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『下女』

2011年01月05日
下女1
おんなこわいよ!!

あらすじ・・・
ピアノ教師のトンシクは、縫製工場の合唱部を指導して生計をたてているナイスミドル。
10年間に及ぶ地道な勤労と献身的な妻による内職が実を結び、ついに念願のマイホームを建てることになった。
そんなある日、長年の内職疲れから妻が倒れた為、懇意にしていた女工に家政婦を探してくれるよう依頼。
家事を家政婦さんに任せ、しばらくの間、妻を実家に帰すことにしたのだが・・・。


男は偉い。 女はそれにかしずくもの。
そんな古きよき男性上位家庭に乱入してきたスーパー家政婦さんによって、キレイに整列していたハズの縦割り社会がぐちゃぐちゃと入れ替わり、不穏な雷鳴と共に壊れてゆく様を、抜群の間合いと緊張感溢れるカメラワークで描き出した傑作。
1960年の作品ですが、登場する人物たちは現代でも全く違和感なく受け入れられるような普遍的なダメ人間であり、自己愛精神の強いキャラクターですので、鑑賞中は自分の中の都合の悪い部分をグイグイと抉られながら、心地よい責め苦を味わうコトが出来るのではないでしょうか。


おうちに来た時から、“下女”として蔑みの目線で見つめられる家政婦さん。
なんと、まだ齢9歳くらいのちびっこまで「おい女!水もってこいよ!」と社長クラスの上から目線で指示しているという驚きの縦社会。 おとうさん、おかあさん、あなた方何か間違ってますよ。
そして、最初の頃こそ、ある程度従順に自分の務めを果していた家政婦さんは、妻が実家に帰ったのをきっかけに本領を発揮し始める。
別件で意気消沈状態の旦那さまの前で、シャツをはらりとずらして無垢な背中を丸出しにする家政婦さん。
誘蛾灯に引き寄せられる虫のようにふらふらと吸い寄せられ、つい乳を揉んでしまう旦那さま。
もんだらあかん! ギリでつまむ程度にしとかなあかんやないか・・・!!

走り出したリビドーは、ここまで来たらもう止まりません。
結局、家政婦さんと一夜を共にしてしまった旦那さま。
男にしてみれば一度きりの過ち、いや、ほら、なんつうか、勢いっていうか、うっかりっていうか、あるじゃん、そういうの。という感じの“忘れ去りたい昨日”なのですが、身寄りの無い、孤独な家政婦さんにとっては“永遠の一日”であり、“輝けるラブラブ生活のスタート”だったからさあ大変。
妻がまだまだ帰ってこないコトをいいことに、「ダーリン」「あなた」「あたしにもピアノ教えてちょうだいよ」と甘えんぼ大作戦が始まってしまいます。
こわいです。 一つ屋根の下という限定された空間で逃げ場はゼロ。 しかも、相手はこの時点で既に、場の空気を読む気持ちゼロ。  そうだった。おまえはいつも、全力野球だったよ。 夢にときめけ!明日にきらめけ!!

一方、旦那さまはと言うと、そんな家政婦さんのテンションに狼狽しつつも、まだまだ「雇い主であるオレの方がえらい」という意識があるのか、強気の姿勢を崩さず徹底抗戦。
マジでおまえ、そういうコトばっかしてたら、ペットのうさぎを釜茹でにされちゃうよ。

で、一見泥沼地獄真っ只中のように見えますが、コレはまだまだ前哨戦。
本妻が帰宅した事で、闘いは一気に地上戦へと突入です。
実家で休養していた本妻は、実は妊娠中でして、出産日を間近に控えておりました。
そしてなんと、家政婦さんの方も、たった一回開催されただけの夜の大運動会で、見事結実していた事が発覚。
それを知らされた旦那さまは、当然のことながら顔面蒼白です。  白黒映画ですが蒼白かったです。間違いない。
家政婦さんに「あたし産みますから」と宣言されて、悩みに悩んだ挙句、本妻に打ち明ける事を選択する正直な旦那さま。
本妻は怒った。
家政婦は見た。(それを)
信頼して尽くして来た夫の裏切りを知った妻は、夫に三行半を叩きつけ・・・ると思ったのも束の間、自ら家政婦さんを説得する事を宣言いたします。 まあね、女の気持ちは女が一番わかるでしょうしね、なんと申しましても妊婦同士な訳ですしね、ここはひとつ腹を割って話し合えば赤ちゃんの一人や二人なんとかならないよね! 
「そこに階段がある・・あとは・・わ か る よ な ?」みたいな? 暗黙の了解?みたいな? わかった、わかったからふたりとも一回落ち着こう!



