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『エル ELLE』

2017年10月10日
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あらすじ・・・
女の人が悪い男の人に引導を渡します。


(※ ネタバレしています)


女の子にとって、子どもから大人へと変わりゆく真っ只中のいちばん繊細な年齢、「10歳」。
そんな齢のころ、ある日国中の人々から一斉に注目されてしまうというのは、どんな気持ちなのだろう。
しかも、明るい話題からきた「いい注目」ではなく、全国民が恐怖と怒りと不安でいっぱいになるような、凶悪なことこの上ない「わるい注目」だとしたら。
自分は何もしていない、罪を犯したのは少女の父親で、わけもわからず巻き込まれただけなのに、まるで共犯だったかのように「注目」され、後ろ指をさされる。
正義感にかられた人々は、逮捕され一生牢屋に閉じ込められている父親を責められないかわりに、すぐそこで暮らしている少女に石を投げ、ありとあらゆる悪意をむき出しにしてきたことだろう。
どこにいっても「あの怪物の娘」という眼差しを向けられ、生きているだけで「よくもいけしゃあしゃあと」となじられる。
何かを殺さないと、少女は生きて行けなかったのではないか、とわたしは想像する。
自分のなかの何かを殺し、何かを捨て、何かを切り離すことでしか、少女はその社会で生きて行けなかった。
傍から見れば、冷徹、無感情、どことなくおかしい人、と思われるような生き方は、少女を守る盾であり、少女を前に進めさせるたったひとつのやり方だったのではないか。

物語に出てくる男たちは、揃いも揃って彼女を粗末に扱う。
よくもまあ、こんな立派な人でなしばかりが集まったものだ、と呆れたしゾッとすらしたけれど、彼女にとってそれは今までの人生で散々ぶち当たってきた「お馴染み」の光景だったのかもしれない。
「人殺しの娘なんだからひどい目にあっても仕方ない」。
カフェで彼女がかつての少女だと気づいた女性が、さも「正しいこと」をしているかのように毅然とした態度でゴミを投げ捨てるシーンと、その時の彼女の「あ、そうスか」みたいなどこ吹く風な表情を見ても、いかにその類いの行為が当たり前に行われてきたことかは歴然だ。
男たちは「あいつならこれぐらいしてもいい」と、彼女の過去を勝手に採点し評価する。
「人でなしの娘だから人として扱わなくてもいい」のだ、と。

彼女はそんな男たちに復讐をするのだろうか、とわたしはワクワクした。
ひとりよがりなクズどもを痛い目に遭わせてやればいい。 
いまだ、ミシェル、反撃の狼煙をあげろ。
しかし彼女はそんなわたしの独善的な気持ちにもまた、「あ、そうスか」といわんばかりの冷ややかな視線を浴びせる。
彼女は復讐しない。
男たちを血祭りにあげない。
そんなことは労力の無駄、とばかりに自分の生活を送る。
彼女のこの強さは、同時に彼女の悲劇でもある、とわたしは思う。
せめてもっと感情的に、「ふざけんなこのやろう」と暴れまわってくれるほうが、まだ救いがあるではないか。

そんな彼女に、ついに変化の時が訪れる。
母の死をきっかけに、事件以来一度も会っていなかった父との面会を決意するのだ。
彼女の人生に呪いをかけた父は、忌まわしいだけでなんの感傷も呼び起こさない存在だった。
けれど、父よりはマシだけれど普通に恨みつらみを抱いていた母が、彼女の謝罪や弁明を受け入れないまま死んでいったのを見て、彼女は「父までもが自分を置いていってしまったらどうしよう」と思ったのではないだろうか。
さみしい、という意味ではなく、引導を渡す機会を失うかもしれないという意味で、彼女はこれが最初で最後の機会だと思い、父がいる刑務所へ向かった。
父と会った時、彼女は罵倒しただろうか。 唾を吐きかけただろうか。 老いやつれた姿に心が痛んだだろうか。 「どうしてあんなことを?」と長年の疑問をぶつけただろうか。
どれもしなかった。 できなかった。
なぜなら、彼女の訪問を知らされた父は、ケツに帆をかけて逃げたからだ。
自死という方法で、この世の責任を放棄したからだ。
どれだけ卑怯な男なのだろうか。 
もっともつらい思いをさせ、もっとも苦しめた娘に、怒りをぶつけさせるチャンスも与えないとは。

この裏切りともいえる「死」を知らされた彼女は、ついに人生ですべきことを悟る。
彼女がすべきなのは、「人殺しの娘」としてすべての理不尽を受け入れることでもないし、自分の心と体を切り離し、毎日のように生まれ来る痛みを無視することでもない。
嘘をやめること。
隣人を救ってあげること。
父というおそるべき怪物を葬り去れなかった彼女は、別の形で、もうひとりの憐れな怪物に救いの手を差し伸べる。
そう、暴力的なやり方でしか欲望をかき立てられないタイプの病を抱えた隣人を罠にはめ、「正当防衛」という法的に正しいやり方で命を終わらせた(※奪ったのではない)のは、きっと彼女なりの救いだったのだ。
父に出来なかったことを、やっと成し遂げたのだ。

これからの彼女は、もっと自由になるはずだ、とわたしは思う。
周囲の人間がそうだったように、彼女もまた自分自身を「地面に叩きつけても壊れない人形」ぐらいに取り扱ってきた。
まわりはさておき、彼女がそうと思わなくなるだけで、人生はすこしばかり愛あるものになるではないだろうか。
男たちの愚かさを親友と軽やかに笑い飛ばし、彼女はしなやかに歩く。
その未来は、これまで以上にしたたかで、力強いものになるに違いない。



― 追記 ―

男たちの自滅っぷりとは裏腹に、本作に登場する女性たちのタフさったらないですね。
「殺人鬼の妻」として、ミシェルほどではないにしても相当の責め苦を受け生きてきた母イレーヌは、周囲の眼差しなど気にせず美しさを追求し、次々と若い恋人との恋愛に耽る。
ミシェルの息子の恋人ジョジーは、息子がお人よしなのをいいことに、別の男性との赤ちゃんをダシに結婚をとりつける。
ミシェルの親友アンナは、夫とミシェルの関係を知らされると、自分にとって誰が一番重要かを冷静に判断し、あっさり夫を切り捨てる。
強姦魔の夫を持つレベッカは、夫の犯罪行為を知りつつ野放しにし、隣人のミシェルを丁度いい発散場所として利用する。
みんな、それぞれのやり方で幸せだけを目標にひた走る。
その姿を、どこか清々しいと感じてしまうのは、彼女たちが単なる身勝手な人間というわけではなく、何がしかの理不尽さと闘ってきた人たちだからなのかもしれません。

まぁとはいえ、隣人をうまいこと使って夫に引導を渡したレベッカだけは別次元でこわいですけどね!
机の下でミシェルがモーションかけてたのも、気づいてたのかもしんないよ!
はい! 今回の選手権はレベッカが優勝!!! 隣に引っ越してきてほしくない隣人ナンバーワン!!


― 追記 その2 ―

ホントのホントにタフなのは、あのタイミングで「お金もらえるんですよね?」って聞けちゃうあの青年かもしれない!
それよく本人に訊ねられたな! どんな心臓してるんだよ! っていうかあげるわけねえだろ!バカ!おまえバカ!




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