『ヘルタースケルター』
2013年03月30日
昨年夏に(もっぱら“沢尻さんのちちの出る出ない”のみで)話題を呼んだ『ヘルタースケルター』を借りてきました。
原作は、80~90年代にかけ活躍していた不世出の天才漫画家・岡崎京子さんの同名作品。
時代を問わない普遍的なテーマが大胆かつ綿密なタッチで描かれており、深い思い入れを抱いている方も多いのではないかと思いますが、果たして実写映画化はどのような出来栄えとなっていたのでしょうか。
早速デッキにセットしてみましたよ。

(※ ハマー作品でおなじみ・ミイラ男のようにも見えるこのお方の正体は・・・?!)

(※ グロッシーさに欠けるさくら色のリップ・・・ 今年のトレンドはマットなくちびるなのか・・?!)

(※ ムダ毛いっぽん生えてない、トゥルットゥルな二の腕・・・!)

(※ さあさあ、いよいよパーフェクトなビューティが出てきますよ・・・たぶん・・・!)

(※ はい!出た!完璧なクマ!おい!徹夜明けか! )

(※ パ・・・パーフェクトなビューティ・・? ・・ですよね・・・うん・・)Oo。.(´・ω・`)
均整のとれた包帯姿の下から現れたのは、「美しくありたい」「美しくなければならない」という強迫観念が生み出した哀しき怪物。
ファッション・モンスターならぬビューティ・モンスター、りりこさんです!
という訳で、以下彼女のモンスターっぷりをご堪能ください。

(※ 盛れるだけ盛って映画完成披露試写会に登壇する、IKKOモンスター・りりこさん。)

(※ 顔面崩壊の危機に瀕し作画のタッチがかわっちゃった、楳図モンスター・りりこさん。)

(※ 素朴な妹との再会にファンシーな帽子で駆けつける、アパホテルモンスター・りりこさん。)

(※ 球体と化したヘアスタイルでジャーマネのおうちを突撃訪問する、トットちゃんモンスター・りりこさん。)

(※ この点線に沿って切り込みを入れたら、どこと繋げればいいか・・あとはもうわかりますね、そう、ムカデにんげ)

(※ 番組のコンセプトはよくわからないものの張り切って出演する、ギルガメッシュモンスター・りりこさん。)

(※ ギルガメッシュパンチ!)

