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『ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲』

2011年06月15日
ゼブラ

あらすじ・・・
2025年。ゼブラシティと名を改めた元・東京都では、犯罪抑止活動の一環として朝夕5分間ずつ、警官が自由に人を殺してもいいという“ゼブラタイム”を儲け、民間人の処刑に勤しんでいた。
記憶を失った状態で、そんなゼブラシティに放置されていた中年男・市川新市は、街のルールがわからぬまま警官隊に襲われたものの、偶然通りかかった介護士の市場に助けられ、ゼブラタイムの被害者が集まるコミュニティへと連れて行かれる。
実は市川新市は、15年前エイリアンに襲撃された東京を救ったヒーロー・ゼブラーマンであり、現ゼブラシティ知事・相原公蔵の娘であるユイとは切っても切れない間柄であるのだが、記憶喪失であるがゆえに、なかなか自分のとるべき行動に辿り着けないでいた。
そんな中、コミュニティで匿われていた少女・すみれと交流をきっかけに、再びゼブラーマンとしての力を取り戻した市川新市は・・・


仲里依紗たんの無駄な頑張りキタヨコレ―――!!

劇中、ゼブラウーマンに扮した里依紗たんが「5分だけ、5分だけ、スッキリしたいわ」と熱唱するシーンがあるのですが、ホント5分でいいからスキっとしたかったですよ。勘弁してくださいよ。全編に渡って生煮え状態ってどうゆう事なんすか。ちゃんと加熱調理しといてくださいよ。

6年前に作られた前作『ゼブラーマン』は、「信じれば夢は叶う」をテーマに、ヒーローに憧れている冴えない中年男性が信じたお陰でスーパー能力を発揮したり、信じたお陰で空を飛んだり、信じたお陰でしまうまに変身したり、要は信じたお陰で見事リアルヒーローになるという、信心溢れるお話でした。
では、前作の舞台だった“2010年”に合わせて製作された本作『ゼブラシティの逆襲』は、一体どのようなお話だったのか。
物語の舞台は、2025年という微妙な近未来世界。
革新派の都知事が独自の政策を進めた結果、“東京”は周囲の町村と合併し“ゼブラシティ”という一大都市に生まれ変わり、新しく導入された“ゼブラタイム”によって犯罪率が著しく低下。 世界で類を見ない程の安全な街になっていた。
毎日朝夕5分ずつの粛清タイムは、警官が目に付いた民間人をなぶり殺しにするだけではなく、国会議員のパワハラ&セクハラや医師の人体実験をも容認しているので、泣き寝入りを強いられる犠牲者が後を絶たないそうなのですが、そんな政策でなぜ、犯罪率が激減したというのか。
それはですね、人間は誰しも「善」の心と「悪」の心を持っており、そのうちの「善」を礼賛するのではなく、あえて「悪」の部分を認める事により、人は自らを肯定することが出来、結果不用意な「悪」に走る事がなくなるというわけなのですね。

あー・・なるほどねー なる・・・ほ ど ・・えないよね! ゴメン、えないえない!それ全然ほどえないわ!

要するに、「悪くてもいいんだよ、にんげんだもの」ということなのかもしれませんが、それで犯罪が減るとかないわー。むしろヒャッハーな展開だわー。バギーの注文殺到だわー。
しかし、一度は「うそうそ!ホントは目障りな人間(汚物)を自由に処分(消毒)して世界征服したかっただけ!」と本音とむき出しにしながらも、クライマックスでは再び「やっぱ自己肯定イイネ!」という人間賛歌に落ち着いてしまう。 なぜなら、それが今回のテーマだったから。 誰だって二面性があって当然だよ。悩むこたぁないよ。という力強いメッセージが込められているから。

というわけで、そんな二面性をわかりやすく視覚化する為に、善の部分を哀川翔演じる白ゼブラ、悪の部分を里依紗たん演じるゼブラクイーンに振り分け、その2人の闘いと苦悩と融合によって、先の「自己肯定イイネ!」へと帰結させるのですが、コレもし視覚化しなかったら、哀川翔が
「お前は悪くないよ・・そう・・そうだよ・・オレは悪くない・・だよね・・うん・・なんだそうか・・あはは・・うふふ・・」
と一人で会話しているという、世にも切ない状態になってしまいますよね。 わかった、わかったから柚子茶でも飲んで一回落ち着こう!みたいな。よっ!一人相撲名人!

