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『アメリカン・クライム 』

2010年03月23日
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アナザー・サイド・オブ・「隣の家の少女」。

あらすじ・・・
6人の子供を女手ひとつで育てるガートルードは36歳。 まだまだ女盛り。
彼氏は11歳年下のアンディ。 典型的なろくでなしのイケメン。
生活費を入れてくれる訳でもなく、ただ金の無心と性欲の解消にだけ彼女の家を訪れるアンディを、しかし、拒むことの出来ないガートルード。
収入はもっぱらアイロンがけの内職と長女のバイト代で、当然の如く慢性的な貧乏生活。
そんなある日、ガートルードは日曜参拝で偶然出会った姉妹を預かる事に。
2ヶ月ほどの託児アルバイト。 
報酬は週20ドル。 
願ってもない収入のあてに、ガートルードは安堵のため息をもらす。

姉妹を迎えての新生活は、何もかも、順調に運んでいたはずだった。

姉妹の両親から届くべき20ドルが、たった一日遅れてしまったその日までは。



びっくりするくらい にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ  ズベ公ばっかり出てくる映画でしたよ


ただいま話題沸騰中の 『隣の家の少女』 ですが、幸か不幸か岡山では公開が未定なようですので、もうひとつのガルネクこと 『アメリカン・クライム』 を借りてみました。
いやねぇ、『隣の家の~』も本当は、未公開&DVDスルー扱いくらいだろうと思っていたですよ。 
まさか公開されるとはねぇ。 
今回の決定には、昨今のフランス産(エグい)ホラーの台頭が影響している事は、まず間違いないでしょうね。
じゃなかったら、製作から3年も経って公開とか、ないない! 大人の事情かキングレコードの暴走錯乱以外ありえない!

ま、それはさておき。

ご存知の方も多いでしょうが、実はこの2作品とも、実際に起こった事件(参考:殺人博物館~ガートルード・バニシェフスキー)をベースに作られておりまして、ケッチャムの方はそれを基にしたフィクション、こちらの方は裁判記録の一部をダイアローグに使うなど、実録モノっぽさを全開に押し出した作りになっております。
どちらも、大筋は同じで、
「鬼ババアに預けられた薄幸の美少女姉妹が壮絶な虐待に遭う」
という、あんまり楽しくないお話なのですが、未見の『隣の家の~』はさておき、本作はかなり鬼ババア目線の語り口となっているのですよね。

16際の頃、若気の至りで出産した長女を筆頭に、暴力夫との間やその他の男との間に産みもうんだりその数6人。
子供はかわいい、でも、貧乏は底なし。
引き出しを開けても、小銭一枚転がっておらず、財布の中には1ドル札が数枚しかないという惨状。
貧乏こわい。 貧乏つらい。
おまけに喘息もちで、きちんとした職にもつけないガートルード。
まさにストレスの牢獄のような毎日。

そんな彼女が藁にもすがる思いで手に入れた託児のアルバイト。
6人も8人も変わりゃしねぇよ! とばかりに始めたものの、生活は相変わらずキュウキュウとし、ろくでなしの彼氏にせびられれば、やっぱり無い袖を振らずにもいられない。
だって、彼氏ほしいもん。
ストレスだらけの日々だから、自分に失望しっぱなしの人生だから、せめて束の間の“モテ”にすがらずにはいられないんだもん。
でも、“モテ”じゃあお腹はふくれないんだもん。

食い扶持が増えた事により、以前にもまして綱渡り感が高まった、ガートルードの生活。
もう、頼みの綱は例の20ドルだけという、極限状態。
そんな時、届くはずの日に届けられなかった20ドル。
必死に摑まっていた糸が、プツリと切れてしまったガートルード。

こういった切ない背景が、扮するキャサリン・キーナーの絶妙な薄幸顔と相俟って、見る者の心を猛烈な勢いで追い込んでいきます。

だからって、虐待してもいい訳がない。
だからって、よその子供を殺していい訳がない。
もちろん、それはそうなのですが、あまりにキャサリン・キーナーの演技が達者な為(もしくは製作者のさじ加減の為)、物凄くやりきれない気持ちになってしまいました。

人は、自分一人の力では、悪魔にはなれないのだ、と思います。
「虐待を受けた子供が成長して、同じように虐待する親になってしまった」という話を本当によく聞きますが、誰かに影響を与えようと思えば小さいに越したことは無く、物事の善悪を身に付ける幼少期に植えつけられた異様な価値観を、一体どうすれば改善することが出来るというのか。
もしかしたら、ガートルードも虐待を受けて育ったのかもしれない。
だとしたら、本当の悪魔はガートルードの親なのでしょうか。
でも、その親もまた幼少期に虐待を受けていたとしたら?