(※ 収録中幻覚に襲われ、また楳図っちゃったりりこさん。)
・ 自らの欲望を満たすため、人間たちが自然の摂理に反した行為に手を染めたとき、さまざまなモンスターが産声を上げる。 それはゴジラであったり、フランケンシュタインの怪物であったり、また、りりこであったりするのでしょうか。
・ 冒頭高らかに響き渡るのは、クラシックなホラー映画でも始まるのかと思わせるような、仰々しいサウンドトラック。 それが指し示すように、なるほど、これは確かに「とある憐れなモンスター」の物語だったのかもしれません。
・ 「ナンバー1にならなくてもいいよ、もともと特別なオンリーワンじゃないか。 ただ、ブサイクはチェンジな!」「男は度胸、女は愛嬌。 だけどババアは勘弁な!」「男はみんなぽっちゃりが好き。 それはそうと、お前最近ちょっと肉つきすぎてんじゃね?」等等。 個性を尊重してくれているようにみえて実は、容姿のみでやんわりと否定される事の多いこの世の中。 なぜなら、「かわいいは正義」だから。 「かわいくないは悪」だから。
・ 果たして自分は「正義」なのか。それとも「悪」なのか。 女の人たちは日夜「自己否定」と「自己肯定」の間で葛藤しています。 「整形をする程否定しないけれど、コスメ程度で補正できるものならなんとかしたい。」とか、「中肉中背で充分だわ・・と肯定しているけれど、ダイエット企画があるとつい見てしまう。」といった葛藤を。
・ 「男の人だって同じだ!」と言われるかもしれませんし、「ただイケ」事例も多々存在するとは思いますが、それでも女の人が味わう絶望に比べればまだ随分マシなのではないでしょうか。 とにかくね、女の人の現実は過酷なんスよ、ええ。 物心ついた頃からすでに、「品評会」は始まっている・・・それが女の人のリアル・・・!
・ 過酷な現実を生き抜くため、女の人たちは「わたしは今のわたしのままでいい」と幾つもの自己欺瞞を積み重ね、身を守る鎧をこしらえます。 しかし、雑誌を開けば、テレビをつければ、一歩街に踏み出せば、その瞬間鎧の上に容赦なく降り注ぐのは「かわいいは正義」という価値観の銃弾。
・ もちろん、「美」は押しつけではありません。 美顔に励むもプチ整形に手を出すも過酷なダイエットに身をやつすも己次第。 最終的な判断は、全て「わたし」に委ねられています。 けれども、街中に溢れかえる「カワイイ」「ダイエット」「アンチエイジング」を無視し続けることが、決して容易くないのもまた事実。 気付けば鎧は穴だらけで、心の中には「もっとキレイにならねば・・女子力とやらを磨かねば・・」という焦燥感だけが虚しく漂っている。 ・・なあんてことも。
・ 「(出来ることなら)キレイになりたい」という世の中の女の人。 「あなたが願うキレイはこんなんでしょ?」と提示してくる芸能事務所。 「これを使えばキレイになれますよ」と手段を売りつける広告代理店。 食っているのか食わされているのか。踊らされているのか踊ってやっているのか。 様々な思惑が絡み合うことで成り立っている不思議な三角関係は、常に新たな「カリスマ」を作り上げ、消費してゆく。 なんといびつで、なんとはかなく、なんとおかしな光景か。
・ 本作のヒロイン・りりこは、そんな三角関係の中でピンポン玉のように弾かれ、破滅的なラストへと猛烈な勢いで転がってゆきます。 かわいくなかった容姿を大々的にリフォームし、「正義」を手に入れたはずなのに、何も手に入れることができなかったかわいそうな女の子。 観終わったアガサの心に残されたのは、ただただ虚しさだけでした。
・ いや、つまんなかったからっていう意味の虚しさじゃないですよ。消費の虚しさ、無言の圧力に抗えない虚しさ、「キレイ」に固執せざるを得なかったことへの虚しさ。 そういった意味のアレです。 あくまでそれです。それのアレです。
・ 捨て身のセルフパロディでりりこを演じた沢尻エリカさんも、「美」の傍にいるのにちっとも「美」に染まっていかない中年ジャーマネを野暮ったさ満点で演じた寺島しのぶさんも、若さとお直し無しの美貌と嘔吐術でヴイヴイ言わせる水原希子さんも、おそろしくアンニュイな表情1パターンだけで全編やりきった桃井かおりさんも、みなさんとても(役柄に)はまっており、「蜷川実花さん版・ヘルタースケルター」には、この方々以外のキャスティングは考えられなかっただろうなぁ・・と思いました。
・ まあね、とりあえず画は五月蝿かったですけどね。 これはもう、何を今更という話なのかもしれませんが。 ・・と、いうもの、アガサは蜷川さんの前作『さくらん』の時点で完全に食傷してしまっていましたので。いや、食傷じゃなくて食中毒かも。
・ こうるさい装飾、ガチャガチャとした背景、「赤プラス赤かける赤」みたいな色の殺し合い。 ダメだ・・ニナガワさんは『さくらん』の頃となんも変わっちゃいねえ・・・むしろ悪化しているような気がするぜ・・!!

