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『プロジェクト X』

2013年12月04日
Project_X_Poster.jpg


あらすじ・・・
18歳の誕生日パーティということだったので、思い切ってたくさんの人に声をかけたら思った以上の人数が集めって、近所の人や警察やマスコミもかけつけて、たいそう盛り上がり驚きました。 まあでも、来年の誕生日は、彼女とふたりだけで過ごそうかなぁと思いましたね。


「料理は愛情」と「映画は相性」で韻は踏めるだろうか、とぼんやり考えていたのだけれど、どうやら上手くいきそうにはないのでさっさと本題に入るが、結城センセイの件はともかく、映画は相性である。

完成した映画は、誰の前にも同じカタチで存在している。
ディレクターズカット、完全版、修正版、アンレイテッド版などの細かい違いはあれど、映画としてはまぁ、まずほぼ同じカタチと言っていいと思う。
それなのに、受け取り手の評価は実に多種多様だ。 
いや、一人として同じものはないと言っても過言ではないのではなかろうか。
これはしかし、当然と言えば当然のことでもある。
なぜなら、完成した映画は、ある種の反射板のようなものだから。
鑑賞者は無意識のうち、映画のコマとコマの間に、自分自身の性格や、積み重ねた経験や、得てきた知識や、趣味嗜好を投射する。
そして、跳ね返ってくる光に、心揺さぶられたり、居心地の悪い思いをするのだ。
結果、同じカタチで存在している映画は、「一生モノの大傑作」にもなる得るし、「時間の無駄」と切り捨てられることもある。
なんらおかしいことなどないし、きまりの悪い感情を抱くこともない。 ましてや、責め立てる必要などあろうはずもない。
相性が悪かった。
ただ、それだけのことなのだから。


と、散々回りくどい前置きをしてしまったのは、ほかでもない、本作『プロジェクトX』を勧めてくださった方に対して私が勝手に募らせてしまった申し訳なさを、少しでもマシにしたかったからという「ザ・自己満足」の一言に尽きるのですが、ともかく、悪いのは『プロジェクトX』ではありません。相性の問題だけなのです、ということを強く明記し、その方へのお礼の言葉と代えさせて頂きたいと思う所存でございます。


(※ ということで、以下相性の悪さに関する説明が続きますので、『プロジェクトX』をこよなく愛する方はどうぞこのままお引き返しください)

■ パーティに馴染めなかった。

もうね、ビックリしましたよね。 
自分はパーティきらいじゃないと思っていたのですよ。
だってほら、今までだってレイヴパーティで若者がウェーイとかチャンネーがおっぱい放り出してウェーイとか、その手の映画はたくさん観てきましたし。
それなのにノレない。
主人公たちが繰り広げる飲めや騒げのパーティを前に、圧倒的に馴染めない自分が、そこに居ました。

なんといいましょうか、わたしは音楽に詳しくないのでジャンル名とかわからないのですけども、「ドンツードンツー」系の音楽は苦手でしたよね。確かにね。
ずっと聴いていると、しんどくなるという。 
まぁ、ずっとって言っても10分程度で限界ですけども。
で、「知らない人がたくさん」っていうのもまた、ガッツリ急所ではありますよね。
知っているコミュニティならまだ何とかなりますが、それでも基本的に、静かな場所がすきなものですから、途中で切り上げたい気持ち満々になっちゃうのならないのって。

しかし、それにしたってどうしてここまで馴染めなかったのか。
おっぱいを前に真顔のまま、リモコンをチラ見しながら「これいつまで続くの・・・」と思ってしまったのは何故なのか。
オレはもう、オレのことがわからない・・・ わからないけど、パーティ三昧の1時間半弱が、どうにもこうにも苦痛でしかなかったのでありました。

■ ともだち100人出来なくていい。

学校では全くもってサエない存在。 家族からも「負け犬」呼ばわり。 そんな自分の殻を破りたい。
本作の主人公トリオの密かな野望は、思った以上に華々しく大成します。

まさか来てくれるとは思っていなかったクラスメイトが来てくれた。
知らない世界にまで拡散されたお陰で大勢の人たちが集ってくれた。
たった一晩で、彼らは学校の人気者になった。 
少なくとも、ひとりの同級生として認知されるようになった。
大きすぎる代償と引き換えに。

なんというか、わたしには理解出来ない世界だなぁ・・と思ったのですよね。
ご近所さんに迷惑をかけて、自分の家族が一生懸命築き上げてきたものをぶっ壊したのちに得た「人気」って、なんなんだろう、と。
それは、ほんとうに彼自身の魅力なのだろうか、と。
あのパーティに来た人たちは、伝説の一夜のことは忘れないかもしれないけれど、彼の存在は忘れてしまうだろう。 というか、そもそもほとんどの人が知らないままだったのではなかろうか。
パーティ客が求めたのは「集まってタダ酒が飲めておもいっきりはしゃげる場所」であり、彼自身ではない。
なんかそれって、虚しいなぁ・・と思ってしまいました。

もちろん、自らのリミットを壊し、行くところまで行った主人公の行動力が評価されたということはあるのでしょう。
彼自身も、そうなる(行動的になる)ことを望んでいたのかもしれませんし。
そもそも彼にとっては、個人の存在価値を認められるのではなく、「あのパーティに参加できた」ということが重要だったのかもしれませんし。
でも、どうしても、わたしにはピンとこなかったのですよね。
先に述べたように、肝心カナメなパーティ自体に興味が湧かなかったこともありますが、「そこまでしないと得られない人望なら、ないままでいい」としか思えなかった。
「ともだち」100人もいらないし、「知り合い」なら尚のこと。
彼には気心の知れた友人も、魅力的な幼馴染(しかもチアガール!)もいた。
・・・なんという・・・おまえこんちきしょう!充分すぎるではないか!

