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わたしのしらない東映ポルノの世界、とインティマシー・コーディネーター。

2021年04月30日
最近めっきり、NetflixやPrime Videoなどの動画配信サービスに押され気味(弊社比)だった我がライフライン・WOWOWが、深夜にひっそりと東映ポルノを特集してくれていたことに気づきました。
観たことはなかったけれど、どの作品もタイトルがふるってるし監督の名前も超ビッグ。
と、いうことで三本ほど観てみましたよ。

『徳川女系図』
女系図

天下のメジャー映画会社東映が、自慢の時代劇ノウハウを駆使して作った東映ポルノ(実質)第一弾。
ノウハウはうそ。
ただし、東映時代劇の華々しい歴史を飾ってきた衣装はいうまでもなく潤沢だったので、脱ぐ人脱がない人端から端までそりゃもうええおべべ着せてもうてます。
メガフォンをとったのは『網走番外地』シリーズでブイブイいわせていた石井輝男監督。
いやぁ、びっくりしましたね!
初めて観た昔の「ポルノ」、めちゃくちゃおとなしいのなんのって!
大人の世界、というイメージだったのでもっと刺激の強いエロが目白押しなのかと勝手に想像していましたが、上半身があらわになる程度で、体の動かし方が具体的なわけでもない。
もちろん当時はかなり攻めた表現だったのでしょうし、物議を醸したというのも納得はいきますが、なんつうか、昔がおとなしかったのか現在が過激すぎるのか・・・。
帯を引かれてクルクル回りながら「あーれー」ってやつ、もしかしたら本作が初登場だったのかなぁ。 エポックメイキング!

内容はというと、将軍綱吉が本妻と側室の二大派閥から送り込まれた女性に翻弄され、自分は何のために生きているのか、自分を世継ぎ用の子種ではなくひとりの男として愛してくれる人など本当に存在するのか、などと自問自答するまあまあ真面目なお話でした。
ほんとにね、まあまあ重かったですよ。
この時代の大奥が「誰がお世継ぎを産むか」という女の戦場だったことはその通りでしょうし、将軍は将軍で「やったぜハーレム!」なんて生易しいものではない生殖行為の無間地獄を生きていたこともその通りだったのでしょう。
制約だらけで誰も得をしない殺伐とした狭い世界。
裾除けいっちょでおっぱい丸出しの女相撲大会にはエロスなどみじんもなく、ただただ虚しさだけが満ちていました。


『残酷・異常・虐待物語 元禄女系図』
元禄

大成功をおさめた東映ポルノでしたが、「意外とおとなしい」と感じたのはわたしだけではなかったようで、言い出しっぺの岡田茂(東映のボス)さんがさらに過激路線を求め、作られたのがこちら『元禄女系図』。
タイトルやけくそか。
しかし、実際観てみるとそのむちゃくちゃなタイトルを裏切らないセンセーショナルな内容がてんこ盛り。
まず、てんこを盛るためにかストーリーが一本ではなく三本立てになりました。(この前作『徳川女刑罰史』からオムニバス方式になった模様)

一本目は、初体験の相手であるドクズに騙され遊郭に売られた女性が骨の髄まで吸い尽くされた挙句、最後までクズに尽くしたまま、医者の治療の甲斐なくお腹の子ともども死に、クズもまた女性を失って初めてその愛の深さに気づいてしまう、という胸クソ話。
なにしろ舞台が遊郭ですから、意にそぐわない性交と果てしなく続く搾取に始まり、男の裏切りと逃亡失敗からの拷問などなど不幸のつるべ打ちです。 
ようわからんのんですけど、なんぼ濡れ場の連続とはいえこんな悲惨な話で興奮するかぁ?

二本目は、ええとこのお嬢様が醜く顔の焼けた男に強姦されたことから自らも異常性愛者になってしまうというお話。これまた胸クソ。 
初体験が強姦、しかもそのまま監禁、凌辱という地獄の責め苦。 
精神を壊されてしまったお嬢様は、夜な夜な使用人に命じて見た目の「異様」な男性を屋敷に招き入れます。
お嬢様を慕っている使用人は、悩んだ末町医者に相談。
町医者は聞きかじった程度の知識でカウンセリングと催眠療法を施し、使用人の気持ちを知ったうえで「お嬢様にお前のすべてをぶつけるのだ」と指南します。 無責任にもほどがあるだろ。
医者のいうことなんだから間違いないと踏んだ使用人は、薬で意識のないお嬢様を強姦。 全員クズか。
そんな性交に愛など感じるはずもなく、お嬢様は多人種性交を続行。 
思い余った使用人はお嬢様を刺殺してしまうのですが、なんぼ濡れ場の連続とはいえこんな悲惨な話で(以下略)

