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『ザ・ブルード/怒りのメタファー』

2012年07月13日
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あらすじ・・・
「そんなバカな!」

弁護士の言葉にフランクは耳を疑った。
幼い頃に実母から受けていた虐待のせいで、精神のバランスを崩してしまった妻・ノーラ。
著名な精神科医・ラグラン博士から、サイコ・プラズミックという最先端セラピーを施されているものの、その成果はいまだ見えない。
そんな中、ラグラン博士に請われ、娘のキャンディスを入院中のノーラに面会させたフランクは、帰宅したキャンディスの背中に、数え切れないほどの傷跡が刻み込まれていたの発見したのだった。

「あれは妻がやったに違いないんだ!もう彼女に娘を会わせるつもりはない!」
「しかし、法というのものは母親に有利に働くものでしてね・・」

ラグラン博士が保証人である限り、ノーラの異常性を理由に娘を遠ざける事は出来ない。
むしろ、もしも面会を拒むような事をすれば、ノーラ側から訴えられるかもしれないと弁護士は言う。
娘を守るためにフランクが出来る、ただひとつの事は、ラグラン博士が「信頼に値しない人物である」と次の面会日までに証明する事。
残り時間は、あと7日間。


The Brood
(こんばんは!ジュディ・オングです!)(※うそです)

・ デヴィッド・クローネンバーグ監督による1979年の作品、『ザ・ブルード/怒りのメタファー』を観ました。 チャック・ノリスが一枚噛んでいそうなタイトルですが、ベトナム帰還兵も特殊部隊も出てきません。 そのかわり、こわい子どもとおっかない奥さんが出てきます。

・ IMDbを見てみると、本作の脚本はクローネンバーグさんが最初の奥さんとドロ沼の離婚訴訟&親権争いをしていた頃に書かれたそうで、溜まりにたまった恨みつらみや鬱憤が全編に渡ってぶちまけられ、ちょっとした「自分セラピー」のような映画となっておりました。

・ うつ病の経験を反映して「女こえぇ」映画を作ったラース・フォン・トリアー監督や、離婚の経験を反映して「心臓えぐりだしだー猿の脳みそだーウッヘッヘ」映画を作ったジョージ・ルーカスさんに先鞭を付け、「嫁なんて~嫁なんてみんなおらんことなったらええんや~!」映画を作っていたクローネンバーグさん。 さすがは時代の一歩先をゆく男ですね!

・ 物語はというと、心を病んだ嫁と、その嫁に怪しげなセラピーを施しているマッドな博士と、彼らから娘を守ろうと奮闘する(明らかにクローネンバーグさんが自らを投影したであろう)お父さんのキッツイ一週間が描かれておりまして、隅々から「がんばれオレ!がんばれオレ!」というクローネンバーグさんの心の声が響いてくるようで、なんかもう一緒になってワッショイワッショイと叫びたくなりましたね、ぼくは。

・ しかし一方、本当の意味で叫ばされた子どもさんが非情にかわいそうな物語でもありまして、「揉めている親の間に立たされた子どもの苦しみ」を知ってか知らずか、というか、もし知った上でそれを表そうとしているのなら、クローネンバーグさんはそうとうな鬼だと思うのですが、とにかく子どもさんが酷い扱いを受けます。

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(※演技の枠を超えた“本気泣き”!)

・ おばあちゃんちにご厄介になれば、その家になぞの子どもが忍び込んできてミートハンマーでおばあちゃんを撲殺。 学校に行けば、これまたなぞの子どもコンビがやってきてじりじりとにじり寄る。 連れて行かれたおかあさんのトコロから逃げ出そうとすれば、なぞの子ども集団にフルボッコの目に遭うキャンディスちゃん。 現実の世界であろうと、創作の世界であろうと、いつだって犠牲になるのは子どもなのだ。 そういうことですよね、クローネンバーグさん。 それにしてもちょっとやりすぎだよクローネンバーグさん。

・ 離婚問題で板挟みにされたキャンディスちゃん以外の子どもは安心なのかと思いきや、安全なはずの教室にやってきたなぞの子どもによって、担任の先生をメッタ打ちにされるという残酷絵巻を見せ付けられる羽目に。 全体的に子どもに優しくない映画だよ! だれか!アグネスはよ呼んできて!

・ 主人公の周りの人に襲いかかる、恐るべきなぞの子どもたちですが、その正体は「サイコ・プラズミック療法によって奥さんの体から分離された“怒り”の塊」なのでありまして、つまり、クローネンバーグさんは「子どもってこわいよね」と言っているのではなく、「嫁ってこわいよね」と言いたいのでありまして、そんな奥さんを(作中とはいえ)絞め殺してしまうラストは、色んな意味でクローネンバーグさんの半端なさを感じさせてくれたのでした。 わかる、わかるよ、過去に区切りをつける事って必要ですものね!

・ 実際心に傷を持つ患者さんにどのようなセラピーが行われているのか、アガサはよく知らないのですが、本編に出てくる「サイコ・プラズミック(患者さんが内に溜め込んでいた不満・畏れ・怒り・哀しみなどを“腫瘍”として体外に出させる)」の途中の段階までは効果的なことなのではないかなぁ、と思いました。 なにが自分を苦しめているのかを誰かをかばうことなくさらけ出し、改めてそれと向き合う事でやっと第一歩が踏み出せるのかもしれない。 なぜなら、つらいことだけれど、誰かによってつけられた傷を治せるのは、最終的には自分自身でしかないのではないかと思うからです。

・ 体外に出した「怒り」の塊が人の形となって、怒りの元凶となった相手を殺す、という本作は、言うまでもなくフィクションなわけですが、現実においても、たとえ自分を苦しめた相手を殺しても自分の苦しみは消えないのではないでしょうか。 怒りや嘆きは常に湧いてきます。 暴力的なやり方でそれを消化しても、より一層終わりのない苦しみに囚われてしまうだけ。 こわい奥さんから守り通したはずのキャンディスちゃんが、「母の怒り」の分身たちによって深すぎる心の傷を負わされ、あらたな腫瘍の芽生えを感じさせてしまう。というラストを観て、そう思ってしまいました。

・ とはいっても、不毛とわかっていても、結局自分が苦しむだけだとわかっていても、相手に怒りをぶつけずにはいられない事もあるのですけどね。 ていうか、私は多分ぶつける方ですけどね。 ぶつけるならぶつけるで、『キル・ビル』のザ・ブライドぐらいの覚悟のもとでやんなきゃダメでしょうけどね。

・ ちょっと話が逸れましたが、サイコ・プラズミックを施され全身に水泡が浮き出ている患者さんの、なんとも言えないぞわぞわっとした不気味さや、体内からとりだした「ブルード(一腹の子)」を愛おしそうに舐め回す奥さんのギラギラとした目つきが脳裏に焼き付き、もしも若い頃観ていたらトラウマ必至だったろうなぁ・・と思ってしまうような、最高におぞましい映画でしたよ。もちろん、褒め言葉ですよ。


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