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『桐島、部活やめるってよ』

2013年08月07日
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進学校でもなんでもない、ごくごくふつうの県立高校で、わたしは3年間を過ごした。
センバツ優勝、という華々しい記録を持つ野球部や、幾度とないインターハイ出場を誇るバレー部など、運動部の活動が盛んだったそこに於いて、まぁ、わたしが感じた限りではあるのだけれど、「スクールカースト」というものは存在していなかったように思う。
バレー部のエースも、放送部の部長も、美術部の幽霊部員たちも、校舎の中ではみな等しく「有意義なことや無意味なことに夢中になっている」高校生だった。
もしかしたら、制服を着崩すことに天才的なセンスを閃かせていたかわいらしいクラスメイトは、寝グセを直さず指毛&腕毛ボーボーのまま登校していた為、モンキーパンチ先生の画風的な意味で友人たちから「ルパン」と呼ばれていたわたしを、陰で嘲笑していたかもしれない。
しかし、わたしが彼女たちに卑屈な感情を抱いたことはまったく無かったし、朝から晩まで吹奏楽部で汗を流すことと、部活以外の時間を映画鑑賞に費やすことにしか興味がなかったわたしは、誰の上でも、誰の下でもなく、ただただ幸せな日々を送っていたのだった。

そして、そんな幸せな日々の中に、「桐島」はいた。

わたしの半径1メートルの中にいた「桐島」は、高校3年の初夏、突然音楽室から姿を消した。

「桐島」との友情は何から始まったのか。
今ではよく、思い出せない。
当時愛読していたロードショー誌を、「桐島」も読んでいたことがきっかけだったのか。
ともかく、同じクラス、同じ部活に属し、共通の趣味を持っていた「桐島」とわたしは、いつごろからか友達になっていた。
スラリとした体躯で物腰は穏やか、洋楽に詳しく、音楽の才能が豊かで先生からの信頼も厚かったことから、多くの女子部員からきらきらとした眼差しで見つめられていた「桐島」。
そんな彼とホラー映画の話題で盛り上がれたことは、わたしにとって「特別」に嬉しい出来事だった。
「ステータス」だなんて、そんな損得勘定が絡んだものなどではない、ひたすら純粋に嬉しい出来事だった。
共に厳しい練習に耐え抜き、帰路途中にあった映画館に足を運ぶうち、いつしかわたしの中に、「桐島」に対して友情以外の感情が芽生え始めてしまったことは言うまでもないだろう。
わたしは時折、準備室にいる「桐島」にだけわかるよう、音楽室のピアノでエルム街の悪夢のテーマを弾いてみたりした。
「桐島」は黒板をフレディのように爪で引っ掻く仕草で応えて・・・ ・・はくれなかったけれど、とにかく、まぁ、時々笑ってくれた。
わたしは幸せだった。
「桐島」がいる風景が。
「桐島」とコンクール金賞を目指す日々が。
「桐島」に友達と呼ばれることが。
高校生活最後のコンクールを控えた初夏の午後、「桐島」が部活をやめるらしい、と友人から聞かされるまでは。

わたしは、わたしたちは、毎日のように「桐島」の家に通い、なんとか退部を思い直すよう説得に励んだ。
しかしとうとう最後まで、「桐島」が音楽室に戻ってくることはなかった。
そして「桐島」が部活をやめた理由も、誰も知ることができないまま卒業の春を迎えた。

親友だと思っていた「桐島」。
夢中になっていることも、悩んでいることも、なんでも判っているつもりだったのに。
いや、ちがう。 
わたしは最初から、「桐島」のことを何もわかっていなかったのだ。
「わかっていなかった」ことに気づいていたからこそ、あえて「わかっていた」ことにしておきたかった。
「わかっていた」ことにしておきたかったからこそ、どうしても踏み込めなかったのだ。
その心の奥底に。

「桐島」の中に自分の知らない部分がある、ということを認めることができなかった当時のわたし。
『桐島、部活やめるってよ』に登場する桐島の友人や恋人たちもまた、桐島の心に深く踏み込もうとしません。
「裏切られた」という失望感を隠そうとはしないものの、家を訪ねていくような積極的なことはしない。
「桐島不在」が重要ポイントである物語なので。 と言ってしまえばそれまでですが、わたしには彼らが桐島の家に押しかけないのは、心のどこかで「桐島が隠していた部分を知りたくなかったから」なのではないかなぁ、と思えたのですよね。
なぜならそれを認めてしまうと、わたしたち(彼ら)の友情がニセモノになってしまいそうだから。