かなり胸焼けしてきましたが、やっと締めの三本目なので続けて鑑賞。
最後に待ち構えていたのは最も胸クソな暴君のお話でした。 もうおなかいっぱいだというに。
生粋のサディストであるとある暴君が、周りの女性すべてを蹂躙するだけ、ただそれだけ。
暴君を演じていたのが刑事コロンボの吹き替えでお馴染み小池朝雄さんだったので、あの声で発せられるドクズラインのキツイことキツイこと・・・。 
顔はね、馴染みがなかったのでいいんですけどね、画だけ観ていればね。 耳から入る情報がエグイ!
物語のクライマックスは、散々ひどい目にあわされてきた本妻が明かす『オールド・ボーイ』ばりの新事実と、その場に立ち会った町医者が暴君の愛妾に施す『屋敷女』ばりの即席手術という、タイトルに偽りなしの堂々たる残酷絵巻が繰り広げられるのですが、なんぼ裸の連続とはいえこんな(略)

ストリーテラーの町医者を演じていたのは、『徳川女系図』で気の毒な綱吉を演じていた吉田輝雄さん。
話に絡んでくる町医者とはいえ、ほぼ誰も救えていないので、だいたいアンニュイな表情で佇んでいます。
なんでもいいけど、「これが元禄なのです・・・」でまとめるのはいくらなんでも雑すぎやしないか。


『徳川セックス禁止令 色情大名』
色情

でました!色情大名! 響きがいいですよね!色情大名! 一生使うことなさそうだけど!
石井輝男監督の連発に続き、本作はのちにトラック野郎シリーズなどを送り出す名匠・鈴木則文監督が演出。
先の二作品とはガラリと雰囲気の変わったコメディ路線で、めちゃくちゃおもしろかったです。
綱吉の時代から引き続き、江戸城ではお世継ぎ確保のための生殖が日々行われていたわけですが、その結果、当然ながら女児もたくさん生まれることに。
で、継げない女児はあらゆるところに嫁に出されるしかなく、本作の主人公である九州唐島藩城主のもとにも、将軍家斎34番目の娘である清姫が送られてきます。
田舎大名に嫁がされるのが無念でたまらない清姫と、女嫌いで通っていた城主。 
周囲の懇願の末、なんとか枕を共にしますが、清姫は完全体のマグロで挿入以外のおさわり行為の一切を禁止。
だってこっちは将軍の娘ですよ? まがりなりにも姫ですよ? カッペごときが愛撫だなんて頭がたかいですわよ?
そもそも女性経験もないし興味もなかったのに、ねそべった女体にがんばって種をつけろと言われた城主は当然興奮できるはずもなく性交は失敗。
プライドをズタズタにされた城主をなんとか励まそうと、家臣たちは町で噂のポン引きに性の指南を依頼します。
そこでポン引きが用意したのは、なんとフランス人遊女のサンドラ。 
マグロの日本人女性から性に奔放な白人女性という極端な二例を経験させられてしまった城主は、変な感じに覚醒してしまい、なんとサンドラを側室として迎える宣言をしてしまいます。
めちゃくちゃ怒る姫。 幾分引いちゃう家臣。
しかし、性の悦びに目覚めてしまった城主はもう止まりません。 
今まで自分が知らなかった悦びを堪能するだけではなく、それを知っていた世の中全てに嫉妬し、以降一切の人々(オレを除く)による性交を禁じる御触れを出してしまうのでした。 よっ!色情大名!!

とにかくテンポがいい。
木で鼻をくくったような姫のすましっぷりもよければ、信長リスペクト童貞城主のポンコツっぷりもいい。
経験のない城主にうまいことピストン運動させるため、隣の部屋で太鼓をうつ殿山泰司さんの家老さいこう! っていうか、「腰に合わせて太鼓」の原点ってここだったのか。
なんとか姫とちぎらせたいだけだったのに、色欲に(へんな風に)目覚めてしまったせいで悪政が敷かれてしまい、真面目な家臣から処刑されてしまう悲劇。
性の指南役として出てきただけだと思っていたサンドラが抱えていた、悲しい過去と終わらない苦しみ。
みんなに愛を与えたサンドラが迎える最期は、スコセッシの『沈黙』ばりに壮絶でした。 突然しんどいやないか。 あれ・・・ おかしいな・・これ・・コメディと思ってたのに・・・

豪華キャストの中に混じっていたミスターチョメチョメ(昭和用語)こと山城新伍さんが、イメージ通りの山城新伍さんとして出てきて、話に一切不必要なチョメチョメだけを披露し、知らない間に退場していた件はずっと忘れない。 
完全にいらんパートやろ、おもしろかったけど。
新伍の「ほらほら、体は正直だぜ~」メソッドよ永遠に。


