『デビル』
2012年01月11日

あらすじ・・・
エレベーターと言う名のお白州に引き集められた5人の罪人に、悪魔がみせた大岡裁き・・!
※ 以下ネタバレしています
未だに「どんでん返ししか能がない人」みたいに言われる事の多い不遇の鬼才・シャマラン監督が、書き溜めたネタ帳を他の人に公開して好きなように撮らせてみた“ザ・ナイト・クロニクルズ”プロジェクトの第一弾、『デビル』を鑑賞しました。
オープニングがとにかく素晴らしいです。
「オープニングが優れている映画にハズレなし」というのはよく聞かれる言葉ですが、本作の冒頭、灰色の空とギザギザに立ち並んだ高層ビル街とが、逆さまの視点でなめらかに映し出されるのを観て、胃のあたりがぐるぐると掻き回されるような感覚に襲われました。
そこにかぶさる不穏な調べ。 滑るように移動しながら、とあるビルの排気口から一気にエレベーターシャフトを下降する視点。 ロビーを掃除する男性をとらえた視点の先には、落下する人の姿。
こんなスマートで不気味なオープニングを、今まで観たことがないです! さいこう!!
物語は、その後のナレーションで語られる小噺が忠実になぞられるだけで、要は「悪魔がきて罪人の魂を奪う」だけのお話です。
「と、みせかけて実は・・!」みたいなひっかけもありませんし、非常に理解力の高い登場人物によって悪魔の存在が周知されるので、徹頭徹尾ブレる事無く「悪魔モノ」として突っ走ります。
ですので、オカルトに興味がない方やキリスト教的道徳映画がお好きでない方には、あまり楽しくない作品かもしれませんね。
しかし、「エレベーターに閉じ込められた市井の人々が実は小悪党ばかりで、そんなワルどもが不安と恐れから疑心暗鬼になりギラギラし始める」という状況は超密室におけるサスペンスとしてとても魅力的だと思いますし、彼らを裁く「自業自得」というホトケの概念も、我々日本人にとってお馴染みのモノですので、例の「シャマラン映画だったらどんでん返し」みたいな思い込みを捨てて鑑賞すれば、文句なしに満足できるのではないでしょうか。
ていうか、ホントもういい加減馬鹿の一つ覚えみたいに「どんでん返し」を引き合いに出すのはやめる方がいいと思います。 お前は人生のうちでたった一本の映画しか記憶に残っていないのか・・?みたいな人、時々いますからねぇ。 沢山の映画をまっさらな気持ちで楽しみたい、とぼくは思うね!(※以上、ぼやきのコーナー終了)
キリスト教圏で作られる、こういった「神様ありき」な映画の事を、最近とても「おもしろいなぁ・・」と思うようになりまして。(もともと好きなジャンルではありましたが)
それというのも、昨年観た『ザ・ライト ~エクソシストの真実~』という映画が、信心を亡くした若い神父がこわい目に遭い、「悪魔がいるんだから神さまもいるにちげえねえなこりゃあ!」と再び信仰心を取り戻すという、そういうお話でしてね。
「え!そっちが先なの?!」 と驚愕した訳ですよ。
「えっとえっと、悪魔がいるから神さまがいて、神さまがいるということは悪魔もいて、じゃあ悪魔がいなかったら神さま用無しってこと?」と。 「強敵」と書いて「とも」と呼ぶ、みたいな! 悪魔(あなた)なしでは神さま(あたし)いきていけないの!みたいな! ちがうか!
