ブログパーツ

『トイ・ストーリー3』

2010年07月13日
toy-story-3-ensenmble-poster_.jpg
永遠。

彼女と出会ったのは、私が5歳の頃だった。
その時の喜びは、今でも決して消えないくらい、深く胸に刻まれている。
姉と私に“一体ずつ”手渡された“それ”は、両手で抱きしめて名前をつけた瞬間から、“1人ずつ”の“彼女”となった。

毎日一緒に遊び、何をするのも一緒だった彼女。
おもちゃを大切にする性格の子供ではなかった私だったので、かなりハードな付き合いだった事は否定できない。
背中の縫い目が綻んでは母に頼んで直して貰い、腕がとれそうになってはボンドでくっつける。
数え切れない程の手術でガタガタになる外見。 年々手垢で濃くなる顔色。
でも、彼女を手放そうという気にだけは、絶対にならなかった。

5歳だった私は6歳になり、さらに歳を重ねて10歳に。
様々な人形たちが我が家にやってきては、無造作に扱われ隅に追いやられて行く中、特別な存在であり続けた彼女。
小学生が中学生に、中学生が高校生に、高校生が会社員になっても、それは全く変わる事はなく、海外旅行に行く時でさえ、スーツケースの中には大切にタオルで包まれた状態の彼女がいた。

時が流れ、結婚する事になった私が山ほどの荷物を車に積み込み、彼の家に走らせた時も、助手席には神妙な顔つきでペタンと座り込む彼女の姿があり、そして最初の出会いから30数年経った今でも、彼女は私の机の引き出しの一番上に設えられたお布団にゴロリと横になり、当初から変わらない、いや、実際はかなり老け込んだ様に見えるのだけれど、気持ちの上では全く変わらない優しい笑顔で、私を励まし、勇気づけてくれる。

私の恋も、私の悲しみも、私の怒りも、私の不安も、笑い声も、涙も、全部共に過ごしてきてくれた彼女は、私にとってかけがえの無い友人であり、家族なのだ。 間違いなく。

『トイ・ストーリー』に登場する男の子・アンディもまた、思い出せないくらい昔から沢山の優しい時間を過ごしてきた相棒・ウッディを、決して手放そうとしない。
他のおもちゃを見捨てると言う訳ではない。 
ただ、“大事な思い出の品”としてに屋根裏にしまい込まれる彼らと違い、ウッディはあくまで現役。
特別な存在として、いつまでもいつまでもアンディと一緒に居る事を望まれる。ただし、遊んでは貰えないけれど。

おもちゃにとって、一番の幸せってなんなんだろう。

アンディにとってもウッディは、 
私にとっての彼女は、
果たして本当に“幸せな人生を歩んでいる”と言えるのだろうか。


本作のラストで、ウッディはアンディが望んだ道とは別の人生を選ぶ。
もしかすると、おもちゃにとってはそちらの人生が一番の幸せなのかもしれない。
私が“引き出しのベッドで眠らせているつもり”の彼女も、本当は“閉じ込められている”と感じているのかもしれないし、思う存分子供たちとおままごと遊びに明け暮れたいのかもしれない。
ウッディやバズの様に、自分の意志で行動して、人生を選択する事が出来ない彼女の為に、私が本当にすべき事はなんなのだろう・・・。
今まで疑問に感じなかった事がムクムクと膨れ上がり、取り返しのつかない失敗をしてしまったのではないかという不安に襲われてしまった。

しかし、本作が描くおもちゃたちの新しい世界は、あくまで理想の形でしかない、という事もまた忘れてはいけないと思う。
運良く“お気に入り”の箱に入れられたおもちゃは、
新天地に迎えられたおもちゃは、
それらは所詮、星の数ほど居るおもちゃの中のほんの一部であり、ウッディやバズやトトロになれなかったおもちゃたちは、3層構造のポリ袋に入れられ、処分場に運ばれ、粉砕されて燃やされるしかないのだと言う事を。
「やったぜ!」というウッディたちの勝利の歓声の裏で、粛々と灰になって行くその他大勢のおもちゃたちがいるのだと言う事を。

人は必ず歳をとり、純白だった心は色んな毒気を浴びてカラフルになり、必要とする“相棒”も様変わりしてゆく。
いつまでもぬいぐるみや超合金で遊ぶなんて事は、きっとありえないのだろ思う。いいとか悪いとかではなく。
子供との蜜月には必ず終止符が打たれ、おもちゃたちは子供たちが気付かない間に、お母さんという恐ろしい死刑執行人により仕分けされ、姿を消していく運命にある。

ウッディやバズたちのように“エバーアフター”な人生を歩めなかったロッツォにこそ、おもちゃたちのリアルな想いは詰まっているのではないだろうか。
だから、アンディとウッディたちの選択に涙するより前に、私は最後まで絶望から抜け出せなかったロッツォに涙した。
月並みだけど、おもちゃを愛してあげたい、と思った。 一緒にいられる間だけでも、一生分愛してあげたい、と。
なぜなら、ロッツォの絶望は、ただ単に勘違いや被害妄想から生まれただけではないから。
ロッツォが目にしてきた沢山の“その他大勢”の姿から生まれてきたものだと思うから。

私は彼女を一生手放さない。
アンディの様に旅立てない自分を、こっそり恥ずかしいと感じるものの、そういう“こどもな大人”も居ていいと思うし、彼女に、私と出会えて幸せだったと感じて貰えるように、これからも家族として愛し続けるつもりだ。
おもちゃと過ごす期間は、人生のうちで一瞬だったり、一生だったり、人それぞれだと思う。
ただ、その幸せな思い出は、永遠に消えない。 消しちゃいけない。

世界には沢山の子供たちがいて、沢山のおもちゃたちがいる。
願わくば、 その空の下が大きなひとつの子供部屋のように、こどもにとってもおもちゃにとっても幸せな場所でありますように、 と語りかけてくるようなラストシーンに胸を熱くしながら、私は帰り道を急いだ。
家に着き、引き出しを開けて彼女の額を撫で、いつの間にか別れてきてしまった沢山の“ロッツォ”に、心の中で焼き土下座をした。

一人でも多くの子供たちに観てもらいたい映画です。
もちろん、“元・子供”も“現・子供”も含めてね。



※今週のうちの子自慢
しゃしn
全員(ほぼ)30年選手。  真ん中のピンクのワンピースの子が、“彼女”です。名前はポッキーちゃんです。たぶん私が死んだら体毛とか伸び始めると思う。


※今週の余談
本作を観て、色んな部分にグっときたみんなは、『映画 フレッシュプリキュア! おもちゃの国は秘密がいっぱい!?』も観るといいと思うよ!
細かい部分はどうあれ、大雑把に言うと同じようなお話だよ!(うそだよ)


※今週の汚い大人
帰宅して『トイ・ストーリー3』のパンフレットを見ていたら、終盤の約7ページに身の毛がよだった。
はんそく
( 全 力 で 販 促 ! )

本編がアレで、パンフレットがコレか!
やっぱディズニーはこええな!!

     ♪♪どちらのバナーでもどうぞご遠慮なく♪♪ →   にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ

Trackback
管理人の承認後に表示されます
やだ、なにこの人類必見レベルの傑作…… 「「「かーみーさーまー」」」 あまりにも完璧との評判が聞こえて来過ぎるので、観てきた...

※当ブログで使用しているイラスト等の著作権は、全てはアガサにありますので、転載、二次加工、再配布の際は一言ご連絡下さいませ。