ブログパーツ

「リーシーの物語」 どいつもこいつもアレな人ばかり。

2008年11月25日
寒いアガサです。こんにちは。

いや、アガサが寒いのではなく、いや寒いんですけど、言動がお寒い状態とかそういう意味ではなくあくまでパソコンの周辺に暖房機器が全くないから寒いというだけのってもうどうでもええわい。(←早々に投げた)
とりあえず、手がかじかんでキーボードが打ちにくいったらありません。
なんでもない様な事がしあわせだったと思う日々。(←意味不明)

で、まぁ寒いので防寒の為にベストを購入してみたのですよ。
長袖を着込むと家事の邪魔になるので、以前からベストを欲していたアガサ。
今年流行しているらしい、ボアボアが付いたモコモコのベスト(擬態語ばっかだなぁ)を購入です。
どうしましょう! これでついに、アガサもオサレ女子の仲間入りですよ! まったく!>< ヤッタネ!





そして期待に胸を膨らませ、ベストを装着。


マタギ
母さん事件です・・・ どうやってもマタギにしか見えません・・・。
(↑参考資料・マタギのおじさん)


千里の道も一歩から。
でも母さん・・・、ぼくのオサレへの道は、千里どころでは済みそうにない訳で・・・。

と言う訳で、熊を撃つかたわらスティーヴン・キングの新作 『リーシーの物語 上・下』 を読了しましたので、その感想など。

リーシー

↓↓ ネタバレしています。 ↓↓

スコットはピュリッツァー賞や全米図書賞に輝く世界的人気作家。
リーシーは、そのスコットの嫁。
スコットが突如この世を去って2年。
あまりに愛し合っていた2人だったので、残されたリーシーにとっては未来に向けての一歩が何も踏み出せないまま、ただ惰性で過ごした2年でした。
周囲の声もあり、不本意ながらやっと夫の遺品の整理に手をつけ始めたリーシー。
しかし、その矢先、個性的な姉・アマンダが精神バランスを崩したり、精神バランスを崩したストーカーが脅迫してきたり、スコットが精神バランスを崩していた頃の記憶が蘇ってきたり、そんなスコットが愛していた兄が精神バランスを崩した時の小噺だとか、同じく精神バランスを崩しつつあったスコットの父の事だとかが走馬灯の様に廻ったりして、ついにはリーシー自身の精神バランスも崩れそうになってきたりと、なんだかもう、アレな感じな怒涛の展開がリーシーに押し寄せます。

果たしてリーシーは、ストーカーの脅威に打ち勝ち、夫との哀しい過去に決別する事が出来るのでしょうか。


なんや、アレばっかりか。

なんというか、乱暴な作品だなぁと思いました。
乱暴って、“バイオレンス表現が多い”とかそういう意味ではなく、・・うーん・・読者に優しくないというか。
2年前に亡くなっている夫(スコット)と暮らしていた時の記憶や、
そのスコットが幼少時代の記憶だとか、
リーシー自身の幼少期の記憶だとかが、現在のリーシーの状況に凄まじく挟み込まれていくのですが、その戻り方(挟み込み方)があまりスムーズでないんですよね。(と、アガサには感じられたんですよね)

キングの小説では珍しくない(というかお馴染み)の手法だと思うのですが、フラッシュバックの多用が物語をより魅力的にしていた過去の作品と違って、フラッシュバックする度に会話が中断されてゴチャゴチャしてしまう。
フラッシュバックの部分にノリ切れないのです。
なんなんでしょうねぇ・・・ この語り口調のテンポの悪さは。

以前の作品に見られた様な、「ページをめくるのがもどかしい! 寸暇を惜しんで読み耽りたい!」という悪魔的な魅力が、どうも感じられない。
これは数ヶ月前に読んだ 『セル』 の時にも思ったのですよねぇ・・・ やっぱキングも寄る年波には敵わないって事なのでしょうか。

登場人物にあまり感情移入できない。という点も、『セル』に共通しているかもしれません。

圧倒的な愛でリーシーを包み込んでいた(と思っていた)頼りがいのある夫が、実は精神を病んでいたり、ちょいちょい“別世界”に飛んでいっていたり、その“別世界”が比喩的な意味ではなく本当に実在していたり、なんか実は超能力者だったりと、どんどんトンデモなキャラクターになって行くのがいけなかったのか?