■ 赤ちゃんが寝られないんですよ。

わたしはルール厳守の真面目人間という訳では全くありませんし、若気の至りも、今この瞬間の尊さもよくわかります。
ハメを外したっていいじゃないか。おもいっきりふざけたっていいじゃないか。
でも、近所でやられたら怒りますよ。おもいっきり怒りますよ。コラー!っていう人間ですよ、ぼかぁ。
やっていい事といけない事の区別をつけながらでも、人は人生を楽しめるんじゃないか。
高校生だからって、そんな難しいことじゃないと思うけどなぁ。
んなもん、夜中にバイクぶんぶんぶっ飛ばして「オレたちは誰にも迷惑かけてない・・ただ青春を駆け抜けているだけなんだ・・・!」って言ってる暴走族と一緒ですよ。 
ただの自己中ですよ。
赤ちゃんの寝かしつけがどれだけ困難なミッションであることか・・・
遊ぶなら遊べばいい。
ただ、最低限の後先は考えて遊ばないとダメだと思うなぁ。

■ 誰にも共感できない。

主人公をそそのかす悪友のぽっちゃりが好きになれないタイプすぎて目眩がした。
さんざん悪さをして、のっぴきならない状況を作り出しておきながら、夜が明けたら「じゃ、オレそろそろ帰るわ」との賜った瞬間、テレビを叩き割ってやろうかと思いましたね。大人なので割りませんでしたけどね。
あと、後日談で「父親が優秀な弁護士を雇ったため無罪になった」と紹介された瞬間、飲んでいたコーヒーを床に投げつけてやろうかと思いましたね。片付けが大変なので投げつけませんでしたけどね。
もうひとりの友人(こちらもぽっちゃり)も「障害児であることを理由に無罪になった」みたいなテロップが出ていて、なんかもう、エンドクレジット早送りしてやろうかと思いましたね。 送りましたけどね。

百歩譲って悪さをしてしまったのはしょうがないとして、その責任ぐらいとらせようよ。
なんなんだこの映画は。
ここから何を感じ取ればいいのだ。
わしにはさっぱりわからんよ。

■ 「男のロマン」。

やかましいことをくどくど書きましたが、最も気持ちが萎えたのは本作のオチでありまして。
近所の車を焼き払い、自分の家は全焼。
さすがにしょんぼりとする主人公に父親がかけた言葉は、「で、何人集まったんだ?」。

はあぁぁぁぁぁぁあ?

もうね、完全に親指立てる気満々なのですよね。
「やるじゃん!」みたいな。
「こいつ、オレの息子っす!伝説を作った男っす!」みたいな前のめりな感じ。
ちなみにこのシーン、お母さんは一切出てきません。 いちおう「ママは仮住まいのホテルで泣いている」という説明はありますけど、それだけです。 
一方、お父さんと息子は目をキラキラさせて「やるじゃん!」ですよ。 

なんじゃコレ。

なんじゃいコレ。

■ パーティに馴染めなかった理由を考えてみた。

ディスクをプレイヤーから取り出し、ケースに戻しながら、わたしはふたたび「どうしてこれほどまでに馴染めなかったのか」という疑問に思いを巡らせ始めていました。
おっぱい上等。
ラリってハイになってバカ騒ぎ上等。
『フレディVSジェイソン』とか『ホステル』とか『ブラッド・パラダイス』とか、なんだったら『バタリアン5』とか、パーティが出てきてもたのしい映画はたくさんあったではないか。
それらの作品と『プロジェクトX』に、どんな違いがあったというのか。

・・・どんな違い・・・

・・どんな・・

・・・・

freddy-vs-jason-07.jpg
(※ パーティ直後)

Turistas-movie-04.jpg
(※ パーティ翌日)

バタリアン
(※ パーティ同時刻)


プレデター3
ははあ・・・ そういうことか!

なんということでしょう。
わたしが好きだった映画はどいつもこいつも、おっぱい祭りから血祭りへとすみやかに移行してゆくお話ばかりではありませんか。
つまりわたしは、パーティに馴染めないのではなく、鋭利な刃物や鈍器のようなものやピタゴラ装置が用意されていないパーティに馴染めなかっただけなのですね。
よかった・・・! オレ、これからも臆することなくパーティ映画観るよ!

■ まとめ。

ということで、「血まみれでなきゃパーティじゃないやい!」と堂々言ってのけるようなダメ人間のわたしとは、少々相性が合わなかった本作ですが、「みんながやってるから」という理だけで、何の罪悪感もなく犯罪行為に手を染めてしまう人間の集団心理の恐ろしさをとくと味わうことの出来る、ある種のホラー映画と思えばなかなかおもしろかったような気もしますし、自分が一生交わることのないであろう世界を垣間見られたことは、貴重な経験だったように思いました。
いやぁ、勉強になったなぁ。



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