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『SUPER 8/スーパーエイト』

2011年06月25日
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HAKAISHAとの遭遇。

あらすじ・・・
1979年、オハイオ州の小さな町リリアン。 そこでは、子ども達による低予算ゾンビ映画の製作が佳境を迎えていた。 
お調子者のケアリーはカメラと火薬担当。 ディック・スミスに憧れるジョーは特殊メイク担当。 背の高いマーティンは主演俳優。 気弱なプレストンは製作助手。 そしてホラー映画をこよなく愛するチャールズがメガホンを取り、撮影は順調に進んでゆく。
夏休みを迎えた彼らは、新たに同級生のアリスに出演を依頼し、ドラマ部分に深みを与えようと試みる。
実はその裏には、チャールズの淡い恋心が隠されていたのだが・・ もちろん仲間たちは知る由もなかった。
アリスの承諾を得た子ども達は、映画の山場を場撮影するべく夜中に家を抜け出し、郊外の駅舎に向かう。
リハーサルで迫真の演技を魅せるアリス。 
事前に練り直しておいた脚本も万全。
おまけに、抜群のタイミングで駅の横を貨物列車が横切ったお陰で臨場感もたっぷり。

何もかもうまくいく筈だった。
その貨物列車に、中学校で生物学を教えているウッドワード先生が、トラックでぶつかって行くまでは・・・。


まず、オープニングからの数分間が素晴らかったです。
鉄鋼工場とおぼしき場所に掲げられた「連続無事故記録784日」の文字。
そして、それが外され「1日」に変えられる。 そこからカメラが切り替わると、黒いスーツを着た少年が雪の中でひとりブランコに座り、ロケットペンダントを握り締めている姿が映し出される。
そしてその後さらに、会葬者で溢れかえっていた彼の家に一台の車が横付けされ、酒の匂いを気にしながら一人の男が降りてくるシーンが続き、その男を彼の父親が追い出し、自分が運転するパトカーに乗せ乱暴に連れ去るまでが描かれます。
セリフらしいセリフは無いけれど、彼らの置かれた状況が全て説明されるこのオープニング。
演出の巧みさに唸らされてしまいました。

なんでもセリフで説明しちゃう日本の脚本家と演出家は、いっぺんJ.J.エイブラムスさんの爪の垢をバケツ一杯飲ませてもらうといいよ

スマートな演出と語り口によって少年少女のひと夏の成長物語を描いた本作は、スピルバーグの映画を観て育った「モロに私たち世代」の物語であり、しかし、そのまた下の世代にもそのそのまたまた下の世代にも共感を持って受け入れられるであろう、実に爽やかで気持ちのいい作品だったと思います。
そして本作の立役者は、なんと言っても映画をこよなく愛する子どもたち。
「ふとっちょの子」と言えば食いしん坊でトラブルメイカー、という固定概念を覆すような「仕切り屋」っぷりを発揮するチャールズ。
火薬が好きすぎて、凄惨な列車事故を目撃してもしょげるどころか喜びを爆発させるような問題児だけれど、いざという時には人一倍勇敢なケアリー。
凄惨な現場を前にするとすぐ嘔吐してしまう程神経が細いものの、要求されたものにはきっちり応え、実は力も強いマ-ティン。
自分の限界を超えたら迷わず撤退する、という潔さを持った(つまりヘタレの)プレストン。
あと、健気なジョーとアリス。
出てくる子どもたちが、どの子どもも最高にキュートで、最高に頼もしくて、最高に愉快なやつらなのですよね。
「この子たちとともだちになりたい!」  そう思わされた瞬間、私はこの映画を好きにならずにはいられませんでした。

とりあえず、もしも本作をご覧になる際は、本編が終わっても絶対に席を立たない事をお薦めします!



( ※ 以下ネタバレを含みますので、必ず鑑賞後にご覧くださいませ。)



とある事故で心に傷を負った父と子。 その事故に負い目を感じ自暴自棄になっている父とそんな父を見て心を痛めている娘。
2組の親子は、ひとつの死をどうやって乗り越えて行くか。
本作では、その姿がモンスター騒ぎと絡めて丁寧に描かれていたのですが、子どもたちよりも父親たちの方が死を乗り越えられていなかった所が、とても印象的でした。
子どもたちは、幼いなりに生活に楽しみを見出し、チクリと心を刺す痛みと向き合いながらも生きる事に没頭しようとする。
しかし、大人たちは「喪失」から現実逃避し、憎しみと自己嫌悪から抜け出せないまま、自分たちの戸惑いを子どもに押し付けようとします。
大人だからこそ、今までの自分だったり辛い経験から離れられないのかもしれませんね。 わかるような気はするけれど・・ もっとつらいのは子どもだかんね。 おい!おとうさん!頼みますよ!

