ブログパーツ

『エルム街の悪夢 (2010年版)』

2011年04月22日
A-Nightmare-on-Elm-Street-Poster_convert_20110421212401.jpg
はいはい、誰得誰得。

あらすじ・・・
真夜中のダイナーで、突然自らの喉を切り裂いたディーン。
「これは現実じゃない・・!これは現実なんかじゃないんだ・・!」と叫びながら絶命した恋人を前に、悲痛な叫びをあげるしかなかったクリス。
しかし、彼女もまた、ディーンのお葬式の日を境に、奇怪な現象に苦しめられることとなる。
夜毎おとずれる悪夢。 夢の中で彼女に襲い掛かる謎の男。
以前クリスとつきあっていたジェシーは、日に日に衰弱して行く彼女を守ろうとするのだが、夢に落ちたクリスは突如空中を飛び回った挙句腹部を引き裂かれて死亡。
その一部始終を見ていた為、容疑者として警察に連行されるジェシー。
その直前、「自分たちの身に何か異様な事態が起こっている事」、「一連の事件の犯人は、夢の中にいるという事」を友人のナンシーに伝えるのだが、その後勾留されていた留置所内で睡眠中、体から血を噴き出して死亡してしまう。

立て続けに友人を3人亡くしたナンシーだったが、実は彼女もまた、コトが起こる以前から、夢の中に出てくる謎の男の存在に悩まされていた。
その男は、赤と緑のストライプのセーターを着ており、焼け爛れた顔と目深に被った帽子、それに鉤爪をつけた手がなんとも不気味な中年男性。
次に狙われるのは自分かもしれない・・。
そんな不安に襲われたナンシーは、自分に想いを寄せてくれているクラスメイト・クエンティンに声をかけるが、何を隠そう、クエンティンもまた恐ろしい夢に苦しめられていたのだった。
5人を結ぶ点と線とは一体・・・?
そして、鉤爪の男の真の目的とは・・・?


えーとナニナニ、リメイク版『エルム街』のメガフォンを執ったのはPV畑出身でこれが長編初挑戦のサミュエル・ベイヤー、企画を仕掛けたのはマイコー・ベイ率いるプラチナム・デューンズ、と・・・・ 

・・・・

・・バ ー カ ! お ま え ら バ ー カ ! !



『テキサス・チェーンソー』の成功に気をよくし、『13日の金曜日』の失敗は気に留めなかったマイコー・米が、次に目をつけたのは『エルム街の悪夢』。
きっと知らない人など居ないと思いますがいちおう説明しておきますと、『エルム街の悪夢』とは80年代から90年代に作られていた大人気ホラー映画で、シリーズ7作と番外編1作の計8作品がリリースされております。
(参考までに・・・1作目の感想 2作目以降はこちらからどうぞ)

で、せっかくリメイクするんだから、と思ったのか、さすがにリメイクするからには、と思ったのかは神のみぞ知るですが、ともかく気合を入れて改変しちゃったんですよね。 真の主人公たるKING・オブ・変態ことフレッド・クルーガーの顔を。

エルム  まおう
(※ 新・フレディと例のあの人。 だいたい一致。)

なんなんすか!このヴォルデモートの出来損ないみたいなフレディは! 
フレッド・クルーガー(オリジナル第1作目での名前はフレッドです。 フレディと呼ばれるようになるのは2作目以降。ちなみに本作ではフレディ・クルーガー。)の魅力と言えば、顔の中心部に大きく位置する鉤鼻と、狡猾そうな瞳、ウィットに富んだヘンタイトークと根拠のない自信、そして類稀なるユーモアのセンスなんですよ。
それをどうしたら、こんな陰湿そうな小男になっちゃうのか。 説明できるもんならしてみろこんちくしょう!

まあね、まあね、でもまぁ百歩譲ってみようじゃないか。
確かにオリジナルと全く同じものを作るのでは意味がない。 みんな忘れてるかもしれないけどアガサは一生忘れない、あのガス・バン・サント版『サイコ』の悲劇だけは繰り返してはならない。
今の時代だからこそ、邪悪なキャラクターの内面も深く描き込んで行こうではないか。
ただの「アイコン」としてではなく、なぜ彼が邪悪な世界に身を落としてしまったのかを解き明かすことにより、この物語をより一層恐ろしく哀しいものにして行こうではないか。

と言う訳で、新生フレディさんは顔が雑魚キャラっぽくなっただけではなく、その経歴も大胆に改変。
その昔、フレディさんはスプリングフィールド(エルム・ストリートがある街の名前)の幼稚園に庭師として勤めておりました。
ナンシーたちが在籍していたその幼稚園で、子どもたちに惜しみない愛情を注ぎ、慕われもしていたように見えたフレディさんでしたが、親たちは徐々に我が子の異変に気付き始めます。
堅く口を閉ざしていた子どもたちでしたが、ある日ついに自分たちが受けていた恐ろしい現実を告白する。
その現実とは、優しく親切な庭師のフレディおじさんが、自分たちをひみつのどうくつに連れ込み「とてもイヤなこと」をしていた、という事。
怒り狂った親たちは、コトを事件化して可愛い我が子につらい思いをさせる事よりも、自らの手で終わらせてしまおうと決意し、フレディを廃工場へと追い込みます。
そして、「自分は無実だ!」と訴えるフレディの声に耳を貸さず、工場に火を放ったのでした。

フレディは本当に、罪を犯していたのか?
自分たちは本当に、フレディに「イヤなこと」をされていたのか?
過去のことがどうしても思い出せないナンシーとクエンティンは、証拠もなくフレディを焼き殺した親たちに激しく詰め寄ります。
そうか、そういうことだったのか。
フレディが自分たちを襲うのは、「真実を話さなかった」事に対する報復だったのか・・・。
「理不尽な私刑」に対する、抗議の声だったのか・・・ なるほど・・そりゃいかん・・そりゃいかんわなぁ・・


・・・・と思っていたんだけど、フレディが当時根城にしていた秘密の隠れ家を探索していたら膨大なロリ写真が出てきたのでアウトの巻!!