で、おもしろかったり微妙な顔つきだったりで観ていた東映ポルノですが、やはり気になったのは「俳優さんたちはどこまで納得の上でこの演出を受け入れたいたのだろう」という点でして。
このブログでも、おっぱいさいこう!みたいな感想は数多書いてきたと思いますが、わたしはロマンティックなキスシーンもエロティックなあいまみえるシーンもあらわになる柔肌もすきですよ。 
ただ、娘を持つ親だからなのか、いろんな情報を知るようになったからか、以前のように目に映ったものをそのまま無邪気に受け入れられなくなったのも事実でして。

すきだったあのシーンは俳優さんに内緒で用意された不意打ちの撮影だった。
胸をときめかせたあのシーンは女優さんの同意を得ないアドリブによるキスだった。
高揚していたあのシーンをとった監督は裏で俳優を虐待していた。
涙を流したあのシーンを作った製作者は多くの人を搾取していた。

後だしジャンケンのように明かされていく新事実を前に、あの時純粋に感動していた気持ち、素直に感銘をうけていた自分をどう受け入れればいいのかわからなくなったことが、この数年間何度あったでしょうか。
現場で苦しんでいた人たちがいたのに、喜んで観ていた自分を許していいのか。
未だに傷を負っている人がいるのに、見て見ぬふりをしたまま「作品は別だから」と気持ちを切り離していいのか。
若い俳優さんの初々しいキスシーンを観ると、その行為が彼らの「思い出したくない過去」になっていなければいいなぁと思ってしまうし、生々しいベッドシーンを観ると、この撮影が無関係なスタッフや下世話な視線の飛び交う環境で行われていなければいいなぁと思ってしまう。
もうね、そういう視点なしで作品を観ることは不可能なんです。
わたしが観たいのは、本物の感情をうみだしてくれる「作り物」だから。 
誰かの犠牲の上に奇跡的にうまれた瞬間ではなく、プロがきちんとした用意・準備のもと安全に製作した瞬間だって、立派な奇跡じゃないですかね。



インティマシー・コーディネーターというお仕事が、話題になっているようです。
数年前からハリウッドでは取り入れられ始めている専門職で、親密な関係を描く場面(主にラブシーン)において、俳優や製作スタッフの間に入り齟齬を埋め、スムーズで安全な撮影ができるようフォローする役割だそう。
先日Netflixで公開された「彼女」というドラマの撮影でも取り入れられたらしいのですが、早速、というべきか残念ながら案の定、苦言というテイの横やりをいれる業界人が出てきているようであきれてます。
昔自腹で映画を観て批評していた監督のコメントは、「彼女」の主演俳優そのものに対するただの悪口であり、自分が以前撮った作品の「武勇伝」に終始していて、まぁなんつうか、その、だいじょうぶかないろいろと。
たくさんの作品に出演してきたという俳優さんが、様々なファクターが発生する現場にコーディネートという職業が割って入ることに懐疑的な意見を述べているのも目にしたのですが、当人同士だと立場の上下もあるし意見だって言いにくい。思い切って言い出せば角が立つこともあるじゃないですか。
だからこそコーディネーターが入ることに意味があるんじゃないかと思いますけどね。
演じる人、演出する人、用意する人にそれぞれの想いがあるのは当たり前で、きっといい作品を作りたいという部分は同じだろうけど、そのアプローチが違うこともあるでしょう。
想いが強いだけに、我を押し通したくなってもおかしくない。
むしろ、その押し通そうという行為で、自分の想いの強さ・やり方の正しさを証明しようという人だっているんじゃないか。
過去にそうした「情熱」が誰かに消えない傷をつけた例などいくらでもありそうな気がします。 
だからこそ、今、過去(現在も含めてですが)のそうした事例が問題であると認識され、解決する一つの方法としての職業がうまれたんじゃないでしょうか。
それって、喜ばしいことなんじゃないですかね? 双方にとってありがたいことなんじゃないですかね?
どうしても自分の想いだけを優先したい人にとっては、邪魔な職業でしょうけど。

あと、もうこれは自分勝手な意見で本当に申し訳ないですけど、観る立場として安心できるんですよ。
誰かだけの独断で作られていない、意思の疎通がきちんと行われたうえで作られている、と知らされることは、この作品を素直に受け止めていいという安心につながるんです。 
例えがただしいかわかりませんが、映画の最後に「この作品で動物は傷つけられていません」と出るのと同じ安心感かもしれない。 
「この作品で俳優やスタッフは傷つけられていません」 
それが大前提かつ当たり前になってほしい。
なにも健全な映画ばかりになってほしいというわけではなく。
不健全な映画も、健全な現場から生み出せると思うから。
一歩ずつ変えて、進んでいきたいじゃないですか。

あと、余談ですがそんなNetflixの「彼女」観ました。
安心して鑑賞した結果、素直におもしろくなかったです。
安っぽい、きれいすぎる、バランスが悪い、キャラクターの行動に感情が入っていかない、とラストカットを除いてまんべんなくいまひとつでした。
いいじゃないですか。 コーディネーターありで、作品はいまいち。 
それでいいじゃないですか。 それでいいんだと思いますよ。


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