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『20世紀少年<最終章> ぼくらの旗』

2009年09月05日
ぼくらの2
(プラス史郎分★★★★
なんだかんだ言って、お面はやめた方がいいと思うよ。 みんな普通に引くよ。ドン引きだよ。 >“ともだち”


ちょっと今回は趣向を変えて、ネタバレなしで書きますよ!


あらすじ・・・
2015年。
世界各地に突然現れたガスマスクの男。
彼らによってばら撒かれた死のウィルスは、瞬く間に数十万人の命を奪った。

で、困った愚民どもは、一度死してのち復活を果たしたばかりだった“ともだち”に全てを託した。
なぜなら“ともだち”は“神”だから。
“神”ならこんな大変な事態もなんとかしてくれるでしょ、みたいな。

と言う訳で、どういう投票が行われたのか、はたまた無投票当選だったのか、“ともだち”は世界大統領となった。
世界の事はさておき、“ともだち”はまず東京に着手した。
一部区域を高い塀で囲み、外部と遮断した。
くどいようだが、世界の他の国の事はこの際どうでもいい。
だってこれ、日本の映画なんだぜ?
かくして“ともだち”は、区切った都内を徹底的に昭和色に染めあげた。

こいつのフェイバリット・ムービーは『ALWAYS 三丁目の夕日』に違いない。

そんな“ともだち”の暴挙に立ち上がった人々が居た。
世界的虐殺劇を奇跡的に潜り抜けた、メインキャストの皆さんだ。
オッチョもヨシツネもユキジも蝶野もカンナも仁谷神父も響子もケロヨンもキリコもマルオも、そして勿論例の男も、みんな生き残っていた。
ま、当たり前だがな。 メインキャストなんだから。

ヨシツネは反“ともだち”組織・ゲンジ一派を率いて、カンナは過激派集団・氷の女王グループを率いて、オッチョは単独で、ユキジは・・えーっと、ユキジは柔道の師範代として。
それぞれが信じる方法で、“ともだち”が用意する最悪の展開を阻止しようと奔走するメインキャストたち。
そんな彼らのもとに、偶然とあるメロディが流れてくる。
妙に耳の残るそのメロディ。
なぜか町中の人々が嵌りまくった、驚異の洗脳ソング。

その歌を作り出した張本人が、温かい日差しが降り注ぐ田舎の一本道を、原付バイクで直走っている。
彼は戻ってきたのだ。
“ともだち”の計画を止めさせる為。
そして、自分自身の過ちを正す為。


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アガサねぇ、気付いちゃいました。

正直言うと、今までぽっちゃり型の男性は好みじゃありませんでした。
ぽっちゃりって言うか、スモウレスラー的な体系ですね。
でも、今回の史郎を見て、なんていうか、「あ、こういうのもありかなぁ・・」と。

いや、ありどころじゃないな。 もうなんつーか大好きだ! 

みんな、オレ、今日からデ○専になるよ!!ヽ(´∀`*)ノ  (←わかりやすいアホの例)

ふたごしろう
(未だかつてこんなに愛らしい双子が存在しただろうか)

ていうかねぇ、こんな可愛い史郎が2体ですよ?
強いて言うならばトゥー・バディですよ?(←強いての意味がわからない)
2体の史郎がクルクル回りながら、耳元でシンクロした囁きをプレゼントしてくれるんですよ?
文字通りステレオ状態ですよ。
もうねぇ、死んでまうよね。 確実に。

右の史郎か左の史郎か。 ちょい悪史郎かはたまたちょいちょい悪い史郎か。
どっちでもいいから1体オレにわけてくれー!くれー・・ クレー・・・ と、劇場にこだましたアガサの叫び。
たとえその出演時間が5分にも満たない程だったとしても、この鑑賞行為に悔いは無い。
「いいもの観させてもらったぜ・・・」
そう呟きながら、劇場を後にするアガサなのであった。


完。




・・・

・・なにこれ。

史郎に関する変態話だけでこの行数とか、なにこれ。
すまん。 正直すまん。 ちょっとここから真面目に書きますんで堪忍してください。


と言う訳で以下“ともだち”の名前を除きネタバレ。


ケンヂは、明るくて元気で正義感も強くて、常にクラスの人気者だった。
そんなケンヂに憧れと嫉妬にも似た気持ちを抱いていた少年がいた。
少年はケンヂに認められたかった。
ケンヂの仲間になりたかった。
でも、自分とケンヂたちの間には、目に見えない境界線が引かれており、少年はどうしてもそこを踏み越える事が出来なかった。

