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あなたの神は、私を救ってくれない。 (※3月21日 追記)

2011年03月09日
うちの近所には、とある“日本最大の新興宗教”を熱心に信仰しているおうちがある。

その宗教に関してあまりいい思い出がないので、積極的にお近づきになろうとは思っていなかったけれど、同じ町内に住むご近所さん、として、最低限の敬意を払ってお付き合いはしてきたつもりだった。

そのおうちの庭には、大きな松の木があった。
我が家のちびっこは、その木から降って来るまつぼっくりを拾うのが大好きで、おととしくらいから塀の下に落ちているまつぼっくりを再々回収に行っていた。
そんな事が繰り返されているうち、そのおうちの奥さんはちびっこの姿を好意的に受け止めてくれたらしく、玄関先に置いてある鳥かごを見せてくれたり、予め拾っておいてくれたまつぼっくりをちびっこに分け与えてくれたりしてくれた。
私は、道ですれ違った時などに、そのお礼を言い、「今度の選挙では〇〇党をお願いね」という奥さんの言葉にも、素直に「はい、わかりました」と答えていた。
「わかった」だけで「投票する」とは言っていないけれど、それがご近所付き合い、大人の社交辞令というものだから。



昨日の昼過ぎ、玄関のチャイムが鳴った。
誰だろうか、とドアを開けると、そこに奥さんが立っていた。

「今度の選挙は〇〇さんをお願いね」
「あ、はい、そのお話は先日主人と伺いましたから」(数週間前、世帯主さまと散歩している途中出会って声を掛けられていた)
「ええ、それでね、これに名前と住所を書いて貰えないかしら、と思って」
「・・・なんでしょうか?」
「〇〇さんの事務所からね、色々とお手紙とかが届くと思うから」

ステップアップしてきたか。

今思えば、なんであの時あんなに頭に血が上ったのかよくわからない。
いつもと同じように、「はい、はい」と署名してあげていればよかったのかもしれない。
後援会に名前を連ねるのなんて、大して意味なんてないし、今までにだって、友人や勤め先から強引に署名させられた事くらいある。
なのに、なぜか、瞬間的に私は
「それは出来ません」
と言ってしまった。

奥さんは一瞬表情を固まらせて、「いや、そんなんじゃないのよ」と言葉を重ねた。
私は後を続かせないよう、「申し訳ないんですけど」と言葉を被せた。
「先日の選挙のお話は、充分わかりました。投票も行くつもりです。(入れるとは言わないけど)  ただ、そういうのは書けません。 申し訳ありません」

私の言葉が奥さんの何かに火をつけてしまった事は、その目を見れば明らかだった。
奥さんは一気にまくしたてた。
「いやね、おたくの〇〇ちゃん(※ちびっこ)が、よくうちにまつぼっくりを拾いに来てくれてね、鳥も可愛がってくれてね」「うちの仏壇にも手を合わせてくれてね、ああ、これは何かの仏縁があるなぁ~って話してたのよ」「で、話していたら、そういえばおたくのお母さん(※去年亡くなったお義母さん)も、昔ご本尊を持たれてたわねぇ、と思ってね」「やっぱり仏縁があると思ったのよ」


うちのちびっこが、仏壇に手を合わせていた・・・だと・・?


「仏縁なんて、ないですから!」


気付くと私は大声をあげていた。

確かに、お義母さんは数十年前、その宗教に入っていた。それは事実だ。
しかし、強引な接し方に閉口し、とうの昔に脱会してご本尊とやらも引き取ってもらった筈だ。
だいたい、そのお義母さんが持病で入退院を繰り返していた頃、いきなり我が家にピンポン攻撃をかまし、嫁に入ったばかりの私に向かって
「お母様は信心が足りなかったから病気が悪化したのよ」
と言い放ったのはどこの誰なのか。
「信心が足りない」と揶揄した事のある家に、「仏縁がある」だなんて、一体どの口が言っているのだろう。
ああ、この口だ。
ちっとも、自分の言葉が誰かを傷つけたり、イヤな気持ちにさせるだなんて思った事の無い、この無遠慮な口が言ったのだ。