わだかまりを捨て、他者を受け入れる。 というテーマはこの2組が辿り着くだけではなく、そのまま宇宙からの訪問者と少年との交流においても繰り返され、ずっとずっと昔から私たちが目指していて出来ない、永遠の課題なんだなぁ・・、と痛感させられました。

で、ですね。
ほんとにね。
テーマもはっきりしているし、情緒溢れる映像もじんわりとなりましたし、昔懐かしい映画の世界(実際アメリカに行った事は無いので、映画の中の世界しか知りませんが)から抜け出たような古きよきアメリカの街並みも素晴らしかったですし、今まで観た事の無いような大スペクタクルな列車事故シーンも度肝を抜かれましたし、とても面白かったんですよね。
なんですけどね。
なんというか、「ノスタルジーに浸らせすぎない容赦の無さ」みたいなものも感じてしまったのですよね。

主人公たちが映画作りの最中遭遇した列車事故。 その列車で運搬されていたのは宇宙からなんらかの事情で地球に落ちてきた生命体。
早く宇宙船を修復して故郷に帰りたい彼(彼女?)は、アメリカ空軍に捕獲されて実験材料にされ、人間に対する恨みを募らせていた。
列車事故で自由の身になり、宇宙船をこしらえながら派手な破壊行為を繰り返す彼(彼女)は、その合間合間に人間を捕食する。
この捕食が、私の気持ちをふと、現実へと引き戻してしまったのです。

子どもの頃の私は、スピルバーグやリチャード・ドナーが作った映画に夢中でした。
それは『未知との遭遇』であり、『E.T.』であり、『グーニーズ』であり・・。  自分と似ていない誰かと、心を通わせる映画たちでした。
今の子どもたちがあの頃の自分と同じように、この作品を観て、思う存分わくわくして、広い宇宙に思いを馳せたり他者に胸を開くようになるといいな、と強く思います。
だからこそ、彼(彼女)による殺戮は必要なかったのではないか、と。 
そう思えてならなかったのですよね。

自分が育った街を破壊しまくった彼(彼女)をジョーは受け入れ、その地球生活のつらさを理解を示した上で「それでも生きる事は出来る」と説く。
自分自身に言い聞かせているように、彼(彼女)の目を見て偽りのない言葉を投げかける。
「同じ目線で話す事で、心を通じ合わせる事が出来た」というこのシーンの直前に、街の人がぐしゃぐしゃと食い散らかされる姿を描く必要は、本当にあったのでしょうか。

例えば、『未知との遭遇』のUFOが見物に来ていた人たちを殺人ビームで焼き尽くしていたり、ETの主食が皆が飼ってるわんこだったり、スロースがカニバリズム全開だったりしたら。(※)
私は今と同じように、映画好きになっていたかどうかわかりません。
もちろん、ホラーでやる分にには構わない、と言うか盛大にやって貰いたいのですけどね。
本作が目指すものが、子どもたちの成長であり、他者に心を開くことであり、ひと夏のアドベンチャーであるのなら、破壊行為だけで充分だったのではないかなぁ・・と。
殺戮と友情が混ざり合う事により感じるチグハグさって、どうにかならなかったのかなぁ・・と。

物語のクライマックス、恐ろしい破壊行為の果てに、美しい造形の宇宙船が星形の光を放って去るシーン。
私の頭の中で、「星に願いを」は鳴り響きませんでした。
すべての映画が大甘であって欲しいだなんて塵ほども思いませんが、この作品にはそういう甘さがあってもよかったのではないでしょうか。

ま、遭遇したのがETじゃなくてHAKAISHAだったのなら、しょうがないのかもしれませんけどね。 そういえば顔もちょっと似てたしなぁ。
要するに、エイブラムスとスピルバーグが組むと派手な事が起こるってコトで! おまえらホント大人気ないよな!

と言う訳で、その一点だけが、私にとっては大いに不満ではあるのですが、それ以外の部分は、パーティに行きたいおねえちゃんの存在や、そんなおねえちゃんに片思い中のヒッピーや、「ドラッグ反対!」のくだりや、チャールズの部屋に所狭しと貼り付けてあるホラー映画のポスターや、ロメロリスペクトな自主映画や、夜中に気になる男の子の部屋に忍び込んでくるアメリカンな女子の行動力や、マイ・シャローナや、スーパーエイトのジリジリという回転音や、子どもたちの頑張る姿など、とってもグっとくるシーンが満載でしたので、やっぱりすきです、『SUPER 8』。


(※ それはそれでおもしろい、と、今の私は思ってしまうけれど。 あくまで幼かった頃の私なら、というお話です)

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