(※ 差し色という概念が無さすぎて、何がどうなっているのかよくわからない。ちょっとした騙し絵レベル。逆さにして見ると髭をはやしたおじいさんの顔が・・・!)(※浮かびません)
・ もともと蜷川さんの「美的センス」はガチャガチャゴテゴテ系らしいのですが、本作の「舞台美術」はどういう心づもりで作ったのでしょうかねぇ? ホントの意味で「ステキー!」と思って用意したものなのでしょうか? とてもじゃないけどそうは見えなかったものでね・・・。 「ステキー!シャレオツー!」どころか「醜悪でグロテスク」で超おちつきませんでしたよ。りりこの部屋に1時間いるだけでSAN値が下がりきる自信がオレにはある・・・!
・ エグいセットの中、終始情緒不安定なままヒステリックに泣き叫び、ガラガラと崩壊してゆくりりこ。 モンスター映画としてなら、これはこれで成立しているのではないでしょうか。 「美しいとされるもの」を「美しい」という意図で描いていないのならば。 「憧れ」ではなく「虚しさ」を感じさせようとしていたのならば。 少なくとも、アガサはそう受け取りました。 「つまらない映画」だとも思いませんでしたよ。蜷川実花さんの目には「ヘルタースケルター」の世界がこんな風に映っていたんだなぁ・・と思っただけで。
・ 原作の「ヘルタースケルター」に登場するりりこはどうだったのかというと、大掛かりなリフォームを受けるのも、それによって心のバランスを崩してしまうのも、手に入らないものばかりを求めてしまうところも蜷川さん版と同じなのですが、決してモンスターではなかったと思うのですよ。 原作のりりこは、満身創痍になりながらも自分の人生を果敢に切り開く戦士だったと思います。 だからこそ、読者はそんなりりこに強く惹かれてしまったのだと。
・ 蜷川さんにとっての「ヘルタースケルター」と原作のそれは、設定こそ同じものの全く別の世界でした。 それならばそれでいいではないか。 「美しさ」にとらわれ、もがき、のたうち回る女の人の物語としては、どちらもおもしろかった。 私はそう思います。 どちらの方がすきか、はさておき。
・ ただ、別の世界なのにセリフまでそっくりそのまま原作から持ってきてしまった為、印象的な筈のシーンが随分と薄っぺらいものになってしまっていましたけどね。 大森南朋さん演じる検事による「タイガーりりい」という言葉の「ソレジャナイ感」の半端ないことと言ったら・・・。 そりゃそうだよ!だって全然タイガーリリィじゃないんだもん! たぶん、大森さんも言ってて「ヤバイ!超ハズい!」ってなってたんじゃないでしょうかね・・。
・ そして、全編通してモンスターとして生きていた(生かされていた)りりこからは、したたかさが伝わってくる筈もなく、別天地で威風堂々と構えてみせるラストカットも全く活きてこないという。 なんと言ったらよいか・・・原作に忠実にやろうとする気持ちと蜷川さんの方向性が噛み合わず、ちぐはぐになってしまっているのですよね。 映画そのものも、りりこと同じくつぎはぎだらけで崩壊寸前みたくなっちゃった!ということなのか・・・。 意識してやっていたとしたらおそろしいな・・・。
・ というわけで、アガサは「原作との相違」や「蜷川さんの超センス」や「沢尻さんの作画崩壊っぷり」など、興味深く感じられる点がいくつもありましたので、たのしく鑑賞させていただきましたよ。 如何せん長すぎでしたけど。 長すぎでしたけど。(※上映時間127分) ちなみに一緒に鑑賞していた世帯主さまは「鬱映画じゃねえか、ちっきしょう!また嫁にだまされた!」(※世帯主さまはネガティブ要素のある映画が大嫌いなタイプです)とドンヨリしていました。 ごめんねジロー。
♪♪どちらのバナーでもどうぞご遠慮なく♪♪ → 原作は、80~90年代にかけ活躍していた不世出の天才漫画家・岡崎京子さんの同名作品。
時代を問わない普遍的なテーマが大胆かつ綿密なタッチで描かれており、深い思い入れを抱いている方も多いのではないかと思いますが、果たして実写映画化はどのような出来栄えとなっていたのでしょうか。
早速デッキにセットしてみましたよ。

(※ ハマー作品でおなじみ・ミイラ男のようにも見えるこのお方の正体は・・・?!)

(※ グロッシーさに欠けるさくら色のリップ・・・ 今年のトレンドはマットなくちびるなのか・・?!)

(※ ムダ毛いっぽん生えてない、トゥルットゥルな二の腕・・・!)

(※ さあさあ、いよいよパーフェクトなビューティが出てきますよ・・・たぶん・・・!)

(※ はい!出た!完璧なクマ!おい!徹夜明けか! )

(※ パ・・・パーフェクトなビューティ・・? ・・ですよね・・・うん・・)Oo。.(´・ω・`)
均整のとれた包帯姿の下から現れたのは、「美しくありたい」「美しくなければならない」という強迫観念が生み出した哀しき怪物。
ファッション・モンスターならぬビューティ・モンスター、りりこさんです!
という訳で、以下彼女のモンスターっぷりをご堪能ください。

(※ 盛れるだけ盛って映画完成披露試写会に登壇する、IKKOモンスター・りりこさん。)

(※ 顔面崩壊の危機に瀕し作画のタッチがかわっちゃった、楳図モンスター・りりこさん。)

(※ 素朴な妹との再会にファンシーな帽子で駆けつける、アパホテルモンスター・りりこさん。)

(※ 球体と化したヘアスタイルでジャーマネのおうちを突撃訪問する、トットちゃんモンスター・りりこさん。)

(※ この点線に沿って切り込みを入れたら、どこと繋げればいいか・・あとはもうわかりますね、そう、ムカデにんげ)

(※ 番組のコンセプトはよくわからないものの張り切って出演する、ギルガメッシュモンスター・りりこさん。)

(※ ギルガメッシュパンチ!)

