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『カポーティ』

2006年11月02日
人が死ぬ。

人が死ぬ。

愛に包まれた人、
孤独に苛まれている人、
無垢な人、
罪を犯した人、
状況や理由はどうであれ、人はいつしか死んでゆく。

しかし、その命の重さは、目に見えない故に第三者には伝わりにくく、身近で命を失った者のみが、その重さを背負ってゆかなければならない。

死刑執行人は夜、布団に包まって、心地よい眠りにつく事が出来るものなのだろうか?
命が、最後の力を振り絞る様を目の前で見届ける仕事をしていて、心休まる瞬間を味わう事が出来るものなのだろうか?

私は死刑はあるべきだと思います。
死を以ってしか償えない罪はあると思いますし、そうされるべき人間(とも言えない様な人間)も存在すると思うからです。
でも、「ならず者は縛り首にしろ!」と言うアホブッシュのような台詞は、とてもじゃないですが口には出来ません。
罪を犯した人の命もまた、とても重い一つの命だと思うからです。

この作品で縛り首になる男も、何の罪も無い家族を無残に撃ち殺した極悪非道な人間です。
死刑で当たり前。
生きている価値は無い。

しかし、そんな彼への死刑宣告を聞いて、彼の家族は怒りも悲しみもしない。
家族の中では、“もう存在していない”彼を見て、「ざまあみろ」と言える人はどれくらいいるでしょうか?

アメリカの高名な作家、トルーマン・カポーティが、『冷血』と言う“カンザスの農家一家4人惨殺事件”を題材にしたノンフィクション小説を書き上げるまでの日々を描く。
そんなこの作品。
最初は、イメージの脱却を図って『コップランド』に出たスタローンの様な気持ちで、この事件を題材に選んだであろうカポーティ。
しかし、その犯人のうちの一人であるペリーと出会ったことから、彼は大きなジレンマに陥る事になるのです。
その生い立ちに数々の共通点を見出し、殺人犯と自分との違いなど微々たる物だと言い切るカポーティ。
「僕らは同じ家で育った。
彼は裏口から、僕は表玄関から出た。
それだけだ。」

そこまで言っちゃうカポーティですから、犯人との面会はさぞかし心苦しかったでしょう。
分かり合えるから傷つけたくない・・。
傷つけたくないから、期待を持たせるような事を言ってしまう・・。
その嘘がばれるのを恐れて、犯人が消えてしまう事(死刑)を望む・・。
カポーティを信じきって、その嘘さえも受け入れて、友情を誓う犯人。
それまで、信頼できる友人(や恋人)は居たものの、常に孤独を感じながら生きてきたカポーティもまた、犯人に一番心を許していたのではないでしょうか?
消えて欲しいけど、消えて欲しくない。
そんなアイツは死刑囚。

結局、力及ばず死刑は執行されるのですが、カポーティがその目に焼きつけ、その体に背負った“命の重さ”は、彼の筆を折るに充分だったのでしょう。

本作に出ている俳優さんが、全て素晴らしい演技を魅せてくれて、お陰で考えさせられる事が山の様に湧いて来ます。
皆さん、目が口ほどにモノを言う方ばかりで・・・。
オスカーを受賞した、愛しのフィリップ・シーモワ・ホフマンも、申し分ない渾身の名演技でした。
どんな作品でどんな役を演じても、
「あー、この人素顔もこんな人なんだろうな・・」
と思わせる、自然だけど自信に満ちた演技を魅せてくれていましたが、今回もまんまと、
「あー、この人ホントに繊細なリアルゲイなんだろうな・・」
と思ってしまいました。
やるな・・ シーモア。
うちにも一人欲しいなぁ・・・ シーモア。
メガネが素敵だよ・・ シーモア。
シーモア、可愛いよ、シーモア。
シーモアァァーー!!

とりあえず、 『冷血』 を読まなければ、話が進まないように思いますので、一刻も早く本屋さんに走ろうと思います。
『ブラック・ダリア』 も待機中なのになぁ・・・。
今年の秋は、忙しいなぁ・・。
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Trackback
途中ちょっとだけウトウトしてしまいましたが、94%は覚えていますよ!
この作品で2005年度のオスカー主演男優賞を取った、フィリップ・シーモア・ホフマン。名前が長いので、略してF・S・Hとしておこう。受賞するとは思ってなかったのか、だいぶ経ってからの公開。この種の映画は、受賞でもしなかったら劇場未公開になってたかもね。

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