『引き裂かれた女』
2012年12月05日

「偉大な父親と資産家の母親の財産で自由気ままに生きている甘ったれのボンボン」
VS
「多くの人から尊敬される著名な作家だけど性欲の鬼でへんたいSEXクラブ会員」 ファイッ!!
あらすじ・・・
テレビのお天気キャスターとして、日夜おっさん連中のハートを鷲掴みにしているガブリエル。
ある日彼女は、インタビュー番組に出演すべくテレビ局を訪れていた作家のシャルルと出会う。
自分の母親よりの年上のシャルルに、どこかしらジュワっときてしまうガブリエル。
その後彼女は、母親が営む書店でシャルルのサイン会が開かれる事を知り、好奇心から会場に向かう。
無礼なファンにも大人な対応をみせるシャルルに惹かれるガブリエル。
そしてシャルルもまた時を同じくして、若く、美しく、瑞々しいガブリエルに性的な意味でロックオンしていた。
新刊をプレゼントし、週末開かれるオークションにガブリエルを誘うシャルル。
早くも夢ごごちのガブリエル。
一方、そんな二人を苦々しい目つきで眺める不遜な若者がいた。
彼の名はポール。
実業家で大富豪だった両親の金で、やらかし放題な怠惰の日々を送るポールも、実は書店でガブリエルに一目惚れし、なんとか彼女をモノにしたいと熱望していたのだ。
割り切った関係で済ます気満々のシャルルと、典型的な「奥さんと別れて私と一緒になって」タイプのガブリエル、そして苦労や我慢を知らないハイソサエティ・ニートのポール。
こじれる可能性しか感じられない3人の、複雑な恋愛劇の行く末は・・・。
【今日のまとめ/ヤリチンじじいはじじいなだけに性質(タチ)が悪い!勃ちはいいけども!】
真っ赤に加工された風景に被さるトゥーランドットの調べで始まる本作。
田舎道を走っていると思われる車の、フロントガラスから見える景色。
それがなぜ真っ赤なのか。
高らかに鳴り響くソプラノは何を意味しているのか。
いきなり戦々恐々としてしまいます。
しかし、誰かの別荘とおぼしき一軒家に到着した途端、画面の色調は元に戻り、アリアが終わるのを待ってから女性の指がオーディオのスイッチを消す。
その後紹介されるのは、奥さんをこの世の何よりも愛し、崇拝している有名作家と、彼らとフランクな付き合いを続けているらしき女性編集者。
不穏な気配など感じられない、むしろケラケラとした軽いやりとりが繰り広げられる。
「うわー油断の出来ない映画だなー」と思いました。
この愛妻家の男性こそ、のちに世の中のドロドロを知らない健気なガブリエルにあーんな事やこーんな事を(性的な意味で)手ほどきし、さんざん味わった挙句「じゃ、ぼくはこの辺で」とばかりにボロ雑巾のごとく廃棄するクズ中のクズ、キング・オブ・クズことシャルルさんなのですが、なんかもう最初からそうしそう(ポイ捨てを)な雰囲気がプンプンと漂っていますので、観ているこちらはガブリエルさんが不憫でなりません。
初対面の時は関心がなさそうな態度で。
再会した時は目ヂカラ全開でフェロモンを放出。
「ドキ!金持ってそうなおっさんだらけのオークション大会」という上流階級な遊びに誘い、舞い上がった所ですかさず性交渉。
しかし、すぐに女の子を撥ね付けるような態度をとり、「え・・なんで・・やっぱり私じゃ満足出来なかったの・・?」と不安にさせた所で再び携帯コール。
尻尾を振ってかけつけた女の子に「君を守りたかったんだ・・・僕からね・・(キリッ)」と殺し文句を放つんですから、もうこれで落ちない訳がないですよね。 えげつねー! 50男の手練手管えげつねー!
