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『ミスター・ガラス』

2019年01月29日
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※ のっけからネタバレしています



あらすじ・・・
正義のヒーローと悪の帝王とその両方を、神さま気取りの自警組織が公平に始末します。


『ミスター・ガラス』はやさしくない。
過去のシャマラン作品、中でも『アンブレイカブル』『スプリット』を観ていない人にはやさしくない。
観客が『ミスター・ガラス』で最初に目にするのは、引き締まった体に落ち着いた色調のスカートをまとった禿頭の男性と、拘束された四人のチアガール。
男性はチアガールに近づき、優しく語り掛ける。
「ピーナッツバターサンドはいかが?」
もう既にわけがわからない。

『スプリット』を観ている人には、この人物が女装した男性ではなく「パトリシア」という女性だということがわかる。
そして、『スプリット』のラストで廃動物園から逃げおおせた24人のマカヴォイが、新たな犠牲者を作り出そうとしているのだと察する。
続いて画面に現れるのは、通行人にいきなり暴行を加え、それを動画配信サイトに流して炎上を期待するクズと、彼らの家に侵入し制裁を加えるブルース・ウィリスだ。
どうしてブルース・ウィリスはこんな自警活動をしているのか。
しかも彼を手伝っているのは息子とおぼしき青年ではないか。
『アンブレイカブル』を観ている人には、この青年が父親の不死身を信じて拳銃を握っていた、あのいたいけな少年の成長した姿だということがわかる。
そして、『アンブレイカブル』のラストで自らの宿命を悟ったブルースが、息子をサイドキックにヒーロー活動を続けていたのだと察する。
しかし、観ていない人にはわからない。 
わからなりに、きっとこれは悪いマカヴォイをブルースがやっつけるヒーロー物なのだろう、と察し始めると、その刹那、ブルースとマカヴォイは警察に逮捕され、精神病院に強制収容される始末。
そして、満を持して車いすの上のサミュエル・L・ジャクソンが登場するのだ。

ここまでは本当にやさしくない。
「おまえら誰なんだよ」、という思いが「みなさんご存じでしょう」に弄ばれる数十分。
前2作を観ている(ことはもちろんのこと、中でもシャマラン作品をすきでい続けている)人は、精神病院に三人が揃い踏みという状況だけで大興奮だけれども、初見なら、「へぇー、ブルース・ウィリスが出てるのかー なんかのアクションかな?」ぐらいのテンションで来たのなら、戸惑う人も多いのではないだろうか。

しかし、ここからは一気に、いや、これはわたしの「そうであってほしい」という希望というか願望なのかもしれないが、ここから物語は一気にわかりやすくなってゆく。

壁を手づかみで登れるほどの強靭な体力をもつマカヴォイ、老いていながら彼と互角に戦えるほどの力をもつブルース、そんなブルースと過去に因縁があったらしきサミュエル兄貴。
彼らを「治療」するためやってきた女医は、ひとりひとりと面談を重ね、粘り強く彼らのバックボーンを解き明かしてゆく。

チアガールを監禁していたジェームズ・マカヴォイ(ケビン)は、幼いころ受けた虐待のせいで解離性同一性障害を発症した不幸な青年。
24ある人格の中でも過激な思想を持つ人たちが女の子をさらい、聖なる捧げものとして殺害していた。
悲惨な事件だけれど、これはあくまで現実の病気が引き起こした事件で、超常現象ではない。

凶悪なYoutuberやマカヴォイのような犯罪者を尾行し、勝手に制裁を加えていたブルース・ウィリス(デヴィッド)は、幼いころクラスメイトからのいじめで溺死しかけた過去を持つ。
それが原因で水が苦手になり、一方で強烈なトラウマを克服するため体を鍛え、悪を処罰するようになった。
助けられた人たちもいるけれど、これはあくまで法を無視したひとりよがりな正義であり、現実を超越したスーパーヒーローなどではない。

過去にいくつものテロ行為で数百にも及ぶ犠牲者をだしてきた犯罪者サミュエル・L・ジャクソン(イライジャ)は、骨形成不全症という先天性の疾患を抱えうまれてきた。
すこしの衝撃だけで体中の骨が折れ、入退院を繰り返したサミュエル兄貴は、はたして喜びよりも痛みの方が多い己の人生に意味はあるのだろうか、と問うようになり、その答えを手に入れるため大量殺戮を企てるようになった。
すぐに壊れてしまう自分がいるのは、絶対に壊れない誰かが存在するためだ、と信じたくなる気持ちは、彼の生い立ちを考えるに同情を禁じ得ないけれど、これはあくまで長い闘病が導いた妄想であり、狂信であり、神話の証明などではない。