そもそも前作で主人公がヒーロー開眼した際も、自分の中の二面性に思い悩むというくだりがあった訳ではなく、本作の冒頭において「おまえ、悩んでたんだろ?」と悪い人に水を向けられ「え・・あぁ・・うん・・ええっ?」と煮え切らない態度のまま遠心分離機にかけられてしまうような有様なので、一番肝心な「ゼブラーマンの心の中の葛藤」が見えてこないのですよね。
いつの間にか拉致され、よくわからないまま二分割され、過去の記憶を失い無垢な瞳をきょろきょろさせるだけの白ゼブラからは、何も伝わってきませんでした。
ボンテージに身を包み、非道の限りを尽くす黒ゼブラがとても魅力的な存在だっただけに、光(=善)の部分の弱さは致命的だったのではないかと思います。
あとね、汚れない心を表そうとしたのか、哀川翔にやたらと間の抜けた演技をさせていたのもね・・「きょとん!」みたいなね・・「なにがなんだかわからないんですう」みたいなね。 ゆ る ふ わ か !

出発点(罪悪感に揺れる主人公の苦悩)がぼんやりしている為、その後の善悪の対比が際立たず、ひたすらがんばる里依紗たんの勇姿だけが脳裏に刻まれた本作。
見れば見るほど、「なんで作ったんだろう・・・」と思わずにはいられない、非常に残念な続編でした。
いっそのこと、無理やり主人公に続投させるのではなく、ゼブラクイーンを主役に配して、哀川翔はカメオ出演くらいにしちゃってもよかったのではないか、と思ってしまいました。
三池崇史監督も、結局のトコロ里依紗たんにボンテージを着せたかっただけなんじゃねえの、と。
悪のヒロイン・ゼブラウーマンとして、レディガガ風メイクで踊り狂う里依紗たんが撮りたかっただけなんじゃねえの、と。
だったらもうさあ、全編ゼブラクイーンだけでいいよ!ゼブラクイーンにヤクザキックしてもらうからいいよそれで!コンチクショウ!

まぁ、「壮大なカーテンコール」くらいの気持ちで観るのが一番なのかもしれませんね。


最後にいくつか気になった点を記して、今回の感想はおしまいにしたいと思います。

・ 浅野さん!いつの間に歩けるようになってたの!

・ ヒーローに憧れたココリコ田中が、虐げられて踏みにじられれも尚ゼブラーマンのマスクに手を伸ばすシーンがあるのですが、これって前作で哀川翔が能力を発揮するシーンと同じ構図になっているのですよね。 だったらなぜ、ココリコは能力に目覚めなかったのか。 弱き者を救う為体を張ってヒーローになろうとしたココリコが不憫でなりませんでした。 なっちゃいねーなー。

・ 浅野さんのエロいナースかあちゃんはどこに行ってしまったんだ・・!

・ 「人畜無害な哀川翔」を演出する為か、まばたきする際「ピョコン!ピョコン!!」という効果音がついていたのだが 猛 烈 に ダ サ い 。

・ 「時計じかけのオレンジ」リスペクトなメイクのガダルカナル・タカが 猛 烈 に ダ サ い 。

・ なんだかんだすったもんだの末、再び姿を現したエイリアンを前に共闘を決意した白と黒がついに一体となり、完全体のゼブラーマンとな・・・
ゼブラ2
・・らないんでやんの。 赤黒なんでやんの。やーいやーい!おまえのかあちゃんでべそー!!
(←困惑が隠せない)

・ ゼブラなのに赤黒、そして白黒つけずに丸く収めるというオチに色々な意味で衝撃が隠せなかったアガサだったのでした。 あやまれ!笑福亭仁鶴師匠にあやまれ!


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