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『太陽』

2006年12月09日
20061207170017.jpg    ※同時(脳内)上映 『火垂るの墓』 



小学校の時、“天皇は日本の象徴”だと教わりました。
この作品の中ではまだ、“天皇は神”とされていました。

ほんの60年ほど前の事です。
日本という儚い小さな国の人々は、よく判らない理由で、よく判らない戦争に命を懸け、よく判らない土地で死んで行きました。
なんでも死に行く兵士たちは、「天皇陛下万歳」と叫んで果てたそうです。
よく判りませんが。

戦争と言うのは、始めた人以外にとってはよく判らないモノです。
しかし、始めた人以外が最も多く犠牲になり、彼らを亡くした家族や親しい人が、流さなくていい筈の涙を流す羽目になります。

はるか遠く、ロシアの地で作られた今作 『太陽』 は、そんな戦争に終止符を打とうとしている、ある“現人神”が主人公になっています。
“現人神”ヒロヒトは神の子孫。
だから人であるけど人ではない。 日本という国の“神”なのです。
“神”の朝食は洋食です。
服は従者が着せてくれます。
ドアも全て従者が開けてくれます。
御前会議も召集出来ますが、発言権はあって無きが如しのようです。
“神”に周囲は逆らいませんが、結局周囲の思うとおりに行動するしかないのが“神”のようです。

そんな“神”が、国を救う為に最後の決断をします。
それが“神性の放棄”というもの。
彼を神だと信じて(信じる事を前提として)、命を散らせてきた者達や全てを失ってきた者達にとっては、「それを言っちゃおしまいよ」的な一言ですが、それを宣言する事で多くの命が助かり、彼もまた、自由を手にすることが出来るのです。

あらかじめ断っておきますが、あくまでこれはロシアの作家アレキサンドル・ソクーロフが作り上げたフィクションであり、決してドキュメンタリーではありません。
作品はあくまで簡潔に、“ヒロヒト”の日常を映し出しながら終戦までを描ききります。
まるで一日の出来事のように、あっけなく。

実際の昭和天皇がどのように過ごしていたのか知りませんし、本当の所、戦争責任と言うものが誰にあるのか、その時の日本で軍の上層部の一人一人の行動を覗き見してみない事には判らないでしょう。

ただこの作品の中で、敗戦濃厚な状況下において相手国から戦争責任を突きつけられ、大きな重圧に一人耐える“ヒロヒト”の姿は、ひたすら小さく、頼りなげで、とてもじゃありまえんが絶対君主とは思えません。
感情を表に出さず、周囲の者の気持ちをたて、終始穏やかに振舞う“ヒロヒト”は、絶対的な忠義心に守られてはいるものの、その暮らしに光は無く、爆撃から身を守る筈の退避壕はまるで牢獄のようです。
「誰からも愛されていない」という思いと「民を犠牲にしてまで続ける戦争の意義」と言う物に苛まれ続けた“ヒロヒト”は、誰よりもこの国の事を憂いて、民族の誇りを持ち続けていたが故に、国民の救済と引き換えに、戦争の責任を自ら取ろうとします。

フィクションとは言え、とても好意的な描写で、日本人である事に誇りを感じてしまいました。

作品は、外国圏の監督が撮ったとは思えないほど、絶妙な間で構成されており、ところどころには“ヒロヒト”と“従者”のかけあい漫才のようなシーンもあり、思わず笑ってしまいます。
幻想的な焼け野原のシーンは非常識なほど美しく、監督の中に戦争美化の意識があるのではないかと疑りたくなる程です。

しかし、そんな“悲惨な現実”からは程遠いような映像から、強く強く伝わって来る“一つの国の絶望”
逃げ惑う人々や餓えに喘ぐ子供の姿は一切出て来ないのに、脳裏に浮かぶのは『火垂るの墓』のような情け容赦ない戦争の現実。(まぁあれもフィクションだそうですが)

“ヒロヒト”一人の苦悩を描く事で、その裏で流されていた多くの血や涙を感じさせるソクーロフ監督の表現力に、ただただ感服いたしました。
“ヒロヒト”を演じたイッセー尾形さんは勿論の事、
僅かな出演ながら、この映画のメッセージを全て表現しきったと言っても過言ではないような、素晴らしい演技を見せてくれた桃井かおりさん
そして忘れちゃいけない私の心の恋人・佐野史郎さま
史郎さまの力の抜けた、しかし圧倒的な忠義心を感じさせる誠実な演技が、この作品の“神”の苦悩を引き立たせているのは間違いないでしょう。
私の愛情を差し引いても、間違いないでしょう。



・・・で、時は流れて、 
“神”と呼ばれていた“ヒロヒト”の子孫は、今は“象徴”とされています。
“象徴”の朝食が洋食なのか、着替えはさすがに自分でするのかは知りませんが、政治に対しての発言権は相変わらずありません。
“象徴”に周囲は逆らいませんが、結局周囲の思うとおりに行動するしかないのが“象徴”のようです。

一体何が変わったと言うのでしょう。

余りにもその言動に“自由意志”が感じられない“日本の象徴”
その方々がこの作品をご覧になったのかも判りませんし、取り巻く環境を想像するに、鑑賞出来るとは思えない“象徴”って、一体何なんだろう・・・ と思わずにはいられません。
少なくとも、最近の「男系がどう・・」とか「女系がどう・・」とかのゴチャゴチャに対してくらい、「じゃかましいわぃ!」と一言仰せになっても良いのではないかと思いますが。


ともあれ、色々と考えさせてくれ、とても心の栄養になる一本でした。
DVDが出たら、もう一度観たいと思います。
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----ようやく観に行けたね。「うん。この映画、日本で公開されたのも驚きだけど、それが銀座シネパトスってのも意表を突いていた。『モレク神』のときだったかな。ソクーロフ監督が昭和天皇を主人公にした映画を作るという話が流れたとき、まず日本公開はありえないだろうと
【鑑賞】劇場【日本公開】2006年8月5日【製作年/製作国】2005/ロシア・イタリア・スイス・フランス【監督】アレクサンドル・ソクーロフ【出演】イッセー尾形/ロバート・ドーソン/佐野史郎/桃井かおり【原題】“The Sun”闇は、まだ明けなかった...

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