女医によって彼らの思想に原因が与えられ、特殊性は打ち消されてゆく。
『アンブレイカブル』『スプリット』を観ていない人にも伝わったであろう、このガッカリ感。
多重人格の力持ち・マカヴォイ、体力自慢の正義感・ブルース、病弱からきた自己肯定欲求の塊・サミュエル兄貴。
特別だと思ったのに、普通の人。
じぶんにもなにかできると思っていたのに、無力であると突きつけられるかなしみ。
堅い岩盤だと思っていた足元の地面が、シフォンケーキみたいにふわふわだったことの衝撃。
『アンブレイカブル』『スプリット』を観ている人には、さらなるガッカリ感が押し寄せた。
いやいや、彼らはちょっと才能ある程度の人間じゃないよ!ぜったい怪我しないんだよ!とあの時のジョセフ少年のように首を横にふりたくなる一方で、もしかしたら、と疑問がよぎる。
たしかに解離性同一性障害の原因は虐待かもしれないし、ブルースが溺れる以前になんらかの病気を患ったり怪我をしたりしたことがあるかどうかはわからないし、サミュエル兄貴は体が弱くて頭がいいけどそれを理由にテロをするのはあたまおかしい。つまりあたまおかしい。どうしよう、マジであたまおかしい。

いったんあげて落とされる。
前二作を観ていない人も、観ている人もきっと感じたはずの喪失感。
抱いていた期待をひょいと取り上げられた時の喪失感。
しかし、ここからが本当のシャマラン本領発揮タイムの始まりなのだ。
我々は、落とされたのちに、またあげられるのである。

先日、シャマラン先生のインタビューを読んだ。
『シックス・センス』で大ヒットをとばしたあと、先生はハリウッドの寵児となりめちゃくちゃチヤホヤされまくったらしい。
「よっ!天才!」
「今度はうちで撮ってくださいよ先生!」
「なに言ってんだ!先生はうちで撮ってくれるんだよ!ね、先生!」
しかし、先生の新作が思うようなヒットを生み出さなくなった途端、取り巻きは手のひらを返し先生を嘲笑するようになる。
「よっ!どんでん返しの一発屋!」
「あいつもう才能ないよね」
「映画撮りたい?金は出さんぞ!」
おまえらの舌は何枚だと言いたくなるけれど、それもまた現実だ。
自分がどれだけ自分の力を信じようとしても、周りから全力で否定されるこの世の地獄。
だからこそ、ケビンであり、デヴィッドであり、イライジャだったシャマラン先生は彼らをふたたび輝かせたのだろう。
彼らになにかを期待していた我々に、輝きを与えてくれたのだろう。

実は、女医はとあるハイソサエティな団体に属していた。
政府の高級官僚や警察組織にまでメンバーを潜ませるその団体は、手首に三つ葉のタトゥーを入れていることと、ブルースたちのような特殊な能力をもった人たちの存在を世の中に知られないよう秘密裏に処理してきたことぐらいしか明らかにならない。
「普通」から外れた力は、人々を不安にさせるからなかったことにしよう。
正義だけを、悪だけをなくしたら均衡がくずれるから、両方消してしまおう。
全ては世の中のため。 
しいては他とは違う能力のせいで生きづらさを抱えてきた彼ら自身のため。
女医たちは、あくまで「よかれと思って」自分たちが普通じゃないと判断した人たちの存在をなかったことにしてゆく。



わたしが『ミスター・ガラス』に心を打ちのめされたのは、まさにこの部分だった。



マカヴォイのように超人的な力を持たず、ブルースのように不死身の体を持たず、サミュエル兄貴のようにドチャクソが頭よくないにせよ、いわゆる「普通」という「枠」から外れた人たちはいる。
わたしの娘もそうだ。 
彼女は発達障害者で、幼いころから「普通」とは違っていた。
早い段階で診断を受け、療育を受けたり薬を飲んだりしながら、ゆっくりゆっくりと成長していったものの、治る病気ではないのであくまで障害とひざを突き合わせ、なんとか折り合いがつくようやっているというのが現実だ。
わたしは娘の障害を恥と思ったことは一度もない。
むしろ、彼女の爛漫さ、素直さ、不器用さが愛おしくてたまらない。
彼女の存在を、きっとほかの家庭の障害をもたない子どもたちにその保護者が抱くのと同じように、特別なものだと思っている。
しかし、もちろんかわいいだけで済んだら障害でもなんでもないのであって、娘の人生は、それはもう苦難の連続だった。
周囲との違いに苦しみ、コントロール不能な発作的衝動に振り回され、自己嫌悪に陥り、少しの理解を求めては得られずまた苦しむ。
そんな娘の現実をわかってほしくて周囲に「発達障害だもんでね」と話すと、今まで何度も「発達障害なんかじゃないよ!」と否定されてきた。