「うちの娘が度々お邪魔させて頂き、ご迷惑をおかけしたようで、大変申し訳ありませんでした。 これからは一切お邪魔しないよう言っておきますので、どうかご容赦下さい」
「あら!ちがうのよ!迷惑だなんて! 〇〇ちゃんはホントにいい子でね~、まつぼっくりも喜んでくれて。 だからね、きっとこれは仏縁が」
「だから、ないですから! 私はそういうのは一切お断りしていますし、主人も同じだと思いますので!」
「あら・・・ そんな大した事じゃないのに・・ ホントにちょっと書くだけでいいのよ・・?」
「申し訳ありません。 今までありがとうございました。 もう子どもも伺いませんので。失礼します」

10数年取り繕ってきた上っ面は、“ご近所付き合い”という上っ面は、あっという間に剥がれて春の風に吹かれて飛んでいってしまった。
ドアを閉じる瞬間、隙間から見えた奥さんの目は、なんだかとてつもなく深い闇を宿しているように感じた。(偏見に裏打ちされた主観でしかないけど)


私は、全ての宗教を信じていない。

我が家には、お義母さんを祭る仏壇もあるし、実家に帰れば祖父母を祭る仏壇がある。
子どもの頃から、お彼岸やお盆にはスクーターに乗ってお坊さんがやって来るのが当たり前だったし、一緒にお経を唱え、手を合わせて育ってきた。
でも、仏教を信じているのか、と聞かれると、そんな事はないと答えるしかない。
お経を唱えれば極楽浄土に行ける、だなんて思ってないし、そもそも極楽浄土って何?と、冷めた反応しか抱けない。
神様なんていないと思っているし、悪魔もいないと思っている。
奇跡を起こせるとしたら、それは「神様」ではなく、「神様を信じる人自身」が起こすんだと思うし、悪魔の所業は「悪魔」ではなく「悪意に心を蝕まれた人」が起こすんだと思う。
唯一、というか、確実に信じているのは「祖先」の存在で、都合よく助けてくれはしないけれど、いつも見守ってくれているような気はする。 
今の自分があるのも、「祖先」のみなさんのお陰だ。 
感謝は尽きない。

だから、仏壇に手を合わせるのは当たり前だと思っているし、お墓参りも出来る限りする。
特定の「神」や「仏」に対して手を合わせているつもりはない。 あくまで、先祖のみなさんを敬っているだけだ。 先祖のみなさんが信じていた宗派で、そのやり方で弔いたい。 それだけなんだ。


私がそうだ、というだけで、世の中のありとあらゆる信者の方々を批判するつもりは毛頭ない。
「何かを信じる」気持ちほど尊いものはないし、自分に対して効果を発揮するモノもない。
だから、先程書いたように、「信じる」気持ちが奇跡を起こす事もあると思う。
ただ、それはあくまで「信じている」本人に限定されるものであって、無理強いされて起こる奇跡なんてある訳ない。

宗教は、何かを信じるという気持ちは、とても強大な力を生む。
心も体も助けてくれる。
だから、宗教はすごいと思う。 純粋に、すごい、と思う。
でも、お願いだから、その「すごい」を他人に押し付けないで欲しい。
自分がいいと思うものを勧める気持ちはわかる。 そこから新たな救いがもたらされる事も、もちろんあると思う。
でも、自分がいいと思うものを、他人はいいと思わないかもしれない、という可能性を心のどこかに留めて置いて貰えないだろうか。

私は、宗教を「すごい」と思うけれど、
「これを信じなかったから事態が悪化した」
とか
「これさえ信じれば事態は好転する」
という謳い文句を使う宗教に対して、「すごい」とは思えない。

