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『パラノーマン ブライス・ホローの謎』

2013年11月14日
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(※ 以下ネタバレ)


あらすじ・・・
幽霊となら談話できるけれど、生きた人間とは会話が成り立たない少年・ノーマンが、300年前に不幸な死を遂げたご先祖様と対話します。



■ 子どもたちの感想
おかあさん       「さあ、どうでしたか?パラノーマンは」
いもうとちゃん(小3) 「おもしろかった!」
おねいちゃん(小6)  「おもしろかった!」
はは 「どんなところがおもしろかったですか?」
小3 「あのね、トイレにおじさんがでてくるシーンがさいこうだった!」
小6 「ノーマンをいじめてた男の子が「オレの親友だ」って言ってるとこがおもしろかった!」
小3 「わたしもあそこおもしろかった!」
小6 「「脳みそたべられちゃう?」「君には無いから大丈夫だよ」っていうとこがおかしかった!」
小3 (思い出し笑いしながら激しく頷く)
はは 「ゾンビはどうでしたか?」
小3 「おじさんのいえにいったらゾンビがおいかけてくるシーンは、ちょっとこわかった」
小6 「わたしも、実はこわくて毛布にかくれちゃった・・」
はは 「ストーリーはいかがでしたか?」
小3 「えっとね、まじょのおんなのこがでてきたとき、ノーマンのいもうとだとおもった」
はは 「ああ、似ていたもんね」
小6 「全体的におもしろかった」
はは 「全体的って・・・ もうちょっと具体的におねがいします」
小6 「あのね、おかあさんは泣いてたでしょ? なんで泣いてたの?」
はは 「そうさのう・・・ とにかくアギーがかわいそうだったよね。 大人に責められて、理解してもらえなくて、まだ子どもなのに魔女として処刑されて・・。 それがつらかった。」
小6 「うーん、それはそうだと思うよね。 でも、わたしはね、悪い人は出てこなかったから、そこがよかったな」
はは 「えっ? 悪い人がいない?」
小6 「うん」
はは 「いじめっこは?」
小6 「ノーマンにかくれてたから」(※はは補足・要は弱い人間だから」という意味らしい)
はは 「お姉ちゃんは?」
小6 「途中で助けてくれたし」
はは 「アギーを裁いた人たちは?」
小6 「あれはよくないけど、でも、あの人たちもこわかったんだよね」
はは 「でも、殺しちゃうことはないよね?」
小6 「もちろんそうだけど・・。 でも、ジャンルダルクとか、魔女狩りってホントにあったんだもんね」(※はは補足・ちびっこは歴史好き)
小6 「あの人たちもゾンビにされたでしょ。 ホントは助けて欲しいのに、村人におそわれてかわいそうだと思った。」
はは 「そっか・・・。  アギーはどんな気持ちだったんだと思う?」
小6 「腹が立ってたと思う。 あと、かなしかったと思う。 復讐をやめたいけど、やり残したことがあるからやめられなかったんだと思う」
はは 「やり残したことって?」
小6 「誰かに「あなたは悪くないよ」って言ってもらいたかったんじゃないかな」

■ 300年の孤独
「周りの人たちと見えている世界が違う」ということから、恐れられ、忌み嫌われ、まだたった11歳だったにも関わらず「魔女狩り」に遭ってしまったアギー。
あまりに不条理で、あまりに残酷な現実を、「怒り」で受け止めるしなかったアギー。
そして、自分を裁いた人たちに対する憎悪の心は、煤のようにアギーにこびりついてゆき、美しかった心を覆い隠してしまう。

わたしは「憎しみ」が愚かなことだとは思いません。
ときにそれは、生きる支えになるのではないかと思うからです。
誰かに対する怒りや憤りは、哀しみを誤魔化し、感情をいう釜にくべられた薪のように心の中でごうごうと燃えつづけ、「自分」を走らせる原動力になるのではないかと。
同時に「自分」を激しく苦しめ疲弊もするのだけれど、自己嫌悪は抑止力ではなく、新たな燃料となって自分に降り注ぐ。
愚かではない。 ただ、とてもしんどい「憎しみ」。
本当はもう、おしまいにしたい。 
けれどもう、自分でも止まられない。
そんな風に心を引き裂かれ、もがき苦しむアギーの姿に、涙が止まりませんでした。

幼い娘を魔女として裁かれ、問答無用で処刑されたアギーの母親はきっと、ひっそりと埋葬された娘の亡骸の上で、彼女がすきだったおとぎ話を毎日読んであげていたのでしょう。
しかし、母親も亡くなり、おとぎ話を読み上げる声は、悼みではなく恐れを帯びるようになった。
母親以外の誰が、アギーの死を心から悲しんでくれたのか。
アギーの魂に優しい言葉をかけてくれたのか。
誰もいなかったのではないか。
そして、勝手なレッテルを貼られ、勝手に怯えられ、誤解されたままのアギーのもとに、やっと彼女を理解してくれる唯一の人間が現れます。
彼女の手を握り、あたたかな世界へと引き戻してくれる人間。
300年の孤独に、終止符を打ってくれる人間が。

