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『告白』

2010年06月10日
告白
父さん、母さん、たかこは立派にやり遂げましたよ!

あらすじ・・・
人を殺してはいけません。 なぜか? なぜだと思いますか?

幼い頃から母親に過剰な期待を押し付けられて、誰からも認められず、誰の目にも止められず、自分の存在が何なのかわからなくなっていた? そうですか、それはつらかったですね。 つらかったら人を殺してもいいのですか?

自分は望まれて生まれて来た子供じゃなかった?母に捨てられ、父にも見放され、周りの同世代の子供たちは幼稚すぎて話し相手にもならなかった? とにかく母に振り向いて貰いたかった、その為なら何を犠牲にしても構わなかった? なるほど、それは気の毒な生い立ちでしたね。  気の毒な生い立ちならば、人を殺してもいいのですか?

愛する人と結ばれると思った矢先に、その人が不治の病に蝕まれている事を知った。 同時期に奇跡的に授かった子供だけは、命がけで守ろうと、愛し抜こうと思った。 その子供が、自分の不注意で亡くなってしまった。 今まで何も起こらなかったから、誰かが見ててくれてたから、安心だと思っていた。 まさかこんな幼い子供が、悪意の目で見つめられているとは思わなかった。 自分たちが犯した罪の深さに気付いていない彼らが憎い。 彼らの悪意に気付けなかった自分が憎い。

憎かったら人を殺してもいいのですか? いいえ、殺してはいけません。 
あなた方は、自分自身でその事に気付かなければいけません。
なぜ人を、殺してはいけないのか。
そして、人を殺したら、何が、どうなってしまうのか。


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“罪滅ぼし” という言葉がありますが、犯した罪を本当に滅ぼしてしまう事など出来るのでしょうか。
いいえ、出来るわけありません。
だって、壊れたものは、似たような形には直せても、壊れる前に戻す事など出来ないから。
せいぜい一生懸命贖罪の言葉を吐いて、後悔の涙を流して、なんだったらお金をせっせと支払って、自己満足に浸ればいいじゃないですか。

ただし、私は一生あなたを赦しませんけどね。


・・なんて、生気の無い顔をした松たか子に言われたら、オレはもう死ぬね。
「うはあ!ごめんなさい!」 っつって死ぬね。 その方が楽だもん。死んでしまえば、罪からも逃れられるし。

だけど、この作品は、逃げる事を許してくれない。
何の罪も無い幼子を死に至らしめた張本人たちの、大切な人は死んでゆくけれど、彼ら自身は死ぬ事も許されず、狂った世界の中で行き続ける事を強いられる。
それが、彼らが犯した罪に対して支払わなければならない代償だから。
「死んで償え」という言葉を時々耳にするけれど、死は時に解放という意味を持ってしまう。
松たか子演じる女教師は、我が子を死に至らしめる原因となった者たち(自分も含めて)を、決して解放などしない。
感情を押し殺し、薄笑いを貼り付けた唇のその裏で、奥歯をギリギリと噛み締めながら、彼らが“大切な人の死”という地獄へと転がり落ちるのを、ただただ見守るばかりなのです。

ものすごく怖いです。 ほんともう、たか子が優勝でいいよ。 勝てる気しないよマジで。


私たちは、“いけない事”をする時、無意識に、何かに責任を押し付けようとしてしまいます。
なぜなら、“いけない事”がホントは“いけない”と、心のどこかで判っているからです。
“責められても仕方ない”という事が、充分すぎるほど判っているから、「みんなが・・」「社会が・・」「学校が・・」「先生が・・」と、目に付くありとあらゆる事柄に責任転嫁しようとする。
罪悪感を打ち消すように、精一杯、自分を正当化しようとする。
でも、ホントは誰のせいでもないんですよね。
自分がやった事は、全て自分の責任なのです。
だからこそ、やるからには、結果地獄に堕ちるような事になっても甘んじて受け入れるくらいの覚悟が必要なのです。