ある日少年は、ケンヂがこっそり駄菓子屋の景品を万引きする姿を見た。
あのケンヂが。
みんなに慕われる、あのケンヂが。
少年は嬉しかった。
自分のプライドが、初めて満たされるのを感じるのと同時に、誰も知らないケンヂの秘密を知ってる事で、ケンヂの一番の仲間になれた気がした。
ところが、その仲間である自分が濡れ衣を着せられた時、ケンヂはあろうことか見てみぬフリをしたのだった。
その罪はほかでも無い、ケンヂ自身が犯した罪なのに。

少年へのイジメが始まった。
「泥棒」呼ばわりされ、「犯罪者は死刑だ」と罵られ、クラスメイトから徹底的に無視をされた。
ケンヂは、決して助けてはくれなかった。
少年はそのまま「死人」として生きるしかなかった。


まぁ、そんなこんなで、あんまりにもムカついたので、世界中に細菌兵器をばら撒いて全人類を死滅させる事にしましたので、そこんとこヨロシク!

というのが、本作の趣旨を要約したものなんですが、なんかもう話が飛躍しすぎてついていけんのじゃ――!!ヾ(`Д´#)ノ゙


少年時代に受けたイジメなり裏切りなり心の傷なりで、歪んだ大人になってしまった人は、現実でも少なからず居ると思います。
むしろ、そういう負の経験をしていない人の方が少ないのではないでしょうか。
誰でも、大なり小なり耐え難いほどの苦痛を味わい、それをなんとか租借して飲み込みながら、人は成長して行く。 いや、そうするしかない。

それを飲み込めずに育ったからといって、恨みの対象に吐きつける事を決意したからといって、一足飛びに世界滅亡はやりすぎじゃないですか。
ダイナマイトを腹に巻き付けて、同窓会に乱入するのとは訳が違うじゃないですか。(ま、それもやりすぎだとは思いますが)


“本格科学冒険映画”という触れ込みで、荒唐無稽な世界観を魅せつけてくれる本作ですが、近未来のデザインとは程遠いロボットのどん臭そうな造形に心躍る一方、そこかしこに見え隠れする中途半端な偽善者っぷりに居心地の悪さを感じてしまいます。

氷の女王と呼ばれるほど非情で、血を流す事をも躊躇しないリーダー・カンナの元では、多くの若者達が彼女のカリスマ性に惹かれ、命を賭けたテロ行為に手を染めている。
しかし、作中彼女は一切手を下さない。(アガサが見た限りでは)
で、そんな彼女の決意(※非情であろうという)が揺らいだ時、育ての親であるユキジは
「あなたは氷の女王なんかじゃない」
と優しく声を掛ける。
凍っていた心が溶けて、その場に崩れ落ちるカンナ。
一見「イイハナシダナー」に見えるかもしれませんが、というかそう思わせたいのでしょうが、カンナが手を汚すシーンが無いので、何も伝わってきません。
「そんな風にいたわってくれる保護者もおらず、必死に血で血を洗ってきた連中はどうなるんだよ」
と、かすかな苛立ちなら感じましたが。

終盤、“ともだち”が飛ばす殺人ウィルス散布用UFOの脅威から東京都民を守る為、カンナ主導で開かれたウッドストックっぽいコンサート。
街のあちこちに貼られたポスターや、こっそり流されていたラジオ放送によって、会場には多くの都民が集まり、大スター春波夫のライブに酔いしれるのですが、その会場の外では既に、発射されてしまったUFOによる大量殺戮が行われています。
この陰と陽を、のん気な「ハロハロ音頭」に合わせて描く辺りは、堤監督の性根の悪さを感じて、ちょっぴり面白いっちゃあ面白いのですが、会場で沸き返る若者(の姿が多い)とウィルスにやられて血反吐にまみれるサラリーマンの姿があまりに正反対だった為、「世紀末だからってんで仕事を放り投げて来た連中が助かって、最後まで真面目に働いていた人たちが死に晒すんだな」と捻くれた見方をしてみたくなってしまいました。
とてもじゃないけど素直に「沢山助かってヨカッタネー」とは受け取れない。
その陰でバタバタと死んでいった人たちを思うと、どうにも救われない気持ちになりました。


