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『母なる証明』

2009年12月26日
はは
★★★★
バカ親にだけは、なっちゃいけないんだ。

あらすじ・・・
“母”は走る、かけがえの無い息子の為に。
“母”は探る、無実の息子の為に。
“母”は覗く、純真な息子の為に。
“母”は嘆く、薄弱な息子の為に。
“母”は振り上げる、愛する息子の為に。
“母”は踊る、自分の為に、自分と息子の未来の為に。



映画が終わって劇場を後にしようとした時、昔からの知り合いに出会った。
「どうでした?」と聞かれた私は咄嗟に、「ひどかったです」と答えた。
その人はとても戸惑った顔をしていたと同時に、ガッカリしていたようでもあった。
確かに「ひどかった」という感想は、“無い”かもしれない。
でも、私はそう答えずにはいられなかった。

ここに描かれた“母”の姿が、あまりに異様で、あまりに自己中で、あまりにバカだったから。

なになに?ポン(ポン・ジュノ監督)の頭の中で、“母”ってのはこんなイメージなの?
ポンはアレなの? 極度のマザコンか、もしくはその真逆なの?

現役バリバリの“母”として一言言わせて頂くけれど、“母”ってこんなひどくないからね! 
もうちょっと常識とか理性とかあるから、マジで!! ほんとにもう!ポンのバカ!! バカポン!!



しかし、劇場から数百メートル離れた駐車場へ向かって歩き始めた私は、鑑賞直後に胸に渦巻いていた不快な気持ちの正体に、すぐに気付いてしまいました。
それは、「認めたくない真実を突きつけられた時のバツの悪さ」だったのです。


私は子供を産むまで、“子供”がキライでした。
スーパーや行楽地でワーギャー走り回る“子供”が、ふいにこちらの目の奥をジっと射抜く様に見てくる“子供”が、すごくキライでした。
実を言うと今でも得意ではありません。 
さすがに「キライ」から「苦手」レベルに緩和はされたものの、やっぱり“子供”を前にすると、笑顔がじんわりと固まってしまいます。

が、 自分の子供に対しては全く別で、もう、かわいいとか愛しいとか、そういうレベルじゃないのですよね。
世界に対して均等に抱いている微量な愛(世界平和を求める気持ちとか、戸締り用心火の用心・人類みな兄弟!みたいな気持ち)を全人口分集めたとしても、我が子に対する想いには到底届かないのです。
我が子が助かるのであれば、自分の命なんて1ミクロンも惜しくない。
もしも世界が滅びそうになっても、例外的に我が子が生き延びれるのであれば構わない。
我が子が困っている事があるのなら、全力でフォローしてあげたい。

そうなのです。
私自身がとても自己中心的で常識はずれな“母”だから、同じ臭いを放つ、この作品の“母”の存在を認めたくなかった。
理解したくなかったのです。

ごめんね、ポン。 確かにこんな感じかもしんないや。 
常識とか無いよねー。 そりゃ我が子が絡んじゃったらさぁ、常識も倫理もへったくれも、無い無い、んなもん!
いやぁ、ポン鋭いわーマジで! ほんとにもう!ポンはマジ!! マジポン!!(←語感だけで突っ走った例)


で、我が子の事は死ぬほど心配だし大事なのはわかったけれど、じゃあ他の子供はどうするんだ?と言うと、それはもうその子のお母さんなりお父さんにお任せするしかないのですよね。
「うちの子はどんな手を使ってでも助けたい。 よその子の事はその子の親が考えてあげればいい」
とことん身勝手だけど、とことん正直な論理。
きっと、本作の“母”もそう思ったのでしょう。
息子が解放されるのと引き換えに捕まった、新たな容疑者に接見し、「あなた、お母さんはいるの?」とすがる様に聞いた“母”。
お母さんさえいれば、この哀れな容疑者もきっとなんとかなる筈。
圧倒的お母さんパワーで、なんとか助かる道を探して貰える筈。

しかし、この容疑者には守ってくれる両親は居なかった。
それを知った瞬間の“母”が上げる悲鳴の様な泣き声の、なんと憐れで、なんと悲惨な事か。
でも、“母”は歩みを止める事など出来ないのです。
例えよその子供が犠牲になろうと、彼女にとって大事なのは“我が子の無事”だけなのだから。

自分自身に向けられた“子を守る母としての矛盾”という呵責から眼を背け、「全て忘れてしまえ」とばかりに秘伝のツボに針を刺し、一心不乱に踊り耽る“母”と、その姿をグラグラと気がふれたような視線で捉えるカメラ。
残酷で、恐ろしくて、哀しくて、どう考えても「幸せ」にも「希望」にも満ちていないラストは、
はい、そこのお母さん。あなたならどうする?
と問いかけているかの様で。

そして私は、「ひどい映画だった」と目線を逸らしながら言うしかなかったのでした。


“母”というのは、特殊な生き物だと思います。
数ヶ月の間とは言え、ひとつの体にふたつの命(またはそれ以上)を宿していた、不思議な生き物。
そのせいで、生まれてきた我が子には、異常な執着を見せる事がある。
それはそれでいいと思う。
その執着が子供を、人生に降りかかる様々な困難から守ってくれる筈だから。
みんなもっと親バカであればいい。
周りから笑われる位の親バカならば、少なくとも、同居人に遠慮して虐待を黙認したり、子供の健全な生活より自分の欲望を優先させるようなアホにはならない筈だから。


ただ、やはり、バカな親にはなってはいけないと思うのですよ。
学習発表会で自分の子がいいポジションを得られなかったら、周りの迷惑関係なしにキレまくる、とか、
自分の子に楽をさせる為なら、社会のルールなんてクソくらえ!とか、
自分の子可愛さで、他人の不幸は知ったこっちゃ無い! みたいな、バカな親にだけはなってはいけないのです。 
親バカは子供への愛だけど、バカ親は結局自分への愛でしかない。

本作の“母”を観ていて感じたバツの悪さは、「私も同じ立場になったら、死に物狂いで我が子を守ろうとするだろう」という共感からきていたのですが、この“母”が選んだ結末だけは共感出来ません。
ここまでやってしまうと、バカな親になってしまう。
本当に子供の長い人生を考えるなら、踊ってないでしっかりと足を踏ん張り、現実を見なければ・・・。
むずかしい、つらいですけどね。


“母”をという生き物を、恐ろしいまでの情念を込めて描いたポン監督の手腕には、ただただ脱帽です。
いつかポンに会った時、
「“母”は確かに特殊だけど、ここまでひどくはないよ!」 
と胸を張って言える様な、そんな“母”でありたいと、切に願った私なのでした。

ま、会わない(会えない)けどな!!

 

■ おまけの一言

・ ノゾキ、ヨクナイ!
・ 韓国のおかんはファッショナブル!(細身のジャケットにロングスカート)
・ 母と息子って、父と娘よりも生々しいのは何故なんだろうね!
・ おかんが薬草を切るシーンが、実は本編中一番怖かったのは内緒だ! 


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