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『キック・アス』

2011年01月24日
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あらすじ・・・
全くもって冴えない生活を送っている高校生・デイヴはある日、ずっと憧れていた“スーパーヒーロー”になるべく、ネット通販で取り寄せた衣装を身にまとい、持ち前の正義心だけを武器に立ち上がる。
しかし、ヒーロー活動開始早々、街のチンピラからヒドすぎるしっぺ返しを喰らい、病院送りとなってしまう羽目に。
幸いなことに命に別状はなく、おまけに怪我の代償として全身の骨を金属版で補強される、というヒーローに似つかわしいスキルまで手に入れたデイヴは、くじかれた出鼻を猛烈な勢いで建て直し、“正義のヒーロー・キックアス”として再び街へと繰り出して行くのですが・・・。


この世の中に“スーパーヒーロー”なんているのだろうか。
面白半分に人を殺しながらもたった数年で社会に野放しになる鬼畜な人間や、保身しか頭に無いがらくたな政治家や、知性を持つ人間同士としての会話すら成り立たないどこかの都知事や、弱いものをピンポイントで狙って有り金を巻き上げて行くクソみたいな連中に、憤然と立ち向かえる人などいるのだろうか。
いや、もちろん日本には警察がいて法がある。 抗議する術もいくらでもある。(効果の程はさておき)
でも、それすらも通用しないゴミみたいなヤツラに、拳を固めて殴りかかることが出来る人などいるのだろうか。
公然と踏みにじられた“正義”を、自分の力で甦らせることが出来る人などいるのだろうか。

わたしたちの中の多くは、ぺっしゃんこになった“正義”に見てみぬフリをします。
「しょうがないよね・・」とためいきをつき、いつか彼らに公平な裁きが下ることを祈りながら、その場を立ち去る。
だって、こわいから。
中途半端な正義の代償がこわいから。
自分や、自分の大切な誰かが傷付くことがこわいから。

本作の“スーパーヒーロー”、キックアスとビッグダディとヒットガールも、決して“世の中の巨悪に立ち向かう正義のヒーロー”などではありません。
キックアスがヒーローのコスチュームを着るに至った理由は「澱んだ人生を変えてみたい」「もっと強くなりたい」「できればモテたい」とあくまで自分自身を満たす為。
ビッグダディは、「自分の人生をめちゃくちゃにしたマフィア組織をぶっつぶしたい」と完全に私怨。
ヒットガールに至っては、「おとうさんがそうしようって言ったから」と自分自身の意志とは言いがたい、なんというか、巻き込まれちゃったようなパターン。
それぞれが自分の都合に合わせた活動をするだけですので、「この世の悪をぶっつぶすぜ!」みたいな熱いノリとはちょっと違うような。

とはいえ、キックアスに関しては、確かに最初は純粋に、「見てみぬフリ、という風潮が許せない」という熱い気持ちを持っていたのですよね。
ところが、骨補強後の活躍が世間の注目を集め、一躍時の人になったとたん、“正義”へのテンションが急激に低下して行くことに。 
「みんながぼくを尊敬してくれた・・・!」 「こんなぼくでもスーパーヒーローになれた・・!」 「Myspaceのフレンド登録が1万人を越えた・・!」 と、今まで虚ろだった人生が一気に満たされてしまったキックアス。 
おまけに、見向きもしてくれなかった片想いの相手ともなんとなくいい関係になりそうになってきたりなんかしちゃったりなんかして。
もうね、正直、ヒーロー活動どころではないですよね。
リアルの方面が充実しちゃってますもん。

自分の中の虚栄心やモテへの渇望が満たされてしまい、且つ、“すきなことを続ける事の理想と現実”をも突きつけられてしまったキックアスは、あっけなくヒーロー業を捨てる事を決意します。
誰がそんな彼を責められるでしょうか。
目の前で、人の命がくだらない理由で奪われて行って、道理が通じない連中の存在を見せ付けられて、自分の命の軽さを思い知らされて、それでもまだ立ち上がれる人などいるのでしょうか。 いや、いないね。 
自分が軽い気持ちで足を突っ込もうとしていた物の、その余りの途方も無さに戦意を喪失してしまうキックアスことデイヴ。

本作はとにかくこの、“スーパーヒーローになろうとした男の子”のリアクションがとことん等身大に描かれているのが魅力的なんですよね。
・ パっとしない自分に自信をつけたい。
・ 彼女が出来たら他のことはどうでもよくなった。
・ でも、なんとなく中途半端な正義心に振り回される。
・ 身の程を知り、“諦める”という名の成長を選ぶ。
ね、身に覚えが無い人なんて、いないですよね、ね。

しかし、そんなデイヴですが、一生に一度だけ本当の“スーパーヒーロー”になるべく再びマスクを被る。
それは、自分よりもかなり歳の小さいヒットガールが、仁義を通そうとしている姿を目の当たりにしたから。
自分の命は、他の誰かの犠牲の上に成り立っているんだという事に気付かされたから。

自分の為だけじゃなく、誰かの為に奮起しおうとする姿。
自分の人生に於いても脇役のようだった人間が、主役の座を取り戻す瞬間。
もうねぇ、これに燃えなくて何に燃えるんだって話ですよ!