いとも簡単に若い女の子を連れ込むシャルルは、どう見ても「生粋の女ったらし」で、妻もそれを特に問題と思っていない模様。
合鍵をあげた女の子と程度に遊んだあと、妻に鍵束を渡し「これ、たのむね」と伝えるだけで、「オッケー」とばかりに執筆用マンションの鍵を替えてくれるくらいですから、この一連の作業はもうお馴染みの光景なのでしょう。
どれだけ遊んでも、妻と夫の関係は揺るぎない。
この信頼関係はすばらしいと思うのですが、巻き込まれた女の子はたまったもんじゃないですよね。
そして、目も当てられないほど無残に弄ばれたガブリエルの心の傷を癒すべく、金持ちポールがアップを始めるのですが、これがまた「相手の為」なんて気持ちは一ミリもない「利己主義の塊」のような人間でして。
本心からガブリエルを愛し、ガブリエルを幸せにしたいと願っている訳ではなく、ただ単に「自分が欲しいものを手に入れたい」だけ。
おもちゃが欲しいと駄々をこねる子どもと同じなのです。
ポールはまた、シャルルがサイン会を開いていた書店に突撃した際もいきなり攻撃的でしたので、もしかしたら過去にもシャルルに「意中の女性」を横取りされた経験があるのかもしれないなぁ、と思いました。
ま、いずれにせよ幼稚ですよね。
当然、そんなガキと一緒にいてガブリエルの心が落ち着くはずもないのですが、「コイツも相当だけどひとりぼっちよりはマシ」程度の覚悟で結婚を決意してしまう。彼女もまた、まだまだ幼い「女の子」だったのです。
息子の裁判を有利に運ばせる為なら、腹立たしい嫁(ガブリエル)に頭を下げる事も厭わない、なんだったら過去の不名誉な事件(事故)までゲロしてでも情に訴えてくるポールの母のしたたかさ。
(過去に自分自身もシャルルにつまみ食いされていた為)母子どんぶりになっちゃっている事に気づいても尚、娘の恋路を生温かく見守るガブリエルの母の危機管理能力の欠落具合。
そして、明らかにシャルルと長い関係と続けており、さらに、シャルルの妻にも密かに恋愛感情を抱いていそうな編集者・カプシーヌの匂いたってきそうな色香。
演じるマチルダ・メイさんの目尻のシワがまた例えようもなくセクシーで、なんというか、恋愛にも仕事にも人生にも余裕がありすぎて、仙人みたいな空気を醸し出していましたね。
岩波書店さんは次回広辞苑を改訂する際、「性の奥義を極めた」の項にマチルダさんの画像を添付しておいてください、おねがいします。なにとぞおねがいします。重ねておねがいします。
どこにでもいるようなゲスな人間を使い、どこにでもあるような痴情沙汰をドロっとさせることなく、サクサクと描き出したのは、ヌーヴェル・ヴァーグを代表する映画作家クロード・シャブロル監督。
たわいもない会話や何気ないシーンの積み重ねでありながら、退屈さを感じる事など全くなく、ごく自然に物語に引き込まれてしまいました。
直接卑猥な行為を映し出していないにも関わらず、いくつかのセリフと直後の表情だけで「裁判で証言されたら“あーそりゃしょうがないねー”と言われちゃうくらいえげつない」事を想像させる演出も、とても粋だと思いました。
よっ!寸止め名人!!
ちなみに、鑑賞後『トゥーランドット』について調べてみたところ、劇中使われる歌曲『このくらい宮殿の中で』は、絶世の美女トゥーランドットが求婚に訪れた王子達に三つの謎を差し出すという内容で、悲劇的な最期を迎えた自らの祖先の王女と自分を重ね、「私は絶対に誰のものにもならない」という決意を示すと共に、生死をかけた「女の闘い」に挑む、というとても
映画の内容と比較すると、ちょっくら合わないような気もしましたが、心無い男たちによっていいように弄ばれたガブリエルが、心をズタズタに引き裂かれながらもその傷ついた体で再び立ち上がり、観客の歓声に応えるラストシーンを観て、「ああ、彼女はすべての毒を飲み干し、最後に強さを手に入れたのだな」という気がしました。
ガブリエルはもう、軽々しく誰かのものにはならないだろう。
そして彼女のそれは、冒頭アリアを聴いていた編集者・カプシーヌさんもまた、過去に経験し、導き出したことのある答えなのかもしれない。
そんな風に思いました。
とてもおもしろかったです!