本作を観て、アギーが受けた仕打ちがあまりにむごたらしい為、彼女が迎える結末に納得がいかない方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、この作品が伝えたいことは、「報復」や「復讐」ではなく、「赦し」と「救済」なのではないかと思うのですよね。
長すぎる年月を苦しみと共に過ごしてきたアギーに必要だったのは、怒りへの同調ではなく、ただそっと寄り添い、身体をあずけ、安らかに眠らせてくれる人だったのではないでしょうか。


■ 世界を変えることはできないけれど
アギーの遠い子孫で、奇しくも彼女と同じ能力を持って生まれたノーマンもまた、その力ゆえ周囲の人間に敬遠され、からかわれ、忌み嫌われます。
アギーが残した呪いにより、ゾンビパニックに陥り暴徒と化した街の人によって、あまつさえ、アギーと同じ火あぶりの刑に処されそうにさえなる。
しかし、ノーマンの周りには、彼を助けようとする人間がいた。
ノーマンはその瞬間、はじめて自分が一人ではなかったことに気づくのです。

共通することが多ければ多いほど、人は絆を感じ、親睦を深め、信頼し、かばい合うようになるものです。
一方、「自分たちとは違う」ポイントを目にした瞬間、いとも簡単に疎外し、レッテルを貼り、見下し、なんだったら憎みさえする。
そういう目に遭ったとき人間は、自分を守るため「孤独」を選ぶことがあります。
「誰にもわかってもらえないなら、一人でいいや。」と割り切ってしまえば、生きるのが一気に楽になるからです。
そして、孤独に慣れてゆくと、いつの間にか周りにいた、もしかすると最初から傍にいてくれた人の存在すら、気づかないふりをするようになることがある。
「話したってどうせわかってもらないから」
「胸襟を開いたところで、結局去って行かれるかもしれないから」
一人なら傷つくこともないけれど、二人だと傷つけたり傷つけられたりするかもしれない。 
それがこわいのです。
失望させたくないし、したくない。 
だから気づかないふりをする。 
たしかにそうしていれば、そんなに傷つかずに生きて行けますよね。
生きて行けるのだけれど。

一番理想なのは、周囲の人たち(レッテルを貼ってきた人たち)が偏見を捨て、「自分とは違う」人間を受け入れてくれるようになることです。
それはもう、そうに決まってます。
心からそうあってほしい。
しかし、残念ですが世界は簡単には変わらない。
ブライス・ホローの住民たちが同じ過ちを繰り返しかけたように、時代は流れても、人の本質は変わらないのです。
そんな現実を踏まえて、本作は「でも、ちょっとね、もういちど周りを見てみようよ」と問いかけてくれる。
「自分たちとは違う世界を見ている(愛している)あなた」が、世の中全体で広く受け入れられたり理解してもらうことは難しいかもしれない。
けれど、「まわりとは違う世界が見えているあなた」を受け入れてくれる人は、きっといるよ。 と、優しく語りかけてくれるのです。
ノーマンの能力を「彼は変人なんかじゃないよ、死んだ人と話せるだけだよ」と、個性のほんのひとつとして自然に受け止めてくれたニールのような人が、きっといる。
あなたはそれに、気づくことができるはずだよ、と。
だいじょうぶ。 気づいてもいいんだよ、と。

わたしのような、気づこうとする勇気すら持てない人間にとっては、ほんとうに柔らかで心強いメッセージでしたよね。
あと、これは子どもたちにも伝えておきたいことでもあります。
あなたたちはひとりじゃないんだよ。
この世の中は、まだ絶望には値しないんだよ。あなたたちを理解してくれる人は、かならずいるんだよ。と。


■ ゾンビ!ゾンビ!ゾンビ!
とまぁ、くどくど書きましたが、わたしの心の柔らかい場所を直撃したストーリーはもとより、冒頭シーンから炸裂するゾンビ愛もまた超たまらない作品だったわけでして。
目覚まし時計からスリッパに至るまで、ありとあらゆるゾンビグッズに埋め尽くされたノーマンくんの部屋は、今いちばん住みたい場所ナンバー1に即決必至。
トラディショナルなのろのろゾンビと、彼ら以上に凶暴な(というか彼らはちっとも凶暴ではない)(もちろんそうに決まってる)人間たちの一方的すぎる攻防戦は、胸を焦がすこと請け合い。
ちなみに、わたしがいちばんグっときたのは、劇中劇であるB級ゾンビ映画の1シーンで、逃げる女の子が床に落ちている脳みそを踏んづけたときのグニュっと感の再現度です。
なんちゅうこだわりなんや・・!

ゾンビに限らず、とにかく全編通して物凄い繊細な所まで作りこまれており、死んだ人がいない世界(普通の人が見ている世界)から一転、死んだ人で溢れかえる世界(ノーマンが見ている世界)に切り替わる際の鮮やかさや、ストップモーションアニメとは思えないような凝った演出など、技術の進歩に驚嘆するとともに、気の遠くなるような作業を完遂された製作者のみなさんに心からの敬意を表したいと思います。
オレもう、アメリカの方角に足を向けて眠らないよ!

80年代ホラー、80年代アドベンチャーをこよなく愛する方必見の大傑作でした。

「チャンク」リスペクトな超かわいいニールくんをはじめ、ノーマンを取り囲む人たちも、ええ顔揃いの憎めないキャラクターばかりでしたよ!
ああ! もう全然言い足りない!
わたしは『パラノーマン』がだい、だい、だいすきです!!



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