ほら、たとえばね、へんに嗅ぎ回っていて、うっかり桐島に別の学校に通う親友や幼馴染の彼女(しかもそちらの方が本命)とかがいたなんてことが判明しちゃったら、もう立ち直れないじゃないですか。
「あーじぶん必要とされてなかったわー“友達”じゃなく”知り合い”だったんだわーへこむわー薄々感づいてたけどへこむわー」 ってなりますって。
友情ってやつは儚いものです。
学校という狭い、けれどもただひとつの世界に張った、いつ砕けてしまうか判らない薄氷のようなものなのですよ。
だからこそ、少しの「絆」にしがみつくしかない。
薄っぺらい言葉ででも、つなぎとめようとするしかない。
でもね、それでいいと思うのですよね。
それでよかったんだよなぁ、と思うのですよ。今は。

わからないことだらけでいい。
全て判り合えていることが「友達」なのではないから。
細かく説明はしたくないけれど、とにかく、とりあえずそばにいてくれるだけで助かることだってあるから。
深刻な話よりもむしろ、くだらないことを同じように楽しんでもらいたいことだってあるから。
そういうことができる存在って、実はとても大切なのではないかと思うから。


本作は、桐島の「親友」だった菊池くんが、すがるような表情で携帯電話を握り締めるシーンで終わります。
そこまで一貫して「無関心」「平常心」を貫いてきた菊池くんが見せた無防備な表情。
「わかってくれてなくてもいいから、とにかく話を聞いてもらいたい」という眼差しはとても弱々しく、なんというか、さながらえさを待っている小動物のようで、わたしは気づくと、桐島が電話に出てくれることを心の底から願っていたのでした。

やっと一歩踏み込む決心を固めた菊池くんの未来に、幸多からんことを!


一方、わたしはというと。
先日、意を決して「桐島」に電話をかけた。
“どうしてあの時、部活をやめたの?”
という20数年越しの問いに、「桐島」は少し戸惑い、少し笑って、とても真剣に答えてくれた。
“大人になった今だからこそ、わかることもあるし、冷静に話せることもあるよな”
と、すっかり岡山弁が抜け、しかしあの頃と変わらない穏やかな口調で話す「桐島」は、
“おまえあの頃毎日うちにきてくれてたよな。 ・・わかってたよ”
なんて意味深なことを言い残し、じゃあまた、と電話を切ったのだった。

あの日、「桐島」が部活をやめた日、わたしは彼のことを何も判っていなかったし、まぁ、今でもよくわからないのだけれど、きっとこれからもじいさんばあさんになるまで、わたしたちは友達なのだろうなぁ、と思う。
これってすごく、幸せなことなのかもしれないな。

余談ですが、いちおう「じぶんの知らない世界」のリサーチとして、当時岡山で有数の進学校に通っていた世帯主さまに、桐島的人物の有無を確認してみたところ、
“女子に人気があって、バスケをかじってて、あえて部活には入らずに帰宅部を謳歌してて、放課後は制服デートしてて・・・  ・・ってアレ? オレって桐島?”
とのたまわったのですが、それ桐島じゃなく竜汰な! 橋本愛とつきあってたもじゃもじゃパーマの方!

改めて世帯主さまとじぶんの世界の交わらなさっぷりを認識したわたしだったのでした。


-追記-

・ とはいうものの、実は「桐島がいなくなって右往左往」の部分にはあまり興味がわかず、「映研のみんな、輝いていたよね!さいこうだよね! あと、なんかしらんけど桐島っていうバレー部の人が退部したらしいよ」ぐらいな配分で観ていました。

・ 女社会のドロドロが、思わずオエっとなるほど正確に表現されていたので、観る気が失せそうになりました。 あのね、陰でひそひそとか、本人に聞こえるか聞こえないかのギリギリの音量でキャハハ笑いとか、実生活において極力関わらないよう努力してきたスパイシーな光景を、なにが悲しゅうてフィクションの中でしこたま観せられなあかんねんって話ですよ。 鑑賞中何度「うわあ・・・・」と苦悩のためいきをもらしたことか・・。

・ バスケがすきなのに友達に合わせて帰宅部になって、でも未練タラタラで放課後ボールを抱える友弘がいつ「安西先生・・バスケがしたいです・・!」と言い出すのか、実はじっと見守っていたわたしです。