こういった“居心地の悪さ”は本章だけではなく、全章通して感じられる事なのです。
なぜなら、本作には「痛み」がないから。
各章で起こる大虐殺。
何十万人が死んだ。 全人類の殆どが死滅した。
簡潔な言葉と、数カットの画で語られるそれらの「死」は、とてもうすっぺらい。
いつもメインキャストは生き残り、いつの間にか集結し、彼らの上に火の粉は降りかからない。
おまけと言ってはあれですけど、セリフも殆どが棒読み。
表情に抑揚が無いのと、撮り方が単調な為に、感情移入はとても困難です。


そして最後の10分。


色々あって、あっけなく死んでしまった“ともだち”。
世紀末の到来を回避し、懐かしい友人たちと久しぶりの再会を果たしたケンヂは、落ち着くことなく一路ともだちランドを目指します。
そしてその中のバーチャルアトラクション(ケンヂたちの少年時代が仮想体験出来るマシン)に入り、自分が犯してしまった過ちにケリをつけるのですが、もうねぇ、無い。 これは無い。
いくらケンヂが仮想現実の中の“ともだち”に謝罪したトコロで、いくら“ともだち”のお面を外させる事に成功したトコロで、それはケンヂの自己満足でしかない。
バーチャルアトラクションはタイムマシンじゃないのです。
いくらケンヂが“ともだち”との関係をやり直そうと、現実の“ともだち”が負のスパイラルから抜け出せず、何億という人間が死に、“ともだち”自身も部下の裏切りに遭って無様に死んでいった事実は変えられない。

もしかしたらこの謝罪の旅には、「所詮過去は変えられない。だからいつも人と正直に向き合って、間違いを間違いのまま放っておかない事が大事なんだ」という意味があるのかもしれませんが、だったらラストカットは、バーチャルアトラクションが切れる(終了する)所で終わるべきだったのではないでしょうか。
救いがあったように見えても、結局それは仮想現実の中の事なんだと。 観客に冷水をぶっ掛けるダメ押しのカットで終わらせるべきだったのではないかと。
ところが本作は、「中学の校庭にロックが鳴り響いた日、僕にはじめて友達ができた」という“ともだち”のナレーションで幕を閉じるのです。
なんや、 「そして、全ての“ともだち”たちにおめでとう!」 ってか。

無いなぁ。 なんだこのモヤモヤ感は。
そんな「めでたしめでたし」みたいな終わるな、と。 
この後の世界どうすんだよ、と。
めっさ総人口少なくなってるじゃん、と。

超人的洗脳ソングで都民を虜にしたケンヂが、たとえ時期都議選で勝利したとしても、アガサは全く驚きませんね。
ていうか、絶対この主要メンバーの中から新政府の重要ポストが選出されるよね。
ある意味こわい。


ちなみにこれらのモヤモヤ感は、原作を読んだ時には感じませんでした。
時間制限のある媒体という事で、ある程度バッサバサ刈り込まないといけないのはわかりますが、やはり本来の悲惨さや個々の成長を描くには向いていなかったのかもしれませんね。映画は。
結局キャラの再現度や“ともだち”の正体ばかりに注目が集まり、肝心のストーリーに熱中出来ずに終わっていったような気がします。
なんか勿体無いなぁ。

ま、オレはツイン史郎が見れただけで満足だけどな!(←結局そこか)



では最後に、本作に対するその他のつっこみを箇条書きにして、今回の感想はおしまいという事で。


・ 黒木瞳の朝まで生チャット。(別名・一人語り12時間耐久レース)
・ いつのまにか落ちぶれていた石橋蓮司。
・ いつのまにか改心していた13番。
・ 響子が空気。
・ 神様も空気。
・ ついでに藤木直人もほぼ空気。
・ そして一人濃い存在感を放っていた小池栄子。
・ 逃げてもいいけどUFOのアダプターとか抜いてから行けよ。
・ ヘルシア緑茶、いいトコまるで無しの刑。
・ 山寺宏一のコンチがシンクロ率400%
・ 神出鬼没すぎるトヨエツ。
・ 史郎、かわいいよ、史郎!
・ 忘れられた森山未來。
・ 姉さん、事件です!
・ 何気にとてもいい演技だったロンブー。
・ 空気読めなくて申し訳ないんだけど、実は「グータララ・スーダララ」に全く心惹かれない。
・ むしろ「ポニョ」の方が洗脳力は上。
・ じゃ、「ポニョ」歌っとけばいんじゃね?


最後まで長文にお付き合い下さり、ありがとうございました。
もう絶対次からは短くする! オレ、がんばるから!!゚(ノД`゚)゚。

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