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『白バラの祈り/ゾフィー・ショル、最期の日々』

2007年03月07日
20070305234101.jpg 第78回アカデミー賞・外国語映画賞ノミネート作品



太陽の光は、いつも平等に、私達の元に降り注ぎます。

正義無き戦争で、無残に命を亡くして行く者にも。
その戦争を指導し、自らは温かいソファの上で寛いでいる者にも。
その戦争を、支持している者にも。
その戦争に、命懸けで反対している者にも。

その光の平等さは、時に残酷です。

1943年のドイツで、ナチの蛮行を止めさせる為の反政府運動に打ち込んでいた、女学生ゾフィー・ショル
彼女が、ただただ理想に燃える一人の革命家だった時も、
投獄されてただただ死を待っている時も、
太陽の光は同じ様に、彼女に降り注ぎます。

その光もまた、二度と自由を得る事が出来ない彼女にとっては、残酷な光の様に思えます。
しかし、その光はまた、心の自由と解放を得た彼女に降り注ぐ、祝福の光でもあるのです。

体は死んでも、志は死なず。
ゾフィーが選んだ誇り高き死が、ドイツの沈黙する国民たちをどれ位揺り動かしたのかは判りませんが、少なくとも彼女が接し、彼女が言葉を投げかけた人々の心には、沈黙する事を強いられていた“良心”が、再び蘇ったに違いありません。

そして、この映画を観た私達にも・・。

ゾフィーは頑なに涙をこらえて、凛とした態度でナチの尋問に挑みます。
しかし、そんな彼女が唯一隠れて涙を流さずには居られなかったのが、家族の存在でした。
自分と、同じく革命に命を捧げた兄・・。
子供達が国家に盾突いたとあっては、その親にも厳しい追及の手が及ぶ事は避けられないでしょう。
年老いた母の身を想い、トイレで身を絞って泣くゾフィー。
しかし、彼女の父も母も、そんな彼女に励ましを贈り、「あなたを誇りに想う」と、死にゆく彼女に微笑みかけます。

もし、私がゾフィーの親だったら・・。
みっともなくていい、卑怯者でいいから、生き延びて欲しい。
正義を心のうちに秘めて、良心の声に耳を塞いででも、生き続けて欲しい。
そう思ってしまうでしょう。

気高い志によって支えあう、その家族の姿に、私は圧倒されました。

当時のドイツには、少なからず存在したであろう、その家族の姿に。



今の日本には、独裁者も居なければ、恐怖政治もありません。
ですから、近くて遠い例のアノ国の国民が、本当に味わっているであろう苦しみは、所詮画面や雑誌の中の出来事の様で、どこか現実味に欠けて感じるでしょう。
同じく、第2次大戦下のドイツの人の苦しみも、『アンネの日記』や『シンドラーのリスト』の出来事でしか無い様に感じるかもしれません。

しかし、少し前。
ほんの65年程前の日本に目を向けてみれば、「治安維持法」と言う物によって、国家に逆らう思想の持ち主が投獄・処罰されていたと言う事実があるのです。

言いたい事も言えないこんな世の中じゃ・・・ポイズン!!

・・・反町先生も投獄決定です。

私たちは、独裁者にも、いわゆる恐怖政治にも支配されない、自由な生活を手にしていますが、その自由は誰によって定められた自由なのでしょうか。
お釈迦様の手のひらで飛び回っていただけの孫悟空と、私達の違いはどこにあるのでしょうか。

世の中には常に、狡猾な一部に人間によって定められた方向があり、私たちは知らず知らずのうちに、それに従わされているのかもしれません。

私達は、もっと考えなければ・・。
そして心の耳を、良心の声から遠ざけないように、研ぎ澄ましていなければ・・・。

穏やかな支配と言う名の恐怖はいつでもそこにあり、その恐怖はいつでも私たちを沈黙させる事が出来るのではないでしょうか。


ゾフィーの祈りは、私達への祈りなのかもしれませんね。

心を打つ、素晴らしい作品でした・・。

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