・・なんなんじゃい・・・


・・なんなんじゃい・・・このオチはァァッ!!


もうねぇ、アホかと。おまえら全員アホかと。
まず、親がアホ。 ちょっと家捜しすれば証拠なんてザックザク出てくるのに、怒りに任せて焼き討ちとかすごいアホ。 復讐は、新たな復讐しか生まないんだよ! (ま、アガサが同じ立場だったら焼き討ちしますけどね!)
あと、フレディもアホ。 要するに逆恨みじゃんか。 無実の罪でもなんでも無いんじゃんか。 ペドの完成形な訳じゃんか。 なのに何「秘密を探り当てて欲しい」的なニュアンス醸し出してるの?
「オレは本当は何もしていなかったんだって事を思い出せ」じゃなくて「オレは根っからのロリコンなんだって事を思い出せ」っておまえバカ。
まぁ、一番アホなのは脚本家と監督とマイコー・米ですけどね! ようじょがだいすきだったフレディに女子高生を襲わせるというその一貫性のなさが致命的!!

「ひょっとしたら無実の罪だったんじゃ・・・」という展開自体は、なかなかよかったと思うのですよ。
オリジナルから大胆に路線変更して、シリアス一辺倒にするというのなら、そのまま「非業の末期を迎えた事により、ダークサイドに堕ちてしまった平凡な中年男性・フレディさんの虚しい復讐劇」で行けばよかったのになぁ、と。
被害者だった少年少女が一転加害者に。
罪の意識に苛まれ、でも仲間を喪った怒りも捨てきれず、悶え苦しむ高校生とフレディが対峙した時、果たしてどんなドラマが生まれるのか。  そういうお話が観たかったな、ぼくは。 せっかく作り直したんだから。
ほんで、なんだったら最後の最後に「ジャジャーン」って「やっぱりロリ写真あった!」っていう方が、「無実の可能性うんぬんかんぬん」も活きたんじゃないかと思うのですよね。
ま、要するにグダグダなんだよ!!バーカ!ほんとバーカ!! 


近年、人気シリーズの看板を借りて商売しているにも関わらず、「いや、うちはあのお店とは一味も二味も違った、オリジナリティ溢れる味をお出ししますから」と自信満々に謳い、結果本家の足元にも及ばないようなお粗末な味しか提供できず、双方の名を汚すようなリメイクが後を絶ちません。
リメイクするな、とは言いません。
今の技術、今の価値観だからこそ生まれる新解釈で、新旧合わせて愛されるような映画になれば、それは素晴らしい事だと思うからです。
しかし、ネームバリューだけをあてにしたような安易なリメイクは、誰にとっても得にはならないのではないでしょうかねぇ。
数年前からアナウンスされている『ヘルレイザー』や、最近明らかになった『チャイルド・プレイ』のリメイク版が、誰得ではなく皆得映画になる事を切に願っております。 ホントに。


-追記-

・ 本作の主要キャストである、ナンシー、ジェシー、クリスは、旧シリーズ1、3,7作に出てきたヒロイン・ナンシーと、2作目の主人公ジェシーと、3,4作目のヒロイン・クリスティンから来てるのかなぁ、と予想。 ヘンなトコ拘ってんのな。 だったらロバート・イングランドさんのカメオ出演くらい許してやれよ!

・ お風呂でへんたい行為とか、部屋の壁を使ってへんたい行為とか、天井に血がたまってゴボゴボとか(正確に言うと今回のは血じゃなくて赤いカーペットが液化したものだけど)、学校の廊下をズルズルとか、ちょいちょいオリジナルの名シーンを再現しているのですが、だったら口からムカデとか電話口からベロベロ~とかもやって欲しかったですねぇ。 ナンシーが携帯電話を使うシーンがあったので、「クルー!」と思ったら「コナイー!」でガッカリしました。

・ オリジナルでのナンシーは、仕事人間の父(保安官)と酒びたりの母という、分かり合えない家族に囲まれ、孤立無援の闘いを強いられる、という設定でした。 これは、敵を夢魔ではなく学校のいじめっこに置き換えても普通に通用する設定で、ホラーという枠を使いながらも実は普遍的な家族の問題を描いていた事がよくわかります。そして、そこが魅力でもあった訳ですよね。 本作に足りないのは、自信満々なフレディやアリジナリティ溢れる殺し方ではなく、深みのあるストーリーだったのかもしれないなぁ・・と、ぼんやり考えてしまいました。

     ♪♪どちらのバナーでもどうぞご遠慮なく♪♪ →   にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ


※当ブログで使用しているイラスト等の著作権は、全てはアガサにありますので、転載、二次加工、再配布の際は一言ご連絡下さいませ。