本妻はとにかく、“家”を守ることしか頭にないのですよね。
やっと建てることが出来た自分たちの“家”。 
大きく立派な“家”。 
夫や子どもという個々の存在ではなく、“家”というその“カタチ”を守りたい。
そのためなら、どんな手段も犠牲も厭わないという。 もはや狂気としか思えないような願いに突き動かされている。
一方家政婦さんは、やっと見つけた自分の居場所を守りたい、その一心しかありません。
きっと彼女は、誰かと本気で愛し合ったことがないのだろうなぁ、と思うのです。
誰かに必要とされたり、信頼されたりしたことは無かったのではないか、と。
そんな自分を初めて抱いてくれた人、求めてくれた人を、絶対手放したくないと思った。
そのためなら、どんなに傷付いてもどんなに傷つけても構わないと思ったのではないでしょうか。


どちらのおんなも、何かに取り憑かれたように、自分たちの“ホーム(家、居場所)”を守ろうとする。
そこに、「誰かの思い」なんて入り込む余地はありません。 
もしかしたら、自分の気持ちすら見捨てているのかもしれない。
だって、守ろうとすればするほど、人としての尊厳を無くしてしまっているから。 本当は諦めてしまった方が気持ちも楽にきまってる。でも引かない。
なぜそこまで? と言いたくなるほど、何もかもを犠牲にしながら突き進むおんなたち。 

本作には、こわい本妻とこわい家政婦さんの他にも、こわい女工さんやこわい少女も登場し、ひたすらじっとりとした目つきで主人公の男性(旦那さま)を見つめるという、なんかもうおんなに恨みがあるとしか思えないようなヒドいキャラ設定を与えられています。
こわい女工さんなんて、旦那さまに片想いしていたもののそれが叶わないと判った途端、ブラウスを自ら引きちぎり「抱いてくれないんだったら、襲われたってみんなに言いふらしてやるからね!」と高らかに自作自演宣言ですからね。 なんやその一か八かの賭け的なアレは。 おまえは勝負師か。 根っからの博打打ちか。

で、それとは反対に、主人公の男性(旦那さま)は、とことん誠実で、妻に尽くし、娘に優しく、女工さんには公平というとても“正しい”人として描かれているのが印象的。
浮気はほんの出来心で、本当は妻を愛し、妻以外眼中にない旦那さま。(※自称)
諸事情から、妻とひとつ屋根の下で家政婦さんを抱かざるを得なくなり、挙句には体を家政婦さんに捧げる事を余儀なくされてしまうのですが、その際も「体は家政婦さんに与えるが、魂までは渡さない」、みたいな意気込みを語る旦那さま。 なんやその精神論でエロ行為をなんとか正当化してやろうという姑息な言い回しは。 どうせみんなに言ってるくせに!どうせ寝たおんな全員に言ってるくせに!!(妻を抱いているが心はおまえ、的な感じで)

というコトで、おんなはこわい生き物として、おとこは誠実な生き物として、かなり極端に描かれている本作なのですが、実はそう描けば描くほど、逆におんなのか弱さや果敢なさが引き立ち、おとこの狡さや優柔不断さが浮き上がってしまっているのですよね。
自分は弱い存在だからこそ、なんとかひとつのモノだけは守りたい。 
そんなおんなたちの形振り構わぬ姿に、胸が締め付けられました。
それに比べておとこの下衆い事と言ったら。
「あー、モテたくなんてなかったのになー。マジ不本意だわー」って言いながらも乳揉んじゃってますからね。 説得力ないから! 下衆!おまえホント下衆!!

誰かを自分のものにしたい、という気持ちは、要は自分が満たされたい、というコトだけなのですよね。
むき出しにされた人間の欲望。 自分自身にもコントロールできない程の貪欲な感情。
どうしようもなく憐れで、どうしようもなく愚かな私たちの姿が否応無く重なってしまう、とても素晴らしい作品でした。
国内版は出ていないようですが、日本語字幕つきの韓国版を手に入れるコトは出来るようですので、興味のある方は是非いかがでしょうか。
衝撃すぎて書けないラストも必見ですよ。


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