ここまでは、キックアスにせよヒットガールにせよ、“自己満足”や“刷り込まれた復讐”のため生きていただけだった。
しかし、個人的な恨みの対象だった相手の非道な振る舞いが、ネット中継によって全世界に発信され、“いち個人”が“公共の敵”となった時、彼らはそれらに向かって死を恐れず憤然と立ちあがる。
この時2人は、真の“スーパーヒーロー”になったのではないかと。
自分の都合上だけで動く“ヒーロー”から、本当の意味での“スーパーヒーロー”になったのではないかと思いました。 
人々に勇気と希望を与える、“スーパーヒーロー”に。


スーパーヒーローとしての資質を持つ人、なりうるべき人というのは、みんな心のどこかが満たされない人なのではないかという気がします。
心に傷を負っている人や、人生に大きな穴が穿たれている人、修復困難な程の痛手を経験した事があるからこそ、その穴を埋めるべく闘おうとするのではないでしょうか。
誰かが助けを求める声に敏感なのは、自分もその痛みを知っているから。
どんな困難な状況においても誰かを守ろうとするのは、そのことによって自分自身をも救いたいから。
ヒーローが被るマスクの下に見え隠れする、弱さや脆さ。
それらを感じ取れるからこそ、私たちは否応なく“スーパーヒーロー”に惹き付けられるのではないか。そんな気がしてなりません。

彼らは私たちがなりたくてなれなかった“わたし”であり、“ぼく”なのですよ。きっと。
だから彼らが血を吹き闘う姿は、こうも胸をとらえて離さないのですよ。 
きっとね。

この世の中に、現実に、“スーパーヒーロー”はいないと思う。残念ながら。
けれど、スクリーンの中から「何かを守る」ことの尊さ、美しさを教えてくれる“スーパーヒーロー”は、うれしいことに沢山いる。
彼らの魂が胸に灯してくれた火を、消さないように生きたいと願う。



さて。もうひとつ。
これはもう言わずもがななのですが、本作の大きな魅力は、なんといっても可憐で雄雄しいヒットガールなのですよね。

説明なんて必要ないんですよ。
「かわいい女の子がわるい大人をぎったんぎったんにやっつける」 ・・・な、もうわかるよな! 

自分の1.5倍ほどもある大男に立ち向かい、正義の鉄槌を下すヒットガールをすきにならずにいられようか。 いられるわけがない! なぜなら恋や憧れに理屈などないのだから!!


このヒットガールの生い立ちについては、観た方の中で賛否が分かれるところなのかなぁ、と思います。
物心がついた頃から問答無用で殺人スキルを叩き込まれた無垢な少女。
自分の復讐の為に、幼い娘を殺戮の場へ送り込む父。
これは一種の、虐待なのではないか、と。
たしかにアガサも、ビッグダディがヒットガールを単身ジャンキーの巣窟に送り込むシーンでは「いやいやいや・・お前が行けよ・・」と思いましたし、無邪気にバタフライナイフを操り、屈託の無い笑顔を浮かべて悪人の喉笛を掻っ捌く姿がいち保護者としてゾっとしない、という意見もわからなくはない。
事実、アガサが観に行った映画館では、上映後スタッフに「子どもが人を殺しまくる映画は不快ですね」と苦言を呈していた大人もいました。

しかし、アガサはあえて、声を大にして言いたい。

おまえらの目は節穴か、と。

ヒットガールとビッグダディの間に確かに存在している、“愛”と“信頼”が見えないのか、
と。

復讐を決意した時点で、ビッグダディは自身の死を覚悟していたのだろうと思います。
仮に我が子を一人置いて先立たなければならないとしたら、子どもに何を残せるだろうか。
生きる力を持っていて欲しい。 そう思うのではないでしょうか。
いや、もちろん、だからって子どもを人間兵器に仕立て上げるのは如何なものか、と眉を潜めたくなる気持ちもわかります。
ただ、父は徒に娘の寿命を減らすように仕向けていたのではない、と思うのです。
強くあって欲しい。 
自分の分まで。
母の分まで。 
そう思っていたのではないでしょうか。
そして、そんな父の惜しみない愛情と、全幅の信頼に、全力で以って応えようとした娘。

誤解を恐れず言いますが、アガサはこんな親子関係に憧れますね!
(アガサが我が子を殺人鬼として育てたがっている、と読み解く人がいるとは思いませんけどね)
ホント、この映画を全編しっかりと観ていて、よく“これは虐待だ”とかなんとか言えるよなぁ。 と思います。
いやまぁ、たしかに“虐待”なのかもしれないけども、でも、表面の血みどろだけじゃなく、もっと深いトコロも観て欲しいのですよね。 こんなにいい作品なんだもの!

ともかく、ヒットガールとビッグダディの共闘は、最高にグっとくる名シーンだったと思います。
子どもは砂場でうふふきゃははするだけだと思うなよ! 子どもを馬鹿にすんな! 小学生だって大人が汚いってことくらいわかってんだぞ!
(だから子どもが人を殺してもいい、なんて言いたい訳じゃないですよ。念の為)

うーん、なんだか“ヒーローとは”みたいな気持ちを書きすぎて、何が言いたかったのかよくわからなくなってしまいましたが、とにかく
『キック・アス』最高!! 
ってことで。
そして、きっとこの先数年間は塗り替えられることがないであろう世界女王(強い女映画部門)の座をヒットガールに捧げて今回の感想はおしまいということに。



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