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『キャタピラー』

2010年08月08日
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戦争で四肢を失った夫が帰ってきた。
周りの若者がお骨になって帰ってくる中、姿かたちは変われど見事生きて帰ってきた夫に、村人は「軍神あらわる!」と大盛り上がりだ。
私は、以前とは全くの別物となってしまった夫に、正直戸惑いを隠せない。
これはもう、夫とは呼べないシロモノなのではないのか。
元々愛情があったのかすら判らない夫に対し、同情や憐憫が湧く筈も無く、ひたすら嫌悪感しか抱けない私。
飯を喰って、排泄して、精液を撒き散らして寝るだけの、肉の塊。
これのどこが“軍神”なのか。
しかし、私がなすべき事は、この名誉ある“生き神さま”をお世話することに他ならない。
妻としてではなく、日本国民の義務として。
この戦争の中で。 
いち国民として。
お国の為に。


若松監督が、自らの記憶や見聞きした情報を元に、全世代へと投げかけた本作。
観終わった後、胃がとてもつもなく重くなりました。
その重みから解放されたいが為に“反戦映画”という安易な言葉で片付けてしまいたくなる程に。
しかし、反戦映画と一口にくくってしまってはいけないのではないだろうか。
国のトップ同士が仕掛けた無意味な戦いに対する憤り。
そこから発生する人間同士の戦いに対する深い哀しみ。
自らの尊厳を守らんが為に戦おうとする者に対する慈愛。
本作には、そんな、“戦い”に対する様々な想いが詰まっていたように感じました。
特に、夫婦が狭い空間の中で“支配”“叛乱”“報復”といった攻防戦を繰り広げる姿は、第2次大戦うんぬんとは関係なく、現代にも存在するであろう“或ひとつの夫婦の壮絶な戦い”、ともとれます。
ただ、その複雑な夫婦関係を作り上げた根源は、戦争下における特殊な精神状態に他ならない為、それらの想いを反芻して巡り巡って導き出される答えは、結局“戦争反対”になるのかもしれない。
でも、観終わってすぐにそこに辿り着けるほど単純な作品ではなかったと思いました。上手く言えないけど。 とにかく、ひどく悶々としてしまう作品でした。


それにしても、“戦争”の恐ろしさを描くにあたって、ここまでとことん“奇麗事”を排した物語を紡ぎあげるとは・・・。 若村監督のそれらに対する怒りの深さや激しさには、執念すら感じてしまいます。
「不自由な体で帰って来た夫を献身的に介護する妻。」みたいな、いかにもわかりやすい夫婦愛には脇目も振らず、愛とも憎しみとも割り切れない、複雑な“情”をぶつけ合う夫婦の姿を、時に滑稽に、時に惨めに、時に残酷に映し出した84分間。
兵隊さんが血を流すのは、戦争のほんの一部に過ぎないんだ。
もっと大きな、抗いようの無い狂気のうねりに世界中がすっぽりと包み込まれてしまう。それが戦争というものなんだ。
「子供を産めない」というだけではなく、「男児を産めない」事ですら非国民扱いされ、石を投げ込まれる日常。
自分が正しいと思う事を示すには、キチガイのフリをするしかないという日常。
モンペを穿いたおばさんが、竹やりで軍隊をなぎ払えると信じている日常。
死にに行く若者を万歳三唱で誇らしげに送り出す日常。
戦争を知らない私たちから見ると、出来の悪いコントの様なバカバカしい風景を、国民一丸となって死に物狂いで演じていた、まさに狂気としか言いようのない日常。 それが戦争なんだ。 
・・と、当時は口にする事が出来なかった人々に代わって、必死に声を振り絞ろうとする監督の想いが、重く心に圧し掛かりました。