それとも、典型的な内助の功だと思っていたリーシーが、大事な夫との過去にやたらと拒絶反応を示していたり、実は結婚前から夫がキ○ガイだと気付いていたにも関わらず結婚を決めた理由が今ひとつハッキリしなかったり、キ○ガイに襲われた夫を救う程の強さを見せたかと思いきやストーカーに踏み込まれた途端メソメソして強いんだか弱いんだか判らなかったり、なんか実は超能力者だったりと、これまたどんどんトンデモなキャラクタ-になって行くのがいけなかったのか?

どっちにしてもなんか実は超能力者だったこの夫婦が、あまりに現実離れしすぎて感情移入出来なかった。というのが正直なトコロなのかもしれませんね。
今までの作品でもよく見かけた “かがやき” なのですけどね。
今回はちょっとスタート地点と着地地点が懸け離れすぎた様に感じました。

あと、これも 『セル』 に共通して感じた事なのですが、最近のキングは“母親”に厳しいのでしょうか?
本作で、リーシーとの夫婦愛に負けない比重で語られるのが、夫とその父(兄も含め)との親子愛。
何故か全く語られない“母親”不在の中、精神を病んだ父の不条理な暴力に傷つき、その傷を癒す為に“別世界”に逃げ込んでいた夫。
しかし、どんなに父親に暴力を振るわれようと、暴言を投げつけられようと、夫は決して父親への愛を失うことは無く、むしろより一層愛を深めて行きます。
『シャイニング』でも見られた“子から父への無償の愛”ですが、あそこではそれと平行して“母から子への圧倒的な愛”も語られていたのですよね。
ところが本作では、ひたすら盲目的な“父子愛”一本。

「女なんかに、この男同士の親密な関係が判る訳ないさ!」と言わんばかりの置いてけぼり感は、アガサが女だからこそ感じる疎外感なのかもしれませんし、「女だから」「男だから」とキーキー言いたくも無いのですが、でもやっぱり思いますよね。母ちゃんはどうしたんだよ?!って。

この辺りも、アガサがノリ切れなかった一因なのかもしれません。

うーん、あとストーカーについても物足りなかった点が色々あるし、その末路についても「あぁ・・そうなんだ・・」という尻すぼみ感があったりなかったり・・・、なんですけど、不満ばっかり重ねるのも寂しい限りなので、今日のところはこの辺で。
なんだかんだ言っても、下巻は結構なスピードで読みきってしまいました(ただし上巻は遅々として進まなかった)ので、面白くない訳ではないんですよ。
なんと言っても、久しぶりのハードカバーでしたしね。
「悪のぬるぬる」とか「ベイビィラーブ」とか「ブール」とか「うまうまツリー」とか、印象には残るけど何だかよく意味が判らない単語も、いかにもキングっぽくて楽しかったですし。
とくに「悪のぬるぬる」。

キングの登場人物は、みんなおったまげ級の「悪のぬるぬる」にとっつかまっていた事が今回判明。
いいなぁ、「ぬるぬる」。(笑)


ところで某方にお聞きした情報によると、キングの息子さんが文壇デビューされていて、その作品の中に『ゾンビ』撮影中のロメロ組を舞台にした短編があるらしいので、父ちゃんの才能をどれくらい息子さんが継いでいるのかも、是非今度確認してみたいと思います。
何より、ロメロとかサビーニ兄貴とかが作中に出てくるらしいですからね!
そりゃ読まんといけん!(←なぜか岡山弁)


では、今日はこれにて。
って、なんか寒いと思ったら、例のベストを(お風呂前に)脱いでそのまんまでした。
意味ねぇぇぇぇぇ!((((´д`;))))

母さん・・、一人前のマタギになるには、まだまだ険しい道を歩む事になりそうです。(※なりません)


     ♪♪どちらのバナーでもどうぞご遠慮なく♪♪ →   にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ


※当ブログで使用しているイラスト等の著作権は、全てはアガサにありますので、転載、二次加工、再配布の際は一言ご連絡下さいませ。