(※ 収録中幻覚に襲われ、また楳図っちゃったりりこさん。)
・ 自らの欲望を満たすため、人間たちが自然の摂理に反した行為に手を染めたとき、さまざまなモンスターが産声を上げる。 それはゴジラであったり、フランケンシュタインの怪物であったり、また、りりこであったりするのでしょうか。
・ 冒頭高らかに響き渡るのは、クラシックなホラー映画でも始まるのかと思わせるような、仰々しいサウンドトラック。 それが指し示すように、なるほど、これは確かに「とある憐れなモンスター」の物語だったのかもしれません。
・ 「ナンバー1にならなくてもいいよ、もともと特別なオンリーワンじゃないか。 ただ、ブサイクはチェンジな!」「男は度胸、女は愛嬌。 だけどババアは勘弁な!」「男はみんなぽっちゃりが好き。 それはそうと、お前最近ちょっと肉つきすぎてんじゃね?」等等。 個性を尊重してくれているようにみえて実は、容姿のみでやんわりと否定される事の多いこの世の中。 なぜなら、「かわいいは正義」だから。 「かわいくないは悪」だから。
・ 果たして自分は「正義」なのか。それとも「悪」なのか。 女の人たちは日夜「自己否定」と「自己肯定」の間で葛藤しています。 「整形をする程否定しないけれど、コスメ程度で補正できるものならなんとかしたい。」とか、「中肉中背で充分だわ・・と肯定しているけれど、ダイエット企画があるとつい見てしまう。」といった葛藤を。
・ 「男の人だって同じだ!」と言われるかもしれませんし、「ただイケ」事例も多々存在するとは思いますが、それでも女の人が味わう絶望に比べればまだ随分マシなのではないでしょうか。 とにかくね、女の人の現実は過酷なんスよ、ええ。 物心ついた頃からすでに、「品評会」は始まっている・・・それが女の人のリアル・・・!
・ 過酷な現実を生き抜くため、女の人たちは「わたしは今のわたしのままでいい」と幾つもの自己欺瞞を積み重ね、身を守る鎧をこしらえます。 しかし、雑誌を開けば、テレビをつければ、一歩街に踏み出せば、その瞬間鎧の上に容赦なく降り注ぐのは「かわいいは正義」という価値観の銃弾。
・ もちろん、「美」は押しつけではありません。 美顔に励むもプチ整形に手を出すも過酷なダイエットに身をやつすも己次第。 最終的な判断は、全て「わたし」に委ねられています。 けれども、街中に溢れかえる「カワイイ」「ダイエット」「アンチエイジング」を無視し続けることが、決して容易くないのもまた事実。 気付けば鎧は穴だらけで、心の中には「もっとキレイにならねば・・女子力とやらを磨かねば・・」という焦燥感だけが虚しく漂っている。 ・・なあんてことも。
・ 「(出来ることなら)キレイになりたい」という世の中の女の人。 「あなたが願うキレイはこんなんでしょ?」と提示してくる芸能事務所。 「これを使えばキレイになれますよ」と手段を売りつける広告代理店。 食っているのか食わされているのか。踊らされているのか踊ってやっているのか。 様々な思惑が絡み合うことで成り立っている不思議な三角関係は、常に新たな「カリスマ」を作り上げ、消費してゆく。 なんといびつで、なんとはかなく、なんとおかしな光景か。
・ 本作のヒロイン・りりこは、そんな三角関係の中でピンポン玉のように弾かれ、破滅的なラストへと猛烈な勢いで転がってゆきます。 かわいくなかった容姿を大々的にリフォームし、「正義」を手に入れたはずなのに、何も手に入れることができなかったかわいそうな女の子。 観終わったアガサの心に残されたのは、ただただ虚しさだけでした。
・ いや、つまんなかったからっていう意味の虚しさじゃないですよ。消費の虚しさ、無言の圧力に抗えない虚しさ、「キレイ」に固執せざるを得なかったことへの虚しさ。 そういった意味のアレです。 あくまでそれです。それのアレです。
・ 捨て身のセルフパロディでりりこを演じた沢尻エリカさんも、「美」の傍にいるのにちっとも「美」に染まっていかない中年ジャーマネを野暮ったさ満点で演じた寺島しのぶさんも、若さとお直し無しの美貌と嘔吐術でヴイヴイ言わせる水原希子さんも、おそろしくアンニュイな表情1パターンだけで全編やりきった桃井かおりさんも、みなさんとても(役柄に)はまっており、「蜷川実花さん版・ヘルタースケルター」には、この方々以外のキャスティングは考えられなかっただろうなぁ・・と思いました。
・ まあね、とりあえず画は五月蝿かったですけどね。 これはもう、何を今更という話なのかもしれませんが。 ・・と、いうもの、アガサは蜷川さんの前作『さくらん』の時点で完全に食傷してしまっていましたので。いや、食傷じゃなくて食中毒かも。
・ こうるさい装飾、ガチャガチャとした背景、「赤プラス赤かける赤」みたいな色の殺し合い。 ダメだ・・ニナガワさんは『さくらん』の頃となんも変わっちゃいねえ・・・むしろ悪化しているような気がするぜ・・!!

