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『自殺サークル』

2011年06月11日
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狂った世界に投げっぱなしジャーマン!


(※ 以下ネタバレを含んでいます)




あらすじ・・・
5月26日。 
新宿駅のプラットフォームから女子高生54人が一斉に投身自殺を図るという事故が発生。 ほぼ同じ頃、とある病院で夜勤中だった看護士2名が窓から飛び降りて死亡。
5月27日。 
それぞれの事故現場から血のついたスポーツバッグが発見される。 中身はどちらも、切り取った人間の皮を繋ぎロール状に巻いた物体。
5月28日。 
都内の高校で、学生が相次いで屋上から飛び降りるという事故が発生。一連の事故について捜査していた刑事・黒田は、これらの死は事故ではなく事件であると推測するも、亡くなった人物たちに関連性が見当たらず、主張は退けられる。
5月29日。 
ビルの屋上から男性が飛び降り、偶然その下を歩いていた自らの恋人の上に落下するという事故が発生。 女性は軽傷で済んだものの男性は死亡。 そして、その遺体の表皮の一部が、ロール状に巻いた物体と一致する事が判明。 勤務を終え、帰宅した黒田は、息子から一斉自殺に関連していると思われるサイトの存在を知らされ、そこに自分の名前を書き込む。
5月30日。 
黒田刑事宛てに、一本の電話がかかってくる。 声の主は幼い子どもと思われ、「あなたとあなたの関係は?」という問いかけと共に、再び同じプラットフォームで同じ時間に50人が自殺する事を予告。 黒田刑事は事件性を強固に主張し、新宿駅に大掛かりな警戒態勢を敷くが、何事も起こらないまま予告時間が過ぎる。 未発に終わった事件に思いを馳せつつ帰宅した黒田刑事を待っていたのは、家族全員の変わり果てた姿だった。 打ちひしがれた黒田刑事に追い討ちをかけるように、くだんの子どもから再び電話がかかり、家族を救えなかった事を淡々と詰られた黒田刑事は、自ら命を絶つ。
5月31日。 
一斉自殺に関与していたらしきサイトへの書き込みから、これらの事件がとある男性の扇動によるものだった事が発覚。 自ら逮捕を望んでいたようにも思われる男性・ジェネシスが素直に投降した事により、一連の事件は収束を向かえたかのように思われた。
6月1日。  
大阪城から200人の女子高生が集団飛び降り自殺を図り、事件は振り出しに戻ることに。 5月29日の事件で軽傷を負っていた女性が、事件後初めて恋人の実家を訪れる。 そこで彼女が目にしたのは、生前男性が夢中になっていた小学生ボーカルグループ“デザート”のポスター。 ポスターをじっと見つめていた彼女は、ある部分に秘密が隠されている事に気付き・・・。
6月2日。  
“デザート”のコンサート会場に向かう女性。 そこで彼女を待ち受けていたものは・・・。


どことなく、「現代版・ハーメルンの笛吹き男」のようなお話でした。
ネズミは出てこず、笛を吹くのも男ではなく怪しげな魅力を放つJS(女子小学生)ですが。
どこからやってきたのか、どこ小に通っているのか、沖縄アクターズスクール系なのか、ハロプロ系なのか、プロデューサーは飛べない豚なのか。 
数々の謎に包まれたスーパーJSユニット“デザート”は、たちまち多くの日本人の心を掴み、さらにその中の一部の人たちに危険なメッセージを発信します。
そのメッセージは、「Suicide」。
かくして、JSの歌声に引き寄せられた人々は、その先で待ち構える謎の児童集団との面談を経た後、自分の中の「命を粗末にしたらあかん!」という常識を踏み越え、各々のプラットフォームから軽やかに飛び降りることに。
しかし、結局最後の引き金を引くのは自分自身であり、笛吹きJSも児童面接官もあくまでメッセージを奏でているだけなのですよね。
なので、解決もしないし、犯人も捕まらない。
刑事にとっては、「勝てる気がしない」闘いとなる訳です。 観ている者にとっても然り。 負けるわー。マジへこむわー。ローリー(寺西)さんマジ空気だったわー。