宗教で万事が変わるんなら、世界中の人が救えるんなら、もうとっくに世界は平和になってるんじゃないだろうか。
あくまで、自分を救ってくれるよすがなんだ、くらいに思っておく方がいいと思うんだけどな。
お互いの為に。

あなたの神さまが、私を救ってくれるとは限らないのだから。


その神様が、やたらと名誉称号の多いどこかのおじいさんだ、なんて事があるとするならば、余計に救ってもらえるだなんて思えないし・・  おやこんな時間に誰か来たようだ。



追記
・ ちなみに、その後ちびっこに「あのおうちの仏壇拝んだの?」と聞くと「おがんでない!あめちゃんはもらったことがあるけど、おがんでない!」と言っていました。 ブラフかよ・・・ 思い切った手を使うもんだな・・ていうかもしかして、長期的にちびっこを洗脳する気まんまんだったのかも・・ちびっこ危機一髪!

・ それと、「全ての宗教を信じていない」と書いたけれど、「八百万の神」は信じています。 全ての物に感謝して生きて行きたいと思ってる。 自分は、勝手に生きてるんじゃなく、生かされてるんだと思ってる。 こういう考え方が、何より宗教臭いことも自覚しているけど、ホントにそう思う。 だから余計に、特定の人物を崇め奉るような宗教はうげげってなるんだよなぁ。 この人こそ生き神さまだ!みたいなさぁ。 海外の大学の名誉博士号がざくざく増えて行くどこかのおじいさんみたいな・・ うわなにをするやめr





追記 (※3月21日)

mollyさん、ykさん、しんさん、mayさん、落武者さん、シズカさん、ヘザ~さん、こまにゃさん、わたるさん、蝸牛さん、うめのきさん、カオリンさん、Muenchenerさん、とおりすがりさん、ばなやさん、りとらさん、ごりさん、st9さん、春林さん、Yoshinoさん、kootanさん、Crimsonさん、クワジ・プレストさん、かりさん、くろめんぼうさん、まるさん、サガさん、七誌さん、ルーマニア村っていうんですよ、慶応病院の最寄駅を。あの三色旗に揶揄を込めて。さん、神に誓って無神論さん、なめたけさん、nanashiさん、るーさん、ぬこ好きさん、awa-moriさん、灰色電脳さん、コメントありがとうございました。

本記事が、特定の団体(名前は書いていないものの、明らかにそうだと判るような書き方でしたので)を揶揄するような内容だった為、多くの方に不快な思いをさせてしまった事、深くお詫び致します。

本文にも書きましたが、私は宗教を信じる方を否定するつもりはありません。
宗教団体が行っている活動も然りです。
信じる人がいて、救われる人がいる、それは素晴らしい事だと思います。
ただ、押し付けて欲しくない、と、その一点を伝えたかったに尽きるのです。
本文には書いていませんが、この宗教団体に関しては、過去他にも信じられない様な思いをした事がありますので、積もり積もった感情があった事は事実です。その為、つい皮肉るような口調になってしまいました。 本当にすみませんでした。

誰よりも早く、被災地に援助の手を差し伸べようという気持ちも尊いもので、宗教団体だからといって「別の目的があるんじゃなかろうか」と勘繰られるような事はあってはいけない事だと思います。
その半面、同じ団体の中には、非難されるような事をしてしまう方もいらっしゃるのも事実です。 
要は宗教の問題ではなく、そこに属する人間の問題なのではないでしょうか。 

私にも、この宗教団体に属している友人がいます。
高校時代からの友達で、つらい事も楽しい事も一緒に乗り越えてきた大切な人たちです。
彼女たちは、選挙云々の電話をしてくる事がありますが、信仰を勧めてきたことは一度もありません。
私は彼女達が信じている宗教は信じられないけれど、彼女達の事は信じています。
今までも、これからも。


(※大変申し訳ありませんが、この記事のコメント欄はこれにて閉鎖させて頂こうと思います。 真摯なコメント、本当にありがとうございました。)

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