(※ 差し色という概念が無さすぎて、何がどうなっているのかよくわからない。ちょっとした騙し絵レベル。逆さにして見ると髭をはやしたおじいさんの顔が・・・!)(※浮かびません)
・ もともと蜷川さんの「美的センス」はガチャガチャゴテゴテ系らしいのですが、本作の「舞台美術」はどういう心づもりで作ったのでしょうかねぇ? ホントの意味で「ステキー!」と思って用意したものなのでしょうか? とてもじゃないけどそうは見えなかったものでね・・・。 「ステキー!シャレオツー!」どころか「醜悪でグロテスク」で超おちつきませんでしたよ。りりこの部屋に1時間いるだけでSAN値が下がりきる自信がオレにはある・・・!
・ エグいセットの中、終始情緒不安定なままヒステリックに泣き叫び、ガラガラと崩壊してゆくりりこ。 モンスター映画としてなら、これはこれで成立しているのではないでしょうか。 「美しいとされるもの」を「美しい」という意図で描いていないのならば。 「憧れ」ではなく「虚しさ」を感じさせようとしていたのならば。 少なくとも、アガサはそう受け取りました。 「つまらない映画」だとも思いませんでしたよ。蜷川実花さんの目には「ヘルタースケルター」の世界がこんな風に映っていたんだなぁ・・と思っただけで。
・ 原作の「ヘルタースケルター」に登場するりりこはどうだったのかというと、大掛かりなリフォームを受けるのも、それによって心のバランスを崩してしまうのも、手に入らないものばかりを求めてしまうところも蜷川さん版と同じなのですが、決してモンスターではなかったと思うのですよ。 原作のりりこは、満身創痍になりながらも自分の人生を果敢に切り開く戦士だったと思います。 だからこそ、読者はそんなりりこに強く惹かれてしまったのだと。
・ 蜷川さんにとっての「ヘルタースケルター」と原作のそれは、設定こそ同じものの全く別の世界でした。 それならばそれでいいではないか。 「美しさ」にとらわれ、もがき、のたうち回る女の人の物語としては、どちらもおもしろかった。 私はそう思います。 どちらの方がすきか、はさておき。
・ ただ、別の世界なのにセリフまでそっくりそのまま原作から持ってきてしまった為、印象的な筈のシーンが随分と薄っぺらいものになってしまっていましたけどね。 大森南朋さん演じる検事による「タイガーりりい」という言葉の「ソレジャナイ感」の半端ないことと言ったら・・・。 そりゃそうだよ!だって全然タイガーリリィじゃないんだもん! たぶん、大森さんも言ってて「ヤバイ!超ハズい!」ってなってたんじゃないでしょうかね・・。
・ そして、全編通してモンスターとして生きていた(生かされていた)りりこからは、したたかさが伝わってくる筈もなく、別天地で威風堂々と構えてみせるラストカットも全く活きてこないという。 なんと言ったらよいか・・・原作に忠実にやろうとする気持ちと蜷川さんの方向性が噛み合わず、ちぐはぐになってしまっているのですよね。 映画そのものも、りりこと同じくつぎはぎだらけで崩壊寸前みたくなっちゃった!ということなのか・・・。 意識してやっていたとしたらおそろしいな・・・。
・ というわけで、アガサは「原作との相違」や「蜷川さんの超センス」や「沢尻さんの作画崩壊っぷり」など、興味深く感じられる点がいくつもありましたので、たのしく鑑賞させていただきましたよ。 如何せん長すぎでしたけど。 長すぎでしたけど。(※上映時間127分) ちなみに一緒に鑑賞していた世帯主さまは「鬱映画じゃねえか、ちっきしょう!また嫁にだまされた!」(※世帯主さまはネガティブ要素のある映画が大嫌いなタイプです)とドンヨリしていました。 ごめんねジロー。

