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『縞模様のパジャマの少年』

2009年09月30日
縞模様のパジャマの少年
★★★★★
凹むとか凹まないとか、もうそういうレベルの話ではない。 全人類必見。


本当は、今年の夏上京した際に本作を観ようと思っていたのですが、上映時間との兼ね合いで断念してしまったのでした。
無事“岡山の良心”ことシネマクレールでも公開されたので、先日鑑賞してきたのですが・・・。


これ、東京で観なくてよかったです。
『マーターズ』 と本作とをはしごなんかしていたら、もう立ち上がれなくなってたかもしれません。


あらすじ・・・
お父さんの仕事の都合で、田舎の一軒屋に引っ越してきたブルーノは8歳。
新しい家は、なんだかとても寒々としているし、お父さんの仕事の仲間が常に歩き回っているし、「危ないから」という理由で庭の外にも出させて貰えないし、何も楽しい事がない。
退屈でしょうがないブルーノ。
そんなある日、ブルーノは裏庭の納屋の窓から外に抜け出せる事に気づく。
入ってはいけない約束の裏庭。
でも、8歳のブルーノにとって、その裏庭はキラキラ輝く自由な遊び場への入り口だった。

お母さんが街へ行くと言う日、ブルーノは思い切って納屋の窓を開ける。
その向こうにあったのは、緑が眩しい森林と、そよそよと流れる小川と、鉄条網で囲まれた農場だった。
恐る恐る近づいたフェンスの向こうに、一人の少年を見つけたブルーノ。
少年の名前はシュムエル、8歳。
縞々模様のパジャマを着て、いつもお腹をすかせている不思議な少年・シュムエルと、ブルーノはあっという間に仲良くなった。
ブルーノはもう、寂しくなかった。

それから毎日のように、こっそり家を抜け出し、シュムエルとの友情を育んでいったブルーノ。
日常にまとわりつく得体の知れない不安と、真実を話してくれない大人の中で孤独に押しつぶされそうだった2人の少年は、フェンス越しとはいえ、堅い、厚い絆で結ばれてゆく。

楽しい日々は、ずっと続くと思っていた。

続く筈のものだった。

ブルーノのお父さんがナチスの強制収容所の所長で、
シュムエルのお父さんがユダヤ人捕虜でさえなければ。



なんという恐ろしい映画だろう。
なんという残酷な映画だろう。
あまりの衝撃に、口をついて出てくるのは激しい嗚咽だけだった。

本作はPG-12、つまり、12歳以下は保護者同伴で行くか、保護者の助言や指導を必要としますよ、という指定を受けている。
これは極めて妥当な指定だと思う。
12歳以下は観ない方がいいと言う意味ではない。
積極的に鑑賞して(させて)、その上で保護者(大人)が本気で説明をしてあげるべき作品なのだ。

戦争って、今ひとつ実感がわかなくて判らない。
正義を貫くための戦争も、あるのではないか。

そんな風に、ぼんやりとした平和に浸かっている人たちは、この作品を観ればいい。
この一本だけで、戦争の恐ろしさの全てが判るだろうから。
戦争という大量殺戮の中には、「奇跡」も「ヒーロー」もない。
ただの、吐き気がするような醜い殺し合いがあるだけだ。

私たちはみな、本作を観て、打ちのめされて、心を引きちぎられて、そして思い知るべきなのではないだろうか。
過ちを犯し続けるのは、もう沢山だ、と。




以下、オチを含めての感想になりますので、未見の方は出来れば鑑賞後にご覧になって下さい。


子供は単純だ。
本作の冒頭映し出される、
「子ども時代とは分別という暗い世界を知る前に、音とにおいと自分の目で事物を確かめる時代である」
という詩の通り、子供は偏見や先入観ではなく、目に映るもの、かわした言葉、耳にした音、向けられた目線で、相手がいい人かどうかを判断する。
子供が持つ、善悪のものさしはとても単純なのだ。
そして、単純だからこそ、物事の核心を突いてしまう事が多い。

本作でも、ブルーノは単純なものさしでもって、シュムエル(やユダヤ人たち)を“いい人”だと判断する。
大人がどんなに「ユダヤ人は普通の人間とは違う」だなどという嘘八百を並べ立てても、ブルーノの純粋な目には、シュムエルはただの気のいい8歳の少年にしか写らないのだ。
実際、本作のユダヤ人とドイツ人の違いは、縞模様のパジャマを着ているかどうか程でしかない。(演じる役者がイギリス人だという理由もあるけれど)
そしてその「些細でしかない違い」が、物語に今まで見たことの無いような悲劇的な幕切れを与える事になる。

大人たちが、子供たちに真実を話さなかった為、悲劇は起こった。
どうして大人たちはウソをついたのか。
それは、自分たちがしている事が、非人間的な行為だと判っているから。
誰もが納得できる、正当な理由などないと判っているから。

歴史を作るのは、いつだって大人だ。 子供には無理なのだ。
だから大人は、責任を果たさなければならない。
説明という責任を果たさなければ。
単純で、曇りの無いものさしを持つ子供を、納得させられるだけの説明が出来ないのならば、嘘で固めた説明しか出来ないのであれば、その計画は間違いなのだ。
実行すべきではないのだ。


何も知らずに(知らされずに)、最後の冒険に向かう少年たちの姿は、とても楽しそうで、とても生き生きとしていた。
その冒険の果てに待つのは恐ろしい悲劇だと予測出来てしまうから、その姿が余計につらかった。
心臓が激しく打ちつけ、私は心の中で繰り返し「やめて!やめて!やめて!」と叫んだ。
でも、その祈りは決して届かない。
現実の戦争、大量殺戮と同じように、必死の願いはいつだってただただ踏みにじられる。


ブルーノの母があげる叫びは、無責任な戦争でわが子を失った、全ての母の叫びだ。
被害者も加害者も無い、同じ“子”を喪った“母”の叫び。
そして、その叫びこそが、無意味で、無慈悲で、クソったれな戦争がもたらす事の全てなのだ。


私は、きちんと説明できる大人でありたいと思う。
間違った歴史を、これ以上作ってはいけない。


今はパンフレットを開くだけで、心が締め付けられて涙が溢れてしまうけれど、いつの日か家族にもこの作品の事を伝えてあげたいと思う。

つらいけれど、鑑賞してよかったと思った。


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