とにかくその考え方がとても新鮮で、結局この世は「アンパンマンとバイキンマン」の双方が揃ってこそ成り立っているんだ、という物分りがいいような非情なような世界観って超おもしろい! と思ったのです。
本作に登場する刑事もまた、「妻子の命を奪った犯人を赦すことができない」ゆえに信心出来ずにいたのですが、目の前で繰り広げられる悪魔の所業にビビっときてしまいます。
最終的には「自分の意志で赦しを与える」に至る刑事が、もう一度仏壇の前に座り手と手のしわを合わせてしあわせ!ナム~!となる日も近いのではないかと予感させるラストに、ほんのりと温かい気持ちになると共に、「悪魔がいたからこそ一歩踏み出せた」ことを確信しましたね、ぼかあ!(いちおう断っておきますが「仏壇」はじょうだんですよ)
刑事を再び人生と向き合わせてくれたのは、神さまではなく悪魔だった。
不幸な過去と向き合うことができず、なんだかんだ言い訳しながらお酒に逃げていた自分自身の弱さを認めさせてくれたのも悪魔。
なんか超いいデビルじゃんか! 明日からデビル師匠とお呼びしたいレベル!
本作の悪魔は、刑事の他にもう一人、地獄に落とすつもりだったとある罪人を期せずして改心させてしまうのですが、これがまたあっぱれなまでの大岡裁きでして。
自分を取り繕い、嘘に嘘を重ねて生きる罪人は容赦なく魂を奪うクセに、その罪人が「ぼくが全部わるかったんです・・本当にすみません・・死んでお詫びします・・」と懺悔すると「な・・なによ・・!ホントは地獄に落とすつもりだったんだからね!」ととびきりのツンデレっぷりを発揮。
そのまま悪魔的お咎めはなし。あとは司法の手に委ねるという大岡裁き・・・ お・・お奉行さまー!!!
まるで
この世に神さまはいないと思います。
神さまはあくまで自分の中に存在する「よきもの」であり、その存在を信じることで、心を強く保てたり迷いから抜け出すヒントを導き出せたりするのではないかと。
そして悪魔もまた自分の中に存在している。
恐ろしいのは人間で、それを救うことが出来るのも人間なのですよね。
超常現象やこわい形相をした悪魔を使ってはいるものの、結局キリスト教のおしえ・・というか、シャマランさんやドゥードル兄弟が本作で伝えたいことはそれであり、「だからこそ、人はもっと人を信じ、自分自身をも信じようじゃないか」、と強く訴えかけられているような気がしました。
宗教臭くなんかない、ものすごく当たり前でたいせつな事なのではないかと。
わたしはきらいじゃないです。 こういうの。
やたらと評判のよくないシャマランさんの、“ザ・ナイト・クロニクルズ”プロジェクトですが、なんとか第二弾として予定に挙がっている『Reincarnate』も実現するといいですね。
以上、どっちかというと無神論者のアガサがお送りしました。
-おまけ-
・ 一連のお裁きの前に、信心の強そうな男のひとが転落死するのですが、あの人なんで飛び降りちゃったのでしょうかねぇ。 「やばい・・・悪魔くる・・!」と思ってしまったのでしょうか。 感じやすい人だったのかなぁ。
・ 理解力の高さゆえに悪魔の存在を察知する警備員さんが、食べかけの食パンをぽーんと投げて、ベチョっとジャム側から落ちたのを見届けてから「ほら!ほら!ね、ね、これ!こういうこと!」と大騒ぎするシーンがとてもおもしろかったです。 「ね! って言われても・・・」というポカーン顔の刑事さんもグっときた。
・ 妻子を亡くし、この前までアル中でリハビリしていた刑事さんが、職場復帰直後から検視官の女の子とべたべたしていたのはどうかと思う。 モテキか!
・ エレベーター内と下界をつなぐのは監視カメラとインターホンだけで、しかも会話は一方通行。という設定がとてもよかったです。
・ その監視カメラに、「悪魔」として一瞬だけ邪悪なおじいちゃんみたいな顔が映ってしまうのですが、その後エレベーター内でのシーンで再び映る不審な姿はミイラ男みたいな包帯ぐるぐる状態だったのですよね・・・ 悪魔は一人じゃなかったって事なのか・・? おしえて!