もちろん、否定してきた人の中に「よかれ」と思って言ってくれた人も多いことはわかっている。
病気なんかじゃないよ、ふつうだよ、子どもなんかそんなもんだよ。
やさしさのつもりでかけられた言葉が、わたしの心に重くのしかかる。
いや、障害だから。 さまたげられてるから。 娘の人生に実害出てるから。
「普通」の子が二、三回で出来ることを100回やっても出来ないことは、着実に娘の足かせになっている。
ただ、それもひっくるめての娘なのだ、と。 認めてほしかっただけなのだ。

特殊能力がいいものばかりとは限らない。
サミュエル兄貴が悪い方向にふれてしまっていたように、本人の人生のさまたげになるような特殊能力だってある。
しかし、娘は困難なことが多い一方で、わたしがびっくりするような想像力を発揮することもある。
ルールに縛られない空想・想像の世界で、彼女は天才なのだ。
彼女は、発達障害で、生きづらさを抱えていて、あふれんばかりのイマジネーションの源泉で、世界にひとりしかいない特別な人間なのだ。
それを「よかれ」と思って否定してくれなくてもいい。
「普通」の「枠」に無理やりはめ込もうとしてくれなくてもいいのだ。
だって、「枠」の中にいないことは悪いことじゃない。 
恥でもないし、うしろめたいことでもないじゃないか。

一度は女医によって「枠」にはめ込まれそうになったマカヴォイ、ブルースは、決して自分の能力を疑わなかったサミュエル兄貴によって再び力を取り戻す。
そうであった自分に戻る。
大事なのは、自分が他人と違うということを恐れないこと。
そして自分が持っている力(才能)を信じること。
シャマラン先生からのでっかい想いがスクリーンを満たし、わたしは静かに涙を流した。
マカヴォイもブルースもサミュエル兄貴も、自分がなすべきことをやり遂げた結果、団体に処理されてしまったが、彼らの存在はなかったことになるどころか「ある」ものとして、世界に二度と消えない痕跡を残すこととなる。

シャマラン先生は神話という形でヒーローの誕生を描いたと同時に、この世の中にきっといるであろう、「特別」な人たちを肯定してみせた。
「普通」と違うことはおかしいことじゃない。
たとえ周囲に否定されたとしても自らの才能を見捨てなくていい。
夢は捨てなくていい。 
そのままの自分でいればいい。

『ミスター・ガラス』はやさしくない。
しかしそれは入口だけだ。
シャマラン先生がこしらえた迷路の先に待ち受けている、あたたかくも力強いメッセージを、どうかまっすぐに受け止めてほしい。


わたしは思う。

『ミスター・ガラス』ほどやさしい映画はない、と。




- 追記 -

・ と、いうことでさいこうでしたよ! 泣いた泣いた! 19年かけてこんなさいこうな映画撮ってくれるんだからシャマラン先生マジ一生ついていくわ!

・ 正直、わたしが感じただけなので、別に発達障害の映画でもなんでもないですよ!

・ あと、劇場で観ていたほかのお客さんがどう思ったかは知らん! 

・ 伝われ・・ 噛めば噛むほど味が出るシャマラン・ワールドの愉しさ・・・・!

・ マカボイがすごいのは『スプリット』で証明済みでしたが、今回はさらに輪をかけてすごかった。 ギャラ24人分あげてくれ!!

・ 息子のジョセフを子役からそのまま演じていたスペンサー・トリート・クラークさんがまたいいんですよねー! ホラー映画の脇役ぐらいでしか観てなかったけど、本作で再ブレイクするんじゃないかな!してほしいな!!

・ 散々オオサカビルでの決戦を匂わせときながら、病院の庭だけで終わらせるシャマラン先生さすがっす!!

・ キリスト教でおなじみ三位一体を現す三つ葉の団体。 まさか続き作りませんよね? まぁ、作ってほしくないっていったらウソになりますけどね!




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