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『ザカリーに捧ぐ』

2011年02月09日
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ザカリーという赤ちゃんがいた。
世界で一番幸せで、世界で一番不幸な赤ちゃんだった。
アンドリューという息子がいた。
沢山の人に愛を与え、沢山の人から愛を返され、ただ一人の愛によって命を絶たれた。
シャーリーというモンスターがいた。
誰からも愛されず、誰も愛せず、自分だけを愛して、そして、消えて行った。


映画評論家の町山智浩さんとタレントの松嶋尚美さんが、日本未公開の優れた海外ドキュメンタリー映画を紹介する、「松嶋×町山 未公開映画を観るTV」がDVD化されたということで、その中の1本『ザカリーに捧ぐ』を鑑賞しました。

ここに映し出される事件は、過去にフジテレビの「奇跡体験!アンビリバボー」などで紹介されたことがあるので、ご存知の方も多いのではないかと思います。
アメリカ人男性・アンドリュー・バッグビィさんが、元カノのシャーリー・ターナーさんにストーキングされた挙句撃たれ、命を失う。その後、逮捕されたシャーリーさんのお腹にはアンドリューさんとの子どもがいることが発覚。悲しみと怒りに包まれたバッグビィ夫妻の、息子を殺した女との地獄の日々が始まる・・・。
という内容なのですが、その悲惨極まりないラストも含め、今まで作られて来たどんなドラマよりも後味の悪い、トラウマムービーとなっておりました。 
鑑賞後に待ち受けているのは、果てしない嗚咽と憎悪のみですよ。 奥さん要注意ですよ。

日本でも度々問題とされている、“被害者よりも加害者の人権が重視される”という傾向は、この一連の悲劇の舞台となったカナダでもかなり強くうかがえるようで、疑う余地もないほどマックロな殺人犯であるシャーリーが、まあ確かに殺したんだろうけど、殺したい人はもう殺しちゃったんだから、他に危害は与えないでしょと見なされ、保釈されてしまいます。
日本の斜め上を行く超絶展開ですねこれ。
そして、そんな最中に妊娠が発覚したシャーリーから、かわいい孫を取り戻さんと、バッグビィ夫妻は家財道具一切合財を売り払いカナダに移住。
シャーリーを、そもそもの殺人現場であるアメリカへ送還する為の手続きと平行して、生まれ来る赤ちゃんの親権を勝ち取る為の民事訴訟を始めますが、これがまた遅々として進まない。
のんびりしているうちに生まれ、ザカリーと名付けられた赤ちゃん。
すると今度は、このザカリーを盾に、シャーリーから夫妻へ無理難題が押し付けられるコトに・・。

想像し得る、ありとあらゆる最悪のパターンの、常に上を、上をと、FUKOゲージが満タンになる程押し寄せる不幸のつるべ打ち。
しかもそれらを率先して展開させているのが、すべてお国の司法制度という。
一体、何をどう解釈したら、殺人犯を野放しにして、殺害相手の赤ちゃんと共に生活させるという結論を導き出せるのか、さっぱり判らないのですが、それがカナダの法であり、加害者の人権を尊重するというコトなのでしょうね。 
日本もそうなのですが、この加害者の人権というものを目の当たりにする度、誰の為の法なのかが時々わからなくなってしまいます。 
一番苦しんだのは被害者で、一番尊重されるべきなのも被害者なんだと思っていたのですけどね。 
間違ってたら誰か訂正してください。 
ぼくにはもうよくわかりません。

愛する一人息子を亡くした老夫婦は、奇跡的に残された息子の生きた証を守るため、世界で一番憎い女の傍で、彼女のご機嫌を損ねないように、彼女の生活を支えて行く事を決意します。

できません。
もう、普通の精神状態ではできませんて。
なぜ夫妻が、一番簡単な方法、つまり、「女を殺して赤ちゃんを取り戻す」という方法を取らなかったのか。という理由は、作中彼らの口から語られるのですが、それを聞くとより一層やるせなさが募り、やり場の無い怒りに我を失ってしまいそうになります。
なんかもうバカ!カナダのえらい人全員バカ!!!