「あなたとあなたの関係は?」という、謎かけみたいな問いに深く頭を抱える人と、「関係もへったくれもないんじゃい!私は私自身なんじゃい!」と即答出来る人。 
両者の違いが、笛の音色の魔力から醒めるか否かを左右するのかしないのか。
その答えすら明らかにせず、余りにも沢山の?マークを残したまま終わってしまう本作は、なるほど、観た人から猛烈に嫌われるのもわかるような気がしますが、アガサはキライじゃなかったです。

アガサは自殺を考えた事がありません。  
身近に自ら死を選んだ友人・知人もいませんので、「自殺」をリアルに実感出来ているのか、と聞かれると、きっと出来ていないのだと思います。他人事と捉えてしまっていないかどうか、自信もありません。
しかし実際、日本では毎日90人弱の方々が命を絶っているという事実がある。
絵空事でもなんでもない、事実として。
その中には、心底思い悩んで命を絶った方もいるでしょうが、直前まで誰にも、何にも感じさせず、普段通りの生活を送っていた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
本編にも、とても象徴的に「無表情な人々」や「特に問題を抱えているように見えない人々」のカットが挟み込まれており、「普通」に見えるようで心に「死」の翳が差している人々が、ここには確かに存在するんだよ。と声高に主張されているようで、とても不安な気持ちになってしまいました。

SOSを出す事もなく、ふと、命を絶ってしまう瞬間が存在する世界。
とても悲しい世界で、どこか狂っている世界。(亡くなった方が、という意味ではなく、亡くなるという道を選ばせている世の中全体が狂っている、という意味で)
そんな狂った世界に、
「まぁ、生きるなら生きて、いくんなら勝手にいけば?」
と豪快にジャーマン・スープレックスをかますような本作は、実は突き放すどころか肩をわしわしと掴んで
「おい!ダメだぞ!自分で生きなきゃダメだぞ!」
と声をかけてくれているような気がしてなりませんでした。

まぁ、それは私の勝手な思い込みかもしれませんが、しかし少なくとも、「自殺を止めたくても止められない」というもどかしさや無力感を強く感じるのではないかと思いますし、そこから改めて、私たちを取り巻く世界のオカシサに気付かされるのではないでしょうか。

結局のトコロ、JSボーカルグループと児童集団の関係性も、それらとローリーの関係も、人肉を剥して繋いだ「人の鎖」の意味も、なんで電話をかけてきた児童が「げふん・・げふん」と痰絡んだ声ばかり出していたのかも、血まみれの娘はどこに行っちゃったのかも、カンナで削った皮って(後で繋いでたのと比べて)長すぎじゃね?という件も一切合切謎だらけで終わっちゃいましたけど、アガサはキライじゃなかったですよ。
なんでヒヨコ?とか、なにその処刑人スタイル?とかも思いましたけど、キライじゃなかったですよ。
唯一キライだったのは、「大阪城からJK200人が集団ダイビング」という極めつけのネタがセリフで触れられただけだった点ですけどね。 そこはなにがなんでもスクリーンに焼き付けるべきだろ!(←人間性を疑う叫び)

とまぁ色々と若干茶化した目線で書いてしまいましたが、正直言うと、実際に身近にそれを経験された方や、「死」を誇張して描くという事に違和感を抱かれる方には、受け入れがたい映画なのではないか、と思っています。
その一方で、観終わった時のもやもやは、もしかしたら監督が抱えているもやもやなのではないか、という気もしています。
このもやもやの正体と向き合っていく事が大事なんじゃないか、という気も。


とりあえず、本作の続編的立ち位置の作品として『紀子の食卓』という映画があるそうですので、なんとかしてそちらを鑑賞してみたいものですね。(我が家の近辺のレンタル屋さんは全滅でした)

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