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『ザ・ウーマン』

2013年03月13日
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あらすじ・・・
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山の中でひとりの女性が発見されます。

ウーマン2_convert_20130311114046
連れ帰られた女性は、とある一家に飼われる事に。

ウーマン3_convert_20130311113840
懐くどころか、凶暴性を剥き出しにする女性。

ウーマン4_convert_20130311114142
教育が実を結び、ヒトの言葉を覚えはじめる女性。

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しかし結局、再び女性は解き放たれ、彼女の自由な生き方に憧れた文明人たちがあとに続くのであった。


【番外編】
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女性の生命力溢れる生き方に惹かれる男性(カウ)。

(※ 画像はすべてイメージです)

ウンバボー!(←合言葉)

ということで、昨年一部の劇場でひっそりと公開された最終鬼畜映画『ザ・ウーマン』がやっとこさDVD化されましたので早速鑑賞してみましたよ。
簡単に紹介すると、「邪悪なヒギンズ教授が野性味溢れる女性を調教しようと思ったんだけど、実は女性の主食は人肉だったもんだからさあ大変!」というお話です。
噂にたがわず素晴らしい仕上がりで、親父のゲスっぷり、おかあさんの思考停止っぷり、息子のクズっぷり、末妹ダーリンちゃんの天使っぷり、女子高生ペグの詰みっぷり、そしてウーマンさんの独立独歩っぷりが、魅力的な俳優陣によって見事に表現されておりました。
特筆すべきは、「退かぬ!媚びぬ!省みぬ!」の精神でひたすらに「生きて」ゆくウーマンさんの、神懸かり的な美しさ。
演じるポリアンナ・マッキントッシュさんは、本作の前日譚にあたる『襲撃者の夜 食人族The Final』でも同じ役に扮していたのですが、そちらでの精彩に欠く立ち回りがウソのような、実に活き活きとした生き様を披露してくれていました。
あるときは狼が棲む洞窟、またあるときは野蛮な文明人があつらえた監禁室。 暗闇の中浮かび上がるその三白眼は、鬼火のように妖しく燃え、アガサの心を魅了してやみませんでした。そしてきっと、ウーマンさんと同じく「とらえられて」いた女たちの心も。

物語の内容はほぼ原作小説の通りで(ケッチャムさんとラッキー・マッキー監督の共著なので当たり前といえば当たり前ですが)、とことん救いのない破滅の風景が情緒豊かにめくるめく展開します。
残酷なほど美しく切り取られた青春の日々。 
観ているだけで息が詰まりそうなスイートホーム。
そんな中、抑圧された「女」から定冠詞のついた「THE WOMAN」へと生まれ変わる、その第一歩を踏み出す女たち。
それは、ショッキングな出来事によってのみもたらされた変化ではなく、もともと彼女たちが持っていた強さ、生きる意志を取り戻した事による変化だったのではないかと思いました。
自分が長年支配し続けてきた女たちに、変化のきっかけとなるウーマンさんを与えてしまったのが、他ならぬゲス親父その人であった事はなんとも皮肉で、小気味いいばかりですね。

本作のもうひとりのキーパーソンとして、夫からの肉体的・精神的虐待を受け続けた結果自分の中の「良心」をシャットアウトせずには生きてゆけなくなってしまった妻がいるのですが、演じるアンジェラ・ベティスさんが放つ国宝級の薄幸オーラと相まって、「ただ立っているだけでかわいそう」「声をかけるのも躊躇われる」「ごはんが栄養になってなさそう」「暗闇で遭遇したら腰が抜けそう」との声が続出しました。(アガサの心から)
こういう「かわいそう」な主婦が、何らかのアクションを起こさない事を責めるのは簡単です。
責めるつもりはなくても、「さっさと離婚するなり、夫が居ない間に家を出るなり、なんとか出来た筈」などとつい思ってしまう人は多いでしょう。かくいう私もそうですが。
しかし、そんな「簡単」な事すら思いつけない程、彼女の心は空っぽになってしまっているのではないか。そうしないと、思考を留まらせず常に空っぽにしていないと生きてゆけないほど、疲弊してしまっているのではないでしょうか。
もちろん、彼女自身の事はさておき、子どもに与えられた暴力すら見てみぬフリをしてきた事は、到底許されることではありません。
ペグやウーマンさんに夫が向けた「愛欲」に対し、怒るどころか嫉妬してしまうトコロや、不幸な生まれ方をした娘を救おうとしなかったトコロも、女として妻として、そして母として、愚かとしか言いようがない。
でも。 だけれど。

最後の最後になり、やっと「THE WOMAN」として尊厳ある生き方を選ぼうとした彼女は、夫の暴力によって再度蹂躙され、監獄のようなスイートホームから抜け出す事が出来ませんでした。
そんな彼女が、解き放たれたウーマンさんによって生きたまま喰われ命を終わらせた事は、当然の報いであったと同時に、一種の弔いだったのかもしれません。 
夫ではなく、ウーマンさんによって(この世から)解放された事は。

純粋なダーリンちゃんが地下室のウーマンさんにラジオを聴かせるシーンや、青春を謳歌する同級生たちを見つめるペグちゃんが絶望の底へと沈んでゆくシーン、親父の暴走を制止しようとして逆に口汚く罵倒されてしまうペグちゃんの姿を、グルグルと取り囲み追い込んでゆくようなカメラワークで映し出したシーンなど、その画面が意味する恐ろしさとは裏腹にハっとする程魅力的なシーンが多々あり、ラッキー・マッキー監督の非凡な才能に大いに打ちのめされました。
同監督オリジナル作品の『MAY -メイ-』も素晴らしい作品でしたが、今後もうしばらくケッチャムさんとの蜜月が続き、あのおぞましい世界感を叙情的に描いて行って頂けたらなぁ・・と思わずにはいられません。
ホント、相性バツグンだと思うよ!



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