「全世代に観て欲しい。 特に若い、中高生たちに観て欲しい。」
舞台挨拶でそう仰っていた監督。
正直なトコロ、本作の敷居は、若い子たちにはあまりに高く、険しそうに見えるのではないかと思います。
イケメンもグラビアアイドルも出てこない、
遠いどこかの権威ある賞(しかもみんな大好き・アカデミー賞ではない)を獲っている、
手足の無い人が出てくる、
なんとなく説教臭そうな映画を好き好んで観に来る中高生が、果たしてどれだけいるのだろうか、と。
そして、実際観てみると、内容は先程も述べたように、悲惨でエグくて感動ポイントも無い淡々とした日常・・・。
ちょっと難しいのではないか、と思います。
しかし、なんとか、その敷居を乗り越えて、大勢の若者に観に来て欲しい。
そして、観終わって悶々とした嫌な気持ちになったら、その気持ちがなぜ生まれたのか、どこから生まれたのかと、じっくりと考えて欲しい。
巡り巡った先には、とても大切な、未来へ受け継いで行くべきとても大切な答えが待っていると思うから。

はい!ここで朗報! なんと、15歳以上の中学生と高校生は500円ポッキリで鑑賞可能ですよ! おいそこの学生!こりゃもう行くっきゃねんじゃねえの?!
(※これも、監督が「学生は無料で鑑賞させてくれ」と申し出られた事で実現した料金設定なんだそうです。 どれだけ熱い人なんだ!) 

シーンとシーンの間に執拗に挟み込まれる、天皇・皇后両陛下の写真。
日本語でおk、と言いたくなる様な複雑怪奇な日本語テロップと共に流れる大本営発表。
直視しづらい気持ちを挑発するかの様に堂々と映し出される、四肢の無い体と焼け爛れた顔面。
特殊な状況下で虐げられ、屈していた妻の謀反行為。
そして沖縄の集団自決。
原爆の投下。
焼け焦げた死体。
戦時中のイミフな大本営発表とは裏腹に、わかりやすい現代の日本語テロップと共に流される玉音放送。
終戦と共に自らの命を終わらせた“軍神”の姿。
ダメ押しの如きエンドクレジットのタイトルバックは、元ちとせの「死んだ女の子」。

ちょっとクドい位詰め込まれた、監督の想いと願い。
それに見事に応えた2人の役者の、目を背けたくなるような魂の叫び。
胃もたれ覚悟ででも、観ておくべき作品なのではないかと思いました。

人が人でいられない、狂気こそが正気なんだと教え込まれる、そんな日常を、あなたは望みますか?
敗者も勝者も正義の欠片もない、搾取と混乱と人殺しの風景を、あなたは望みますか?
小奇麗なメイクと整った髪型の俳優さんが演じる、感動の“反戦映画”から、本当の声は聞こえてきますか?





余談。

高齢化だなんだと叫ばれている昨今だけど、せっかく沢山居るそれらのおじいちゃんおばあちゃんと話す機会は、果たしてどれくらいあるのだろうか。
一緒に暮らしていた我が家のおばあちゃん(世帯主さまのお母さん)は昨年74歳でこの世を去った。
実家のおばあちゃん(私の祖母)も今年90歳でこの世を去った。
戦争を実際に体験したお二人と、戦争について詳しく話をした記憶はない。 
ただ単に、長くなりそうだったから敬遠していただけなのか、それとも子供の頃聞いた筈だけど忘れてしまっているのか・・。

世帯主さまに「何か覚えているか」と聞くと、「男の子を産めなかった身内が近所から石を投げ込まれていた話を聞いたことがある」と言っていた。
私も、祖母が「貧乏でホントにキツかった」話や「竹やりでエイヤーってやっていた」話をしていた事を、うっすらと思い出したが、今となっては、もっと沢山の話を聞いておきべきだったという後悔ばかりだ。
特に、私の次の世代の子供たちに、もっと聞かせておくべきだった。

耳に痛い話ほど、聞いていると悲しく居た堪れない気持ちになる話の中にこそ、心に刻んでおかなければならない教訓が存在しているのではないだろうか。

と言う訳で、戦争を体験したおじいちゃんおばあちゃんがご存命だという皆さんは、是非生の声を聞きに行ってみてはいかがでしょうか。
じゃないと勿体無いですよ。





追記。

私は、恥ずかしながら、江戸川乱歩の「芋虫」は未読です(あらすじくらいしか知りません)ので、本作と比較して・・という事は出来ませんでした。
ただ、監督ご本人のお話によると、
“四肢を失った傷痍軍人”という設定に「ジョニーは戦場へ行った」や「芋虫」から感じたイメージが影響している
という事ですので、物語そのものは、「芋虫」とは全くの別物と考えた方がいいのだろうと思います。

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