです。

だけれどわたしは、過激派の子どもたちに抱かない感情を、ヒット・ガールにだけは抱いてしまう。
彼女の生き方を、圧倒的に肯定してしまう。
なぜなら、わたしもまた、ひとりよがりな義侠心に突き動かされるタイプの人間だから。
「卑劣な性犯罪者は去勢してしまえばいい!」
「自己中心的な殺人者は死刑でいい!」
そんな独善的な怒りで、新聞に涙のしみをつけてしまうわたしに、「狂気」を食んで育ったヒット・ガールの「正義」はとても眩しいものでした。
美しさすら感じてしまうほどに。


そもそも「正義」って、実に曖昧なシロモノですよね。
どこに立つか、どちら側から見るかで、全く逆の意味を持ってしまうあやふやな概念。
そんな「正義」がもつ危うさを、前作には出てこなかった一般人を巻き込むことで、さらに際どさを増しつつ描いてみせていた『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』。
わたしはとても夢中になって鑑賞しました。
「おもしろいか?」 と聞かれれば「しんどいよ」と答えるでしょう。
「たのしかったか?」 と聞かれれば「つらかったよ」と答えるでしょう。
とにかく、前作以上に酷い内容でしたし。
復讐が新たな復讐を呼び、誰かを思いやることの出来る人間がバタバタと(しかも何の余韻もなく)殺され、血の上に新たな血が流される、とても残酷な映画でしたので。
けれども、そんな酷い世界で、なんとか「自分の中の正義」を貫こうとする人たちの姿に、わたしは何度も心を揺さぶられ、なんだったら涙すら流さんばかりの勢いで感情移入してしまったのですよ。

人はそんなに強くない。
絶対的に正しくもない。
とどのつまり、自分の観点でしか判断できない。
だから何もしない? 
見て見ぬフリを決め込むしかない? 
そうじゃない! そうじゃないでしょう?、と。
たとえ独善的だろうと、崇高な目的などなかろうと、「これは放っておけない」という場面に出くわした時には勇気を持って踏み出すキック・アスを、ただの「度が過ぎたお調子者」と呼ぶことは、わたしには出来ません。

もちろん、そうやって勢いよく放たれた「正義」は、当然のことながら万人にとっての「正義」などである筈もなく。
本作では、羽毛のごとき軽いノリでヒーロー稼業を再開したデイブに、前作など比ではない、無情すぎるしっぺ返しが襲い掛かります。
あんな人やこんな人に降りかかる悲劇的な展開は、「人命軽視」と受け取られても仕方ないかもしれませんが、まぁ、たしかにさっくり殺されすぎな気もするのですが、でも、そういうものだと思うのですよね、「正義」の代償って。
みんながみんな、名誉ある引き際を用意されるわけではない。
誰かがふるった「正義」の拳は、どこかに跳ね返っているものなのではないでしょうか。
わたしたちが知らない間にも。

本作は他にも、「正義」のあやふやさにハっとさせられる部分が随所にあり、製作者の冷静な眼差しをひしと感じました。
一般人が参加しているから「正義」、犯罪者が参加しているから「悪」と、わたしが心の中で勝手に描いていた縮図が、結局どちらも手に凶器を携え殺人も厭わない覚悟でにらみ合っているという、どっちもどっちなシーンで猛烈にぼやけて行った時などは、自分の浅はかさを笑われたようでドキドキしましたよね。
「正義って何?」 「きみのそれは正義なの?」、と。
そこに立っていたのがプロの殺し屋などではない、もしかしたら今までの人生で人を殴ったことすらないかもしれないような「普通」の人たちだったからこそ、より一層身近な疑問として突きつけられたような気がします。


さて、色々書きましたがここいらで本題に入りますね。(前フリだったのか)

考え方に一貫性のないキック・アス、いつまでも幼稚くさいレッド・ミストあらためマザー・ファッカーによる復讐合戦はさておき、本作で一番わたしの心をとらえたのは、ヒット・ガールことミンディさんの成長でした。

父親に「洗脳」され、息をするように悪党を殺してきたミンディの生き様。
それは、彼女が選んだように見えてその実、父親が敷いたレールの上を走っていたに過ぎなかったのですよね。
あまりに大きい父の影響力により、そのことに気付きもしなかったミンディ。
しかし、異様な生活を共にしてきた父を亡くし、至極まっとうな生き方のマーカスに引き取られた為、一度そのレールから降ろされ、「普通」の世界に足を踏み入れることとなる。
そしてはじめて気付くのです。
「スラム街も普通の世界も、同じなのだ」ということに。

同じ年頃の女の子が流行りの音楽やオシャレの話で盛り上がり、放課後には部活で汗を流したり、友達のうちで恋バナに花を咲かせる「普通の世界」。
しかし、「普通の世界」はあくまで「普通」なだけであって、「安全」な世界ではないのです。
隙あらば弱いものを弄び、甚振ってやろうと、ピンク色のカーディガンの下で爪を研いでいる悪党が。
銃やナイフこそ用いらないけれど、心をズタズタに切り裂くだけのスキルは充分に持ち合わせている悪党どもが、キラキラとした学校生活の中にも潜んでいる。
自分の心無い言葉がたとえ相手を死に追いやろうと気にも留めないような、悪魔のような同級生と対峙し、ミンディはいまだかつて味わったことのないような深い傷を負います。
きっと、どんな大男に殴られても、ここまでの痛みは感じなかったことでしょう。

