ブログパーツ

『デビル・インサイド』

2013年03月10日
The+Devil+Inside+Movie+Poster_convert_20130310125621.jpg


あらすじ・・・
悪魔がいるように感じるから悪魔祓いをするのか悪魔祓いをするから悪魔がいるように感じるのか、さあ!どっち!

・ 若く美しい娘、イザベラ。 彼女には悩みがありました。 それは20年前に母が起こした事件のこと。

・ 神父を含む3人の男性を冥土送りにした罪で引っ立てられた母・マリア。 解離性同一性障害と診断されたマリアは、釈放後イタリアの精神病院に強制入院させられました。 それ以来、一度も母と会うことなく成長したイザベラが、大人になって思うことはただひとつ。 母は本当に「精神障害」だったのか。 それとも「何か」に「憑かれて」いたのか。

・ そんなイザベラの疑問に救いの手を差し伸べてくれる人がいました。 ドキュメンタリー監督のマイケルです。 マイケルは当時の捜査資料を集めたり、イタリア調査旅行の同行など、ちょっとどうかと思うくらいの全面フォローを申し出てくれました。 いやぁ!やっぱかわいいは正義だわ!

・ ということで、あとはイタリアで悪魔祓いをしてギャーってなって終わりです。それ以上も、それ以下もない。いつものアレです。

・ 本作は、イザベラに同行したマイケルがフィルムに収めたあれやこれや。というていで進められてゆく、いわゆる「モキュメンタリー」方式の映画な訳ですが、「母の無実(?)を証明したい娘」の頼みだけでバチカンが協力してくれたり、病院が部外者であるカメラマンも招き入れてくれたり、あちらこちらへカメラを仕掛けることすら許可してくれたりと、「本気でモキュメンタリーにする気・・・あんの?」と言いたくなるような至れり尽くせりっぷり。

・ その反面、冒頭【バチカンは悪魔祓いを認めておらず、本作に関しても一切承認・援助はしていない】とテロップを出してみたりもするので、本当にね、どういう方向性に持って行きたいのかわかりづらいですよね。 ええとええと、じゃあ何ですか?バチカンでの「悪魔祓い講座」のシーンは隠し撮りだったってことですか? 講堂内も堂々と撮影してたみたいですけど。 ああもうなんかやだ!中途半端!ふんずけてやる!

・ まあね、この手のテロップはよくある手法ですし、いちいち目くじら立てるようなものではないと思うのですけどね、なまじ「真面目に作ってます」という姿勢が感じられるだけに・・ねぇ・・・。 【バチカンは認めていない】雰囲気でいくのならコソコソ撮影&バレて怒られるぐらいのシーンがあっていいと思いますし、【堂々と撮影したのちに揉めた】方向でゆくのならテロップは「バチカンはこれらのフィルムを認めていない」とかにする方がよかったような気がしましたねぇ。 ウソはおもしろいけど、つくんなら上手について欲しいっス。

・ あと、イザベラさんがお母さんの事件の真実に迫りたい、という気持ちは理解できるものの、なぜ病院を訪ねるよりも前に悪魔祓いの授業を受ける必要があるのかさっぱりわかりませんし、いざ再会した時、絶対知る筈のない自分の過去(数年前に堕胎した)をお母さんにデスヴォイスで囁かれたイザベラさんが、超常現象さ加減に心打たれてすんなり「悪魔憑きであること」を受け入れるのではなく、さらに悪魔憑きのなんたるかを知ろうと奔走する意味がわからない。 しかも、なんたるかを教わる相手は「無認可のエクソシスト」ですよ。 こないだバチカンの教室で知り合ったばっかの学生ですよ。 みんなチャレンジャー精神旺盛すぎるだろ!

・ ・・と、まぁ、ああだこうだ言いながらも、「悪魔祓い」映画を見かけるたびに借りてしまう私なのですけどね。 なぜかというと、それは「キリスト教を信じる」人たちの世界における「悪魔」という概念が興味深いからだと思います。

・ じぶん、仏教徒なんで。 ・・・というかどちらかというと無宗派ですし、「悪魔憑き」と言われても「どの世界の悪魔だよ!イスラム系か?仏教系か?それとも山羊爪系か?ヘイヘーイ!」と怖がるどころかおもしろがってしまいがちなのですが、じっさい問題「悪魔に憑かれた」人やその家族にとっては生死に関わる大問題なわけで。  恐ろしく曖昧で、しかしものすごい破壊力を持つ「悪魔」というものは、どこからやってきてどこに去ってゆくのか? 果たしてその正体は? 続きはwebで!(※続きません)

・ エクソシスト映画で時々見かける論法に、「悪魔がいるんだから神さまもいるんだよ」というものがありまして。 アガサはそれを初めて目にしたとき、「すごいなぁ」と感心してしまったのですよね。 「神さまが居るかどうかは証明出来ないけど、悪魔がいるんだから居るにちがいない」という。 「卵が先か鶏が先か?」みたいな歯切れの悪さでいいんだ~!へ~!、と。 

・ まぁ、感心すると同時に、ちょっとズルイんじゃないかとも思ってしまったのですが。 だって、「悪」がこの世の中から消え去るコトなんてないじゃないですか。そしたらもう、神さまも居るに決まっちゃうじゃないですか。「あー神さま居るわーごめん居たわー」ってなりますって。

・ ただ純粋に「悪意」だったり、何かを成立させる為に「必要悪」になったり・・。 いずれにせよ、この世界には、人の心の中には、常に色々なかたちの「悪」が潜んでいる。 まさしく「デビル・インサイド」なわけです。 しかし、それは「一部分」であって「人そのもの」ではない。 

・ 「悪魔」とは、「あなたはわるくない。わるいのは悪魔なのだ」という「救い」の為に生み出された存在なのかもしれませんね。 先に書いた「悪」以外にも、情緒的な不安定さからくる混乱や肉体的な苦痛や精神疾患も全部ひっくるめて、自分自身が、あるいは近しい人が、どうにも出来ないような「混乱」に陥った時、それを「悪魔」のせいにして乗り越えようとする、ひとつの知恵みたいなものなのかもしれないなぁ・・と思います。  もちろん、「わるくない」って言ってくれるのは「神さま」です!ハレルヤ!

・ ちょっと話が逸れてしまったような気もしますが、本作に関してまとめると、中途半端さはさておき「なんだか知らないけど豹変した人」とそれを無理やりねじふせようとする「キリスト教」の噛み合わなさや無力さはおもしろかったです。

・ くらべちゃいけませんけど、同じくバチカンのエクソシスト講座に関する描写が出てくる『ザ・ライト -エクソシストの真実-』の方が、色々と振り切れていて私はすきですねぇ。 そういえばあっちは「実話ベース」を売りにしていたような・・・バチカン・・怒らなかったのかなぁ。(まぁ本作のテロップもただのハッタリでしょうけどね)



     ♪♪どちらのバナーでもどうぞご遠慮なく♪♪ →   にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ


※当ブログで使用しているイラスト等の著作権は、全てはアガサにありますので、転載、二次加工、再配布の際は一言ご連絡下さいませ。