自分たちが犯した罪を、どこまでも“他人”のせいにする少年Aに、
「お前がやったんだよ。 一から十までお前の責任なんだよ」
と残酷でまっとうな事実を告げるたか子の言葉は、同時に彼女自身にも向けられていたのだと思います。
我が子を危険な目に晒してしまったのも、無慈悲な復讐を選んだのも、まだ人生経験の浅い少年たちに生き地獄を与えてしまったのも、全部私がやった事。 復讐しない、という選択に耳を貸さず、悲劇を積み重ねてしまったのも、全部私がやった事。
偶然出会った教え子に、「(犯人たちが)殺されるか、自殺でもしてくれればよかったのに」と嘯いた後、一人激しく嗚咽するたか子。
自分の中に巣食う醜い部分を吐き出すように、自分の中に居座り続ける憎しみの塊を吐き出すように。
でも、喉に絡まった痰のように頑なに張り付いたままの澱んだ感情は、どんなに嗚咽しても体から出て行ってくれない。
諦めたように、いや、覚悟を新たにしたように、虚しい復讐への道を再び歩き出すたか子の姿は、気高くて、愚かで、悲惨で、でも私もきっとたか子の立場だったら同じ道に踏み出してしまうだろうと思い、体が震えました。

感情を押し殺せば押し殺すほど、その影で陽炎のようにゆらめいている情念が、観る者の全身に伝わってくる。
なんとすごい表現力を持った女優さんなのでしょうか。
やっぱりたか子はすごいよ。 向こう30年は、たか子の天下が続くと見たね。

最後の対決を終え、「なあんちゃって」とつぶやくたか子の本心は、自分がやり遂げた復讐のくだらなさ具合に対する自嘲だったのでしょうか。
それとも、大切な存在を失った(かもしれない)事でやっと罪の深さを実感した生徒Aに対する、解放宣言だったのでしょうか。
私は前者だったのではないかと思いました。
結局、この少年は“心の痛み”を知っただけで、反省をしている訳ではない。 
何より、一連の復讐は、やられた事をやり返しただけの話で、愛する我が子の存在は置いてきぼりになったままだ。
どこまで行っても、天国の扉は見えてこない。
永遠に続くのは孤独の世界。
馬鹿馬鹿しい。 
この少年も自分も、何もかも馬鹿馬鹿しい。

原作よりもさらに、真っ暗な絶望の淵が映し出されたラストカットと、そこに被された「なあんちゃって」の一言。
心底打ちのめされました。

人を殺していけません。
なぜだと思いますか。
もしアガサが我が子に説明する時がきたら、アガサはこう答えようと思います。
「人を殺す事は、自分や、自分の大切な人を殺す事と同じだから」
「誰かの命は、自分とは関係ないと思っている誰かの命は、必ずどこかで繋がっているから」
人を殺した後には、希望も救いもないのだという事を、ジットリとしたたか子の眼差しとこれ以上ない程の説得力で描いてくれた本作は、R15などにせず、若い子供たちにこそ観せるべき映画なのではないかと思いました。


たか子の事ばかりになってしまいましたが、本作における木村佳乃の演技もとても狂っていて素晴らしかったと思います。
佳乃と彼女のバカ息子のくだりは、原作と比べてかなり省略されておりますので、鑑賞後にでも原作の方も読まれる事をおすすめします。 アガサは鑑賞前に読んでしまっていたのですが、そのお陰でバカ息子の心理状態などがより想像し易かったですし、佳乃の狂いっぷりにもさらに納得がいくと思います。

それと、女優さんの狂気を盛りたてる演出もまた、とても素晴らしかったと思いました。
ブルーを貴重とした、生気の感じられない映像と、スローモーションを多用した演出は、憎しみや怒り絶望といった感情に見舞われた時に目に映る世界そのものだと思います。
重力が通常の何倍にも感じられ、楽しそうに笑う人の顔が歪んで見えるんですよね。狂気ギリギリの世界では。わかります。

沢山の才能が作り上げた、出口の無い生き地獄。


是非。

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