鋼のような精神力で、か弱きものの為に辛酸を全力で舐め続ける夫婦の姿を見て、強さ、というものは、殴る事が出来る強さではないのだ。と改めて感じました。
強さ、というものは、殴らない強さなんだと。 拳ではなく、心の強さなんだと。
そして人は、際限なく強くされるものなのだと。
信じあえる誰かと支えあうことで、いくらでも強くなれるのだと。そう思い知らされたような気がします。

もしもバッグビィ夫妻が2人でなければ、ここまでの地獄に耐える事は出来なかっただろうし、もしも夫妻を慕い共に涙してくれる人々が居なければ、再び前を向いて歩き始める事も出来なかったでしょう。

そう、それらを何も持たなかったシャーリーが、地獄の中から這い出る事が出来なかったように。

本作は非常に優れたドキュメンタリーであると共に、非常に公平性に欠けたドキュメンタリーでもあります。
『ザカリーに捧ぐ』と銘打たれた時点で、ザカリー、つまりアンドリュー寄りの視点で切り取られている事は明らかであり、そこを「フェアじゃない」「ずるいぞ」「ブーブー」というのはそれこそお門違いない意見だというコトは判っておりますが、やはりどこか歪んだ印象を受けてしまいます。(アガサの性格が捻じ曲がっているからでしょうが)
シャーリーは徹底して“モンスター”として描かれており、あえて、その生い立ちにも、その半生にも、その心に渦巻くどろどろとした澱みにも触れられることはありません。
ただ、彼女のモンスター(=危険人物)たる言動や、アンドリューよりも10歳以上年上の40女というコトや、アンドリューに出会う前に既に3人の子どもを生んでいるというコトが端的に語られるだけ。
そして、「彼とは遊びだったの」「彼の事を深く愛していたの」「将来のことなんてお互い考えてなかったわ」と、聴取のたびにコロコロ変わる言葉と、真意の見えない笑顔の写真が不気味そうに挟み込まれるだけ。

どうして彼女は、ザカリーと共に人生を終わらせたのか。
どうして、それまでに生んだ3人の子どもと同じように、育児を放棄し、自分ひとりで新たな愛探しの旅に出かけなかったのか。
夫妻の電話機に残されている彼女の肉声が、「ザカリーを愛しているの」と涙ながらに訴える彼女の言葉が、演技だったのか本音だったのかは誰にもわかりません。
なぜなら彼女はもうこの世にいないし、彼女がこの世に残したのは、どれだけ沢山の笑顔でも上書きされない程の憎しみだけだから。 あまりに憎まれすぎて、その言葉が持つ本当の響きなど判らなくなっているから。

本作に対する、唯一にして最大の不満点はそこなのですが、先程も書いたように、それが(製作者の切り取り方次第というのが)ドキュメンタリーというものですし、また皮肉なことに、バッグビィ家の絆や誠実さを力強く描けば描くほど、その裏で、コントロールを失いもんどりうって暴れているモンスターの姿が色濃く浮かび上がってくるという結果になってしまっていますので、やはり公平といえば公平なのかなぁ・・という気もします。
とにかく、この世に実際に存在した恐ろしいモンスターと、それを生んだ司法制度と、それらに立ち向かう勇気ある人々の姿が存分に詰め込まれた力作です。

とりあえず、悪いのは全部カナダなんだと思うよ!!Blame Canada!!


※ というのはもちろん冗談で、「カナダの司法制度だけが悪い」「モンスターを野放しにした社会が悪い」というのではなく、どこの国にも共通する悲劇としてきちんと受け止めなきゃならない事だと思います。 誰がモンスターになるかなんて判らないし、誰だってモンスターになりうるんだし、悲劇はいつだって、自分のトコロだけすり抜けて行ってくれる訳なんて無いのだから。
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