糸が切れてしまい、思わず激情にまかせて姉妹に手をあげてしまったガートルード。
超えてはいけない一線を越えてしまった事で、堰が切れたように暴力にすがるようになってしまったガートルード。
そして、そんな彼女を制する者が、どこにもいないのという不幸な現実。
泣き叫ぶ少女の声を聞きながら「面倒ごとには関わらない方がいい」と無視し続けた隣人。
明らかに間違った事と知りながら、ガートルードに嘘八百を並べ立てた彼女の長女。
お母さんが怖いが為に、真実から目をそらした娘たち。
危うい精神状態になっていると気付いているくせに、ガートルードを放っておいた恋人。
異様な光景を「大人公認」という言葉だけで受け入れて、通報するどころか加担して楽しんでいた近所の子供たち。

ガートルードの周りには見事なまでに、彼女の狂気を見守ったり助長する人たちしか存在しておらず、それらが彼女を完璧な悪魔に育ててしまったのではないか、と思えてしかたありませんでした。
また、暴力の合間に、自分の犯してしまっている最低の行為を恥じて、泣くんだよなぁ、ガートルード(=キャサリン・キーナー)が・・・。

ここまで加害者よりに作るか?というくらい、“ガートルード=気の毒”路線で攻めてきた本作。
実際のガートルードがどんな人物だったのかは知るよしもありませんし、本当は、どこに出しても恥ずかしくないようなクソビッチだったのかもしれませんが、少なくとも本作のガートルードには“怒り”よりも“同情”、“憎しみ”より“憐憫”が先に浮かんでしまい、そしてまた、実際の虐待事件や暴力事件が抱えている闇もこんな風に、割り切れない事情を沢山併せ持っているんだろうなぁ、と想像してしまい、つらくてたまりませんでした。

裁判の最中、虐待に加わっていた子供たちが証言するシーン。
「誰かに命令されましたか?」
「されていません」
「なのに暴力をふるった?」
「はい」
「どうしてそんな事を?」
「わかりません」

全ての子供が口を揃え、困惑した表情で返す「わかりません」の言葉。
それは紛れも無い事実なんだろうと思い、それが恐ろしくてたまりませんでした。
わからない。 けど、気付いたらやっていた。
ガートルードが、子供たちの奥深くに植えつけてしまったかもしれない“異様な価値観”が、この何年か先に再び頭をもたげなかった事を祈るばかりです。


被害者の少女役のエレン・ペイジ師匠による渾身の演技もすばらしかったですし、完全に精神を病んでしまった加害者はもとより、被害者の魂もまた、死してもなお救われてはいない、という、悲壮感漂うラストも心に深く突き刺さりました。
悲惨な虐待の直接表現がほぼ無い事や、虐待に遭っている少女の顔や体がキレイすぎる事、虐待がエスカレートしてゆく様が強引すぎる事など、やや不満を感じる点もなくはないのですが、加害者側に重きを置いたことによって、より問題の根深さを痛感する事が出来ましたし、エグい直接表現が無くても、充分“恐怖”も“痛み”も“絶望”も伝わってきますので、鑑賞後の気分はバッチリ最低ですよ。 
うん、もうオレ、ケッチャムの方観なくてもいいよ。


それと、実は本作と『隣の家の少女』にはとても大きな相違点がありまして。
『隣の家の~』では鬼ババアの子供は息子3人なのですが、本作では5人の娘+息子となっており、この家族構成のおかげで、虐待スイッチのポイントがかなり変わってきているのです。
ガートルードの家には、ほとんど女性しかいない為、そこには常にピリピリとした空気が漂っています。
「誰がプリンセス(一等賞)なのか?」、という、女性が複数いた時必ず芽生え始める感情。
心の中で優越をつける。
友情を嫉妬心がいとも簡単に超えてしまう。
男が絡むと最悪のこじれ方をする。
たった一度の言葉のチョイスミスが、一生消えないしこりとなって残ってしまう。

人間関係はこわい。 でも、そこが女だらけの場だともっとこわいんだかんね!マジで!(←色んな思い出が脳裏をよぎっている)

「隣の家の~」を読んでから、もう数年が経つので、本作を踏まえて改めて読んでみると、また違った発見があるのかもしれませんが、どうやっても読み直す気ににはなれませんので、もし最近「隣の家の~」を読んだり鑑賞された方がいらしたら、是非一度見比べてみてはいかがでしょうか。 

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