・ 「顧問の先生(大人)の言いなりになるより、自分たちが本当にやりたいものを作ろう!」と声を上げる前田くんは本当にかっこよくて、そんな彼を支える武文くんといい、生気のない顔の下にやる気をみなぎらせる後輩部員たちといい、最初からすでに「ヒーロー」として完成されていた人たちなのだなぁ、という印象を受けました。

・ これは『キックアス』を観た時にも感じたのですが、「情けない」「か弱い」「オタク」「さえないやつ」とされている主人公が、よくもわるくもそんな風に見えないのですよね。 キックアス(デイヴくん)は有名になる前の段階で「見てみぬふりなんてできない!」とリンチを止めに入るし、映画部のみんなも確固たる意志を持って映画を撮り始めている。 彼らは全然「カッコ悪く」なんてないし、周りの流されるがままに生きている生徒たちとは比較にならないぐらい輝いているのです。

・ たしかに途中、「自分たちよりも上のポジションにいる女子に声をかける」という初級ミッションや「派手なグループの運動部のごつい男子に謝罪を求める」というさらに困難なミッションをこなす姿からは、彼らなりの成長を感じることができましたが、それよりなにより、なんだったらもう顔を青く塗ったくってそぞろ歩いている時点で、すげーやり遂げてるんですよ。 充分満足なんですよ。 自分が高校生の時、ここまで積極性を持って人生に挑戦できたか?と思うと、ちょっと疑問ですもんね。

・ ということで、クライマックスの反撃シーンはグっときましたが、それよりも薄暗い部室で前田くんがゾンビ映画制作を宣言するシーンの方がもっとグっときたわたしだったのでした。 こんな部長がいたら、部活もたのしいだろうなぁ。

・ 部活に限らず、何かを始めたときや何かをしているときって、かなりの確率で「自分はこの先どうなるのだろう」と思ってしまうのではないでしょうか。 「やっていてたのしい」という反面、「これを続けていて何になるというのか」「これでご飯が食べていけるハズもないのに」と、常に頭の上を漂う疑問と不安。 体に絡みついてはなれない承認欲求。

・ 菊池くんも、もしかしたら桐島も、部活に対してそんなもやもやした気持ちを抱いていたのかもしれません。 だからこそ、前田くんの「映画監督になんかなれないことはわかっているけど、でも映画がすきだし、映画と関わっていたいから、これからも映画を撮る」という姿勢を目の当たりにしたとき、ファッ!っとなった菊池くん。 すきなことをすきと、恐れず堂々と言えることのかっこよさに、打ちのめされたのではないでしょうか。

・ あとね、ちょっといじわるな考え方ですけども、菊池くんは「求められたい人」なのかもなぁ、と思いました。 「試合に出てくれ」と。「つきあって」と。「うちの部に入ってよ」と。 周りから請われることで、自分に価値を見出しているタイプの人なのかもなぁ、と。 求められる快感というか、求められるうちが花、というか。 物語の終盤でついにキャプテンから「お客さんでいいから試合見に来てよ」と言われた時のその絶望。 ほら、いまさら「やっぱ出てあげてもいいですよ」だなんて、もう言えないッスもんねー。ねー。

・ 元吹奏楽部員としてちょっと気になったのですが、吹奏楽部がね、映画の冒頭の体育館のシーンで「今度の大会も好成績が期待されます」とかなんとか紹介されていたのですがね、どうも服装を見るに、秋から冬にかけてのお話じゃないですか。 何の大会なんだ、と。 吹奏楽コンクールの県大会は夏休み中に行われるので、もしかして支部大会とか? でも支部大会も早いトコだと8月中に終わっちゃう。 てことはまさか全国大会?!

・ 「エルザの大聖堂への行列」で全大って・・・ちょっと難しいんじゃなかろうか・・・いや、もちろんいい曲ですけどね・・

・ エルザは打楽器が少ないので、もし先生が「自由曲エルザな」って言ったら確実にやさぐれる自信があります。

・ とりあえず、校舎の中庭でひたすらシンバルを叩き続けるパーカッション奏者が出てこない時点で、オレは認めらんないね! 何を認めらんないかわかんないけど、とにかく認めらんないね! 朝から晩まで!手の形が変わるまで!オレはシンバルを叩くことをやめないッ!!

・ もうさ、そんなことより「メトセラⅡ」やろうぜ!




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