そして彼女は悟る。
「なんだ、どこにでも悪党はいるんじゃないか」、と。

ちょっとおかしい父親・ビッグダディとの約束や、「普通の善人」であるマーカスとの約束は、結局「大人の希望」の押し付けでしかなかったのですよね。
それは、子どもを思ってのことでしょうし、自分の経験と照らし合わせてアドバイスという名の制限をしてしまうのは無理もないこと。
しかし、子どもの人生は子ども自身が決めなければ。だって子どもは親の操り人形ではないのだから。
ミンディが鏡の中にヒット・ガールを見てハッと立ち止まるシーンで、わたしはなぜだか泣きそうになってしまいました。
親の理想と自分らしさとの板ばさみになった彼女の姿が、あまりにつらすぎて。
デイブがかけた「きみはヒット・ガールなんだよ」という一言は、彼としては大したつもりなどなかったのかもしれないけれど、ミンディにとっては重要な言葉だったのではないでしょうか。

そして、そんなデイブが大切な人の死に打ちのめされた時、以前彼が自分の為にそうしてくれたように、彼女は再びコスチュームに身を包む。
「やってやろうじゃねえの」、と。
それは、ミンディが自分の意志で「正義」を貫く覚悟を決めた瞬間だったのではないでしょうか。
大人に敷かれたレールではなく、自分自身で選んだ道を歩む覚悟を。
血塗られた道かもしれないけれど、もしかしたら「正義の反動」であっけなく死んでしまうかもしれないけれど、決して褒められた道ではないかもしれないけれど、保護者の庇護と決別し、バイクで颯爽と走り出すヒット・ガールの姿は、わたしの目にとても眩しく映ったのでした。


ということで、コミックブックのような荒唐無稽なキャラクターと、考えが浅かったり集団心理に弱かったり等等現実味がありすぎるストーリーという、矛盾した描写がうみだすギャップが今回もとてもすばらしかった本作。
成長が感じられなかった登場人物も、頼もしい一歩を踏み出した登場人物も、まだまだもうひと暴れしてくれそうな予感を漂わせつつ物語は終了するのですが、わたしは第3弾を望みません。

1作目の導入部、デイブがキック・アスとしてチンピラに絡まれている人を助けるシーンで、傷だらけになりながら発した言葉。
「見て見ぬフリなんて出来ない」。
これこそが、すべての始まりだったと思うのですよね。
向こう見ずで、勇敢で、純粋な「正義」というものの。
今回のラストでも、「マスク」というスーパーパワーを捨てた素顔のドクター・グラビティが、目の前のひったくり犯に敢然と立ち向かって行くシーンがありました。
色んな形の「正義」を経験したからこそ辿り着いた、自分なりの「ヒーロー像」。
わたしはとても感動したのですよ。
ああ、これなんだよな、と。
マスクを被って活躍することも「正義」だろう。
危険なマフィアを殲滅することも「正義」なのだろう。
ただ、目の前で困っている人に手を差し伸べる、そんな小さな「正義」を持ち続けることも、とても大事なことだし、わたしたちにはそれが出来るはずなんだ、と。
「正義」を無くしてはならない。 そう思った時、タイトルの「ジャスティス・フォーエバー」が改めて胸に響きました。

原作はまだまだ続くようですが、映画としてはもう、充分だと思いますね。



- おまけ -

・ マザー・ロシアが警官たちをプチプチと殺して行くシーンを観た時、なんだか漠然と「板垣恵介先生のマンガに出てきそうだな・・」と思ってしまいました。 一度でいいから見てみたい、マザーロシアがホッキョクグマを素手で倒すとこ。

・ ジム・キャリーさん演じるスターズ・アンド・ストライプス大佐のキャラもよかったです。 宗教に目覚めて自警団となった元マフィアの用心棒なのですが、信仰深く言葉遣いにも超シビアな一方、暴力に滾ってしまうという二面性のある役柄で、「あー、いかにもアメリカにいそうだなー」とブルブルしました。 信心とバイオレンスが併存してしまえる国、それがアメリカ。(もちろん他の国にもいるでしょうけども)

・ マーティ、かわいいよマーティ。

・ 諸手を挙げて大満足!というわけではなく、中にはどうしても納得いかない部分もありました。 デイブの友達のトッドの言動なんかは特にひどかったです。 まぁ、それもミンディとスクールカースト上位組女子との諍いと同じで、「後先考えないティーンエイジャーゆえの残酷さ」の表れなのかもしれませが。

・ いくら「普通」を望んでいるからといって、ミンディとは全くジャンルの違う女子会に参加させるマーカスは、保護者としてどうかと思う。 そもそもどこで段取りつけてきたんだよ。 

・ ジョン・レグイザモさんはいい役だったなぁ。 あんなおとうさんほしい。(おにいちゃんでもいい)



関連感想
『キック・アス』(1作目)



- おまけ・その2 -


(1作目の名シーン。 わたしはこのシーンが一番すきです。 キックアスくんに関してだけいうと、あとのくだりは全部おまけだと思ってます。)(あとはヒットガールちゃんが主役だと思ってる。)





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